波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

清洲城にハイテンション武者あらわる!あと、姫様も

2018-11-28 01:19:36 | お城
こんばんは、白黒茶々です。
前回から、白黒茶々家は清須市の清洲城に来ています。 そこに到着したときから雨に見舞われたということもあって………



箔母さんたつぴの3人は、案内図内では「清洲城」となっている模擬天主の中に、は「清洲ふるさとのやかた」のところのP(駐車場)に止めておいたウチの車の中に、それぞれ分布しております。 模擬天主の最上階の回廊に出ても、あいにくの天気でそこからの視界はあまり良くなかったのですけど………



なんか、箔母さんとたつぴはその内部に飾ってある鯱ほこを撫でて、楽しんでいました。 そういう私は、同じ空間に置いてあった太鼓を叩きながら「 こ~のいち~げきで~、しょ~ぶを~きめろ~………」と、ファイターズのチャンステーマを歌って、遊んでいましたけど。 その建物内の展示を見終わって、すぐに外に出ると思いきや………



模擬天主と棟続きになっている、芸能文化館へ。そこの黒木書院には、甲冑や打ち掛けの無料試着&撮影コーナーがあるのですよ そこに常駐しているスタッフのおいちゃんがテキパキと着付けをしてくれて、さらに雨の影響もあって、そこはウチの貸切り状態でした。



たつぴも装着が済んだみたいですね。 ちょっとテレが入っていますけど。武者が2人揃ったので………



ここで、勝ちどきを挙げておきましょう パソコンやスマホの前の皆さんもご一緒に
エイ、エイ、オ~~~!
ちなみにこの撮影は、おいちゃんの勧めというか、監修のもとでおこなわれました。私たちだけでやるのもナンなので、箔母さんも何か着てみてくださいよ。



………とお願いしたら、姫になってくれました。 打掛けのズッシリ感は、結婚式のとき以来みたいですね。 やはり、こうなったからには………



3人で記念撮影をやっておかなければ ちなみに先ほどから一緒に写っている小姓(森蘭丸?)はマネキンなので、私たちがどんなにハメを外しても、表情を崩したりしませんでした。この3ショットを年賀状写真に使うことも考えたのですけど、叔父叔母(伯父伯母)や恩師など、目上の方にも送るので、あまりめでた過ぎるのはどうかと……… はい。
この写真を、私のカメラで写してくれたスタッフのおいちゃんは、昨年井伊谷の龍潭寺に行ったと言っていました。「実は私もそこには、前の週に行ってきたばかりなんですよ 」このようなところにも直虎効果があって、私のテンションは上がりまくりでした。 つい時間が経つのを忘れてキャッキャしてしまいましたけど、そういえば外の様子はどうなっているのでしょうか?



………と出てみたら、空の具合は不安定ながらも、雨はやんでいました。 そうしたら、開放的な南側のこちらの広場でも………



家族写真を撮っておきましょう 私としてはこのアングルが気に入っているのですけど、あとで検証してみたときの箔母さんは「う~ん………」でした。服装からして、黒隠れしかけているのが引っ掛かるのでしょうか?



それよりも、天気のほうは心配なさそうなので、波を連れ出してお城の散策をすることにしました。



こちらはかつて天守があったところで、その名残と思われる土盛りの上に、江戸時代中期に建てられた「右大臣織田信長公古城跡」と刻まれた石碑があります。といったトコで、前回の日記から途切れたままになっている、清洲城の説明をさせていただきます。 清洲城は15世紀初頭に、斯波氏の支城として築かれたのが最初と云われています。弘治元年(1555年)に織田信長が那古野城から移り住み、この城を拠点にして尾張統一を果たしました。



線路の西側の本丸跡には、戦前に作られた織田信長の銅像があります。 永禄3年(1560年)に桶狭間を目指して清洲城から出陣するときの姿を表したもので、銅像もその方角を向いています。 その桶狭間で信長は、兵の数で圧倒的に不利ながらも、敵大将の今川義元を討ち取ったのは、あまりにも有名な話。



またこちらには、平成に入ってから製作された濃姫の銅像もあります。彼女は美濃の斎藤道三の娘で、信長の正室でもあるのに、正式名も生没年も不明。帰蝶という名もあったそうですけど、美濃から来た姫なので、濃姫なのですよ。 それから、天正10年(1582年)の本能寺の変で信長と一緒に憤死したとも、生き長らえたとも云われていて、謎の多い女性であります。 そんな彼女の像は、以前は私たちが記念撮影をした広場の片隅にあったのですけど、お城の中で夫婦別居状態ではあんまりではと、思われたのでしょうか?6年前に濃姫像は、信長像のすぐ近くの現在の位置に移されました。



ちなみに2つの像の位置関係は、このようになっています。 濃姫は信長を見つめているのに、彼は明後日の方向、いや、桶狭間に向いていますね。それでも、夫婦仲を疑ったりしないでください。 彼女は戦に向かう夫を見守る一途な妻と、解釈しておくことにしましょう。
その後入城した織田信雄によって清洲城は大改修され、以降は豊臣秀次福島正則松平忠吉徳川義直が城主となりました。慶長15年(1610年)に徳川家康が名古屋築城を決定したことにともなって、清洲城は廃城に。 石垣や建物はもちろんのこと、城下町までまるごとごっそりと名古屋に移されました。世にいう「清洲越し」であります。時代を経て、その清洲城跡の対岸(こちらも一応城域です)にふるさと創成の1億円を活用して平成元年(1989年)に建てられたのが、今日見られる模擬天主であります。 そうそう、雨の心配がなさそうなので………



お城をバックにして、記念撮影をしておきましょう。 こちらはワンコ用年賀状の候補にも挙がったのですけど、惜しくも落選してしまいました。 代わりに採用されたのは……… お正月までのお楽しみということで、ご了承くださいませ。



もちろん、改めて人間用も撮りましたよ 今度は波も入っているのですけど、みんなしていい感じで写っているので、人間用のほうはこちらの写真を使うことにしました。
清洲城での目的を果たした白黒茶々家は帰路に就いたのですけど、せっかくこちら方面に来たので………



同じ清須市内にある、貝殻山貝塚(朝日遺跡)に寄っていくことにしましょう こちらは弥生時代初期の集落の跡で、東海地方最大の規模を誇り、国の史跡にも指定されています。 しかし、先ほどまで降っていた雨の露が草に付いていることもあって、家族は車の中に待機し、私だけが見学することになりました。



その敷地内には、復元された縦穴式住居があります。 今からン十年前の大学生のときに、私はこちらを訪れたことがあります。しかし、その時は復元住居は不審火か浮浪者のたき火で焼失し、焼け跡となっていました。 その後再建されたみたいですけど、そのまわりには鉄柵が設けられ、見学の時間外は厳重に施錠しているみたいです。



こちらの資料館は昔から変わらず、無料で入れるようになっていました。 気になる展示物は………



貝殻山貝塚から出土した弥生式土器はもちろんのこと………


※なかにはショックを受ける方もいるかも知れないので、画像を加工させていただきました。

屈葬で埋葬された人骨もありました。こちらの遺跡の南側には、2020年までに新しい資料館が建設されるそうです。これから貝殻山貝塚がどのように整備されるのか、楽しみにしています。 あとは帰るだけなのですけど………



やはりまっすぐ行くのもナンなので、ちょっとムリヤリなコースを取って、新東名高速道路の岡崎サービスエリアにも寄れるようにしました。 こちらは地元で人気の飲食店が入っていて、お土産も充実しているのですよ。 ちなみにこちらのSAは、上下線共有となっております。



さらに、小さなドッグランも併設されているのですけど、日没後ということもあって、静かでした。
そうしたら、さらに新東名を東に進んで、今度は箔母さんとたつぴを長篠設楽原パーキングエリアに案内してあげましょう。そちらは織田・徳川連合軍をモチーフにしていて、展望台や喋る自動販売機があり、戦国武将グッズも充実しているのですよ



………というつもりで入っていったら、武田側でした。織田・徳川側のほうは反対の下り線だったみたいで、こちらは規模が小さく、グッズや飲食コーナーも小規模となっています。
なんか、締まらない終わり方となってしまいましたけど、今回の私たちは最初から飛ばし過ぎてしまったので、静かに締めるのも、またいいのかと。 また、昨今すっかり出不精となってしまった箔母さんを連れ出したら、意外と楽しんでもらえたみたいで、よかったです。 それから次回こそは、延び延びになっているスピッツクラブ展覧会のレポート……… の前段階の道中記に、触れさせていただきます。


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一宮モーニングと清洲城と年賀状写真

2018-11-24 01:36:10 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
今年も残すところあと1ヶ月ちょっととなってしまいましたけど、皆さんはやり残したことはないでしょうか?それから、年賀状の準備は進んでいるでしょうか? そういう白黒茶々家は毎年年賀状は写真入りで、家族全員バージョンとワンコのみバージョンの2種類を作成しているのですけど、今年の下半期になってからもその題材がありませんでした。 一昨年までは家族旅行の際に撮った写真を持ち出してきて「⚪⚪に行ってきました」とやっていたのですけど、今年は諸々の事情で家族旅行には行けませんでした。 それだけではなく、家族そろって出かける機会もなかったような気がします。



それならば、今からでも遅くない 家族でどこかに年賀状用の写真を撮りに行くことにしましょう そうと決まったら、次にその目的地を決めなければならないのですけど、私としてはやはりお城がいいですね。 しかし、掛川城浜松城吉田城西尾城、………といった近隣のお城はすでに使っていますし、ちょっと離れていてもいいので、日帰りで手軽に行けるところは……… そのようにして煮詰めていったら、愛知県清須市の清洲城が浮上しました。



清洲城は織田信長にゆかりのあるお城で、その跡地付近には平成元年(1989年)に建てられた模擬天主が聳え立っています。 今から5年ほど前にたつぴとともに、琵琶湖オフ会に向かう途中で清洲城を訪れました。 さらにそれが、箔母さんとも一緒となると……… 確か、たつぴが2歳の頃だったので、16年も前のことになります。
そうしたら、あとは今回実行する日程ですけど……… 10月は家族の予定が合わなくてムリ。 11月に入ってからは、私は毎週のようにワンコ行事がありますし……… その結果、予備日ナシの11月4日に決まりました。やり直しはできないので、どうかその日は晴れますように~ 週間天気予報ではずっと晴れが続いていて、雨雲が入り込む余地がなかったので、私たちは心穏やかにその当日を迎えました。

ところが、直前になって気象庁は4日は全国的に雨模様の天気になると言い出したのです その日の朝は雨粒は落ちてはいなかったものの、重そうな雲が空を覆っていました。 そのような状況の中、白黒茶々家は目的地に向かって出発しました。 当初は波は家に置いていくつもりだったのですけど、あまりにも行く気満々だったので、急遽連れていくことにしました。 そういえば、波ちゃにとっては清洲城は今回が初めてとなりますね。

ただし、ただお城に行って写真を撮って帰ってくるだけではナンなので、あちら方面に行くのだったらやはり名古屋モーニングを………
※名古屋モーニングとは、その地方の喫茶店などでおこなわれているサービスで、朝のモーニングの時間帯には、ドリンク代かそれに少しの料金を追加するだけで、トーストやゆで玉子、サラダなどが付いてくるというのです。(編集部注)
………いや、清須市にも同じような清須モーニングがありますし。 事前に調べてみたら、お得で美味しそうなお店がたくさん見つかって、どこに行こうか迷ってしまいました。 いや、焦点が定まったとしても、そのお店にたどり着く前に迷ったりして、モーニングサービスの時間が終わってしまう恐れがありますし………



さんざん悩んだ末に、私たちは名神高速道路の尾張一宮パーキングエリア(下り)に行き着きました 清洲城に行くのにはちょっと遠回りになるのですけど、こちらの一宮モーニングが最も分かりやすくて手っとり早いということで、落ち着きました。 なんとかモーニングの制限時間の11時までには滑り込めましたし。波ちゃ、私たちの朝の朝食モーニングが済んだら、PA内のドッグランに行ってあげるので、それまで車の中で待機していてくださいませ。
その気になる一宮モーニングは………



このような内容となっております バターが塗られたトーストにゆで小豆、ゆで玉子、サラダ、オレンジ1切れ、ドリンク(私はホットコーヒーにしました )と、ちょっと豪華です。これで420円(税込)なんて、かなりお得だと思いませんか? それから、トーストにゆで小豆を盛れば小倉トーストとなり、新たなバリエーションを楽しむことができます。 心もお腹も満たされて、再び私たちが外に出たら………



ポツポツと雨が降り始めていました。 それでも、まだなんとか大丈夫なレベルだったので、私は約束通りに波をドッグランに連れていくことにしました。



天候のこともあって、柵内のワンコは少なかったです。それに、波はドッグランでは走らないワンコですし。 ま、まあ、気分転換できたのならいいということで、次に行きましょう。
尾張一宮PAから車に乗って、20分ほどで………



今回の目的地の清洲城にたどり着きました。 しかし雨の量がさらに増えて、さすがに波を連れて外を歩くことはできない状況でした。いや、人間だけでも厳しいです。 やむを得ず、スマホで「清須市の天気」を検索してみたところ……… 14時台に一時的に雨から曇りになるという予報が出ていました。 とはいっても、それまでにまだ1時間以上もありますよ
私たちは車の中である程度待ったあと、お城の模擬天主の内部の展示などを見学しつつ、雨が収まるのを待つことにしました。



あ、それでもなんとか外に出て記念撮影ができなくもない状態になったので、急いでお城の前に並んでください このようにして、年賀状候補の写真が撮れたのですけど……… 私は胸ポケットにスマホを突っ込んだ状態で被写体になっていました。 箔母さんのポーズも、ヘ……… いや、微妙ですし。
………なんてやっていたら、また雨が降ってきたので、急いでお城の中へ



模擬天主は築30年近くも経ち、鉄筋コンクリート製ながらも内外とも木の板で覆われているということもあって、風格が出ていました。 しかし、大部分の展示スペースが撮影禁止となっていたので………



一気に最上階までワープさせていただきます。 そこで、私たちが見た風景は………



う~む……… 雨で思いっきりモヤっていますね。 晴天時は南側に名古屋市の高層ビルが見えるのですけど、それらは霧の中に飲み込まれていました。そのような状況だったので、お城の周辺の町並みや、眼下をひっきりなしに行き交っている列車や新幹線を見るぐらいしかありませんでした。 本来の清洲城の本丸跡は、五条川の向こう側にあるのですけど、現在はその間をJRの東海道本線と新幹線が貫き、分断されています。ちなみに右手の茂みの中に、天主台跡があります。
清洲城は15世紀初頭に、斯波氏の支城として築かれたのが最初と云われ……… えっ、時間がないので、このあたりで締めてくれですって ということで、清洲城の説明は次回の日記で改めてさせていただきます。それはもちろんのこと、白黒茶々家は納得のいく家族写真を撮れたのでしょうか?それから、波は歴女の名のもと、清洲城の歴史散策をすることができたのでしょうか?続きが出るのをお待ちくださいませ。


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古墳と愉快な埴輪たち

2018-11-21 01:39:49 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
話は前回の日記の続きとなるのですけど、奥山方広寺をあとにした私と波は、通り道ということもあって再び井伊谷地区を訪れました。 ただし、今回は直虎関連ではなく………



同地区の井伊谷城の麓にある、浜松市地域遺産センターに入っていきました。 その頃、その施設では………



「グレーな埴輪たち」なる企画展がおこなわれていました。 実際にグレー(灰色)の埴輪もあるのですけど、ここでいうグレーは、埴輪なのか土器なのか白黒ハッキリしないという意味のグレーみたいですね。 とにかく皆さまには、中に入って実物をお見せしながら説明させていただきます。 と、自動ドアを開けたら………



いきなりおびただしい数の埴輪の習字が、私を出迎えてくれました。 それらは、地元の小学生の作品でしょうか?それにしても「はにわ」の脱力感がいいですね。 それによく見てみたら、字の中に埴輪の絵が描かれている作品もありますし。



そのまた奥の2階には、柴咲コウさん三浦春馬さん荒井美羽ちゃんなど、「おんな城主 直虎」に出演した俳優たちのサインが並んでいました。先ほど私は「直虎関連ではなく」なんて言っていましたけど、ちょっと関わってしまいました。 この他にも、こちらにはバーチャル龍潭寺スコープ、井伊直親(亀乃丞)の青葉の笛や、井伊直虎関口氏経連書状の複製品などもありました。



そうそう、今回の本命は古墳の出土品でしたね。 企画展では、近隣の古墳から発掘された須恵器や………



円筒埴輪などがありました。昔、教科書でそれらを見たことがあるという方もいらっしゃると思います。



また、こちらの馬型埴輪は造詣が細かいというよりは、愛嬌すら感じますね。



さらにこちらには、男性と女性の人型、牛や鹿、ニワトリ、………など、インパクトありありの埴輪が並んでいました。多少修復されていますけど、本来の姿でほぼ間違いないと思います。 それらは須恵器の製造技法を採り入れて作ったみたいで、壷型といってもいいでしょう。いや、今回の企画展の発案者の意向に沿って、「グレー埴輪」と呼ぶことにしましょう さあ、皆さんもご一緒に グレー埴輪



それらの埴輪類は、浜松市北区の郷ヶ平古墳群6号墳から出土したそうです。 同古墳群は、三方原台地の北側から都田盆地に渡る地域に、5世紀後期から6世紀中頃にかけて断続的に造られました。近年の発掘調査によって、7基の古墳が確認されたのですけど、現在そのほとんどは開発によって消滅してしまったそうです。 それでも案内によると、平成25年(2013年)の時点では、4号墳はほぼ原型をとどめていて、6号墳は「一部残存」となっていました。
さらにそれらの場所を調べてみたら、都田総合公園の西南の住宅地となっていました。目印もありますし迷わず行けそうなので、今からそちらに向かってみることにしましょう



ということで、やって来ましたよ 郷ヶ平古墳群に。ちなみに後ろに見える茂みが、郷ヶ平4号墳にございます。 こちらの古墳群の中では、最も保存状態がいいというのですけど………



長い年月の間に盛り土が失なわれ、現在は2mほどの高さとなっています。それでも、前方後円墳の輪郭を確認することはできました。そうしたら、あの愉快な埴輪が多数出土した6号墳は、現在はどうなっているのでしょうか?



あれ?確かこのあたりにあるハズなのですけど……… 発掘調査時の地図と見比べてみたところ、植え込みのフェンスの向こうのアスファルト舗装が建物にぶつかるあたりに、あったみたいです。手前が前方部、奥が後円部となるのですけど、地上からはそれらの痕跡を読み取ることはできません。 案内看板みたいなものもありませんし。老人ホームの建設によって、4号墳以外はほぼ失なわれたのですけど、6号墳の一部はアスファルトの下に埋蔵されているのかも知れません。
今回の古墳レポートだけでは、以前のように冒険心を掻き立てられることもないまま淡々と終わってしまいますよね。 そうしたら、オマケと言ってはナンですけど、そこから近いといえなくもない場所にあって、私が以前に行きそびれた古墳に挑んでみることにしましょう
その古墳までは、迷わずに行けば車で10分ぐらいのところなのですけど………



そのすぐ近くに私の母方の菩提寺があるので、ついでと言ってはナンですけど、祖父母のお墓参りをしていくことにしました。 お爺ちゃん、お婆ちゃん、このような形でのお参りとなってしまって、ゴメンなさい。



そうしたら、いよいよ古墳に……… ってよく考えてみたら、こちらもお墓参りみたいなものですよね。 すでに案内標識にその名前が出ているのですけど……… いや、消えかかっていて判りにくいですね。 ちなみに私たちが目指しているのは、浜松市北区都田町にある、恩塚山古墳というところです。そこに続く坂道を登っていったら………



さらに険しい道となりました。 右手の細いほうが古墳道なのですけど、数年前にウチの車でそこを行こうとしたら、滑って上れなくて断念せざるを得ませんでした。 さらにさかのぼること今からン十年前の小学6年生の頃、私は親にお願いして、お墓参りの帰りに恩塚山古墳に連れていってもらいました。それは昭和⚪⚪年のことで、当時実家の自家用車だったスターレットターボはパワフルで、このような坂も難なく上っていってくれました。
そして現在。新型ジムニーならすんなりと行けそうなのですけど、ウチの車はアン・ジムニーでアン・スターレットターボ。 なので、今回は麓にその車を置いていって、波と一緒に歩いていくことにしました。



ある程度上ったところには古墳の見学者用の駐車スペースがあるのですけど、そこから道はより険しくなりました。 先日の台風によって枝葉が降り積もっていて、人が踏み入った痕跡はまったく見られません。



そのような山林の中で、フェンスに囲まれるようにして古墳があったのですけど、ン十年前もこうでしたっけ?とにかく、ゴールはすぐ近くです。



あっ、ありました 石室が口を開けていて、自由に出入りできるようになっています。恩塚山古墳は7世紀前半に造られた、直径11mほどの円墳です。その石室は、出入りのための通路(羨道)と棺を収める部屋(玄室)で構成されています。



もちろん、内部調査もしますよ 羨道のほとんどの天井は失なわれているのですけど、雰囲気はあります。そして、その先の玄室は………



鉄骨で補強されているのは、ン十年前から変わりません。それよりもこちらの石室は、かなり珍しい形をしているのですよ 写真からは判りにくいかも知れませんけど………



大半の古墳の玄室は、羨道の奥で縦に長いのですけど、恩塚山古墳のものは横に長く、Tの字のような形をしています。 このような形式の石室は、静岡県内では唯一であります。



今回の古墳の石室レポートも、いつものように向こうの世界に出ていく絵で締めることにしましょう。 現存している古墳の大半は、石室が失なわれているか埋まっていたり、もしくは元からなかったりするのですけど、洞穴好きな私としては、できることならあったほうが嬉しいです。今のところ、波ちゃもなんとか付いてきてくれていますし。 そんな調子で、これからも古墳探訪をしていく所存にございます。



ここから先は、さらなるオマケです。 たつぴの母校の静岡県立浜松大平台高校の前身となった県立農業経営高校は、かつては都田町にありました。現在その跡地がどうなっているのか気になったので、今回の古墳探訪のついでに、実際に見に行ってみることにしました。 その高校は、昭和39年(1964年)に県立浜松農工高校から農業部門が独立する形で開校しました。 ちなみに野球部は、実習が多くて練習時間が取れないこともあって、創部29年目にしてようやく初勝利を挙げました。

ピータンパパさんなどを輩出した農経高でしたけど、平成18年(2006年)に箔母さんの母校でもある県立浜松城南高校と統廃合し、浜松大平台高校として再生したことにともなって閉校。 気になるその跡地は………



市立都田図書館の向かいに位置していて、敷地の一部が公園となっていました。 さらにそのまた一角に、校訓が刻まれた石と、内山昇先生(?)の胸像がありました。たまには農経高のことを偲んで訪れてあげないと、なんか寂しいですよね。 一方の浜松城南高校の跡地は、現在は私立浜松修学舎高校のグラウンドとなっています。


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奥山に響き渡る食事五観

2018-11-17 01:40:40 | その他
こんばんは、白黒茶々です。
前回の日記の予告通り、は湖北五山のうちの1つの浜松市北区引佐町奥山にある大本山方広寺を目指して走っていきました。 そのお寺は龍潭寺から車で20分ほど行ったところの山奥、いや、奥山にあり………



広大な山あいの中に、その堂宇が点在しています。 正面入口にある山門も、立派ですね。 方広寺は臨済宗方広寺派の大本山で、建徳2年(1371年)に後醍醐天皇の皇子無文元選によって開創されました。 東海屈指の名刹で、奥山半僧坊の名で親しまれています。



また、その境内はワンコと一緒に散策することができます。 そういう私たちは昨年の9月にも訪れていて、その時は箔もいました。そういったトコで、その参道を歩いていきますよ



今回は波ちゃと一緒に歩いていったら………



こちらのほうも先日の台風24号の被害があったみたいで、一部の大木が倒れていました。そのような中でも、御神木の半僧杉は大丈夫なのでしょうか?



気になって見に行ってみたら、枝の一部は折れたみたいでしたけど、なんとか無事に残っていました。



それから、境内のあちこちに「もののけ姫」のこだまのように点在している五百羅漢も、健在でした。それらの羅漢さんは夜な夜な動き出しているというウワサがあるので、パンフレットのものと見比べてみたら……… 石橋の上の数が違っていましたよ 3体あるハズなのに、実際には4体になっていますし。



ま、まあ、それは置いといて、さらにその先に進んでいきますよ こちらの参道は、未舗装なうえにまわりが鬱蒼としていて、独特な雰囲気があります。ここから先は上り坂となります。



その最頂部には駐車場があって、さらにその一角には、大正12年(1923年)に京都山口玄洞氏の寄進によって建立された、三重の塔が聳え立っています。 これ以上外に出たら有料ゾーンからはみ出してしまうので、このあたりで引き返します。その坂道から見える風景は………



このようになっています。ここからは、方広寺の全景を臨むことができるのですよ。 ということで、今から境内で最大規模の大本堂に向かいます。

そこに至るまでには、先程の全景の中にもあった、屋根が付いた赤い橋こと亀背橋を通っていきます。そこからは眼下に紅葉を見ることができるので、あの有名な京都東福寺の通天橋のつもりでお渡りくださいませ。 とはいっても、私は東福寺には行ったことがないのですけど。 と、とにかく、そこで私が見た風景は………



う~む……… 時季的には早かったみたいで、紅葉はまだ色付いていませんね。



いきなり大本堂に行くのもナンなので、段階を踏むようにして半僧坊真殿を拝んでおきましょう。 ちなみにこちらは、鎮守の半僧坊大権現を祀っています。



やはり大本堂は近くで見ると、デカいですね。 こちらの建物は、明治38年(1905年)から再建工事を始め、13年かけて大正7年(1918年)に完成しました。また、その中央には………



幕末から明治にかけて活躍し、静岡県にもゆかりのある山岡鉄舟が揮毫した、「深奥山」大額が掲げられています。ところで、この読み方をご存じの方はいらっしゃるでしょうか? 「ふかおくやま」ではありませんよ。 そういう私も、前にこちらを訪れた際に正しい読み方を覚えたハズなのに、今回思いっきり「ふかおくやま」と言ってしまいました。 それはさておき、正解発表まで5秒、4、3、2、………
※ブログの記事の中の問い(クイズ)で制限時間を設けるのは、無理があるような気がするのですけど。(編集部注)
正解は「じんのうざん」で、方広寺のある奥山の山号のことを示しています。

………と、ここまでは以前にもやった境内の散策とほとんど同じなのですけど、今回はそこからもう一歩踏み込む決意をして、こちらを訪れたのですよ。 2年前に訪問したときの日記に、私が「嗚呼、次に来たときには『食事五観』と精進料理のセットを味わいたい。」と書いていたことを覚えている方は、いらっしゃるでしょうか?そういう私は、ずっとそのことを心に留めていました。



こちらのお寺では、11時~14時に大本堂の前の受付に申し込めば、季節の精進料理(税込2160円)か精進うな重(税込1296円)をいただくことができるのですよ 当日でも受け付けてくれるのですけど、お寺の行事などで食べられないこともあるので、確実にいきたかったら電話で確認してからお越しくださいませ。 今回私が申し込んでみたら、30分後には準備ができているとのこと。私にとっては初めての精進料理となるので、精進うな重から入っていくことにしました。また、その際に「本物の鰻ではないのですけど、大丈夫でしょうか?」と聞かれました。私としては、そのことは重々承知だったのに。以前にそのことで、トラブルでもあったのでしょうか?
いずれにしても私が食事している間は、波には車の中で待機していてもらうことにしました。 彼女を駐車場の車のところに連れていったあとは………



まだ少し時間があるので、大本堂などを見学しながら、お寺の食事には付き物の「食事五観」の説明と、そのことに関する私の思い出や想い入れについて語らせていただきます。 話すと長くなるのですけど、ここまできたら諦めてお付き合いくださいませ。
食事五観は、お寺で出された料理をいただく前に唱えるお経みたいなもので、五つの文章で構成されています。それらには、食べ物をいただく意義と感謝の意味が込められていて、方広寺では来訪者でも食事の前には必ずやることになっています。



こちらの建物は間口32m、奥行27mもあるので、内部も広いですね。 それから観音堂開山堂上天台舎利殿とは渡り廊下で繋がっているので、それらの場所には自由に行き来することができるのですよ。
今からン十年前、私の高校では入学式のあとに宿泊訓練がありました。 その際にこの奥山方広寺の研修所が使われたのですけど、やはり自動的に朝の清掃や座禅、食事五観は付いてきました。しかし、それで終わりではなく、私が高校2年の時には、希望者を募って同じ場所で勉強合宿をやることになりました。「お寺の合宿は規律が厳しいし………」私はほとんど行く気はなかったのですけど、友人のF君などに粘り強く説得され、しぶしぶ付き合うことにしました。

またしても食事五観は必須だったのですけど、何回も唱えているうちに私はその文面をすべて覚えてしまいました。 身に付けたらやはり、みんなの前でも活用したくなりますよね 私は食事の時間には自ら進んで、合宿の参加者全員の前に立ち、拍子木を手にして食事五観の音頭を取るまでになりました。

あれからン十年、食事五観を披露する機会はなかなかなくて、文面もすっかり忘れている……… と思いきや、今でもハッキリと言えるのですよ あの合宿では、私は受験に必要な勉強法以上に、食事五観のほうを身に付けていたのですね。
昨年は、そんな食事五観との思い出を振り返りながらお寺の境内を散策し、そのことをFacebookに載せたら……… あのF君が「白黒茶々が食事五観をやらないで帰ってくるなんて、どうしちゃったんだ 」という書き込みをしてきました。実は私もそのことが心に引っ掛かっていて、今回強い決意をして奥山を訪れたのでした。
そうしているうちに、いよいよ今回のお食事の時間となりました。



先程の受付から僧侶に案内され、円明閣という研修施設の食堂に通されました。 ただし、その室内は食事中の方もいるので、入口の様子だけでご了承くださいませ。それにしても「羅漢の間」なんて、奥山らしいネーミングですね。



お寺での食事とはいっても、お膳を前にして畳の上で正座ではなく、テーブルに椅子という手軽なスタイルとなっていました。 私の目の前には、すでに精進うな重も配膳されていますし。 そこで僧侶から食事五観の説明があり、いよいよそれを唱えることになりました。
「では、私と一緒にお唱えください」
よろしかったら、パソコンやスマホの前の皆さんもご一緒に



一つには功の多少を計り、彼の来処を量る。
(この食事が、自分の前に運ばれるまでには、数えきれない多くの方の労力と自然のお恵みを頂いている事に感謝いたします。)
二つには己が徳行の全欠をはかって供に応ず。
(自分の日々の行いが至らないが為にこの食事を頂くことを過分に思います。)
三つには心を防ぎ、過貧等を離るるを宗とす。
(この食事にむかって、貪る心・厭う心を起こしません。)
四つには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんが為なり。
(この食事を自分の体を形成するための良い薬だと思って頂きます。)
五つには道業を成ぜんが為に当に此の食を受くべし。
(今後の自分の成すべきことの成功の為にこの食事を頂きます。)
原文ママ、そのあとに「いただきます 」もお忘れなく。

私は食事五観には自信があったのですけど、念のために来る途中に車の中で予行演習をやってみました。そうしたら、三つの「過貧等(とがとんとう)を離るるを宗とす」と四つの「良薬を事とするは、形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為なり」のあたりで噛んでしまいました。 ここで失敗したら、長年の想いを不意にしてずっと後悔することになるので、何回も練習しました。 その結果………

大々的に掲げられた文面も見ないでハキハキと唱えることができ、お付きの僧侶は「どこかで体験されたことがあるのですか?」と驚いていました。 「実は、ン十年前にこちらに合宿に来た時から覚えていて、ずっとやりたいと思っていたのですよ 」
その僧侶とのやり取りの様子を箔母さんに伝えたら「その時の白黒茶々さんのドヤ顔が目に浮かぶようだ」と言っていました。



そうしたら、精進うな重をいただくことにしましょう。 精進料理は肉や魚といった生臭物はもちろんのこと、宗派によっては、にんにくやニラ、生姜も使われていません。こちらの精進うな重も、豆腐・山芋・蓮根などを蒸して焼いてうなぎに見立て、その背面に付けられた海苔が、うなぎの皮の役割をしていました。それらに山椒の粉をかけて、はむっ………
うはっ、タレもよく染みていて、本物よりあっさりしているものの、味といいふんわりとした歯応えといい、うなぎそのものではありませんか 精進料理の象徴ともいうべき胡麻豆腐も、味が練り込まれているうえに、ちょこんと乗ったわさびがより美味しさを引き立てていますし。 これなら「今年も高くて本物のうなぎが買えなかったから、精進うな重でガマンして」という事態になったとしても、私としては大満足ですよ

今回の奥山訪問は、波との境内散策だけではなく、精進料理や食事五観などもあって、今まで以上に満たされました。 すっかり味をしめた私は、次回は季節の精進料理を試そうとする一方で、ワンコ仲間も巻き込み……… いや、誘い合わせて訪れようと目論んでいます。 なので、それらに興味を持たれた方は、私にご一報くださいませ お待ちしております。


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「おんな城主 直虎」後の井伊谷

2018-11-14 00:31:43 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
現在放送中のNHKの大河ドラマ「西郷どん」は残り5話(11月14日現在)だけとなり、終盤の大きなヤマ場を迎えつつあります。 なかには「史実に反してもいいから、どうか西郷さんを死なせないで」という熱狂的なファンの方もいらっしゃるかも知れません。
その一方で、来年の大河ドラマは何なのかご存知でしょうか?答えは「いだてん~東京オリムピック噺~」であります。 宮藤官九郎さんの原作・脚本で、日本人として初めてオリムピック(オリンピック)に出場した金栗四三(中村勘九郎)と、1回目の東京オリンピックの招致に尽力した田畑政治(阿部サダヲ)の2人の男の物語です。そのうちの田畑政治は、私の地元の浜松市出身なのですよ そういうこともあって、こちらではすでに彼の名前を売り込む活動が始まりつつあります。 そういう私も、来年に入ってから、彼が関わった場所をと一緒に訪ね歩く所存にございます。あ、それから「いだてん」のナレーションは、彼らがいた時代に活躍していた落語家の古今亭志ん生師匠に扮したビートたけしさんがやることになっています。



これからの予定はそのような感じですけど、皆さんは昨年の大河ドラマのことはまだ覚えていらっしゃるでしょうか? まさか、タイトルまでも忘れたなんて言わないでくださいよ。箔波日記の今回のタイトルを見て「ああ、ああ………」というのもギリギリセーフとするので、どうかご安心くださいませ。 はい、「おんな城主 直虎」にございます。そちらのドラマも浜松市が舞台となったので、昨年はこちらのほうは直虎フィーバーが巻き起こって、大いに盛り上がりました。 その放送が終わってからもうじき1年近くにもなるのですけど、ドラマの中心となった浜松市北区井伊谷(いいのや)は今はどうなっているのでしょうか?私は波と一緒に訪れてみることにしました。



………といいつつも、私たちはそこに行く途中にある浜名湖サービスエリアに寄り道していきました。 こちらはこの日も旅の途中で立ち寄った人たちで賑わっていて、ワンコ連れもちらほらいました。しかし、スピマジックはありませんでした。



その一方で、ちょうどみかんが旬の時季ということもあって、その詰め放題もやっていました。 小さめのビニール袋に入るだけ入れて300円。我こそは という方は、ぜひ挑戦してみてくださいませ。



こちらのSAは、浜名湖を見渡せる高台の上にあります。 そこで写真を撮ったら、いよいよ井伊谷に向かいますよ



………ということで、やって来ましたよ 田んぼのど真ん中に浮き島のようになっているところは、「おんな城主 直虎」でもキーポイントとなった、井伊共保(ともやす)公出生の井戸にございます。ちょうど収穫前の黄金の稲穂に囲まれていて、いい感じですね。 さらに、あちらの囲いの中には石碑や井戸があるのですけど、井戸の蓋が開いているので、覗かせていただきます。



う~む……… さすがに底が埋まっていますね。 初代当主の共保はこちらの井戸で生まれたとも、拾われたとも云われているので、井伊家発祥の地でもあるのですよ。
ここから歩いてすぐのところに、ドラマでは重要な拠点となり、井伊谷観光ではハズせない龍潭寺があるのですけど………



いきなりヤマ場を持ってきてしまうのもナンなので、妙雲寺(自耕庵)から入らせていただきます。こちらは井伊直虎が晩年を過ごしたとされるところで、その本堂には彼女と南渓和尚の位牌が安置されています。



う~む……… 閉まっていますね。こちらのお寺は長いこと住職が不在で、「おんな城主」の放送前後の週末には、ボランティアのお年寄りが交代で管理&公開してくれたのに。 とにかく、ぜひ見ておきたいところだったのですよ。



次は、渭伊神社であります。こちらは、古代から井伊谷の大産神として崇敬されてきたそうです。



さらにその裏側の小さい丘の上には………



古墳時代から祭祀の場として使われてきた、天白磐座(てんぱくいわくら)遺跡があります。こちらは現在でもパワースポットとなっています。また「おんな城主」ではロケ地にもなり、その第1話では、おとわ(のちの井伊直虎)、亀乃丞(井伊直親)、鶴丸(小野政次)の遊び場になっていましたね。



そうしたら、お待たせしました!いよいよ龍潭寺に参ります。こちらは「おんな城主」をやっていた頃は臨時駐車場も満車になるほどの大賑いだったのですけど、今回私たちが訪れたのが午前の早い時間帯だったからでしょうか?お寺のまん前の駐車場にすんなりと入ることができました。



お寺の境内は、ワンコを連れて自由に散策することができます。 その左手には、直政の無事成長を願って植えられたという、樹齢400年以上にもなる凪の巨木があります。



立派な仁王門は、近年再建されたものであります。 そのまた向こうには………



延宝4年(1676年)に建てられた本堂が聳え立っています。 龍潭寺の歴史は古く、奈良時代に行基が開創したと云われています。 平安時代には寺域が井伊家初代共保の支配下となり、室町時代には20代直平に帰依された黙宗瑞淵禅師が、新たな龍潭寺の開山となりました。それ以降は京都妙心寺流派の臨済宗のお寺として再生し、龍潭寺二世の南渓和尚は、井伊家再興に貢献することになる直虎を育てました。



境内には、井伊家代々のお墓もあるのですよ。ちなみに奥から直盛妻(千賀)直虎直親直親妻(しの)直政となっております。



それから、中野直由新野左馬助といった、井伊家を支えてきた家臣の墓所もありました。



江戸時代中期に建てられた本堂庫裡と、こちらの開山堂は、いずれも県指定文化財となっております。 そのまた奥の、井伊家の位牌や木座像が納められている御霊屋は、この時は修理中でした。
このあたりで有料ゾーンの屋内に入りたいのですけど、そこからはワンコはNGなので、波ちゃは車の中で待っていてくださいませ。

本堂の廊下は鶯張りとなっているので、その音ときしみ具合を楽しみながらお歩きくださいませ。 その正面となる南側には………



枯山水の「補陀落の庭」が広がっています。こちらの庭は、浜名湖を表現しているとのことです。



さらに順路を進んで、本堂の廊下のコーナー上には、左甚五郎作と伝わる一刀彫りの龍が掲げられています。 これはかつてあった大仏殿の蛙股の装飾に使われていたそうです。



本堂の裏手となる北側には、江戸時代初期に小堀遠州によって造られた、池泉鑑賞式庭園があります。こちらは龍潭寺では最も有名なところで、パンフレットの表紙にもなっています。 その庭を、縁側の長座布団に座ってゆっくりと眺めていたいですね。 せっかくなので、その全体を見渡せるところまで行ってみます。そこで私が見た風景は………



う~む……… 池のまわりに植え込みや岩を配分して造られた庭は素晴らしいのですけど、それらの借景となっている御霊屋が修理中なのが惜しかったです。 それでも、完全体ではない風景だとしても、見る価値はありました。

「おんな城主 直虎」が終わったあとの龍潭寺も含めた井伊谷は、最盛期のような人の波はなかったのですけど、犬の波は……… いや、とにかく静かな中でも、たまに団体客が訪れたりして、そこそこ賑わっていました。 ドラマの放送中に行きそびれた方だけではなく、また気になり出した方も、ぜひ井伊谷にお越しくださいませ。
直虎紀行を終えた私たちは、さらに次の目的地に向かいました。 龍潭寺と同じ湖北五山の1つなのですけど、そちらでは私は境内の散策だけではなく、ン十年ぶりに⚪⚪⚪⚪をしました。 出家や剃髪まではいかないのですけど、そのお寺で体験できる⚪⚪⚪⚪とは?次回に続きます。


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20回目の結婚記念日

2018-11-10 01:33:39 | 年間行事
こんばんは、波ですワン。
10月25日はお父さんとお母さんの結婚記念日ということで………



結婚式の披露宴で使われたメインキャンドルに、今年も灯が点されたのなの。 実は、今月の初めに台風で停電したときに長時間このキャンドルを使ったこともあって、頂上部の形がけっこう変わっているのですよ。 それから、昨年はなみの右側に写っていた箔兄さんが今はいなくて………



………なんて想い出に浸ろうとしたところで、電気を消されてしまったのなの。 「箔兄さんはここにいますよ 貴方たちには見えないのですか 」ここでこのようなことを言ったら、しんみりしたムードが一変してホラーになってしまうので、このあたりでやめておきます。とにかく、今回は結婚記念日のお話なの。



こんばんは、白黒茶々です。
今年の10月25日は、朝から秋晴れの心地よい空気に包まれていました。 ちょうど20年前のこの日も、同じような天気でした。その日に箔母さんは、浜名湖畔にあるホテルで結婚式をおこないました。



当初はゾロ目の平成10年10月10日の体育の日を狙っていたのですけど、招待した方の仕事の都合などを考慮して、25日の日曜日にしたのですよね。 それから、その当時の体育の日は、まだ10月10日に固定されていました。さらに、結婚記念日はいつのことを言うのかという話ですけど、白黒茶々家では結婚式と披露宴がおこなわれたこの日にしています。



あの頃は、お義母さん(箔母さんのお母さん)もまだ元気でした。 しかし、8年後のちょうどその日に亡くなってしまったので、私たちにとって10月25日は結婚記念日であり、お義母さんの命日でもあるのですよ。 なので、今年のその日も、手を合わせておきました。



飛んで、結婚式の翌日から私と箔母さんは、新婚旅行でハワイに行っていました。 ホノルルのワイキキビーチでは、大量のナマコを捕まえて、テンションが上がりまくり……… それは今でもいい思い出となっています。 なかには「ワイキキビーチにナマコなんているワケない 」と仰る方もいますけど、確かにいました。これが証拠写真です。 それらのナマコは食べたりはしないで、交流を深めた後に再びワイキキの海に放したので、どうかご安心くださいませ。
ついナマコ談義に入ってしまいましたけど、私たちはハワイから帰国後の11月2日に、正式に入籍しました。

しかし今年の10月25日は、キャンドルに点火したり結婚式の思い出話などはしたのですけど、普通に家で御飯を食べて、普通にお風呂に入って、普通に寝ました。 実は白黒茶々家では数年前から結婚記念日は合理化されていて、そのお祝いのちょっと豪華なディナー(肉祭り)は、直近の日曜日に食べに行くことになっていました。 その日を前にして、私は箔母さんに行きたいお店を聞いてみました。
「お祝いのディナーは、(ステーキの)あさくまとブロン………」
「あさくま 」
速答でした。まだ候補の店名を全部言っていないのに。ま、まあ、そのお店はここ数年はすっかり定着していますし、私も行きたいと思っていましたし。 ということで、今回もステーキのあさくまとなりました。



そして結婚記念日から10日後の11月4日に、私たちは後夜祭のような感じであさくまに行きました。 ただし、今回は毎年利用している鹿谷ガーデン店ではなく、そこよりもっと遠い三方原店にしました。
お店に入ったのがディナーにしてはちょっと遅い20時過ぎということもあって待ち時間はなく、すぐに席に案内されました。



そうしたらさっそくメニューを選んで、サラダバーとドリンクバーを取りに行きますよ ちなみにあさくまのすべてのメイン料理にはサラダ、牛スジカレー、コーンスープなどが付いていて、いずれも食べ放題となっています。 牛スジカレーは辛さが控えめながらも、コクがあって味わい深いのですよ。 さらにこちらのお店にはカレーのお供として、白米とガーリックトマトライスの2種類が用意されていました。それからコーンスープは、昔ながらのあさくまの味。 コーンの風味の中に甘さがあり、何杯でもおかわりしたくなります。やはりそれらには、品数豊富なドリンクバーも付けておきたいですね。



お飲み物が各自の手元にまわったので、ここで乾杯の音頭を取らせていただきます。よろしかったら、パソコンやスマホの前の皆さんも一緒にご唱和くださいませ。 では………
結婚20周年を祝って、かんぱ~~~い!




それから間もなくして、メインディッシュが運ばれてきました。 ステーキのように見えますけど、これは学生ハンバーグであります。そうしたら、鉄板が熱いうちにソースをかけてお召し上がりくださいませ♪



デザートには、自分で焼いて作るたい焼きもあったのですけど、これは生地の量を間違えると大変なことになります。 実は、私もついやってしまい、たい焼き器から生地が思いっきりはみ出し、羽根の部分を含めたらこの3倍ぐらいはありました。 なので、ここだけの話ですけど、撮影する前に食べて形を調えておいたのですよ。それからいつものお店にはなかった、わらび餅やカスタードプリン、もなかの皮なども備えられていて、デザート部門は充実していました。 それらにソフトクリームを組み合わせれば、美味しさと楽しさはぐっと広がります。
つい目移りして、またしても食べ過ぎてしまいました。歳とともに食が細くなりつつあるのですけど、このような時に備えて胃袋を含めた消化器を鍛えておきたいです。


「ステーキのあさくまに行ってきました♪」

それから、あさくまではメール会員限定の割り引きに加えて、来店したことをSNSで広めたら、さらに100円値引きしてくれるサービスもやっています。 そういうこともあって、私はその夜は宴の様子をFacebookにしたためました。それに伴って、皆さまからたくさんのお祝いのお言葉をいただいて……… とても感謝しています。

気付いたら、今回の結婚記念日の後半はあさくまの食レポートとなってしまいました。 それでも私たちにとってその味は、結婚記念日の嬉しかった想い出に繋がるので、ヨシとしておいてくださいませ。
結婚式から20年にもなるのですね。赤の他人だった二人が出逢い、心を通わせて結婚し、家族になるなんて、改めて考えてみたら奇跡のように思えてきました。 もう20年、いや、まだ20年?これからはあさくまパーティーをしつつも、箔母さんと夫婦の歴史を重ねていきます。


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わんマルからフローラルガーデンへ

2018-11-07 01:16:43 | ワンコイベントの類
こんばんは、白黒茶々です。
前回から、たつぴの白黒茶々家の2人と1頭は、わんマル(わんこマルシェ)がおこなわれている安城市のアンフォーレ安城に来ています。 こちらの一角で、ワンコ仲間と集まることになっているのですけど、それまでは自由時間となっているので、この会場を廻ってみることにしましょう。



ワンコのマルシェということもあって、犬関連の洋服やリード、おやつなどのお店はもちろんのこと、犬の保護活動の展示などもありました。 あと、人間用の食の屋台やキッチンカーも来ていましたよ それらの他にも………



ハロウィンにちなんだお化けの撮影スポット……… のような立て看板があったので、波と一緒に写しておきましょう。



こちらは、より本格的ですね。 順番が来るまで、並んで待ったカイがありました。それから、小型犬に混じっての撮影でしたけど、重量オーバーでセットが壊れるようなことがなくてよかったです。



まだ時間があるので、あと1ヶ所いいでしょうか?このような場面では、黒犬や黒猫のほうが映えるのですけど、せめて波ちゃには魔女帽子のような小道具を持ってくればよかったです。
とかなんとかやっているうちに、集合時間となりました。これまで会場に分散していたお仲間が群がってきたので、改めてご紹介いたします。



まずは、知立市のピースちゃん(6歳)とミルク君(1歳)です。彼女らとはオフ会などの集まりでご一緒することが増え、箔波日記ではすっかりお馴染みとなりました。



仲良く(?)カートに乗っているのは、静岡市から来たましろ君(スピッツ、1歳)とチャチャ君(オレンジポメ、もうじき2歳)です。この日は同居犬のこむぎちゃん(黒ポメ、1歳)、ちよちゃん(チョコポメ、もうじき2歳)、シェリーちゃん(シェルティー、5歳)も一緒で、ましろ家のワンコは総動員となりました。



私にとっては初めましてとなるのは、地元の安城市のれん君(スピ、2歳)、くん君(ミニチュアダックス、8歳)、りんちゃん(ミニチュアダックス、7歳)の3ワンです。こちらこそ、よろしくお願いいたします。



豊田市のめいちゃん(11歳)、はるちゃん(8歳)とは、今春の岡崎公園の五万石藤での白ふわ集会でもご一緒しましたね。 ちなみに彼女たちは親子であります。



浜松市のレオン君(10歳)、くまちゃん(2歳)の傍らにいる子も、新顔であります。 彼女は安城市にお住まいの、ころもちゃん(2歳)といいます。なんか、波と顔が似ているので、親しみを感じます。
今回の参加者が揃ったので………



忘れないうちに集合写真を撮っておきましょう 10スピを含めた18頭のワンコが、1つの画面に収まりました。そのまたお友達の白と黒のトイプーちゃんも一緒だったのですけど、お名前を聞くのを忘れていました、ゴメンナサイ。
わんマルでの行動は以上で終わりなのですけど、まだ14時台でこのまま帰るのもナンだったので、みんなして3次回で公園を散歩することにしました。 そのようにして、私たちが向かったところは………



アンフォーレ安城からはちょっと離れた刈谷市にある、フローラルガーデンよさみでした。こちらは現在は花と緑に囲まれた、市民の憩いの場となっているのですけど………



戦中から戦後にかけて使われた依佐美送信所とその社宅の跡で、平成19年(2007年)に公園と記念館が整備されました。 そのようなところに………



みんなが到着したので、園内を散策することにしましょう



この頃はちょうど季節の花の移行期ということもあって、咲いているものは少なかったのですけど、そのような中でもなんとか見つけたり………



これぞというところにワンコを据えたりして、楽しい撮影会に突入しました。 門柱の上に、狛犬のように黒デビルとチョコデビル……… いや、小悪魔ちゃんたちがいる風景は、グッときますね



それを白い子たちでやってみたら、こうなりました。 こちらもまた、違った趣がありますね。



こちらでも、集合写真を撮っておかなければ ということで、絵になりそうなところを探していったら、この場所に行き着きました。



さらに、サボテンの前でも撮っておきましょう 楽しい時間はあっという間に過ぎ、気付いたら日が暮れ始めていました。今回はたくさんのお仲間たちと交流することができ、さらにその中にはお馴染みの顔と初顔もあって、充実した時間を過ごすことができました。 このあとも展覧会や紅葉狩りなどで集まる機会があるので、楽しみにしています。


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わんマル安城 in アンフォーレにいらっしゃい!

2018-11-03 01:24:48 | ワンコイベントの類
こんばんは、白黒茶々です。
秋が深まるとともに、ワンコ関連のイベントも増えつつありますよね。 そのような10月の中旬に愛知県安城市のアンフォーレ安城で、わんマル安城がおこなわれることになりました。 わん丸君とは犬山市のご当地キャラで、頭にちょんまげを乗せていて………
※茶々さん、わんマルとわん丸君は全くの別物ですよ!それに、こちらには「安城」が付いていますし。(編集部注)
失礼いたしました。 わんマル違いでした。安城のわんマルは、ワンコと一緒に楽しめるマルシェで、その会場にはワンコ関連のお店やブースが多数出展して、多くのワンコ連れで賑わうというではありませんか それに、誘ってくださったスピッツ仲間ともお逢いできますし。私はその日がくるのを楽しみにしていました。

そして、いよいよその当日となりました。今回のお仲間とは、まずは三河安城駅の前にあるシュウ&クリームさんというお店に集まり、そこでお昼を食べることになっていました。 ちなみに今回の白黒茶々家のメンバーは、たつぴの2人と1頭でした。それよりも、せっかくそちら方面に行くのだったら、その途中で休憩と時間調整を兼ねた寄り道をしておきたいですね。 そうしたら、三河一向一揆の舞台となった本證寺は……… 通り道から思いっきり外れていますし、ミニ遊園地の堀内公園は……… この日はイベントをやっていて混んでいるみたいですし。 紆余曲折の末に、私たちが行き着いたところは………



このような所でした。この公園の中の茂みにお城の気配を感じられたそこのアナタは、鋭いです



こちらは安城市にある安祥城(安城城)の跡であります。 このお城は、永享年間(1429~1440年)に和田氏によって築かれた居館が始まりとされています。さらに文明3年(1471年)頃には、徳川家康の祖先である松平信光が安祥城を謀略によって奪取しました。 以降4代にわたって、安祥城は松平氏の居城となりました。ちなみに信光は松平家の3代目、家康は9代目に当たります。



園内の案内図の隣にある、立体模型というか地形図を見れば、よりその様子がわかると思います。
その後、松平一族は尾張の織田方と駿河の今川方の2つに分かれて敵対します。そのような状況の中で、織田氏と今川氏は安祥城を巡って激しい攻防戦を繰り広げました。



本丸跡の傍らには、立派な城趾碑が立てられていました。
松平氏は今川と織田の狭間にいる弱い立場だったのですけど、永禄3年(1560年)の桶狭間の合戦を経て、松平元康(のちの徳川家康)は織田信長と同盟を結びました。それに伴って、安祥城は廃城になったと考えられています。



その本丸跡には、現在鯱ホコが乗った立派な楼門が構えられているのですけど、こちらは大乗寺というお寺の山門で、安祥城の城門ではありません。



本丸跡の大部分は、大乗寺の境内となっているのですけど、かつてお城があった丘陵の地形や土塁の一部、それから………



本丸と二の丸を仕切る堀切の面影がまだありました。その二の丸跡に続いている階段を上っていったら………



こちらは現在、八幡社という神社の境内となっていましたよ かつて松平氏の本拠地となっていたお城が、未来には本丸がお寺に、二の丸が神社になっていたなんてことを信光公が知ったら、驚くことでしょう。



あと、安祥城跡の一角には、市民ギャラリー(埋蔵文化財センター)と歴史博物館が建てられていました。今度時間のある時にこちらを訪れたら、それらの施設もじっくりと見ておきたいですね。
その安祥城跡と、この日の目的地となるアンフォーレ安城、シュウ&クリームさんは、県道78号線の1本の道路で繋がっているので、とてもわかりやすいです。 そのおかげで………



私たちにとっては初めてとなるシュウ&クリームさんには、迷わずにたどり着くことができましたよ こちらには、すでにたくさんのお仲間が集まっていました。



シュウ&クリームさんはドッグカフェではないのですけど、トイプードルの看板犬がいたりして、ワンコを連れてお店の奥まで入ることができるのですよ。 席に着いてから、みんなしてわいわいやっているうちに………



波ちゃの鼻が美味しそうなニオイを捉えたみたいですね。 その彼女の視線の先には………



たつぴの目の前で香ばしい煙とニオイを立ちのぼらせている、ステーキランチ(サラダ、ライス、ドリンク付き、税別1580円)がありました。



一方の私は、特製ぎゅうハンバーグランチ(サラダ、ライス、ドリンク付き、税別1080円)にしました。 牛肉100%ということもあってハンバーグは柔らかく、そいつをちょっとスパイシーなシュウクリ特製ソースが包み込んでいて、あと引く美味しさでした。 あ、それからライスはお茶碗に入っていましたよ。



10月中旬とはいってもこの日は暑く、みんなして食後のドリンクは冷たいものにしていました。 ただし、私だけは季節に関係なくホットコーヒーでした。



その間、ワンコは私たちの足元などで待機していたのですけど、おやつタイムになったら、みんなで群がっていました。 やよっちさんが囲まれていますね。楽しく美味しい食事の時間が終わったら、この日のメインとなるわんマルがおこなわれているアンフォーレ安城に向かいますよ と、シュウ&クリームさんの外に出たら………



9月のわんわん秋祭りでご一緒した、ポメラニアンのちい君くうちゃんが、私たちとは入れ替わりでお店に入るところでした。わずかな時間でしたけど、こちらでもお逢いすることができて、嬉しかったです。
二次会の場所となるアンフォーレ安城には、みんなバラバラで移動し、現地で集合することになりました。 そこまでは1本道なので、迷うことはないのですけど、その駐車場には難なく入れるのでしょうか?



実際には、ほとんど待たずに入ることができました。 私たちが訪れたのがお昼過ぎで、朝から来ていた第1陣の方たちががちょうど退却したところだったみたいです。その立体駐車場の上層階からは、わんマルの会場を見渡すことができました。 かなりの数の出店や出展があって、賑わっているみたいですね。



………ということで、地上に降り立ちましたよ こちらにはいろんな種類のワンコがいて、彼らを観察するだけでも楽しいです。 そのような中で………



秋田犬が、私の目に留まりました。 秋田犬といえば……… 上野英三郎氏に贈られた、ハチ公が有名ですよね。 その犬種は海外でも人気みたいで、最近はザギトワさんマサルちゃんが、ドルゴルスレン・ダグワドルジさんにはマサオ君が贈られました。
そういえば、日本スピッツも彼らと同じ日本犬でしたよね。 ということで、次回はこちらの会場でスピ仲間と合流し、さらにその勢いで三次回の公園になだれ込む様子をお伝えします。


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