波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

戦前の名建築(白黒茶々さんどこ行くの? in 東京その1)

2016-02-27 00:26:18 | お出かけ
こんばんは、箔ですワン。
先日はおれっちの誕生日を祝ってくれて、ありがとうございますなのだ。 その日は例年どおりケーキで祝ってもらったのですけど、お父さんは仕事関係の用事でその前日から東京に行っていて、おれっちの誕生日の夜に帰ってきたのだ。それだけではなく、なぜか感傷的になって「はくぅ~、逢いたかったョ 」と、おれっちを抱き締めてきましたし。 もしかして、泣いてる?



とにかく、そこに至るまでの経緯を説明しますワン。 誕生日の前日となる17日の朝に、お父さんはネクタイを締めて正装で東京に向かっていったのだ。 港区にあるホテルで用事を済ませてから一泊し、その翌日の18日はまる一日フリーとなったのですけど、そのような状況に置かれてお父さんのテンションが上がらないワケはないのだ。 田舎者が、平日の東京をどのように廻ったのか?今回はその様子を追跡していくのだ。たぶん気が済むまで観光しまくったと思うのですけど、お父さんそちらの様子はどうですかワン?



はい、白黒茶々です。
私は、ホテルの近くにある増上寺の前に来ております。 日の出が始まる頃からの朝散歩で、まずはこちらのお寺を散策したいと思います。道路の反対側まで渡らないとフレームに納まらないほど大きくて立派なこちらの建物は、三解脱門(さんげだつもん)といいます。元和8年(1622年)に建立された朱色の二重門で、戦災からも焼け残り、国の重要文化財に指定されています。 その門をくぐっていくと………



真正面に大殿(本堂)がでで~んと構えられています。 ちなみに、こちらは昭和49年(1974年)の再建。素材はたぶん、鉄筋コンクリートにございます。
増上寺は、東京都港区芝にある浄土宗のお寺です。弘法大師こと空海の弟子だった宗叡が、武蔵国貝塚(現在の千代田区麹町)に創建した光明寺が前身とされています。明徳4年(1393年)に聖聡が浄土宗に改宗。その後お寺は移転を繰り返し、徳川家康による江戸の町造りが始まった16世紀末に現在地に落ち着きました。



大殿の後方には、徳川家の廟所があります。増上寺は徳川家の菩提寺ということもあって、将軍家の霊廟や墓所が現在の東京タワーザ・プリンスパークタワー東京、芝公園のあたりまで広がっていたのですけど、戦災によってそのほとんどが焼失してしまいました。 戦後になってから、それらはこの場所に集められたのでした。



それから、かつて増上寺の敷地だった芝公園内には、芝東照宮もあります。 こちらの東照宮は徳川家康が亡くなった翌年の元和3年(1617年)に創建され、さらに寛永10年(1633年)に3代将軍家光によって大造営がおこなわれました。それらの建物は、やはり戦災によって焼失。昭和44年(1969年)になって、現在の社殿が再建されました。



あと、2代将軍秀忠の墓所だった台徳院霊廟の惣門が、芝公園の東側に曳屋で移されています。こちらの建物は寛永9年(1632年)に建立され、戦災からはまぬがれ、現在は国の重要文化財に指定されています。



増上寺に関しては、以上です。そのあと、私はホテルで朝食をいただき、身支度をしてから地下鉄の東京メトロ南北線に乗り込みました。 東京の地下鉄は、都内の至るところまで張り巡らされていて、ひっきりなしに列車がやって来るので便利ですね。ただし、ホームに至るまでの道が長いうえに3D的に入り組んでいて、その移動には列車に乗っている以上に時間と体力を要してしまいます。 とかなんとか言っているうちに、私は永田町駅に到着。永田町にあるものといえば………



やはり、国会議事堂ですよ 私は以前からこちらの建物の内部を観てみたいと思っていたのですよ。国会議事堂は、いうまでもなくこの国の政治がおこなわれる場所であります。ほら、日本国憲法第44条にも「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」と、規定されているでしょ。
それだけではなく、その建物は大正9年(1920年)に着工され、材料はすべて国産のものを使い、当時の建築技術の粋を集めて建設され、約17年もの年月をかけて昭和11年(1936年)にようやく竣工しました。歴史のある建築物で、なかなか近寄りがたいところでもあるのですけど、議会で使用していないときは、1時間おきに見学ツアーがおこなわれているのですよ。 しかも、無料で。ということで、さっそく見学の受け付けをしてきます。



しかし、その日はいくつかの小学校が社会見学に来ていることもあって「説明しながらのご案内はできないので、ただ歩いて回るだけとなってしまうのですけど、よろしいでしょうか?」ということになりました。もちろん、見させてさえもらえれば、それくらい構いませんよ。
受け付けと手荷物検査が終わったあとには、参議院の裏側にあるこちらの広間に通されました。 こちらには、議員バッジや天皇陛下の御椅子、議事堂の模型といった展示物の他にも………



議席のレプリカもあるのですよ 議員札の名前は「参議院太郎」となっているのですけど、これに座って採決ボタンを押せば、国会議員の気分を味わうことができます。
とかなんとかやっているうちに見学の時間となりました。それとともに、小学生の列がぞろぞろと動き出したのですけど、私はどのタイミングで入っていったらいいのでしょうか? その説明や案内はなかったですし。迷った末に、学校と学校の間に割り込んで、その流れに付いていくことにしました。



ここから先は撮影禁止となっているので、参議院のHPから主な画像を転用させていただきます。 まずは3階までいっきに階段を上り、そのフロアにある傍聴席から参議院議場を眺めました。3階まで吹き抜けた空間はかなり広く、彫刻が施された木目の壁などが豪華さを引き立ていました。 しかし、ベルトコンベアー式の見学だったので、立ち止まらることなく次に行かなければなりません。そんな感じで、赤い絨毯が続く廊下を歩いていったら………



広いのに加えて、壁は「時鳥」、床は大理石のモザイク、ステンドグラスの天窓のがはめ込まれた天井などがあって、また違った意味で豪華な御休所前広間に出ました。 その後方には………



天皇陛下の御休所があるのですよ 格天井からはシャンデリアがぶら下がっていて、本漆塗りの檜の部材、細やかな彫刻や壁画……… ずっと見ていても飽きないのですけど、やはり流れ作業で一瞬しか拝見できませんでした。



そのまま一行は、通路を歩きながら中央広間を眺めていきました。 こちらは中央塔の天井まで吹き抜けた広い空間で、さらにそこからは中央階段が続いています。広間の四隅には伊藤博文、大隈重信、板垣退助、空席の台座……… って、これはいったい……… 4人目を誰にするのか決められなかったとも、「政治に完成はなく、未完の象徴にする」とも云われています。



見学の列は、その脇の通路から前庭に出ていきました。ようやく撮影が解禁となったので、ここで一枚。 こうして見ると、けっこう重厚感がありますね。



そして、見学ツアーは議事堂の真っ正面の撮影スポットで記念撮影をして、終了となりました。 ちなみにここまでの所要時間は40分。そういえば、たつぴも小学校の修学旅行でこちらを見学し、全体写真を撮ったと言っていました。
国会議事堂は、「白亜の殿堂」と呼ぶにふさわしい、すばらしい建物でした。そうしたら代議士の皆さんは、文化的にも歴史的にも価値のあるこの建物に恥じない政治をしてくださいませ。
議事堂の見学を終えた私は、さらに地下鉄に乗っていきました。 永田町から1駅先の、四ッ谷駅で降りて向かった先は………



迎賓館赤坂離宮(赤坂迎賓館)であります。正門の門扉からして立派ですね。 こちらの施設はこの日まで特別公開がおこなわれていて、その日は入口前で、建物内部と主庭の見学に必要な整理券が配られていました。先着3000人だったのですけど、私はなんとか滑り込むことができました。



それでも、こちらの前庭は整理券や時間制限なしで見ることができましたよ。 ただし、見学するには手荷物や身体の検査を通らなければなりませんでした。それだけではなく、飲み物を持っていたら、その場で一口飲んで見せることにもなっていました。これは、毒見みたいなものでしょうか?



それらの禊(みそぎ)が済んだら、こちらの施設を思う存分ご堪能くださいませ 赤坂迎賓館は、明治42年(1909年)に東宮御所として建設されました。のちに赤坂離宮となったこの建物は、鉄骨補強煉瓦造りで、地上2階地下1階。建築家の片山東熊の総指揮のもと、当時の一流建築家や美術工芸家が総力を挙げて建設した、日本で唯一のネオ・バロック様式の西洋風宮殿建築であります。



昭和天皇や今上天皇がお住まいになった時期もあったのですけど、東宮御所としてはあまり使用されず、戦後「旧赤坂離宮」は紆余曲折の末に、国の迎賓施設として改修されることになりました。そして昭和49年(1974年)にその工事は完了。さらに平成に入ってからも手を加えられ、平成21年(2009年)から迎賓館としての運用が再開されました。



こちらの建物は、西洋にあるものをそのまま真似して建てたように思われがちなのですけど、よく見ると屋根の上などに鎧武者のような装飾が乗っかっていたりします。 前庭からのレポートは、以上です。現在の時刻は11時13分。私が手にした整理券の見学時間は15時からとなっているのですけど、編集の都合と待ちきれない方のためにも、その時間にワープさせていただきます。



ということで、今度は西門から敷地内に進入し、またしても手荷物と身体検査、それに飲み物を一口グビッとやって、見学コースに入りました。 あ、よろしかったら重い荷物等は無料のロッカーにお入れくださいませ。



迎賓館の内部はやはり撮影禁止なので、ここから先はパンフレットの写真を使わせていただきます。 まず私たち見学者は、天井や壁が真っ白に塗られた廊下を歩いていき、こちらの彩鸞(さいらん)の間に通されました。ただでさえ広いのに、10枚の大きな鏡が壁にはめ込まれていることもあって、さらに奥行きを感じました。金箔が施された「鸞」という架空の鳥の浮彫りがあることから、この名となったそうです。



次は花鳥の間にございます。天井画や、壁に飾られた七宝に、花や鳥が描かれていることから、この名前となりました。 先ほどの彩鸞の間とはうって変わって、木目調の壁が印象的ですね。



こちらもまた、豪華ですね。天井に「朝日を背にして女神が香車を走らせている姿」が大々的に描かれていることから、朝日の間といいます。 洋風色が強いようですけど、壁には京都西陣の金華山職の美術織物が張られ、上部からはなぜか鎧武者にはさまれたライオンがこちらを睨んでおります。



最後は、羽衣の間です。この名は、天井に描かれた羽衣をモチーフにした大絵画に由来しています。天井にぶらさがっているシャンデリアは館内では最も豪華で、重さは約800kgと、軽自動車ぐらいあります。 また、中2階にオーケストラ・ボックスがあることから、かつて舞踏会の会場として造られたことがわかります。
こちらの内部見学は、自分のペースで進んでいくことができるので、そのきらびやかな造形美をしっかりと目の裏に焼き付けることができました。



屋外に出れば、写真を撮りまくってもいいのですよ ということで、こちらは前庭からは建物をはさんで反対側にある、主庭にございます。こちらからは迎賓館の雰囲気も何となく変わり………



さらに庭の中央には、こちらもまた大きくて豪華な噴水があります。



水を吐いている鳥獣は、麒麟でしょうか?赤坂迎賓館の本館や正門、それとこちらの主庭の噴水は文化的価値が高く、それらはすべて国宝に指定されています。
迎賓館は、今回までは見学する機会は限られていたのですけど、ここでいいお知らせがあります。そこを管理している内閣府によると、国外からのお客を迎るのに支障のない範囲で、今年の4月からより充実した公開が実施できるように、準備を進めていくとのことです。 その公開情報については詳細が決まり次第、内閣府のHPに載せられることになっています。

赤坂迎賓館(前半)を見学した私は、またしても地下鉄に乗り込み、今度は日本だけではなく世界的にも有名なワンコにまつわる場所となる大学に向かいました。 そのあるワンコとは、どの子のことをいっているのでしょうか?それにその大学はどこのことをいっているのでしょうか?さらに涙のワケは? それらに関しては、たぶんタイトルの段階でわかると思うのですけど、次回じっくりと語らせていただきます。


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箔12歳の誕生日

2016-02-24 00:15:57 | ワンコ
こんばんは、白黒茶々です。
2月18日はの誕生日で、彼はその日12歳となりました。 ワンコのその年齢は、ヒトの64歳に相当するので、もう「御老公」と呼んでも差し支えないでしょう。 そう思うと、元気いっぱいな旅の老人の水戸黄門には、今まで以上に親しみを感じてしまいます。身分を伏せて市井の人が抱えている問題に介入し、悪代官をボコボコにして、最終的には印籠という小道具を使い、国家権力を誇示して善人も悪人も引っくるめてねじ伏せる………
なんか、話が脱線してしまいましたけど、今回は箔の誕生日ということで、当日のお祝いの様子に加えて、そこに至るまでの経緯も改めてお伝えします。

今から12年前の2月18日に、箔は福島県のブリーダーのもとで生まれた、6きょうだいのうちの1頭でした。 ちなみにその際につけられた登録名は、キノ・オブ・カシコウゲンハウス その後、彼は長野県の諏訪湖のほうのペットショップの店頭に並べられたのですけど、なかなか引き取ってくれる人がいませんでした。生後4ヶ月になり、かなり値下げされた頃になって、不憫に思ったKさんが購入することに。そして、そのとき白い長毛が銀箔の輝きのようだったことから「箔」と名付けられました。



しかし、諸々の事情からKさんはやむ無く箔を手離すこととなり、そのとき彼の里親になることを希望していた私のもとにやって来ました。 それは、彼が1歳3ヶ月の頃のことでした。ちなみにこれはウチに来た直後の姿で、かなり毛並みが乱れて汚れているのですけど、飼育環境が劣悪だったりとかいうことは決してありません。 Kさんが、引き渡し直前に予約してあったトリマーさんからドタキャンを喰らい、最も汚れた状態となっていたのです。
あれから10年以上の時を経て………



12歳のこの日を迎えることができました。



そんな箔に、ささやかではあるのですけどワンコ用の「かぼちゃと豆乳のショートケーキ」を用意しましたよ。 こちらのケーキはペットショップで買ってきたのですけど、説明には「ワンちゃんとも一緒に食べられます」とありました。「ワンコ専用」の縛りはなくて、甘さは控え目ながらも人間も美味しく食べることができるみたいですね。



とはいっても、このケーキは小さくて箔の分け前が少なくなってはいけないので、私がおつまみしたりしないで、まるまる差し上げますよ。 そうしたら、彼はすっかりテンションが上がり、歓喜のブンブンをし始めしました。



それでも、すぐにあげてしまったら誕生日のネタがもたない……… いやいや、食べる前にケーキの匂いや造形をご堪能くださいませ
おおっと、そういえば誕生日のあの歌を危うく忘れるところでした。 そうしたら、パソコンやスマホなどの前の皆さんもご一緒にご唱和くださいませ
♪はっぴば~すでぃ、つぅ~ゆ~………
もうそろそろいいでしょう、助さん格さん……… じゃなくて、とにかく「よし」です。



その直後、箔は勢いよくケーキに喰らい付きました。 それにしても、撮り直しがきかないほどの速さで喰う 喰う 喰う おかげでケーキは一瞬で彼の胃袋の中に消えていってしまいました。



親しくさせてもらったスピのお仲間が相次いで亡くなったこともあって、最近は特に命ついて考えさせられるようになりました。また、油断してはいけないのですけど、箔がこの歳になっても元気で、いつも美味しそうにご飯を食べてくれることに感謝しています。これからも、できるだけ長く彼や波と一緒にいられることを願っています。


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今年初のドッグランで走れ!蹴れ!飛べ!

2016-02-20 00:35:34 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
いわたゆきまつりでは、雪国から運び込まれた100トンの雪で、疲れるまで思いっきり戯れなさい ………というワケにはいかず、箔と波にとっては消化不良な結果となってしまったので、私は彼らを浜松市内にあるドッグランに連れていってあげることにしました。 その地域には、犬の森POMさんハマ&ワンさん奥山高原さんといった有料だけど施設が充実しているというところもあるのですけど、今回私たちが向かった先は………



新東名高速道路にある、ネオパーサ浜松こと浜松サービスエリア(上り線側)でした。こちらには、ぷらっとパークという外から来た客用の駐車場が設けられていて、そこからサービスエリアの敷地内に入ることができるのですよ。



すると、楽器の街浜松ということで、ピアノをイメージした建物が見えてきました。 さらにその片隅には………



今回の目的地となる、無料のドッグランがあるのですよ。 私たちがこちらに来るのは、………あれっ、いつ以来でしたっけ?箔波日記内で探してみたのですけど、なぜか見つかりませんでした。 たぶん、波にとっては初めてではないと思うのですけど、とにかく今回は久しぶりの訪問となります。こちらでは毎回、旅のワンコと触れ合うことを期待しているのですけど、たいていそこにいるのは地元のワンコだったりするのですよ。 いずれにしても、スピマジックなどがあれば嬉しいですね。そのようなことを想いながら、私は箔や波とともに柵内に入っていきました。



そのドッグランは、以前訪れたときにあったアジリティーのスロープなどが撤去されていて、広いとはいえないものの思いっきり走り回れるようになっていました。 さあ箔波ちゃん、思う存分走ってきてくださいませ。………と言って、リードを外したのですけど………



はお手紙の解読(ニオイをくんくん)と返信(マーキング)に夢中になっていて………



のほうもあまり勢いはなく、私が走ればつられて付いてくる程度でした。 もっとこう……… カメラが追い付かないほどの速さで走り回ったりとか、飛行犬となって離陸するとかしてもらいたかったのですけど。 普段、もっと狭い家の箔波庭ではそれぐらいのことをやっているのに。彼女はこちらでも、猫をかぶっていいコちゃんになってしまいました。そんな彼らのもとに………



こ、これはもしかして、kimmyさん家のベル君メラン君ルネス君の3ワンでしょうか? 長野から遠路はるばるいらっしゃるなんて……… ではなくて、たまたま居合わせた黒ポメ君(ちゃん?)と箔波ちゃんの組み合わせでした。 その後もワンコの出入りがあって………



そのような中でなんと、お隣の家のワンコ(左から2頭目の黒い子)も来たではありませんか 近くても、散歩の時間帯が違ったりしてなかなか顔を見ることがないのに、まさかこのようなところで行き逢うなんて。先ほど私は「たいていそこにいるのは地元のワンコだったり………」のようなことを言っていたのですけど、予想以上に近かったです。



それからしばらくして、スタミナのない波が「疲れたなの」とでも言わんばかりに、ドッグランのど真ん中で突っ伏してしまいました。 これこれ、そのようなところにいたら、元気いっぱいのワンコに踏まれたり蹴られたりぶつかられたりしますよ。とはいっても、そろそろ日が陰って寒くなってきたので、帰ることにしましょう。

ドッグランで箔と波は運動できたかどうかは疑問なのですけど、彼らは帰りの車内では静かだったのでストレスを発散することはできたと思います。今度は今年初のスピ仲間と逢えるといいですね。



話は変わって、私たちが浜松サービスエリアを訪れた翌週の2月13日には、新東名高速道路の浜松引佐ジャンクション(JCT)~豊田東JCT間が開通し、静岡県東部から愛知県東部までの約200キロがつながりました。 それと同時に、長篠の戦い関連の史跡に直通できる長篠設楽原パーキングや、地元グルメやドッグランを備えた岡崎サービスエリアもオープンしました。しばらくは混雑が続きそうですけど、落ち着いた頃に私はそれらを訪れてみようと思っています。


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いわたゆきまつりで予想外の展開に

2016-02-17 00:36:41 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
今年の冬は暖冬で雪不足といわれていたのですけど、先月は白黒茶々地方でも一瞬だけ雪が積もりました。 これで収支が取れたのか?と思いきや、例年と比べたらまだまだ足りないみたいで。 そのような状況の中で、今月初旬の日曜日に静岡県の磐田市のほうで、今年も雪まつりがおこなわれることになりました。



私は箔や波とともに、昨年も行ったこのイベント。今回も岐阜県の豪雪地域から、100トンもの雪を運び込んでおこなうそうです。 それだけではなく、磐田市のご当地キャラのしっぺいが前面に出されているということは、彼の出番があるのはもちろんのこと、触れ合うこともできるのでは いろんな意味で、楽しみですね。



そして「いわたゆきまつり」の当日となりました。その日は朝から晴れていて、絶好の雪遊び日和となりました。 昨年、私たちがその会場に午後から行ったら、雪がかなり溶けて地面がぐちゃぐちゃドロドロとなっていたので、今回は午前9時の開会式直後にはそちらに到着できるようにしました。 やっぱり箔と波にも雪の感触を味わってもらいたいですし、早い時間帯なら、あまり混んでいなくてまわりに憚(はばか)ることなく遊べるのでは。
とかなんとかいっているうちに、その会場となる磐田市の今之浦市有地にたどり着きましたよ。 まわりには雪まつりののぼりが並んでいて………



今回も立派な(?)入場門が構えられていました。 この時点で続々と人の波が流れてきていました。そうしたら、私たちも会場入りをしましょう
………とそこで、スタッフの1人に呼び止められました。何かご用でしょうか?
「動物を連れてのご入場は、ご遠慮ください」
「えっ、そうなんですか 」昨年は普通に入れて、今回も案内のどこにも「ペット禁止」なんて書いてなかったじゃないですか。 しかし、そう言われたら仕方ありません。



とはいっても、そのまま帰るのはナンなので、箔波ちゃんと一緒に会場の外をまわって、その様子をうかがってみることにしました。 よく見てみたら、その柵内は子供を中心とした、たくさんの人で賑わっていました。その混み具合は、昨年の比ではありませんよ。このような状況の中では、確かにワンコ連れは厳しいですね。



そのあと私たちは柵の外から、特設ステージでおこなわれていた地元の高校による吹奏楽の演奏やダンスを観ていました。 しかし、せっかくここまで来たので………

箔と波には車の中で待機してもらって、その間に私だけでも会場に潜り込んで、その様子を見てくることにしました。 入ってすぐのところの本部のテントに、このイベントに関してのアンケートがあったので、ここで私はスタッフに言っておきたいことを書いておきました。ワンコ同伴が禁止なのはやむを得ないとしても……… 「(そのことを)先に言ってくれないと困る 」と。そうしたら………



アンケートに応じたお礼として、風船を渡されてしまいました。 たとえ、その対象が大人だとしても。こうなったら、この風船を片手にして、会場内を廻るしかありませんね。



そこには、今回も広島焼きやオムそば、綿菓子などの露店が並んでいました。それらのお店からの焼き物の香ばしい匂いが、私を誘惑してきましたよ。



さらに、遠方から運び込んできた雪の丘を、ソリで楽しそうに滑り降りる子供の姿も。しかし、その麓の雪広場には………



白い部分がほとんど見えないほど、多くの子供たちで賑わっていました。これでも、いちおう入場制限をしているのですよ。 そういうこともあって、先ほどの雪山も含めて順番待ちの行列が、会場の外まで続いていました。



昨年は普通の雪だるまがあった撮影スポットには、今回はしっぺいの雪だるまこと、雪しっぺい?いや、しっぺいだるま?がありましたよ。嗚 呼、ここで箔や波と一緒に記念撮影をしたかったです。

とかなんとかやっているうちに、さらなるステージイベントの時間がやって来ました。 ちなみに今度の出し物は、「ちょっとおかしな『ももたろう』」とのこと。スタッフの方は「ひょっとしたら、しっぺいの出番があるかも知れないよ」と含みを持たせていましたけど、子供相手にそう言ってしまったら、出さないワケにはいかないでしょう。 それから「ちょっとおかしな」と謳っているからには、ちょっとしたひねりもあるに違いない

最近はCMで、桃太郎がかぐや姫と結婚したり、鬼ヶ島の鬼が子だくさんだったり、玉手箱を開けたあとの浦島太郎が終活を勧められたり、………と、昔話界は何でもアリとなっているので、楽しみですね。 「ももたろう」というからには、例えばしっぺいが猿役で登場して、「犬役ではないのか 」という突っ込みをもらったり、鬼役で出てきて、桃太郎が本気でやっつけられないという展開になったり、………と。とかなんとか妄想しているうちに、本編が始まりました。



昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでおりました。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に……… 拾った桃から桃太郎が生まれ、鬼退治に行くまでのくだりは、昔話のままでした。 それから、きびだんごにつられたサルとキジを仲間に入れるところも、まったく一緒です。 さらに、そこに現れた犬が………



皆様の予想通り、しっぺいでした。 彼の加入によって戦闘体制が整った桃太郎一行は、いざ鬼ヶ島へ。 そこにいる鬼とは、なぜかダンスで対決することに。



そこで、しっぺいたちは「♪ぺぺぺい、ぺぺぺい、うれしっぺい、ぺぺぺいぺぺぺいたのしっぺい………」で始まる「しっぺいダンス」で鬼たちを撃退するという、かなり強引な展開となりました。



そして、鬼たちから奪還した宝箱を開けたら………
白いけむりがもくもくと上がり、たちまち白髪のおじいさんに……… というオチを、私は予想していたのですけど、その箱の中身は山ほどのお菓子でした。 「こうなったら、このお菓子をみんなにまいてあげましょう」ということで、主にステージの前の子供を対象にして、お菓子の乱舞が始まりました。 この流れは結構よかったのですけど、舞台を終えたしっぺいとその仲間(なんか、劇の途中から主役がしっぺいになっているような………)たちは、ほとんどグリーティングに応じることもなく、さっさと舞台裏に消えていってしまいました。

今回のイベントは雪だけではなく、しっぺいに近付くのも難しかったです。 やはりワンコを介してゆったりと交流したかったら、DOG!フェスタあたりがいいみたいです。ちなみに次回のDOG!フェスタは、4月10日に沼津市のほうで予定されています。
それよりも、これだけでは箔と波にとってはあまりにも気の毒なので、このあと彼らを今年初めてとなるドッグランに連れて行ってあげることにしました。浜松市内にはたくさんのドッグランがあるのですけど、果たして私たちはどこに向かうのか?それからそちらでは、どのような出逢いや触れ合いがあったのか?さらにその中には、スピマジックも含まれているのか?それらに関しては、次回の日記でゆっくりと伝えさせていただきます。


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第4回白ふわオフ会のお知らせ

2016-02-13 00:31:28 | ワンコイベントの類
こんばんは、白黒茶々です。
暖冬とはいってもそこそこ寒く、春の訪れが待ち遠しいですよね。 その春のイベントとなる、なつみかんさん主催の白ふわオフ会が来月に計画されているので、お知らせします。



日時は3月20日(日)の12時頃
集合場所は浜松市西区村櫛町にある浜名湖ガーデンパーク緑地広場
………大きな駐車場の東側で、芝生広場を隔てた公園寄りにあります。当日、そのあたりに白ふわの集まりが見えたら、お駆け寄りくださいませ。

全体の流れとして、12時に集合したあとは………
○昼食をとりながら、自己紹介と歓談
○1時半頃、園内をお散歩・記念写真
○3時半頃 自由解散

………といった感じでおこないたいです。

その際には、お弁当、名刺や写真などをお持ちくださいませ。



初めて開催したときは絶好のオフ会日よりのもとで、参加者の皆さんとワイワイやりながらガーデンパークを散策することができたのですけど、その翌年は博覧会の開催期間と重なって、その会場が使用不可に。 さらにその翌々年はあいにくの天気で、同市内の中区の佐鳴湖畔にあるドッグカフェ&ドッグランの、ハマ&ワンさんに場所を移しての開催となりました。



今回こそは、久しぶりにガーデンパークでやりたいのですけど、またしても雨のようでしたら、会場をハマ&ワンさんに変更させていただきます。もしそうなるようでしたら、当日の朝6時までにブログなどでお知らせいたします。



白くてふわふわしているワンコが大好きな飼い主さんとワンコ。それから 犬種が違っても、白ふわにまみれたい という方なら、どなたでも大歓迎です。
白ふわオフ会に参加ご希望の方は、なつみかんさんのブログ「ちくちくぱくぱくワンワンワン!」か、箔波日記のコメント欄、メールなどでお知らせくださいませ。もちろん、当日飛び入り参加でも、大歓迎ですよ



今年も、皆さんとお逢いするのを楽しみにしています。


ここからは、オマケとなります。
春といえば、球春到来の時季でもありますね。白ふわオフ会から5日後の3月25日には、プロ野球の公式戦が開幕します。 それだけでも楽しみなのですけど………



開幕から間もない4月1日には、なんと 静岡草薙球場で史上初となる北海道日本ハムファイターズの主催試合がおこなわれるというのですよ しかもその対戦相手は、昨年も含めて2年連続日本一となった、福岡ソフトバンクホークス ファイターズには、増井宏俊選手、浦野博司選手といった静岡県出身の選手がいることもあって、地元が熱く誘致した結果、この試合が実現しました。 静岡県内で、ファイターズのホームの試合が観られるなんて……… 夢のような話ですよ。 さらには、この対戦をきっかけとして、地元に新たな同士が生まれるかも知れませんし。これは、私も盛り立てたいですね。



しかし、その日は平日の金曜日で私は仕事があり、職場から直行しても、草薙球場にたどり着くのは20時ぐらいになってしまいます。 新幹線を使っても、30分ほどしか短縮できませんし。その時点で球場入りしても、試合は中盤あたりまで進んでしまっています。同じ県内とはいっても、私のいる湖西市は最西端で、静岡市は名古屋市に行くのと同じくらい遠いのですよ。
なのでこの試合は泣く泣くあきらめ、同一カード3戦目の、4月3日の日曜日に東京ドームでおこなわれるものを観に行くことにしました。 かなり遠くまで追いかけることになるのですけど、この日なら試合開始から終了までお付き合いできそうです。当日、ハム観戦を予定している方がいましたら、スタンドでご一緒するのを楽しみにしています。


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白黒茶々家に現れた鬼

2016-02-10 00:17:29 | 年間行事
こんばんは、白黒茶々です。
もうすでに節分のムードは過ぎ去り、気分は雛祭りに向かっている頃なのですけど、今回は白黒茶々家で今年おこなわれた節分の様子をお伝えします。 我が家は家族みんなしてモノ好きなので、このような楽しさと美味しさの要素を兼ね備えた年間行事は外せないのですよ。



………なんて言っていたら、大きなお菓子の袋を手にして、満面の笑みを浮かべる男性が出てきましたよ。 しかも、スーツ姿で。これはいったい……… 私のいる白すぴの地域には、節分の夜に子供が家々を廻ってお菓子をもらうという風習があります。それは小学校までなので、たつぴが対象外となってからかなり経ってしまいました。
その代わりといってはナンですけど、先日おこなわれた会社関係の新年会の抽選会で、私が景品のお菓子を手に入れたときの写真を載せてみました。しかし、我ながらこの写真を節分に結び付けるのには、ちょっとムリがあるような気が………



それはさておき、場面は節分の夜の白黒茶々家に移らせていただきます。お銀さんは、ストーブの前で気持ち良さそうにゆるゆるになっております。 それから、一部しか写っていないのですけど、お京ちゃんも一緒になってとろけていますよ。 そんな彼女たちの傍らでは………



お緑くんが「猫のひたいに鬼面貼り付けの刑」に遭わされていました。 枡入りの豆に付いてくる、こちらの猫対応サイズのお面。毎年デザインが変わっているのですけど、今回はNHK大河ドラマの「真田丸」にちなんだ、真田信繁(幸村)の六文銭の兜のデザインとなっております。



そうしたら、お晃々にも例外なく付き合ってもらいましょう 我が家の節分は、彼らにとっては初めてということもあって、ちょっと戸惑っている様子ですね。



もちろん、ワンコたちも鬼化してもらいましたよ。箔ちゃは慣れているのか諦めているのか、淡々と受け入れていました。



波ちゃにとっては2回目となるのですけど、そろそろ観念したでしょうか? それでも、ウチはまだ控えめなほうですよ。



その次には、恵方巻を頬張る親子の姿がありました。 今年の恵方は、南南東。恵方巻に願いを託して、どうか今年こそは、もごもごもご………



それから、恵方巻だけではさみしいということで、食卓にはスーパーやコンビニで勧められたそばが並びました。 あれ?食べられる前の恵方巻が一緒に写っているような。 ま、まあ、細かいことはあまり気にしないでください。 とにかく、それらを平らげたら………

ここからはちょっと危険が伴うので、ニャンズの皆様にはいったん他の部屋に避難してもらいます。 準備が整ったら………



いよいよ、我が家の平穏を乱す鬼の登場です 皆様、あたたかい拍手でお迎えください………



って、違いますよ! せめて気持ちだけでも私たちと一緒になって、この鬼に思いっ切り豆をぶつけてくださいませ。その際には、「おには~~~そと 」の掛け声もお忘れなく。 あ、それから鬼ちゃのほうは例えば「痛いオニ 」などのように、語尾に「~オニ」と付けてくれると、より鬼度が増して嬉しいです。
なんか、定番の掛け声に紛れて「貧乏神、出てけ~~~ 」という声も聞こえてきたような。 そうしているうちに、こちらの鬼2号は私たちの気迫に圧されて、退散していきました。



とはいっても、まだ安心してはいけません。 2号に引き続いて鬼3号が出てきたので。それにしても、この鬼はちょっと強気ですね。それだけではなく「ふくは~~~うち 」とか言って、豆を投げ返してきましたし。 それでも、なんとか彼女にもお引き取り願うことができました。
ちなみに鬼1号も出没したのですけど、こちらは現れる直前に写真を撮る人が消えたので、残念ながらその姿をお伝えすることはできません。



豆まきが済んだら、無病息災を願いつつ、歳の数だけ豆をお召し上がりくださいませ。 たつぴは16コ、私は○5コ……… 年々増えていくその量を見ると、つくづく歳を取ったことを実感します。 晃ちゃと緑ちゃも食べたがっていたのですけど、彼らはまだ0歳なので1コもあげられないということに。体の大きさは、ウチのニャンズの中では最大級だというのに。



ここで再び、箔ちゃと波ちゃに登場してもらいます。 さあ宝探しの気分で、床ち落ちている豆を食べていってくださいませ 誕生日が間近なのですけど、箔は11コで………



波は1コだけにしておきなさい。………って、ムリか。 それでも、彼らのおかげで床の豆はきれいに片付きました。 そんな彼らにも、福あれ



毎年終わったあとに気付くのですけど、そういえば今年もつい「おにわそと」にばかりに夢中になってしまい「ふくはうち」をほとんどやらなかったような気がします。 それに、外には1粒もまいていませんし。そんな我が家ですけど、どうか鬼や悪霊、それから貧乏神などには取り憑かれたりしませんように~


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藤吉郎の浜松滞在記

2016-02-06 00:50:04 | 人物伝
こんばんは、白黒茶々です。
前回からの続きで、私は箔や波と一緒に、曳馬城(引馬城、引間城)の跡にあるコンパクトサイズの東照宮に来ています。



その入口付近には、このような重みのある石碑が……… 「石だから、重いのは当然 」という突っ込みが入りそうですけど、ここでいう重みとは歴史とか霊魂のことです。



お田鶴の方が城主となって守った曳馬城は、徳川家康によって攻め落とされました。 しかし、そのお城は手狭ということもあって、家康は付近の丘陵や谷をたくみに利用し、曳馬城を取り込む形で新たなお城を築きました。 また、その頃は有力大名の間で地名変更ブームが起きていて、織田信長は井ノ口を岐阜と、羽柴(豊臣)秀吉は今浜を長浜と、それぞれ改めました。家康もそれに乗っかったのかどうかはわからないのですけど、「曳馬や引馬は、馬を引く(退却する)に繋がるから、縁起が悪い 」ということで、この地を「浜松」と呼ぶことにしました。それにともなって、築いたお城も浜松城となりました。



では改めまして、浜松城の一部となった曳馬城跡に鎮座する東照宮を、再度参拝します。 なんか、が狛犬のように並んでいますね。いや、これは狛犬というよりは、「ドラゴンボール」のフュージョン のポーズのほうが近いかも。



それはさておき、前回の日記の最後にも触れたのですけど、その東照宮の境内に最近、2つの銅像が設置されました。1つは、出陣前の血気盛んな若き徳川家康像。 以前にも出てきたこちらのリアルな家康を、そのまま銅像化させたような感じです。



なんか、お供ワンが追加されているようですけど、もう1つは………



お田鶴の方ならぬ、少年のようですね。果たして、その正体は……… って、案内板を見れば一目瞭然でしたね。 それよりも、我ながらかなり引っ張り過ぎのような。 それに、こちらもお散歩スタイルにさせられていますし。とにかく、彼の名前は豊臣秀吉であります。天文20年(1551年)の16歳の頃というので、まだ木下藤吉郎秀吉と名乗っていたあたりでしょうか。 その案内板によると………



武士になりたくて、生まれ故郷の尾張国愛知郡中村郷中中村(現在の愛知県名古屋市中村区)を飛び出した藤吉郎は、針の行商をしながら主君を探す旅に出ました。 やがて彼は、この地域の馬込川のほとりで、豪族の松下嘉兵衛と出会い、曳馬城の飯尾氏のもとに連れて行かれました。その酒宴の席で「何か芸を見せてみろ」ということになり、お得意の猿の物マネで栗を食べて見せました。 ちなみに彼は猿顔というだけではなく、生まれた年も申年だったそうです。藤吉郎の出し物は大ウケし、彼はこのことがきっかけとなって、松下嘉兵衛に召し抱えられることになりました。このようにして、初めての仕官先が見付かったのです。せっかくなので、彼の勤務地となった頭陀寺城こと、松下氏の屋敷跡やその近辺のほうも廻ってみます。



今ではすっかり浜松市の住宅街に取り込まれている、南区の頭陀寺町。戦前まで三重塔などの大伽藍を有していた頭陀寺は、この地域にあります。



そこからほど近いところにある頭陀寺第一公園のあたりに、松下屋敷があったそうです。



今では付近の住人の憩いの場となっているこちらの公園には………



「松下嘉兵衛屋敷跡」の石碑がありましたよ。 最近の発掘調査でより確定されたのですけど、かつてその屋敷は堀や土塁で囲まれていたそうです。藤吉郎は、天文22年(1553年)3月から永禄元年(1558年)4月までの5年間、松下氏の下僕として奉公しました。 さらに、こちらでの藤吉郎の働きぶりを表している痕跡がこの近くにあるので、そちらのほうも行ってみます。箔波ちゃんも、もう少しお付き合いくださいませ。
松下屋敷から東北の方向、国道150号線をまたぎつつ、200mほど歩いていったところに………



こじんまりとした佇まいの、天白神社があります。 こちらの神社は、松下氏の護り神として祀られたそうで、その片隅には………



「豊臣秀吉鎌研ぎ池」なるものがありました。 底がコンクリートで固められているのですけど、水は干上がっているようですね。若き日の藤吉郎は、馬のエサ用の草を刈るために鎌を研ぎ、この池の端に生えている葦で試し切りをしました。切れ味はカンペキだったのですけど、以後そこに生える葦は片葉となり、「遠州七不思議」の一つとして残されています。
それだけではなく、藤吉郎は松葉で手裏剣の練習もしていたというのですよ。何ゆえに? その松葉手裏剣は、メダカの目を直撃 藤吉郎、何てことをするんだ それ以降、池には片目のメダカが見られるようになったそうです。

松下屋敷での下積み時代を経てから、藤吉郎は三河の矢作橋で蜂須賀小六(正勝)と出逢い(※諸説あり)、彼を介して織田信長のもとで再就職することになります。そこから彼の出世双六(すごろく)が加速していくのですけど、今回はここまでで終わらせていただきます。



………ということで、再び曳馬城跡の2体の銅像のところに戻ります。これから戦に向かおうとする勇ましい姿の徳川家康に対して、猿のマネをしながら栗を食べる少年の木下藤吉郎。 それらが並んでいると、ちぐはぐなようにも見えるのですけど、これには深い意味があるのですよ。 家康は曳馬城を拠点にしてから浜松城を築き、それから幾多の戦や試練を経て、有力大名へと成長していきました。
一方の木下藤吉郎は、曳馬城に招かれたことがきっかけで、武士への道に進んでいき、果ては天下人の豊臣秀吉となりました。

二人の出世の起点となった曳馬城跡は、出世のパワースポットとして注目されるようになり、さらにはそこに建つ東照宮にも出世のご利益があるとして、信仰されるようになりました。 その出世のシンボルとして、家康と藤吉郎の銅像が設置されたのでした。出世できるかどうかは本人次第ですけど、彼らにあやかったり、銅像と愛犬とのお散歩写真を撮ったりしたい方は、曳馬城跡の東照宮にお越しくださいませ。


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もう一人の女城主・お田鶴の方

2016-02-03 00:33:10 | 人物伝
こんばんは、白黒茶々です。
「女城主」と呼ばれるお姫様の話は、全国各地にありますよね。 岐阜県の岩村が有名ですけど、来年のNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」の主人公こと井伊直虎(次郎法師)も、浜名湖の北部にある井伊谷城の城主となったことがあります。その浜松市にはもう一人、女城主となった女性がいるのですよ。 本人には失礼ですけど、かなりローカルなその人物の名前は……… お田鶴(たづ)の方といいます。今回、私は箔と波を引き連れて、彼女の痕跡を歩きながら、その生涯をたどっていこうと思います。



浜松城の東北方面、無料駐車場からは国道152号線を隔てた東側には、森の茂みに覆われた小丘が見えています。



そこにずいずいと迫っていくと、現在その場所には………



きらびやかな彩飾や彫刻で飾られ、まる1日眺めていても飽きることのない陽明門。



最近修理を終えたばかりで、金箔の輝きがまばゆい権現作りの拝殿や本殿。



それに、見ざる言わざる聞かざるの「三猿」の彫刻で有名な神厩舎。



………などの建築物を有する日光東照宮とは違う、こじんまりとした東照宮が構えられているのですよ。 ちなみにこのあたりは曳馬(引馬、引間)城の跡で、東照宮は明治時代に建立されたのですけど、第二次世界対戦中の空襲によって焼失。現在の社殿は、昭和30年代にコンクリート製で建てられたものであります。



曳馬城は16世紀初期に、今川氏によって築かれました。さらに永正11年(1514年)からは、飯尾氏が城主となります。浜松まつりの縁起にも出てくる飯尾豊前守連竜は、長男義広の誕生を祝って、その名を記した凧を城中高く揚げたと云われています。そんな彼の妻が、お田鶴の方なのですよ

お田鶴の方(以下、お田鶴とさせていただきます)は鵜殿長持の娘で、徳川家康の正室の築山御前とは母同士が義理の姉妹であり、幼名は築山殿が鶴姫であるのに対して、亀姫といったそうです。それだけではなく、青年期を同じ駿府で過ごした家康とも面識があるのに加えて、彼の初恋の相手だったという説もあるのですよ。 別々の道を歩むことになった二人。お田鶴はその後、今川氏の臣下の飯尾連竜に嫁ぐことに。

しかし、連竜は今川氏真に謀反の疑いをかけられ、永禄8年(1565年)に駿府に誘い込まれて殺害されてしまいます。 彼の嫡男の義広はまだ幼少だったので、母親のお田鶴の方が彼に代わって曳馬城の城主となりました。



このあたりで一旦こちらから離れて、次の目的地に向かわせていただきます。 曳馬城から程近いところには、玄黙口(元目口)なるものの案内が立っています。 このあたりにかつては浜松城の搦手門(裏門)がありました。元亀3年(1572年)の三方原の戦いで武田信玄軍に大敗した徳川家康は、逃げ帰った際にこちらから城内に入ったと云われています。 その案内に沿って、次のチェックポイントに向かいますよ ちなみに、私たちが目指しているのは……… そこにも記されているのですけど、椿姫観音というところであります。

今から15年以上も前のことになるのですけど「家康の散歩道」なる、浜松市内に点在する徳川家康にゆかりのある歴史ポイントを廻り歩くコースが整えられました。 ちなみに距離は、10kmほどです。そのことを記念しておこなわれたウォークイベントに、私は参加したことがあるのですよ。 その中に椿姫観音も含まれていたので、私にとってその観音様は、その時以来ということになります。それにしても………
あ、あれっ 確かこのあたりにあったと思うのですけど、なかなかそれっぽいお堂が見えてきませんね。それでも、ご心配には及びません。手元にあるスマホで検索すれば、しっかりと導いてくれるので。 「つばきひめ………」ポン(検索 )ところが、このようなときに限ってスマホは要領を得なくて、椿姫観音の場所をなかなか教えてくれませんでした。 それだけではなく、そのバッテリーのほうも果てそうですし。 そこにたどり着けなかったら、お田鶴の物語を続けられないというのに………



そのような調子で、箔と波を道連れにして小一時間歩き回ったのですけど、椿姫観音の「つ」の字も見付かりませんでした。 こうなったらやむを得ない ちょっと遠回りになるのですけど、かつて「家康の散歩道」のスタート地点だった「徳川秀忠公誕生の井戸」なるところに行けば、案内看板などの手がかりがあるかも知れません。



………ということで、やって来ましたよ 秀忠誕生井戸に。秀忠は徳川幕府の二代将軍で、浜松城下のこのあたりにあった屋敷で生まれました。ちなみに、彼の母親は西郷局(お愛の方)。誕生井戸は遠鉄の遠州病院前駅の片隅にあり、秀忠の産湯の水を汲んだとされる井戸のモニュメントなどがあります。
それから、私が推測した通り、そこにはわかりやすい案内看板がありましたよ 私たちの本来の目的地は、ちょっと北に外れた元魚町にあるみたいですね。 そこを目指して歩いていったら………



あ、ありましたよ 椿姫観音のお堂が。 街角にポツンとたたずむ小さなお堂。こちらにたどり着いたということで、お田鶴の方が曳馬城の城主となったところから話を続けさせていただきます。



永禄11年(1568年)、三河からこの地に進出してきた徳川家康はお田鶴に、城を明け渡せば、彼女や家来の身を厚遇すると持ちかけました。ところが、お田鶴は拒否したので、やむ無く家康は曳馬城を攻めることに。 築山殿も含めて、相手のことをよく知っているだけに、敵味方に別れて戦うのは、どのような心境だったのでしょうか?

お田鶴は侍女18人とともに戦ったものの、家康軍に対しては多勢に無勢。全員戦死してしまいました。 彼女は生年不詳なのですけど、築山殿と同世代だとしたら、20代中頃でその生涯を終えたことになります。
家康は彼女らの遺骸を町の外れに埋葬し、そこに塚を築きました。築山殿もその死を悼み、その塚に100本あまりの椿を植え、供養しました。塚にはやがて一面に赤い椿の花が咲いたことから、「椿姫塚」と呼ばれるようになりました。



後の世になって、椿の咲く塚があったあたりに椿姫を祀る椿姫観音堂が建てられました。 昭和19年(1944年)に建立されたものの、翌年の空襲によって焼失。現在の建物は、地元の有志たちによって昭和27年(1952年)に再建されたものです。ちょっと控えめサイズで、街中にひっそりと佇んでいます。



そこのご神体となる椿姫観音は、このようなお姿をしているみたいですね。なんか優しい表情をしていて、お田鶴の人柄を表しているように思えます。



それから、最近お田鶴の生きざまを描いた寸劇が公開され、お堂の中にはその時の記念写真も飾られていました。 出世大名家康くんと一緒というのが、なんとも言えませんね。 そうしたら今度は、彼女がどのような姿をしていたのか、気になりますよね。 しかし、肖像画の類いは残っていないのですよ。そこで、現代風に甦らせたのが………



こちらになります ………って、これはちょっとやり過ぎでは。 何ゆえにヘソ出し?確かに、「戦うお姫様」ではあるのですけど。そうしたら、やっぱり………



緋縅の鎧に白柄のなぎがた、丈なす黒髪に純白の鉢巻きのこの姿のお田鶴のほうを、私は応援したいです。 ちなみにこちらのイメージ作品も、同お堂内にあるどう



納得いくまで椿姫観音を参拝した私たちは、再び曳馬城跡の東照宮へ。 その周辺は入りくんでいて、お城の土塁やお堀の面影が残っているようです。その境内に最近、新たに銅像が設置されたというのですよ。 しかも、2体も もちろんこの機会に取材に行って、皆様にもお披露目しますよ。



まず1体目は、出陣前の血気盛んな若い頃の徳川家康です。こちらは昨秋に私が見に行った、リアル家康像を、そのまま銅像化させたみたいですね。 ちなみにこちらの像は、静岡文化芸術大学の磯田道史教授が監修されたとのことです。さらにもう1体のほうは………



こちらは、少年の像ですね。………って、お田鶴の方ではないのですか せっかく彼女のことで盛り上がったところなのに、空気読……… なんて言ったら、製作者たちに失礼ですよね。 これには、ある意図があってこの地にこの2体が置かれたのです。その謂れと、少年像の正体については、次回触れさせていただきます。


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