波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

遠州横須賀の城下町を歩く

2021-03-31 01:21:00 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

前回から、私・の白黒茶々家の1人と2頭は、かつて城下町だった掛川市南部の遠州横須賀地区に来ています。 お城の見学を終えた私たちは………

横須賀城より遥か前の7世紀初頭に創建されたという三熊野神社を起点にして、町歩きをすることにしました。 そういえば、こちらの神社は4月上旬におこなわれる大祭が有名ですよね。 華やかに飾られた13台の祢里(ねり)の曳き廻しなどがおこなわれていたのですけど、コロナ禍の影響で昨年に続いて今年も中止となったそうです。

その三熊野神社も、私が昭和時代末期に撮った写真がありました 33年前は………

このようになっていました。建て替える前の拝殿は古くて趣があったのですけど、現在のものより小ぢんまりとしていますね。 そうそう、神社に来たからには………

お約束ともいうべき「狛(犬)と狛」をやっておきましょう こちらの狛犬は、なかなかのイケ狛ですね。 そうしたら時を現在に戻して、神社の前の通りを西に向かっていきます。

私たちは、割烹旅館の八百甚さんに差し掛かりました。 こちらは江戸時代末期に創業した老舗旅館で、現在の建物は昭和6年(1931年)に建てられたそうです。今も営業していて、1日に1組だけ受け入れているとのこと。 このようなところには、泊まってみたくなります。

横須賀城の東大手門の近くには、町番所がありました。 この建物は江戸時代末期のもので、昭和55年(1980年)に当時の大須賀町役場(現在の掛川市大須賀支所)の前に移築されました。戸が開け放たれているので、中の様子を覗いてみます。

ちょっとごちゃごちゃしていますけど、昔の番所の構造を見ることができました。 さらに私たちは城下町の西の方へと進んでいきました。

こちらは横須賀藩の御用達で、廻船問屋として繁栄していた清水て……… うわっ、車が来た 自撮りをしようとしたのですけど、思い描いていたような絵にできなかったので、やり直させていただきます。

では、改めまして……… こちらは横須賀藩の御用達で、廻船問屋として繁栄していた清水邸の、通りに面した母屋にございます。 この建物は、明治時代には郵便局としても使われていたそうです。 さらにこの邸宅の裏側には………

湧水を取り入れた池を中心とした、庭園があります。 しかもこちらは、無料で見学することができるのですよ

こちらの庭園内には、湧水邸という休憩所兼茶室が建てられていて………

その内部には、かつて横須賀城に使われていた西尾氏の家紋が入った丸瓦が展示されていたり………

桃の節句の時季ということもあって、地元の幼稚園児の手製のお雛様が飾られたりしていました。

また、こちらでは呈茶や甘酒、抹茶ラテを味わうこともできるのですけど、次回の楽しみに取っておきます。 そろそろお昼の時間となるので、波と狛には車の中で待機してもらって、私は昨年行った佐々木菓子店というこの地域の駄菓子屋に向かいました。

老夫婦が営んでいたお店の奥の方では、焼きそばやお好み焼きを食べることもできました。 そのお店は………

なんということでしょう この1年の間に建て替えられていましたよ。 新たに駐車場スペースも設けられていて、以前より開放的になっていました。

駄菓子はやめて、お好み焼きや焼きそば、焼きうどんなどの鉄板メニューに絞ったみたいですね。 それでも、値段が以前と変わらず安いままなのが、嬉しいですね。 実はこちらでは、私は心に決めてきたメニューがあるのですよ それからしばらくして………

私のもとにそのメニューが運ばれてきました。 焼きそば(250円)の大(+100円)に、肉(+50円)と目玉(+50円)をトッピングしてもらいました。 これほどの内容で合計450円とは、なんてリーズナブルなのでしょうか しかも、税込価格ときたもんだ 最初から味付けされているのですけど、さらに追いソースで濃さを変えてもよし。目玉をつぶして、麺と黄身を絡めて食べてもよし。味のほうも以前と変わらず美味しくて、楽しみながらいただくことができました。
老夫婦が切り盛りしていたのですけど、お店を綺麗にしたこともあって今まで以上に張り切っているように見えました。 それから客の数も増えていて、持ち帰りで来た方もいました。 ごちそうさまでした。また食べに来るので、ずっと元気で焼きそばなどを焼き続けてください。

お腹も心も満たされた私は、波&狛との歴史散策に戻りました。 ということで、次回はさらに東に進んで、掛川市の旧大東町のほうに舞台を移します。



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昭和と令和の横須賀城跡

2021-03-27 02:10:03 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

春の陽気に誘われて、久しぶりに歴史散策に……… と、いきたかったですけどまだ多少肌寒くて、決行した3月7日は1日じゅう雲に覆われていました。 そのような気象条件の中で、私はとともにまずは袋井市の旧浅羽町のあたりで、かつて走っていた軽便鉄道駿遠線の軌道跡を辿っていきました。 そして、遠州横須賀のお城に行き着いたという流れで、今回の話をさせていただきます。

掛川市の南西部にあたる旧大須賀町には、横須賀城という城郭がありました。 こちらは、武田勝頼に攻め取られた高天神城を攻略する拠点とするために、徳川家康が天正6年(1578年)に大須賀康高に築かせたお城です。その後もお城は増改築がおこなわれ、江戸時代初期に全体が完成しました。
少し前に、インスタでお城が好きな私のフォロワーさんが横須賀城を訪れ、この城独特の玉石を積んだ石垣を絶賛していました。 その記事を見ていたら、私も行きたくなってしまったのでした。 しかし石垣の大半は、明治以降に他に転用するために抜き取られ、今日見られるのは近年になって復元されたものです。

その麓を守るように掘られた三日月池の近くには………

わずかですけど、もとからあった玉石垣が残っています。

昨年訪れたときとほぼ同じ絵となってしまいますけど、坂を上っていって最頂部の本丸跡を目指しますよ 実は私が初めて横須賀城を訪れたのは、今から33年ほど前の昭和63年(1988年)のこと。 その頃のことを懐かしく思い、その時に撮った写真をゴソゴソと探していったら………

なんと、ありましたよ 昭和時代末期の横須賀城はまだ本格的な発掘調査や整備がおこなわれていなくて、現在見事な玉石垣が積まれているあたりは石が抜かれた土手や畑となっていました。

話はいったん現在に戻ります。 私たちが登り詰めた本丸跡には、子爵の西尾忠方氏の筆による立派な城址碑がありました。 彼は遠州横須賀の最後の藩主の西尾忠篤の養子となり、のちに実業家や政治家になった人物であります。

その本丸の北東部には、かつては立派な天守が聳えていました。 江戸時代の絵図には、4層の建物が描かれていますね。

現在その跡となる天守台からは、城下町や遠くに遠州灘の海岸線を臨むことができます。 そのあたりから私が撮った古写真もありましたよ。

当時の本丸跡も平坦な広場となっていたのですけど、ほとんどが草むらで土塀跡を示す生け垣も、まだ植えられていませんでした。

こちらは裏側の北の丸跡から見た天守台なのですけど、本丸より高く土盛りされていて木が生い茂っていました。 木に隠れているのですけど、その上には屋根に鴟尾を有した奉安殿が建てられていたのですよ

再び現在へ。玉石垣が連なる眺めは、壮観ですね。 この風景をスマホに収めようとしていたら………

なぜかその画面に「QRコードの読み取り成功」という表示が出てきました。 石垣の幾何学な模様を、スマホはQRコードと認識したのでしょうか?それと一緒に「タップすると対応したアプリを起動します」となっていたのですけど……… 「茶々さん、怪しいから絶対に踏み込まないで 」という声が聞こえてきたような気がしつつも、私の好奇心のほうが勝ってしまいました。 その結果は……… どこかの国の検索サイトが出てきました。

さらに今回は初めて、本丸の東側に位置している三の丸跡にも行ってみました。 こちらには工場があったのですけど、最近立ち退いたそうです。 私たちが目にした、その跡地の現状は………

う~む……… だだっ広い空き地となっていますね。 これほどの空間があったら、凧揚げやボール投げをやってみたくなります。 そのあと、私たちは再び横須賀城の主要部に入っていきました。

その北の丸跡には梅の名所にもなっている梅園があるのですけど、花の時季は終わろうとしていました。 それでも、わずかに残っているところを見つけて、写真を撮っておきました。

遠州横須賀はお城だけではなく、その城下町にも魅力や美味しいものがあります。 ということで、次回はそのあたりを訪ね歩きます。


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線路跡はどこまでも続くよ(駿遠線に迫る)

2021-03-24 01:46:04 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

私は歴史散策が好きでお城などに行ったりするのですけど、そこに建物がなくてもOKです。 その跡に立ち、かつて栄えていた姿を想像すると、ロマンを感じることができるのですよ。 今まではお城以外にも、国分寺などの寺院の跡や廃校を訪れたりしたのですけど、これが廃線だったらどのように感じるのでしょうか?

………ということで、3月最初の日曜日となる7日にを伴って、袋井市の南部の旧浅羽町にやって来ました このあたりには、遊歩道となっている細い道が続いているのですけど、そこをしばらく歩いていったら………

「芝」という駅名看板のようなものに行き着きました。 赤いダルマも気になるのですけど、実はこちらは………

昭和45年(1970年)まで静岡鉄道駿遠線という軽便鉄道が走っていたのですよ 軽便は線路幅が766mmしかないミニ列車で、袋井市の新袋井駅から静岡県西部の沿岸部を経て、藤枝市の大手駅までを結んでいました。 64.6㎞の路線距離は、軽便としては日本一 その間にあった54駅(臨時駅や貨物駅を入れると56駅)のうちの1つとなる芝駅が、このあたりにあったのですね。
そうしたら、この勢いのままその次の「あさな」という駅跡に向かいましょう

なんか列車のような構造物があって、駅跡という雰囲気ではないですね。 実はこれらは、駿遠線の軌道から少し外れた浅羽記念公園の中にあって、駿遠線をイメージしたモニュメントのようなものであります。

その客車も、休憩所というか東屋のようになっておられる。 実は、ここから250mほど北西に行ったところに………

本来の浅名駅があったのですよ。 駅名看板の大きさが控えめなのは、先ほどの公園の模擬駅に遠慮しているからでしょうか? とにかく、浅名駅跡の現状を確認できたので、そのまた次の「いごおか」に向かいます。 皆さまはそいつを漢字で書くとどのようになるのか予想しながら、私たちに付いてきてくださいませ。 軽便の軌道跡を辿って、図書館の敷地を突っ切り、信号を渡って………

さらに延々と続く遊歩道を進んでいったら………

五十岡駅跡にたどり着きました こちらは駿遠線の中では、最も良好な状態で駅のホームが残っているのですよ そうしたら「いごおか」の次は「しんおかざき」にございます。

その新岡崎駅跡は、現在はこのようになっています。 五十岡のような駅の面影はないのですけど、きれいに整備されていますね。 この勢いのまま、次の「しんみわ」に向かいましょう

「えっ、これだけ 」と思われた方もいらっしゃるかも知れませんけど、駅名の表示があるだけでもヨシとしておいてください。 それによると、次は「いしづ」になりますね。 もちろん、そちらがどのようになっているのか確かめに行きますよ

え~と……… 路地に入ったところが駅の跡なのですけど、民家の敷地となっているところにホームの一部が残っていました。 石津駅があったことを示す看板のようなものはなく、知らなければ素通りしてしまう……… というか、わざわざ入ってきて確認することもないでしょう。それから、このあたりから軌道があったところも分かりにくくなっていました。
次の七軒町駅跡はただの草むらで、旧浅羽町から違う自治体に入ると、駿遠線跡の扱いに温度差があるようです。

私たちが見てきた駿遠線の駅跡は以上で終わりなのですけど、最後のあたりは締まらない展開となってしまいました。 それから、私たちはそれらを歩いて訪ねていったような感じになっているのですけど、ほとんどのところは近くまで車で行き、見つけてあった駐車スペースから迫ったのでした。 なので、実際に歩いたのは浅名~五十岡間の約900mの往復で、五十岡駅跡のあたりだけは車を止められそうなところがなかったので、そのようにしました。 それでも、その区間の軌道跡はきれいな遊歩道となっていて、かつての軽便鉄道の姿を思い浮かべながら波&狛と散策することができました。
それから、廃線の探訪は思っていた以上に見応えがありました。 ということで、次回はその軌道跡を辿っていきながら突入していった、遠州横須賀のお城の様子などをお伝えします。



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東大山の河津桜、今年も行きました。

2021-03-20 02:23:03 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

3月は中旬にもなると、桜がちらほらと咲き始め、気分はお花見モードに切り替わっていきますよね。 しかし今回は、桜でも花の見ごろがもう少し早い河津桜の話をさせていただきます。 私の地元の浜松市には、最近知名度と人気が上がってきた河津桜の名所があります。 昨年、私はとともに初めて訪れ、花の美しさとちょうどおこなわれていた河津桜まつりに気分は高揚し、次の年も来たくなりました。

しかし、今年はコロナ禍の影響でまつりは中止に。 それでも、かなり大勢の人が押し寄せる恐れがあったので、2月の最終日の微妙なタイミングとなる28日の日曜日の7時台に、波と狛の朝散歩を兼ねて行くことにしました。

………ということで、やって来ましたよ 浜松市西区の東大山の河津桜に。 なかには気付かれた方もいらっしゃると思いますけど、波と狛の後ろに見えるのは、駐車場に設けられた大きな看板にございます。 これから皆さんを、じわりじわりと河津桜の風景の中に導いていくので、どうか焦らずに私たちに付いてきてくださいませ

大々的なイベントはやっていなくても、お花見の気分を盛り立てるためでしょうか?その沿道には「東大山さくらまつり」ののぼりが立てられていました。

花川の堤に植えられた河津桜は、見事に咲いていました。 かつてこのあたりはゴミが不法投棄されたりしてかなり荒れていたそうですけど、地元の有志たちがきれいに整え、新たな名所になることを目指して木の苗を植えたりしました。

そうしたら彼らの功績に感謝しつつ、桜を堪能しますよ

途中で写真を撮ったりしながら散策していたら………

「鬼滅の刃」竈門炭治郎に扮したチワワと行き逢いました。 飼い主さんによると炭治郎ならぬアン治郎とのことです。 一緒に禰豆子仕様の子もいたのですけど、そちらは皆さまの想像にお任せするというか……… はい、撮りそびれてしまいました。

もう少し進んだところでも、もう1枚 今でもつい「テレビのチャンネルを回す」と言いそうになるのですけど、この媒体(スマホ)はフィルム入りカメラではないので、正確には「もう1データ」と表現したほうがいいのかも。 それから、市松模様(チェック柄)とか、とっくりセーター(タートルネック)、衣紋掛け(ハンガー)、………なども、うっかり使いそうになります。

まつり自体は中止となっていたのですけど、昨年と同じ場所に露店が設けられていました。 ただし、早い時間帯なのでまだ開いていませんでした。

堤の下の休耕田には菜の花が植えられていて、河津桜と合わせて堪能できるようになっていました。 白いスピッツと黄色い菜の花、それと桃色の河津桜はいい取り合わせだと思いませんか?

私たちが来たときは、近くの駐車場に止められたのですけど、見学者はすでにそこそこいました。 時間が経つにつれてみるみる人が増えてきたので、一通り見てきたらさっさと退散することにしましょう。
駐車場から出る際には整理員が誘導してくれたのですけど、ホイッスルを吹いて、両手に持った旗を振りつつ軽快な身のこなしをして。 それは華麗な舞いのようで、また観たくなってしまいました。 そんな東大山の河津桜をあとにして、そのまま家に帰ると思いきや………

次に私は、全国チェーン店の幸楽苑に寄っていきました。 こちらでの目的は……… ご存知の方もいらっしゃると思いますけど、こちらにはモーニングのメニューがあるのですよ

久しぶりに来たら、メニュー表と注文は各テーブルに置かれているタブレットでおこなうようになっていました。 ちなみに幸楽苑の朝の朝食モーニングは、卵かけご飯や中華粥のセットの他に、しじみエキス入りのあっさりした朝ラーメンもあります。 それらの中で私が選んだというか、こちらに来る前から心に決めてきたメニューは………

お粥セットAにございます お粥には刻まれたチャーシューとネギがトッピングされていて、ラー油で味が整えられていました。 野菜スープは具だくさんで、もう1皿メンマも付いてきました。これほどの内容で、税込み400円ときたもんだ
さらにモーニングコーヒーが欲しくなったら、帰り道にあるコンビニなどでお買い求めくださいませ。

この日の午後からは、波と狛をカインズホームセルフウォッシュに連れていったのですけど、私たちの次の番のワンコが………

なんと、スピッツだったのですよ 私はたまらず、洗浄中なのに部屋から出てきて、突撃インタビューをしてしまいました。 この子はケチャップ君という名前で、10ヶ月の男の子でした。

私たちが退室したあとにも、改めてお話を伺いました。彼らは浜松市の地元民なのですけど、今まで他のスピッツとは逢ったことがなかったそうです。 ということは、波と狛がファーストスピッツということになります。 「そんな大役(?)が、私たちでよかったのか?」と思いつつも、洗ったばかりで最も光輝いている状態なので、ヨシとしておきましょう そういえば、ケチャップ君はカメラで狙いまくったのに、まばゆい波狛を撮るのを忘れていました。 それはさておき、またどこかでさらに成長したケチャップ君と逢えることを願っています。


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波7回目の生誕祭

2021-03-17 02:25:13 | ワンコ

こんばんは、白黒茶々です。

3月12日はの誕生日で、今年で7歳になりました。 以前にも何回か触れたことがあるのですけど、最近になって波狛日記を読み始めたという方のためにも、改めて彼女の略歴をご紹介いたします。

波は保護犬2世でした。彼女の母犬は倒産したブリーダーに放棄され、殺処分寸前のところを、私のスピ仲間のけいママさんに救われました。 劣悪な環境の中にいたみたいで、母犬は痩せ細っていたうえに毛もかなり抜けていたそうです。そんな彼女に、けいママさんはゆめちゃんという名を与え、大事に育てました。
ブリーダーのもとで、出産ばかりさせられていたゆめちゃん。 その労苦から解放してあげたかったけいママさんは彼女の避妊手術をするために、病院に連れていきました。ところがそこで、ゆめちゃんのお腹に新たな命が宿っていることが判明 それから1ヶ月ほど後の平成26年(2016年)3月12日に6頭の仔犬が生まれ、その中の末っ子が波だったのです。

その記念すべき日を祝うために、ワンコ用ケーキを用意しました。 波ちゃ、紅いもと豆乳のショートケーキですよ~

まずは1口だけ、に味見させました。 6月の誕生日にはまるごと食べさせてあげるので、今回はこれだけでカンベンしてくださいね。

その大部分は波にあげるのですけど、かなり近くに迫りつつガン見していますね。 そんな彼女に、今からお祝いの歌を捧げましょう。 さあ、パソコンやスマホの前の皆さんもご一緒に さん、はいっ

♪はっぴば~すでぃ、つぅ~ゆ~………

私の「ヨシ」という合図とともに、彼女は勢いよくケーキに喰らい付きました。 一心不乱にケーキを食べる波ちゃ。 そのお味はいかがだったでしょうか?

波、生まれてきてくれてありがとう。 きょうだい犬の、まなちゃん来夢(ライム)ちゃん一歩ちゃんなつちゃん夢来君も、お誕生日おめでとう ワンコの7歳は、人間の45歳ぐらいに相当します。 シニアの入口でもあり、対応するフードが変わったりもします。 今まで以上に体調に気を付けなければならないのですけど、波には健康で長生きしてもらい、一緒に楽しいことを見つけていきたいです。

次に、今回は波の誕生日企画ということで、彼女と過ごしたこの1年を大ざっぱに振り返ってみようと思います。 コロナ禍の影響もあって、あまり大がかりな外出ができない中で………

昨年の3月は、県境を越えた隣町の豊橋市のハウジングセンターに恐竜が現れるというので、波たちと見に行ってきました。 しかし、彼女は少しも動じずに受け流していました。

4月のお花見の時季には、近場の田原市の桜を愛でて………

初夏の熱さを感じ始めた5月には、心霊スポットとしても知られている旧本坂トンネルを歩いて潜っていきました。 波ちゃあの時はなぜ、いきなり出口に向かって急いだのでしょうか?

6月といえば、梅雨の時季ですよね? それっぽい風景として、浜名湖ガーデンパークのアジサイの前で撮った画像を載せておきます。

7月には、期間限定で大井川沿線を走るきかんしゃトーマス号を見に行きました。 またそのついでに、塩郷の吊橋も渡りました。 波は先頭ではムリなのですけど、私や狛に付いてきてくれました。

8月のお盆休みには、豊橋市にできたばかりのドッグラン SORAさんに行き、そこのプールで初泳ぎをすることに 波は自ら進んで入ろうとはしなかったのですけど、半強制的に引き入れたら、意外と上手に泳いでいました。

9月に入ってからは、新城市の廃校めぐりをしました。 それらの中でも、旧門谷小学校はNHKの連続テレビ小説「エール」のロケにも使われ、その木造校舎は昭和時代に流行ったスピッツとマッチしているように思えます。

10月は、日本スピッツ協会の展覧会(本部展)を見に行くことになり、波は列車に乗って初めて上京しました。 その会場では、たくさんのお仲間たちと触れ逢うことができました。

秋の行楽シーズンでもある11月は、岐阜城がある金華山に登ったのですけど、その帰り道で江南市の布袋の大仏さんにも寄っていきました。 波は6年前のウチの子記念日でお散歩デビューした際に、最初に降ろされた場所がここだったということを、覚えているでしょうか?

12月は、前年に行ったクリスマスイベントなどがコロナの影響で中止になってしまったこともあって、波と狛がサンタの衣装を身にまとって浜松城公園に繰り出しました。 そこでは武将隊の方たちに大ウケし、可愛がってもらいましたね。

年が改まった1月は、初日の出や初詣、おせちなどお正月の風景も捨てがたいのですけど、この地方では珍しく雪が積もったことがありました。 スピッツを飼っている者としては、ワンコが雪を見たときのリアクションを期待していたのですけど、波たちはいたって普通でした。

2月はアニメ「ゆるキャン△ SEASON 2」で地元がモデルとなったこともあって、私のテンションは上がりまくり 波と狛を連れて聖地巡礼に走ったのですけど、その中でも波狛日記で今のところ非公開の「浜名湖の弁天島の鳥居に沈む夕日の図」を載せておきます。 あ、これは姿かたちは鳥居そのもので地元民もそう呼んでいるのですけど、便宜上「観光タワー」と言ってください。

正確には2月の最終日なのですけど、3月に片足が入りかけたところで、私たちは浜松市東大山の河津桜を見に行きました。 知名度と訪問者が年々増えつつあるこの場所は、春の訪れを感じさせてくれるのですけど、こちらも非公開というか、次の日記のネタとして載せる予定でした。
なので、これは次回の予告ということで、そちらではより詳しくお伝えいたします。



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浜名湖北の名所と「ゆるキャン△」

2021-03-13 02:27:52 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

前回は、私は浜名湖の北部の気賀というところで、に大判焼きを見せびらかしながら食べたり、駅舎内の「ゆるキャン△ SEASON 2」のタペストリーと写真を撮ったりしたところで終わりました。 なので今回はその続きから入って、「ゆるキャン△」ゆかりの場所も挟みつつ、一連の散策を完結させようと思います。 お昼の別バラとして買ってきた大判焼きでお腹を満たした私は………

波&狛とともに、この地域の観光名所でもある気賀関所にやって来ました。 気賀は東海道の迂回路となる姫街道の宿場町だったところで、その中心部には通行を取り締まる関所も設けられていました。 ただし、現在の関所に入るには……… ①「通行手形」という名の入場券を買い、②ワンコは抱っこしていかなければなりません。 ②はさすがに厳しいので、今回はその手前で写真を撮ってヨシとさせていただきます。

この気賀関所は、ふるさと創生事業の資金をもとにして、平成2年(1990年)に新たな敷地にかつてあった姿に復元されました。 本来の関所は、ここから東に850mほど行った街中にあって………

気賀四ツ角交差点の脇に、その跡を示す石碑と説明版が立てられています。 実はそれだけではなく、その近くの狭い路地を入っていくと………

関所の主要な建物だった面番所の一部が残っているのですよ その建物は今から60年ほど前まで原形をとどめていたのですけど、道路の拡張や宅地化の波に飲まれてしまい、3分の1ほどを残して取り壊されてしまいました。

それでも、屋根の格子などの細かい構造などは平成の気賀関所に生かされています。 言われてみれば、ソックリでしょ?
といったトコで、次のスポットに向かわせていただきます。 私たちは列車には乗らなかったのですけど、天竜浜名湖線の気賀から3つ目となる………

浜名湖佐久米駅にやって来ました 私がこの駅を訪れるのは、昨年の大晦日以来となります。 まずは、三ヶ日牛を型どったと思われる少々不気味な像と一緒に記念撮影をば

それに続く駅舎の画像が二分割となっているということは……… そうなんですよ こちらも「ゆるキャン△」のモデルになったというか、実名で登場したのですよ。 ただし、駅舎に併設している喫茶店のかとれあさんは、「かとまんず」という名前に小変更されていました。
その「ゆるキャン△」では、各務原なでしこ志摩リンがこちらの駅で待ち合わせをしていて、その効果があったからでしょうか?普段は静かな無人駅なのに、大晦日のとき以上にたくさんの人が押しかけていました。

その駅舎内には、気賀駅と同じように「ゆるキャン△」の特大タペストリーが掲げられていますね。 ただし、こちらはなでしことリンの2人が描かれていますけど。

さらに駅のホームには、冬の寒い時季になると、ユリカモメの大群が飛来してくるのですよ ちなみにこれは、白黒茶々家が大晦日に訪れたときのもので、なでしことリンも私たちと同じようにユリカモメと戯れました。 あれから2ヶ月近く経った今は、どうなっているのでしょうか? と、私たちがホームに入りかけたら………

「あー、犬はダメだよ」
いきなり注意されてしまいました。 なので、今回は私1人だけで確認することにしました。

ユリカモメはあの時より少ないですね。 それに、おやつで釣ろうとしても、反応が薄くてなかなか近付いて来ようとしませんし。むしろ、鳥よりも人の数のほうが多いぐらいでした。

漫画やアニメの中では、なでしことリンはユリカモメと触れ合ったあとに、駅前にあるうなぎ屋で食事をしていきました。 そのお店も聖地化したからなのか、14時台でもかなり混んでいました。
さらに彼女たちは、西のほうに歩いていき………

私の記憶だけを頼りにして撮ったらアングルが逆になってしまいましたけど、天浜線の踏切を渡っていき………

なでしこはリンと一緒に、湖畔にある自身のおばあちゃんの家を訪れたのです。 まわりの風景はそのまんまなのですけど、家がある場所は現実の世界では空地となっていました。 聖地巡礼ではよくある事みたいですけど、私はなんとなくホッとしました。
「ゆるキャン△」の聖地めぐりの浜名湖編はこれにて終了となるのですけど、せっかくこちら方面に来たので………

その道を行った先にある、三ヶ日青年の家「暁子の像」を崇めていくことにしました。

独特のセクシーなポーズで、昭和の時代から野外活動や研修に来た学生を見守ってきた暁子さん。 ある意味で、今回の一連の散策のゴールにふさわしい場所と言ってもいいでしょう。 何にしても、また近くに来るようなことがあったら、寄らせてもらいます。


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舘山寺の次の気賀でも食べます!

2021-03-10 01:38:52 | 美味情報

こんばんは、白黒茶々です。

前回から、私・の白黒茶々家の1人と2頭は、浜松市の舘山寺地区に来ています。 らーめんカフェワコーさんで(私が)お腹と心を満たしたあとは………

私たちは、門前の通りの突き当たりにある石段を登っていきました。 その先にあるのは………

皆さんがお察しの通り、お寺のほうの舘山寺にございます。 正式名は曹洞宗秋葉山舘山寺 弘仁元年(810年)に弘法大師こと空海が、高野山より仏道行脚の途中に舘山を訪れて、この地において修行をし、その際に開創したと云われています。
明治初期の廃仏毀釈でいったん廃寺となったのですけど、間もなくして復活。現在は参拝者や観光客で賑わっています。

その本堂の前にいい感じの撮影用(?)のパネルがあったので、そいつを囲って波狛ちゃを撮っておきました。 しかし、彼女らはなかなかこちらを向いてくれなくて。 傍から見たら、必死になって気を引こうとする私の姿が、滑稽だったことと思います。

そのお寺には、ブラン君というラブラドールレトリバーが飼われています。 注意書には「飛び付いたりして危険だからあまり近づかないで」とありましたけど、人にもワンコにも穏やかで優しい子でした。 そんなブラン君に軽く挨拶してから、私たちはお寺の裏の山に登っていきました。 そちらには………

「穴大師」と呼ばれる洞穴があるのですよ こちらはかつて古墳の石室だったところで、弘法様が籠って修行したと云われています。 そういえば、愛知県田原市の城宝寺の境内にある古墳にも、彼が穴籠りしたという言い伝えがあったような。 とにかく、皆さんがその中の様子が気になって仕方がないようなので、波狛ちゃとともに入っていきます。

なんか、暗くてわかりづらいですよね。 それならば、モバイルフラッシュで………

うわっ、狢(むじな)!
今まで以上に怖さがあって目からビームも出ているので、今回は遠慮なく心の中でそう叫ばせてもらいました。 妖しい姿となってしまいましたけど、舘山寺の散策はここで締めさせていただきます。
しかし、このまま手ぶらで帰るのもナンなので………

私たちは舘山寺地区にある和菓子屋のしず花さんに向かいました。 またしても、二分割の画像になっているということは……… そうです こちらのお店も「ゆるキャン△ SEASON 2」のモデルになったというか、出てきたのですよ。 ちなみにそちらの世界での名前は「しず香」となっています。

こちらのお店では冬から春先にかけて、苺を使ったいちごの雫(ゆるキャン△名・苺のきらめき)が販売されます。 開店前から並ばないと買えないほどの人気商品なのですけど、さらに「ゆるキャン△」で採り挙げられたことも手伝って、大変なことになったのでしょうか? 私が訪れたときには、発売中止となっていました。

それでも、このようなヒット作があるお店は、他の商品も美味しいのですよね。 今回お土産に買っていった、かのこ、桜餅、うぐいす餅、豆大福は、甘さ控えめでお茶にも合い、大変美味しうございました。
舘山寺でのミッション(?)を終えた私たちは、さらに浜名湖を北上していき………

天竜浜名湖線気賀駅にまでやって来ました。 実は、私は今まで気付かずにスルーしていたのですけど、こちらの駅前には………

藤田屋さんという、大判焼きのお店があったのですよ それが二分割の画像になっているということは……… はい、またしても「ゆるキャン△」関連の場所にございます。 そちらでは「荻野屋」という名前になっていますけど。
天竜浜名湖線に乗って浜松(浜名湖の奥)のおばあちゃん家に向かっていた各務原なでしこは、気賀で途中下車して………

藤田屋さん(荻野屋)で大判焼きを買いました。 つぶあんとクリームの2種類(ともに税込み140円)あって、なでしこは「えと、クリームを一つ」と注文しかけたのですけど「やっぱり二つください 」悔いが残らないようにしたのでした。
そういう私は、迷わずに両方選びました。 しかし、買ったあとにどちらがどの味かわからなくなってしまいました。 クリームのほうには青のりの印が付いているという事実に気付いたのは、食べてからのことでした。それでもともに甘くて、冷めても美味しかったです。

「乗りますっ、乗りまーす 」大判焼きを手にしたなでしこは、気賀駅から発車直前の列車に駆け乗り、さらに西のほうに向かっていったのですけど………

天竜浜名湖鉄道さんは漫画やアニメに実名で出て、テンションが上がりまくったみたいですね。 駅舎の中には、各務原なでしこ入りの大きなタペストリーが掲げられていました。 こちらは無人駅でワンコもそのまま入れるので、その前で「ハイ なでしこ 」彼女は大慌てで気賀をあとにしたのですけど、私たちは次回の日記の前半まで残って、この周辺を散策させていただきます。



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お昼時の舘山寺界隈と、ゴウ君

2021-03-06 01:19:17 | 美味情報

こんばんは、白黒茶々です。

浜名湖の温泉地で保養地でもあり、観光地にもなっている浜松市西区の舘山寺地区には、ワンコにも優しくて一緒に入ることができるらーめんカフェワコーさんというラーメン屋があります。 私はとともにそのお店を訪れたことがあるのですけど、それから1年3ヶ月も経っていました。 その時のことを振り返ったりしていたら、ワコーさんに行きたい欲が増してきて………

ということで2月21日の日曜日に、舘山寺にやって来ました ワコーさんに直接車を乗り入れることもできるのですけど、駐車スペースが少なくてすぐに混むこともあって、少し離れたところにある観光協会の無料の駐車場に止めて歩いていくことにしました。

さあ、張り切っていきますよ

「二分割の画像が出てきたということは、まさか………」
と感付かれた方もいらっしゃると思います。そうです こちらの舘山寺地区も「ゆるキャン△ SEASON 2」のモデルになったというか、出てきたのですよ。 さらにその先に進んでいくと………

「飛び出し坊や」の愛称で知られている、飛出とび太君が待ち構えていました。 滋賀県の東近江市から全国に広まったと云われているこの看板。独特のフォームとゆるい表情に、グッときます。

舘山寺といえばうなぎのお店が多くて………

それらは「ゆるキャン△」の志摩リンだけではなく、私までも誘惑してきました。 しかし、この日のお昼はラーメンと決めてきたので、このままズイズイといきますよ

うなぎ屋さんの混み具合から、舘山寺の界隈は賑わっているようにも見えるのですけど、その一方でコロナの影響もあって、遊園地の浜名湖パルパルや日帰り温泉施設の華咲の湯、大規模温泉旅館のホテル九重などは休業していました。

そのホテルの関連施設の足湯こと水神の松も、この日はやっていませんでした。

そうしているうちに、私たちは舘山寺の門前の通りから脇に入っていく道に差し掛かりました。 ちょっとわかりづらいのですけど、こちらの細道を入っていくと………

らーめんカフェワコーさんに行き着くのですよ 時刻はちょうど11時。 このお店の開店時間ですけど、私たちが一番乗りとなりました。

ワンコと一緒に利用できるのは、湖に面したテラス席のみとなります。 それでも、こちらはビニールで囲ったり薪ストーブが設置してあったりして、防寒対策はバッチリです。 その席に就いたら………

メニューの中から料理を選びましょう 麺類はもちろんのこと………

サイドメニューも充実していますね。 しかし、私にはすでに心に決めてきたものがあるのですよ。 それからしばらくして運ばれてきたのは………

塩ラーメン(税込み750円)と小ライス(税込み100円)でした 前に来たときは醤油のつけ麺だったので、今回は違うところから攻めてみようかと。

狛たちの視線を感じながら、それらをいただきました。 塩ラーメンはさっぱりした味ながらも、ライスと交互に食べたらその旨味は増しました。

食べ終わってからは、テラス席の外側で浜名湖の内浦をバックにして、記念撮影をしたりしました。 ワンコを連れてくると、お店の方が写真を撮ってインスタに載せてくれるのですけど、今回はなかなか来ませんね。 そうしているうちにお客さんが続々と入ってきたので「今回はやむを得ない」

………と思ったその時に、取材を依頼されました。 粘っておいてよかったのですけど、忙しい中でも声をかけてくださり、ありがとうございました。

ワコーさんをあとにしてからはその近くを散策し、ホテル九重の浮身堂をバックにして、写真を撮ったりしました。 舘山寺界隈の散策はまだ続くのですけど、キリがいいというか、せっかく風光明媚な景色の中に収まったので、このあたりで今回の話を仕舞わせていただきます。

 

 

話は変わって、3月3日の夜にけいママさん家のゴウ君が遠いところに旅立ってしまいました。 彼は3年前の4月に、劣悪な環境の中から保護され、その家の子になりました。
その頃には10歳以上の高齢なのに加えて、ずっと放っておかれたみたいで小さな首輪が首に食い込んでいて、全身の毛は汚れで固まっていたそうです。さらに、耳があまり聴こえなくて、歩行も困難な状態だったのですけど、新たな生活の中で少しずつ元気になっていきました。

私とたつぴ、それと波がゴウ君と初めて対面したのは、彼が保護されてから1ヶ月ほど経ったぐらいの頃に、波が里帰りした時でした。 まだ毛が生え揃わなくて寒々しかったのですけど、穏やかで優しい印象でした。

さらに一昨年の秋には、狛がしばらくの間、けいママさん家に居候させていただきました。 その頃には、ゴウ君は寝てる時間が長かったのですけど、そんな彼に狛はよく寄り添っていたそうです。 彼にとってゴウ君は、一緒にいると安らげるおじいちゃん的な存在だったみたいです。 そんなゴウ君と狛を再び逢わせてあげたかったのですけど、叶いませんでした。

ゴウ君、大変なワン生でしたけど、晩年はけいママさんのご家族や心愛ちゃんゆめちゃん(波の母犬)、夢来君(波の兄犬)たちと賑やかで楽しく過ごすことができて、幸せでしたね。 波や狛とも仲良くしてくれて、私たちに頑張っている姿も見せてくれてありがとう。
ゴウ君のご冥福を心からお祈りします。


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聖地となった矢奈比賣神社

2021-03-03 02:34:25 | 探求シリーズ

こんばんは、白黒茶々です。

前回、私・の白黒茶々家の1人と2頭は、磐田市南部の「ゆるキャン△ SEASON 2」の聖地を巡りながら、地元のスピッツのリアちゃんと初めてのご対面を果たしました。 その日の目的はそれをもって終わりだったのですけど、私たちにはまだ時間と勢いがあったので、同市内の中心部も攻めることにしました。 そのようにして、向かったところは………

磐田駅前でした。 こちらには、前回の日記で二次元のパネルとして登場した、しっぺいの石像があるのですよ それにしても、固い材質であるのにも関わらず、ゆる~い佇まいをしておられる。

もちろん、そのしっぺいを囲って記念撮影をしましたよ その際の掛け声は……… やはり「ハイ しっぺい 」でした。

磐田市といえば、明治初期に創立した旧見付学校が観光名所になっているのですけど………

そこから離れたところにも、その建物を模した公衆トイレがあるのですよ こちらのトイレには、私はン十年前に営業職をしていた頃によくお世話になりました。

そういうこともあって、Google Earthに投稿するために、その写真を撮っていきました。 さらに私たちは北に進んでいき………

見付天神こと矢奈比賣神社に行き着きました。 2分割画像が出てきたことからお察しできると思いますけど、実はこちらの神社も「ゆるキャン△」の舞台になったのですよ このあたりからスマホやタブレットで位置を確認しつつ写真を撮っている人がいて、私と同じ目的で「ゆるキャン△」の聖地巡礼をしているみたいでした。 もともと霊域の神聖な地なのに、さらに人気漫画&アニメの聖地も兼ねることになりましたね。

そうしたら、神社の入口で「おすわり」している悉平太郎の銅像の前で「ハイ しっぺ………」いや、こちらはこの掛け声ではありませんでした。

「ゆるキャン△」の主要メンバーの1人でもある志摩リンは大晦日にこちらを訪れ、初詣ならぬ「ラス詣」をしました。 しかし実際の矢奈比賣神社の拝殿は、先月の初詣の時期が終わったあたりから銅板屋根の葺き替え工事に入ったこともあって、素屋根に覆われていました。

彼女の目に留まった牛の石像もその覆いの中にあったのですけど、なんとかして撮ってみました。

「ラス詣」を終えたリンは、「会いに行ける霊犬」としてネットで紹介された悉平太郎三世を探したのですけど………

なかなか見つかりませんでした。 「犬と参拝に来た人が、ブログに書いてたけど…」とありますけど、まさかそれは波狛日記のことでしょうか

今から11年以上も前の平成22年(2010年)の1月に、私は家族や先代犬のとともに矢奈比賣神社に初詣に行きました。 当時こちらの神社には、霊犬伝説が縁で磐田市と姉妹都市となっている駒ヶ根市から譲り受けた悉平太郎二世の息子の三世がいました。 その頃には16歳8ヶ月とかなりの高齢でしたけど、箔とのご対面を果たすことができました。

しかしその数ヵ月後に、悉平太郎三世君は突如姿を消してしまったのです。 神社の方たちがいくら探しても見つからず、年齢からしても生存は絶望的で、死亡したということにしたそうです。

さらに私たちは、矢奈比賣神社の近くにある霊犬神社に向かいました。 こちらも1ヶ月ほど前に初詣に来たばかりでした。

「ゆるキャン△」効果があったからでしょうか?犬連れではない方も、こちらを訪れていました。 そういう私も、その「ゆるキャン△」に導かれて来たようなものなのですけど。 漫画やアニメによると、その霊犬神社の社殿(祠?)の向かって左奥には………

今まで私は気付かなかったのですけど、悉平太郎の二世と三世のお墓というか、慰霊碑というかが確かにありました。

まずは波&狛とともに、太郎君親子に哀悼の意を捧げました。 志摩リンは、彼らの墓石(?)にそっと手をかざしたのですけど………

私もつい、彼女に同調してしまいました。 しかし、手と石がともに反対側となっているのが、なんとも。

見慣れている風景が、綺麗なアニメとなってテレビに出てきたら、私ではなくてもテンションが上がってしまいますよね? それと同時に、それらの素晴らしさを再発見するきっかけにもなりました。 「ゆるキャン△」の漫画やアニメには、磐田市のあとに浜名湖周辺も出てくるのですけど、そちらのほうは波と狛を巻き込みつつ、またの機会に訪れようと思います。



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