波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

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年越しの準備、進んでいますか?

2017-12-30 00:45:59 | その他
こんばんは、白黒茶々です。
今年も早いもので、あと48時間を切ってしまいました。 時間が経つのがあまりにも早過ぎて、実感がわかないまま年末に至ってしまいました。ところで、皆さんは年越しの準備は進んでいるでしょうか?そういう私は、実は思い付くことはいちおうやっておきました。



まずは、お正月の餅を手に入れなければなりません。 ということで、話はクリスマスより前の、今月の17日にまでさかのぼります。その日は、私の住む街にある浜名湖競艇場の芝生広場で、JAとびあ浜松によるふれあい農協祭がありました。そのイベントの最後に、餅まきが予定されていたのですよ 白黒茶々家は毎年、お正月の餅はそこで調達してきました。
しかしその当日には、私は仕事が入ってしまいました。それでも、餅まきの時間帯だけでも抜けさせてもらえたら、もうもう……… 飛んできたり足元に転がった物体すべてに瞬時に反応する所存にございます 箔母さんとたつぴは「行けたら行く」と、その日の予定が微妙ですし。来年のお正月は、すべて私の手にかかっているということになります。それを満たすには、少なくとも20コは拾わなければならないのですけど、今回はイケるような気がします。さあ、早く私を餅まきの場面に誘ってくれ

ところが、餅まき時間の14時半あたりは仕事が混んでいて、農協祭の会場に走る余裕はまったくなかったのです。「来年はもうダメだ………」
こうなったら、普通に市販されているものを買うしかない……… と半分諦めつつも、ダメモトで箔母さんにメールで聞いてみたら………



「私とたつぴで、合わせて42コの餅をゲットした」という返事がありました。 彼女らは、その会場に行っていたのですね。これだけあれば、難なく年を越すことができそうです。そうしたら、せっかくなので、餅がまだ柔らかいうちに………



にもおすそわけしてあげることにしましょう。 これは、彼らの大好物でもあるのですよ。この時点で、すでに両者は目をキラキラさせております。



袋から出したら、箔のテンションはさらに上がり、前足をブンブンしまくっていました。



まるごとではノドに詰まらせてしまうので。食べやすい大きさに千切ってあげましたよ。 さんざん「まて」で焦らしたら………



さあ、お上がりなさい ………って、波ちゃのほうが先に食べちゃった 箔の「先を越されたのだ」的な表情が、なんともいえませんね。



それでも、彼女に続いて箔も勢いよく喰らい付きました。 これを2、3回やったのですけど、餅の味を堪能することはできたでしょうか?今年の白黒茶々家の年末餅祭りは、以上で終わりです。

今年最後の日曜日は31日ですけど、その日は大晦日とか大掃除とか大浴場とか、いろいろあって忙しいので、その1週間前の24日がお出かけできる最後のチャンスとなりました。 今年の締めに、できたら箔と波も連れて私が行っておきたいところ、それは………



浜松城でした 左手後方に復元された天守門が見えていますね。ちなみに私がこのお城を訪れるのは、家康公祭り&家康楽市&菜々緒さん訪問があった、6月以来となり、箔波ちゃにとってはそれ以上ぶりとなります。



ちょっと見えにくいのですけど、その天守門の両脇にはすでに門松が飾られていました。 さらに、そこを突破したら………



天守曲輪の広場には、ご当地キャラの出世大名家康くんと出世法師直虎ちゃんが姿を表していました。 今年は浜松が舞台の大河ドラマ「おんな城主 直虎」が放送され、その前の週に最終回を迎えました。そのドラマの主人公の井伊直虎は今まで知名度が低くて、史実にフィクションを織り混ぜた内容だったのですけど、彼女を取り巻く小野政次南渓和尚井伊直政にゃんけい、………といった登場人物(猫物?)もいい味を出していて、全体的に素晴らしい物語でした。 それに、涙あり感動ありの終わり方も良かったですし。
今回は浜松城そのものにも行きたかったのですけど、「おんな城主 直虎」関連の家康くんと直虎ちゃんにも逢っておきたかったのですよ。 ちなみに彼らは、毎週日曜日の13時~13時40分に浜松城のこの場所に登場します。

彼らは、お付きの者の歌などに合わせてダンスをしたり「浜松出世音頭」を踊ったりしたあと、記念撮影にも応じていました。 そういう私も、しっかりちゃっかりその列に並んで………



箔波ちゃを両手に、撮影してもらいました。



こちらの柴の黒ワンコは、単独で挑んでいますね。 そうしていたら、家康くんと直虎ちゃんのアテンダントのお姉さんが「来年は戌年ですし、終了時間までまだ余裕があるので、もう1枚ワンちゃんだけでいかがですか?」と、振ってくださいました。



それならば、遠慮なく おかげで来年に向けていい絵を撮ることができました。



それだけではなく、その日はクリスマスイブということで、家康くんと直虎ちゃんから、オリジナルのシールシートと直虎お守りのプレゼントがありました。 そういえば直虎ちゃんは、片耳にサンタの帽子をかけたクリスマスバージョンになっていましたね。



ご当地キャラのグリーティングに引き続いて、浜松徳川武将隊による演舞もありました。やはりクリスマスということで、パーカッション(太鼓などの打楽器)担当の赤い鎧の武将は、白いサンタひげを付けていました。
この日の演目は、兜にトナカイの角(?)が生えている本多忠勝を中心として、松下家の女武者ら(そのうちの1人は松下常慶……… って、『おんな城主 直虎』では男で、和田正人さんが演じていたのですけど)が殺陣を魅せてくれました。そんな彼らも、一緒に記念撮影をしてくれるというので………



こちらも遠慮なくお願いしてしまいました また、じゃんけんを伴ったプレゼントもあったので、私は家康くんのストラップをいただきました。



楽しく充実した触れ逢い時間のあとは、久しぶりに模擬天守や天守門の内部を見学し………
ちなみにコレは模擬天守1階にある、出陣前の血気盛んなリアル家康像です。浮き出た血管はもちろんのこと、毛穴まで忠実に再現されております。



その最上階からは、天守門や浜松市街、さらに遠くには浜名湖を臨むことができました。



浜松城を堪能したあと、私たちは浜松元城町東照宮に寄っていきました。 こちらは浜松城の前身となる引馬城跡の一角に建てられていて………



そのお城は、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)の初めての就職先が決まったところで、徳川家康が遠江進出の足掛かりとしたところでもあることから、出世のパワースポットとされ………



以前にも触れたことがあるのですけど、彼らの銅像も設置されているのですよ。



それに伴って、東照宮にも出世の御利益があるということになりました。その前日の「ジョブチューン」で神社の正しい参拝の仕方を覚えた私は、さっそくこちらの社でその作法に則ってみました。 ただし、祈願の内容は出世関連ではなく、箔のおできが少しでもよくなることでしたけど。



今年の箔波日記は、今回が最後となります。 来年も箔と波を巻き込みつつ、いろいろな分野に手を出していくつもりです。では皆さんも、よい年をお迎えくださいませ。


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今年のクリスマスは、イブとイブイブ

2017-12-27 01:18:53 | 年間行事
メリークリスマス!白黒茶々です。
年の瀬に、子供だけではなく大人もついつい気分が高揚してしまう行事、それがクリスマスであります。 クリスマスといえば……… チキンを両手に持ったり、ケーキをホールごと食べたり、サンタの格好をしたり、ひげメガネをかけたり、………など思い浮かぶのですけど、皆さんのところでは何かされたでしょうか? ということで、今回は白黒茶々家の今年のクリスマスの様子をお伝えします。



そのクリスマスが近付いた今月の中旬頃から、湖西市内の平治ヶ谷(へいじがや)公園ウィンターフェスタなるクリスマス関連のイルミネーションがおこなわれることになりました。 小規模ながらも入場無料で、私はそちらには一昨年前に行って以来だったので、そろそろと思っていました。そうしたら、も一緒に参りましょう



………ということで、やって来ましたよ 平治ヶ谷に。 こちらの公園はまわりに民家がない山の中にあるので、喧騒から離れていて静かにイルミネーションの光だけが輝いていました。



一般家庭などで不要となった電飾などを集めて飾り付けたということもあって、手作り感はあるものの暖かみがありました。



今回は新たに、地元の小学生がペットボトルに絵柄を描いた灯籠も飾られていましたよ。



幻想的で綺麗なのですけど、余計な説明とか感想などはもう要りませんよね。



うんうん。

さらに公園の屋内施設では、おでん(250円)やコーヒー(100円)といった体が温まりそうなものが売られていました。しかし、私は晩御飯が近かったこともあって、そのまま帰ってきてしまいました。

白黒茶々家では、例年はチキンとケーキを23日~25日にかけて食べている(23日チキンのみ、24日チキンとケーキ、25日ケーキのみ)のですけど、今年はたつぴが25日から塾の合宿に入ることもあって、クリスマス関係の飲食は23日~24日と前倒しにおこなうことになりました。 いわゆる、イブイブとイブです。



まずは、玄関の下駄箱の様子から入らせていただきます。 今回も箔母さんによって飾りつけがされたのですけど、なかなかじっくりとやる時間が取れなかったみたいで、前日に突貫工事で完成させていました。最近出番のないウチのニャンズの京ちゃも、入り込んでいますね。



昨年は他店のものを試してみたのですけど、今年のイブイブの食卓には、2年ぶりにモスチキンが戻ってきました。 こちらは毎年食べたいのですけど、ひょっとしたらコンビニの時季限定チキンのほうが美味しいのかも知れませんね。



ちょっと豪華なクリスマスディナーを食べ終わったら、ケーキの出番となります。 ウチでは例年通り、Y社の6号(直径18cm)にしました。さらにこれにイチゴやローソクを並べるのですけど、それらがない状態で撮ってみました。



その際のドリンクはシャンパンではなくても、炭酸系ならいいのです。ちなみに今回は、たつぴが今夏に賞品で獲得した「たつ矢サイダー」でした。では、全員に行き渡ったので、かんぱ~い



さらに、ケーキのローソクに灯を点けて、部屋の電気を消したら、歌を歌いますよ さあ、パソコンやスマホの前の皆さんもご一緒に
♪はっぴば~すでぃ、つぅ~ゆ~………
※この場面では、その歌ではありませんよ!あ、メリークリスマス!ところで、皆さんはクリスマスにはどのような歌を歌われるでしょうか?(編集部注)



そしてその夜には、サンハクロースとトナミカイがやって来ました。いや、正確には私が問答無用で着………、いや、きっと彼らが着たがっていると思って。
とにかく、皆さんも素敵なクリスマスをお過ごしくださいませ。


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私の誕生日2017来たれり

2017-12-23 01:32:04 | 家族
こんばんは、白黒茶々です。
12月14日は私の誕生日で、今年で⚪⚪歳になりました。 ただし、実年齢をストレートに言うのもナンなので、ヒントを挙げておきます。



今月初旬に棋士の羽生善治氏が、渡辺明竜王との対局に勝利し、竜王位を奪回しました。 それによって「永世竜王」の資格を獲得し、前人未踏の「永世七冠」の資格を得るという快挙を成し遂げました。 さらに、国民栄誉賞の候補にも挙げられるまでに。まさに時の人ですね。私はその羽生氏と同い年なのですけど、将棋の実力はおろかルールも知らないただの人です。

昨年の私の誕生日の夜には、家族でカラオケに行ったのですけど、今年は受験生のたつぴの塾の都合などもあって、そのイベントは直近の月曜日の11日におこなうことにしました。



………ということで、やって来ましたよ!カラオケのじゃらおけやに。ちなみにこちらのお店は、白黒茶々地方の隣町ながらも県境を越えた、愛知県豊橋市にあります。 それにしても、相変わらず居酒屋のような外観ですね。



たくさん歌うとしたらフリータイムがお得なのですけど、未成年のたつぴがいることもあって条令で23時には退散しなければならないので、最長でも3時間半コースとなりました。それでも、3人では長いほうなので、ペース配分を考えて歌わなければなりませんね。 なんか、学生へのサービスということで、可愛らしいパンケーキが付いてきましたし。



まずは、回ってきたドリンクでカンパ~イ これによって、ファミリーカラオケ大会の火蓋が切って落とされました。
しかし、星野源さんの最新ヒット曲の「Family Song(ファミリーソング)」は歌わなかったような。 それはさておき、その時の様子をお伝えします。



たつぴは最近の曲を歌うと思いきや、RADWIMPS(ラッドウィンプス)の「前前前世」、ポルノグラフィティの「サウダージ」、TOKIO(トキオ)の「宙船(そらふね)」など、その場が盛り上がって、箔母さんと私が喜びそうなものを織り混ぜていました。 その他にも、モバゲー(モバイルゲーム)のモンスト(モンスターストライク)系の曲や、フリーBGMなども。



その間に、ラーメンと鉄板玉子とじチャーハンのお得セット(580円)など、カラオケ食が届けられました。 お腹が空いていて、すぐに食べたいのですけど、うまくタイミングを掴まないといけませんね。 そのような中で、たつぴは曲の間奏のわずか11秒の間に、チャーハンをかっ喰らってラーメンをすすっていました。

一方の私は、桑田佳祐の「若い広場」、SEKAI NO OWARI(セカオワ)の「RAIN(レイン)」、Mr.Children(ミスミル)の「HIMAWARI(ヒマワリ)」など、最新のものをぶっつけ本番で披露しました。



あと、箔母さんが唯一マイクを握って歌ったのは………



この歌詞からおわかりでしょうか?そうなんですよ、中島みゆきの「傾斜」であります。なんか、しみじみと骨身に染みる内容ですね。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、気付いたら制限時間の23時が迫っていました。そして「かごめかごめ」方式で、大トリとなったのは……… 私が入れた、SEKAI NO OWARIの「Dragon Night(ドラゴンナイト)」でした。この曲はみんなして知っていて、「ワァ~ 」となる内容ということもあって、大いに盛り上がりました。カラオケ噺は、以上で終わりです。



そして、私の誕生日当日。その日は外食に行ったりとか肉祭りをおこなったりとかはなかったのですけど、箔母さんは私のためにケーキを用意してくれました。 私が最初に選んでもいいのですか?そうしたら、手前のモンブランをいただくことにしましょう



その3日後の17日に、私の従妹のMちゃんが初めての子を出産しました。 3350gの男の子で、母子ともに健康だったのですけど、私の誕生日が近かったということもあって、今度は私の母が私の出産秘話を語り出しました。
「アンタのときは、3500gと大きくてしかも逆子だったから、スゴく大変だったよ。真冬の夜中で、静かな病院内で泣き叫ぶワケにはいかなかったし」
その話は以前にも聞いたことがあるのですけど、⚪⚪年経った今でも鮮明に覚えているということは、ある意味愛情から来ているのかも知れません。 そういう私は、生まれるときから手間のかかる子供だったのですよね。とにかく、私を産んでくれたことに感謝しています。


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二俣城にまつわる話

2017-12-20 01:16:39 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
前回の終盤あたりから、私・の白黒茶々家の1人と2頭は、浜松市天竜区の二俣城跡に来ています。 ちなみにこちらのお城は最近、国の史跡に指定されることが決まりました。



二俣城は、16世紀中頃に今川義元の支配下で築かれたのが最初とされています。その後、徳川家康の所領となったのですけど、元亀3年(1572年)10月に武田信玄が上洛を目指して信濃から南下し、その際に息子勝頼の軍に攻められ、落城しました。
徳川家康は、長篠の戦いの後にこのお城を奪回し、家臣の大久保忠世を城主にしました。今日見られる石垣は、その後浜松一帯を領有した堀尾吉晴のときに築かれたと推定されています。
後方に見える天守台の石垣は立派で、二俣城のシンボル的存在となっています。そいつをバックにして記念撮影をして、「二俣城に行ってきました 」とやりたいところなのですけど、やはり天守台は角度を変えて、入口の石段も入れておきたいですね。



しかし、その天守台はなかなかやっかいで、陽が西に傾くと逆光で撮りにくくなるのですよ。 私は過去の教訓からそのことを認識していて、今回も正午近くに行きました。ところが今度は冬場の陽の加減で、南の茂みの影が思いっきり被さっていたではありませんか こうなったら、カメラの露光を調節して、逆光に逆行して撮ってみましょう そうしたら………



こうなりました。う~む……… 被写体の箔と波が白く発光してしまいましたね。 天守台とイイ感じの写真を撮りたかったら、曇りの日か夏場のお昼あたりを狙わなければならないみたいです。それでも、せっかくなので………



箔波ちゃと一緒に石段を上がっていき………



その天守台に登ってみました。そうしたら、そこからは本丸の全体像と紅葉がいい具合に見えましたよ。



天守台の他に、二俣城にはこちらの二の丸入口にも立派な石垣が残っています。



そこに降り立ってみたら、その近くの銀杏の大木の落ち葉が、絨毯のように積もっていました。 一緒に銀杏の実もたくさん落ちていて、独特の臭いを放っていたのですけど。銀杏狩りをご希望の方は、こちらは穴場となっています。それから、北曲輪跡の旭ヶ丘神社の境内の銀杏の大木も臭う実を落としまくっているので、こちらも奮って拾いにお越しくださいませ。

前回の日記にも触れた通り、二俣城は悲劇の城でもあります。徳川家康の長男の信康は、織田信長の娘の徳姫を娶(めと)り、家康が浜松に移った後は岡崎城を任されました。その徳姫は信長に、岡崎での様子を逐一手紙で報告。 その中には、家康の正室で信康の母でもある築山殿(瀬名)との嫁姑問題も記されていました。そのぐらいのことはよくあるのですけど、信康と築山殿が武田勝頼と内通しているという内容のものもありました。
信長はそのことを重く見て、家康に信康と築山殿を処分するように命じたのです。 信康は信長から見たら娘婿で、義理の息子だというのに。築山殿は浜松の西の佐鳴湖畔で、家康の家臣たちによって殺害され、信康は二俣城の大久保忠世のもとに預けられました。しかし追い詰められた信康は、そこで切腹してしまいました。天正7年(1579年)9月15日のことでした。享年21歳。



二俣城の北には、旧二俣町役場の建物を利用した、本田宗一郎ものづくり伝承館があります。本田技研工業の創始者の本田宗一郎氏はこの地域の出身で、こちらには彼に関する資料が展示されています。 その向かいには………



湧いた清水が溜まってできた池があります。こちらは「おんな城主 直虎」の、番組の最後の「直虎紀行」のコーナーでも、取り上げられましたね。



さらにその向かいには、二俣城の井戸櫓が復元されています。 二俣城の岸の下には天竜川が流れていて、お城の水はこの櫓で汲み上げられていました。ところが、武田勝頼軍は天竜川に大量の筏を流し入れ、井戸櫓の水の手を断つことに成功。これによって二俣城は陥落したと云われています。さらに、井戸櫓を仰ぎながら坂道を上がっていくと………



清瀧寺(せいりゅうじ)というお寺があります。 徳川家康は、先ほどの清流がお寺の脇に湧いていることから、清瀧寺と名付けました。立派な山門を潜っていくと………



鐘楼本堂が聳え立っています。一般家庭にまだ時計が普及していなかった頃に、本田宗一郎少年が学校を抜け出し、正午より早い時間にこっそりとこちらの鐘を突いて、弁当の時間を繰り上げることに成功したそうです。 しかしそのようなイタズラはすぐにバレてしまうので、あとで大目玉を食らったと思われます。
一方の本堂は、立派なたたずまいなのですけど、今回はスルーして………



その裏手の墓地をちょっと登ったところには、「信康廟」があります。



家康は、二俣城で自害した信康をこちらのお寺に葬りました。織田信長に、武田勝頼と内通して謀反を企てていると疑われ、死に追いやられたとされてきましたけど、この他にも信康のいる岡崎派と、家康の浜松派が対立したからとも云われています。



さらには、信康があまりにも才能に恵まれていて、信長が嫡男の信忠が将来脅かされる存在になるのを恐れたという説もあるのですけど、真相は謎のままです。 それでも肖像画の信康はなかなかのイケメンで賢さも漂っているので、私はこの説を信じています。
徳川信康を偲びたいという方がいましたら、二俣城と清瀧寺を合わせて訪れることをオススメします。それから、現世界の徳川家康こと出世大名家康くんにいつの間にか「信康くん」なる子供ができていました。顔や体型は家康くんソックリなのですけど、ちょんまげが天竜特産のしいたけで、袴が天竜木材で……… その容姿が気になる方がいましたら、画像検索してみてくださいませ。


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久々の天竜二俣散策

2017-12-16 01:23:37 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
先月のことになりますけど、新聞に浜松市天竜区の鳥羽山城跡と二俣城跡が国の史跡に指定されることになったという記事が載りました。



その2つのお城は遺構が良好な状態で残っていて、歴史的にも価値が認められたので、私にとってもとても喜ばしいことでした。 しかし、両城ともかなり長いこと行っていないような……… 時季的にも、それらのお城は紅葉が見頃になっているので、この機会にお祝いも兼ねて私は2つのお城とその周辺を散策することにしました。 もちろん、箔と波も連れていくので、両者とも楽しみにしていてくださいませ



そして天竜二俣方面に行く予定の、11月23日(祝日)となりました。 せっかくなので、今回はその地域のお城以外のところも廻ってみることにします。ということで、私が最初に訪れたのは、鳥羽山城の麓の東南側にある、旧田代家住宅にございます。 天竜川の水運を利用して筏問屋を営んでいたところで、300年以上も前からの建物がそのまま残っているのですよ。



さらに入場無料で、内部も見学可能。江戸時代の屋敷の面影がよく残っていて、国の登録有形文化財にも指定されています。 それに加えて、管理人のおいちゃんが親切丁寧に案内してくださるので、まさに至れり尽くせりです。 写真には撮ってないのですけど、庭の造りも凝っていて、こちらも見応えがあります。ただし、公開は土日祝日のみ。駐車スペースは2台ぶんぐらいしかないので、お気を付けくださいませ。



その旧田代家住宅の東側には、鹿島の船宿があります。 後世に多少手を加えられたのですけど、こちらの建物は1890年代後半に、船頭らの宿泊休憩施設として田代家によって建てられました。私たちが訪れる少し前には、住民有志の「鳥羽山城跡とまちづくりの会」によって内部の特別公開がおこなわれたそうです。一見ボロ屋のようですけど、柱や梁には主に天竜産ヒノキが使われていて、丈夫で格式のある建物なのですよ。
ちなみにその向こうに見える怪しい(?)トンネルは、明治32年(1899年)に開通した旧鳥羽山隧道であります。その細道を潜っていくと、鳥羽山の登山道の入口付近に出るのですけど、私たちは車で別ルートを通っていきます。



………ということで、山頂近くの駐車場までワープしました。 こちらの城山は標高108mほどで、ムリなく登られるのですけど、今回は楽させていただきました。ちなみにこの駐車場は、かつては鳥羽山城の腰曲輪だったところです。



正面入口となる大手道は、お城へのアプローチ感がありありですね。 しかも道幅は6mもあって、ゆったりとしておられる。この道を登っていくと………



本丸の玄関口の大手門跡に至ります。折れ曲がった道は石垣に囲まれているのですけど、幅が広くてあまり防御には適していません。



山頂部に設けられた本丸跡は、広い空間となっています。その南側には展望台が造られていて、そこに上れば……… 木の階段のすき間がちょっと広くて、箔と波が上りたがりません。 こうなったら仕方がない、両ワンを抱えて上るしかありません。そうしたら………



眼下の天竜川の流れと、遠方には浜北区を挟んで浜松市街地方面を臨むことができました。



さらに、私たちが訪れたときは晩秋ということもあって、こちらでもいい感じの紅葉が見られました。



私たちの目の前には、庭園跡が。このあたりで、お城の説明をさせていただきます。鳥羽山城は、武田方に渡った二俣城を奪還するために、徳川家康が16世紀後半にこの地に陣城を築いたのが最初と云われています。(※違う場所という説もありますけど)徳川家のあと、浜松一帯が堀尾吉晴の支配下になったときに石垣等が築かれ、近代のお城となりました。ただし、鳥羽山城は大手道が広くてこちらの庭園も設けられたことから、迎賓機能を備えた居館だったと推定されています。
国指定史跡にもなって、文化財的にも貴重なお城なのですけど………



城山の中腹まで続いている滑り台など、子供が喜びそうな施設もあるのですよ。 さらに、以前にはニホンザルやタヌキなどのいるミニ動物園もあったのです。鳥羽山城の散策は以上で終わりなので、私たちは次の目的地に向かいます。 それは、こちらから北西の方角に対面している標高80mの丘の上にあるのですけど………



またしても山頂近くの駐車場にワープしてしまいました。はい、すでに石碑に刻まれている通りの、二俣城址にございます。 こちらのお城は、天竜川と二俣川に囲まれた丘陵という、天然の要害に築かれました。



眼下に天竜川を眺めつつ、北曲輪跡の脇を通っていくと………



本丸の入口に至ります。こちらは、石垣で築かれた食違虎口(くいちがいこぐち)という防御設備によって守られています。 ここを突破すれば………



本丸跡の大空間と、その向こうに天守台の石垣が見えてきます。
………と、せっかくいい流れ(?)のところで申し訳ないのですけど、ペース配分からしてこのあたりでいったん仕切って、後半に続けさせていただきます。 今から438年前の天正7年9月に、こちらのお城で悲劇があったのですけど、次の日記ではそのことについても触れさせていただきます。


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箔の口が……… これは動物病院だ!

2017-12-13 01:31:32 | ワンコ
こんばんは、白黒茶々です。
独り言だけにとどまらず、近所の方への挨拶にもつい「寒い」という単語を入れてしまう季節になりました。 なかには学生ぐらいの頃に「今から『寒い』って言ったら罰金だよ」という規制を受けたことがある方もいらっしゃると思います。 そのような状況の中で………



数ヶ月前からただれや出血のあったの下唇が、腫れてきてしまいました。 そのときの私は、自主規制なのか遠慮があったのか説明できないのですけど、彼の口を大開きにして写真を撮ることはできませんでした。とにかく、さすがに無視できない程の大きさになってしまったので………



同じ市内にある、かかりつけ医のK動物病院に彼を連れていきました。 彼が本格的に病院沙汰となるのは、3年ぐらい前の肛門腺腫のとき以来となります。



ちなみにこれは、受付を済ませて待合室にいるところです。 箔が今まで病気知らずでいられたこともあって、私もこれからのことを思うと恐くて仕方がありませんでした。 そして、ついに彼の名前が呼ばれました。



診察室では写真を撮れなかったので、ここからはその様子を文で説明させていただきます。 体重計機能付きの診察台に乗せられた箔は「体重8,2キロ、(以前と比べて)あまり変わりないですね」口以外のところには、何の問題もありませんでした。そして、診察は口の中に………
「ほぉ……… 歯肉炎ですね」獣医さんの説明によると、歯茎が炎症を起こしていて、それが唇にまで及んでいるそうです。

その日は注射1本を打ってもらい、抗生物質系の薬をもらって帰りました。 これから1週間、この薬を飲みながら経過を監察することに。ただし、1週間後の彼の症状が………
【1】すっかり快復  → そのままフェイドアウト
【2】快復の兆候アリ → 追加の薬をもらう
【3】変化ナシか悪化 → 患畜を連れていき再診
………と、人生の、いや、犬生の別れ道となります。 【1】なら言うことナシなのですけど、せめて【2】ぐらいにはなってもらいたいです。



処方された薬は、ご飯と一緒にあげるようにしてみます。



その箔は、普段はご飯にカリカリの(ドライ)フードのみをあげているのですけど、口のできもののおかげで食べにくいみたいで、ついには「お残し」までするようになってしまいました。 これは、普段から食欲旺盛で毎日のご飯を瞬食してしまう彼には、あるまじき行為です。このままではいけないので、私は特別に普段のご飯に犬缶を混ぜてあげることにしました。そうしたら、なんということでしょう 勢いが増して、あっという間に平らげたではありませんか。

そんな感じで、初診から1週間が過ぎました。箔の下唇の状況は……… なんか、あまり変化がないような気がします。 しかし、その日は職場からいったん家に帰って箔を連れて行ったら診療時間に間に合わないので、仕事帰りに私1人だけで直接K動物病院に行くことにしました。 私が受付で箔の様子を話したら………
「薬を変えてもう1週間様子を見てみましょうか?」ということになりました。

犬缶と薬入りのご飯は継続され、唇の違和感はなんのその。箔は毎日大喜びでそれらを平らげていきました。 そして、運命の再診の日となりました。



この日は平日ながらも私は仕事が休みだったので、明るいうちに箔をK動物病院に連れていくことができました。



しかし、唇のおできはほとんど変わっていないようなのですけど。 そうしているうちに、箔が診察台に乗る番となってしまいました。果たして、獣医さんの見解は………

まずはお約束の体重測定ですけど、8,5キロって……… 増えているではありませんか 犬缶のぶん、ご飯の量を調節したハズなのに。
「薬が効いたみたいで、歯茎の炎症はほとんどなくなりました」私は、彼の唇のほうにばかり気を取られていていて、そちらの変化にはまったく気付きませんでした。そちらは治ってきているみたいですね。
「ただし、歯肉炎がよくなってきたぶん、唇の腫瘍……… いわゆる『おでき』が目立つようになってしまいました」こちらのほうは、より存在感が増したみたいです。そうしたら、こちらはどのようにしたら除去できるのでしょうか?「唇の膜などが重なっているところにできているので、簡単には切除できないのですよ。ヘタに傷つけたら余計腫瘍が暴れる恐れもあるし、仮にうまく取り除けたとしても、再発する可能性もありますし………」

また、獣医さんは「カンペキを求めるとしたら、顎を半分ほど切除しなければならない」とも仰ったのですけど「それだけはカンベンしてください 」箔は高齢のワリには体力がありそうなのですけど、私としてはできることなら全身麻酔や大手術は避けて、自然にまかせたいです。
結局、その日はまた前と同じ薬をもらって家に帰りました。



その後の箔はいつもと変わらず、元気に散歩に出掛け、大喜びでご飯をかっ喰らう日々を送っています。 下唇のおできには改善の兆しは見えないのですけど、獣医さんは「大きくならなければ大丈夫」とも仰っていました。おできには油断できないのですけど、そちらにばかり気を取られて他の異変に気付かないということがないようにもしなければなりません。とにかく、これからも彼の経過を慎重に見続けるようにします。


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2年ぶりの岡崎公園での紅葉狩り

2017-12-09 01:21:26 | オフ会の類
こんばんは、白黒茶々です。
前回からの続きで、私・たつぴ・箔・波の白黒茶々家の2人と2頭は、愛知県岡崎市の岡崎公園に来ています。



こちらは徳川家康が生まれ、田中吉政によって石垣をともなった近代城郭に改築され、本多家など五万石の大名の居城となった岡崎城の跡を公園化したところで、紅葉の名所にもなっています。 ちなみに後方に見える天守は、昭和34年(1959年)に復興したものです。



そのようなところに、サモエドのアルファ(アル)君蘭丸(マル)君マーシャちゃんフェリシテちゃん、日本スピッツのノエルちゃんららちゃんハッピー君ピース君ピースちゃんミルク君マーリンちゃんバニラちゃんの4サモ10スピが集まりました。 まずは復興天守の裏側にあたる北側の、竹千代と徳川家康の石像のところで集合写真を撮りました。こちらからは季節の花やお城がいい具合に見えるので、記念撮影の定番の場所となっています。



それが済んだら、せっかくなので個別の写真も撮っておきたいですね。 ………なんて言っていたら、マーシャちゃんとフェリシテちゃんがいい感じで家康像の両脇を固めていました。



そんな彼女らに、箔波ちゃも続いてくださいませ 石像との並びから、なんかお供感のある絵となりました。



そうしたら、みんなしてさらにその先に進みますよ 深い空堀沿いで程よく色付いている紅葉を眺めながら、白ふわの集団は本丸跡に入っていきました。 すると、そこで………



追加メンバーがありましたよ 今回集まることを聞き付け、ゆずちゃん一家が兵庫県から遠路はるばる駆けつけてくださいました。これでスピッツの勢力は11頭にもなりました。



サモエドのお仲間たちは、至るところで写真撮影やもふもふのサービスに応じていました。 ちなみにこちらは、マル君にございます。



アル君も、かなりのもふもふ感がありますね。 そうそう、こちらに来たのは………



復興天守の正面(南側)をバックにして、記念撮影をするためでした。こちらは人の往来が多いこともあって、より注目されていました。と、そこに「間もなく二の丸広場のほうで、(グレート家康公と)葵武将隊による演舞が始まります」という場内放送がありました。 こちらからは逆方向になるのですけど、せっかくなので観に行くことにしましょう。



すると、そこでまたしても追加メンバーがありましたよ 彼女はサモエドのサラちゃんで、アル君やマル君のきょうだい犬でもあります。これによって、5サモ11スピとなりました。



それから間もなくして、葵武将隊のパフォーマンスが始まりました。今回は、井伊直政(赤い鎧)、酒井忠次(貫録男子)、稲姫(紅一点)の3人が登場しました。まず彼らは、キレのいい動きで旗を回したり、殺陣をキメたりして、カッコいいところを魅せていました。
次に観衆のなかの子供を引き込んで、ぴこぴこハンマーの勝負や、「堪忍をどり」で愛嬌をふりまき………



記念撮影タイムと相成りました。 彼らは肖像をSNSなどで拡散して欲しいと言っていたので、その望みを大いに叶えて差し上げましょう!………とはいっても、箔波日記ではほんの微力ですけど。 それから、一緒に記念撮影をしてくれるというので………



列に並んで、箔波ちゃも含めて撮ってもらいました。 ちなみに、撮影時の掛け声は「徳川イェ~!やす」でした。



私たちに続いて、バニラちゃん一家も記念撮影をされましたね。ポーズのほうも、キマっていますよ



葵武将隊を堪能し終わったら、紅葉狩りに戻りますよ 白ふわご一行は岡崎公園の東側、東照公(家康)産湯の井戸や胞衣塚のある坂谷曲輪跡を通っていき………



園内最大……… と思われる、銀杏の木の下に来ました。葉っぱも黄ですね。しかし、直前に公園の管理者が落ち葉を片付けてしまったので、黄色い絨毯とはいきませんでした。



楽しい時間はあっという間に過ぎ、気付いたら夕方近くになっていました。 こちらの趣のある紅葉の下を歩いていけば、テラス席ならワンコ可の茶室こと城南亭に至るので………



いつものごとくそこで抹茶をいただいて、今回の集まりを締めることにしましょう。 ちなみに、私とたつぴが注文したのは、西尾茶と和菓子のセット(税込450円)。こちらではお仲間たちと歓談しつつ、和やかな時間を過ごすことがでしました。

12月は忙しかったり休みが合わなかったりして、ワンコのイベントや集まりに行けないので、お仲間たちと逢う機会はこの紅葉狩りが今年最後となりそうです。 それでも秋晴れの空のもと、白ふわたちに囲まれつつ、楽しく充実した時間を過ごすことができました。 ご一緒してくださった皆さん、ありがとうございました。 それから、都合が合わなくて今回は参加できなかった方は、来春の五万石藤の時季にお付き合いくださいませ


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サモエドに逢いたくなる本

2017-12-06 01:26:03 | 本の紹介
こんばんは、白黒茶々です。
今年も早いもので、あと1ヶ月を切ってしまいました。 寒さのほうも本格化してきて、すっかり白もふが恋しい季節となりました。 そのような中で………



白もふの部類に入るが、久しぶりにネクタイを締めて登場しました。 そういえば、彼は今から6年以上前にも、同じ姿を(私に)させられていましたね。 あのときは、白もふ系列でもサモエドが出てくる映画「犬飼さんちの犬」に影響されてやっていました。実は今回は………



最近、サモエド仲間の中で話題になっている「ワンルームワンコ」という漫画を読んで、マネをせずにいられなくなったのです。
こちらの漫画は、23歳のOLの六条ひとみがサモエドのぽてまるとワンルームのアパートで暮らす話で、サモエドはもちろんのこと、スピッツの飼い主までも「うんうん」と言ってしまうような内容となっています。 アパートの大家のお婆さんは大のワンコ好きで、そこはワンコ可なのに加えて、共同のドッグランまで設けられているという、ありがたい物件となっています。



そこでのサモエドとの生活では、白もふやサモエドスマイルに癒されるのはもちろんのこと………



ワンコを通しての、飼い主どうしの交流の様子なども描かれています。 その中には………



なんと、我らが(?)日本スピッツもいるではありませんか ひとみが何となく着けてみたネクタイは、ぽてまるのトレードマークになっていて、スピッツのポンタも同調していますね。これを見て、私は思わずネクタイを握りしめて箔のもとに走ったのでした。
サモエドの魅力が詰まった、正田しろくまさん原作の「ワンルームワンコ」は第1巻が600円(税別)で全国の書店で発売中 サモエドだけではなく、スピッツに関わる人もハマること間違いナシなので、気になられた方はぜひお近くの書店にお駆け込みくださいませ。 また慎重にいきたい方は、第1話をネットで試し読みをするという手段もあるので、その世界に片足を浸けてみてくださいませ。

しかしこの漫画を読むと、白ふわの大盛りサイズのサモエドをもふもふしたくなるという副作用にも見舞われるのですよね。



スピッツでも代用できないことはないのですけど、こちらは盛り、いや、並盛りですし。 それでも、心配要りません。実は私には、近いうちにサモエド仲間たちと逢う機会があったのです。



………ということで、約半年ぶりに愛知県岡崎市の岡崎公園にやって来ましたよ 前回は五万石藤でしたけど、今回の目的は紅葉狩りであります。 ちなみに向こうに見えるのは、公園の正門となる模擬大手門にございます。



その集合場所に、白もふのお仲間たちが続々と集まってきました。 ということで、今回の参加犬をご紹介いたします。



いきなりサモエドの登場となりますけど、左はアルファ(アル)君、真ん中のノエルちゃんはスピッツで、右は蘭丸(マル)君にございます。アル君とマル君は兄弟犬で、ノエルちゃんはマル君の同居犬であります。



こちらのサモエドは、マーシャちゃんフェリシテちゃんです。浜松からのお越しで、彼女らは歴女でもあります。



次は、スピッツオンリーですね。手前のららちゃんは3キロ台と小さめで、こちらまでは小型犬用のキャリーに入って、電車でやって来ました。 そんな彼女を見つめているのは、ハッピー君ピース君兄弟にございます。今秋私は彼らとは、わんわん秋祭りとカフェ集会でご一緒したのですけど、今回も見事なシンクロ具合ですね。



この角度からはちょっとわかりにくいのですけど、ライオンカットの女の子はマーリンちゃんです。



そのマーリンちゃんの親戚というか、伯母に該当するのは、バニラちゃんにございます。箔波日記では、ともにわんわん秋祭り以来の登場となります。



地元に程近い知立からやって来たのは、手前がピースちゃんで、横向きなのがミルク君です。ともに誕生日は1月1日で、お正月も加えてトリプルでめでたいです。



………と、参加メンバーが揃ったので、とりあえず集合写真を撮りました。 この時点で4サモ10スピとなりました。今までは大手門を背景にしていたのですけど、今回はその近くにある「岡崎城下東海道二十七曲り」の松にしてみました。これほどの数だと息をそろえるのが難しいのですけど、白ふわが勢揃いする姿は壮観ですね。
白ふわの大集団は、このあと秋の紅葉に模様替えした岡崎公園になだれ込んでいくのですけど、その様子については次回の日記でお伝えするので、そちらのほうにもお付き合いくださいませ。





ちょっと前のことになりますけど、10月17日に有名サモエドのクローカ君が虹の橋を渡りました。14歳8ヶ月でした。彼は写真集やブログ、さらにはもふもふ営業で多くの人を癒してきて、私にとってはスター的存在でした。 そんな彼が、お散歩担当のますたさんともども………



主な活動場所となっていた代々木公園で、私やたつぴ、それと箔とも逢ってくれたのです。それは波が生まれる前のことになりますけど、合わせて3回ほど。お互いに歳を取ってムリがきかなくなるまでお付き合いしてくださったことに、とても感謝しています。
クローカ君は遠くの世界に引っ越してしまった今でも、あの白くて大きくてふわふわした感触はまだ私の手の中に残っていて、愛嬌のあるお顔の記憶も含めて、存在感ありありです。 クローカ君、そちらの世界はもう住み慣れたでしょうか?これからは、こじこじさんが引き続いて綴られている「サモエドクローカのお気楽日記」のほうでも、楽しませていただきます。


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武田勝頼について、あなたはどう思います?

2017-12-02 01:21:09 | 人物伝
こんばんは、白黒茶々です。
前々回の日記から、私・の白黒茶々家の1人と2頭は、愛知県新城市に来ています。 卵かけご飯モーニングを済ませ、鳳来寺山を制覇したらそのまま帰る……… とはならず、私にはまだその地でのミッション(?)があったのですよ。 というワケで、今回のテーマに入らせていただきます。



突然ですけど、皆さんは武田勝頼に対して、どのようなイメージをお持ちでしょうか?織田・徳川のヒール役とか、武田家を滅亡させた無能な者とか、悪い面しか出てこないかも知れませんね。 それではあんまりなので、今回は新城市にある勝頼にゆかりのある場所を訪れつつ、彼の生涯をたどっていきたいと思います。
それよりも、この肖像画はちょっとやり過ぎではないですか?



………ということで、今回は従来のこのような堅実なイメージでいかせていただきます。
武田勝頼は天文15年(1546年)に、武田信玄諏訪御料人の間に生まれました。信玄にとっては四男で、当初は母方の実家の諏訪氏の養子だったことから、諏訪四郎勝頼と名乗っていました。
初陣してからは信玄の軍に従事し、実戦経験を積んでいきました。
そして、元亀4年(1573年)に信玄が死去したことにより、その家督を相続しました。長男の義信は信玄と対立したことによって粛清され、次男は全盲になったことから仏門に入り、三男は夭折したので、四男の勝頼が後を継ぐことになったのでした。



まず私たちは、長篠城跡にやって来ました。えっ、「この先、犬の散歩を禁止します。」ですって 数年前に箔と訪れたときには、このような触れ書きはなかったのに。いや、これは犬の散歩ではなく、犬との歴史調査……… って、苦し~ 箔波ちゃには申し訳ないのですけど、私が長篠城で蘊蓄を垂れている間は、車の中で待っていてくださいませ。



では、改めまして……… 本丸を囲む土塁と空堀は、よく残っています。 こちらのお城は寒狭川と宇連川の合流地点の断崖上に築かれた天然の要害で、徳川方の奥平信昌が城主となっていました。天正3年(1575年)5月、武田勝頼は1万5千もの軍勢を率いて、長篠城を包囲しました。対する城兵は、わずか500人ほど。 信昌はもともと武田の配下だったのですけど、その前年に徳川方に寝返ったということもあって、勝頼は攻め落とすことに執着していました。 しかし、信昌と城兵は善戦し、勝頼軍はなかなか攻略することができませんでした。



土塁の上には、長篠城跡の石碑が。こちらの石碑も、箔と一緒に写したことがあるのですよ。
信昌の籠城は、10日にも及びました。もはや限界と思われたまさにそのときに、織田信長軍3万と徳川家康軍8千が援軍としてやって来て、設楽ヶ原に布陣しました。



本丸跡には建物や視界を遮るようなものはなく、かなり広く感じます。 こちらには「長篠城本丸跡」の記念碑と、その脇には両軍の小さな供養塔がありました。
長篠決戦前日の戦闘で勝利していたこともあって、武田軍の士気は高まっていました。 しかし、武田の重鎮たちは状況は不利ということを感じ取り、勝頼に撤退することを進言しました。それでも勝頼は討って出ることにしたのです。



今度は、新東名高速道路の新城インターチェンジから程近い清井田にある、武田勝頼戦地本陣跡に来ています。 こちらには小さい石碑があるだけで、説明板や史跡公園化のようなものはないので、つい見逃してしまいそうです。
天正3年5月21日早朝に、長篠の戦いの火蓋は切って落とされました。 武田軍1万5千に対して、織田・徳川連合軍は3万8千。



設楽ヶ原には、復元された馬防柵があります。
合戦は必ずしも軍の数が多い方が有利とは限らないのですけど、この対決は兵力差の影響が出やすい攻城戦に近かったので、武田軍は最初から不利でした。さらに、織田・徳川連合軍はその地形を熟知しているうえに馬防柵を効果的に配備し、近代兵器の火縄銃も多いに活用したこともあって、武田軍は完膚なきままに叩きのめされました。 それによって勝頼は、馬場信春山県昌景内藤昌豊原昌胤真田信綱昌輝兄弟、高坂昌澄らなど、多くの重臣を失いました。

長篠の戦いで勢力を弱めた勝頼は、そのまま滅亡への道を歩んでいった……… と思いきや、実は体制を建て直して領地を拡大していったのでした。 まず彼は、本拠地を従来の躑躅ヶ崎館(山梨県甲府市)から新府城(山梨県韮崎市)に移し、東美濃(岐阜県)だけではなく東遠江(静岡県)も手中に収めました。



私たちは、新東名高速道路の長篠設楽原パーキングエリア(上り)にも足を伸ばしました。 こちらは下りのPAよりは規模は小さいのですけど、武田軍をイメージした外観となっていて………



自動販売機の上には武田の兜が しかもこちらの自動販売機は商品を買うときに、戦国武将を思わせるようなシブい声でしゃべるのですよ。このときは「人は堀、人は石垣、人は城………」という武田信玄の格言が飛び出していました。



さらにその屋内には武田関係ということで、戦国武将グッズや信玄餅も置かれていました。
話はもとに戻って、武田勝頼の領地での足元は必ずしも安定していたとは言えませんでした。天正6年(1578年)の上杉謙信の急死によって起こった跡目争いの「御館の乱」では、選択ミスで同盟関係だった北条家との関係が決裂してしまいました。



その2年後には、遠江の高天神城の攻防で、味方のいる城に援軍を送れなかったことから、領主としての信頼までも失ってしまいました。 いわゆる「高天神崩れ」であります。
さらに1年後の天正10年(1582年)3月には織田軍などに追い詰められ、天目山に落ち延びたときには、従者はわずか50人ほどしかいませんでした。勝頼はその地で自害しました。享年37歳。これによって、平安時代から続いた武家の名門武田家は滅亡したのです。



長篠設楽原PA(上り)のフードコートでは、武田家の家紋の武田菱をイメージした戦国コロッケなるものが売られているというので、私は話のタネに食べてみることにしました。 一見、ただの四角いコロッケのようですけど、これは菱形になるように置いてみてください。 さらに専用の醤油で斜めに2つの線を入れれば、武田菱の完成と相成るのです それに加えて、コロッケの中身にはジャガイモ、おから、コンニャク、ゴボウ、ニンジン、鶏肉が入っていて、味のほうも戦国時代を彷彿させるものとなっているというではありませんか

しかし、食券売機には見当たらず、取り扱いメニューの写真の中にはそれっぽいものはあるものの、値段と写真の半分が白い紙で中途半端に隠されていました。
「何かお探しでしょうか?」
と、そこで厨房のおいちゃんが声をかけてきたので「武田菱のコロッケってあります?」と率直に聞いてみました。 すると、おいちゃんは「アレはあまり売れなかったからやめちゃった」とでも応えると思いきや「え、何ですかそれ?」なんと、戦国コロッケはなかったことにされてしまいました。 PAのホームページにもハッキリと載っているというのに………
なんか、歴史から抹殺された武田勝頼のようで、悲しいです。



最後に、このPAから古戦場方面を臨んでみました。
武田勝頼は、戦術面では父親の信玄より優れていたと思います。しかし、信玄の負債を抱えた状態で家督を継ぐことになったり、数々の選択ミスで勢力や信頼を失ったり、………と、不運な面もありました。 それからもう少し腹黒いトコがあれば、生き延びるか織田信長と渡り合えたのかも知れません。敗者の立場から歴史を見てみると、また違った発見などがあって、面白さが増します。


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