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波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

御前崎のおすすめスポット、お教えします。

2017-02-25 00:55:47 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
2月も下旬になると、寒さが和らぎ日照時間も延びてきて、春が近いことを感じます。 それにともなって、各地で春一番の大風が起こっているみたいですね。 そのような状況の中、私は箔と波を伴って御前崎市というところを訪れました。



御前崎市は、平成16年(2004年)に小笠郡浜岡町と榛原郡御前崎町が合併してできた、人口約3万2千人の都市です。静岡県の海沿いの中西部に位置していて、伊豆半島の次に大平洋に突き出た御前崎という岬があります。 今回私たちは、同市内にゆかりのある人物に関するところを歴史散策しに来たのですけど、その話は後ほど改めてさせていただきます。 それは大河ドラマ「おんな城主 直虎」にも出てくる人物なのですけど、読者の皆様はそれが誰なのか予想しながらそのレポートが出てくるのをお待ちくださいませ。 いちおうヒントを言っておきますと、彼は御前崎市でも内陸部となるこちらの○○地区を治めていました。ドラマではヒゲがよく似合っていて、けっこうシブいですよ。
御前崎市といえば、浜岡原子力発電所、浜岡砂丘、桜ヶ池、ねずみ塚など見どころが満載なのですけど、とても一日だけでは廻りきれないので、今回は私がイチオシのところをご紹介します。



○○ゆかりの○○地区を散策し終わったら正午近くになったので、私はお昼を食べに行くことにしました。 やはりこちら方面に来たら、あそこがいいですね。 そのようにして、私が向かったお店は………



市役所のすぐ近くにある、がっこーにいこう!にございます。 こちらのお店は、学校をモチーフにした居酒屋で、学校の給食をリアルに再現したメニューを食べることができるのですよ ちなみに私はこちらに来るのは、約6年ぶりとなります。



学校ということもあって、可愛らしい二宮尊徳の石像もあるのですよ。 それから、日曜日の昼間でも給食メニューを食べることができるなんて、ありがたいですね。 ちなみに開校時間は、全日制11時30分~14時00分、定時制17時30分~22時00分で、休校日は火曜日となっております。 しかし、こちらのお店の評判は広く知れ渡っているみたいで、この日も県内外からたくさんの客が押し寄せていました。ここに来る前に箔波ちゃをたくさん歩かせておいてよかったです。待ち時間が長くなりそうなので、その間に車の中で体を休めておいてくださいませ。 お店の予約表に私の名前を記入してから1時間ほどして、ようやく入ることができました。



その店内には黒板にオススメのメニューなどが書かれ、壁には習字が貼ってあり、さらに学校にあるような机と椅子も並べられていて、教室の雰囲気がアリアリとなっていました。



そうしたら、この日の給食の献立を決めることにしましょう。 おかずやあげパンなど、バリエーションはかなりあるのですけど、ここは敢えて基本路線を行くことにします。
給食の人気メニューの、ソフトめん(うどんを細くしたような蒸した麺)&ミートソースは前回来たときに食べたので、今回は私にとってもその次に思い入れのある、カレー&ライスにしました。 給食のカレーって、甘くてマイルドな味わいで、独特な美味しさがありますよね。



給食が配膳されるまでの間は、机の中に入っている教科書を読んだりしながら待つことにしましょう。 この「スーホの白い馬」って昔授業で扱われたことがあるのですけど、皆さんはご存知でしょうか?スーホが大事に育ててきた白馬が、瀕死の状態になりながらも、彼のもとに戻ってきて……… 泣ける話ですよね。



そうしているうちに、お待ちかねの給食がやって来ました アルマイト製のお盆やお皿、それに先割れスプーンまで出てくるなんて、凝っていますね。 今回私は、カレーライスに揚げぎょうざ、それと冷凍みかん(3点セットで税込750円)を選択しました。家の冷凍庫にみかんを入れても、このようにほどよく凍らないのですよね。それから、より給食らしさを探求した私は、それらに瓶入り牛乳と粉末状のミルメーク(税込200円)を付けました。 牛乳をより美味しくする、コーヒー味のミルメーク。近年では、チューブに入った溶けやすい液体状のものが出回っているみたいですけど、私はあえて昔お世話になった混ぜにくいほうを選びました。さらに昔の自分がやったであろう方法でそれらを混ぜたら、沈澱させることもなく上手くいきました。
あ、それから給食カレーは私が期待した通りの懐かしい味わいでしたよ。

心もお腹も満たされた私は、箔や波とともに次の目的地に向かいました。 それでも、せっかくなので………



御前崎港の近くにある、御前崎海鮮なぶら市場というところにも寄っていきました。



こちらでは地元で水揚げされた新鮮な魚介類やその加工品、お土産などが販売されているのですよ。 試食のほうも充実しているので、「これは!」と思うものが見つかったら、迷わずにご購入くださいませ。



もう1ヶ所、隠れた名所に立ち寄ってもよろしいでしょうか?御前崎の住宅や畑のある一角には、目立ちにくいのですけど猫塚というのがあります。
昔、旅僧に化けた鼠が、地元の住職を襲ったのですけど、2匹の猫が応戦 相討ちとなったのですけど、その猫を丁重に葬ったのが、こちらの猫塚だと云われています。石碑の上にたたずむ、小さい猫の石像がなんともいえませんね。 そこから近いといえなくもないところには………



△※☆□≒%◎◆があるのですけど、まずはその近くの遊歩道を歩いておきましょう。



こちらは切り立った丘の上なのですけど、その中腹からも海岸を見渡すことができます。 それにしても、この日は風が強かったです。そのおかげで、箔と波は堪えるような表情となってしまいました。



その坂を上がっていったところには………



△※☆□≒%◎◆……… じゃなくて、御前崎灯台があります。
(1635年)江戸幕府によって建てられた見尾火灯明台が前身。明治7年(1874年)にイギリスの技師リチャード・ヘンリー・ブラントンの設計により、今日見られる灯台が建てられました。



入場料の200円を払えば、灯台に上ることができる(資料館付き)のですけど、ワンコはムリとのこと。なので、箔ちゃと波ちゃはここまででご了承くださいませ。
外ではナンなので、彼らにはまたしても車の中で待っていてもらいました。



灯台の入口から先は、ちょっと写真では分かりにくいのですけど、螺旋階段が続いていました。降りてくる人がいたら交互通行となるのですけど、なぜか彼らはみんなして「ひいぃ スゴかったよ」のようなことを言っていました。この程度の螺旋のグルグルは、大したことはないのでは? とにかく、上ってみます。



この灯台は最近改修工事がおこなわれたみたいで、内壁は木板で覆われていました。一部覗き窓が開けられていて、創建時の煉瓦積みの構造を見ることができました。



展望フロアまであと少し。さらに狭くなった梯子のような階段を上って、あの穴を抜ければ………



もう一段落挟んでもよろしいでしょうか? 展望フロアの頭上を見たら、灯台の主要部ともいうべき巨大なライトとレンズがありました。創建当初は回転式1等フレネルレンズ(259cm)が設置されていたのですけど、戦時中に損傷したので、現在は回転式3等フレネルレンズ(157cm)となっております。そうしたら、いよいよ灯台の展望回廊に出ますよ



う、うわ~~~! 飛ばされるぅ~
この日は風が強いということを、すっかり忘れていました。ただでさえ強風だというのに、海岸に突き出た断崖上の高い灯台に上ったら、その威力が増すのもムリはありません。安全のためにあらかじめメガネは外しておいたのですけど、風圧に押されて前に進めませんよ。 この写真を撮るのにも、風がスマホのボタンを勝手に押してしまって、誤作動しまくりでしたし。さらに、男の私でも両手を広げただけで、体を持っていかれてしまいました。これがもし、体の軽い女性だったら………



そのような状況のなかでも、頑張ってそこから見える風景を撮ってみました。 まずは、内陸側に見えていた富士山です。この日は空気の澄んだ冬場ということもあって、はっきりクッキリと見えましたよ。



お次は、海側の眺めです。「地球が丸く見える灯台」を謳っていることもあって、水平線が平らではないように見えます。それにこの解放感は、空を飛んでいるようです。

強風にあおられて、頭を爆発させた状態で灯台から降りてきた私。これから上ろうとしている人に「ひいぃ!スゴかったよ」と言っていました。

今回はほんの一部しか紹介できなかったのですけど、御前崎は景色がきれいでドッグカフェもあって、ワンコを連れて楽しむことができます。ただし、風が強い日はくれぐれもお気をつけくださいませ。


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箔13回目の誕生日

2017-02-22 01:00:11 | ワンコ
こんばんは、白黒茶々です。
今回は箔と波の日常生活をよりリアルにお伝えするために、前の平日の早朝からお伝えします。 夜が明ける前の5時ちょっと過ぎに私の枕元でアラーム音が鳴ると、それに感付いた波がまず騒ぎます。 それにつられて箔も要求吠えをするのですけど、こうなってしまったら二度寝のような後戻りはできません。



そんな彼らを、私は箔波庭に放牧。その間に私がカーテンを開けたりゲージ内のトイレの掃除などをしておくので、セルフで朝のシッコや軽い運動をしておいてくださいませ。
それが済んだら箔と波を再び屋内にあげ、人間のほうの身支度。毎日のことなので、それが整うタイミングを彼らは知っているのですよね。



お待たせしました。7時過ぎになったら、朝の散歩に行きますよ 波ほど力任せに引っ張ったりはしないのですけど、箔もそこそこの速さで付いてきております。この間にタイミングが合えば、散歩中の近所の犬と行き逢ったりします。



その散歩のあとは、やブラッシングを経て………



こちらもお待ちかねの、朝ご飯と相成ります。 今日も箔波ちゃは食欲旺盛 しかし、箔はお年寄りなのに、波の(並の?)倍ぐらいの速さで平らげてしまいます。



食後にはおやつをあげつつ、ハウスしてもらいますよ。 ここでも彼らの気分は高揚し、箔はブンブンしていました。



しかし、このあとテンションは急激に落ちていき、私が仕事で家を出るときには、このようなつまらなそうな顔で見送っていました。 これはある意味、愛情表現なのでしょうか?



夕方頃、私より早く家に帰ってきた箔母さんによって、箔波ちゃは再び箔波庭に放流。 しばらくして帰宅した私を、その場所から出迎えることになります。日が沈み、目からビームを出している状態ということもあって分かりにくいのですけど、私が出勤するときとはうって変わって、彼らははしゃぎまくっているのですよ。



そのあとは、夕方の中散歩を経て………



晩ご飯となります。 このときのテンションや食べる速さは、朝ご飯のときとほぼ同じ。



飛んで、23時頃には小散歩に駆り出して、その際に寝る前シッコをしてもらい………



寝床に入って就寝となります。今日も一日お疲れ様。では、おやすみなさいませ。



そんな日常生活が続く中で、2月18日に箔には特別にかぼちゃと豆乳のショートケーキを用意しました。 前フリがかなり長くなってしまったのですけど、この日は箔の誕生日だったのですよ



いつもの日常のご飯のあとには、この日は非日常的なケーキが登場しました。そいつに箔は、すっかり釘付けに。 すでに気付かれた方もいるかも知れませんけど、ケーキの上部は一瞬のスキをついた彼に食べられてしまいました。それでも、お誕生会の儀式が終わるまでは、そのままの状態でお待ちくださいませ。
そうしたら、箔の13歳の誕生日をお祝いして、今から歌を歌います。さあ、パソコンやスマホの前の皆さんもご一緒に さん、はいっ
♪はっぴば~すでぃ、つぅ~ゆ~………



「よし」の合図とともに、箔はケーキに喰らい付き、すごい勢いであっという間に平らげてしまいました。 とにかく、本ワンにとっては美味しかったみたいで、よかったです。



………と、なにげなく過ごしている毎日の様子を振り返ってみたら、いろいろなことに気付きました。私が仕事から帰ってきた時や、ご飯や散歩の前に箔が見せてくれる笑顔。それらには昔から変わらないブンブンの動きが伴ったりします。そんな彼の姿が見られるだけではなく、元気でいてくれて私まで笑顔にしてくれることを、とてもありがたく思います。
それから、若い波と比べると明らかに筋力は劣っているのですけど、それ以外のところは若い頃からほとんど変わっていないように思えます。しかし、最近になって同世代の仲良くしてもらったお仲間が亡くなっていったこともあって、このくらいの歳になると、先のことはわからないということを実感するようになりました。そのような中で、箔が無事に13歳の誕生日を迎えることができたことにとても感謝しています。これ以降は神様から与えられた延長時間となるのですけど、今まで以上に健康面には気を配りつつ、彼と一緒にたくさんの体験をしていきたいです。


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第5回白ふわオフ会のお知らせと、バレンタインのチョコ祭り

2017-02-18 01:21:43 | 年間行事
こんばんは、白黒茶々です。
まだ寒い日が続いていますけど、皆さんはインフルエンザの直撃など受けたりしていないでしょうか?とにかく、春の訪れが待ち遠しいですね。 ということで、来月おこなわれるなつみかんさん主催の「白ふわオフ会」についてお知らせします。



日時・3月19日(日)
場所・浜名湖ガーデンパーク



当日はお弁当やレジャーシート持参で、12時に駐車場の東側にある芝生広場にお集まりくださいませ。 そこはだだっ広いのですけど、白ふわが集まっていたら目立つので、きっとわかるハズ。歓談しながらのお食事が済んだら自己紹介をして、撮影スポットを探しながら園内を散策。 15時半頃に解散という流れは、昨年と同じです。
ただし、雨天の場合は中止とさせていただきます。



それから、白黒茶々家はその日はどうしても都合がつかないので、残念ながら今回は不参加とさせていただきます。
白ふわオフ会に参加を希望される方は、ガーデンパークに参加者数を報告しなければならないので、なつみかんさんのブログ「ちくちくぱくぱくワンワンワン!」か、今回の箔波日記のコメント欄に書き込むか、私にメールでお知らせくださいませ。

話は変わって、2月14日はバレンタインデーでしたね。 その日は愛の告白をするだけでなく、最近は男女を問わずチョコレートをたしなむ日になりつつあります。そのあたりになると、普段は出回らないような珍しいチョコと出会うこともできるので、チョコや甘いものが好きな人にとっては、血沸き肉踊る時季でもあります。 そのような中で………



私は波ちゃから、このようなチョコ関連の食品をいただきました。 ………という設定にしておいてください。 チョコのようなそのパッケージをよく見てみたら………



なんと、チョコレート味のペヤングカップ焼きそばではありませんか しかも、最初から「ギリ」ということを謳っておられる。これでは、本命チョコには使えませんよ。
とにかく、どのあたりがチョコなのか、さっそく検証させていただきます。ビリッバリッ!(包装をはがす音)



ベースとなる乾麺は従来のペヤングと一緒なのですけど、ソースやかやくの代わりに、チョコレートベースのソースとクルトン、イチゴの加工品が入っていました。 なんか、それらに緑ちゃも吸い寄せられていますけど。 ただし、それらはすべて麺が仕上がったあとに投入するとのことです。
※間違っても、緑君も一緒に入れないでくださいよ。(編集部注)
そうしたら、お湯を入れて3分待ち、湯切りして………



このようにして、土台となる麺が完成しました。 カップ焼きそばの作法として、まずはそいつを一口そのままの状態で味見して……… ずずずっ………
うん、美味い ただし、ほとんど味はしませんけど。



確認の行程が済んだら、いよいよ特別仕様のソースとかやくを投入しますよ おおっ、いい感じでチョコソースが溶けてゆく それらをまぜまぜしたら………



チョコペヤングの出来上がりです 見た目は通常の焼きそばと変わらないのですけど、やはりチョコっぽい香りがします。 完成した状態を皆様にお見せするつもりが、すでに口に運びかけております。ということで、そのままいっただきま~す。はむっ

「うわ、甘っ!」
そいつを食べたときの私の第一声は、このようなものでした。カップ焼きそばの土台はそのままなのに、チョコソースの操縦によって完全にスイーツの方面に向かっておられる。 だからといって、こちらの焼きそばを決して裏切り者呼ばわりしてはいけません。
例えば……… そう、パンはコロッケや焼きそばを詰めたら惣菜パン、その中身をチョコクリームにしたらチョコパンになるのと同じ感じです。賛否両論あるでしょうけど、このような甘いカップ焼きそばも、またアリかと思います。



とかなんとかやっていたら、今度は箔母さんからこのようなものをもらいました。 それにしても、かなりデカいですね。気になるその中身は……… ビリッバリッ!(またしても包装を破る音だに)



皆様が予想された通り、チョコレートにございます。 しかも、一枚板の巨大なものだなんて……… 小さい頃、私は鼻血が出るほどチョコを食べたいと思っていたのですけど、こんな形でその夢が叶うなんて。ではさっそく、板抱きます……… じゃなくて、いっただきま~す

ワンニャンにとっては毒でも、人間には良薬や隠し味にもなるチョコレート。カップ焼きそばに対しては、思いっきり自己主張していましたけど。とにかく、私にとっては、時季を問わずに食べておきたいものであります。


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湖西市が産んだ発明王・豊田佐吉

2017-02-15 01:12:42 | 人物伝
こんばんは、白黒茶々です。
私の地元の湖西市では先日、豊田佐吉翁の生誕150年の記念式典がおこなわれました。彼は、トヨタ自動車も含めたトヨタグループの創始者で、出身地の湖西市では「湖西音頭」や地元の小学校の校歌に出てくるほど英雄視され、慕われています。 そういうこともあって、私もいつか箔波日記で彼のことを採り挙げたいと思っていたのですけど、この生誕150年祭のタイミングでやることにしました。



地元では昨年から佐吉さんにまつわるイベントなどがおこなわれていて、このようなロゴも作られました。彼の肖像画の両脇に障子があるのは、彼の実家が建具屋だった……… というワケではないのですけど、その理由は後ほど説明させていただきます。 といったトコで、今回は湖西市内にある佐吉さんにゆかりのある場所を訪ねながら、彼の人物像を探っていくようにします。それからその案内役は、今回も箔と波に務めてもらいます。



JR鷲津駅から2,2キロほど歩いていったら、このような田園風景が広がっていました。 豊田佐吉氏は慶応3年(1867年)2月14日に、遠江国敷知郡山口村(現在の静岡県湖西市山口)に生まれました。慶応3年といえば、15代将軍徳川慶喜が大政奉還し、坂本龍馬が暗殺された年でもあります。



今でも人里離れた静かなその環境のなかに、佐吉さんの生家だった場所を活用した、豊田佐吉記念館があります。 その門を入ってすぐのところには………



彼の胸像が鎮座しております。その向かいには、小さな展示スペースがあるのですけど、先に邸内を散策させていただきます。記念館は入場無料で、建物の内部以外のところならワンコと一緒に散策できるのですよ。



そこから坂をちょっと上ったところには、納屋が。 佐吉さんが少年の頃に、父親に隠れてこちらで研究をしていたと云われています。



ハアハア………
裏山も取り入れた散策コースは起伏もあって……… 山頂部は見晴らしがいいだけでなく、桜の時季にはお花見もできるのですよ。



その山を下っていき、順路の終点には……… おお、ようやく見えてきましたね。



佐吉記念館の象徴ともいうべき、佐吉さんの生家にたどり着きました。 ちなみにこちらの建物は、平成2年(1990年)に復元されました。江戸時代後期の民家を忠実に再現しているのですけど、意外と質素ですね。



その内部には、機織りをしている母と、その様子を見守る佐吉少年の木像が。彼は貧困にあえぐ村の暮らしを見て、みんなが豊かになるのに貢献したいと思うようになりました。 その郷土愛がやがて祖国愛に変わっていくのですけど、そのためにはどうしたらいいのか?



場面は佐吉さんの生家こと豊田佐吉記念館から南に300mほどいったところにある、山口観音堂に移動します。佐吉少年は「世の中の役に立つためには、まずは勉強をしなければ!」ということで、こちらの観音堂を借りて、寺子屋仲間や村の青年を集めて、夜学会を開きました。 そして「生活を発明でより便利にしたい」という考えに至ったのですけど、そうしたら何を発明したらいいのか?
そのような中で、機(はた)を織る母親の姿を見ているうちに、まずは手機(てはた)の改良を志すことにしました。 寝食を忘れるほど研究・工夫に熱中し、数多くの失敗を繰り返していった結果………



このタイミングで、今度は記念館の展示室(展示スペース)に戻ります。 発明に取り掛かってから3年後の明治23年(1890年)に、こちらの豊田式木製人力織機を完成させたのです このとき、佐吉さんは23歳。



その後も佐吉さんは研究を続け、明治29年(1896年)には動力織機の先駆けとなる豊田式汽力織機を発明しました。



その4年後には、生家のある山口村に合資会社山口織布工場を設立。その工場には、豊田式汽力織機40台を導入して………
確かこのあたりにあるハズなのに、その工場跡がなかなか見付かりませんよ。 近くの住人に聞いても、知らないみたいですし。散策マップの案内によると、レンガ門の一部が残っているそうですけど………



必死になって探した結果、ようやくそれらしいものを見付けることができました。 「えっ、これだけ 」なんて、絶対に言ってはいけませんよ。 今となってはわずかな痕跡しか見られないのですけど、ここに佐吉さんの夢と野望が詰まっているので。ちなみにこちらの山口織布跡は、山口観音堂を南に向かっていって最初の小路を左に曲がったところにあります。



佐吉さんの発明に終わりはなく、その後も進められていきました。そのような中で、明治43年(1910年)に彼は初めて欧米に渡り、世界の技術力や設備力の状況を知りました。 それによって彼の闘志に火がつき「世界に追い付け、追い越せ」の執念のもとで活動していくことに。そして大正13年(1924年)には、こちらのG型自動織機の完成で実を結び、世界にも認められました。これによって日本の産業は発展していき、彼は発明王と呼ぶにふさわしい人物となりました。

そのような中の大正7年(1918年)に佐吉さんは上海に渡り、紡織業を視察しました。彼はそちらに工場を建設したかったのですけど、当時の両国の関係から日本企業の進出は困難だったということもあって、周囲の人々は反対しました。 すると彼は両国の親善の大切さを説くなかで、彼の枕詞ともいうべきあの名ゼリフを言ったのです。
「障子を開けてみよ、外は広いぞ」
そしてなんとか周囲を説得し、大正10年(1921年)に上海に豊田紡織廠(ぼうしょくしょう)を設立しました。



豊田佐吉記念館の第2駐車場のあたりからは、そこに至るまで200mほどの坂があります。 佐吉さんは実家に帰るときには、鷲津駅から人力車に乗っていったのですけど、いつもこのあたりで降りていました。車夫が「家の前までお送りしますよ」と言っても「村の人たちが汗水流して働いている中を平然と通ったら、バチが当たります」と答えたことから、この坂は「車返しの坂」と呼ばれるようになりました。そこからも、彼の人柄が偲ばれますね。



私たちは、湖西市吉美にある妙立寺というお寺に来ました。至徳3年(1386年)に当地の有力者の佐原常慶、内藤金平が日什上人を招いて開いたのが始まりと云われています。 永禄10年(1567年)に今川氏真によって接収され、現在地に移転。徳川家康の勢力下となってからは、徳川家の祈願所として庇護されました。こちらの門構えには、歴史の重みを感じるのですけど………



銅瓦葺きの本堂も、立派ですね。 こちらのお寺は豊田家の菩提寺でもあります。佐吉さんは「これからは自動車の時代だ」と、国産車開発の夢を息子の喜一郎氏に託し、昭和5年(1930年)に63歳で亡くなりました。やがてトヨタ自動車は、世界を牽引するほどの大企業となりました。彼のお墓はこちらのお寺にあり、私はどんなに立派なものが造られているのかと思っていたら……… ごく普通のサイズで、一般の方たちのなかに混じっていました。 事業に成功しても決して偉ぶることはなく、仰々しいことは嫌って質素を好むという、彼の性格がこの様なところにも表れていました。
近年になって、鷲津駅前に豊田佐吉翁の銅像を立てる計画があったのですけど、彼の子孫の反対があって実現しなかったのには、そのような理由があったからだと思われます。

………と、佐吉さんの生涯をたどってみて、改めて彼の功績や生き様を讃え、尊敬もしているのですけど、1つお詫びしたいことが。実は、ウチにはトヨタ車が1台もありません。 それでも、いい車を作っていると、思ってはいるのですよ。


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筧利夫さんと競艇と駅伝

2017-02-11 01:01:01 | その他
こんばんは、箔ですワン
先週の日曜日は、久しぶりにお父さんとお出かけすることになっていて、おれっちも楽しみにしていたのだ。 しかし、またしても天気予報に抗うことができずに雨となってしまったので、予定は延期となってしまいました。



代わりにお父さんはお母さんと一緒にどこかに出掛けていってしまったのですけど、なぜかこのような旗をおみやげに持ってきたのだ。それと、舟券も。それらには、今回の目的地のヒントが隠されているのでしょうか?


こんばんは、白黒茶々です。
中日の旗と舟券の謎については、順を追って説明させていただきます。 この日は雨に見舞われてしまったこともあって、私は予定を変更して近場でおこなわれているイベントのほうに行くことにしました。



白黒茶々家と同じ湖西市内にあるボートレース浜名湖(浜名湖競艇場)では、開設63周年を記念したGI浜名湖賞が開催されていて、その最終日となるその日には、場内のホールのほうで浜松市出身の俳優の筧(かけい)利夫さんのトークショーも組まれていました。 彼は現在放送中の大河ドラマ「おんな城主直虎」に井伊家の重臣の中野直由役で出演中なので、ドラマの裏話など聞けるかも知れませんね。



そのトークイベントに行くとしたら、ホールは自由席なので競艇場が開場する前から並ばなければなりません。 しかし、私は朝の時間帯はトイレに弱いので、並ぶ役は箔母さんにお願いしました。 そういえば、競艇場は地元にありながらも、かなり行っていないような。鼠先輩がゲストに来たとき以来なので、約8年ぶりとなります。そのことを箔母さんに降ったら、「それって、どんな人だっけ?」と言うではありませんか。 確かに彼は、一発屋の部類に入るのですけど、「タッチ」の柏葉英二郎を柔らかくしたような、ピコ太郎さんを質素にしたような感じで、「 ぽっぽぽぽぽぽぽっぽ~………」って歌って………
とにかく私たちにとっては、筧利夫さんの前は鼠先輩だったのですよ



………ということで、やって来ましたよ トークショーの2時間以上も前に箔母さんをこちらに送り込み、部活に行くたつぴを駅まで乗せていったりして、再びこちらに参上した次第にござります。しかし、予定時間ギリギリまで入場できなかったので、けっこう凍えましたよ。



そして、いよいよ競艇場の中に 入ってすぐのところでは、ボートレース浜名湖のマスコットキャラクターのスワッキーだけではなく、出世大名家康くん、出世法師直虎ちゃんたちも出迎えてくれました。あれっ、スワッキーってこうでしたっけ



一昨年前のゆるキャラGPで見たときには、人間の体格に近い姿をしていたのに。井伊の赤備えの甲冑を身に付けているとはいえ、思い切ったイメチェンをしたみたいで、3頭身となっていますよ。 いや、ここで衝撃を受けている場合ではありません ホールでいい席を確保しているであろう箔母さんと、早く合流しなければ。



それから間もなくして、ステージ上に本物の筧利夫さんが登場しました。 それともう一人、彼の聞き手となる地元民の男性もいたのですけど、その掛け合いは絶妙で、聞いている私たちもついつい引き込まれてしまいました。 その中でも「おんな城主直虎」のロケの話は、けっこう生々しかったですよ。
そのドラマでは、中野直由という武将を演じている筧さん。 テレビでは時代劇が激減している昨今の中で、NHKはセットや衣装にかなりの予算をつぎ込んでいるので、細かいところまで観て欲しいと仰っていました。 さらに、時代衣装は用足しには向かない作りとなっているので、撮影中に便意や尿意をもよおしたらかなり困るそうです。 それに加えて甲冑など装着したら、数時間はトイレから遠ざからなければなりません。「どうしても(トイレに)行きたくなったら、どうするんですか?」ということを筧さんがスタッフに聞いてみたら、このような返事があったみたいです。「紙オムツをはいておいてください」それは、人としてどうかと……… 結局、彼はその選択肢だけは選ばなかったそうです。

筧さんの話は、ドラマの内容にも及びました。「今出ている井伊家の男子は、○○話までにはすべて死にます」その結果、筧さんの中野直由が一時的に井伊谷城の城代となるのですけど、彼はやがて引馬城攻めで新野左馬助(苅谷俊介)とともに討ち死にしてしまいます。 そこからドラマは急展開することになります。ということは、筧さんはすでにそのドラマをクランクアップしているみたいですね。
その後も彼の弁舌は冴えわたり、話のほうも長引いて、時間を仕切るADがかなり焦っていました。



筧さんのトークショーのあと、私たちは競艇場の中をぶらぶらしました。露店などが出ていて、賑わっていますね。



さらに行き逢ったゆるキャラたちと、触れ合ったり記念撮影をしたりもしました。 今回直虎ちゃんと初対面となる箔母さんも、まんざらではない様子ですね。



それから、せっかく競艇場に来たので、第1レースを賭けてみることにしました。 まずは場内に備え付けてあるマークシートに予想順位を記入し、そいつと掛け金を窓口に持っていって、舟券に換えてもらいます。 ちなみに、その舟券は100円から購入できます。



ガラス張りの2階席や3階席は全体像を見やすいのですけど、私は1階のより水面に近いところから見守ることにしました。 それから間もなくして、ファンファーレがなって、6艇のボートが走り出しました。



波しぶきを上げながらエンジン音を鳴らして突っ走るボート。確かに、「水上の格闘技」と呼ばれるのにふさわしいほどの迫力にございます。 それよりも、今回私は1ー3ー4の3連単(1位から3位までの順位を予想)なので、その通りにいってくださいよ その第1レースの結果は……… 1ー2ー3となりました。
それでも、大丈夫です。実は私はもう1枚、1ー2の2連単も買ってあったのですよ 競艇場では過去にも何回か勝負したことがあるのですけど、初めて当てることができましたよ。 ちなみに当たり舟券は、無人機で換金できます。そのようにして、私が手にした金額は……… 340円でした。人気も実力もある選手が無難な順位でゴールしたので、配当金は少なめでした。それでも、すごく嬉しかったですよ。
※競艇などの賭け事で儲けようとしてはいけません。あくまでも小遣いの範囲内でたしなむ程度で、お楽しみくださいませ。(編集部注)



この日競艇場の外では、浜名湖一周駅伝がおこなわれていました。 40年もの歴史があるのですけど、諸事情で今回が最後となるそうです。コース変更するまでは、私の実家の前も選手が走っていたので、思い入れがあるというのに、寂しいです。



そんな選手たちに、私は主催者の中日新聞の旗を振りながら「がんばれ~ 」と声援を送りました。アサリの不漁で、今年も潮干狩りが中止になりそうな浜名湖。海開きの弁天島の花火だけでなく、駅伝までもなくなってしまいましたけど、いつかそれらが再開されることを願っています。
………なんてことに思いを寄せながら、中日の旗を持ち帰った私は………



今度は波ちゃに「ハタ坊」ならぬ「ハタ嬢」をやってみました 「ミスターフラッグ」とも呼ばれるハタ坊には恐ろしい秘密があるのですけど、こちらのほうはあくまでもご愛嬌ということで。悪天候によって期せずして予定変更となってしまいましたけど、いろいろと充実していて楽しむことができました。


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節分の鬼退治、お引き受けいたします。

2017-02-08 00:54:34 | 年間行事
鬼は~そと、福は~うち!白黒茶々です。
季節の行事ネタということで、今回は白黒茶々家で先日おこなわれた節分の様子をお伝えします。 子供だけではなく、大人も心踊るこの行事は……… とはいっても、子供は喜んでいるかどうかは微妙ですけど、大人の私でもつい童心に戻ってしまう魔力も秘めています。



白黒茶々地方では、節分の夜に子供が集まって、各々の家をお菓子をもらって廻るという風習があります。 その対象は小学生までなので、たつぴが離れてからかなり経ちます。その際には、ウチでも配るためにたくさんのお菓子を用意しましたよ。ただし、配る側は事前の打ち合わせもなく「せ~の~で 」で出すこともあって、お菓子の種類が他の家とかぶることもしばしばありました。無難なセンでいくとそうなりやすいのですけど、だからといって変わり種で勝負すると、子供のウケが読めないという恐れもあります。



お菓子をもらって廻るのがなくなっても、恵方巻と豆まきの2点セットがあれば、充分ですよ。 ということで、今回も太い恵方巻を用意してもらいました。天かすたっぷりの蕎麦との相性も、バッチリですね



今年の恵方は北北西。その方向に向かい、願い事を念じつつ、恵方巻を一気に無言でいただきます
もごもごもご………



晃ちゃがストーブの前でゆったりとしているところですけど、今からこの日にふさわしい特別ゲスト(?)をお招きして、ひと騒動起こさせていただきます。

恵方巻を平らげたら、豆を片手に鬼退治へと参りますよ。 最初の鬼は……… って、私ですか? リビングから出て、鬼に変身(お面を装着)していたら、それを見た箔がテンションを上げていました。 彼は鬼好きというワケではなく、長年の経験から、このあとに豆が食べ放題になるということを知っていたのですね。それにしても、鬼のお面だけで察するなんて、なかなかのヤツよのう。
………なんてことを感心しつつ、ドアを開けて再びリビングに入ったら、待ち構えていた箔母さんとたつぴから集中砲火を受けました。
「あわわわ……… 」
これにて鬼1号の出番は終わりなのですけど、私はその役を演じることに徹していたので、写真は撮れませんでした。それならば、今度は攻守交代して、攻撃しながら鬼2号(たつぴ)の様子を撮ることにしましょう



それから間もなくして、姿を現しましたよ。 そうしたら、これを喰らえ 「おには~そと おには~そと 」あ、写真がブレてしまったので、そのままの状態でもう1枚。



鬼3号は、箔母さんにございます。ここは作法上、彼女が演じているということを意識しないで、手加減することなく鬼退治しなければ ………と言いつつも、私のコントロールが悪くて、なかなか命中しませんでした。



せっかくなので、このあたりでウチのニャンズたちにも鬼のお面をかぶって(頭?額?の上に乗せて)、鬼化してもらいました。 この銀ちゃの困惑したようなお顔が、たまりませんね。



引き続いて、京ちゃにもやってもらったのですけど、イヤイヤみたいですね。それでも、両手(前足)で振り払おうとするその仕草は、カワイイですよ。



その動きを止めたときのお顔はこうなのですけど、どこか不本意そうです。



鬼が退散したあとの床には、たくさんの豆が散乱していました。それでもご心配には及びません。 これから箔と波に食べて掃除してもら……… って、気付いたら晃ちゃと緑ちゃが食べていましたよ こう見えても彼らはまだ1歳なので、1コだけにしておいてくださいね。



猫払いをしてから、今度はその部屋に箔ちゃと波ちゃを放しました。そうしたら、彼らは勢いよく豆を食べ始めました。 パッと見だけではわからないような、隙間に入り込んだものまで探り当てるなんて、犬ならではの能力です。 このようにして、後片付けも済んだので、恒例となっている締めの1枚を撮って、節分を締めることに……… あれっ?鬼のお面が人数分ないですよ。こうなったら仕方がない



箔ちゃと波ちゃには悪いのですけど、彼らだけ素顔をさらしたまま撮影させていただきます。 そうしたら、なんか「鬼に捕らわれた犬」みたいになってしまったような。 来年こそは鬼の数を増やして「鬼サミットの図」を撮れるようにしたいです。



節分の翌日の4日の朝に、お仲間のネロ君が空の上に旅立っていってしまいました。私たちにとっては、昨秋のスピクラ展(→リンク)で逢ったのが、最後となってしまいました。あのとき15歳を過ぎても元気で輝いていたのに、信じられません。お年寄りに仲間入りした箔も、同じように美しく年を重ねていってもらいたいと、目標にしていたのに………
ネロ君のご冥福を、心からお祈りします。


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夏菜子の唐揚げだZ!

2017-02-04 01:11:59 | 美味情報
こんばんは、白黒茶々です。
今回は知る人ぞ知るような、地元の美味しい情報をお伝えします。 ということで、日記のタイトルは「夏菜子の唐揚げ」となっていますけど、唐揚げのことは皆さんはすでにご存知ですよね? そうしたら、夏菜子とはいったい誰のことなのでしょうか?



正解は、現在NHK連続テレビ小説「べっぴんさん」に出演していて、アイドルグループのももいろクローバーZのリーダーでもある、百田夏菜子ちゃんのことです。 実は、彼女は浜松市出身だったのですよ。そんな彼女の名前を冠したお店が、浜松市西区にあります。
三重県鈴鹿市で30年近く弁当屋をやっていたそのお店のご主人は、夏菜子ちゃんのファンになりました。 そうしたら彼女の出身地の浜松の空気が吸いたくて、縁もゆかりもないこの地に引っ越してきたそうです。その「夏菜子の唐揚げ」というお店では、唐揚げ弁当がメインとなっているのですけど、それがインパクトありありな上に、美味しいというのですよ 私は以前から気にはなっていたのですけど、いつしか忘れ、そのまま放置していました。
※それって、本当に気になっていると言えるのでしょうか?(編集部注)



そんな昨年の秋に、私は「バックキングカム宮殿」という、静岡県で放送されていたローカルな深夜番組を観ていました。 それは、アンジャッシュの児嶋一哉さんとアイドルの菊地亜味ちゃんらが扮する世間知らずの王様と女王様が、静岡の裏側を探るというものでした。



その番組の中で、あの夏菜子の唐揚げが紹介されたのですよ しかも、事細かに。百田夏菜子ちゃんの親戚や関係者に断りもなくその名前で商売を始めてしまったご主人。クレームが来たとしたら、最悪の場合店名を変える覚悟もしていたのですけど……… なんと夏菜子ちゃんの親族から、開店祝いの花盛りが届けられたというのですよ そのエピソードには、私も心がほっこりとしました。



それだけではなく、主力商品の唐揚げ弁当もかなり美味しいみたいですね。 番組に後押しされ、私は今度こそ本当にそのお店に行くことにしました。
住所は、静岡県浜松市西区入野町16101ー8。雄踏街道を入野町の加藤内科さんのところで北に入ってすぐのところにあります。 ここって、たつぴの浜松大平台高校のすぐ近くではありませんか 私が訪れたのは夕方だったのですけど、客の入りは上々でした。



その店内には、ウワサ通りに手書きのメニューなどがびっしりと貼り付けられていました。 種類は100つ程もあるようですけど、入門編としては……… というよりは、最初から唐揚げ弁当を食べてみたかったです。 注文を受けてから揚げるので多少は待たされるのですけど、それには最も美味しい状態で食べてもらいたいというご主人のこだわりがあるみたいです。その間に、店内を見回してみたら………



先述の「バックキングカム宮殿」のポスターがありましたよ それだけではなく、番組への出演以来のファックスまでも。この番組、私は気に入っていたのですけど、3ヶ月ほどで終わってしまいました。
それだけではなく、こちらもご主人の手書きで「『行くぜ!怪盗少女』などで夏菜子ちゃんはお約束のようにエビぞりジャンプをするのですけど、あれは腰に負担がかかり将来大変なことになるので、皆さんに『どうかやらないで』という流れを作ってもらいたい」という内容の文章も、謙虚かつ丁寧に綴られていました。
そうしているうちに、注文したメニューが出来上がったので、家に持ち帰って検証&試食してみることにしました。



お待たせいたしました。こちらが、夏菜子の唐揚げの唐揚げ弁当にございます。 やっとその弁当が実態を表したのですけど、あまりにボリュームが大き過ぎて、フタが閉まりきれていません。 ちなみに値段は、690円(税込)にございます。そのフタを開けて、解放してあげたら………



3D処理しなくても、画面から飛び出してきそうな迫力がありましたよ。 さらに分かりやすいように………



唐揚げを取り分けておきました。1コの大きさもかなりのものなのですけど、それが6コも入っているのですよ。



その唐揚げの下は、こうなっております。ご飯の他は、スパゲッティ、ポテトサラダ、漬物が入っております。いずれのものも、唐揚げの付け合わせに向いていますね。



そうしたら、メインの唐揚げからいっただきま~す ズッシリと感じるほどのボリュームなのですけど、それは油がうまく切れる大きさで、見た目に反してあっさりとしていました。それに衣はサクサクしていて、味付けもいい感じで、ご飯が進みました。 気持ちでは全部欲しがっていたのですけど、さすがに私は4コまでが限界でした。
夏菜子の唐揚げさんは、ハマ&ワンさんからも近いほうなので、遠方からお越しの方もぜひお試しくださいませ。



「バックキングカム宮殿」の取材の中には、夏菜子の唐揚げのご主人を炭焼きレストランさわやかでご馳走するシーンもありました。 休みなく働いてきたご主人にとっては、こちらに越してきて初めてとなるさわやか。「あっ おいしい 」と、げんこつハンバーグを美味しそうに頬張る彼の姿を観ていたら、私はそちらのほうにも食べに行きたくなってしまいました。


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法多山初詣の試練とご褒美

2017-02-01 00:54:59 | 年間行事
こんばんは、白黒茶々です。
今年も早いもので、気付いたらもう2月になっていました。それでも、先月中にどうしてもやっておきたいことがありました。それは……… 初詣であります。私は、除夜の鐘と初日の出の際にいちおう初詣はしてあったのですけど、やはり有名どころで露店が出ていて賑わっているような神社仏閣に行っておきたかったのです。ここ数年は、磐田市の矢奈比賣神社霊犬神社が続いていましたけど、そろそろ趣向を変えてみようと思うようになりました。 そのような流れで、候補に挙がったのは……… 今回の日記のタイトルにも出ているので、もうおわかりですよね。そうです 法多山(はったさん)であります。



法多山とは、静岡県袋井市にある法多山尊永寺のことです。 そのお寺は、神亀2年(725年)に聖武天皇の勅(みことのり)によって、行基が開山したと云われています。厄除け観音としても知られていて、油山寺可睡斎とともに遠州三山のうちの1つに数えられています。 ワンコを連れて境内に入ることもできるので、もちろんを伴っていきますよ

法多山に行く前に、私はその参拝のモデルコースをシュミレーションしていました。 駐車場を出てからは、まずは門前町の賑わいを仰ぎ見てから風格のある山門をくぐり、厳かな参道を歩いていきたいですね。 やがて長く険しい石段に行き当たるのですけど、その試練をクリアしたら、参拝所となる本堂が待ち構えていますよ。 それが済んだら、いよいよおみくじを引くのですけど、こちらは他より「凶」の比率が多いらしいです。 その「凶」をうっかり引き当ててしまい、うちひしがれたところに、いいタイミングで厄よけだんご茶屋があるのですよ さらに、こちらでご褒美の厄よけだんごを食べ、悪運をぶっ飛ばして帰るという流れにしたいですね。



しかし、1月は休日が雨だったり予定が入っていたりして、初詣の予定は15日にしか組めませんでした。 しかもその日は、例の雪が積もった日で、雪遊びのあとに豊橋のユナイテッドシネマに映画を見に行ったら、13時を回っていました。さらに浜松のイオンモールの自転車屋に寄る用事もあったので、かなり遅くなってしまいました。 私が法多山に行くのは、十数年ぶりなのですけど、地図を持たずに来てしまいました。 それでも人気のある名刹なので、道路の案内表示に従っていけば、きっとたどり着けるでしょう。そのようにして、目的地の法多山に着く頃には16時を過ぎていました。 とにかく、できるだけ参拝のモデルコースに乗りたいので、急ぎますよ。 まずは門前町を通って参拝ムードを盛り上げ………



………って、なぜかいきなり【3】の参道にワープしてしまいましたよ。



どうやら正面入口前とは違った駐車場に止めてしまい、そうとは知らずにそこから参道の途中に通じる道をたどっていってしまったみたいです。それでも時間があまりないので、このまま先に進んでいきますよ。



間もなくして、厄よけだんご茶屋が見えてきました。 厄よけだんごは、徳川13第将軍家定公(篤姫の夫)に、法多山に住んでいた石川八左衛門が手作りのだんごを献上したのが始まりとされています。 家定公はそのだんごをいたく気に入り、「串だんご」と命名しました。 その後、法多山には多数のだんご屋ができたのですけど、昭和41年(1966年)以降はこちらの1ヶ所で販売されるようになりました。
予定では参拝に加えて、険しい石段と「凶」のおみくじの2つの試練を乗り越えてからいただくことになっていたのですけど、こちらのお店が16時半で閉まってしまう(おみやげ用は17時まで)というので、先にいただくことにしました。



今さらながら、だんごを手前、お茶を後方にして撮っておけばよかったと後悔しています。 それはさておき、法多山の厄よけだんごは、串に刺さった小さなだんごが5つ束になっていて、それらにあんこがかけられているのですよ。 ちなみにお店でのお召し上がり用は、2束セットで200円となります。本来の作法では、その1束を一口で食べることになっているのですけど、箔母さんはそれに挑んでみて失敗。口からこぼれ落ちたあんこを、足元にいた箔に食べられてしまいました。 一方の私は、縁起や作法はそっちのけで、1ー2ー2と、美味しく食べやすい分割法でいただきました。 あと、たつぴは2ー3でいったみたいです。



先にご褒美をいただいてしまいましたけど、今度はこの石段を上っていきますよ。 真っ先に箔母さんがバテ始め、間もなくして私の膝も笑いだしました。そんな私たちを横目に、換算年齢的には最年長のハズの箔が、スタスタと行っていました。



ハア、ハア、………
やっと最高所にある本堂前にたどり着きましたよ。 そうしたら、参拝することにしましょう。



………とはいっても、ここから先は箔と波は入れないので、交代でお詣りしなければなりません。それにしても、注意書きの表現が少々キツいですね。 せめて「ペットを連れてのご入場は、ご遠慮ください」ぐらいに。いや、ひょっとしたら、遠慮しない輩がいたのかも知れませんね。 それでも、なかには一緒に境内に入ること自体禁止にしているところもあるので、まだ良心的なほうです。
あとは、おみくじで「凶」を引くだけですけど………



そちらのほうは、すでに終わっていました。戦って負けるのならともかく、時間に遅れて不戦敗となってしまうなんて………
※白黒茶々さん、実は「凶」のおみくじを引きたかったのでは?(編集部注)
あとは帰るだけなのですけど、せっかくなので山門や門前町などを通って出ていくようにしましょう。



国の重要文化財に指定されている仁王門は、歴史の重みと風格がありますね。



しかし、そこに至るまでの道沿いにある露店や………



門前町のほとんどのお店は、すでに閉まっていました。 初詣の時季の活気に満ちた様子をお伝えしたかったのに、かえって寂しい風景となってしまいました。



そうしたら、来年は法多山に早めに来て参拝プランを実現させるか、再び磐田の矢奈比賣神社&霊犬神社に舞い戻るのか?今からだと鬼が笑い過ぎて腹がよじれてしまうので、その時の気分で決めようと思います。


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