波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

千秋公園で逢いましょう

2011-08-31 00:01:32 | 一人旅
こんばんは、白黒茶々です。
前回から、私は秋田市の千秋公園に来ています。ちなみにこちらは、かつて佐竹氏の居城だった久保田城の跡を公園化したところです。



その本丸の片隅には、御隅櫓が建てられています。本来ここにあった御隅櫓は二層だったのですけど、その上に望楼を乗せた形で復元したことになっているみたいです。さらに、鉄筋コンクリート製なのですよ。それでも入場料は100円と安く、その中に入れば久保田城関連の資料を見ることができます。



それだけではなく、最上階からは秋田市内を一望することもできるのですよ。ちなみにこれは、日本海の方向を見たものです。



そうそう、今回は二の丸跡にあるこちらの売店で、ある方たちと待ち合わせすることになっていたのでした。おおっ、それらしいのがすでに来ているではありませんか あの色、あの質感は遠くからでもよくわかります。 その、そのある方たちとは………



サムママさんと、サム君です 私がこの日に秋田へ行く旨を彼女たちに伝え、できたらお逢いしたいとお願いしたら、快く了解してくださいました。サムママさんは足だけしか写っていませんけど、箔日記への初出演、おめでとう、いや、ありがとうございました。



サム君は私が想像していた以上に毛が長くてサラサラで、ハンサム君でした。 私が箔を飼い、スピ界に出入りし始めた5年ほど前から存じていた彼に、ようやく逢うことができて、感無量の思いです。

そのあと、時間的に余裕があり、サムママさんが「せっかくなので、竿燈を体験してみませんか?」と持ち掛けてくださいました。 そして、私が連れていってもらった先には………



「ねぶり流し館」がありました。 こちらでは、弘前の津軽藩ねぷた村と同じように、お祭りを体感することができるみたいですね。とにかく、中に入ってみましょう



入っていきなりのところに、天井の高いホールがあり、竿燈を軽快に持ち上げている人 ………のマネキンが。



さらに同じ空間には、大中小サイズの竿燈がありました。 それらには「体験を希望される方は、係員におっしゃってください」との断り書きが。これはぜひ、やっておかなければ~
その竿燈体験コーナーは人気で、すでに何人かの人がバランスをとり、お祭り気分に浸っていました。ちなみにお試し用の竿燈には、5キロ、10キロ、15キロサイズがあって、クリアするごとにだんだんとレベルアップをしていくことができます。そうしたら、私はまずは5キロから入っていくことにします。



係員の方にバランスの取り方を教わったりしたのですけど、これが意外と難しい。 5キロなんて入門編なのに、これから重量を増やしていき、本番さながらに肩やおでこに乗っけるなんて、とてもとても。 竿燈まつりでは、60キロ級のものを大観衆の前で軽やかに扱うというのだから、驚きです。
そういえば、私は味噌汁の入ったお椀を食卓に運ぶ際にも、ロボット歩きになってしまうほどバランス感覚のない人間でした。 そのような状況の中で、ようやく撮れたのがこの1枚なのです。

それから、今回は係員さんに節を教わり、写真の後方に写っている太鼓も叩かせてもらいました。こちらのほうは、リズム感とその場のノリが決め手ですね。

私がねぶり流し館でキャッキャ(おっとっとか?)している間、サムママさんはサム君と一緒に外で待っていてくださいました。そんな彼女たちに、竿燈持ち上げ体験をおおっぴらに報告することはできませんでしたけど、逆に私のほうが秋田市民の偉大さに気付かされました。



その後、私は秋田駅から列車に乗り、日本海に沿って南下していきました。 その間に、駅で買っておいたさぼてんのふわふわ卵のカツ丼をいただくことにしましょう 歯ごたえサックリのトンカツに、いい具合に卵が絡んでいて、たいへん美味しうございました。



途中、私は何回か乗り換え、23時半頃には新潟駅に到着。さらに今度は臨時の夜行快速列車ムーンライトえちごに乗り込んで、新宿を目指します。そして、その列車に乗ること6時間あまりで、終点駅にたどり着きました。
あとは乗り馴れた東海道線で帰路に就くだけなのですけど、静岡県内を走る列車だけは全車トイレ無し車両だったり、途中で切り離されたりしたおかげで乗客でギュウギュウ詰めになり、とても長く感じました。 それでも、お昼前には自宅に到着。0泊3日とはいえ、実質43時間の長いようで短い一人旅でした。

今回の一人旅では、遠い目的地でスピ仲間に逢うことができ、今まで以上に楽しく充実したものとなりました。サムママさん、私の要望を聞いてくださり、ありがとうございました。
全国各地にお城がある限り、私は今後もあちこちに出向く所存にございます。ひょっとしたら、次はあなたの街に現れるかも知れません。………というよりは、そんな私と逢っていただけると、とても嬉しいです。


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舞台は青森から秋田へ

2011-08-27 00:01:01 | 一人旅
こんばんは、白黒茶々です。
前回から私は、青森県の弘前市に来ています。 そして弘前城をあとにして、向かった先は………



「津軽藩ねぷた村」にございます。  私がこの日、弘前を訪れたときには、すでにねぷた(NEPUTA)祭りは終わってしまっているので、こちらに行けばそのお祭りを体感することができるのです。では、さっそく入ってみましょう



館内には、このような巨大なねぷたが展示されていて、その下では係員の指導のもと、太鼓を叩く人の姿が見られました。さらにその太鼓に合わせて、お囃子の笛を吹いてくれるサービスも。
「他に、叩いてみたい人はいませんか~?」そこで私が飛び入り、「静岡県から来た」と言えば、盛り上がること間違いなし。しかし、今回はなぜかテレが入ってしまい、後方から「ヤ~ヤ~ド~~~ 」と掛け声をするのが精一杯でした。
立体的な青森ねぶた(NEBUTA)とは違い、巨大な燈籠形式の弘前ねぷた。「表は勇壮な絵が描かれているのに対して、裏にはこのようなしとやかな女性の姿が。こちらが男の絵だったら、厳かに見送る気分にはなれませんよね~ 」係員の方の語りは絶好調で、ユーモアセンスも抜群。いや~、いろんな意味で楽しませていただきました。



弘前ねぷた村では、この他にもこの地方の伝統工芸や、物産などをみることができるのですけど、プロの手による津軽三味線の生演奏のほうも見逃せません。 録音・録画は禁止されているものの、間近で聴くとけっこう心に染み渡るので、録っておかなくても充分ですよ。

私はその後、列車に乗り込み、次の目的地へ向かいました。 その間に、弘前駅で買ったたか丸くん弁当をいただくことにしましょう。 今年限定と思われるその弁当の中身は………



おおっ 見事にたか丸くんが描かれていますね。めめは黒豆、クチバシは玉子焼き、それに加えて、ごま粒で鼻の穴まで再現するほどのこだわりよう。 しかし、たか丸くんのお顔を崩しながら食べるのは、ちょっと心苦しいです



弘前から在来線に乗ること2時間半あまり、私は秋田駅にたどり着きました。 ちなみに私がこちらに来るのは、弘前も含めて17年ぶりとなります。



駅から西に向かって6分ほど歩いていくと、蓮の浮かんだお掘が見えてきます。実は、これは私の次の目的地となる久保田城のお掘なのです。



そのお掘を渡ったら、このような城址碑がありました。せっかくなので、お得意の三脚&セルフタイマーを使って、記念撮影をしておきましょう。 セリフは「久保田城に来たど〜!」がいいですね。ただし静止画なので、音声は入りません
こちらの久保田城は、関ヶ原の合戦で西軍寄りだった佐竹義宣公が常陸(茨城県)水戸からこの地へ転封となった後に築いたもので、石垣や天守をもたない質素なお城でした。明治に入ってから、火災でほとんどの建物を失い、その後、城跡は千秋公園として整備され、市民の憩いの場となっております。
では、その千秋公園こと久保田城跡にグイグイと入っていくことにしましょう



そうしたら、だんだんとお城の雰囲気が漂ってきましたよ。 本丸に続くこの鉤の手の石段は、長坂門の跡です。そこをさらに上っていくと………



御物頭御番所に行き着きます。この建物は、藩政時代から城内に残る唯一のものです。それから、上がり込んでその内部を見ることもできます。



番所のすぐそばには、本丸表門がそびえ立っています。ちなみにこちらは、平成13年(2001年)に木造で復元されたものです。



先述したように、久保田城には天守がなかったのですけど、こちらの土台の上にあった二階造りの御出し書院からの眺望が優れていて、その建物は天守の代役を勤めていました。

実は私はこのあとに、ある方たちとこの千秋公園で待ち合わせすることになっているのですけど、こんなところで放送終了の時間(?)が迫ってきてしまいました。 その地元民の「ある方たち」とはいったい、誰のことなのか?その様子は、次回の「一人旅最終章」のほうでゆったりとレポートさせていただきます。


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目指すは東北なり!

2011-08-24 00:01:48 | 一人旅
こんばんは、白黒茶々です。
暑い日が続いていますね。 この季節は、ワンコにとっては特に厳しい時季でもあります。



朝の散歩に連れていっただけで、少々バテ気味の箔ちゃ。 それでも、すぐに立ち直り、ご飯も完食するほど元気なので、どうかご心配なく。こんな感じなので、この時季はワンコを連れてのお出かけは厳しく、代わりに人間のほうが活発に行動するようになります。そのような流れで、私は今年のお盆休みも一人旅に出かけることにしました。



まずは青春18きっぷを片手に、夕方頃に自宅の最寄り駅から列車に乗り、ただひたすら東に向かいました。



そして、21時過ぎには東京は上野駅に到着 できることなら、そこから新幹線や寝台特急に乗って悠々自適に今回の目的地の東北地方のある都市に行きたいところなんですけど………



今回利用するのは、上野駅前から出ている高速夜行バスのパンダ。 4列シートの貸し切り型のバスながらも、料金が片道5000円と、リーズナブルなところが魅力なのです。
私を乗せたパンダ(………とはいっても、動物園にいるあの白黒のヤツのことではないですよ、ハイ )は、22時に上野を出発。お盆休みに加えて、震災の復興対策として東北自動車道の通行料が無料になったこともあって、日中は渋滞したのですけど、深夜の時間帯にはそれも掃けていました。



途中、佐野、国見、紫波のサービスエリアに立ち寄り、翌朝6時半頃には青森県弘前市にある弘前バスターミナルに到着 そうなんです。今年の一人旅は、観光面で落ち込んでいる東北地方の魅力をみなさんにお伝えし、私の力で観光客を呼び戻す……… なんて言ったらちょっとおこがましいですよね。 ただ単に、私がそちら方面に行きたかっただけかも知れませんけど。とにかく0泊3日の強行スケジュールで、可能な限り青森・秋田の名所旧跡をレポートさせていただきます。



その前に、とりあえずバスターミナルの近くのマクドナルドで、朝マックといきましょう
私がこの日注文したメニューは、マックグリドルソーセージ&エッグ・チーズ、ハッシュポテト、プレミアムローストコーヒー、などなど。 普段の生活では、なかなか朝の時間にマクドナルドに立ち寄るようなシチュエーションがないので、朝マックを食べる機会はどうしても旅行に出たときに限られてしまいます。とにかく、前フリはこのへんにしておいて、いっただきま~す はむっ
ん~、パンケーキの生地から、メイプルシロップが染み出してくる感じがいいですね。それから、ハッシュポテトやコーヒーとも合っていますし。



朝食を済ましたら、今回の最初の目的地となる弘前城を目指して、歩いていくことにしましょう。 やっぱり道路標識にその名前が出てくると、気分が高まりますね



そして私は、弘前市立観光館の前にたたずむたか丸くんと行き会いました。 このキャラクターは、今年の弘前城の築城400年を記念して作られたもので、名前の「たか」は弘前城の別名の鷹岡城から、「丸」はお城の本丸から拝借したそうです。さらにその名前は「(気分が)高まる」にも通じていて、縁起がいいのです。
それからデザインのほうは、関ヶ原の合戦後に弘前城を築き、この地方の支配体制を確立した津軽為信公の兜に、お城を合体させたところまではいいのですけど、それに加えて巨頭で、とにかく頭が重そうです。



そのたか丸くんの視線の先には、弘前城の正門となる追手門があります。もちろん、この追手門は昔ながらの状態で現存しています。こちらのお城は、お掘や土塁(土の土手)に囲まれた全域がほぼ完全な状態で現存していて、とても貴重な史跡でもあります。そのぶん廻るのが大変なほど広いのがなんとも。



追手門をくぐり、先に進んでいくと、辰巳櫓が見えてきます。弘前城にはこのような三層櫓が3棟現存しています。



そして本丸には、三層の天守が現存しています。築城当時は別の場所に五層の天守があったのですけど、落雷で焼失してしまい、18世紀に三層櫓を改築するかたちでこの建物が造られました。



せっかくなので、今年限定(………と思われる )のたか丸くんのパネルと一緒に、写真を撮っておきましょう。



さらに私は、天守の中へ。 重要文化財に指定されているこの建物。もちろん木造なのですけど、床にシートが敷かれていて、私の記憶が確かならば、現存天守で土足のまま入れるのはここだけということになります。



その天守がある本丸からは、岩木山を臨むことができます。その勇姿を見ると、津軽地方に来たんだなぁ~という実感が沸いてきます。



弘前城の北側にあるのが、この北門(亀甲門)です。城内には、この北門や先述の追手門も含めて、同じ形式の門が5棟現存しています。



その北門を出たところにあるのが、石場家のこの建物。 こちらは藩政時代から続く酒屋で、豪雪地方特有の長い軒先がよく残っています。

石場家からさらに東にギュイ~ンと行ったところに(………って、ちょっと関西系の道案内になってしまった )、弘前を象徴するあるものを体感できる施設があります。そのあるものとは……… 詳しくレポートすると、朝礼の際の校長先生の話しぐらい長くなりそう……… とはいっても、今時の校長先生はどうなのでしょうか?とにかくこの話は、次回に続けさせていただきます。


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お京の近況報告

2011-08-20 00:01:01 | ニャンコ
こんばんは、京ですニャ~。
ワタシが白黒茶々家にやって来てから、早いもので半月以上が経ちましたニャ~。



こちらの生活には慣れつつあるのですけど、先住猫の黒姉さんや銀姉さんたちと徐々に慣れさせるとの理由から、当初ワタシは隔離スペースとなる二階の一室に入れられました。 後から聞いた話によると、銀姉さんも同じような入り方で白黒茶々家に馴染んでいったそうですニャ~。



その銀姉さん。ワタシとの初対面のときには「シャ−−− 」と威嚇してきたのですけど、その後、ワタシのことが気になるのか、ちょくちょく隔離部屋に様子を見に来るようになり、今では一緒に遊ぶほどの仲に。 しかし、この写真の両者の距離間は微妙な感じが………



しかし、黒姉さんのほうはワタシの顔を見ると、まだ「シャ−−− 」と威嚇するのです。 写真ではわかりにくいのですけど、ワタシの視線の先にある黒い塊が彼女なのです。しかも、ちょっと恐ろしい形相になっていますし。
それでも、「以前ほどストレス性のゲロは吐かないようになりつつあるから、心配ない……… かな?」とお母さんが言っていたから、本格的な共同生活が始まるのも、近いかも知れません。 

おおっと、ウチにはもう一頭いるのを忘れるところでしたよ。 それは「いぬ」という生き物の、箔兄さんのことです。普段、彼は一階の一室のケージ内にいるみたいです。
以前対面したときには、「いぬ」そのものが全く初めてだったワタシは取り乱し、ワタシを抱っこしていたお父さんを思いっ切りバリッとやってしまいました。



そういうこともあって、今のところはこのくらいの距離が限界ですニャ~。



箔兄さんは「怖がらなくても、大丈夫なのだ」と、「借り暮らしのアリエッティ」の翔みたいなセリフをこいていたのですけど、ワタシのアンテナによると、彼は要注意犬物だと識別しましたニャ~。 特に、ブンブンの風圧には気を付けなさい、とも。

ワタシがこちらに来るまでお世話になっていたIさんから、最近近況報告があって、東京にお婿に行く予定だった弟猫が、そのままその家の子になったと言っていました。 Iさんは彼と二ヶ月ほど一緒に暮らしたら、情が移り離れられなくなってしまったそうな。ひょっとしたら、お父さんが里親に立候補するタイミングがズレていたら、ワタシもIさん家の子になっていたかも知れません。それか、他の家に招かれていたかも。本当に、人生、いや、猫生はわかりませんニャ~。



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難攻不落の小谷城と江博

2011-08-17 00:01:25 | 旅行記
こんばんは、白黒茶々です。
前回からの続きで、私は北近江の長浜市に来ております。 しかも「江・浅井三姉妹博覧会」の会場巡回バスに乗り込み、せっかくいいところだった(?)のに「続く」にしてしまったので、今回はそのあたりから始めさせていただきます。



まず最初に私は、小谷城の麓にある「小谷・江のふるさと館」で巡回バスを降りました。
こちらでは、戦国大名浅井氏や浅井三姉妹、それに小谷城に関する資料が展示されています。また、槍を持ったところを写真に撮られ、希望者に買わせるというサービスもあるのですよ。 ちなみにその際の掛け声は、「はい、チーズ」ではなく、「ちゃちゃはつごう 」というのが、なんとも。



その施設に隣接している売店では、ロケの際に鈴木保奈美さん(お市役)や時任三郎さん(浅井長政役)が召し上がったというロケ汁なるものが売られていました。 その中身は豚汁の豚肉が猪肉になっただけという感じなのですけど、緊迫した撮影の合間に食べたら心も体もほっこりする、そんな味わいでした。

ロケ汁でお腹を満たしたら、小谷城跡を散策することにしましょう。博覧会の開催期間中は、標高約500メートル級のお城の主要部までシャトルバスが出ているので、かなり助かります。



バスを降りたところからしばらく歩いていくと、黒鉄門跡に行き着きます。ここはお城の主要部の正門みたいなところで、ドラマでは浅井三姉妹が廃城となった小谷城を訪れるシーンで使われました。



その黒鉄門跡の下を山伝いに行ったところには赤江屋敷跡があります。織田軍に追い詰められた浅井長政はここで自害し、29歳の生涯を閉じるのですけど、現在では「浅井長政公自刃之地」なる生々しい石碑が立っています。
その落城シーン。ドラマでは小谷城を燃やしてしまいましたけど、その後の調査で、そのお城に燃えた痕跡は一切認められませんでした。 落城後は羽柴秀吉が移り住み、その後、建物や石垣の一部を長浜城に転用したぐらいなので、落城=炎上と捉えるのはおやめくださいませ。



さらに、城跡からは琵琶湖を臨むこともできます。ちょっとわかりにくいのですけど、湖上に浮かぶ竹生島も見えますよ。 またドラマの第1話では、この風景を眺めながら長政殿がお市殿を口説いているのですけど、その中で彼はロマンチストというか、詩人のように描かれていました。



先程のところから、さらにグイグイと上っていくと、こちらの大広間に行き着きます。 険しい山城の中に、このような広い空間があるのはなかなかのモンです。 かつてはここに、屋敷等があったと思われます。



さらにその先には、このような高石垣が。 このような遺構を見ると、「お城に来たんだな~」という実感が湧いてきます。



小谷城の主要部の最深部分にあるのが、こちらの山王丸です。浅井氏の頃にはここに祠があったことから、このような名で呼ばれるようになったそうです。

それよりも、先程から降っている雨が激しくなってきたのですけど。 しかも、雷まで鳴って。その日の私はなぜか油断していて、雨具の用意を全くしてきませんでした。 さらに悪いことに(悪くはない、いやその………)、小谷城は貴重な遺跡ということもあって、東屋のような雨宿りできるような建物は一切設けられていないのです。
なので、私はなるべく葉の茂った樹木の下を通りつつ、バス乗り場まで走るしかありませんでした。 もちろん、地面も舗装されていないので、滑ったりぬかるんだりすることも。そして、ズブ濡れになりつつも、ようやくバス乗り場にたどり着くことができました。
こうなったら、雨が降っている間は、屋内型の施設を廻るしかありません。それよりも、濡れた衣服や靴はどうするかって?それは、自然乾燥させるに決まってるじゃないですか。



そのような状態で巡回バスに乗り、私が次に降り立ったのは、「浅井・江のドラマ館」。こちらでは、浅井長政やお市、それに浅井三姉妹だけではなく、ドラマでは実在しなかったことになっている満福丸や満寿丸も含めた浅井さん一家の銅像が出迎えてくれます。



その会場となっているのは、浅井ふれあいの里・プラザふくらの森。こちらでは、ドラマのオープニングで上野樹里ちゃん演じるお江が着ている打掛に加えて、撮影に使われた衣装や小道具などが展示されています。また、映像やパネル展示も。  



さらに私は巡回バスでその先に進み、最後の目的地の黒壁スクエアに降り立ちました。 こちらは通りや町並みそのものが観光名所になっているのですけど、今回は時間がないので、サラっと流させていただきます。



その黒壁スクエアの域内に、「長浜黒壁・歴史50作館」が設けられています。
こちらでは、これまで放送されてきた大河ドラマがダイジェストで展示されています。その中でも、特に歴代秀吉を演じてきた役者さんには、アッと言わせられることも。
私が思い付くだけでも、緒方拳、西田敏行、武田鉄矢、勝新太郎、仲村トオル、岸谷吾郎、………(以下、敬称略)などなど。

小谷城で鼠先輩、いや、濡れ鼠になった私の身体は、帰りの電車に乗る頃にはすっかり乾いていました。また、風邪をひくこともなかったので、どうかご心配なく。

「江・浅井三姉妹博覧会」は、今年の12月まで滋賀県長浜市で開催されています。また、愛知県清須市や東京都港区など、全国のお江ゆかりの地でも同じようなイベントが行われているみたいですね。 気になる方は、それらの施設にお駆け込みくださいませ~




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お江の郷を目指して

2011-08-13 00:01:46 | お城
こんばんは、白黒茶々です。
現在、NHKでは日曜日の夜に「江~姫たちの戦国」が放送されています。 その影響で、そのドラマの舞台となった地域は盛り上がっているみたいですね。そのような状況の中で、私もお江ゆかりの地を訪れることにしました。
このような流れで電車に乗り込み、向かった先は………



かつては街にお掘が巡っていて、現在でもあちこちで名水が湧き出ている西濃の水の都、岐阜県大垣市。こちらはあまりお江関連ではないのですけど、私にとっては久しぶりの遠出なので、スピッツのオフ会や展覧会のときと同じように寄り道してしまいました。

その名水から程近いところに、大垣城はあります。ちなみにこちらのお城は、琵琶湖オフの会場に向かう途中に箔と寄り道して以来、3年ぶりの訪問となります。



16世紀に建てられた4層4階の天守は戦前まで残っていたのですけど、空襲によって焼失してしまいました。



そして、昭和34年に外観のみ復元されたのが、3年前に私が箔と一緒に見たこちらの天守です。しかしこの建物、眺望をよくするために最上階の窓をガラスサッシにして、さらに破風(三角屋根の部分)に金具の飾りを付けたりしたもんですから、戦前のものとはイメージが変わってしまいました。
おまけに、築50年を過ぎて老朽化で瓦などが剥がれ落ちるようになり、まわりを柵で囲まれるという始末に。



その天守はその後改修工事を経て、現在ではこのような姿になっています。 その際に例のガラスサッシや破風飾りは見直され、外観は戦前のものに近付きました。せっかくなので、その天守に上ってみることにしましょう



最上階からは関ヶ原や、その向こうに伊吹山を臨むことができます。 そういえば、今回はそのさらに向こうの琵琶湖方面に行くのでしたね。寄り道はこのぐらいにして、そろそろそちら方面に向かうようにします。 そんな流れで私が再び電車に乗り込み、たどり着いた先は………



長浜城でした。浅井氏の小谷城攻めで手柄を立てた羽柴秀吉は、織田信長から小谷城を賜り、念願だった一国一城の主となります。ところが実際にそのお城に住んでみたら、険しい山城なうえに交通の便も悪く、おまけに冬は冷え込みが厳しいときたもんだ。 さすがの秀吉もすぐに根を上げ、琵琶湖沿いの今浜に新たに城を築いてそちらに移り住むことに。 その際に、その地を長浜と改めました。そのお城が長浜城なのです。



その長浜城は17世紀の初め頃に取り壊され、石垣や建物は彦根城を築くのに転用されたりしました。その城址には太閤井戸なるものがあるのですけど、それは微妙なところに位置していて、琵琶湖が満潮になると水没してしまうのです。



ちなみに現在城跡にそびえ立っているこの建物は、天守を模して建てられた歴史博物館です。 こちらでも現在、お江の企画展がおこなわれているのですけど、じっくり観ていったら時間を喰いそうなので、このあたりで本題のほうに移らせていただきます。



長浜市内では、数ヵ所の会場に渡って「江・浅井三姉妹博覧会」がおこなわれています。 入場券を購入して、長浜駅から出ているこちらの巡回バスに乗れば、気さくなおいちゃんの案内を聞きながらお江関連の特設展示施設などに行き着くことができるのです。

………と、せっかく盛り上がったところで申し訳ないのですけど、それらをレポートしていくと長くなってしまうので次回に続けさせていただきます。 謝りついでに申しておくと、今回のネタの取材に行ったのは、実は4月末のことだったのです。ついつい箔日記に載せるタイミングを外してしまい、ここまでズルズルときてしまいました。それでも、お江のドラマと博覧会はまだ白熱しているので、気になる方はぜひ、北近江の長浜をお訪ねくださいませ~ あ、それから次回の箔日記のほうもお忘れなく。


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行ってきました!甲子園

2011-08-10 00:07:58 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
夏だ 高校野球だ とはいっても、地方大会のほうは先月中にはほぼ終わってしまったので、今度は甲子園球場を舞台にした全国大会がメインとなります。



箔が首から提げているのはバンダナではなく、それっぽい形をした甲子園出場校のペナントです。この手のものは昔から、甲子園のお土産の定番となっております。

高校野球選手権大会が開幕した直後の8月上旬の日曜日に、甲子園に試合観戦に行くのが、私の毎年の恒例行事となっています。交通手段の臨時夜行快速列車の指定席券が売り出されるのがその1ヶ月ほど前のことで、その頃にはまだ出場校や組み合わせは決まっていません。なので、行ったその日にたまたまやっている試合を2つほど観るのですけど、その対戦カードがどこになるのかは、大会が近付くまではわからないのです。 それが昨年は、偶然にもその日程に私の郷土の静岡県代表こと常葉学園橘高校が飛び込んできたのです ただし、それだけではないのですよ。
今年、静岡県では伝統校の静岡高校が22回目の出場を決めたのですけど、その高校がなんと、先程と同じように私が甲子園に行く日の第1試合に出番を迎えることになったのです さらにいうと、一昨年も降雨ノーゲームにならなければ、私は3年続けて静岡代表の高校の試合を観るということに。 これほど続くと、もう偶然ではありません。
そうしたら、今度はその郷土の代表が私の目の前で勝てるかどうかですね。ちなみに今回の静岡高校の対戦相手は、千葉県の強豪校の習志野高校です。



そして、早くもその計画を実行する日になりました。ただし、いつもと違うのは、今回はたつぴ連れというところです。
午前2時頃に自宅を出て、3時近くには浜松駅に到着。そこから臨時夜行快速列車のムーンライトながらに乗り込み、途中何回かの乗り換えを経て、8時頃には大阪駅に着きました。さらに阪神電鉄でぶっ飛ばせば、8時半には目的地の甲子園球場にたどり着くことができます。



我らが静岡高校の出番は、第1試合ですね。今年は節電対策として、8時から試合が始まっているから、とにかく急げ~



ふひゅ~、なんとか観やすい席を確保することができましたよ。 あとは腰を据えて、この試合の行方を見守るだけです。ガンバレ、静高



白熱する試合には、スタンドのほうも熱くなります。 そういうときは、甲子園名物のかちわり氷で体を冷やすことをオススメします。



そして試合のほうは、習志野がやや押し気味ながらも両校とも譲らず、中盤まで1対1の同点となっていました。ところが、7回に習志野が2点を入れて勝ち越し、さらにその後も追加点を入れ、6対1で静岡を下し、2回戦進出を決めました。

「そんな………」2年続けて郷土の代表と行き会うも、2年続けて目の前で敗退してしまうなんて。とにかく千葉のシロダヌキさん、習志野高校の甲子園1勝、おめでとうございます。



せっかくここまで来たのだから、甲子園カレーを食べながら第2試合のほうも観ておきましょう。 こちらの対戦は、明徳義塾(高知)と北海(北海道)ですね。ちなみに、こちらの試合も終盤まで投手戦となり、3対2で明徳義塾がサヨナラ勝ちしました。



第2試合が終わったところで、私たちは甲子園をあとにしたのですけど、その前にお土産を買ったり記念撮影をしたりしました。球場の正面付近には、開会式の入場行進の際に使われたプラカードと一緒に写真を撮ってくれるサービスがあるので、見逃せませんよ。



その後、私たちは電車を乗り継ぎ、もうすっかりお約束となった甲子園のあとのおまけコースに入りました。 そして、JRの新長田駅で電車を降り、向かった先は………



実物大鉄人28号のある新長田公園。今回私は、阪神淡路大震災の復興のシンボルとして造られたこの像を、拝んでおきたかったのです。



とはいっても、ただ手を合わせるのではなく、鉄人をバックに思い思いのポーズをキメておきたいですね ちなみに私たちは、鉄人と同じ格好ではあまりに芸がないので、浜名湖自動車学校の「ハマイン 」のポーズにしてみました。えっ「ハマインって何?」ですって。それは、静岡県民になら、わかるハズ



鉄人でテンションの上がった私たちは、そのままの勢いで西に進み、駅の真ん前にお城のある明石に降り立ちました。 そこでしたかったことは………



明石のタコ焼きこと、玉子焼を食べておきたかったのです。 通常のタコ焼きより玉子の比率が多いこの玉子焼は、ふんわりとろとろしていて、美味しいですよ。刻みネギの浮かんだ、だし汁につけて、お召し上がりくださいませ~

このように、今回の甲子園観戦ツアーは、私たちにとっては欲張りで充実したものとなりました。あいにく、郷土の代表校が勝つところを観ることはできませんでしたけど、たつぴには甲子園独特の雰囲気を味わってもらえたみたいなので、ヨシとしておきましょう。
それから今回の選手権大会には、被災した東北地方に元気と勇気を与えるという趣旨も含まれています。ちょっと強引な締めとなりますけど、被災者の方々が一日でも早く落ち着いた生活に戻れることを私も願っています。



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猫遠方より来たる

2011-08-06 00:01:06 | ニャンコ
こんばんは、白黒茶々です。
私の茶トラちゃん捜索活動は、皆さまからの暖かいお言葉に後押しされたこともあって、夏に入ってからも続きました。果たして、今回こそ運命の子と出逢うことができるのでしょうか?

前回、富士市で対面した子を断念してからも、私は懲りもしないで猫の里親募集サイトをチェックし続けました。 そうしたら、その中に茶トラちゃん情報が出ているのを見つけました。
今回その情報を載せたのは、三重県の方で「関東~関西の、どの地域にもお届けします」とありました。今までは、近隣の地域だけを対象にしているという理由で断られることが多かったので、在住地の壁はクリアできそうです。 しかしその方は、茶トラの子猫を姉弟で一緒にいたのを拾ったらしく、「この2匹をまとめて引き取ってくれる人を優先したい」と書いていました。また、1匹希望の方でも、相談には応じるとも。
とにかく、その方と連絡を取ってみることにしましょう。私は今回も茶トラに対しての熱い想いも添えて、メールを送りました。



それからしばらくして、返事が来ました。 それによると、三重県の御浜町に住んでいるIさんは、一緒に寄り添っていた姉弟の茶トラ猫を保護されたそうです。 「この子たちは、生まれたときから多分離れたことがないと思います。2匹が別れるのはあまりに寂しいので、できたら一緒にお願いしたい」と。さらに、「この姉弟はとても仲が良く、じゃれあって遊んでいる姿には心癒されますよ」とも書かれていました。



詳しいことは追い追い電話で話し合うということになったのですけど、それ以来、私は茶トラ姉弟のことを真剣に考るようになりました。 箔母さんとたつぴは、「猫が増えることは、いいことだ」と、2匹まてめて引き取ることに賛成の意見でした。私も、仲のいい姉弟猫を引き離すのは忍びない。できることならまとめて面倒見たいのですけど、今まで2匹だったのが一気に4匹になるのは、よく考えなければ。 生き物を飼うのには、手間と費用と責任が付いてきて、いずれのものも中途半端だとお互いに不幸になってしまうので、今回は慎重過ぎるほど慎重に考えました。

そして、Iさんと直接交渉する日がやって来ました。 私は1匹しか引き取れない事情を説明し、Iさんの返事を待つことにしました。そうしたら、「1匹だけでも、そちらにお届けします」と言ってくださったではありませんか
そうと決まったら、あとは引き渡しの詳細を決めるだけです。その結果………



7月31日の子供キャンプのあとに、Iさんが列車でウチの最寄り駅まで来てくださり、そこで私たちが彼女を出迎えることになりました。 ちなみにIさんがお住まいの御浜町は、三重県とはいっても和歌山県寄りで、こちらまでの移動に5時間もかかるそうです。その紀伊半島の御浜町を指しているのはウインナーではなく、私の指なんですよ。

そして引き渡し当日、新居町駅には送迎役の私とたつぴが立っていました。 さらに、待ち合わせ時間の14時には、列車から降りてきた客の中に猫カゴを持った女性の姿が。そうです まさに彼女がIさんなのです。私たちはIさんを自宅まで案内し、いよいよ茶トラちゃんのご開放&ご対面の運びとなりました。 果たして、先住猫の黒ちゃと銀ちゃの反応は………


シャーーーー!!


まず様子を見にきた銀ちゃが、至近距離で威嚇しました。 それにしても、普段滑らかな手触りのおけけが逆立って、劇画調になっているのですけど。
一方の黒大姉さんは、遠巻きに様子を見つつも、やはり「シャーーー!」と言っていました。



彼女らの手荒い歓迎の中でも、茶トラちゃんは動じることもなく、箔母さんの膝の上でくつろいぐまでに。

その後、Iさんとは「子猫のことは終生大切にする、ある程度大きくなったらワクチンや避妊手術を施す」等の内容の誓約書を交わし、その際に私は、茶々との思い出を話たりしました。 それから、茶トラの弟猫は、その後東京のほうで受け入れてくれる家が見つかったそうです。 また、Iさんには黒ちゃや銀ちゃの触り心地も味わってもらい、彼女は先住2ニャンに「この子のことをよろしくね」と伝え、帰っていきました。Iさん、いろいろとありがとうございました。



では改めまして、新たに白黒茶々家の一員となった茶トラちゃんを紹介します。 彼女は茶トラとはいっても、色がちょっと薄めです。その感じが京風うどんを連想させることから、私は彼女のことを「京(きょう)」と名付けることにしました。私にとって京風うどんは、薄味というよりは淡く、だしや素材の味がしみじみと活かされているというイメージがあります。 さらに京には、みんなの心の拠り所という意味も含まれていて、彼女がいるだけで、みんながホッとするような、そんな存在であってほしいという願いも込められています。
これから京ちゃんがどのように成長して、黒ちゃや銀ちゃ、それに箔たちと関わっていくのか、どうか見守ってやってくださいませ。


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火の神降臨

2011-08-03 00:01:02 | 年間行事
こんばんは、白黒茶々です。
小学校が夏休みに入り、子供会の会長となった箔母さんにとっては最初のヤマ場がやって参りました。そのヤマ場とは……… それはズバリ、小学校の校庭を使って行われる、子供キャンプのことです。


えっ、キャンプ?おれっちも行きたいのだ!

すまないが、今回は箔を連れていくワケにはいかないのだよ。

彼女はその行事が始まる前から、大量の皿や紙コップを調達したり、人を割り振ったりと、その準備に奔走していました。 そこで、私が「大変だね~、その日は私は仕事だから、最初から手伝うことはできな………」と言おうとしたら、「白黒茶々さん、『火の神』をやらない?」と、吹っかけてきました。「火の神って……… 他にやれそうな人はいないの? 」「いないだよ~」「それじゃあ二択じゃなくて、『やる』って言うしかないじゃん 」「私は会長の挨拶があって、たつぴはインリーダーとして締めの挨拶があるから、白黒茶々さんも何かやらないと」「そう言われても………」箔母さんとたつぴは役員としての挨拶だからまだいいものの、私は「火の神」なんて得体の知れないものをやらされるのですよ さらに「白黒茶々さんの思うままにやってもらっていいから」と言われても……… 私は「火の神」に対して、オートベルのCMの翔んでいる王様や、怪物くんのお父さんの怪物大王あたりをイメージしてしまいました。それが上手くキマったとしたら、私の称号は「たつぴのお父さん」から「火の神」に変わることでしょう。とは言っても、それはいいことなのか、悪いことなのか?
とにかく、そうと決まったからには、子供達の前でしゃべる「火の神」のセリフを練習しなければなりません。それ以来、私は食事前やトイレの中、車の運転中などに「火の神」の習得に努めました。



そして、ついに子供キャンプの日がやって参りました。 私はその日は夕方からの参加となりましたけど、小学校に駆け付けた頃にはすでに夕食は終わり、私のぶんのカレーライスだけが辛うじて残されていました。 飯盒で炊いた御飯に大鍋で作られたカレーはコクがあって、とても美味しかったですよ~



腹ごしらえが終わったら、キャンプのお楽しみの一つの、キャンプファイヤーが始まります。 また、私が演じる火の神の出番も………

「え~と……… 火の神って、何か衣装みたいなものがあるのでしょうか?」「特に決まり事はないので、そのままの格好で出てもらっても構いませんよ」いくらなんでも、それはないですよ~ そこで、昨年使ったと思われる小道具をゴソゴソやってみたら、使えそうなものが出てきました。その結果………



このような火の神が出来上がりました。 う~む……… 何かの怪しい宗教家にも見えなくはないのですけど、ま、まあいいでしょう。



数人のリーダーが誓いの言葉を唱え、彼らが薪に点火したあと、いよいよ私の、いや、火の神の出番となります。
「私は、秋葉の山から降りてきた火の神である。今宵、白すぴの子ども達が集い、歌い踊ると聞きやって来た。………(中略)……… この夏の素晴らしい思い出をつくろうではないか 」
しかし、これで帰れると思っていてはいけません。 このあとも火の神は、みんなのキャンプファイヤーを見守る……… というよりは、もり立てなければならないのです。それでも、このような集いは私にとっては小学校の宿泊訓練以来で、とても懐かしく楽しいものとなりました。 ふと気が付いたら、私は子供達と一緒になって歌い踊る火の神と化していました。
そして指導員の指示のもと、「私は今から山に帰る、今宵は楽しい集いであった、ではさらばぢゃ 」のセリフを残し、退場となりました。



火の神は山に帰っても、私はまだこのイベントを手伝わなければなりません。今度は着火マンを片手に、子供達の花火に火を付けてあげることに。 そんなことをやっていたら、「あっ、火の神だ 」という声も聞こえてきました。そうしたら「火の神は残業なのぢゃ」と応えるしかありません。



花火のあとにも、まだお楽しみはありますよ~ 今度は、夏にやっておきたいものの一つの、肝試しです。
子供達を数人のグループに分け、決められた順路を廻らせるのですけど、その所々にこのような生首や、脅かす人が配置されました。
その後、あちこちから子供達の悲鳴や雄叫びが聞こえてくることに。その夜の肝試しは大成功のようです。

仕掛けが盛り沢山で楽しかったキャンプ初日の夜は、このようにして終わり、あとは子供達にテントで寝てもらうだけです。私たち大人は外からその様子を見守るのですけど、テンションの上がった彼らはなかなか寝てくれません。その話し声は深夜になってもやまず、私たちは適当なところで車などに入って仮眠することに。



ところが、翌朝私たちが目覚めたら、このようなことに。 土砂降りの雨の中では、テントの様子を見に行くこともできません。どうか、みんなが無事でありますように~
それでも、一部のテントで雨水が少し浸みた程度で済み、やがてその雨のほうも小降りになってきたので、子供達には体育館のほうに移動してもらいました。そして、そちらで朝食、閉会式、解散の運びとなりました。

しかし、まだ完全に終わったワケではありません。私たち大人には、後片付けという仕事が残っているのです。 しかも、先程の大雨で濡れた大量のテントをしまわなければならないなんて……… それらがある程度乾く夕方まで待ってから作業を開始し、夜の8時近くになってようやくすべてが終わりました。

今回の場所は小学校の校庭でしたけど、キャンプは大自然の中で非日常を楽しむという醍醐味があります。 そのためには、多少やっかいな準備や後片付けがあっても構わない。……… そう思いたいです。



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