波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

ボートレーサーへの道

2017-05-31 01:16:03 | その他

こんばんは、箔ですワン。
5月5日のこどもの日に、おれっちは家でボートレースの出走表を眺めていたのだ。



このレースは、6ー3ー4がくると思うのだ。………って、これって日記のネタになるのですか 期せずして、かなり久しぶりに「競艇箔ちゃ」の姿を見せてしまったのですけど、とにかく今回は競艇にまつわる話みたいなのだ。


こんばんは、白黒茶々です。
今回は私事ながら、私の身内の話をさせていただきます。 私には姉が1人いて、彼女の息子……… つまり私の甥っ子となるT君は、親の影響などから小さい頃からレーシングカートに興じていました。 ちなみに彼はたつぴにとっては、従兄弟にあたります。



一見おもちゃのようですけど、時速100kmも出て、さらに地面すれすれを走るということもあって、その体感速度はその倍にもなるそうです。



T君は経験を重ねていくうちに頭角を現していき、高校2年生のときには東海地区の大会で優勝しました。 それによって台湾でおこなわれるレースに招待され………



「高校生レーサー」ということで、NHKの地方局のほうで取材を受けたりしました。 彼がテレビに出るというので、親兄弟はもちろんのこと、私も含めた親戚一同は大騒ぎ カート仲間や友人知人、彼の通っていたコナン高校の生徒たちも、その日はテレビに釘付けになっていたことでしょう。その中で、レポーターのお姉さんは「将来の夢は、やはりレーシングドライバーでしょうか?」という質問をT君にしてきました。それに対して彼は「将来はボートレーサーになりたい」と言っていました。 ボートレーサーとは競艇選手のことで、彼の自宅は箔波日記にもしばしば出てきたボートレース浜名湖(浜名湖競艇場)の近くにあるということもあって、身近に感じていたようです。それだけではなく、彼の祖父の石原純夫氏(故人)も、かつてはボートレーサーだったのです。 しかもその純夫氏は、桐生競艇場で赤城雷神杯の初代覇者となった、伝説の選手でもあるのですよ。それらに加えて、T君は競艇選手を主人公にした人気漫画「モンキーターン」を愛読書としていて、将来目指すべき道を決めたみたいです。



ボートレーサー(以下、競艇選手)になるには、まずは半年に1度おこなわれている競艇試験を受けなければなりません。 その1次試験には全国で1500人ほどが受験し、200人しか通らないという狭き門なのですよ。T君は中学生の頃から挑戦していたのですけど、なかなかいい知らせをもらうことはできませんでした。
そして、高校3年の春に7回目となる試験を受けたら、見事に合格することができました。T君、おめでとう しかし、ここでまだ気を抜いてはいけません。 1次試験をクリアしたら、2次試験が待っているからです。そちらのほうの試験は、福岡県柳川市にある全国で唯一の競艇選手の養成所となる、やまと学校(現在のボートレーサー養成所)まで行き、そこで泊まり込みで受けることになっていました。

現地では、2次試験のあとにもう1つ3次試験が控えているのですけど、それらに落ちた者は即、荷物をまとめて帰郷しなければなりません。 競艇選手になる夢を捨て切れなかったら、半年後にまた1次試験から受け直さなければならないのですけど、そうなった場合にモチベーションを持ち直すことはできるのでしょうか?
話は、T君が2次試験を受けるところまで戻ります。万が一その試験に落ちた場合、列車に乗って帰ってくることになるのですけど、本人から「⚪⚪時に駅に着くから、迎えに来て」という電話が彼の母(私の姉、以下『姉』)のいる職場にかかってくることになっていました。落ちたときだけ連絡が来るなんて……… さすがの姉でも、冷静ではいられませんでした。 そのような状況の中で、1通の電話がかかってきたのです!まさか……… 「もぉ~~~ ドキドキしちゃったよ、仕事の電話だった」結局、その日もその翌日もT君から悪い知らせが来ることはありませんでした。ということは……… そうです 彼は3次試験にも合格し、やまと学校に入学することが決まったのです 192人が2次3次によって36人にまで絞ら
れるという狭い関門を、よくぞ通りました。



翌春にコナン高校を卒業し、やまと学校に入学するという流れは、時季的にみても理想的といってもいいでしょう。 ちなみにこの写真は、遠いその地に旅立つ前に、彼のもう一方の祖父母(私と姉の父母)に逢いに来たところです。 やまと学校に行ったら、卒業するまでの1年間は盆と正月ぐらいしか帰ってこられないので、しばしの別れとなります。T君、体には気を付けてしっかりやってくるんだゾ



ワイドショーなどの特集などでご覧になって、すでにご存知の方もいらっしゃるかも知れませんけど、やまと学校はとにかく厳しいところです。 訓練生の1日は、早朝に起こされ、整列して乾布摩擦をするところから始まります。 その際に、布団や毛布をキチッと畳んでなかったら、やり直しをさせられます。また、指導のほうは昔ながらのスパルタ式で、少しの気の緩みも許されず、並び方やお辞儀、発声などはキッチリやらなければなりません。競艇は「水上の格闘技」と言われるほど危険を伴っているので、それらの指導法は理にかなっているのですよ。その一方で、教官の勘違いで訓練生全員が連帯責任を追わされ、ビンタを喰らうという理不尽なことも。



それだけではなく、その養成所のテレビは休憩ホールにある1台のみ。携帯やスマホの持ち込みも禁止されているので、家族や友人知人などへの連絡手段は、時間制限付きの公衆電話か、手紙しかありませんでした。
なかには、あまりの厳しさに耐えきれなくて、途中で離脱する者もいました。それに加えて、規律が守れなくてクビになったり、成績が悪く素質がなくて落とされる者もいて、訓練生の数は絞られていきました。



それでもT君はなんとか耐え抜き、お盆休みには帰ってきて元気な姿を見せてくれました。 水兵さんのような制服も、似合っていますよ。 しかし、お盆の帰省とはいっても遊びのためではないということで、莫大な量の宿題を出されました。それでもT君は地元の友人知人と一緒に過ごす時間を確保しつつ、徹夜などをして宿題のほうもキッチリとこなしたそうです。

さらに、季節は夏から秋へ。冬に入ってからもT君から悪い知らせのようなものは来てなかったので、しっかりやっていることと思われます。



そして迎えた、今年の春。彼はやまと学校を同期の26人とともに無事に卒業することができ、それと同時にボートレーサーとして、5月に地元の競艇場のボートレース浜名湖でデビューすることが決まりました T君、おめでとう。



ちなみに彼に与えられた選手としての登録番号は、4989。仏教用語で、この世のすべての苦しみを表したものに通じるのですけど、覚えやすいほうに1票を投じたいですね。 それよりも、養成所生活を締め括る卒業レースは、姉一家も観に行ったのですけど、彼女らが見守るなかで彼はぶっちぎりの1位でゴールしたそうです。



その翌月の4月に、白黒茶々家はボートレース浜名湖にやって来ました。 T君のデビュー戦はまだ先なのですけど、私たちにはある目的があるのですよ。 その目的とは………



「井伊直虎杯」ということで、出世法師直虎ちゃんや出世大名家康くん、井伊の赤備えの甲冑バージョンのスワッキーが来ていたのですけど、メインはこちらではありません。



屋内の中央広場となるアトリウムに置いてあるボートに乗っかって、選手のキモチにもなってみたのですけど、こちらも違います。



この日こちらの競艇場では、石原翼君を含めた静岡支部の新人選手の紹介とトークショーがあったので、私たちはその様子を観に来たのでした。



そうしているうちに、アトリウムの特設ステージに新人の3人が登壇しました。それにしても、司会者のお姉さんがリアル出世法師直虎ちゃんなのが、なんとも。 私たちのまわりには、翼君の友人知人と思われる人たちはいたのですけど、姉一家の姿はありませんでした。なぜなら………
競艇は公営とはいえ賭博の場であり、公平を期するためにも、選手からレースに関する情報が漏れたりしないようにするためにも、二親等以内の親族……… 彼の親兄弟と祖父母は、舟券を購入することも、競艇場の一般人がいるエリアに立ち入ることも、禁止されているのですよ。 そういう私は三親等となるので、そのような制限はありません。



話は新人選手のお披露目に戻って、その中で翼君はやまと学校にいるときにあったエピソードや「乗りやすく広い浜名湖水面で、スタートを決めて1マークでは新人らしくガンガン握って、全速ターンで多くの舟券に絡めるように頑張ります」という、これから挑むレースへの決意などを語りました。



そして迎えた、5月5日。白黒茶々家は再びボートレース浜名湖にやって来ました この日の浜名湖は快晴で、風もなくて穏やかな陽気となりました。



対岸には、この日に間に合うように新調された、石原翼選手の横断幕が掲げられていました。 この日の第1レースで、いよいよ彼が選手としてデビューします。



私たちは最も近くで観られる場所で、レースの様子を見守ることにしました。 その時、彼の親兄弟と祖父母は……… 競艇場では立ち入り制限がある中で、4階にある親族用の隔離部屋……… いや、特別室が用意されていて、彼女らはそこで観ることができるそうです。いや、ひょっとしたら心ないファンが選手の悪口を言ったり、勝手に物語を作ったりするので、そんな彼らとケンカになったりしないように、親族は安全な場所に隔離されたのかも知れません。そうしているうちに、第1レースで戦う選手たちが入ってきました。なんか、私までドキドキしてきましたよ。



ただ見守るだけではナンなので、いちおうこのような舟券も買ってみました。 ご祝儀というか、期待の現れというか……… とにかく、初めて翼選手の名前が刻まれた舟券なので、記念品になることは確かです。



そして、場内にレース開始のファンファーレが鳴り響き、6つのボートは勢いよく水上を走っていきました。 ちなみに翼選手が乗っているのは、一番外側(手前)の緑の6号艇。ガンバレ 翼選手。



一瞬上位争いに絡んだのですけど、経験豊かな選手たちに突き放され、結局6位でのゴールとなりました。それでも、翼君の戦いはこれから、ここからです 叔父バカを抜きにしても、彼には素質とスター性があります。ということで、私は今後も彼の活躍を見守っていく所存にございます。 それから、レポートの途中から翼君が実名&顔隠しナシとなったのは、彼が公人のボートレーサーになったのと、私が彼の名前を広めたかったからであります。ということで、今後もボートレーサーの石原翼選手をよろしくお願いいたします。

話は変わって、6月6日から6日間、東京都府中市にあるボートレース多摩川に、彼が出走します。 その近くにお住まいの方、競艇や翼選手に少しでも興味をお持ちになられた方はぜひ、観に行ってみてくださいませ。


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箔のウチの子12周年とオフ会デビュー噺

2017-05-27 00:51:56 | ワンコ
こんばんは、白黒茶々です。
今月の22日はのウチの子記念日で、今年で12年となりました。 12年前のその日に、箔は白黒茶々家にやって来た……… というよりは、里子に出されていた当時1歳3ヶ月だった彼を、私は長野県の諏訪湖畔にあった前の飼い主さんの家まで迎えに行き、連れて帰りました。



白黒茶々家の一員となったばかりの頃の箔は、若いというよりモサッとしていますね。 それに、目の大きさも違いますし。彼と出逢ってからの12年は、あっという間のことのように感じるので、そのぶん充実していたということでしょう。 その現在に至るまでの年月を振り返っていくと、あまりに長くなりそうなので、ここは的を絞らせていただきます。
長いワン生を歩んでいくと、その間に必ず初めて体験することもあります。ということで、それらのなかでも今回は箔がオフ会デビューしたときの話をさせていただきます。 それは、箔波日記を開設する前のことだったので、なかには初めてそのことを聞くという方もいらっしゃることと思います。



箔がウチの子となってから約1年後の平成18年(2006年)4月に、私の地元の浜松市浜北区にあるドッグラン犬の森POMさんで、第1回東海オフ会がおこなわれました。 幹事は静岡県東部地区にお住まいのポーラママさんで、当日は地元はもちろんのこと、名古屋近辺や関東方面からも、たくさんのスピッツ仲間が集まりました。



当日の天気予報は雨で、朝から雨雲が広がっていたのですけど、究極の晴れ男のチェリー君の効果もあって、奇跡的に晴れてきました。 東海オフ会のまたの名を「スピクニック」といって、そのドッグランでは小型犬スペースを貸し切り、参加者はお弁当を持ち寄って、ピクニック気分でその集まりを楽しみました。



各自陣取る場所が定まってから、みんなの前で自己紹介が始まりました。皆さんにもその場の雰囲気を味わっていただけるように、その一部を紹介します。 まずは、ナナママさんご一家です。ナナちゃんラッキー君の間に生まれたのがキュー君なので、ワンコのほうも家族なのですよ。



次は、サエモン君です。ご自宅は群馬県なので、そちら方面で逢われた方もいらっしゃると思います。また、毎年6月ぐらいにおこなわれている軽井沢のパーティーのほうでも、有名でしたね。 彼は2014年の12月に、16歳7ヶ月で虹の橋を渡っていってしまいました。



こちらの音音(ネオ)君は、今回がオフ会デビューとなったそうです。彼は若くしてこの世を去っていったので、私たちがお逢いしたのはこの日が最初で最後となってしまいました。その数年後にネオママさんとパパさんは、真音(マオ)を迎え入れられ、今に至ります。



自己紹介が済んだら、あとはフリータイムです。ワンコを追ったり歓談したりして、お楽しみくださいませ。 ちなみに仲良くカートに乗っているのは、今回のオフ会の主宰のポーラちゃんと小町ちゃんで、手前の白い物体が箔であります。ポーラママさんはポーラちゃんと出逢ったペットショップで、数年後にもまたスピッツと行き逢いました。 その子が小町ちゃんで、その後彼女の父母がポーラちゃんと同じだということが判明。なんと、彼女らは実の姉妹だったのです しかし、お姉ちゃんのポーラちゃんは昨年亡くなってしまいました。



あらんままさんにリードを預かっていただいて、このような写真も撮ることができました。 左端にいるのが箔で、ママさんのお膝にいるのが、ちょろベロが印象的なアラン君。足元のコーギー犬が、コギらった……… ではなくて、カイトちゃんです。



箔がラッキー君やキュー君と一緒にやっているこのポーズは、お得意のブンブンというよりは、キャイーンみたいですね。



その箔と一緒にいる箔母さんも、若い ただし、顔は写っていませんけど。



楽しい時間はあっという間に過ぎ、あとは参加者全員による集合写真を撮って締めることになりました。 この写真には全部は収まりきれていないのですけど、その日は確か24スピと1コギぐらいが集まりました。
その頃の箔はドッグランや他のワンコとの交わりにはまだ慣れていなくて、神経が張り詰めていて少し危険でした。 それに、若気の至りみたいなものもありましたし。それでも、長いワン生を歩んでいくうちに、すっかり丸くなって……… いや、すぐにカッとなる性格はまだ少し残っているような。 若いお仲間がぶつかったりすると、「ガウッ 」と怒ることもあるので、好々爺とはいきませんでした。



それでも、その時のオフ会デビューによって、交流の輪はさらに広がり、私たちの道は拓けてきました。 その後、ワンワン運動会やスピッツ協会展覧会、スピッツクラブ展覧会などのワンコ行事にも遠征するようになり、活動範囲も広がっていきました。その行く先々では、皆さんに可愛がっていただきましたし。こんな箔ですけど、これからもよろしくお願いいたします。 来年、再来年も、ウチの子記念日特集が組めますように~


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スピクラ展の内側(スピッツクラブ展覧会その3)

2017-05-24 01:14:11 | ワンコイベントの類
こんばんは、白黒茶々です。
前々回の終盤から、私とはスピッツクラブ展覧会がおこなわれている横浜そごう鐘の広場に来ています。 しかも今回は、その会場のど真ん中に立っています。その衝撃的な1枚に「ウソでしょ?」とか「ドッキリだったら、早くネタばらしして」とか言いたい方もいらっしゃることと思います。こうなるまでのことは話せば長くなるのですけど、順を追ってなるべく簡潔に説明するように努めます。

ということで、話は昨年の秋ぐらいまでさかのぼります。 その年は箔と同世代のお仲間たちが次々と亡くなったこともあって、私は今まで以上に命のはかなさを感じるようになりました。もうじき13歳になる(当時のこと)箔も、年齢的にも近い将来必ずXデーを迎えることになります。そうなったときに、「まだ元気だった頃に、ああしておけばよかったなぁ」ということはないでしょうか? ………ということを考えたら、毎回見学組として行っているスピクラ展に、1度だけでもいいから箔を出陳させてみたいと思うようになりました。



とはいっても、美しくて気品のあるスピッツが多数出陳しているその展覧会は、どう考えても見た目も行動もアレな箔にとっては、場違いではないでしょうか? しかも、足先をナメるクセがあって、常にその部分は赤く汚れていますし。そういうこともあって、見学組で来たときでも、これから出番を控えている出陳犬の機嫌を損ねるようなことがないように、なるべく努めてきました。
そのような中でおこなわれた前回のスピクラ展。そのときは10歳以上を対象としたシニア犬の部門に出陳するワンコはいませんでした。それならば、その部門に箔を出してもいいのではないでしょうか?かなり質が落ちることになり、箔母さんも難色を示していたのですけど、私の決意は固まりました。

そして今年の初春頃に、スピッツクラブのスタッフの1人に、出陳のことを申し出てみました。どうか、門前払いしないでください。 そうしたら、まずはそのスピッツクラブに入会することを勧められました。なんとか受け入れていただけるみたいです よかった――― 必要事項をメールで送り、入会金(3000円)を同組織に振り込んだら、第1段階はクリアです。

そうしたら、次は出陳の申し込みです。その際には、ワンコの年齢を証明できる何かが必要とのことでしたけど、昔箔をウチに譲り受けたとき、一緒に血統書ももらってきたので、その点は大丈夫です。 彼は、2004年2月18日生まれの13歳です。ちなみに登録名は、キノ オブ カシ コウゲン ハウス。
出陳料(2500円)はスピクラ展当日に受付に直接払えばいいとのことなので、あとは展覧会用のパラシュートリードを取り寄せ、その日が来るのを楽しみにして待つだけです。



そして、話はスピクラ展の会場に戻ります。受付で手渡された出陳犬の名簿の中に、確かに箔の名前がありましたよ 唯一のシニア犬ということで、ある意味目立っています。それを見ただけで、感慨深いものがありました。

個体審査は全出陳犬を対象としていたのですけど、シニア犬部門の箔の出番は1番最後でした。待っている間、私は緊張しまくっている……… と思いきや、意外と落ち着いていました。 かなり前からスピクラ展を見学してきたこともあって、勝手を知っているからでしょうか?それとも、感覚が麻痺していてこれから出陳するという実感が湧いていないのでしょうか?とはいっても、実際には自分たちの出番が待ちきれなくて、待機組のまわりをうろちょろしていたような………



とかなんとかやっているうちに、ようやく私と箔の出番が巡ってきました。 場内をラウンドしている姿は撮れなかったのですけど、ちゃんとした姿勢で歩けていたでしょうか?それに引き続いて、箔を検査台の上に乗せました。
「箔君って、意外と太っていないのですね」「実は男の子体型で、骨太なのですよ」スタッフの1人のナナママさんは10年以上も前から箔のことをご存知ということもあって、かつてワンワン運動会で一緒にリレーに参戦したことなど、懐かしい話に花が咲きました。



個体審査が終わったら、出陳犬は男の子と女の子に分かれて、スペシャルショー(ステキで賞)の審査&投票に入りますよ 私たちはもちろん、投票される側にまわるのは今回が初めてであります。箔ちゃ、得意な目力をここで発揮してくださいませ。 いや、それだけでは弱い 目からビームを出しなさい。



午後の部に入って、最初にスペシャルショーの発表がありました。今回、映えあるその賞に輝いたのは……… レオン君くまちゃんラピスちゃん毛糸ちゃん栗丸君ルネッサ君です。箔ちゃは落選にございます。 やよっちさん家は、ダブル受賞ですね。他の皆さんも、おめでとうございます。



引き続いて、プラチナドッグが完成したのは、IVYちゃん



小豆ちゃん



豆蔵君です。お3方とも、おめでとうございます。



グランドプラチナドッグ完成は、アル君



チャンピオン完成は、アンリー君



さらにグランドチャンピオンに輝いたのは、瑠璃君であります。また、彼は参考犬としてもラウンドしていました。皆さん、おめでとうございます。



それから、ゴールデンパピー賞として、くまちゃんと小太郎君が表彰されました。お二方とも、おめでとうございます。



てその一方で、待機していた箔は、ヴィヴィアルママさんなど、おやつをくれそうな方に目をつけ、あげると言う前から前足をブンブンさせて、激しく要求していました。 1度あげたら落ち着く……… と思いきや、おかわりを期待してくるので、キリがありません。会場にいらっしゃった皆さん、図々しいヤツで申し訳ございませんでした。

そのような状況のなかで迎えた、シニア部門の寿賞の箔の表彰。 しかし彼は私が手にしたメダルをおやつと勘違いし、栄えある舞台でもブンブンしていましたよ。 あまりの落ち着きのなさと、お年寄り犬の足元が滑りやすいことを配慮して………



スタッフの方に促されて、このようなポーズでの写真撮影となりました。 それでも、双方ともいい笑顔で写っているので、かえってよかったです。 あの~、ここでとっておきのセリフを言ってもいいですか?じゃあ、遠慮なく。「おかげさまで、箔に箔が付きました」………ま、まあ、とにかく、 スタッフや拍手をくださった皆さん、ありがとうございました。



そのあと、ユニコーン部門の比較審査がおこなわれ………



風ちゃんラピちゃんが、MBS賞を受賞しました。姉妹そろってなんて、スゴいですね。 お二方とも、おめでとうございます。



終盤に入って、スピクラ展は加速度的に盛り上がってきました。 ちなみにこちらは、一般部門の比較審査の様子にございます。その結果、ラピスちゃん爽ちゃんサファイアちゃん毛糸ちゃんアンリー君栗丸君ルビィ君が秀賞に輝きました。皆さん、おめでとうございます。



金賞のEMSはアンリー君、EFSはサファイアちゃんとなりました。お二方とも、ステキです。おめでとうございます。



そして最後に発表された特別賞は、さくらちゃん小夏ちゃんが受賞しました。双方とも、ますます磨きがかかりましたね。おめでとうございます。



スピクラ展の会場にいる間、箔はずっとテンションが高いままだったのですけど、さすがに帰りの列車の中では爆睡していました。 シニア部門は今回は箔だけということもあって、出たらもれなくメダルをもらえたのですけど、私たちにとっては大事な宝物となりました。いや、一緒に出陳した経験そのものが、宝物だといってもいいでしょう。 そのスピクラ展はクオリティの高いスピッツを見られるだけではなく、たくさんのお仲間たちと出逢ったり触れ合ったりできる場でもあります。しかし、スタッフや出陳犬(特に一般部門の牡)が不足しているなどの理由から、来年の秋展をもって休会となる可能性があります。いつまでも続くものだと思っていたのに……… なので、諸々の問題が解決することを願いつつ、私はこれからも箔や波とともに出陳組か見学組、いずれの立ち位置からでもそのイベントを応援していこうと思います。


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横浜そごうに集まった白ふわたち(スピッツクラブ展覧会その2)

2017-05-20 01:13:51 | ワンコイベントの類
こんばんは、白黒茶々です。
前回からの続きで、私と箔はスピッツクラブ展覧会がおこなわれている横浜そごう鐘の広場に来ています。ということで、今回はその会場で行き逢ったワンコや、展覧会の様子をお伝えします。ナレーターは私が務めるのですけど、歴史関係の話や魔封波は出てこないので、そのあたりはどうかご了承くださいませ。



スピクラ展の会場には出陳組だけではなく、見学組のワンコも続々と集まってきました。ヴィヴィアル家の全ワンは、これから出番を控えているのですけど、この段階から存在感ありありですね。



レオン君くまちゃんも、今回は揃って出陳するみたいです。 すでにコンディションは整っているでしょうか?



ポン太君と一緒にいるのは、彼の新たな弟となった小太郎君で、現在生後7ヶ月。彼は幼犬(牡)の部門に出陳するそうです。



こちらの王子君にも、碧君という弟ができていました。私は3月の白ふわオフ会に行けなかったので、この日が初めてのご対面となります。王子兄ちゃんよりちょっと小柄なのですけど、顔が可愛らしいですね。今回は揃ってユニコーン部門に出陳するというので、楽しみにしています。



スピクラ展ではすっかりお馴染みとなっているラピスちゃんは、今回も成犬(牝)の部門にエントリーされていました。相変わらずスターのオーラを放っていますね。



こちらの白黒コンビは、しらす君(スピッツ)とすずりちゃん(スキッパーキ)であります。しらすお兄ちゃんが大好きなすずりちゃんは、彼が他のワンコと関わっていると、やきもちを焼いてウニョウニョ言うとのこと。彼女には申し訳ないのですけど、私もそのウニョウニョを聞いてみたいです。



IVY(アイヴィー)ちゃんは、出陳の出番を控えているところでしょうか?この日はSKIP兄ちゃんも一緒に来ていて、テントの中で控えているのを私も確認したのですけど、彼を撮るのをすっかり忘れていました。



小豆ちゃんと………



豆蔵君は、出陳に向けて準備万端 ともに引き締まったお顔をしていますよ。



リエルちゃんマリヴェールちゃんは一仕事終えたところの様子なのですけど、今回も晴れの舞台では輝いていました。



るる君は、私たちは昨年12月に岐阜でのオフ会で逢って以来なので、約半年ぶりとなります。相変わらず、巻き毛が立派ですよ。



PITZ君KING君とは、久しぶりにお逢いしました。 今回は見学組とのことです。



ひまわりちゃんダイ君とは、4年前に所沢航空記念公園でご一緒したとき以来になると思われます。ひまわりちゃんはすっかりお姉ちゃんに、ダイ君は立派な男に成長していました。 ちなみに彼女らがいるところは、個体撮影用の幕の上です。そうしたら、せっかくなので………



レオン君、くまちゃんに箔も混ぜてもらって、一緒に写真を撮らせてくださいませ しかし、なかなかお顔が揃わなかったので、小道具(おやつ)をチラつかせたら………



ああっ、箔が動いちゃった 撮れたのは、この2枚だけだというのに。それでも、残ったみんなはいいお顔をしていました。



陽(ひかり)君は、前回の秋展ではお逢いできなかったので、1年ぶりですね。この「もうカンベンしてください」という表情、私は好きですよ。



こちらは、私たちにとっては初めましてのみかんちゃん。彼女は陽君の妹だそうです。



さらにこちらのみるく君も、彼らときょいだいみたいですね。 その再会劇に立ち会うことができてよかったのですけど、私はその事実を帰ってから知りました。本ワンたちはわかってないのかも知れませんけど、血が繋がっていると顔などが似ていたり、無意識のうちに動きがシンクロしていたりして、見ているほうは楽しいです。



そんな彼らが一緒になって、毛糸ちゃんまでも巻き込んで、このような写真を撮ったりしました。 ちなみに右上段から時計回りに毛糸ちゃん、みかんちゃん、陽君、みるく君で、後ろの2ワンは2人のヒトが支えています。



とかなんとかやっているうちに、出陳組も見学組も含めた全体写真の撮影をもって、午前の部は締められました。 今回私は1人で箔を連れてきていて、しかもすっかり油断しまくっていたこともあって、その場面でどなたかにカメラを委ねたり三脚にカメラをセットしたりすることはできませんでした。 なので、被写体のポジションが固まったところで、まずはこの1枚を撮影。次に私は箔を抱えてその中に入り込み、写される側に専念することにしました。 そのようなワケで、この中には私たちは写っていないのですよ。



日記の構成の都合で話が前後するのですけど、私たちがスピ仲間たちと交流したりキャッキャしたりしている間、会場では個体審査がおこなわれていました。 幼犬(牝、牡)、成犬(牝、牡)、去勢・保護犬、シニア犬の順番ということで、まずはくまちゃんの出番となりました。



次は、小太郎君ですね。波も同じくらいの頃は、好奇心旺盛で跳びまくって……… って、今もあまり変わっていないような気がするのですけど。 とにかく、彼らの子犬っぽい動作に、私は癒やされました。
審査は順調に進んでいき………



ユニコーン部門では、レオン君に引き続いて王子君の出番と相成りました。



さらに、今回は碧君も同じ部門で出るみたいですね。頑張って場内を歩き、検査台の上に乗ってくださいませ。 ………って、すでにその台に乗っているのですけど。 そして、最後に現れたのは………



えっ、箔君 白黒茶々さんと一緒にそのスタイルで立っているってことは、まさか………

「おんな城主 直虎」で、中村梅雀さんがナレーションしているような口調で)
つづく。



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茶々さん箔さんの東海道三拾次(スピッツクラブ展覧会その1)

2017-05-17 00:08:18 | 旅行記
こんばんは、箔ですワン。
今回は、おれっちが久しぶりにお父さんと一緒に列車でお出掛けしたときの話をするのだ。 しかしせっかくなので、その準備の段階から語らせていただきます。ということで、話は今から10日ほど前にまでさかのぼるのだ。



前回の日記の最後のあたりで「ちょっと賑やかで体がスッキリさっぱりして、道行く人に褒められるようなところ」なる場所に連れていってくれるというので楽しみにしていたら、なんと セルフウォッシュだったのだ。 しかもこのくらいの時季は、おれっちたちスピッツは抜け毛が増えるのですよね。そういうこともあって、シャンプーのあとの乾燥では、体のあちこちに毛玉がぼこぼこっと発生。それらにお母さんがかけたクシが引っ掛かって、あいたたた あまりの痛さに、思わず本気噛みにいってしまったのだ。 そこで、すかさずお父さんがおれっちの動きを察して止めに入ってくれたおかげで、惨事には至らずに済みましたワン。 もしそのままガブッ とやっていたら、お母さんが「倍返しだ 」とかいって、おれっちが痛い目に遭っていたかも………
とにかくそのような作業を経て、おれっちと波ちゃはスッキリさっぱりすることができたのだ。

そして迎えた先週末。その日の未明にお父さんは起き出して、何やらゴソゴソと身仕度をしていたのだ。


AM3:29


さらに、まだ夜も明けきらないうちに、おれっちと波ちゃを散歩に連れ出し、かなり早めの朝ご飯をくれたのだ。 この流れは、ひょっとして



長旅の始まりで間違いなかったのですけど、今回はお父さんとおれっちだけのお出かけみたいなのだ。すまない、波ちゃ。 どうか泣かないでお留守番していてくれなのだ。旧東海道の白須賀宿にある自宅を出発してから、おれっちたちは車で浜名湖を越え………

AM5:17


浜松宿の浜松駅前に到着。今から、こちらから出る始発列車に乗っていくそうなのだ。

AM5:29


席を確保できたら、いざ東の方角へ おれっちにとっては、列車の旅は昨春のスピッツクラブ展覧会以来で約1年ぶりとなるので、とても楽しみなのだ。



そのときのおれっちの表情は、こうなのだ。列車での旅は久しぶりなのですけど、我ながら落ち着いていましたワン。



浜松を出てから20分後、愛野駅のあたりでエコパスタジアムが見えてきたのだ。 こちらでは現在………



B級グルメスタジアムを開催中で、県内のグルメはもちろんのこと、中部や関東、関西などの地方からの出展もあって、毎年たくさんの人で賑わっています。 それから、ご当地キャラが来ていることもあって、おれっちと波ちゃも毎年連れていってもらっているのだ。



神奈川県厚木市の厚木シロコロ・ホルモンは人気で、露店には毎回長蛇の列ができておりますワン。



静岡県内伊豆地方のTHIS 伊豆 しいたけバーガーは見た目はアレなのですけど、ボリューミーで食べ応えがありそうですね。昨年はこちらにも、長い列ができていたのだ。



今までいくつかのラーメンは出ていたのですけど、今回はさらに数を集め、発展させて「エコパ ラーメンスタジアム」なるものになっていました。
今回の目的地は、こちらなのでしょうか? いや、開始より4時間ほども前のこの時間帯では、あまりにも早過ぎかも。ほら、素通りしていったのだ。それよりも、今のおれっちの位置からは、エコパは見えないのでは?
※お箔さん、それは言わない約束だよ。(白黒茶々注)

AM6:59


その後、お父さんは府中宿(駿河府中、略して駿府)の静岡駅で途中下車していきました。 ここは10年ほど前に、おれっちが初めて列車の乗車訓練をしたときに、降りたところでもあるのだ。その時、お父さんは「ここまで来られたら、列車の旅は大丈夫」と太鼓判を押してくれました。 また3年前には、波ちゃもまったく同じようにして、認定を受けたみたいなのだ。



駿府は徳川家康ゆかりの地で、彼が隠居して晩年を過ごしたところでもあります。とはいっても、実際には2代将軍秀忠のいる江戸とで、二元政治がおこなわれていました。 ………と、お父さんが言っていたのだ。そういうこともあってその駅前には、壮年期の家康と………



竹千代と呼ばれていた頃の、少年期の銅像があるのだ。 彼は三河(現在の愛知県東部)岡崎の小さな戦国大名松平広忠の嫡男だったのですけど、駿府の今川氏のもとに人質に出されていました。人質とはいっても、身代金目当ての誘拐犯的なものではなく、将来を見込まれて手元で育てる的な………



「ドラゴンボール」で、ピッコロ大魔王が幼ない頃の孫悟飯を育て、特訓したあの感じと思っていただけたら……… と、またしてもお父さんが言っていたのだ。(ギリギリセーフ? )こちらは以前にも何回か訪れたことがあるのですけど、お父さんはスマホを変えたばかりで新たに撮っておきたかったみたいなのだ。



その流れで、おれっちはまたしても「竹千代君(ぎみ)、箔之進ヲ散歩スルノ図」をやらされたのだ。現在放送中の大河ドラマ「おんな城主 直虎」にも、竹千代少年は出てきましたね。しかし、13歳のその役を、阿部サダヲさんが演じていたのがなんとも。そのドラマでは、彼と同年代ぐらいの瀬名(菜々緒)が、5つぐらい年上の次郎法師(のちの井伊直虎、柴咲コウ)と親友という設定になっていることもあって、そのバランスを保つためにちょっとアンバランスな登場となったのでは?………と、やっぱりお父さんが言っていたのだ。(く、苦しい………



おれっちたちはさらに列車に乗っていき、吉原宿(現在の富士市)に差し掛かりました。 しかし、この日は雲が多くて富士山が見えなかった……… って、おれっちの位置からはその隠れ富士の風景も見えないのだ。
※わ~~~、それ言っちゃダメ!(白黒茶々注)

AM10:17


途中の沼津駅(沼津宿)で列車を乗り継いだりしながら、おれっちたちはさらに東へ。そして、最初に列車に乗ってから4時間40分ほどで、横浜駅(保土ヶ谷宿と神奈川宿の間)に到着しました。今度こそ、本当の目的地みたいなのだ。



その駅の構内には、小さな赤い靴の少女の像があったのだ。せっかくなので、ここで一曲歌ってみます。パソコンやスマホの前の皆さんは、手拍子をしながらお聴きくださいませ。では………
 あかいくつ~、は~いてたらぬげた



え~と それはさておき、そのあとおれっちたちは駅の外から歩道橋に上っていきました。この先には、スピッツクラブ展覧会の会場となる、横浜そごう鐘の広場があるのだ。



おれっちたちが到着してからしばらくして、そのスピクラ展の開会式がおこなわれました。 今回はこちらで、どのような出逢いや触れ合いがあるのか?さらに、展覧会はどのような展開となるのか?楽しみなのだ。ということで、次回はその会場にやって来たスピッツ仲間の様子をメインにしてお伝えするのだ。


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夜の練りと御殿屋台とご馳走(浜松まつり・その2)

2017-05-13 01:16:22 | 年間行事
こんばんは、白黒茶々です。
前回に引き続いて、今回も箔波日記はお祭りムード一色にございます。 ここでいう祭りとは浜松まつりのことで、今回はそのうちの夜の部の様子についてお伝えします。

私が参加させてもらっている萩丘組の第1陣は、昼過ぎに凧揚げ会場から引き上げてきて、同町内に帰還。 第2部が始まる夕方まではインターバルに入るのですけど、私はその間に、部活や課外活動などに行っていたたつぴを、駅まで迎えに行きました。 彼はそれらの用事があって昼の部には参加できなかったのですけど、ここから行動を共にすることになっていました。


※以前の様子

まつり初日の夜の萩丘組は、毎年浜松市の中心街にまで繰り出し、荘厳な御殿屋台が行き交うのを脇目に見つつ、隊列を組んで練り歩いていました。 もちろん私も、今年はそれに加わるつもりでいましたよ。ところが、改めて日程表を見てみたら、今回はその予定がないではありませんか 私はそのことを、まつりの前日になって初めて知りました。
「そ、そんな………」
中央練りに反対する人がいたのでしょうか?それとも予算的に厳しいのでしょうか?とにかく今回の夜の練りは、町内がメインとなりました。



夜の部の参加者は、夕方に町内にある会所前に集合し、隊列を整えてからそこを出発しました。 ちなみにその列の順番は、先導の組長や旗持ち、太鼓・ラッパの鳴り物隊、提灯を手にした大勢の一般者となっていました。そのなかで、私のいるラッパ隊はラッパを吹きながら闊歩していきました。



その間に、萩丘の御殿屋台と行き合うことも、たまにありました。 いや、その頻度は例年より多いような気がします。ひょっとしたら、中央の練りがなくなった代わりにせめて町内の御殿屋台だけでも見る機会を増やしてくれたのでしょうか?とにかく同じ町内のものの単体とはいえ、彫刻が施され、笛や太鼓のお囃子を奏でながら引き回されるその姿は、荘厳かつ華麗でした。



やがて練りの団体は、初子のお祝いをする家の前で止まりました。 今からそこで、初練りが始まるのです。とはいっても、まずはみんなでその家を取り囲むように腰を下ろし、ビールやジュースで乾杯



さらに、そこで用意してくださった馳走もいただきます 初練りのおもてなしは、店屋物の盛り合わせがメインとなるのですけど、それとは別におこわのおむすびや豚汁、カツオの刺身なども回ってきて、お腹も心も満たされました。 以前には、ピザやハンバーガー、シュークリームなどといった変わりダネが出てきたことも。 休憩と腹ごしらえが済んだら………

お立ち台の上では、みんなにはやし立てられながら樽酒や瓶ビールなどをまわし飲みする「一気」が始まります。 「我こそは 」と思う方がいらっしゃいましたら、奮って挑戦してくださいませ。



そんな彼らを盛り立てるためにラッパを吹きまくるのが、私たちラッパ隊のお仕事ですよ このノリはあと引く楽しさなのですけど、実際に計ったら30分ぐらいやっていました。
2日目の夜も、初日と同じように町内での練り歩きがメインだったのですけど………



最終日となる3日目は、ピアゴ浜松泉町店で、住吉、幸、葵東、小豆餅、泉、和合、萩丘の高台連合による合同練りがありました。7つの町内が入り交じった練りは迫力があり、それに参加している側の私にもグッときました。



しかし、毎回その特設舞台に登場している同店のイメージキャラクターのピアッキーは、私の立ち位置からは体の一部と後ろ姿ぐらいしか見えませんでした。
楽しい宴の日々はあっという間に過ぎ、翌日からは通常の生活に戻らなければなりません。それでも、今年の浜松まつりは全日程晴天に恵まれ、そのうち私は2日3晩参加して、完全燃焼することができました。



そういえばGW中の箔波ちゃは、30日を除いてはどこにも連れていっていなかったような。それに、危うく2話続けて出番がなくなるところでした。それでも大丈夫です。飛地となっている7日には、ちょっと賑やかで体がスッキリさっぱりして、道行く人に褒められるようなところに連れていってあげるので。………いわゆる、カインズホームのセルフウォッシュです。あまりレジャー感がなくて申し訳ないのですけど、この埋め合わせはいつかまたさせていただいます。


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壮大な凧揚げ合戦(浜松まつり・その1)

2017-05-10 01:25:21 | 年間行事
こんばんは、白黒茶々です。
GW期間中は行楽や帰省で移動する人が増えるのですけど、なかにはその時季におこなわれている祭りなどの行事を観に行くという方もいらっしゃることと思います。 そのような状況のなかで、私の地元の浜松市では、大がかりな市民祭りともいうべき浜松まつりが開催されました。



浜松市民が全精力を使い切るほどパワフルなそのイベントは、昼の部の大凧揚げと、夜の部の御殿屋台引回しの2つに大きく分けられます。 私は浜松市民ではないのですけど、そのまつりの魅力にハマり、同市内の萩丘というところに在住の親戚のつてを利用して、たつぴと一緒にラッパ隊として参加させてもらっています。 当箔波日記では、毎年その様子を伝えているのですけど、今回初めてご覧になる方や、なかなかその会場に行けない方、さらにこれから興味を持つであろう方のためにも、改めて現場の様子をできるだけリアルにお伝えします。



浜松まつりの初日となる5月3日の朝は、私は叔母の自宅がある萩丘地区からバスに乗って、凧揚げ会場となっている中田島に向かいました。



中田島といえば、砂丘が有名ですよね。 ただし、今回はその観光名所を脇目に見つつ、松林の歩道を東のほうに歩いていき………



凧揚げ会場となっている、壮大な原っぱに到着。 そこにはすでにまつりの参加者や観衆、174にもなる参加地域の大凧がところ狭しと詰めかけていました。10時の開会宣言の直前ということもあって、本部前には各町内の旗が集まり、大凧もスタンバイOKの状態で、会場は独特の静寂と緊張に包まれていました。 それから間もなくして、今年のまつりの開催を告げるアナウンスと花火が上がり………



その直後に会場内の大凧がいっせいに揚がりました。この瞬間がたまらないのですよね。



そのような中に、浜松が舞台となっている現在放送中のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」にちなんだ凧もありました。 さらにまつり本部の上には………



お、おとわ……… いや、「おんな城主 直虎」で主人公の井伊直虎の幼少期のおとわ役を演じた新井美羽ちゃんが、特別ゲストとして来ていました。 人懐っこい笑顔で、こちらにも思いっ切り手を振ってるぅ それから、毎年開会式には必ずといっていいほど顔を出しているご当地キャラの出世大名家康くんと、こちらの会場には今回が初登場となる出世法師直虎ちゃんの姿もありました。
浜松まつりは、今から450年ほど前の井伊直虎がいた頃の時代に、引馬城主の飯尾豊前守が長男義廣の誕生を祝って、その名前を記した凧を城中高く揚げたのが始まりだとされています。(諸説あり) 浜松まつりは本来、こどもの日に関連するお祭りだったのですね。やがてそのような凧は各所で揚げられるようになり、大正時代になってから、和地山練兵場(現在の和地山公園)に集約。さらに参加町の増加に伴って会場は中田島に移り、現在に至ります。



その現在の凧揚げ会場は、遠州灘海岸沿いにあるのですけど、防潮堤の造成範囲が伸びてきたこともあって、南側の風景は一変。以前は防風林の松林が借景となっていたのですけど、そのあたりは木や草が生えていない土盛りとなっていました。



それでもその上に登ったら、視界を遮るようなものがなくなっていて、以前より会場全体が見やすくなっていました。



その真下の露店も、賑わっていましたよ。 私が子供の頃には、着色されたヒヨコが売られていて………



………という話をしだしたら長くて脱線しそうなので、凧揚げに戻らせていただきます。 こちらのひょっとこの凧印は、芳川町神出のものにございます。凧の大きさは、人の背丈以上もありますね。 その町内は、まつりに参加するにあたって高町の指導を受け、その地域が凧印にしているおかめにあやかって、ひょっとこにしたそうです。
そうそう、我らが萩丘組の凧は………



萩の図柄に「萩」という字まで付くという、萩色の強い凧印となっております。 ちなみにその前に並んでいるのは、今年初子のお祝いをする家にございます。 家族や関係者による記念撮影が終わったら………



萩丘組のみんなで、その初子の名前が記された初凧を揚げます。 その糸を持つ施主さんも、みんなに担がれていますね。



そんな彼らを鼓舞するためにラッパを吹くのが、我々ラッパ隊の役割です。



その効果があったからなのか、萩丘の凧は高々と揚がりましたね。 とはいっても、初凧のときにはラッパを吹くことに専念していたので、これは別の凧です。



また別のところでは、他の町内も巻き込んでの糸切り合戦が始まりました。 もちろん、そんな彼らの士気を高めるために私たちラッパ隊はこちらでもラッパを吹きまくりましたよ



浜松まつりの大凧揚げは壮大でエネルギッシュでもあるので、観ている人たちにもパワーを与えられると思います。 「このまつりが終わってしまったら、その反動でやる側の人は燃え尽きてしまうのでは?」と思われる方がいるかも知れませんけど、ご心配には及びません。 彼らはまつりの翌日から、来年のほうのカウントダウンを始めているので。
とはいっても、今年の浜松まつりのレポートはまだ終わっていません。ということで、次回は私が体験した夜の部のほうの様子について、お伝えします。


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五万石藤の下に集まった白ふわたち

2017-05-06 01:52:34 | ワンコイベントの類
こんばんは、白黒茶々です。
前回の予告通り、私・たつぴ・の白黒茶々家の2人と2頭は、大樹寺の総門からの風景を眺めてから、そのビスタラインの先にある岡崎城を目指しました。 そのお城では、ほんの4週間前に白ふわ仲間たちと開花の遅れている桜を愛でたばかりなのですけど………



4月の最終日となるその日には、看板のほうも「藤まつり」となっていました。 岡崎城のある岡崎公園は、五万石藤の名所としても知られていて、その旬の時季に白黒茶々家がそこを訪れるのがすっかり定着しています。 さらに地元のサモエドやスピッツのお仲間たちと集まったら楽しさが増すので、皆さんにお願いして今回もお付き合いしていただくことになりました。果たして、今回は何頭のお仲間と逢えるのでしょうか?



ということで、待ち合わせ場所の大手門前にやって来ましたよ 今回の1番乗りは……… う~む、まだ誰も来ていないので、私たちということになります。 それからしばらくして………



お仲間がやって来ましたよ!いや、私たちにとっては、初対面となりますね。 スピッツはバニラちゃん(7歳)、ポメラニアンはプリンちゃん(3歳)で、今回の集まりのことをフェイスブックで知って、大阪府から遠路はるばる来てくださりました。



こちらは、ハッピー君ピース君兄弟ですね。2週間前のDOG!フェスタでもご一緒し、私たちと同じ静岡県民なのですけど、岡崎公園に来るのは今回が初めてだそうです。



さらに、レオン君(左端)とくまちゃん(真ん中)もやって来ましたよ やよっちさんは岡崎公園ではよくご一緒するのですけど、くまちゃんはこちらには初めての登場となります。 ちなみに、彼らも静岡県民であります。



お仲間が続々と増えてきましたね ららちゃんは今回も、岐阜県から電車に乗ってやって来ました。



女の子のほうのピースちゃんは、DOG!フェスタでもご一緒しましたね。 岡崎市の近くに住んでいるので、前回より気軽に来ることができたみたいです。



市内在住のサモエドのアルファ君(アル君)も、姿を現しました。相変わらず存在感がありありです。



さらに彼のきょうだい犬のサラちゃんも、今回の集まりにお付き合いしてくださりました。



と、そこに、見覚えのある人物がアル君を抱き締めにきました。 こちらの方は……… はい、箔母さんにございます。この日は私たちとは別行動だったのですけど、お友達と列車に乗って同じ目的地に来たのでした。それでも、アル君のもふもふだけはハズせなかったみたいですね。



ここまで増えたら、門をくぐっていく人たちが「うわっ 白い犬がいっぱい」と驚くようになりました。そろそろ今回の参加者がそろったみたいなので、公園内を散策することにしましょう。



二の丸跡の広場では、ちょうどいいタイミングでからくり時計の家康人形が舞い始めていました。 最後は彼の遺訓の「人の一生は、重荷を負いて遠き道を行くがごとし」で締めるのですよね。



………なんて言っていたところで、また新たに仲間が加わりましたよ 彼女は兵庫県のゆずちゃんにございます。ちなみに私たちとは、白ふわオフ会や琵琶湖オフ会でご一緒したことがあります。これにて、1ポメ、10スピ、2サモの総勢13頭となりました。



持仏堂曲輪を隔てて臨む復興天守は、4週間前とはうって変わって、新緑に包まれていました。 そちら方面に向かう途中の………



私たちにとっては、すっかり集合写真の撮影スポットとなっている、復興天守の裏側で、撮っておきましょう。



白ふわご一行たちはその存在感を示しながら、公園内を闊歩していきました。 そして、お城の中心となる本丸跡へ。



いつもだったら復興天守の真っ正面で記念撮影をするのですけど、今回は少し趣向を変えて、本丸跡に鎮座する龍城神社の鳥居も入るようにしました。すると、そこで上の方から何かの視線を感じました。



復興天守の回廊あたりを見上げたら、そちらに箔母さんたちがいましたよ その直後に私は「天守閣を見て (原文ママ)」というメールが来ていることに気付きました。

その撮影ポイントを通過したら、いよいよ本命の藤棚に向かいますよ。 果たして、この日の咲き具合は………



おおっ なんかいい具合ですね。 さらに近付いてみます。



そうしたら、このような状態でした。ここ数年のなかでは最も見事ですよ。 紫の色合いも鮮やかですし、いい匂いもしてきましたし。



その五万石藤の下で思い思いの写真を撮ったら………



やはり今回の参加犬全員で、記念撮影をしておきたいですね。 皆様、ご協力ありがとうございました。 楽しい時間はあっという間に過ぎ………



やはり今回も、岡崎公園内にある城南亭の茶席でもって締めておきたいですね。 こちらは、テラス席ならワンコと一緒に利用することができるのですよ。ひょっとしたら、箔母さんたちもこちらに来ているのでは?やはり、いました。 ちょうど退席するところでした。



私は、甘くてまろやかな豊田の抹茶と、桜餅風の和菓子のセット(税込450円)をいただきました。



こちらでも、ワンコを囲って楽しくゆったりとした時間を過ごすことができました。今回は遠近大小含めて、たくさんのお仲間たちとご一緒して、楽しく充実した時間を過ごすことができました。それに、藤の花も見応え充分でしたし。
その一方で、公園内の楓や銀杏の葉は青々としていたのですけど、晩秋にはきれいな赤や黄色に色付くことでしょう。ということで、11月の末ぐらいには同じ岡崎公園で、今度は紅葉狩りをやろうと思います。 半年以上も先で、鬼が笑う範囲内かも知れませんけど、またこちらでたくさんの白ふわたちとご一緒できたら、嬉しいです。


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大樹寺の魅力と秘密、お教えします。

2017-05-03 00:19:09 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
GWに突入したのですけど、皆様はいかがお過ごしでしょうか?なかには9連休という、うらやましい方もいらっしゃるかも知れませんね。 そういう私は、5月の3、4、5日の他は日曜日だけという、飛び石連休であります。 その連休初日となる……… いや、連休とは分離独立している4月30日の日曜日は、たつぴ、をともなって、愛知県の岡崎市を訪れました。 私たちがまず向かったところは………



岡崎城のある岡崎公園からに北に3kmほど行ったところに構えられている、浄土宗の名刹の大樹寺というお寺でした。



このお寺は、安祥城主で松平家第4代当主の親忠が招いた勢誉愚底の開山によって、文明7年(1475年)に創建され、それ以降は松平氏の菩提寺とされてきました。
ちなみにこちらの立派な三門は、寛永18年(1641年)に徳川3代将軍の家光によって建立されたものです。



せっかくなので、お寺の内側からもその三門をバックにして、写真を撮っておきましょう。 その門の向こうにも、さらに門があることにお気付きでしょうか?



大樹寺の南側は現在、大樹寺小学校となっているのですけど、三門の真っ正面となるそのグラウンドの向こうに、お寺の総門が見えます。 いわゆる、本堂から三門、総門が一直線に連なっている形ですね。いや、それだけでまだ驚いてはいけません。 実はそのまた先にもまだ、惑星直列的なことが起こっているのですよ ここからではちょっと遠くてわかりにくいので、学校にお願いしてその近くまで行かせていただきます。



ということで、総門に大接近しました。 あ、こちらでの箔波ちゃは、仁王様か狛犬のようなものとしてご認識くださいませ。その門から見える風景をズームアップしていくと………



なんと、岡崎城が見えるのですよ 大樹寺と岡崎城の立地はともに小高い丘で、その間は低い谷となっています。昔から双方を結ぶビスタラインは守られてきて、現在でもそこに高い建物を建てないように規制しています。



大樹寺小学校の校歌にも「南の門のまん中に 岡崎城も絵のようだ」とありますね。 その大樹寺小学校も、その景観を守るためにグラウンドに構造物は設けず、本来なら校舎と体育館を渡り廊下で繋ぐところなのですけど、その通路は地下に通しています。



惑星直列……… いや、大樹寺と岡崎城の繋りの話が済んだら、お寺の境内を探っていきますよ。 三門の西側には、何かを意味しているような石像のアートがありました。 特に首の角度は生物学的には危険で、これは絶対に真似してはいけません。 そのアートを見ながら西のつき当たりまで歩いていくと………



初層が正方形、二層目が円形の多宝塔にぶつかります。 この建物は、天文4年(1535年)に松平家7代目の清康によって再興さたもので、大樹寺内では現存最古。国の重要文化財に指定されています。



さらにその北側には、松平家歴代当主8人+徳川家康のお墓があります。永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで総大将の今川義元を失った松平元康(のちの徳川家康)は、18人の手勢とともに、このお寺に逃げ込みました。 しかし、間もなくして追っ手に囲まれてしまうことに。「もはやこれまでか」絶望した元康は、松平家先祖代々の墓の前で自害しようとしました。



そんな彼に大樹寺住職の登誉上人は、「厭離穢土 欣求浄土(おんりえど ごんぐじょうど)」の教えを説いたのでした。それは「戦乱で穢(けが)れた世の中を平和な浄土にする」ということを意味しています。それによって、元康は生き延びて天下を平定し、その言葉を旗印にして、戦のない世の中を築いていく決意をしました。その8文字は、本堂内にも掲げられていますね。
話はもとに戻って、元康一行をかくまったお寺は追っ手の野武士一隊に取り囲まれていて、ピンチのままでした。 そのような状況の中で、寺僧の1人の祖洞和尚が総門のかんぬきを持って打って出たのでした。その棒を振り回し、70人力で奮戦し敵を蹴散らしたと云われています。 その際彼の足元には、数人の撲死体が転がっていたとも。



大樹寺は、安政5年(1855年)に火災に遭い、伽藍の一部を焼失。本堂方丈は、その2年後に再建されたものです。



その本道の横には、昨年完成したばかりの徳川家康の石像があります。かなりの大きさと迫力で、実物よりは盛られていると思われます。



あとこちらの位牌堂には、徳川幕府初代将軍の家康から、14代将軍家茂までの実際の身長と同じ高さの位牌が納められていて、入場料の400円を払えば、それらを見学することができます。 ただし内部は撮影禁止なので、その様子を記録して持ち帰ることはできません。ちなみに主立った将軍の身長=位牌の高さは、初代家康159cm、2代秀忠160cm、5代綱吉124cm(小さっ!)、8代吉宗155,5cmでした。



大樹寺は徳川家のルーツとなっているだけあって、歴史がある上に文化的価値のある建物も立ち並んでいて、ビスタラインも楽しめるという、魅力の詰まったお寺です。 それから私は長年、大樹寺は「だいじゅじ」と読むと思っていたのですけど、そのお寺の音声解説では「だいじゅうじ」と言っていました。正しくは、どちらなのでしょうか? ということで、地元民のアルパパさんに聞いてみたら「一般的には『だいじゅじ』地元では『だいじゅうじ』」という答えが返ってきました。なんか笑福亭鶴光さんの、正式名=「つるこ」通り名=「つるこう」みたいですね。
この日、白黒茶々家の2人と2頭が岡崎市を訪れたのは、このあとに地元のサモエドやスピッツ仲間たちと、岡崎公園の五万石藤を見に行くのが本来の目的でした。 そちらのほうの様子については、次回の日記で触れさせていただきます。


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