波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

初めてのさわやかウォーキング

2022-09-28 01:03:27 | その他

こんばんは、白黒茶々です。

秋といえば、皆さんは何を連想されるでしょうか? 読書、芸術はこちらに置いておいて、今回は私が実際に体験したスポーツと食欲に関すると言えなくもないことを採り挙げさせていただきます。 夏の終わり頃に、JR東海が企画・主催するさわやかウォーキングというイベントで「だもんで豊橋が好きって言っとるじゃん!」をテーマにしたものが9月11日の日曜日にあるという情報をつかみました。

「だもんで豊橋」は佐野妙先生原作の漫画で、豊橋市やその周辺のローカルなネタが満載で、その地元民ではなくてもついつい引き込まれてしまいます。 他の地域から引っ越してきた主人公・国元ほのかの目線から見た豊橋は特異なことばかりで、その地域のグルメはもちろんのこと、方言や風習、その土地の住人の習性などがコミカルに、ときには自虐的に描かれているのですよ 豊橋市内を散策しながら、その作品に出てきた名所や名物を扱っているお店を巡るとは、なんて魅力的なイベントなのでしょうか 私は二つ返事で参加表明を……… って、事前の申し込みや人数制限みたいなものはなくて、その当日に指定された時間内にスタート地点に行くだけでいいとのことでした。

ということで、その日の早朝になりました。 8時に受け付けが始まるというので、その時間の前には行けるように、私は日が出る前に波と狛を散歩させました。 彼女らの世話をしてから、私が1人で家を出発して……… すまない波狛ちゃ、今回はワンコを連れていけないので、家でおとなしくしていてくださいませ。

7時頃には、今回のウォーキングイベントのスタート地点となる豊橋駅の西口、いや、「だもんで豊橋」によると、地元ではこちらのことを「西駅」というそうです。 いや、正確には豊橋駅の西の界隈のことをいっているのかも。 私が敢えて早めにこちらに来たのは………

実は、その近くにあるCOFFEE マスカさんに入りたかったからでした。 こちらでの目的は、もちろんモーニングですよ

こちらは昔ながらの喫茶店という感じで、店内は常連と思われるお客で賑わっていました。

そうしたら、注文するメニューを選ぶことにしましょう。 こちらのお店では、朝の時間帯にドリンク類を注文すると、もれなくモーニングセットが付いてくるのですよ その内容も気になりますね。 それから間もなくして………

モーニングメニューが運ばれてきましたよ ゆで玉子ではなく、目玉焼きというのは珍しいですね。 それに、トーストにはあらかじめバターが塗られているのですけど、イチゴジャムも添えられています。 これは、途中で味変が楽しめますね しかもこれほどの内容で、コーヒー代の400円だけときたもんだ 美味しいモーニングで、朝の活力を注入した私は………

再び豊橋駅の新幹線口に向かいました。 そこには、今回のさわやかウォーキングのスタート地点というか受付が設けられていて、私は8時になるのを待ってから、そこでコースマップを受け取って歩き始めました。

そのコースは結構入り組んでいるのですけど………

同士と思われるたくさんの人たちが同じ方向に歩いていったので、その流れに付いていけば地図を見なくても迷わずに済みそうです。

それだけではなく、道の至るところにこのような矢印の案内があったので、けっこう助かりました。 そうしているうちに………

私たちは最初のチェックポイントとなる、ボンとらやさんの本店に差し掛かりました。 こちらのお店のピレーネという生クリームをスポンジ生地で包んだ洋菓子は、「だもんで豊橋」で採り挙げられたことがあるのですよ それが人数分なかったら、「おもやいっこ」するのですよね。 母屋一戸ではありませんよ こちらのほうの方言で、分け合うという意味であります。

さらに私たちは、まちなか広場に行き着きました。 こちらは、市街地のど真ん中にある最近整備されたばかりの公園で、まちなか図書館や………

なぜか二宮金次郎の像も置かれているのですよ その説明書きには、この像はかつてこの地にあった狭間小学校のものだったのですけど、その学校が閉校して以降は市内の小学校などを転々とし、再びこの場所に落ち着いたそうです。 金次郎像フリーク(?)の私にとっては、見逃せないほどの珍百景的な経緯です。

そのあと、私たちはヤマサのちくわさんの本店に至りました。 こちらでは「だもんで豊橋」の1巻を右手に、ちくわを左手に持ち、さわやかウォーキングの参加者歓迎をタスキのように掛けた国元ほのかのパネルが出迎えてくれました。

次に私たちは、豊川堂さんの本店にも立ち寄りました。 こちらも「だもんで豊橋」を推しているお店で………

その最新号が出た際には、特典を付けたり、佐野妙先生のサイン会を開催したりしています。 この日も数量限定で、佐野先生が書き下ろしたオリジナルポストカードをさわやかウォーキングの参加者に配布していました。 そこからしばらく歩いていったら………

豊橋市公会堂が見えてきました。 こちらは昭和6年(1931)に建てられ、「だもんで豊橋」にも出てきたこともあるのですよ。

それから、初夏の雨に悩まされた日に、私はこの公会堂をバックにして、波と狛を撮ったりもしました。

豊橋公園は、そのすぐ近くに位置しています。 その入口付近に掲げられていたさわやかウォーキングの矢印には、そのあたりのことが描かれた「だもんで豊橋」の1コマ、いや、正確には5コマが貼付されていました。

その歩兵第18聯隊廠舎だった建物は、波と狛の雨宿りや撮影に使わせてもらったりもしました。

そして、私たちは吉田城の本丸跡にある模擬鉄(くろがね)櫓へ。 しかし、その入口は固く閉ざされていました。 そういえば、こちらが開放されるのは10時からでしたね。 それまで30分以上もあってさすがに待てないので、今回はスルーすることにしました。
さわやかウォーキングはまだまだ続くのですけど、私の動きを追われている皆さまにも疲れが見えてきた(?)ので、このあたりで波狛日記は休憩に入らせていただきます。 次回、私は豊橋ならではのものを買い食いもするので、そのあたりのことも楽しみにしつつ、お休みくださいませ



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晩夏キャンプの夕餉と朝餉

2022-09-24 02:15:45 | キャンプ

こんばんは、白黒茶々です。

いきなりですけど、皆さまは今回の波狛日記のタイトルを読むことはできたでしょうか?ちょっと気どって難しい漢字を使ってみましたけど、答えは「ゆうげ」と「あさげ」で、簡単にいうと晩ご飯と朝ご飯のことにございます。 ということで、前回から私はとともに、ヒュッゲ湖西市民キャンプ場に滞在しています。 その初日となる8月21日も、夕暮れ時となったので………

まずは波と狛にご飯を食べさせてから………

私のぶんの支度をしました。 今回は主に夏に食べる麺類と、肉を組み合わせることにしました。 「ヒロシのぼっちキャンプ」の影響を受けて、豚の生姜焼きに挑戦することにしたのですけど……… スーパーに買い出しに行ったら、豚肉は1人で食べきれる量のものはなく、生姜焼きのタレも瓶でしか売られてなかったので、断念しました。 その代わりに買ってきたのが今焼いているヤツで、それは何なのかは出来てからのお楽しみということで

………ということで、今回のキャンプ飯が出揃いました はい、「主に夏に食べる麺類」というのは、そうめんのことだったのですよ 私がそうめんを茹でたのは今回が初めてで、「2束では少なそうだから、3束にしておこう!」と見切ってみたら、思っていた以上に量が増えていたというパターンです。 一方の肉は、プルコギにございます。 こちらは1人ぶんぐらいの量のパックがあって、味付きだったので焼くだけでできるようになっていました。 それだけでは少し寂しいので、ウインナーも付け加えておきました。
結局そうめんはツルっといけて、他のおかずもムリ無く全部いただくことができました。

この日、私たち以外にヒュッゲキャンプ場を利用したのは、オートサイトの1組だけでした。 なので、テントの明かりはほとんどなく、夜のキャンプ場の風景を撮ってみたら、漆黒の闇のようになってしまいました。 ま、まあ、写ってはいけないものが入るよりはマシということにしておいてください。

そのような中で、その近くを列車が通りました。 終電……… により近いものと思われます。 そいつを仰ぎ見たら、消灯することにしましょう。

翌朝は4時ちょっと前に、私のアラームが鳴りました。 その時間帯はまだ日の出前で、そのような中で私は身支度と朝ご飯の準備をしました。 ちなみに今回のメインはカリカリチーズパンで、ゆで玉子ブルガリアヨーグルトサラダドリップコーヒーをチョイスしました。 それらを平らげたら………

波と狛の朝散歩に出ますよ その最初の行き先は、どうしてもこちらの茶屋松拱渠になってしまいます。

1.8mの高さ制限があって、横幅もかなり狭いので、せいぜい軽トラックが通れる程度だと思っていたのですけど……… 軽自動車のなかでも背が高いスペーシアが潜り抜けていきました。 ま、まあ、ちょっと頑張れば、そのぐらいの車でもできないことはないです。 ………なんて言っていたら、今度は3ナンバーサイズのステップワゴンが通過していきましたよ それだけでも驚いていたのに、さらにC-HRまで通り抜けていって……… あの~、皆さん車の大きさをごまかしていませんか? 茶屋松拱渠には霊的な怖さはないのですけど、違う意味で驚愕させられました。

そんな拱渠をあとにした私たちは、次のポイントを目指して……… って、なんか我ながら油断しまくった絵になってしまいました。

それから間もなくして、妙立寺に行き着きました。 こちらもヒュッゲキャンプ場シリーズではすっかりお馴染みの名所となっている、日蓮宗の古刹にございます。

山門を潜った先に続いている石段を上っていったら………

本堂が見えてきました。 さらに、そこからは朝の読経が聴こえてきました。 早朝の拝観を終えたら、キャンプ場に戻りますよ。

着いてから間もなくして、日の出を見ることができて………

正真正銘の始発列車を見送ることもできました。 前に来たときには、妙立寺からの移動中にその列車が行ってしまったのですよね。

あとは、波と狛にご飯を食べさせて………

参加者全員で、お約束の「キャンプに行ってきました 」写真を撮りました。 ここまではいつもより早くて、余裕をもって撤収ができると思っていたのですけど………

なぜか、こうなるまでにかなりの時間を喰ってしまい、キャンプ場を出たのは前回より20分以上も遅い7時過ぎになってしまいました。 なので帰宅したときには、箔母さんたつぴはすでに出勤していました。 私もその日はいつも通りに仕事で、遅くなったぶん時間が圧していました。それでも、猛ダッシュでキャンプの片付けと朝の支度をして、なんとか間に合わせました。
このように、日月キャンプは慌ただしいのですけど、私のスケジュールの都合上やむを得ないこと。 その代わり、土日のような混雑はないので、ほぼ競合することなく予約をすることができます。 さらに、月曜日は仕事をしながら「今朝までキャンプをしていたんだゼ 」という優劣感を勝手に抱くことができるので、やめられません。 なので、今年はあと1回。できたら2回キャンプをやっておきたいです。


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8月の犬キャン△

2022-09-21 00:55:06 | キャンプ

こんばんは、白黒茶々です。

お盆休みが明けてから最初の休日となる8月21日の日曜日は、私はある計画を立てて……… って、すでに今回の日記のタイトルに出ているので、バレバレですよね。 それでも、私としては「あっ、そうだったのか 」という展開に持っていきたいので、皆さまは部分的に記憶を飛ばしてから、ここから先の話を読んでいってくださいませ。

その日が近づくにつれて、天気予報はより降水確率を上げていきました。 さらに、当日の朝には本当に雨を降らせてきたのですよ そのような状況だったので、計画を中止にするか迷いました。 そのような心境のままだったのですけど、以前波狛日記で採り挙げたことのあるパンダの遊具がある公園の近くのスーパーで買い出しをすることにしました。 そこを出る頃には曇ってはいたものの、地面や路面は乾いてきていましたよ こうなったら、もう迷いません 私は車に荷物やを積み込んで………

まずは市内にある、前向花畑に向かいました。 こちらは休耕田だったところを利用して、地元の有志が維持・管理しているお花畑で、季節の花を見ることができます。 この時季はヒマワリが旬なのですけど………

作付けがうまくいかなかったみたいで、見渡す限りの……… とはいきませんでした。 なので、少ないながらも咲いているところで波と狛をモデルにして撮っておきました。 それでも、その近くで………

西洋ススキとも呼ばれているパンパスグラスが、勢いを増していましたよ 季節をちょっと早取りしてしまいましたけど、おかげで秋の訪れを感じさせる絵をゲットすることができました。 最初の目的地でのミッションを済ませた私たちは、そこから近いといえなくもないところにある………

ヒュッゲ湖西市民キャンプ場にやって来ました 私たちがこちらを利用するのは、2ヶ月ぶり。 今年に入ってからは4回目で、通算では6回目となるので、もう常連といってもいいでしょう。 すでに気付かれた方がいらっしゃるかも知れませんけど、入口のところには自動販売機シャッターが新たに設けられていて………

シャワー室の前には、夏でも涼しい(?)休憩スペースが出来上がっていました。

さらに西側の埋め立て地には、その頃には完成間近となっていた釣り堀もありましたよ その後、こちらは有料の時間制限付きで利用できるようになったそうです。

水生生物を観察できるビオトープ小川も、合わせて整備されていました。 そのあたりで波と狛は何かを見つけたみたいですけど、頼むから今は落ちないでください。

あとフリーサイトの広場には、遊具として鉄棒が新設されていました。 そういえば、この頃には雲の間から青空が見えていました。 ちなみに、今回私はこちらのエリアで予約を入れていました。 そうしたら、荷物を運び込んで設営を始めますよ

この日は風がなかったおかげで、順調に作業を進めることができました。 木陰にテントを立てたのですけど、このあと雨が降るかも知れないので、念のためにタープでテントを覆う形にしておきました。 ほら、世界遺産で国宝の中尊寺金色堂は覆堂に囲まれていて、磐田市の霊犬神社も大きな屋根で保護されているじゃないですか。 これは5月にヒュッゲ湖西に来たときにやろうとして失敗したもので、ようやく実現させることができました。 こちらで陣地を確保できたら………

14時でちょっと遅めなのですけど、お昼ご飯を食べることにしましょう ちなみに今回持ってきたのは、北海道のやきそば弁当ではないのですけど、チキンコンソメスープが付いている日清のソース焼そばにございます。 3分経って、残りのお湯を流しに捨ててきたら………

波と狛がいい感じで仲よく並んで、私を待っていてくれました。 そんな彼女らを今すぐ抱き締めたいのですけど、やはりお昼を食べ終えてからにします。

………ということで、いっただきま~す ずずず……… スープに配分したぶん、具がやや少なめでニセ肉も見当たらないのですけど、ソースの味の配合がいい感じです。 もちろん、スープのほうも鶏ベースの味で、美味しかったですよ やはりスーパーで見かけたら、また買ってしまいそうです。

腹ごしらえが済んだら、もうすっかり定番となっていますけど、テントの中で本を読んで過ごすことにしました。 ちなみに今回のキャンプ読書のために用意してきたのは、コミックの「ゆるキャン△」の7巻でした。 志摩リンの影響を受けて、各務原なでしこが初めてのソロキャンプに挑むあたりです。 この本を読み終える頃には、夕暮れ時となっていたので………

波と狛を連れて、キャンプ場のまわりを散歩しました。 私たちの目の前にあるのは、ヒュッゲキャンプではもうすっかりお馴染みとなっている、茶屋松拱渠(ちゃやまつきょうきょ)にございます。

造られてから100年以上も経ち、古くて狭いのですけど、霊的なものは感じられません。

異空間に導かれる程の距離もないので、すぐに反対側に出てしまいます。 今、ふと思い付いたのですけど、ここを遊園地や動物園にあるような子ども列車で潜ったら、面白さが倍増しそうです。 ………と、楽しい(?)妄想をしたところで、今回の犬キャン△はいったん仕切って、後半は次回の日記に続けさせていただきます。 なので、キャンプのメインともいうべき晩ご飯の献立も、そこで披露いたします。



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ミステリアスな小里城跡

2022-09-17 00:56:23 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

早いもので夏の名残りは徐々になくなってきて、日没時間が早くなったり、朝晩は涼しくなったり、虫の鳴き声が聴こえてきたり、………と、秋の訪れを感じるようになりましたね。 波狛日記はまだお盆休みの真っ只中なのですけど、こちらも早いもので東濃の山城めぐりのレポートは、今回で最後となります。 その旅を締めるお城を目指して、私たちは土岐市内に入っていきました。 11時でちょっと早いのですけど、このあたりでお昼ご飯を食べておきたいですね。 ということで………

cafeさらくさんに入っていきました。 前日と同じように、山城を登るのに備えてガッツリと米を食べることも考えていたのですけど、お洒落なカフェで一息入れるのも、またアリかと。

実はこちらのお店は、お昼を過ぎてもモーニングをやっているのですよ しかもそのメニューは、ドリンク代に少し足すと出てくるシステムとなっています。 そうしたら、朝はホットコーヒーとサンドイッチの組み合わせだったので………

今度は、アイスコーヒーとホットドッグにしてみました ちょっと見本と違うのですけど、美味しかったのでいいでしょう。 ちなみにこちらでの支払いは、550円となりました。 腹ごしらえを済ませた私は、再びとともに東に向かっていき………

間もなくして、お城の見学者用の駐車場に到着しました。 そこから、県道を挟んだ反対側に………

お城への登山口があるのですよ 先程から、いや、今回の日記のタイトルにも名前が出ているのですけど、私たちにとってのラスボスというか、締めのお城は小里(おり)城跡だったのですよ 下調べでおおよその様子は知っているのですけど、私たちにとっては明智城跡に続いて初めての訪問となります。 果たして、そこにはどのようなお城が待ち受けているのでしょうか?

登山口から登り始めてから5分ほどで、御殿場(または城主館)と呼ばれる麓の館跡に行き着きました。 その入口には、お城の正門となる大手門の跡と立派な石垣がありました。

さらにその先に上がっていったら………

数段の平坦地が広がっていました。 画像はお城の案内図なのですけど、かつてはこのあたりに城主の住まいや政庁となる御殿があったみたいです。 そこで、土岐市の有線放送があって、戦没者を追悼するための黙祷を促してきました。 この日は8月15日で終戦記念日。 時刻も正午に迫っていました。私はその場で1分間黙祷をしてから波&狛と一緒に、山頂に続く道を登っていきました。

ハアハア……… 坂道はキツくて、すぐに息が上がってしまいました。 私にとっては過酷な状態なのですけど、ここでこのお城の説明をいたします。
小里城は天文元年(1534年)に、小里光忠が築いたと云われています。 彼の子の光明の代となる天正2年(1574年)に、織田信長は武田方の支配下となった岩村城を攻略する拠点とするために、池田恒興を派遣して小里城の改修を始めました。

登山道にはこのような平坦なところもあって、もう少し頑張って登っていったら………

麓から30分程で、石垣と掘っ立ての休憩小屋が見えてきましたよ ここまで来たら、山頂に着いたも同然です。

さらに「小里城跡」の立て札と綺麗に積まれた石垣が、私たちを出迎えてくれました。 少々擬人化した表現をしてしまいましたけど。

その山頂の一ノ曲輪本丸)跡には、石が散乱していました。 小里城の改築を始めた翌年の天正3年(1575年)に、岩村城が落城したことによって、工事は中止されました。 その後再開されることはなかったので、このお城は造りかけのままとなってしまいました。 なので、これらの石は石垣を築くために山上まで運ばれてきたものと思われます。
そうそう、先ほど「小里城跡」の立て札の後ろに見えていた石垣を別の角度から攻めていくと………

入口があって、こちらには「天守台」と表記されています。 その構造をわかりやすくするためにも、その上に登ってみます

「天守台」と呼ばれている石組は外側が不等辺六角形で、半地下の穴蔵を有していました。 不自然なほど整っているのは、昭和初期に一部崩れていたところを積み直したからだそうです。 そもそも、この「天守台」は何のために造られたのでしょうか? 宇宙人と交信するためとか?いやいや………
天正4年(1576年)に、織田信長は琵琶湖畔に史上初の本格的な天主(天守)建築をもつ安土城の工事を始めました。 その天主の構造については諸説ありますけど、土台となる天主台は地階付きの不等辺八角形となっていました。 小里城の工事が打ち切られたのはその前年で、こちらは半地下を有する不等辺六角形。なので、もしかしたら小里城は安土城の試作として築かれたのかも知れません。

謎の「天守台」がある山上の一角には、天然の巨岩も点在しています。 それだけではなく………

標高が405mもあるので、そこからの眺めも絶景 下界がかなり遠くに見えて、この一帯を征服した気分に浸ることもできました。 こちらで気が済んだら、先ほど来た道を降りていくことにしましょう。

半分ほど下っても、まだ麓から高いところにいるように感じます。 そこから10分程で………

麓の一歩手前の御殿場跡に到着。ここで追加の説明をするので、その間に波と狛は休んでいてくださいませ。
その後、小里光明は小里城を離れていたのですけど、慶長5年(1600年)に彼の子の光親は土岐、恵那郡の旧領を再び与えられ小里城に帰還して、御殿場陣屋を構えました。 しかし、光親の子・光重は嗣子がないまま元和9年(1623年)に亡くなったため、小里氏は断絶し、小里城も廃城となりました。 以後、その跡は荒れるにまかせていたのですけど………

私たちは小里城から北西に1kmほど行ったところにある、興徳寺にやって来ました。 こちらは臨済宗妙心寺派のお寺で、慶長6年(1601年)に小里光親が父の光明の菩提を弔うために、当林和尚を招いて創建しました。 以降は小里氏の菩提寺となり、廃城となった小里城の大手門が移築され、山門として使われています。

その境内には立派な本堂枯山水の庭園などがあって、落ち着いた佇まいとなっています。 さらに………

信楽焼のタヌキドラえもんの石像が並んでいました。これらを置いた目的は、何なのでしょうか? 私みたいな人を喜ばせるためでしょうか? それはさておき、あとは山道の国道を通って帰るだけですけど………

その途中で道の駅おばあちゃん市・山岡に寄っていき、前日から私の心に引っ掛かっていた五平餅をようやく手にしました。 これはこの地方に伝わる郷土料理で、半搗きにしたうるち米を平らな棒に巻き付け、タレをつけて焼いたものです。 岩村を舞台にした朝ドラの「半分、青い。」では、豊川悦司さんが演じる秋風羽織が「これは真実の食べ物だ 」と絶賛していましたね。 確かにその通りで、優しい歯応えの生地に、香ばしくて甘い味噌ベースのタレが絡まって、こちら方面に来る度に食べたくなる程の美味しさでした。

帰りの道は順調で、私たちは日没前には帰宅することができました。 雨に悩まされることもなく、計画していた全ての場所を無事に踏破してくることができたので、大成功と言ってもいいでしょう。 ちょっとハードでしたけど、そんな私に文句を言わずに付いてきてくれた波と狛は、誉めちぎらなければなりませんね。 それ以上に、皆さまは私たちの山城めぐりの噺に最後まで付き合ってくださり、ありがとうございました。


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明智光秀ゆかりの明智城跡

2022-09-14 02:22:23 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

前回の日記の最後のあたりに、の白黒茶々家の1人と2頭は岐阜県可児市にある道の駅可児ッテにたどり着きました。 そこで一夜を過ごし………

8月15日の朝になりました。 雲がやや多めなのですけど、この後も雨が降る心配はなさそうです。

そうしたら、道の駅のまわりを散歩してから………

波と狛に朝のご飯を食べさせました。 これが済んだら、今度は私が朝ご飯にするのですけど、道の駅のお店はまだ閉まっています。 予定ではこちらで食べることになっているのですけど、レストランは11時まで開かないということが新たに判明 さすがにそんなに待てないので、他のお店で食べることにしました。 とはいっても、近くでモーニングをやっているお店はこの日は休みで、コンビニも見当たりませんし。 なので、範囲を広げて検索していったら………

道の駅から車で10分、距離にして5.3kmの同市今渡にあるCOFFEE ミロさんに行き着きました。

こちらは昔ながらの喫茶店の佇まいで、店内は常連と思われるお客で賑わっていました。

朝の時間帯にドリンク類を注文すると、モーニングメニューが付いてくるシステムになっているみたいですね。 しかも、サンドイッチ、丸パン、トーストの中から選べるなんて 同じ値段だったら………

私は迷わずに、サンドイッチにしました。 ゆで玉子と小さなお菓子も付いてくるなんて、嬉しいですね。 しかもこれほどの内容で、400円ときたもんだ 岐阜県は愛知県に負けず劣らずのモーニングの聖地、いや、勢地でもあります。 あとで調べてみたら、可児市には安くて内容が充実しているモーニングのお店がたくさんありました。 もちろんCOFFEE ミロさんも美味しかったのですけど、またこちら方面に来たくなりました。 モーニングで朝の活力を注入したら、この日最初の山城に向かいますよ

そこに行く途中に、伝・明智光秀産湯の井戸跡なるところがあったので、寄っていきました。 その名の如く、この近くに明智光秀が生まれた際に産湯に使ったという井戸があったと伝えられています。 しかし、現在は耕地としてならされていて、その痕跡は見当たりません。 そこからさらに500mほど南に行くと………

明智城跡大手口に行き着きます。 その近くの見学者用駐車場に車を止めたら、いよいよこの城を散策しますよ

その大手口からの上り坂は「桔梗坂」といって、その入口には明智家の家紋にもなっている桔梗が花を咲かせていました。 そこからしばらく登っていったら………

「明智城址大手門」という名の冠木門が見えてきました おかげで、中世の山城の雰囲気をより感じることができました。 そうしたら、このあたりでこのお城の説明を致します。
明智城は、康永元年(1342年)に土岐頼兼によって築かれました。 のちに頼兼は姓を明智と改め、以降このお城は明智氏代々の居城となりました。 しかし、弘治2年(1556年)に斎藤義龍に攻められ、その時城主だった光安は甥の光秀に明智家の再興を託したのちに戦死。 明智城も落城してしまいました。

ハアハア……… 桔梗坂は緩やかで木々に覆われているのですけど、私は汗が吹き出してきました。 それでも、波と狛は頑張ってグイグイと登っていました。

結局、明智光秀が戻ってきてこのお城を再興することはなく、そのまま廃城となりました。 それでも、山の中には曲輪の跡が点在していて、そのうちの中の丸中ノ曲輪、または二ノ曲輪)跡が見えてきました。

そこから少し進んだところには、二の丸二ノ丸曲輪)があり、さらにその南側は………

七ツ塚が並んでいました。 いち、にぃ、さん、……… 確かに、石で囲まれた塚が7つありました。 こちらには、先述の明智城での合戦の際に討ち死にした明智方の将が葬られていると云われています。 そこから西に行ったところには………

馬防柵が再現されていました。 そこからも、中世のお城の雰囲気が伝わってきます。 さらに、北側にちょっと上っていくと………

お城の中心となる本丸跡に至り、そこには昔ながらの城址碑が建てられていました。 それだけではなく………

一昨年に、明智光秀を主人公にした大河ドラマ「麒麟がくる」が放送されたのに合わせて造られたのでしょうか?彼の銅像がありました。 また、本丸の北側には同時期に設けられたと思われる木製の展望台があって、そこからは………

かつて明智荘(あけちのしょう)だったあたりを眺めることができました。

あとは西出丸の跡を確認してから、順路に沿って下山していきます。

そこから麓に続いている道は光秀のミドルネームにあやかって「十兵衛坂」と名付けられています。 しかも、こちらも綺麗に整備されていたので、歩きやすかったです。 下りの山中にもいくつかの曲輪やその間を分断した堀切の跡などがあって、それらを見ながら歩いていったら………

西大手曲輪の跡に行き着きました。 私たちが大手口を登り始めたあたりから、頼んでもいないのに地元民が案内役を買ってきました。  いくら断ってもしつこく付いてきて、しまいにはこの画像に写り込んでしまいました。 場所が場所なだけに「霊的なものでは 」と怯えられた方もいらっしゃるかも知れませんけど、地元民の正体は、小バエショウジョウバエ)にございます。 彼らは耳元で何かを言っていたと思われるのですけど、私には耳障りな「む~~~ん」という音にしか聴こえませんでした。
それはさておき、こちらの西大手曲輪跡には祠が造られていて、そこには六親眷属幽魂塔(ろくしんけんぞくゆうこんとう)が祀られていました。 これは明智一族や縁者の供養塔と思われ、昭和48年(1973年)にほぼ地中に埋まっている状態で発見されました。 明智氏は地元では親しまれているのですけど、本能寺の変以降は逆臣として捉えられてきました。 そんな風潮にはばかって、密かに供養塔を建立したと推測されます。

結局、小さな案内役は私たちが麓に降りるまでお供つかまつりました。 あ、でも、明智城に行ったら必ずしも小バエに付きまとわれるとは限らないので、皆さまは訪問するのを躊躇しないでくださいませ。 そのあと、私たちはその近くにある………

天龍寺を訪れました。 こちらは永平寺を本山とする曹洞宗のお寺で、寛永2年(1625年)に開山しました。 本堂には、日本一といわれるほどの特大サイズの明智光秀公の位牌が祀られていると聞いてきました。 果たして、その実体は………

そうですか……… ジャンボ位牌の公開は、時期限定だったみたいです。 「麒麟がくる」が放送された頃は、このあたりには光秀フィーバーが訪れたと思われるのですけど、今はひっそりとしています。明智城跡も、私たちが下山する頃に1組の老夫婦が来ただけでしたし。

それでも、明智一族のお墓は境内のわかりやすいところにあって、自由にお参りすることができました。 東濃の山城めぐりは、次回の日記で最後となります。あと1ヶ所のお城に登るのですけど、私たちは無事にその頂上にたどり着けるのでしょうか?さらに、そこにはお城旅を締めるのに相応しいほどの魅力があるのでしょうか? あと、その日のお昼のメニューは? それらは、次回の更新で明らかとなります。



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城跡と駅前温泉と道の駅

2022-09-10 00:50:52 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

苗木城は天文年間(1532年~1555年)に、遠山正兼によって築かれました。 その後、武田信玄織田信長が対立する時代に、遠山氏は双方と縁戚関係を結びました。 本能寺の変後は、豊臣氏によって一時苗木を追われたのですけど、関ヶ原の戦いの前に徳川家康の指示によって、苗木城を奪還 以後、明治に至るまでの260年余りの間、遠山氏は1万521石の大名として苗木領を治めました。

そんな遠山氏が築いた苗木城の主要部に、今から迫りますよ こちらのお城は急峻な地形と自然の巨岩を巧みに利用して造られました。

向こうに見える一角は二の丸跡で、きれいに並んでいるのは御殿の礎石であります。 そのずっと先には、私たちがさっき通ってきた城山大橋が見えます。

本丸の入口には、城内の貴重な水源となっていた千石井戸があります。 その後方の石垣も、見事ですね。 そのあたりから、前回の日記を締めた場所でもある大矢倉跡を臨むと………

このようになります。前回はそこからこちらを眺めたので、逆本丸周辺(?)ということに。 苗木城の特徴でもある、岩山と石垣が融合している姿は見応えがあり、「日本のマチュピチュ」ともいわれています。

頂上の天守台も、巨岩を巧みに取り入れて築かれました。 天守の建物はその上に造られたというか、下が平坦ではなかったこともあって、懸け造りとなっていました。 現在その跡には、木を組んだ展望台が設けられています。

………ということで、その展望台の上まで来ました は、抱っこをする必要もなく、木の階段を上ってきてくれました。 すでに木柵の間からも見えているのですけど………

そこからは、遠くに恵那の山々を、眼下には木曽川や、そこに架かる昭和53年に廃止となった北恵那鉄道線の橋梁などを眺めることができます。 このお城の頂上で絶景を眺め、盛り上がったところで次の目的地に向かうと思われた方もいらっしゃるかも知れませんけど………

苗木城の見どころはまだあるので、それらを見ていきながら降りていきます。 城内にはたくさんの巨岩があって、それらの中でも後方の馬洗岩は最大級で、城下から見ても目立っています。 城が攻められた際に水の手を絶たれたら、この岩の上に乗せた馬を米で洗って、敵にまだ水が豊富にあると見せかけるようにしたそうです。
それよりも、私はこの馬洗岩の近くに柳原白蓮さんの歌碑があるということを後になってから知って、後悔しています。 白蓮さんは大正から昭和にかけて活躍した歌人で、NHKの朝ドラ「花子とアン」では仲間由紀恵さんが好演(※ドラマでの名前は葉山蓮子)しましたよね。 大富豪の家に嫁ぎながらも、若い社会運動家と駆け落ちし、夫への絶縁状を新聞に載せた「白蓮事件」は衝撃的でした。 その白蓮さんが苗木城を訪れ、短歌を詠んでいったそうです。

それから、本丸の北側の岩の上には、牢屋が造られていていました。 建物は狭く、日当たりも悪かったみたいです。 明治初期の苗木藩の政争の際には、多くの上層武士たちがここに収監され、処断されたそうです。

高さを感じながら、石垣の縁を歩いていきましょう。

二の丸跡から見た苗木城の姿も、壮観です。 お城自体は小規模なのですけど、1万石ちょっとの大名のものとしては立派で、見学した後の満足度もかなり高いです。 そんな苗木城や遠山氏のことをより知りたかったら………

お城の麓にある、苗木遠山史料館に立ち寄ることをオススメします。 その頃に雨が降り始めたのですけど、私たちが岩村城や苗木城を散策し終えるまでなんとかもってくれたので、ヨシとしておきましょう。 さらにその館内には………

苗木城の風吹門の門扉や、撮影可能のお城の模型などが展示されています。 お城の山頂部にはところ狭しと建物が建っていて、いや、ほとんどがハミ出していて、それらは懸け造りとなっていました。
それとは別に、明治初期に苗木藩のすべての寺院が破壊された廃仏毀釈の歴史に関する展示も、衝撃的でした。 苗木城や史料館を堪能した私たちは、車で恵那市内に入っていき………

明知鉄道の花白温泉駅に行き着きました。 こちらは第三セクターのローカル線の無人駅なのですけど、この駅名からしてもう次の目的地と行動がわかってしまいますよね。 駅から歩いて0分のところには………

日帰り温泉施設で、その名もズバリ花白温泉があるのですよ その昔、天明の大飢饉の時に、このお湯によって多くの人が癒され、命を救われたそうです。 そのため寛政3年(1791年)に感謝を込めて、この地にお薬師様が祀られました。

泉質はフッ化物イオン、総硫黄。湧出量は毎分3.6l。 15.7℃の源泉を薪を燃やして温めています。 建物や浴室は小ぢんまりとしているのですけど、静かで落ち着いた佇まいだったで、ゆったりと汗を流し、疲れを癒すことができました。 ちなみに、大人の入浴料は550円です。
山城登りで費やした体力を、温泉で回復させた私は、再び車に乗って晩ご飯を食べながら宿泊地を目指すようにしたのですけど………

確か、日本大正村の前を通るコースではなかったような……… さらにその先に進んでいったら、みるみる人里離れた寂しいところになっていき、私たちは険しい山道を走っていました。 これは、間違いなく迷っています 軌道修正をして正しいコースに戻るまでに、40分は要したでしょうか? その頃には私はお腹が空いていたので、適当なところで晩ご飯を食べることにしました。 もう米を食べてもいいとは思っていたのですけど………

瑞浪市内のマクドナルドにしました。 そういえば、私がマックで食べるのは数年ぶりとなりますね。 ちなみに包装紙の中身は、ベーコンレタスバーガーにございます。 そのあとは道順を確かめながら、西に向かっていき………

1時間程で道の駅可児ッテにたどり着きました。 私が先ほど言ってた宿泊地というのは、こちらのことだったのですよ。 はい、これから車中泊をします。 その前に………

少し遅くなってしまいましたけど、波と狛に夜のご飯を食べさせました。 お二方ともこの日はお疲れ様でした。 翌日はよりハードな山城に登るので、覚悟をしつつもしっかりと休んでくださいませ。


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いよいよ東濃の山城を歩きます!

2022-09-07 00:49:55 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

前回の日記の終盤に、の白黒茶々家の1人と2頭は岐阜県恵那市にある岩村城跡に行き着きました。 実際には、山頂近くの出丸跡の駐車場からお城の最深部となる本丸跡に入っていったのですけど、いきなりクライマックスから始めるのはナンなので、お城の登山道の正面入口となる追手門跡にまでワープさせていただきます。 麓から登山道を登っていくと、一の門跡土岐門跡を経て………

木々の間に、追手門跡の高い石垣が見えてきます。 かつてはそこまで木橋が架かっていて、石垣の上には………

天守に相当する三重櫓が聳えていました。 そこは城下町からよく見える位置でもあって、防御と見栄えを兼ね備えていたみたいですね。
岩村城は文治元年(1185年)に、源頼朝の家臣の加藤景兼によって築かれました。 のちに景兼は姓を遠山と改め、お城は明治初期まで700年も存続しました。 その間に改築がおこなわれ、今日見られるような総石垣の近世城郭となりました。そんな岩村城は、高取城備中松山城とともに日本三大山城に数えられています。

さらにその先に進んでいきますよ 左手に、八幡曲輪の石垣を見ながら歩いていくと………

霧ヶ井という井戸に行き着きます。 こちらは城主専用の霊泉で、敵が攻めてきたときにこの井戸に城内秘蔵の蛇骨を投じると、たちまち霧に覆われて、お城を守ったと云われています。 岩村城の別名の霧ヶ城は、ここからきているみたいです。 さらにその先には………

二の丸菱櫓跡の石垣に行き当たり、そのまた向こうには………

岩村城の中でも見応えがある、六段壁が見えてきます。 もとは段差のない高い石垣だったのですけど、崩落を防ぐためにこのような形に改められたそうです。 せっかくなので………

そのあたりの復元CGも載せておきます。 前回の日記の最後でも触れたのですけど、岩村城の案内板のQRコードをスマホカメラで読み取ると、音声によるお城の解説と一緒に、かつてのお城の姿を見ることができるのですよ

東曲輪跡から見た本丸の長局埋門の石垣も、壮観ですね。

そして、私たちは本丸跡に行き着きました。 こちらは山頂の広い空間ということもあって、解放感があります。

さらに石垣の端からは、まわりの山々や麓の城下町を臨むことができます。 岩村城は標高717mの山頂にあるのですけど、城下町との高低差は180mぐらい。 それにしても、狛は高いところでも平気みたいですね。 岩村城の山上部は以上で終わりなのですけど、せっかくなので麓の藩主邸宅跡にも寄っていくことにしましょう

のちに岩村城の城主となった松平家乗は居館を麓のこの地に移し、城下町も整備しました。 ちなみにその家は大給(おぎゅう)松平氏で、徳川家康の遠い親戚にあたります。 その藩主邸宅跡には、平成2年(1990年)に太鼓櫓表御門などが復元されて………

岩村歴史資料館も設けられています。 今回、私は4半世紀ぶりぐらいにこの建物に入りました。

また藩主邸宅跡の向かいには、銅像公園なるものがあるのですよ。 ひっそりとしていて知る人ぞ知るところなのですけど、坂を上ったところには………

銅像がない いえ、実は太平洋戦争中に金属供出で撤去され、台座のみとなっているのですけど………

そのすぐ近くに、昭和60年(1985年)に地元の内外から寄付を募って、2代目の像が建立されました。 そのモデルとなったのは、犬養毅氏……… に似ているのですけど、違います。 この岩村の出身で、明治~大正期の政治家で実業家でもあった浅見與一右衛門(あさみよいちえもん)氏にございます。 彼は岐阜県議会の議長や衆議院議員を勤め、私財を投じて岩村電気軌道を開通させるなどして、岩村地区の発展に尽力しました。 そんな浅見氏の功績を讃えたら、お昼を食べながら次の山城に向かいますよ とはいっても、朝にTKGMを食べ過ぎたこともあって、あまりお腹は空いていませんでした。 このあたりの名物の五平餅を1本食べれば充分なぐらいなのですけど………

中津川市に入ったところにある、事前に調べてあった愛夏さんというカフェに入っていきました。 もう13時半を過ぎていますし、これから山城を歩いてカロリーを消費するので、ここでしっかりと食べておくことにしましょう。 それからしばらくして………

私が注文したメニューが運ばれてきました ご覧の通りオムライスのセットなのですけど、よく考えてみたら朝も卵と御飯の組み合わせだったような。 しかも、写真では分かりにくいのですけど、かなり大きいです。 玉子は少なくとも4コは使っていますね。 そういえば、こちらのお店はデカ盛りで知られているようなことも言われていました。 このメニューは550円と格安だったので、そのぶん量が少ないと思っていたのに、思惑が外れました。 大盛りなだけに大味かと思いきや、美味しいですね。 さすがに全部は食べきれないので、ある程度のところで「ゴメンナサイ 」するつもりだったのですけど、結局頑張って食べきってしまいました。 そのあとは、そこから程近いところにある………

苗木城跡に行きました。 こちらのお城は標高432mの山頂に築かれた山城なのですけど、木曽川との高低差は170mくらい。 さらに上がったところにある苗木遠山史料館からはもっと近く、その駐車場からは歩いて15分程でお城の入口まで行き着くことができます。

………ということで、苗木城が 見えてきましたよ 私は先ほど食べ過ぎて、そんな状態で坂道を登っていったら気持ち悪くなって吐くか、お腹を壊してトイレに直行する恐れがあったのですけど、今のところは大丈夫みたいです。

入ってすぐのところに、足軽長屋の跡がありました。 そこから苗木城の主要部が臨めるようになっていて、オススメの撮影スポットにもなっていました。 ちょうどその背後に恵那山が見えるのがいいですね。

さらにその先に進んでいったら、三の丸の正面入口で防御上でも重要だった風吹門の跡が見えてきました。 そこを通過すると………

大矢倉跡の石垣が聳えています。 自然の巨岩を巧みに組み込んでいるところも、いいですね。 そうしたら、その石段を上ってみることにしましょう。 私たちが大矢倉跡から見た景色は………

このようになっていました。 苗木城の本丸周辺を、先程よりももっと近く、俯瞰して眺めることができました。 ………と、苗木城の核心に迫ってテンションが上がったところで申し訳ないのですけど、このあたりで「次回につづく」を宣言して、今回の日記のエンディングと次回の予告に入らせていただきます。 そういえば、苗木城の歴史などの説明もまだしていませんでしたね。 なので、そのあたりのことも次に持ち越させていただきます。



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お盆休みは東濃の山城へ

2022-09-03 01:26:01 | 美味情報

こんばんは、白黒茶々です。

夏といえば夏休みが思い浮かびますけど、私たち大人にとっての夏休みに当たるお盆休みが迫ってくると、心が躍りますよね。 今年は春頃にはコロナが治まってきて、それによる行動制限もなかったので、私は3年ぶりに列車によるお城めぐりの旅の計画を立てました。 今回は近畿地方の4つの名城に立ち寄り………

最後の目的地は、和歌山市の和歌山城にしました。 豊臣秀吉が弟の秀長に築かせ、江戸時代には御三家のうちの紀州徳川家の居城にもなりました。また、姫路城松山城とともに日本三大平山城にも数えられています。 私がそのお城を訪れるのは、25年ぶりとなります。 その士気を高めるために、ペーパークラフトの和歌山城のキットを組み立てたりもしました。 さらに、その市内のホテルを予約したり、和歌山ラーメンの美味しいお店をチェックしたりしたのですけど………
夏に入りかけた頃からコロナの第7波がやって来てしまいました。 感染者の数は驚異的に増えていき、さすがの私もゾッとしました。 そのような状況だったので「コロナがそこそこ落ち着いたら」ということで立てた計画は取りやめ、ホテルもキャンセルすることに。

その代わりに、密集を避けられそうな東濃こと岐阜県東部の山城を車でめぐる旅の計画を急遽立てることにしました。 こちらは波と狛も連れていくことができて、あまり時間に縛られないので、自由度は増します。 ただし、ムダなくソツなく巡りたいので、綿密に行程表を作りました。 私のお盆休みは8月13日からの4日間。 後半はのんびりと過ごしたいので、そのうちの前半の2日をお城旅に割り当てることにしました。

ところが、13日は台風の影響で雨が降ることに。 そうしたらやむを得ません。計画を1日ズラすことにしました。 ただし、スケジュールに入れている博物館や日帰り温泉が月曜日が定休日なので、立ち寄る順番を変えなければならなくなりました。 なのでせっかく立てた計画は、連休初日の時間を使って最初から書き換えました。
満を持して今回のお城旅に出ることになったのですけど、2日目はなんとか曇りでもちそうなのに、初日は午後から雨が降るという予報に。 そういえば、昨年も車での旅を計画したのですけど、お盆休み中はずっと雨だったので中止にしたような。 とはいっても、ここまできて取りやめるのはイヤなので、多少行けないところがあっても構いません ということで、練り直した計画を強行することにしました。

8月14日の朝、私たちは新城市の道の駅もっくる新城に来ていました。 開店のちょっと前なのですけど、すでに私と同じ目的と思われるお客が10人ほど並んでいました。 その目的とは……… TKGM(卵かけ御飯モーニング)にございます 昨秋の鳳来寺山の紅葉狩りの時にも紹介しましたけど、こちらでは550円でTKGMが食べ放題なのですよ しかも、トッピングが充実しているので、いろいろなアレンジを楽しむことができます。 さらに、ホットとアイスが選べるコーヒーバーも付いているときたもんだ

………ということで、まずはお店の見本のレシピに則って、和風にしてみました 卵は温玉で、ネギ、かいわれ、牛蒡の素揚げ、のり、ごま(入れ忘れたっ )をトッピングしてきました。 それらに土佐醤油をかけてぐちゃぐちゃに混ぜてから、いっただきま~す

美味しい!

全てのトッピングが和を構成していて、さらに素揚げの牛蒡がいいアクセントとなっています。 それらを平らげたら………

2杯目を盛ってきました 今度は中華風にございます。 温玉にメンマ、キクラゲ、唐辛子天かす、ラー油(これも入れ忘れた )を合わせ、甘味噌でまとめたら、中華風となります。 またしてもそれらをぐちゃぐちゃに混ぜて口にかき込んだら………

好吃(ハオチー)!

ラー油が抜けていて甘口となってしまったのですけど、メンマとキクラゲの食感がいい感じです。 それに、温玉と甘味噌の相性もいいですね ここまできたら………

3杯目もいきますよ こちらもお店のお勧めのレシピに乗って、イタリア風のカルボナーラにしました。 温玉、粉チーズ、マヨネーズ、揚げ玉、にんにく胡麻、塩にのりをまぶしました。 それらをぐちゃぐちゃに混ぜたら、カルボナーラっぽくなりましたよ そいつを口に運んでいったら………

BUONO(ボーノ)!

カルボナーラの御飯バージョンってトコですけど、これも大いにアリですよ
なんか、前回訪れた時にも私は「ハオチー 」とか「ボーノ 」とか叫んだような気がするのですけど。 とにかく、トッピングによって全くの別モノになって、いずれも美味しかったので、TKGラー(?)の身としてはやめられません。

これで終わりと思いきや、つい欲張ってもう1杯盛ってきてしまいました。 さすがに小盛りにしましたけど、どうしてもツナ御飯をやってみたくなったので。 そいつにのりをまぶし、土佐醤油をかけたら、新たな和風TKGとなりました。 さらにマヨネーズを加えたら、ツナマヨむすび風になりますね。
あと、カレー味の鶏そぼろや漬物もあるので、次に来たらオリジナルのTKGMを作ってみたいですね。 お腹も心も満たされた……… というか、がっつりいき過ぎてしまいました。 これは、これから行く山城を歩きまくって、燃焼させなければなりません。 いや、その前に………

波と狛を道の駅のドッグランに連れてきたのですけど、開くまでに30分以上もありますね。 入場無料で監視する人はいないのですけど、ここは私たちの良心に任せられているので。 なので、入口の前のワンコ用トイレだけ使わせてもらってから、私たちはその道の駅をあとにしました。 とはいっても、目的地までまっすぐ行くのもナンなので………

設楽町の清崎駅の跡を見ていくことにしました。 こちらには54年前まで豊橋鉄道の田口線という鉄道が通っていたのですよ。 駅の痕跡は何もないのですけど………

近くの道の駅したらには、田口線を走っていた本物の車両が展示されているのですよ

さらに、その内部も無料で開放されているのですよ 木製の内装はレトロ感ありありで、田口線に関する展示も一見の価値があります。 これは、鉄道好きにはたまらない ………と思います。 そこからさらに峠を越えていき、30分ほどで………

私たちは設楽町西納庫岡田洞というところに行き着きました。 こちらには、かつて設楽町立名倉小学校清水分校があったのですよ。 清水分校は昭和39年(1964年)に閉校したのですけど、校門がそのまま残っていて………

校舎は朽ちかけながらも、なんとか原形を保っていました。 ただし、これは私が1年半ほど前にスキーのついでに寄った時の姿で………

今回訪れたら、このようになっていました。 夏場で草木が勢いづいているのはやむを得ないのですけど、さらに崩壊が進んでいるように思えます。 それよりも、工事の置き場に使っているのでしょうか?四角い箱やクレーン車が邪……… いや、自己主張していますよ。 廃校を見終えた私たちはさらに山道の国道を走っていき………

40分程で、今回の旅で最初のお城となる岩村城……… の駐車場にたどり着きました。 こちらのお城は山上と麓に築かれていて、本来なら麓の居館跡から登山道を歩いていくところを、ズルして山上に程近い出丸跡の駐車場まで車で来てしまいました。 ま、まあ、初めて連れてきた波と狛にあまりムリをさせたくなかったということで。

それはさておき、私たちの前には本丸の西側の壮大な石垣が聳えています。 逸る気持ちが抑えられませんね。 お城の案内板にはQRコードも添付されていて、そいつをスマホカメラで読み取ると………

音声による岩村城の解説と一緒に、お城の復元CGを見ることもできるのですよ ………と、ここまで盛り上がったところで申し訳ないのですけど、今回は前フリでスペースを取り過ぎたおかげで長くなってしまったので、このあたりで一旦仕切らせていただきます。 いや、今回は長い旅行記の序章にあたるので、それもアリかと。 とにかく、皆さまは次回以降の話にもお付き合いくださいませ。


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