波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

上田城の珍変遷(信州紀行その5)

2021-10-30 01:41:11 | お城

ハッピーハロウィン!白黒茶々です。

長々と綴っていったとの信州の旅日記は、今回で最後となります。 その最深部として私が選んだのは、上田駅真田幸村像が大ヒントで………

はい、上田城跡にございます 尼ヶ淵と呼ばれるこのあたりにはかつては千曲川の分流があって、お城の天然の堀となっていました。 そこから切り立った河岸段丘の上には、貴重な建築遺構の西櫓が聳え立っています。

さらに、その向かい側には南櫓 こちらは今日に至るまで紆余曲折があったのですけど、後ほど説明させていただきます。 そうしたら、今からそれらの建物がある本丸跡に向かいますよ 尼ヶ淵から城壁を伝っていったら………

私たちは二の丸の堀跡を歩いていました。 このあたりは皆さんもお察しの通り、お城の空堀の底であります。しかもそれだけではなく、こちらには昭和47年(1972年)まで上田温電北東線の電車が通っていたのですよ そこから(底から?)上がっていく階段があって、私たちは地上の二の丸跡に行き着きました。 さらにその西側には………

南櫓と北櫓を両脇に備えた東虎口櫓門が構えられています。 こちらのお城も、私にとっては29年ぶりなのですけど、その頃はまだ東虎口櫓門は復元されていませんでした。 そうしたら、上田城を代表する景観を眺めつつ、このお城の歴史に触れさせていただきます。
上田城は天正11年(1583年)に真田昌幸によって築かれました。 その後、徳川軍による攻撃を2度も退け、難攻不落の城としてその名を轟かせました。 しかし関ヶ原の戦いの後、東軍に就いた真田信幸(のちの信之)は松代に転封。 西軍に味方した昌幸と信繁(のちの幸村)は高野山に蟄居となりました。 それだけではなく、城の堅固さを恐れたからでしょうか?それとも、城攻めの失敗の恨みからでしょうか?上田城は徳川の手によって徹底的に破壊されてしまいました。 なんか、大人げないですよね。

その後上田には仙石忠政が入り、寛永3年(1626年)からお城の修築工事に着手しました。 今日見られる上田城は、この時築かれたものです。 東虎口櫓門の脇には、「真田石」と呼ばれる直径3mほどの巨石があります。 この石は、真田信之が松代に持っていこうとしたのですけど、全く動かなかったと云われています。

本丸の西側から北側、東側にかけては高い土塁と深い水堀で守られています。 さらに、その東北隅は鬼門よけのために切り込まれています。

二の丸の北虎口は、石垣が築かれていて堅固です。

私たちは再び北櫓、東虎口櫓門、南櫓が連なる一角にやって来ました。 上田城は明治時代初期に廃城となり、建物は撤去されたり移設されたりして………

北櫓と南櫓は城下に移築されて遊郭として利用されていました。 それらは昭和17年(1942年)に買い戻され、城内のもとあった場所に再移築されました。 現在は有料(300円)ながらも展示施設として公開されているので、見学してきます

まずは南櫓から。 階段は安全のために緩やかなものに架け替えられているのですけど、柱や梁は昔のままでした。 それに、部屋の仕切りがないこともあって、かなり広く感じます。

その窓枠には、真田家の六文銭の家紋を意識したのでしょうか?現在の穴あきの貨幣が並べられていました。 誰がこのようなことをしたのですか?何もなかったら、私がやっていましたよ それはさておき、窓から外を覗いてみたら………

かなりの高さがありました。 やはり、高所恐怖症の方は閲覧に注意してくださいませ。 ………なんて言っていたら、駐車場に止めてきたウチの車が見つかりましたよ。

東虎口櫓門はまだ築27年なので、そこそこ新しいです。 それでも、木造で忠実に復元されているのはいいですね。 その一角に………

真田氏時代に使われていた鯱ほこが、再現されていました。 派手に化粧したような感じで、なんか愛嬌がありますね。

あと北櫓もセットになっているのですけど、こちらは規模も内部の様子も先ほど見てきた南櫓とほぼ同じでした。

真田幸村像は上田駅前にもあるのですけど、大河ドラマの「真田丸」が放送されたのにあやかったのでしょうか?本丸跡の真田神社の一角にも別バージョンの彼の銅像が設置されていました。 「真田丸」では堺雅人さんがその役を演じていたからでしょうか?なんとなく彼に似ています。
上田城をあとにした私たちは帰路に就き、内村街道(国道254号線)で峠越えをして、松本市内に入っていきました。 さらにその通り道といえなくもないところにある………

松本城に寄っていきました。 私はこちらのお城には何回か来たことがあるのですけど、ワンコを伴ったのは今回が初めてでした。

黒漆塗りの下見板張りの国宝天守群を見ると、士気が高まりますよ ただし今回はそれらには登らず、波と狛をモデルにして写真を撮るのが目的でした。

黒いお城と白いスピッツの対比は、なかなかいいですね 月見櫓の朱色の高欄が塗り直し中なのが、ちょっと惜しいのですけど。

お堀の外側から一連の建物をまとめて見られるのは、この位置です すべて国宝に指定されていて、左から乾小天守渡櫓大天守辰巳附櫓月見櫓であります。

西側に廻ったら、建物が黒光りしてきました。 松本城では毎年秋に黒漆の塗り直しがおこなわれていて、その黒い部分が終わったばかりみたいです。

最後に、赤い橋と波狛も一緒に入れてみました。 映える風景なのですけど、こちらの橋は現在は通行禁止となっています。
松本城でのミッションを終えた私たちは、松本IC(インターチェンジ)から長野自動車道に乗っていきました。 しかし、岡谷JCT(ジャンクション)あたりから大渋滞に巻き込まれ、「今日中に家に帰れないかも」という弱気の発言が出たりしました。 1時間半ほどしてようやく普通に走れるようになり、私はその先の駒ヶ岳SA(サービスエリア)で少し遅めの晩ご飯を食べることに。 このあたりの名物といえば………

やっぱりソースカツ丼ですよね 「ゆるキャン△」では大垣千明が伊那のローメンを、各務原なでしこは駒ヶ根のソースカツ丼を推していたのですけど、志摩リンは温泉とセットになっているミニソースカツ丼を食べたのですよね。 厚くてサクサクのカツに特性のソースが絡められていて、それらが御飯との間に敷き詰められたシャキシャキのキャベツと相まって、たいへん美味しうございました。
さらに私たちは飯田山本ICから一般道に降り、山道を走っていきました。

その途中にある道の駅信州平谷で、波と狛のほうの晩ご飯となりました。以前の狛は車に乗せると1時間ほどで吐いてしまったのですけど、今回は食後に山道を攻めていってもそのような気配は一切ありませんでした。 乗り物酔いを克服できたみたいでよかったです。
そして、23時半ぐらいに無事に帰宅しました。 なんとか日付けを跨がずに帰ることができました。

コロナの勢いが鎮静化しつつありますけど、まだ気が抜けない状態が続いています。 そのような状況の中で実行した今回の信州紀行。 なるべく人やワンコが集中しないようなところを選んだのですけど、思っていた以上に見応えがあって楽しく充実したものとなりました。 それに、一緒に非日常を体験することによって、波や狛との絆がより深まったようにも思えますし。 それから皆さま、長々と綴っていった旅日記に最後まで付き合ってくださり、ありがとうございました。


にほんブログ村 犬ブログ スピッツへ   にほんブログ村 犬ブログへ
 山賊焼きで信州名物論争に挑もうとされている方は、こちらに投票してやってください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワンコとめぐる小諸城址懐古園(信州紀行その4)

2021-10-27 01:47:45 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

前回から、私はとともに佐久市の道の駅で車中泊をしています。 前日からの寝不足や欲張りコースなどもあって、その晩は8時間ほど爆睡したのですけど、ドラゴンクエストの宿屋的にあっという間のように朝日を迎えました。

ということで、私たちは道の駅ヘルシーテラス佐久南に来ています。 こちらは前回のラスト画像で見た通り、広大な駐車場を有しています。 さらに飲食コーナーや地場産品のお店もあるのですけど、それらは時間帯が合わなくて利用することはできませんでした。

まずはその周辺で波と狛を朝散歩させて、ブラッシングやご飯をやったりしました。 それらが済んだら、いよいよこの日の活動を始めますよ

………ということで、私たちは佐久平駅の近くのガストにやって来ました。こちらでの目的は、皆さんがお察しの通りモーニングですよ

それにしても、ガストモーニングは何年ぶりでしょうか? 最近は豊橋市の個人経営の喫茶店がメインとなっているのですけど、たまには全国チェーン店もいいですね。 今回は、ドリンクバーと日替わりスープバーが付いているトースト&ゆで卵セットに、ミニサラダ(合計438円)をチョイスしてみました
モーニングで朝の活力を注入した私は、波狛とともに小諸市に入っていきました。 この日、最初の目的地は………

小諸宿本陣主屋でした。 波たちには車の中で待機していてもらって、まずはこちらを見学いたします。 本陣は宿場町で大名や公家を対象とした宿泊施設で、こちらの建物は明治以降にお寺の本堂や庫裡として転用されていたのを、小諸駅の北側に再度移築され整備されました。

入場無料で、私はこのような歴史のある建物が好きなので、内部を見学させていただきます。 まずは玄関を入ってすぐのところにある、大広間からです。 広さは21畳もあって、小諸宿関係の資料が展示されています。 さらに屋内をぐるっと廻って………

上段の間に至りました。 こちらは参勤交代の大名などが休泊した格式の高い部屋で、床・棚・書院を構えています。 小諸宿本陣主屋を見終わったら、再び波&狛と合流して………

小諸城大手門の前にやって来ました こちらは現存しているお城の貴重な建物で………

現在はその内部も公開されていて、無料で見学することができます。 しかし、今日に至るまでは数奇な運命に遭ったのですよ。 明治以降は、線路や駅によってお城の主要部から分断されたうえに………

料亭や民家として使わたこともあって、魔改造を受けていました。 私が29年前に初めて訪れた時には、まだこのような姿をしていたのですよ。 その後の平成16年(2004年)から3年4ヶ月かけて大修理がおこなわれ、本来の姿に戻りました。 そのあと、私たちは線路の下の地下道を通って………

小諸城の三の門に行き着きました。 こちらは明和2年(1765年)に建てられ、国の重要文化財に指定されています。 「懐古園(正確には『園古懐』)」の扁額が掲げられ、現在は懐古園となっている小諸城跡のシンボル的な存在となっています。 ちなみに、この門を潜った先から有料ゾーンとなります。

こちらはワンコOKで木陰が多いので、夏場でも一緒に散策するのにはいいところです。 ということで、二の丸の立派な石垣を仰ぎ見ながら、このお城の説明をさせていただきます。
小諸城は、大井光忠が長享元年(1487年)にその付近に築いた鍋蓋城が起源と云われています。 天文23年(1554年)に佐久地方を制した武田晴信(のちの信玄)が小諸城を拡張整備し、さらに天正19年(1591年)に入城した仙石秀久によって、石垣や天守を有する近世城郭に改められました。

さらに私たちは空堀に架かる黒門橋を渡っていき………

本丸の石垣の前に至りました。 苔むした石垣や木漏れ日が、いい味を出していますね。

また小諸は、明治から昭和にかけて活躍した詩人で小説家の島崎藤村氏のゆかりの地でもあります。 そういうこともあって、小諸城址の懐古園内には藤村記念館があります。 そういえば、彼の本名は春樹というみたいですね。

その記念館から近いところには、城内で最高所となる天守台が残っています。 小諸城にはかつて3層の天守があったのですけど、寛永3年(1626年)に落雷で焼失してしまいました。 以降は再建されていません。 せっかくなので………

その上に登ってみました。 その端から見下ろしてみたら、目がくらむほどの高さでした。 今さらですけど、高所恐怖症の方は閲覧に注意してください。

天守台からではまわりの木々によって視界が遮られているのですけど、お城の端で切り立った断崖の上に位置するこちらの水の手展望台は西側が開けています。そこに立てば………

千曲川の流れを臨むことができます。 この眺めは、私が前回訪れた時と変わっていませんね。 小諸の懐古園は歴史と情緒があって、また訪れたくなります。 それから、その一角にある動物園はリニューアルのために休業中だったのですけど、類人猿の鳴き声がずっと響き渡っていました。

あと、上田攻めの際に徳川秀忠が座ったという憩石に腰掛けてみました。 両脇に従えた小姓(?)の表情がなんとも。
小諸城をあとにした私は、途中で昼食を取りつつ上田市方面に向かうことに。しかし、事前に位置だけ調べてあったフライパンのお店は休みでした。 こうなったら、走りながら第2希望を探すしかない という流れで、私たちが飛び込んだのは………

ラーメン大学でした。 長野県を中心にして展開するローカルチェーン店で、「最終学歴はラー大(ラーメン大学)」と言われるほどその地域の人たちに愛されています。 それならば、私も体験入学してみることにしましょう
美味しそうなメニューがたくさんある中で、私が選んだのは………

醤油ラーメン半チャーハンでした。 無難なセンですけど、やはりその時に最も胃袋が欲していたものだったので。 双方とも素朴な味だったのですけど美味しくて、私の頭脳に「長野県に来たらラーメン大学」とインプットされました。 そのあと、私たちは上田市内へ。 まず立ち寄ったのは………

上田駅前にある真田幸村像でした。 甲冑姿の彼の騎馬像は勇ましくてカッコよくて、鉄道経由ではなくても見ておきたいです。
上田で真田幸村ときたら……… 次の目的地にも繋がっているのですけど、テンションが高まったところで次回に続けさせていただきます。



にほんブログ村 犬ブログ スピッツへ   にほんブログ村 犬ブログへ
 ラーメン大学の校歌(メニュー表)を朗読し、よりラーメン食べたい欲を膨らませてからいただくという方針の方は、こちらに投票してやってください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信州の地上の星・龍岡城(信州紀行その3)

2021-10-23 02:42:16 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

前回は久しぶりに訪れた高島城で、昔おこなわれたオフ会を懐かしみ、そのあとに峠の茶屋でお昼を食いっぱぐれるという浮き沈みがあったのですけど、私たちはそのような過程を経て、今回の信州紀行の大本命とも言うべきお城にたどり着きました。 それはどんなところかといいますと………

龍岡城であります 私たちはその大手口の前に来ています。 こちらのお城は、江戸時代の末期に……… えっ、その前に、前回の日記のラストでお湯を入れてきたカップ焼きそばの行方を聞きたいですって? そうですね、3分の制限時間(?)に間に合わなくて麺がちょっと伸びてしまいましたけど、美味しくいただくことができましたよ。 私がそのカップ麺も含めたお昼を済ませてから、を連れて龍岡城の散策に入りました。

先ほどの橋の上から、お堀と石垣を眺めてみました。直線的なのですけど、所々で折れていますね。

こちらは先っちょが尖っているように見えます。

そのまた先には立派な石垣が 江戸時代中期以降に発展した、切り石をすき間なく積んだ「切込みハギ」という工法で築かれています。 さらにその上部は、はね出し石垣となっております。 ただし、このあたりはお堀が途切れているのですよ。 だんだんとノッてきたので、このあたりでこのお城の説明をさせていただきます。

龍岡城は、三河奥殿藩(現在の愛知県岡崎市)の大給(おぎゅう)松平氏最後の藩主となる松平乗謨(のりかた)によって築かれました。 大給松平氏は徳川将軍家の遠戚で、乗謨は幕府の老中クラスでした。奥殿に陣屋(防御機能が簡素化された屋敷構えのお城)を構えていて、その地に4000石、飛び地の信濃田野口(現在の長野県佐久市)に1万2000石の領地を持っていました。
奥殿藩は東海道沿いにあって、幕末の動乱に巻き込まれるのを避けるために、乗謨は田野口に新たなお城を築くことを幕府に願い出ました。 許可を得て、元治元年(1864年)に着工。 しかし、彼は多忙なうえに資金難もあって、しばしば工事が中断することも。

一部お堀が掘られていなかったり、御殿の屋根に瓦が乗せられなかったりなど、不完全なところもあったのですけど、築城から3年後となる慶応3年(1867年)に一応完成しました。

乗謨は、箱館五稜郭のような稜堡式の洋式築城術を学んでいて、その知識と技術を新たなお城に採り入れたかったみたいですね。 稜堡式のお城は星の形にすることによって攻めてくる側への死角をなくし、先端に構えた大砲で十字砲火できるという利点があるのですけど……… 龍岡城に砲台は1ヶ所しかありませんでした。
※箱館は函館の旧名ですけど、五稜郭が機能していた頃は箱館だったので、ここではそちらに統一させていただきます。(編集部注)

それだけではなく、龍岡城の規模は箱館五稜郭の半分ほどで、石垣の高さや堀の幅も前者よりかなり控えめです。 箱館五稜郭は幕府が威信をかけて築いたのに対して、龍岡城は1万2000石の小藩が単独で手がけたのでムリもありません。 いや、それだけの石高の旗本クラスの大名が造ったにしては立派です。

その跡地は、現在は田口小学校の敷地となっています。こちらの学校は、昔「ナニコレ珍百景」で「スターな小学校」として紹介されたことがあるのですよ それだけではなく………

その一角には、台所櫓が位置を変えつつも現存しています。 龍岡城で唯一の建築遺構で、かつては御殿に接続していました。
箱館五稜郭にはすぐ近くに五稜郭タワーがあって、そこに登れば五稜郭の全体像を掴むことができるのですけど、龍岡城にはそのような施設はありません。

龍岡城であいの館という展示室があって、龍岡城に関する写真や図も展示されていて、その概要を知ることができます。 しかし、この日は閉まっていました。 このまま散策を終えるのもナンなので………

私は龍岡城の北側の「五稜郭展望台」がある山に車で上ってみることにしました。 その登山道に至る麓の道の段階から、車1台がようやく通れるような幅でした。

その先はかなり険しいと聞いてはいたのですけど……… 道幅が狭いうえに曲がりくねっていて、地面は未舗装で荒れていました。 しかも、そのような難所が1.5kmも続くというのですよ。 さすがに対向車が来たら一貫の終わりです。 ジムニーや軽トラック以外の車で通るのはやめておいたほうがいいのですけど、私たちが乗ってきたのは3ナンバーのMPV。 旅はまだ続くので、無理や無謀な策は避けたほうがよかったのですけど、コワイコワイコワイ………

そんな感じでワーワー!キャーキャー!言っているうちに、ちょっと広いところに行き着きました。 このあたりが展望台の駐車場でしょうか? 私たちはそこで車を乗り捨てて、歩いていきました。

そうしたら、間もなくして案内看板が見えてきました。 こちらで合っているみたいですね。 しかし、歩行者用の道までもが細くて険しかったです。

あ、それでも事前に調べた情報で見た通りの木柵がありましたよ もったいぶって、その風景の中に波と狛を入れてしまいましたけど。 そこから私たちが目にしたのは………

龍岡城の全景でした。 輪郭が稜堡式の星の形をしているのが、おわかりでしょうか? 「う~ん……… 微妙 」と仰るならば………

これならどうでしょうか? 禁断の(?)Google Earthの力を借りてしまいましたけど、確かに五稜郭と呼ぶにふさわしい姿をしています。 それから「スターな小学校」は今年度いっぱいで閉校するそうです。 龍岡城は国指定の史跡なので、校舎を解体したあとは本格的な発掘調査をして、史跡公園として整備されると思います。 ただし落ち着いた姿になるまでは、かなりの年月がかかりそうです。私はそうなる前の現在の様子を見ておきたかったので、今回のお城めぐりの旅を企画したのですよ。
龍岡城を有効に活用するには、本来の姿を取り戻すのもいいのですけど、インパクトありありの星の形をしていることもウリにできそうです。 例えば、恋愛成就のパワースポットとしてたくさんのカップルが訪れるとか、信州の地上の星の中心で愛を誓うとか。 夢は広がります。

龍岡城の関連スポットをあとにした私たちは、この日の宿となる温泉旅館……… ではなく、まずは日帰り入浴施設のあさしな温泉穂の香乃湯に行きました。 そこで旅の疲れを癒したら、その地域の料理を味わいたいですね

しかし、アテにしていた道の駅の飲食コーナーはすでに終わっていて、地元の料理店もなかなか見つからなかったので、晩ご飯は全国チェーンのすき家で食べることに。 その時は定食の気分だったので、牛カルビ定食をいただきました。

そして私たちは、この日の宿所となる道の駅ヘルシーテラス佐久南に入りました。 画像は翌朝の様子ですけど、着いた時には夜空にきれいな月が浮かんでいました。 それから、宿所とはいってもそこにホテルが併設されているというワケではなく、連夜の車中泊にございます。 消灯してキリのいいところで、次回に続けさせていただきます。


にほんブログ村 犬ブログ スピッツへ   にほんブログ村 犬ブログへ
 五稜郭という名の名所を見たら、修道院クッキーを買って帰る衝動に駆られる方は、こちらに投票してやってください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高島城とメルヘン?な峠道(信州紀行その2)

2021-10-20 03:36:16 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

私はとともに信州を訪れ、前回の日記のラストで諏訪湖方面になだれ込んだところです。 こちらのほうは武田信玄の側室で四男勝頼の母でもある諏訪御料人(湖衣姫、由布姫とも)の出生地で、先代スピのの出身地でもあります。 当初の計画では素通りするつもりだったのですけど、練り直したところには………

高島城をねじ込みました。 見学者専用の駐車場の真ん前に、いきなり高い天守台の石垣と、さらにその上には復興天守がどど~ん と聳え立っています。 かつては「諏訪の浮き城」と称された通り諏訪湖の中に築かれていたのですけど、その後干拓が進んで、現在は湖からかなり離れた陸地の中にあります。

それでも、本丸の北側から東側は水堀に囲まれているのですよ。 このお城はそのあたりの景観が見事なので、角度を変えつつ撮っていきます。

そのお堀に架かる木橋を渡ったところには、冠木門という名の櫓門があります。 この風景の中に波と狛を入れるとしたら………

やはりこのあたりでしょうか。 高島城への士気が高まったところで、このお城の説明をさせていただきます。
もともとこの地方は諏訪氏が治めていたのですけど、天正18年(1590年)に諏訪頼忠徳川家康の関東への移封に付き従っていき、代わりに豊臣系の日根野高吉が新たな領主となりました。 高吉は7年ほどかけて諏訪湖畔に高島城を築城。しかし、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、頼忠の子の頼水が入城。 以後は明治に至るまで諏訪氏の居城となりました。

高島城は、私と波は5年前の諏訪湖お散歩オフ会で訪れて以来で、狛にとっては初めての訪問となります。 その時みんなで記念撮影をしたところで撮ってみたのですけど、波と狛がホワイトアウトしかけてしまいました。
高島城は明治に入ってから廃城。 明治8年(1875年)までに建物が撤去され、その翌年に本丸跡は公園として開放されました。 その後も諏訪市民の高島城に寄せる想いは強く、天守を復元する計画が立ち上がったりしたのですけど、諸事情で2回ほど頓挫。 それでも、三度目の正直となる昭和45年(1970年)に鉄筋コンクリート製ながらも、市民の夢を実現させることができました。

3層ではあるのですけど、天守台の高さは12.54m、建物が20.2mもあり、そこそこ高いです。 その最上階からは諏訪湖の遠景や、逆方向に富士山を眺めることができます。

そういえば「ゆるキャン△」志摩リンも、回想の中で高島城を訪れていました。私たちのこちらでのミッションは順調にこなすことができたので、この勢いのまま次の目的地に向かいますよ
とはいっても、目指すところは長野県内でも諏訪市から遠く離れた佐久市。そこに至るまではこの旅最大の難所となる峠を越えなければなりません。 私たちは諏訪湖畔を南下していき、茅野市からは「メルヘン街道」という名の国道299号線の山道を上っていきました。

信号のない一本道とはいっても、そこに繋がる道から混んでいました。 このようなところで、行楽渋滞でしょうか?それでも先に進むにつれてバラけていき、そこそこ自分のペースで走れるようになりました。 それにしても、この道はグネグネしていますね。

その峠具合を写真に撮っておきたかったのですけど、路肩に車を止めるスペースや心の余裕がなかったので、ストリートビューでご了承くださいませ。 それにしても、この道のどのあたりがメルヘンなのでしょうか? そうしているうちに………

私たちはレストハウスふるさとさんという峠の茶屋に行き着きました。 すでに駐車場は混んでいるのですけど、運良く車を止めることができました。 まずは私がトイレを済ませて………

そこから臨める絶景をバックにして、写真を撮っておきましょう ふるさとさんは標高1706mの山の上にあって、浅間山や佐久平、八ヶ岳などを見渡すことができます。 そうしたら、その景色を眺めながらお昼ご飯をいただくことにしましょう 実はこちらの下調べはしてあって………

私はすでに注文するメニューを決めてきていました。 山菜そばや卵かけご飯も捨てがたいのですけど、やっぱりシンプルかつ山の幸が盛り込まれた山菜ご飯ときのこ汁のセット(700円)がいいですね ここまでお腹を空かせてきたので、美味しさとありがたさが倍増すること間違いナシ 波と狛には車の中に待機していてもらい、私は喜び勇んで店内に入っていきました。

「そ、そんな………」
まだ辛うじて12時台なのに、このような事態となっていました。 間に合った先客たちが山の幸に舌鼓を打っているところを通り抜け、私は失意と空腹のままふるさとさんをあとにしました。 あまりのショックからでしょうか?道順を確認しないで走っていってしまいました。 1本道と思っていたのですけど、実はふるさとさんからもう1つの道が分かれていて、私は誤ったほうにハマっていきました。

本来ならそのままメルヘン街道を下っていって佐久穂町に入るハズだったのに、そこから南に外れた松原湖方面に向かっていってしまって。 途中で何回かラーメン屋などの飲食店を見かけたものの、余裕がなかったからでしょうか?ついスルーしてしまいました。
そうしているうちに、次の目的地の近くのコンビニに行き着いて「お昼はここでいい」ということになりました。 そこで私の目に止まったのは………

焼きそばバゴォーンでした。 東洋水産マルちゃんブランドで出しているカップ麺で、わかめスープ(当初は中華スープ)が付いているのが大きな特徴なのですよ かつては全国で販売されていて、私も小さい頃は好んで食べていました。 しかしその勢力図は縮小していき、現在は東北と信越地方でしか売られていないそうです。 久しぶりの再会に私は大喜び そいつをメインにして、肉まんとカフェラテを加えて、その日のお昼ご飯にしました。 お湯を入れてから目的地に向かったのですけど、3分後に到着できるか微妙ですね。 
………という際どい心理状態のまま、次回に続けさせていただきます。



にほんブログ村 犬ブログ スピッツへ   にほんブログ村 犬ブログへ
 「焼きそばバゴォーンや焼きそば弁当のスープは麺の残り湯で作る」というこだわりを持っている方は、こちらに投票してやってください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信州のワンコ寺・光前寺(信州紀行その1)

2021-10-16 01:11:32 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

私は昨年の夏から、を伴って信州(長野県)のお城などをめぐる計画を立てていたのですけど、コロナや悪天候に阻まれて2度も頓挫し、実行することができませんでした。 それが今秋になってから、ようやく実現できる運びとなりました。 その計画は当初のものより多少は練り直したとはいっても、欲張りコースに変わりはないので、ムリなくソツなく行動しなければなりません。

そうしているうちに、いよいよその当日となりました。 土曜日の夜の10時に家を出て、帰ってくるのは2日後の同じぐらいの時間になる予定。 夜立ちはスキーに行く際にやっているので慣れているのですけど、山道を経て南信(信州の南部)の飯田市方面を目指すところもスキーとほぼ同じですね。 出発してから1時間半ほどで………

愛知県設楽町に今春新設されたばかりの道の駅したらに行き着きました。 それにしても、かなりモヤっていますね。 こちらで少し休憩したら、(設楽で休憩したらって)引き続き山越えをしますよ
私たちは豊田市の山間部から長野県根羽村、阿智村を通って飯田市に入り、さらに飯田山本IC(インターチェンジ)からは長野自動車道に乗っていきました。 そして、家を出てから4時間半ほどとなる………

午前2時32分に、駒ケ岳SA(サービスエリア)にたどり着きました。 あとはこちらで車中泊をしながら夜が明けるのを待つだけです。

とはいっても、あっという間に翌朝となりました。 駒ヶ岳に雲がかかっていますけど朝から晴れていて、この日は絶好の行楽日和となりました。

私たちはまずはSA内にあるドッグランに入りました。

そういえば、波と狛をドッグランに連れてくるのは、前回の渚園での犬キャン△に引き続いていますね。 その中で開放感を味わった彼女らは、嬉しそうでした。 朝散歩に代わる運動を終えたら………

ブラッシングで身だしなみを整えてから、朝ご飯となります。 波と狛が食べ終わったら………

今度は私の番となります。 ちなみにこの朝の献立は、豚汁とろろ定食(670円)。 さらに和洋関係なく、SA内のコンビニコーヒー(100円)もチョイスしました それらで朝の活力を注入した私は、駒ヶ根ICから程近いところにあって、この日最初の目的地となる………

光前寺に向かいました。 ちなみに後方に見えるのは、仁王門にございます。 こちらのお寺は、貞観2年(860年)に本聖上人によって開山されたと云われています。 以後は幾度の戦火で堂宇が焼かれたりしたのですけど、その都度再建されて、今日に至ります。 それから山号は宝積山といい、宗派は天台宗であります。といったところで、今からその境内の散策と参拝に向かいますよ

仁王門を潜ると、真っ直ぐに参道が続いていました。 参拝時間が始まって間もないこともあって、境内は静寂な空気に包まれています。

さらにその脇には、苔で被われた古道 こちらのお寺は杉の林の中にあって夏場でも涼しく、苔もいい具合に自生しています。

間もなくして、私たちは三門に差し掛かりました。 ちなみにこちらの建物は、嘉永元年(1848年)に再建されたものです。 さらにその先には………

嘉永4年(1851年)に再建された本堂が聳えています。 そうしたら、波と狛にはちょっとの間外で待っていてもらって、私はこちらを参拝いたします。 その内陣のあたりは撮影禁止なのですけど………

軒下に安置されている霊犬・早太郎の木像は撮ってもいいそうです。 私の準地元にも同一犬物の銅像があるのですけど、そちらよりは劇画調というか………

「ゆるキャン△」の志摩リンもこちらを訪れた際に彼の像を見て「厳(いか)つい系だったか」という印象を持ちました。 といったトコで、このお寺に伝わる早太郎の話をさせていただきます。
昔、光前寺では早太郎という強い山犬が飼われていました。 その頃、遠く離れた遠江の見付(今の静岡県磐田市)の矢奈比賣神社のあたりには老ヒヒの怪物が現れ、そいつを鎮めるために村の娘が人身御供(生け贄)に差し出されていました。 やがて、その老ヒヒに太刀打ちできるのは早太郎しかいない!という話になり、彼はそのオファーを受けることに。 遠征先では「悉平太郎」という名で呼ばれた早太郎。激闘の末に、見事その怪物を退治しました。 しかし、その際に負った手傷がもとになって、光前寺に帰還して間もなく住職の腕の中で息を引き取ってしまいました。

早太郎のお墓は、本堂のすぐ近くにあります。 まずはみんなで手を合わせておきましょう。

こちらも苔むしていて、歴史と彼の功績の重みを感じます。 磐田市のほうには、悉平太郎(早太郎)を祀った霊犬神社がありますね。私たちは数週間前にそちらに行ってきたこともあって、早太郎をより身近に感じました。

さらにこちらの境内には、最近修理を終えたばかりの三重塔が聳えています。 文化5年(1808年)に再建されたもので、高さは約17m。杮葺(こけらぶき)の屋根と白木の壁のこの建物は、緑豊かな杉林の中にうまく溶け込んでいますね。 それから、三重塔としては南信では唯一とのことです。

あと、苔でまわりの緑と同化しかけていてわかりにくいのですけど、早太郎の石像があったので、ワンコどうしで写真を撮っておきました。 光前寺の見学は以上で終わりなのですけど………

志摩リンが買って(飼って?)いった早太郎みくじを忘れてはいけません

嗚呼、漫画と同じようにみんなしてこちらを見ている~ わかった、私が全員連れて帰りましょう
※全部買い取ったら、おみくじにならないのでは?(編集部注)
光前寺はワンコにも優しく、霊犬・早太郎も祀られているので、一度は愛犬と一緒に訪れたい場所でもあります。 また、「ゆるキャン△」ファンとしても以前から気になっていて、今回ようやく念願を叶えることができました。 とはいっても、今回の信州の名所旧跡めぐりはまだ始まったばかり。 私たちは再び長野自動車道に乗っていき………

諏訪湖SAに降り立ちました。 向こうに見えているのは言うまでもなく諏訪湖です。 場面がガラッと変わったので、次回はこちら方面のスポットを訪れます。


にほんブログ村 犬ブログ スピッツへ   にほんブログ村 犬ブログへ
 「リアル早太郎とワンコカフェに行ったり、一緒の布団で寝るのはちょっと………」という方は、こちらに投票してやってください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渚園でのキャンプの続き

2021-10-13 02:16:13 | キャンプ

こんばんは、白黒茶々です。

前回は浜名湖ガーデンパークでおこなわれていたワンコイベントに参加して、大いに盛り上がりました。 予想外の質と量のおみやげを持ち帰り、は舌鼓を打った……… って、ワンコの舌鼓ってどんなのでしょうか? とにかく、彼女らが美味しく晩ご飯をいただいた一方で、私たちのキャンプはより本格化していきました。

………ということで、私は波&狛とともに渚園キャンプ場ペットサイトに滞在しています。 しかし、先ほどのイベントから戻ってきて間もなくして………

日が沈んでいきました。これはキャンプ場の西側のフリーサイトのほうの様子なのですけど、こちらはけっこう賑わっていますね。 それよりも、この時季は暗くなっていくのが早いですね。 そうしたら、大急ぎで私のほうの晩ご飯の仕度に取りかかりますよ 今回の献立は前から決めていたのですけど、気になるその内容は………

1人焼肉にございます 肉は牛カルビ、豚レバー、ソーセージの3種類で、あとは焼肉との相性がいいご飯、サラダ、ワカメスープに、別バラのプリンも付けました しかしそれらか整ったのは日没後のことで、闇焼肉パーティーみたいになってしまいました。 LEDランプの明かりを頼りに焼き加減を見ながら食べていったのですけど、これがけっこう忙(せわ)しなくて。 波と狛にも味見させてあげるつもりだったのに、すっかり忘れてしまいました。 ま、まあ、(私が)美味しかったから、ヨシとしておきましょう。

キャンプでメインとなる晩ご飯とその片付けが終わったら、あとはまったりとした時間を過ごしてから消灯いたします。 非日常の野外ではなるべく早く寝るようにしたいので、22時を目標にしました。

翌朝は4時に起床しました。 とはいってもまだ真っ暗で、この時間から波と狛の散歩に行っても写真映えしないというか、清々しい空気を感じることもできないので………

まずは私が朝ご飯を食べることに。 朝のキャンプ飯は簡単に済ませられるようにしたいのですけど、ゆで玉子を作るのに時間を食ってしまいました。 そうしているうちに………

キャンプ場に日が昇ってきました。 はい、ペットサイトでも私たちがいる区画は、昨晩あたりから貸し切り状態となっていました。 これだけ明るくなれば、波狛ちゃの散歩に行けますね。

まず私たちは、「ゆるキャン△ SEASON2」にも出てくる渚橋のほうまで歩いていきました。 左奥の建物はいい感じで借景になっているのですけど、今は空き物件となっています。

次には、貸し切り状態となっているドッグランに彼女らを放しました。 波はゆっくりと柵内を散歩していたのですけど、狛は肥満体を無視して激走

ドッグランで走るワンコはウチでは初めてで、見ていて気持ちよかったのですけど、すぐにバテてしまいました。 朝の運動が終わったら………

ワンコの朝ご飯と相成ります。 こちらも前日に得た獲物(戦利品)をトッピングしたこともあって、すごい勢いで食べてしまいました。

あとは参加者全員で、すっかりお約束となった「キャンプに行ってきました」写真を撮ってから、撤収の作業に入ります。 私は仕事柄なかなか連休が取れなくて、キャンプをするのは日曜日~月曜朝とせざるを得ないのですけど、やはりやるからにはテントで夜を明かしておきたいですし。 それにそのあたりの曜日は空いていて、予約しやすいという利点もありますし。 とかなんとか言っているうちにすべての荷物を車に積んで、7時ちょっと過ぎにはキャンプ場をあとにしました。
そのあとは自宅に戻って猛ダッシュで片付けと身支度をして、通常通りに出勤していきました。

今年に入ってからキャンプは4回もやっているのですけど、舌の根も乾かないうちに次の予定を模索しています。 設営や料理、ワンコとの楽しみ方など、経験とともにレベルアップさせたいところは続々と出てくるので、これからもその分野を探求していく所存にございます。



にほんブログ村 犬ブログ スピッツへ   にほんブログ村 犬ブログへ
 キャンプ食=肉というところは絶対に譲れないという方は、こちらに投票してやってください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

清掃散歩とレクチャーとレクリエーション

2021-10-09 01:47:44 | ワンコイベントの類

 

 

こんばんは、白黒茶々です。

前回の日記の終盤あたりから、私・の白黒茶々家の1人と2頭は、浜名湖ガーデンパークに来ています。 さらにそこではワンワンパーティクラブ主催のイベントがおこなわれていて、私たちはふるって参加しました。 さらにそこには、たくさんのスピッツのお仲間が集まっていました。

久しぶりのコタロー君は、息子の心人君と参加。彼はいつの間にか10歳にもなっていました。

リアちゃんとは、2月以来の再会となります。 そういえば、あれから私は地元では他のスピッツとは逢っていませんでした。

さらに、初めましてのありすちゃんという子も来ていました。 浜松市に住んでいるのですけど、地元には私の知らないスピッツがまだたくさんいるみたいです。

そうしているうちに、イベントの開始時間となりました。三浦健太代表による挨拶と説明を経て、「清掃活動中」のゼッケンやトング、ゴミ袋を手にして、ワンコを散歩させつつ公園内のゴミ拾いに繰り出しました。

とはいっても、この日は10月とは思えないぐらい暑かったので、なるべく日陰に入りながら移動していきました。 それからガーデンパークはきれい過ぎて、ゴミはなかなか見当たりませんでした。 なので、木屑や落ち葉を拾ってヨシとしておきました。 その活動を終えて、引き返したところで………

ハッピー君ピース君兄弟と行き逢いました。 この日彼らはトリミングの予定が入っていて、ワンワンパーティクラブのイベントには参加できませんでした。 それでも早めに終わったので、スピ仲間が集まっているガーデンパークに駆けつけたそうです。 そうしたら、また後ほど逢えますように

もとの場所に戻った私たちは、ワンコイベントの後半となる「愛犬との暮らし方教室」を受けました。 今回は「ドッグランでのワンコどうしの接し方」や「拾い食いのやめさせ方」などをレクチャーしてくださり………

その中で、ありすちゃんが被験犬(ひけんけん?)というか、モデルになったりしました。 それが済んだら、参加型のゲームへと入っていきました。
その第1弾は「早食い競争」でした。 これは食いしん坊のワンコが有利ということで、ウチからは波が挑戦することにしました。 2頭または3頭ずつで対決し、皿に乗せられたおやつ3粒を早く食べ終えたワンコが勝ちというルールでした。 トーナメント式の勝ち抜き戦で、初戦を突破したら2回戦、準決勝、………と、続いていきました。 波は初めて見るおやつでも、躊躇することもなく瞬食 圧倒的な速さで2回戦進出を決めました。 以降の結果は、後ほどお伝えします。

ゲームの第2弾は「待て対決」となりました。 その手の勝負といえば、波が「DOG!フェスタ」で準優勝した実績があるのですけど、彼女は先ほどの競い合いで美味しい思いをしているので、ウチからは若手の狛を送り出すことにしました。
対決中は、輪っか(フラフープ?)の中にワンコを「おすわり」などの状態にして動きを封じるのですけど、私はこの日は1人で2頭を連れてきていたので、待機組となる波のほうにも観客席(?)で「待て」をかけていました。 
狛はどっしりと構えていて、波に続いて初戦を突破 その勢い、いや、不動のまま2回戦、準決勝、………と、駒を進めていきました。 狛だけに駒!こちらの結果も、後ほどお伝えします。

ゲームの第3弾は人間によるじゃんけん大会だったのですけど、こちらはルールが特殊でした。 勝ち抜き戦ではなく負け残り勝負で、あいこでも退かなければなりませんでした。 私は第1戦で三浦代表と同じチョキを出し、いきなり敗退。 最近はサザエさんとのじゃんけんやドラえもんとのドラ顔じゃんけんは、引き分けが続いていましたし。 なんか、勝って退くより悔しいです。 それでも、それらのレクリエーションが終わったら………

居合わせたスピ仲間と一緒に写真を撮りましょう リアちゃん、ありすちゃんと写したあと………

コタロー君と心人君も加わりました。

さらにハッピー君とピース君も入って、8スピが揃いましたよ この直後にすぐに総崩れとなったのですけど、なんとか1ショット撮れたのでよかったです。

撮影が済んだら、ワンコにとってはお楽しみのおやつ牧場へと移行しました。 ………って、狛はともかくとしても、波は早食い競争が終わってもまだ食べるのですか 何にしても、このように白ふわが集う風景はいいですね。 皆さまのおかげで、楽しく充実した時間を過ごすことができました。ありがとうございました。

ガーデンパークをあとにした私たちは、再びこの日拠点としていた渚園キャンプ場に戻りました。 そこで落ち着いたところで………

今回のイベントの戦利品をお披露目します 波は「早食い競争」でスピッツどうしの対決などを制して優勝 そうしたら、参加犬の中で最も食いしん坊だということに。 一方の狛は「待て対決」で準優勝しました。 決勝戦になってもなかなか決着がつかなかったのですけど、スタッフによるおやつ袋のガサガサの誘惑に負けてしまいました。 その妨害行為をやられたら、波でも屈していたと思います。 両者とも、勝ち進む度に参加賞がもらえて、だんだんと豪華になっていったので、これほどの量となりました。

とにかく、そのおかげで彼女らの晩ご飯はごちそうになりました。 キャンプ中に繰り出した野外活動で、豪華な食材を調達することができるなんて 今回のキャンプはいろいろな意味で、面白くて美味しいものとなりました。


にほんブログ村 犬ブログ スピッツへ   にほんブログ村 犬ブログへ
 サザエさんじゃんけんの法則を編み出すことでイグノーベル賞を狙っている方は、こちらに投票してやってください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緊急事態宣言解除後の野外活動

2021-10-06 03:17:25 | キャンプ

こんばんは、白黒茶々です。

10月に入ってから、我らが静岡県も含めた多くの地域で緊急事態宣言が解除され、多少は自由に動き回れるようになりました。 とはいっても、コロナはまだ息を潜めている状態なので、気を引き締めながら行動しなければなりません。 そのような状況の中で、私がと向かったところは………

こちらの施設に見覚えのある方はいらっしゃるでしょうか?はい、渚園キャンプ場の管理棟にございます。 渚園は先月いっぱいまで駐車場ごと閉鎖されていて、ようやく営業を再開したところです。 そこで久しぶりに犬キャン△をやろうというのですよ ということで、ネットでの予約は済ませてあるので、今からその受け付けに行ってきます。

管理棟の内部は、こちらが「ゆるキャン△」のモデル地になったこともあって、その案内や………

関連のグッズが充実していました。 特に最近出たばかりの「ゆるキャン△」ストラップ付きコースターは、心惹かれます。 買うべきか、ああ………

今回私たちが利用するのは、こちらのキャンプ場内では唯一ワンコと一緒に泊まることのできる、オートキャンプのうちのペットサイト(3660円)です 1区画が10m四方もあるうえに、奇数サイトだけの受け入れなので、お隣がかなり遠いです。 そうしたら、さっそくテントなどを設営しますよ

それから15分後には、このようになりました。 もちろん、ペグ打ちもしっかりとしてあります。 ウチのテントはワンタッチ式で、私にとっては3回目ということもあって、かなり慣れてきました。 こちらに腰を据えたら………

今度は先ほどまで待っていてくれた波と狛を連れて、園内にあるドッグランに入りました。 10月にしてはかなり強い日差しの中ではありつつも………

画像には写っていないのですけど、柵の中にたくさんの人やワンコがいたこともあって、彼女たちは活発に動き回っていました。 ここで一汗かいたら、いや、ワンコは汗をかかないので、私がということで。

とにかく、簡単にお昼を済ませますよ キャンプ飯のカップ麺部門といえば、「ゆるキャン△」ではカレー麺が定番ですけど、今回はシーフードにしてみました それらを食べ終えてから、私は波と狛を再び車に乗せてオリエンテーリングというか、新たな野外活動の場に移動しました。

………という流れでやって来たのは、浜名湖ガーデンパークであります こちらは緊急事態宣言の影響で先月いっぱいまで閉鎖されていたこともあって、かなりたくさんの人で賑わっていました。 そのような中で、私たちが目指していたところは………

「愛犬と一緒に園内クリーン作戦&愛犬との上手な暮らし方教室」という触れ込みのイベントであります。 こちらはワンワンパーティクラブが主催していて、私たちがガーデンパークのほうでのその団体のイベントに参加するのは、今回が初めてでした。 そうしているうちに………

たくさんのお仲間たちが集まってきましたよ コロナが猛威をふるっている間でも、私たちはお出かけはしていたのですけど、人やワンコが集まりそうもないところばかりを狙っていました。 なので、これほどの種類と数のワンコを目の当たりにして、テンションが上がりまくりでした。
………と、せっかく盛り上がったところで申し訳ないのですけど、夜も深まってきたことですし、このあたりで一旦終わらせていただきます。 ほら、人気漫画の「タッチ」でも、柏葉英二郎監督代行が「おれは、うまいものは最後にまわす性格(タチ)でな」って言ってるじゃないですか とにかく、楽しみは次の日記まで「まて」状態にさせていただきます。



にほんブログ村 犬ブログ スピッツへ   にほんブログ村 犬ブログへ
 志摩リンの「くぁwせdrftgyふじこlp」という断末魔の叫びが頭から離れない方は、こちらに投票してやってください。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おかえりナミ

2021-10-02 01:37:29 | ワンコ

こんばんは、白黒茶々です。

白黒茶々家にいる日本スピッツのは、9月中旬で7歳6ヶ月。 老犬の入口に差し掛かっているあたりとなります。 また、外出先では猫をかぶり「波ちゃんは大人しいね」と言われたりするのですけど、家ではけっこう騒がしく吠えたりしています。

そんな彼女の歯石や虫歯を予防するために、私は毎朝せっせと歯磨きをしていました。 その際に、歯と歯茎の間にびよびよしたヒダのようなものを見つけたのですけど、変化する様子がなかったこともあって、そこは気にしないことにしました。
そんなある日のこと、波が痒がって強くかじったところの毛先に血がついていることに気付きました。 これは口からの出血みたいということで、彼女の口の中をじっくりと調べてみたら………

なんと、上顎の下に怪しい塊ができていたのです その時はショックだったのですけど「ま、まあ、もう少し様子を見てからにしよう」という結論に至りました。 とはいっても、先述のびよびよのようなワケにはいかず、気になって仕方がなかったので、毎日彼女の歯磨きをする度にその具合を観察していました。 しかし、その塊は小さくなるどころかだんだんと成長しているように見え、それに伴って私の心配も増していきました。 「………もう限界」耐えられなくなった私は、波を病院に連れて行くことにしました。

そうしたら、次にはどの動物病院にするのか決めなければなりません。 先代犬のは13歳の時に口に腫瘍ができたので、当時お世話になっていた病院に連れて行きました。 しかし、その病院では高齢を理由にして、除去手術をしてもらえませんでした。結局、その腫瘍が原因となり、彼は翌年の春に14歳で亡くなってしまいました。 「もっと違うやり方があったのでは………」私は今でもそのことを引きずっていて、波には助かってほしいという思いは強くなりました。
あの時以来、その病院には行かなくなったのですけど、今かかりつけにしている地元の病院も失礼ながらあまり頼りにならないような気がしますし。 実は、箔がいた時にもう1つ「あそこに行っていれば」という病院があったのです それはどこかといいますと………

ウチからは車で50分ほどの浜松市東区にあるS動物病院であります。 はい、年に1度のフィラリア対策とワクチン接種でお世話になっているところです。 こちらも町医者の類に入るのですけど、経験と実績が豊富なのできっと頼りになるハズ。 私は9月5日の日曜日に、その病院に波を連れて行って診てもらいました。 気になる診断は………

「犬の口の中にはこのような腫瘍ができやすくて、良性か悪性かは切除して病理検査に出してみないとわからない」と仰っていました。 さらに「良性だったら放っておいても大丈夫だけど、一度家族と相談してからにしてみては?」と持ちかけてきたのですけど、すでに私の決意は固まっていました。 「心配なので、手術してください」そのあとは波を預ける日を決め、いったん解散 私たちは車の中で待たせていたとともに磐田市の矢奈比賣神社(見付天神)に流れ着き、そこで波の健康と手術の成功を祈願しました。 あとは小笠山総合運動公園(エコパ)を散策したり、愛野のアートをめぐったりして前回の日記に至ったというワケです、はい。

そして、その3日後の水曜日の夜に波をS病院に預け、翌日に手術をすることになりました。

波にとっては入院も手術も初めてとなるのですけど、難なく終わることを願っています。 そういえば、私が家を空けることはあっても、波が家にいないことは今までに1度もありませんでした。 狛はめったに鳴いたり吠えたりしないワンコなので、その夜はすごく静かでした。 そこで私は、今まで波から元気をもらっていたことを実感しました。とにかく、彼女には無事に帰ってきてもらいたいです。

お迎えは、手術の翌日となる金曜日の夜に行くことになっていました。 それまでの間に病院から連絡がなかったので、無事に済んだと思うのですけど………

波の手術は無事に終わりました。 入院時に説明してもらった通りに電子メスで口の中にできている腫瘍を切除してもらったのですけど、歯茎がかなりえぐり取られていました。 場所が場所なだけに縫合や絆創膏はできず、化膿止めの薬とこまめな消毒を勧められました。 あとは病理検査の結果を待つだけですけど、それには1週間ほどかかるそうです。

2日ぶりに再会した波と狛はともに大喜び はしゃぎ回っていてうまく撮れなかったというか、そこからかえってその様子が伝わったかも。

それから、退院の際には口の中を消毒する方法も伝授しました。 先生によると、噛まれたらいけないので、波の首の後ろを猫づかみのように摘みつつ、消毒液を染み込ませた脱脂綿をピンセットで挟みつつ患部に塗りたくるそうです。 消毒は滲みるので、ほとんどのワンコは歯を剝いて抵抗するのですけど、彼女は噛んだり唸ったりしないので、猫づかみもピンセットも必要ありませんでした。 それだけではなく、泣きながらも私の処置に応じてくれました。 すごく痛いハズなのに……… 私にとっては、そんな彼女の優しい態度がかえって辛く感じました。

良性か悪性か気になるのですけど、また新たな問題が出てきました。 私が消毒をやる間隔を開け過ぎたからなのか、波の口から腐敗臭のようなニオイがするようになったのです。 これは、化膿しているかも知れません。検査結果が出る前に病院に連れて行くべきでしょうか? いや、彼女は何の違和感もなくご飯を食べていますし、もう少し観察してからでも………
そうしているうちに病理検査の結果が病院に届き、私は波を伴って聞きに行く運びとなりました。 果たして………

腫瘍の正体は炎症刺激による線維性エプリスという筋の塊で、良性とのことでした。 さらに先生は「再びできることもありますけど、犬が苦痛を感じるようなことでもなければ、放っておいても大丈夫です」とも仰っていました。 
それから波の口の中の手術痕も、いい感じで治ってきているそうです。 そういえば、その頃には口のニオイはあまり気にならないようになっていたような。 とにかく、心配事が一気に解決して、やっと心の底から安心することができました。

合わせておこなった血液検査の結果も、波の数値はほぼ基準値の中に収まっていて、健康優良児であることが証明されました。 波ちゃ、この調子で長生きしてくださいね。

後になってから気付いたのですけど、病理診断書の波の年齢がとんでもないことに 17歳7ヶ月っていったい……… そういえば、箔が生きていたらちょうどその年齢になりますね。 ということは、彼の誕生日のデータをそのまま受け継いだということになります。 先生は、その年齢のワリには少しもヨボヨボしていないと思われなかったのでしょうか? いや、その表記が現実となるように、波には健康で長生きしてもらいましょう


にほんブログ村 犬ブログ スピッツへ   にほんブログ村 犬ブログへ
 「おかえりモネ」で、百音と菅波先生の恋の行方が気になる方は、こちらに投票してやってください。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする