波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

地域のお祭り・雨男(女)は誰だ?

2016-10-29 00:41:52 | 年間行事
こんばんは、白黒茶々です。
秋といえば、秋祭りの時季でもありますよね。 ワンコのほうの秋祭りは先月末におこなわれたので、今回は今月始めに地元であった人間のほうのお祭りの様子をお伝えします。

私の家の近所にある神社では、毎年10月初旬の土日に、周辺の町内を巻き込む規模の、いちおう盛大ともいえるお祭りがあります。その準備や運営は、主に町内の若い衆が中心となっておこなわれています。その一方で、私の年代は「中老」といって、祭りの中心からは一歩退き、若い衆をサポートする役という位置付けです。
そのような体制のもとで、そのお祭りの日を迎えました。 とはいっても、初日となる土曜日は私は普通に仕事なので、それが終わって支度を済ませたら、ようやく合流の運びとなります。 夕方から夜にかけては、近隣の町内まで屋台や大太鼓台を引き回していることになっているのですけど………



いたいた ようやく祭りの行列に加わることができました。何かお手伝いするところは?屋台を曳く力が不足気味ですって?わかりました、そこに就くようにします。 初日は天候にも恵まれ、予定通りにできたのですけど、私が合流する時間が遅かったこともあって、すぐに終わってしまいました。

二日目は日曜日なので、私は終日お付き合いすることができますよ しかし、その日は朝から雨が降っていました。 それでも、今年は私のいる町内は甘酒当番となっていたので、神社のご祈祷が始まる2時間前ぐらいから、その準備を始めなければなりませんでした。 まずは大きなテントを張って屋根を作り、机を並べ、かまどに火をおこして………



そうしているうちに神社に人が集まってきて、10時くらいからご祈祷が始まりました。 外からはあまりよく見えないのですけど、社殿の中では厳かな神事がおこなわれているみたいです。
それが終わったら、宮司さんたちが出てきて、境内に集まった私たちに対して、神にお供えしたと思われる餅が撒かれました。彼らが掴んでいるその餅をよく見てみたら、昨年と同じような、袋などには入っていない生餅ではありませんか そいつを雨でぬかるんだ地面に落としたら、汚れますし衛生的にも問題アリです。 なので、飛んできたら空中キャッチするしかありません。そうしたら、これは「餅拾い」ではなく「餅捕り」と呼んだほうがいいのでは?
………なんて餅談義をしているうちに、餅が飛んできましたよ 軌道を読んで、ふぉっ、はいっ ………



その結果、今回は2コ手に入れることができました。 それらはまだ手でちぎれるぐらいの柔らかさだったので、餅が大好物の箔と波に食べさせてあげることにしました。特に箔ちゃは、待ちきれなくて画面では体がブレまくっていますね。



そいつを、喉に詰まらせない程度の大きさにしておきました。形とニオイを確認したら、さあお食べ。



………なんて言っていたら、一瞬で平らげてしまいましたよ。



話は再びご祈祷が終わった頃の、神社の境内に戻ります。 餅が撒かれた、いや、投げられたあとには、私たちが用意した甘酒が集まった人たちに振る舞われました。たくさんあるので、何杯でもおかわりしていってくださいませ。



せっかくなので、私も1杯。 いや、もう1杯……… 温かくて程よい甘さで、美味しいですね。 結局、私は4杯いただきました。タイミングがいいのか悪いのか、ご祈祷が終わる頃になって、ようやく雨がやみました。

そのあとは集会所で、仕出し弁当やビールなどによる宴会や、いちおう空クジなしの大抽選会がおこなわれました。 それらが済んでも、夕方からの屋台の引き回しまで多少のインターバルがあったので………



私は散歩も兼ねて、箔と波を連れ出しました。 まずは、前日の早朝に十数人がかりで立てた特大のぼりの前で記念撮影。



お祭りということで、屋台と一緒のところも写しておきたかったのですけど、先ほどまで雨が降っていたこともあって、そいつはまだ屋台小屋の中に格納されていました。引き回しの直前までは、出てきそうにありませんね。
それでも、大太鼓台のほうは外に置いてありました。



せっかくなので、ちょっと音を出してみましょうか?せ~のっ、ドン



そうしたら、箔と波はこのような反応をしました。箔は雷がニガテということもあって、それを彷彿させる花火や太鼓の音もダメだったのですけど、歳を取って耳が遠くなったからでしょうか?今までのような、逃げの体勢とまではいきませんでした。 それでも、尻尾がだら~んと垂れ下がっていますね。 波のほうはというと、反応は微妙で怖がっているのかどうかイマイチわかりません。



とかなんとかやっているうちに夕方になり、二夜目の屋台と大太鼓台の引き回しが始まりました。ちなみにこれは、その運行の小休止中に大太鼓を叩いている様子です。
「あれっ、たつぴ君縮んだ?」
と思われた方もいるかも知れませんけど、写っているのは近所の子供です。そうしたら、たつぴ本人はどうしてるのかというと……… 「テスト期間中だから」という理由で、家に籠っています。勉強をしていない可能性のほうが大なのですけど、今回はお祭りには不参加となりました。

祭典の時間はあっという間に終わり、その夜のうちにおおよその片付けを済ませることに。毎年、私は疲労とアルコール、眠気などの影響もあって、待機中に立ったまま寝てしまったりしていました。 今回はそうならないように警戒していたのですけど………
その前の、大太鼓の叩き納めを聴いている段階から、睡魔に襲われていました。 畑の段差の上の縁に腰を降ろしていたので、多少舟を漕いでも大丈夫なハズだったのですけど………
気付いたら、真後ろの畑に落下しているところでした。
はっ、これはイカン!
ちゃっと体勢を直そうとしたのですけど間に合わず、足だけが段差の上に残るという情けない姿となってしまいました。 こうなってしまったからには、誰にも見られていないことを願うしかありません。
※その事実を、暗闇の中に葬っておけばよかったものを……… ブログに赤裸々に綴ってしまったら、よりバレバレとなるのでは?(編集部注)
昨年に引き続いて、今回も一部雨の影響がありましたけど、なんとか無事に地域のお祭りを執り行うことができました。 この行事が終わったら、秋がより深まって衣替えも本格化し、こたつやストーブの出番となるハズなのですけど、今年の秋はハッキリしませんね。 寒暖の差が激しかったりするのですけど、皆様も体調を崩したりしないようにお気をつけくださいませ。


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箔波日記10周年

2016-10-26 00:51:17 | その他
こんばんは、白黒茶々です。
今年の10月20日をもって「箔と波のつれづれ日記」を開設して、ちょうど10年となりました。 さらに、今日までほぼ1週間に2回のペースで更新していったら、今回が1117回目となりました。



そのブログに初登場した頃の箔は、このような姿をしていました。 今から10年前の、箔波日記が始まった平成18年(2006年)といえば………



イタリアのトリノで冬季オリンピックとパラリンピックが開催され、荒川静香さんが日本勢で唯一の金メダルを獲得しました。 その演技の中で彼女が魅せた「イナバウワー」は、その年の流行語大賞にもなりましたね。
8月に甲子園球場でおこなわれた高校野球の全国大会の決勝では、駒大苫小牧のマーくん田中と早稲田実のハンカチ王子(斎藤)が対決したのですけど、延長15回でも決着がつかず、引き分け再試合となりました。
プロ野球では、日本シリーズで中日ドラゴンズと北海道日本ハムファイターズが対決し、ファイターズが44年ぶり2回目の日本一となりました。

政界では、9月に小泉政権から第一次安倍政権に交代。
テレビ番組では、NHK大河ドラマで仲間由紀恵さんと上川隆也さんが共演した「功名が辻」、天海祐希さんが異色の教師を演じた「女王の教室」が、それぞれヒットしました。

そのような時代背景の中で、箔日記(現在の箔波日記)は産声をあげたのですよ ………とはいっても、それはあくまでも文学的な表現で、決してパソコンから「おぎゃあ 」とかいう声が聴こえてきたというワケではありませんよ。
白黒茶々家の人間のほうの家族構成は当時とは変わらないのですけど、そのときたつぴはまだピッカピカの小学1年生でした。 その一方で、ペットの構成員は今とは違っていました。



ウチの子となってから、まだ1年と5ヶ月のは、2006年10月20日のブログ発足時には2歳6ヶ月と、まだ若い盛りでした。



彼より半年近く前に白黒茶々家の一員となった黒猫の女の子のその名も「黒」は、箔とほぼ同年代。黒猫のようですけど、毛の表面は焦げ茶に近く、さらに下毛は白という複雑な構造となっておりました。 締まった身体に長く延びた尻尾が特徴的でした。



こちらのちょっと太めの茶トラ猫の女の子は、「茶々」。その頃には7歳7ヶ月ほどで、たつぴが生まれる前に、我が家で最初のペットとなりました。 ちなみに彼女の名前は、ウチが加藤という性ということもあり、憧れている加藤茶さんにあやからせていただきました。また私は歴史好きで、淀殿こと茶々にもちなんでいるのですよ。

その彼らの色から、私のハンドルネームを「白黒茶」にしようと思ったのですけど、その名前はすでに使われていたので「白黒茶々」としました。 ブログの内容は、いちおう白黒茶のワンニャントリオをメインにしているのですけど、それだけではネタ切れになったり、飽きが来る恐れがあり、「長続きさせるためにも『ザ!鉄腕!DASH!』みたいになんでも屋になろう 」という決意をしました。ブログのタイトルにもテキトー感が漂っているのですけど、「つれづれ」にはそのような意味が含まれているのですよ。 しかも、そのように謳っていることをいいことに、内容は私の趣味の歴史探訪や野球観戦だけではなく、映画、グルメ、チロルチョコ、………など、いろんなものに手を出しています。あげくの果てには、うなぎパイで鰻丼を作るといったおバカ企画もやったりしました。

それ以降、私と箔はオフ会に加えて、スピッツクラブやスピッツ協会の展覧会などにも顔を出すようになり、行動範囲を広げていきました。 そのようにして、楽しくて充実した時間を過ごしてきたのですけど………
ブログ開設から4年たった頃に、茶々が11歳8ヶ月で虹の橋を渡ってしまいました。 次のお正月は、箔と黒ちゃの白黒コンビで迎えたのですけど………



箔母さんはあまりの寂しさに耐えきれなくて、新たな猫を飼いたいと訴えてきました。そして、猫の保護団体の譲渡会で出逢ったのが、「銀」だったのですよ。箔母さんは茶トラにはこだわっていなかったこともあって、アメショーのMIXみたいなのとなりました。それから名前のほうは、毛の色と、子猫の頃にすばしっこく動き回る姿が、かげろうお銀みたいだったことに由来しています。

その一方で、茶トラの女の子への思い入れが強かった私は、そのような姿かたちの猫を追い求めていました。 前述の譲渡会だけではなく、公営の保護施設を訪れたり、ネットの里親募集サイトを毎日のようにチェックしたり………



私が茶トラちゃんの募集活動を始めてから半年あまり経って、三重県熊野地方にお住まいの、へげたれ妻さんが保護し、ウチに届けてくださったのが、「京」であります。 この時点で、白黒茶々家のペット構成は、1ワン3ニャンとなりました。



それから3年ほど経った平成26年(2014年)の3月には、殺処分寸前のところをけいママさんに保護されたスピッツのゆめちゃんが、6頭の子を出産。そのあまりの可愛らしさに魅了された私は箔母さんを説得し、その仔犬のうち末っ子の水色ちゃんを新たな家族として迎え入れることとなりました。 いうまでもなく、その子が「波」であります。
しかし、それ以前から病気を患い、危篤状態だった猫の黒ちゃが、波が来たのを見届けた翌日に、長い眠りに就いてしまいました。



その年の秋が深まった頃に、私は家の近くで小さな黒モコの子猫を保護しました。その子を迎え入れた私たちは「蒼」と名付け、「黒ちゃが生まれ変わって帰ってきた」と信じ、イケニャンになることも期待して大事に育てていく決意をしました。 しかし、家族になってわずか1ヶ月ほどで、彼は私たちの手の届かないところに行ってしまいました。



蒼ちゃへの思い入れが強かった私は、しばらくして同じような姿かたちの猫を飼いたいと思うようになり、譲渡会やネットの里親募集サイトなどをフルに活用しました。 それから5ヶ月ほどの時間を要した末、ようやく出逢えたのが「晃」なのです。それと同時に、彼と一緒に保護されながらもまだ里親が決まっていなかった「緑」も合わせて連れて帰ってきてしまいました。
このような紆余曲折を経て、ペットの数は我が家では史上最多の2ワン4ニャンとなり、現在に至ります。

10年の歳月の間には、ウチの子だけではなく、たくさんのワンコ仲間との出逢いがありました。その一方で、親しくしてくれた仲間との悲しい別れも。 相手が生き物であるからには避けては通れないことなのですけど、また逢えると思っていた子が、そのときをもって今生の別れとなってしまうのは、辛いことです。なので、これからはお仲間と一緒に過ごすその時その時をより大切にしていきたいです。もちろん、ウチの子と向かい合う時間もですよ。





今回は、箔波日記が始まってからの10年間を、白黒茶々家のペット遍歴をメインにして振り返ってみましたけど、やはりここまで箔波日記を続けてこられたのは、皆さんの応援があったからです。改めてお礼を言わせていただきます。ありがとうございました。
これからも、私の士気とネタが持つ限り続けていくつもりですけど、やはりブログの中心犬物となる箔や波には、より長生きしてもらいたいです。


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めんそ~れ!たつぴの修学旅行

2016-10-21 01:00:36 | 家族
こんばんは、白黒茶々です。
秋といえば、修学旅行の時季でもありますよね。中学校では3年生の春に行くことが多いのですけど、それ以外はおおよそ秋ぐらいとなっております。 学校を卒業したら、離ればなれになるかも知れない気の知れた仲間たちと、団体で味わう非日常。そのような中で、テンションが上がらないワケはありません。 修学旅行に関して、皆様にはどのような思い出があるのでしょうか?

私が通っていた、静岡県の西部地方にある小学校は、修学旅行は近場の富士・箱根方面で、しかも1泊2日でした。 中学校になるともう少しグレードが上がって、京都・奈良2泊3日となりました。 そういえば、そのとき行った鹿苑寺の金閣は、外壁の金がかなり剥がれていたなぁ。それから、移動手段は小中学校ともバスでしたし。



高校になったら、またさらにデラックスになりましたよ とはいっても移動は陸路で、主に新幹線の団体用客車を利用しました。 その当時主流だった100系新幹線、懐かしいですね。

ちなみに私の高校の修学旅行は、広島・山口方面3泊4日の旅となっておりました。 初日は新幹線で一気に山口県内に入り、小郡駅(現在は新山口駅と改名されているのですよね)からはバスに乗り換え、最初の目的地となる秋芳洞秋吉台へ。 それらの資料をひっぺ反していったら………



秋吉台のどこかから写された、私の姿が。



秋芳洞のほうも私は写っていたのですけど、こちらはカメラに気付いていたみたいですね。



そちらで天然の大芸術を観たら、山口市内の常栄寺の雪舟庭園や瑠璃光寺の国宝五重塔………



さらには戦後まもない時期に建立されたザビエル記念聖堂などを廻りました。 そのザビエルの教会の建物はその後焼失し、現在その地には全く新しいデザインのものが建っているそうです。
私たちはその日のうちに、萩市のホテルに入り、一泊しました。



2日目は、その萩市内をレンタサイクルで班別に自由行動。 もちろん、萩城松下村塾笠山は欠かせませんでした。 もう一晩、萩市の同じホテルに泊まり………
なんか、私は隣のY君に給仕しているところなのですけど。



3日目は、津和野町を半日だけ自由行動。そちらでは私のいる班は、武家屋敷の水路にいる巨大な鯉を眺めたり、太鼓谷稲荷神社の長い鳥居を潜ったりしました。そしてその日の晩は、山口市内にある湯田温泉の宿に宿泊。



最終日となる4日目は、広島市の平和記念公園で原爆ドームや平和記念資料館などを見学した後、再び新幹線に乗って帰ってきました。 「広島・山口方面」とはいっても、ほとんどの部分は山口が占めていたような……… とにかく、ン0年前のその修学旅行では、私はいろんな意味で楽しみ、思い出に刻むことができました。

話は現代に戻って、先月末に今度はたつぴが修学旅行に行くことになりました。 ちなみに彼のいる浜松大平台高校は、沖縄方面3泊4日の旅に連れていってくれるそうです。しかも、主な移動手段は飛行機というではありませんか 私でさえも、沖縄は20年前に前の会社の招待旅行で1回行っただけです。とにかく、景色がきれいで郷土食が美味しくて、陽気な沖縄民謡などがあるところなので、それらを存分に味わってきてくださいませ。



そして、いよいよ修学旅行の当日となりました。 学校に6時30分集合となっているのですけど、あまりに早過ぎて始発列車に乗っても間に合わないので、箔母さんが集合場所まで送っていくことになりました。 その際に、彼女は「お土産はちんすこう以外のものにして」と言っていました。 たつぴに餞別をくれた彼の祖母(私の母)も「気を遣わなくていいよ」と断りつつも「お土産買ってきてくれるのだったら、ちんすこうじゃないヤツにして」と言っていましたし。沖縄のお土産といえば、ちんすこうが定番なのですけど、なぜか避けられているみたいですね。ちんすこう、美味しいのに。
それはさておき、とにかく気を付けて行ってきてくるのだゾ



修学旅行初日の行程は、学校からはバスに乗り込み、9時頃に愛知県のセントレア(中部国際空港)に到着。搭乗手続きを済ませ、11時20分離陸。13時沖縄那覇空港到着となっておりました。彼にとっては初めてとなる沖縄に着陸する直前には、乱気流に巻き込まれてかなり揺さぶられたみたいです。



………なんてことがあったのですけど、そのあと大平台高校ご一行は沖縄での最初の目的地となる、ひめゆりの塔にたどり着きました。 ひめゆり平和祈念資料館も合わせて見学し、さらに平和記念公園へ。その公園には、こちらのガジュマルの木があったそうです。 ガジュマルといえば、その木にはキジムナーという精霊が憑いていますよね。キジムナーといえば、私はボロを着た少年の姿をイメージするのですけど、皆さんにとってのキジムナーは、どのような姿をしているのでしょうか?



それらのコースを廻ったあと、ご一行はその晩の宿となる那覇市内のホテルチュラ琉球へ。ただしそこで終わりではなく、グループで最寄りの国際通り研修に繰り出しました。 それにしても、おそろいの海人(うみんちゅ)Tシャツがインパクトありありです。 ちなみに、たつぴは右端におります。



さらに彼らは、ご当地の味覚のソーキそばを食べていったみたいですね。 特に柔らかくて濃厚な、ラフテ(豚の角煮)がたまりません。



2日目は、道の駅かでなから始まりました。 そこにある展望台からは、米軍基地の嘉手納飛行場を一望することができるみたいですね。



さらに彼らは、琉球村に向かいました。 琉球村といえば、私が行ったときにはハブとマングースの決闘を見せてくれたのですけど、現在はやっていないそうです。その代わりといってはナンですけど、そこで彼らは三線(さんしん)を体験させてもらったそうです。



そのあと、ご一行はブセナ海中公園に行き、そこにある海中展望台からフグの遊泳などを見たそうです。 写真は地上からの眺めなのですけど、空と海の青さがたまりません。



そこを見終わったら、名護市にあるホテルリゾネックス名護へ。 その日の晩は、野外でのバーベキューを予定していたのですけど、雨の影響で屋内でのバイキングに変更となりました。それよりもたつぴ、ソーセージを取り過ぎでは?



3日目はタクシー研修で、グループによる行動となります。 そのような中でこちらの海人(うみんちゅ)4人衆は、沖縄ですっかり有名な観光地となった、ちゅら海水族館にやって来ました。



その水族館のウリといったら、やっぱり巨大な水槽ですよ その中で悠々と泳ぐ、巨大なジンベエザメの姿も、圧巻ですね。
そのあとご一行は、世界遺産の沖縄の城(グスク)のうち………



かなりメジャーな首里城ではなく、今帰仁城のほうに行ったみたいです。首里城のような、朱色の正殿や門などの復元建築はないのですけど、海を臨む高台に連なっている城壁は、見応え充分です

沖縄での最後の夜は島唄ライブが企画されていて、大平台生は大盛り上がり!テンションも高まって、みんなして声をからしたそうです。

最終日となる4日目は、すべて帰りに要しました。宿泊地となっていた沖縄北部から南側の沖縄那覇空港に移動。 正午頃に飛行機に乗って、14時頃にセントレアに到着。 そして、17時頃に無事に学校に帰ってくることができました。 あっという間の4日間だったと思いますけど、皆さんお疲れ様でした。



そのあと沖縄方面は台風に見舞われたので、修学旅行があと数日ズレていたら、飛行機で飛び立つこともできなかったのかも知れません。 沖縄での天気のほうも、晴れの比率が多かったみたいで、よかったですね。たつぴの現地からの画像つき報告メールやお土産話からすると、彼は学校のお仲間たちと一緒に、沖縄で楽しんでくることができたみたいです。 ということで、これから修学旅行を控えている学生の方たちは、一生の思い出を作ってきてきてくださいませ。


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わんわん秋祭りで逢いましょう

2016-10-19 00:36:38 | ワンコ
こんばんは、白黒茶々です。
気付いたら10月も下旬に入っていて、洋服やワンコの毛皮だけではなく、食べ物のほうではおでんや中華まんが出回り、秋の装いになりつつあります。しかし、白黒茶々家は先月末の1週間の間に家族旅行、DOG!フェスタ、わんわん秋祭りなどが集中していたこともあって、箔波日記のほうはまだ9月から脱出できずにいます。 そのぶん充実していたということで、ご了承くださいませ。 その中でも、今回はわんわん秋祭りの様子についてお伝えします。

ということで、話は先月の25日(日)にまでさかのぼります。 その時期は雨の天気が続いていたのですけど、その日は久しぶりに晴れの休日となりました。
朝から絶好のお出掛け日和だったのですけど、私の住む地域では、午前は道路愛護(地域住民による沿道の草取り)、神社の清掃(先週予定されていたものが、雨でこの日に順延)、太鼓台出し(祭りの準備の手伝いで、屋台小屋から大太鼓の屋台を出して組み立てる)の豪華三点セットがあって、いきなり多忙でした。 それらが終わったら、ようやくわんわん秋祭りのほうに走ることができるのですよ。ということで、私は休む間もなく箔と波を伴い、速攻でそちらのほうに向かいました。



ワンワンパーティークラブ主催のわんわん秋祭りは、毎年9月末の土日に、浜松市南区にあるこちらの遠州灘海浜公園を会場にしておこなわれています。



当日は同公園の駐車場が混んでいて、場合によっては遠く離れた中田島砂丘側の駐車場に回されることがあるので、注意が必要です。 そうならないように粘った結果、私はなんとか近いほうに止めることができました。 そこをクリアしたら、いよいよ秋祭りに挑みますよ



そのイベントでは、会場にたくさんの出店があるのですけど、今回は昨年とは場所が変わっていて、公園の東側の石のモニュメント周辺に並んでいました。 そちらの様子を見たら………



ワンコのレクリエーションがおこなわれる、芝生広場のほうに向かいましょう。 そこに着いた直後に………



いきなりスピッツのお仲間と逢うことができましたよ こちらの子はルーク君で、地元の男の子。ここのところは毎年のように、こちらの会場でお逢いしています。今回も、約1年ぶりに再会が叶って、とても嬉しいです。 しかし、彼らは帰り際だったみたいで、このとき以降はお姿を見掛けませんでした。
そうそう、芝生広場の受付でアンケートに答えれば、豪華な景品が当たる抽選ができることになっていました。 いいクジ、こいこいこ~い………



そうしたらなんと、2等賞が当たりましたよ 同時に、豪快に鐘も鳴らされましたし。 ちなみに景品のほうは、パウチタイプの犬缶24食が入った箱2つにございます。 たまにこいつをご飯に混ぜてあげると、箔と波は喜ぶ……… というよりは、テンションが上がり過ぎて狂喜乱舞状態になるのですよ。 なんて、浮かれていたら………



今度はハッピー君ピース君兄弟がやって来ましたよ 彼らと逢うのは……… DOG!フェスタの会場にもいらっしゃったので、3日ぶりですね。



さらに、その会場のほうで初めてお逢いした、マーリンちゃんもいるではありませんか おかげで、私のテンションがさらに上がりました。
私に続いて、彼らの飼い主さんたちも抽選に挑んだら、1等を引き当てたりしていました。 その賞品は、先述の犬缶が詰められたものが4箱となっていました。こんなに当選が出るのは、どうやらわんわん秋祭り初日となるその前の日が大雨で、人出が少なくて大量に余ったからだと思われます。 「たくさん過ぎて、消化しきれないよぉ」と仰っていたので、私が1箱受け入れました。 そのあとも1ダースぶんもらったりして、ウチのぶんは86食にも 犬缶の類いは、箔と波には盆と正月と誕生日以外はほとんど与えてないので、消化しきれるのでしょうか?いや、一気に与え過ぎてその食生活が当たり前になってしまったら、従来食べているドライフードに戻れなくなるのでは? う~む……… 嬉しいけど困った。
さんざん考え、数を計算した結果、5日に1度のペースで与えていけば、その犬缶の賞味期限の2018年4月までには消化することができるということで、落ち着きました。 また、それぐらいの間隔なら、ワンコの食生活に変化と豪華さが加わって、日々の生活も潤うってモンです。

………と、つい犬缶算に入り込んでしまいましたけど、とりあえずそれらは駐車場の車にしまっておいて、ドッグトレーナーが指導するアジリティー体験をやってみることにしましょう。 それには、ハッピー君やピース君、マーリンちゃんも一緒に参加してくださるのですか これは、より楽しくなりそうです。



まずは、スロープからいくようです。飼い主はリードを短くもって、「いけ 」の合図とともに伴走。上手くクリアできたら、大げさといってもいいぐらい、愛犬を誉めてあげましょう とのことです。
ハッピー君やピース君に続いて、箔と波も難なくクリアすることができました。よぉ~し、よし 調子に乗った私は、2頭同時越えに挑戦。なんとかそちらも成し遂げることができました。



次は、スラロームですね。これは、等間隔に置かれた棒の間を、ワンコを縫うように歩かせるというものです。やはりこちらも、飼い主はリードを短く持って彼らを誘導するみたいですね。



3つ目の障害は、トンネルにございます。多くのワンコは閉鎖空間には入りたがらないのですけど、彼らの視点が天井にいかないようにして、誘導してみてくださいませ。………と、ドッグトレーナーの方が仰っていました。



最後は、ハードルであります。 こちらは飼い主は伴走しつつ、「とべ!」の合図とともに、ハードルを越えるように持っていくか、一緒に飛んでみてくださいませ。ハッピー君、こちらもいい動きですよ。そのあと、小一時間のインターバルがあったので、私たちは会場内をぶらぶらして過ごしました。そうしている間に、ハッピー&ピースママさんが「どう見てもポメではない白ふわと遭遇した」と知らせてくれました。これは、スピマジックのニオイがしますね。とにかく、みんなでその現場に駆けつけましょう



そうしたら、いましたよ 浜松市内に住んでいるというこの白ふわは、ジャック君という男の子。飼い主さんと話をしていくうちに、彼は日本スピッツではなくて、アメリカンエスキモードッグだということが判明しました。 実は私は、最近エスキーの存在を知ったばかりで、本物と逢うのは初めてでした。



そんなジャック君を、みんなで囲ったり………



波と並べてみたり……… って、ポーズがシンクロしていますね。 スピッツとエスキーは別犬種とはいっても、起源は一緒で日本スピッツの逆輸入みたいなものなので、同類といってもいいでしょう。



そして、私たちは再び芝生広場へ。 そちらでは、ワンコを伴っての「ダルマさんが転んだ」や「負け抜きジャンボじゃんけん大会」などがおこなわれたのですけど………



その間に、今春の白ふわオフ会でもご一緒した、ポメラニアンのくぅちゃんがやって来ました。この日はママさんしか都合がつかなくて、大きいほうのちぃ君はお留守番となったそうです。そのちぃ君は、私たちがご無沙汰している間に、さらに体重が増したらしいです。



レクリエーションはその後も続き、尻尾ふりふり競争や一発芸の披露などがありました。そのうちの一発芸のほうは、「高速お手、おかわり、伏せ」などのようなものでもよくて、敷居が低く気軽に出られるということもあって、たくさんのワンコが飛び入り参加。 その中で、マーリンちゃんは「おすわり、伏せ、抱っこ」の動きを見せてくれました。一緒にエントリーした箔の技といえば、やはりお得意の「前足ぶんぶん」ですよ。



今回のわんわん秋祭りは、内容が充実していて、私たちは楽しい時間を過ごすことができました。また、たくさんの白ふわのお仲間たちと逢うこともできましたし。さらに、そんな彼らと一緒に運動したり、レクリエーションに参加したりすることによって、親睦を深めることもできたと思います。 その白ふわたちと、また何かのイベントなどでご一緒できたら、嬉しいです。


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彦根城の魅力、お伝えします。(関ヶ原・琵琶湖方面家族旅行その3)

2016-10-15 00:46:59 | お城
こんばんは、白黒茶々です。
前回は長浜城の展望回廊で、箔母さんたつぴの白黒茶々家の3人が琵琶湖の向こうに彦根城を見付け、士気を高めたところで終わらせてしまいました。 ということで、今回はその流れと勢いのまま突入していった彦根城の特集をメインにして、お伝えします。そのお城に向かって車で南下しつつも、その頃には正午近かったので、私たちはお昼を食べるお店も同時に探していました。 しかし、決め手を欠いたままお城の目と鼻の先まで来てしまいましたよ。こうなったら、仕方がない………



彦根城が見えるビッグボーイで、腹ごしらえをすることにしました。 しかし、お店に入ってから、この日(祝日)はランチメニューはやっていないということが判明。かといって通常メニューの肉やハンバーグは、今の私にとっては重たいですし。 その結果、食べる量が調節できるサラダバイキングとドリンクバーで落ち着きました。そうと決まったら、サラダだけではなく、カレーやスープ、フルーツやデザートも選べるので、胃袋が許す限りお詰めくださいませ。



お食事が済んだら、いよいよ彦根城の核心部に迫りますよ まずは金亀児童公園内にある、井伊直弼像を仰ぎ見ておきましょう。 直弼は11代彦根藩主直中の14男として生まれたのですけど、兄たちの度重なる死などによって、36歳で13代藩主となりました。その8年後には、幕府から大老に召し抱えられ、14代将軍に家茂を擁立したり、開国したアメリカと日米修好通商条約を結んだりしました。その一方で、それに反発する勢力緒派を弾圧。(安政の大獄)安政7年(1860年)3月3日には、その反感を買った水戸浪士らによって江戸城の桜田門外で暗殺されてしまいました。 それは、彼が46歳のときのことでした。彼の功績に関しては、今でも賛否や好き嫌いが別れているのですけど、皆さんはどちら側でしょうか?



順路からすると、ちょっと遠回りになるのですけど、彦根駅のある方角から入らせていただきます。 わざわざこちらに来たのは、延々と続くいろは松を右手に、お堀の向こうに佐和口多聞櫓、山の中腹に天秤櫓、さらに山頂の天守が見える風景を、皆様にお見せしたかったのです。 そこからお城のほうに向かっていくと………



お堀の石垣上に延々と続く、佐和口多聞櫓を眺めることができます。 手前側は昭和35年(1960年)に鉄筋コンクリート製で復興され、開国記念館として活用されています。奥側は明和8年(1771年)に建てられたものが現存していて、国の重要文化財に指定されています。



その内部が公開されていたので、遠慮なく入らせていただきました。 多聞櫓は長屋状の建物ということもあってけっこう長いので、奥までグイグイと進んでいってくださいませ。 本来なら復興された部分の端っこまで続いていたのですけど、途中で途切れているのでそのあたりはご了承くださいませ。



その佐和口多聞櫓のすぐ下には、お城のものとしては唯一現存する、馬屋の建物があります。その名の通り、藩主などの馬をつないでおくところなのですけど、こちらも開放されているので、とにかく入ってみます。



わっ!馬。
と、驚かれた方もいらっしゃるかも知れませんね。それでも、ご安心ください。こちらの馬は、現在国内で一般に出回っている、サラブレッドあたりをモデルにした作り物なので。 それにしても、かなり窮屈そうな……… と、思われたそこのアナタ、鋭いところに気付かれましたね。
実は、江戸時代まではポニーサイズの木曽馬が主流だったので、これだけのスペースでも充分だったのです。夢を壊してしまいますけど、鵯越(ひよどりごえ)の逆落としで源義経が、川中島で単身で武田信玄に斬りかかっていった上杉謙信が、ともに乗っていた馬は、ポニーぐらいの大きさだったのですよ。

皆様を泣かせてしまったお詫びといってはナンですけど、有名で大人からお子様まで幅広い層に人気の猫がもうじき現れるので、そちらのほうにご案内いたします。



表橋を渡ったところには、昭和62年(1987年)に表御殿を模して鉄筋コンクリートで建てられた、彦根城博物館があります。 こちらには、彦根藩主井伊家に伝わる美術工芸品や古文書、………



「井伊の赤備え」として知られていて、初代の井伊直政が着用したという、朱漆塗仏二枚胴具足(しゅうるしぬりほとけにまいぐそく)などが展示されています。こちらの具足は、ストロボ無しでなら撮影することができるのですよ。



それから、藩主の居住空間となる御殿の奥向きの部分は、木造で復元されています。 お時間に余裕があるようでしたら、こちらもご見学くださいませ。 そういえば、皆様に彦根城のアイドルを紹介するつもりが、つい横道にそれてしまいました。そうしたら、急いで表御殿の外側に回りますよ。



いたいた その猫キャラを囲むように、すでにたくさんの人が集まっていますね。気になるその猫とは、ジバニャンしまねっこしずな~び、………



いやいや、ひこにゃんにございます。 筆者の趣向もあって、箔波日記にはこれまでに多数のゆるキャラが出てきたのですけど、本物のひこにゃんは今回が初登場となります。 それにしても、動きがあまりにもユルいです。



「ひこにゃん、白くないよ」
そこのボク、それだけは絶対に言っちゃダメですよ。 スピッツもそうなのですけど、白い人気キャラが黄ばみやすいのは、やむを得ないことなのです。 それでも、ひこにゃんは集まった観衆の心をグッと掴んでいきました。

ひこにゃんに別れを告げたあとは、山上のお城を目指しますよ その坂道を登り詰めたところには………



高い石垣の上に、両端に二重櫓を乗せた外観をしている、その名もズバリの天秤櫓が聳え立っています。 こちらの建物は、長浜城から移されたと云われています。それから、江戸時代後期に石垣の修理があって、よく見てみると橋を境にして土台の石垣の積み方が違っています。



もちろんこちらの櫓も、内部を見ることができるのですよ。窓から外を覗いてみたら、橋の上をスキだらけで歩いている人が見えましたよ。 そんな彼らに、こちらから鉄砲でバーンと撃ったり、石をガツーンとぶつけたり……… なんて、空想の中以外では絶対にやってはいけませんよ。



天秤櫓からさらに坂道を登ったところには、本丸の入口となる太鼓門が構えられています。 こちらも他から移築されたもので、国の重要文化財に指定されています。そこを突破すれば………



国宝の天守が、視界に飛び込んでくるのですよ かなり遅くなってしまいましたけど、このあたりで彦根城の成り立ちについて、お話しさせていただきます。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦で武功を挙げた井伊直政は、それまで石田三成の居城だった佐和山城とその領地を与えられました。 それから間もなくして、徳川家康は畿内近国の拠点として、さらには大坂攻めの包囲網として新たな城を築くように、直政に命じました。 しかし直政は、慶長7年(1602年)に死去。その遺志は、長男の直継に受け継がれました。とはいっても、直継はまだ幼少だったので、家老の木俣守勝の力を借りて、城地を金亀山に定め、翌慶長8年から工事に入りました。 しかし、短い工期で完成させなければならないというのに、材料も不足していました。 そこで彼らが取った手は……… 近隣で廃城となった小谷、長浜、佐和山、大津などの城にあった石垣や建物を再利用したのです。 つまり、お城をリサイクルしたのですよ。そのようにして、慶長12年(1607年)頃には彦根城の主要な部分は完成しました。



姫路城松本城犬山城松江城とともに国宝に指定されているこちらの天守は、大津城の天守を移築・改造したものだと云われています。 三層三階で、これでもかというほど、たくさんの破風飾りが付けられていますね。ここまで来たら、もちろん登っていきますよ



こちらは天守に続く付櫓の内部ですけど、曲がった部材も有効に使われていますね。 それらをよく見てみると、不自然なところにほぞ穴などが開いていて、それが転用材だということを確認することができます。そうしたら、後方に見える段差を越えて、天守の建物にお入りくださいませ。



一階の外側を廻る廊下(武者走り)は、広く取ってあります。



二階も、一階と同じような平面をしているのですけど、千鳥破風(三角の屋根飾り)の内側のスペースを利用して、4~5人が入れる広さをもつ隠し部屋も設けられています。



古いお城に付き物の、急階段がこちらにもあるのですけど、転落防止と補強のために鉄板で覆われていました。箔母さん、あと少しなので頑張って登ってくださいな。



ということで、私たちは最上階の三階に到達しました。 こちらは天井がないので、屋根のごっつい骨組みを内側から見ることができます。それに加えて………



彦根市街や琵琶湖などの眺望を楽しむこともできますよ。 そういえば、長浜城からはこちらのお城が見えたのですけど、逆側からはどうなのでしょうか? 理論的には見えるハズなのですけど、果たして………



長浜城の近くにある巨大な長浜ロイヤルホテルは肉眼でも確認でき、そいつを目印にして近くを拡大していったら、あった ありましたよ。低い場所に建てられているということもあって、あまり目立たないのですけど、あれは確かに長浜城の模擬天守です。



実は彦根城にはもう一棟、現存していて内部も見られる建物があるのですよ 本丸の西側に延びる西の丸の端には、西の丸三重櫓が建っています。 破風飾りのないシンプルな外観なのですけど、その内部は………



細かい部屋割りなどはされてなくて、いたってシンプルです。それでも、そのぶん木組みなどの構造をじっくりと見ることができますし。それから、ニ方向に長い多聞櫓が併設されていることもあって、奥行きを感じました。 そこを見終えたら、上にあがっていきますよ



急階段を覆うようにして、緩やかな階段が設けられていることもあって、難なく登ることが……… というよりは、お城好きの私にしては少しもの足りなかったです。 それでも最上階まで立ち入り可能となっていて、さらにそのスペースは狭くて天井が低いということもあって、小さい頃に遊び場となった秘密基地にいるような気分を味わうことができました。

あとは、江戸時代初期にお城の麓に作庭された、玄宮園という池泉回遊式庭園を廻るだけなのですけど、私はその先にある楽々園も見たいので、ここからは別行動を取らせていただきます。 ということで、あとで合流するので、箔母さんとたつぴは先に玄宮園に入っていてくださいませ。



楽々園は、玄宮園とともに建立された彦根藩の下屋敷で、槻御殿と呼ばれていました。現在では、建物部分を楽々園、庭園部分を玄宮園と呼ぶそうです。 平成17年(2005年)から楽々園は保存修理がおこなわれていて………



こちらの御書院棟は、平成24年(2012年)に工事が終わりました。 内部には入れないのですけど………



外から覗き込むことはできます。入側を経たところから見える、上之御間やその奥の御上段は、下屋敷の雰囲気がありありですよ。



そうしたら、今度は玄宮園のほうに行きますよ その中心となる大きな池の中には、波が立っていなければ逆さ彦根城を見ることができます。 よく見てみたら、その対岸で手を降る人の姿が2つ、ありましたよ。 またしてもズームしてみたら………



箔母さんとたつぴではありませんか このような形で、再会するなんて。とにかく、彼女らもお城や庭園を充分堪能することができたみたいなので、これから帰路に就くことにします。



彦根城に別れを告げて、名神高速道路に乗るために、米原IC(インターチェンジ)を目指して国道8号線を走っていたら、風変わりなお寺が見えてきました。 それに引き続いて、怪しい金閣寺風の建物も出てきたと思ったら、間髪入れずに強烈なお城が姿を現したではありませんか これはいったい………
※泉厳さんという資産家の方が、私財を投げうって建設した、佐和山遊園という施設です。突っ込みどころ満載の怪しい名所だったのですけど、老朽化などもあって、惜しまれつつ昨年閉園してしまいました。(編集部注)



帰りの道中では、大渋滞や土砂降りに見舞われたりもしましたけど、無事に戻ることができました。それからその日の晩御飯は、自宅方面にあるかっぱ寿司で済ませました。



家に着いてからは、彦根の名物ではないのですけど、帰りのサービスエリアで買っておいた赤福を食べました。 「お土産がなくなるまで旅行は続いている」という迷言に則ったのですけど、美味しくて日持ちがしないものということもあって、その旅行は速攻で終わってしまいました。 とはいっても、初っぱなから予定外のことが起こりまくったりして、今回の家族旅行はいろんな意味で心に残るものとなりました。


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難攻不落(?)の豊公荘(関ヶ原・琵琶湖方面家族旅行その2)

2016-10-12 00:47:43 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
前回からの続きで、私・箔母さん・たつぴの3人は、家族旅行で宿泊先となる滋賀県長浜市の国民宿舎豊公荘(ほうこうそう)に向かっています。 降っていた雨が弱まり、東名高速道路を使った道中は順調だったのですけど………

あまりに順調過ぎて、このままではチェックインの時間の前にその晩の宿に着いてしまいそうな勢いだったので、私は途中の大垣IC(インターチェンジ)で降りて、目的地までは一般道をのんびり走っていくことにしました。 まずは、せっかく大垣市街に入ったので、大垣城に再接近して、そのお城を車窓から見ておくことにしましょう。



その大垣城には、私は昨年の秋に訪れていました。 17世紀初期に建てられた四層の天守は、昭和20年(1945年)の空襲によって焼失してしまったのですけど、その後外観のみ復元。ただし、お城は市街地化の波に飲まれて、現在はその三方がビルや住宅地に囲まれています。そういうこともあって、私は視界が開けている南側から攻めていきました。 約1年ぶりに見る大垣城は………

「み、見えない………」
何のためにわざわざ混んでいる街中を通ってきたのでしょうか? しかも、たつぴは寝ていますし。とにかく、今回の挑戦は失敗ということで、先に進みます。



私たちは垂井町を経て、関ヶ原町に入りました。関ヶ原といえば、やはり古戦場ですよ こちら方面には、私は約2年前の秋に、箔と波を率いて訪れたことがあります。 それから間もなくして、徳川家康が最初に陣を構えたという、桃配山が見えてきましたよ。 ちなみに写真は、その時のものです。ただしそこから先は、長浜方面に直通している、関ヶ原バイパスを使うことにしました。ということで、今回は古戦場はスルーさせていただきます。



………なんて言っていたのに、今度は黒田長政(黒田勘兵衛の嫡男)と竹中重門(竹中半兵衛の嫡男)が陣を敷いた、岡山(丸山)烽火場が見えてきましたよ 前回、私はこちらにも行っていました。



私たちの車は、陣場野の交差点が赤信号に変わったので、停車しました。 そうしたら、私はそのすぐ目の前にココカフェがあるのに気付きました。
「歴女のお姉さんがやっているココカフェがそこにあるんだけど、寄ってくかい?」
「うん、寄りたい 」
即決でした。ココカフェは、関ヶ原古戦場廻りをする際には、休憩に寄りやすい場所にあって、石田三成推しと思われる、先述のお姉さんが1人で切り盛りしています。前回、私がこちら方面を訪れたときにも、やはり利用させてもらいました。



今回、私は「三成コーヒー」なるものを注文。 どのあたりが三成なのか気になるのですけど、つい聞きそびれてしまいました。そのあとに私は、お店に備え付けられていた古戦場地図を広げて、関ヶ原の戦いの説明をしました。 慶長5年(1600年)9月に、徳川家康率いる東軍と、石田三成の西軍がこの地を舞台にしておこなわれた天下分け目のその合戦。 最初は西軍が圧していたのですけど、家康が仕組んだ小早川秀秋の反逆などによって、形勢逆転。半日ほどで決着がつき、東軍が勝利しました。 ちょうどその頃、大河ドラマの「真田丸」ではそのあたりのことをやっていて………



その夜の放送では、山本耕司さん演じる石田三成が敗走の末に捕らえられ、京都の三条河原で処刑されるシーンが流されました。生真面目で正直、不器用で戦にはあまり向いていなかった三成は、豊臣家のことだけを真剣に考えていて、そんなひたむきな姿が、現代の歴女の心をグッと掴んだみたいです。 家康推しの私でも、つい彼に感情移入してしまいましたよ。



お茶を済ませたあと、せっかくなので私は箔母さんやたつぴのために、古戦場の主要な場所を廻り、車窓からでも見られるようにしました。 まずは、家康が桃配山の次に陣を構えた陣場野公園に……… って、おいおい、つい素通りしてしまいましたよ。 遠ざかりながら引き返す場所を探していたら、一行を乗せた車は今度は東首塚に行き当たりました。こちらも前回行っているのですけど、その隣接地には松平忠明と、来年の大河ドラマの準主役ともいうべき井伊直政の陣屋跡があります。 さらに、あのときは住宅街の道路のこのあたりで、波ちゃは〇んこをしたのですよ。
「そんな細かいところまで、報告しなくていい 」



とかなんとか言っているうちに、私たちは陣場野の家康陣跡に差し掛かりました。 こちらも車窓からの見学となるのですけど、整備の手が加えられていて、以前よりさらにきれいになっていましたよ



そして、私たちは旧関ヶ原北小学校に。こちらには、波ちゃがビビったヤギ牧場があって、………って、ないじゃん ヤギたちの行方が気になるのですけど、このようなところから年月の移ろいを感じました。 それでも、学校の建物を利用した貸し甲冑屋は健在でした。



そこからほど近いところにある、石田三成が陣を構えた笹尾山の麓を通り………



私たちは、関ヶ原古戦場の決戦地にたどり着きました。その頃には天気は霧雨ぐらいになっていたので、私は車の外に出て写真を撮っておきました。 そういえば今回の関ヶ原は、ココカフェ以外のところは写真に納めていなかったような。それよりも、ここからの風景は、遠くの山に霧がかかっていることもあって、戦場所の雰囲気が出まくっていました。
そのとき気付いたのですけど、今回は右往左往しながらも、結果的に前回訪れた古戦場の主要なところを全て廻っていました。

そして私たちが乗った車は、再び関ヶ原バイパスに入っていきました。
「あのときは、あそこのコンビニでおにぎりを買って……… って、つぶれてるじゃん 」
このようなところにも、時間の移ろいを感じさせられました。 滋賀県との県境の峠に差し掛かるあたりから再び雨足は強まり、そのような天候の中で、私たちは豊公荘のある長浜市街に入っていきました。



豊公荘は、琵琶湖畔の長浜城跡に造られた豊公園(ほうこうえん)内にあります。それに加えて、私はその公園には何回か行ったことがあるので、迷わずにたどり着けますよ。 その宿に着いたら、部屋に荷物を降ろして、食事をとって、温泉に浸かって、……… 目印となる、ライトアップされた長浜城の模擬天守も見えてきたことですし、ゴールはまもなくです。

ところが、豊公園を突っ切って豊公荘に直結する道の入口が、封鎖されているではありませんか すかさず、スマホで宿のホームページを見てみたら、その道を通ってくるように案内しているというのに。 どうやら、その隣接地で工事をやっている影響みたいですけど、とにかく公園の反対側に回ってみることにします。
そちらには、公園専用の駐車場はあったのですけど、豊公荘からは遠いところに位置していました。このような天候なので、長い距離を歩いていくのはイヤ。 確か、玄関前にも宿専用の駐車場があるハズなので、できることならそちらを目指したいです。そうしているうちに、私たちはその宿から近いとも言えなくもないところに、「臨時駐車場」なるものを見つけました。 しかし………
そちらは土のグラウンドを駐車スペースに利用したというだけで、降りしきる雨のおかげで泥田のようになっていました。 それによって、こちらに止めるという選択肢は消滅しました。

それならば、もう一度豊公荘に通じる道を探すしかありません。いや、公園の外をもう一周どころか二周しても、その宿に入れませんでしたよ。 お城の跡に建てられていることもあって、豊公荘は難攻不落なのでしょうか?
………と嘆きつつ、三たび公園専用の駐車場に入っていったら、その時初めて奥に続いている道を発見しました。 その道を辿っていったら………



あった、ありましたよ 豊公荘が。正規の道が使えなくて、代わりに公園専用駐車場のほうに迂回道が設けられていたみたいです。それにしても、分かりにくかった。
これは翌朝の様子ですけど、私たちがこの日初めて長浜城の模擬天守を見付けてから30分以上もかけて、ようやくこちらの宿にチェックインすることができました。



まずは、通された部屋で一息入れましょう。 このひと時を無事に迎えることができて、本当によかったです。 そうしているうちに………



夕食の時間になったので、私たちは大食堂に移動しました。 刺し身に鮎の甘露煮、近江牛の鍋などがあって、豪勢ですね。 ちなみに汁のお碗は赤だしのしじみ汁、ご飯やお茶はおかわり自由となっております。
お腹を満たしたら、大浴場に向かいたいですね。 豊公荘のあるあたりには、鉄分を含む長浜太閤温泉なるものが湧いていて、疲労や病後の快復、冷え症などに効果があるそうです。この日は雨の影響もあって、私にはあるまじき右往左往や行き当たりばったりの連続となってしまいました。それでも、箔母さんたちが「このようなハプニングのある旅も、かえって楽しい」と言ってくれたので、まぁ楽しんでもらえたのなら、いいかなと。 それでも、翌日はお城めぐりをするので、せめてその日だけは雨粒が落ちない程度にしてもらって、予定通りにいきたいです。このあとの消灯とともに今回の日記を締めればキリがいいのですけど、もう少しだけ続けさせていただきます。



翌朝は、私の願いが通じたのか、雲の合間から日差しが見える天気となっていました。 そのような中でいただいた、和食の朝御飯。 これらに加えて、ご飯や漬け物、ハチミツ入りの南高梅などは、おかわり自由となっております。さらにそれらに、200円でモーニングコーヒーを付けることもできます。 これらの内容で、3人の1泊2食付きの料金は、税込で22680円(1人あたり7560円)となりました。



癒しとくつろぎと満腹を提供してくれた豊公荘をあとにした私たちは、そこから徒歩0分のところにあるというか、お城の敷地内に豊公荘があるというか、とにかく長浜城跡にある豊公園を散策しました。 ちなみに手前に見えるのは、その城跡に散乱していたお城の残石を、後世になって積み直したものです。

天正元年(1573年)、浅井久政長政親子のいる小谷城攻めに貢献した羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は、落城後に織田信長からその城を与えられました。 しかし、小谷城は険しい山の上にあり、城下町も整えにくいうえに冬は特に寒いことから、秀吉は北国街道の交通の要所で水運にも恵まれている今浜の地に新たな城を築きました。 その際に、信長の名から1字をもらい、「長浜」と改めました。秀吉は長浜に在城している間に、数々の戦を経ながら出世していき、天正11年(1583年)に大坂に移っていきました。 その後、長浜城には山内一豊内藤信成らが入ったのですけど、元和元年(1615年)にはお城としての役割を終えました。



廃城後、石垣や建物は彦根城などに転用され、その跡地は明治以降に豊公園として整備されました。 城域の一部は琵琶湖の底に沈んでいて、こちらの太閤井戸も、湖が満潮の時には水没しています。



それから、「天守跡」と云われている土盛りの上には、あまり目立たないのですけど豊臣秀吉の像が鎮座しております。



そして、私たちはいよいよ長浜城に……… んんっ カメラさん、ちょっと城址碑のところをズームアップしていただけますか?



いた、いましたよ こんなところに地元猫が。 親子と思われるこちらのニャンズは、私たちが近付いてなでなでしても、逃げたりしないで愛想をふりまいていました。
「気に入った わしに付いて参れ」
嗚呼、「佐吉(石田三成の前の名前)」と名付けて連れて帰りたい。



それはさておき、私たちは今、当ニ長浜城ニ入ラント欲スというところでした。 豊公園内には、昭和58年(1983年)にお城を模して長浜城歴史博物館が建てられました。 そこに上れば、秀吉や湖北方面の歴史関連の資料が見られるのはもちろんのこと………



その最上階からは、長浜市内や伊吹の山々、琵琶湖などの眺望を味わうことができます。 カメラさん、ここでまたズームしてもらってもよろしいでしょうか?ほら、あの湖上に見える山の上に何かポチっとあるあたりを………



そうしたら、そこが彦根城だということが確認できましたよ それにしても、このようにして見ると、お城が山ごと琵琶湖上に浮かんでいるようですね。彦根城、今から私たちが向かうから、そこでおとなしく待っていなさいよ

………と、期待を持たせたところ(?)で、キリがいいと言えなくもないので、このあたりで終わらせていただきます。 今回の家族旅行シリーズの完結編となる次回の日記では、この流れに乗って彦根城とそこに巣くうあの有名猫が登場するので、ここまで来たら最後までお付き合いしてくださいませ。


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家族旅行が予想外の展開に。ところで「君の名は。」?(関ヶ原・琵琶湖方面家族旅行その1)

2016-10-08 00:35:16 | 映画情報
こんばんは、コップのフチ子です。
………というよりは、「お城のフチ子」といったほうがいいのかも知れません。 私はガチャガチャのカプセルトイの一種で、「コップのフチに舞い降りた天使」の副称も持っています。皆様から指示していただいたお陰で、種類も増えつつあります。



今回は白黒茶々家の家族旅行の話になるハズなのに、なぜ私が出てきて、しかも濡れているのか?ですって。それは……… 話せば長くなるのですけど、白黒茶々さんに順を追って説明していただきます。では、白黒茶々さん、お願いします。


はい、白黒茶々です。
白黒茶々家では年に一度、お盆休みかシルバーウィークあたりに、家族旅行に行っています。毎年の恒例行事となっているのですけど、これまでに諸事情で中止となった年もありました。 また、今後はたつぴの進路によっては家族揃って遠出をするのも難しくなるかも知れないので、今年は例年以上に重要だということを認識して、計画を立てていきました。 その結果………



今回は、絶叫マシーン大好きな箔母さんや、ようやくその手のものに乗れるようになったたつぴのために、三重県桑名市にあるテーマパークのナガシマスパーランドを入れました。もちろん、私も絶叫系は好きですよ
それからコースの中には、お城も入れておきたいですね。程よい距離で、そこそこ見応えがあって、しばらく行ってないようなところといえば……… 私の頭のなかで、滋賀県の彦根城がヒットしました。さらに、そちら方面で手頃な宿を色々と調べていったら、以前に一度だけ利用したことがある、長浜市の国民宿舎豊公荘に行き当たりました。

できることなら箔と波も連れていきたいところなのですけど、テーマパークなどは厳しいので、今回も家でお留守番をしてもらうことにしました。もちろん、彼らとはずっと一緒にいたいのですけど、たまに離れたりすれば、お互いのありがたさを再認識できるというか、「やっぱ家が一番 」というセリフが出るというか、………とにかくスマン 箔波ちゃ。 今回は人間だけの旅行ということで。こんな私を赦しておくれ。

しかし天気予報では、その日は雨でした。日が近付くにつれて、雨雲の流れが変化するというようなことはなく、頑なに雨でした。 そのような天気のなかでは、テーマパークは厳しいのでは?
それでも、大丈夫です。 ナガシマスパーランド内には、湯あみの島という長島温泉を引き入れた、温泉テーマパークもあるので。もし雨が降ったとしても、かえって温泉情緒を楽しむことができるので、ヤキモキする必要はありません。 とはいっても、できることなら天気予報がハズれて、いい天気になりますように~

そして、家族旅行初日の9月18日になりました。朝私が寝覚めたら、雲の合間から朝日が出ていましたよ なので、箔と波の朝散歩は普通にすることができました。 逸る気持ちを抑えつつ、私たちは仕度をしていきました。しかし時間が経つに連れて、みるみる黒い雲が増えていくような………



それは、気のせいではありませんでした。私たちが出発する頃には、雨が降り出してきてしまったのです。 そうしたら、この日最初の目的地のナガシマスパーランドの天気はどうなっているのでしょうか?スマホで検索……… っと。
その結果、そちらのほうも雨となっていました。 このことから、温泉テーマパークが決定的となりました。ところが………
「雨で乗れなくなった絶叫マシーンを目の前にしながら、温泉に入るなんて堪えられない 」
と、箔母さんが言い出したのです。言われてみれば確かに、気持ちを切り替えるどころか、未練タラタラとなりそうです。 かといって、それとは別に雨でも楽しめるようなコースは準備してなかったですし。いや、ないこともないです こうなったら、通り道にあるといえなくもない、あそこに寄っていくことにしましょう。 その「あそこ」とは………



ここで、箔波日記ではすっかりとお馴染みとなった、ユナイテッドシネマ豊橋18が出てきたということは……… そうです 今からこちらで、朝から上映されている映画を観ることにしたのです。 ウチを出てから30分弱のところにあるので、いきなりの寄り道となります。ちなみに、私たちが狙っている作品は………



8月26日に公開が始まって以来、大人気で社会現象にもなった「君の名は。」であります こちらの作品は、私たちは少し前から観に行きたいと思ってはいたものの、なかなか空いている時間がなくて、この日に至ってしまいました。 いや、実はこの作品は箔母さんとたつぴは最初から興味津々の様子だったのですけど、私は少し迷っていました。テレビの予告編や絵のタッチはいい感じなのですけど、「サマーウォーズ」みたいに意味不明で、最後まで何を言いたかったのかわからなかったら、イヤですし。 (あくまでも私の主観です。『サマーウォーズ』ファンの皆様、ゴメンなさいっ )



それでも、観た人から感想を聞いたり、テレビの番組で採り挙げられているのを観たりしているうちに、私も気になるようになってしまいました。 そのような中で、家族旅行が雨で大幅に予定変更になったのは、ある意味いいタイミングと言ってもいいでしょう。いつものごとく、「ノーモア映画泥棒」の珍妙な動きを観たあとに、いよいよ「君の名は。」の本編が始まりました。

千年ぶりとなる彗星の来訪を一ヶ月後に控えた日本。この彗星が、のちに物語の展開に大きな影響を与えることになります。



それはさておき、糸守町という山深い田舎に、宮水三葉(みつは)という悩み多き女子高校生が暮らしておりました。彼女の家は神社の宮司職をやっているのですけど、家から出ていった父はその町の町長をやっていました。任期切れとなった彼は、選挙運動に勤しんでいて、街頭演説中に三葉の行動を正すという一幕も。それだけではなく、彼女は家の神社の古い風習にも抵抗を感じていました。そういうこともあって「来世は、東京のイケメン男子にしてくださーい!」と叫ぶことも。

そんなある日のこと、三葉は自分が男の子になる夢を見ました。見覚えのない部屋、見知らぬ学校や友人、目の前に広がる東京の町並み、……… 男友達たちと一緒に、ずっと憧れていた東京のカフェに入ったりして、三葉は都会での生活を思いっきり満喫しました。



その一方で、東京で暮らしている立花瀧(たき)という男子高校生も、奇妙な夢を見ていました。 行ったこともない山奥の田舎町で、女子高校生になっている?身体の構造も、全く違いますし。そのことを確認するように、瀧は自分の胸をもんでいたら………



「なにやってるの お姉ちゃん」部屋のふすまを開け、起こしにきた妹の四葉(よつは)は、驚きと呆れが合わさった表情で立ち尽くし、間もなくして思いっきりふすまを閉めました。



不思議な夢が繰り返され、その間の記憶と時間が抜け落ちていることから、二人は初めて気付きました。
「私/俺たち、入れ替わってる 」
その現象はその後も続き、生活の違いに戸惑いながらも、彼らは現実を少しずつ受け止めていくことに。そんな感じで、残されたお互いのメモや落書き、スマホの記録などを通して、ケンカをしたり、相手の人生を楽しんだりしながら、状況を乗り切っていきました。 しかし、気持ちが打ち解けてきた矢先に、突然入れ替わりが途切れてしまったのです。
入れ替わりながら、同時に三葉に特別な想いを抱いていたことに気付いた瀧は、三葉に会いに行こうと決心しました。そこで、あの有名なフレーズの出番となるのですよ
「まだ会ったことのない君を、探している」

住んでいる環境や生活スタイルが全く異なり、決して会うことのないハズの二人が、入れ替わったことがきっかけで知り合い、これから仲良く付き合っていくことになる………
私はてっきりそうなるものだと思っていました。 ところが、辿り着いた先には、意外な真実が待ち受けていたのです。



瀧は奥寺センパイ藤井クンらと一緒に、三葉の住む田舎に行ったハズなのに………



その二人は東京のほうで向かい合っていますよ。 しかも、制服姿で。これはなぜかといいますと……… 言ってしまえば、実はこのようなシーンは作品中には一切登場しないのですよ。

それでも「君の名は。」は、瀧や三葉と同世代の高校生に特に人気で、たつぴによるとリピーターとなった彼らは、観に行くたびに涙を流して帰ってくるそうです。 また、そんな彼らと「やっと話題に付いていけるようになった」とも言っていましたし。

当初私が心配していたような、入れ替わりだけではなく時空を越えるシーンが入っていたりして、わかりにくいところもあったのですけど、全体的には面白く、共感できる内容でした。
それに加えて、現実よりリアルというか、陰影が効果的に使われ、優しいタッチで描かれた絵は芸術的で、ずっと観ていたいくらいですし。しかもその風景は、モデルとなった場所が実在しているので、ついつい聖地巡礼してしまう方たちの気持ちも、よくわかります。



ちなみに三葉が住む糸守町は、岐阜県の飛騨市あたりが、その町にある糸守湖は、長野県の諏訪湖が、それぞれモデルとなっております。



瀧のいる東京は、もっとわかりやすいですね。四谷近辺などの風景はいかにもというか、都心に緑があったりして、美しい風景を再発見した気分になりました。
それだけではなく、瀧と奥寺センパイとの待ち合わせの場所などになった四ツ谷駅前は、私は2月に実際にそこを通ってきたので、よく覚えていますよ



それから、ほら、よくあるじゃないですか。 日の出から日没までの一日の風景の流れを、定点カメラで録ったヤツを早回しするっていうのが。この作品では、都心のその様子をあの映像美のままやるシーンがあって、技術的にも芸術的にも、もう奇跡といってもいいでしょう。

あと、映画の音楽を全般的に担当した、RADWIMPS(ラッドウインプス)の「前前前世」や「スパークル」、「なんでもないや」といった曲も、いいですね。 作品とマッチしていて、心に染みます。

「君の名は。」は観客動員数だけではなく、観た人の満足度もかなり高く、私からもオススメです。上映期間が延長されそうな勢いなのですけど、気になられた方は、迷わずに映画館にお駆け込みくださいませ。



映画を見終わったら、やはりその余韻を保ったまま、ゲームセンターになだれ込みたいですね。 たつぴは「太鼓の達人」で、その腕を披露していました。 その一方で、私はガチャガチャを物色していき、「コップのフチ子さん」シリーズに行き当たり、日記の冒頭の「一度落ちたフチ子さん」を手にしたのでした。 こちらのフチ子さんは、家族旅行が水入りとなったその日のウチともよくマッチしていますね。
そうそう、これは家族旅行の途中のことでした。ということで、私たちは再び車に乗り込み、その先に進んでいきました。



西を目指して、音羽蒲郡IC(インターチェンジ)から東名高速道路に乗ったのですけど、そのあたりから雨が激しくなってきて、50m先が見えないぐらいの状況でした。 それでも、最初の休憩地点となる上郷SA(サービスエリア)に着く頃には、雨は小降りとなっていました。



時刻は13時ちょっと過ぎ。このあたりで腹ごしらえをしておくことにしましょう。 ちなみに私が選んだのは、きしめんとミニ味噌かつ丼のセット。いずれのものも、名古屋の名物にございます。
家族旅行のレポートの第1弾となる今回の日記は、突如飛び込んできた映画のネタがメインとなり、旅の情緒や名所旧跡がまだ出てきてないのですけど、今回はこのあたりで一旦締めさせていただきます。 次回の日記ではなるべくそのあたりのことに触れる予定なので、どうかそちらのほうにもお付き合いくださいませ。


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4年ぶりのハム祭り

2016-10-05 00:44:18 | 野球ネタ
こんばんは、白黒茶々です。
やった、やりました ファイターズがパ・リーグの優勝を決めました



先月28日の夜のこと。優勝へのマジックナンバーを1とした我らが北海道日本ハムファイターズは、西武プリンスドームで埼玉西武ライオンズと対戦しました。 ファイターズの先発投手は、大谷君。ライオンズは、彼の高校の野球部の先輩でもある、菊池でした。優勝マジックとか2位との差とかを説明すると長くなるのでここでは省略しますけど、とにかくこの試合に勝てば、4年ぶりのリーグ優勝が決まります。
………とはいっても、この日はテレビだけではなく、ラジオも中継をやっていなかったので、ネットの速報に出ているアウトカウントなどを眺ながら、試合の行方を見守るしかありませんでした。 それにしても、そちらはサイレントなのであまりに静か過ぎです。それに、リアル中継より少し遅めですし。
※白黒茶々ではネットTVや、唯一中継がおこなわれていた衛星放送などの契約はしていなかったのですよ。(編集部注)

その試合は大谷君の投球が冴えわたり、リーグ最多の本塁打記録を持つレアード選手のホームランもあって、1対0のまま最終イニングとなる9回に入りました。 そこで私は、他の番組をやっているのですけど試合情報を見ることができるテレビのNHKにスイッチオン パソコンではあとアウト1つで、ファイターズの勝利という段階だったのですけど………
テレビのほうで効果音とともに「日本ハム4年ぶり7度目のリーグ優勝決定」というテロップが流れました。えっ、優勝が決まった



歓喜のタイミングがズレズレとなってしまいましたけど、私は箔母さんと一緒にクラッカーを鳴らしたら、こうなりました。 嬉しくてたまらないのですけど、この場にたつぴがいないのが、少し残念です。彼はそのとき、修学旅行で沖縄に行っていたので、その朗報はすぐにメールで知らせておきました。
そうしたら、間もなくして「やったー! \(^o^)/」というお返事がありました。北海道(胴上げの場所となったのは埼玉県)とは逆方向の沖縄にも、歓びを伝えることができたみたいです。



がウチに来てからファイターズが優勝したのは5回目となるので、彼は分かっていると思うのですけど、にとってはこの騒動は初めてとなるので、戸惑っている様子でした。 それでも、これはハムファンファミリーの子になった者の宿命なので、あきらめ……… いや、開き直って、一緒になってハメを外してくださいませ

そのファイターズは、4年ぶり7回目のリーグ優勝となるのですけど、今回のものは今までとはワケが違います。 話すと長くなる恐れがあるのですけど、その戦歴と戦略を順を追って説明いたします。
今年のペナントレースが始まる前に、野球の解説者や評論家はほぼ全員、今年のパ・リーグは、昨年・一昨年と日本一になった福岡ソフトバンクホークスがダントツで優勝すると予想していました。そうしたら、ファイターズのほうはというと、みんなして4位ぐらいではないかと。 ま、まあいいでしょう。 毎年、順位予想ではファイターズはそのあたりにされているので。この球団は資金力があまりないということもあって、他球団から有力選手を引き抜いてくるようなことはしませんというか、できません。なので、今日までスカウティングと育成でチームを強化するという方法を取ってきました。そのような状況のなかで、今シーズンのペナントレースが開幕しました。



ホークスは大方の予想通り絶好調で最初からぶっ飛ばし、首位を独走していました。 一方のファイターズは出だしはあまり芳しくなく、こちらも4位ぐらいに甘んじていました。 それでも「打倒ホークス」をスローガンにしつつ、4月3日の東京ドームでの対ホークス戦を迎えました。私とたつぴが観に行ったその試合では、入団2年目の有原が好投し、お寿司大好きレアードがホームランを打ち、抑えに立った静岡県出身の増井が……… ちょっと危うかったのですけど、私たちの目の前でなんとか宿敵相手に一矢報いることができました。

5月末から始まった、せ・リーグとパ・リーグの球団が総当たりで対戦する交流戦でも、ホークスはぶっちぎり。 一方のファイターズの勝敗は、五分五分ぐらいでした。 そのような中で、ナゴヤドームで中日ドラゴンズと対戦しました。 3連戦のうち最初の2戦で連敗をしてしまったファイターズ。その頃にはホークスとのゲーム差は11,5と、絶望的な数字となっていました。 私が観に行った6月19日の3戦目では大谷君が先発し、彼は二刀流ということもあって、ピッチャーなのにその試合ではクリーンナップの5番打者を任せられました。

今から4年前のこと。大谷君は高校時代に160キロの球を投げたこともあって、ドラフトを前にして多くの球団は彼を狙っていました。 しかし彼は、卒業後はメジャーリーグの球団に入ることを希望していたので、ほとんどの球団は彼をドラフトで指名するのをあきらめました。そのような中で、ファイターズが唯一彼を強行指名。当初は激しく拒否されたのですけど、同球団の栗山監督が粘り強く交渉し………
その交渉に当たっては、「メジャーに行くにしても、日本のプロ野球で経験を積んでからのほうがいい」という話をし、ファイターズは「大谷君をメジャーに送り出すまで」という手引き書まで作成し、彼の説得に使いました。 また栗山監督は、「熱闘甲子園」という番組のキャスターを務め、高校球児と深く関わったこともあって、彼らの心に寄り添うことができたのですよね。さらに、長打力もある大谷君の「投手と打者の両方に挑戦したい」という希望も受け入れた結果、なんとか説得に成功!彼を入団させることができたのです。栗山監督だったからこそ、大谷君はファイターズに入ったといってもいいでしょう。

しかし、当初は「投手に専念させたほうがいい」とか「両方をやらせたら、どちらも中途半端になってしまう」とかいう、彼の二刀流には否定的な意見が多く聞かれました。 それでも、経験を積んでいくうちに両方に磨きがかかり………



………今年の6月19日のナゴヤドームでのドラゴンズ戦では、最速161キロの速球も織り混ぜ、危なげない投球で相手打線を封じました。打っては派手な一発はなかったものの、彼の激走もあって先制点を取り、その後も追加点を加えて、ファイターズが有利なまま終盤を迎えました。 ところが、またしても抑えの増井が大乱調。辛うじて1点差で勝ったのですけど、彼はその試合をもって登録抹消。二軍落ちとなってしまいました。
それでも、その試合からファイターズは勝ち続け、交流戦が終わってもその勢いは衰えず、連勝を重ねていきました。 そのような中で、7月3日の福岡ヤフオクドームでのホークス戦で、栗山監督は思いもよらぬ奇策を講じました。なんと指名打者制度を使わず、先発予定の大谷君を1番バッターに据えたのです それに応えるように、彼は先頭打者ホームランを放ち、投球にも勢いが増してその大事な試合には見事勝利しました。

と、ここまでいい流れだったのですけど、そこで思わぬアクシデントが大谷君を襲ったのです
7月初旬の試合中に彼は指にできた豆をつぶし、投球することができなくなってしまいました。 その頃、オールスター戦に投手として出場することが決まっていた彼は、辞退……… はしなくて、なんと打者として挑んだのです その結果、ここぞというときに好打したこともあって、見事オールスターでのMVPを獲得 さらにファイターズの試合でも、打者に専念しました。

投手としての大谷君が抜けて、先発ローテーションが崩れると思いきや栗山監督は、新人や一軍での経験がまだ浅い、高梨加藤を起用。かなり責任の重い役となったのですけど、彼らは監督の期待に応え、安定感のある投球をして、先発ローテーションの仲間入りを果たしました。 さらに監督は、抑えとして不本意だった増井を、先発に配置転換したのでした。その結果、彼は見違えるような活躍をし、チームが危機のときや絶対に落とせない大事な試合をモノにしていきました。
そして、気付いたら球団新記録の15連勝にもなっていて、ホークスとの差は5ぐらいと、じわりじわりと迫っていました。



8月末には、ホークスとの直接対決を制したりして、今季初めて首位に浮上 その後は、両チームは入れ替わり立ち替わりのデットヒートを繰り広げ、気付いたら3位との差は15ゲームほどに。その時点で、優勝はどちらかのチームに絞られました。
ホークスは夏以降は主力選手が故障などで離脱したこともあって、やや後退気味に。一方のファイターズは、最終コーナーに入ってからムチを入れ、全力で駆け抜け、9月28日に歓喜の瞬間を迎えることができたのでした。

とはいっても、やはり今季のホークスは強かったです。ファイターズの優勝が決めることができたのは、最後から2番目の試合で、最後までわからない展開となりましたし。それから、強いホークスを目標にしてきたおかげで、ファイターズはここまで来ることができましたし。

今回の優勝に最も貢献した選手は、いうまでもなく二刀流として投打に活躍した大谷君でしょう。 防御率1点台で10勝しつつも、規定打席数には及ばないものの、ホームラン数はリーグ8位の22本、ヒット数は100、打率は3割2分2厘と、驚異的な数字を出しましたし。もう彼の起用法に文句を言う人はいないでしょう。そんな彼の底力を見出し、チームの勝利に結びつけた栗山監督も、素晴らしいです
彼は4年前に監督に就任した年に、いきなりチームをリーグ優勝へと導きました。 しかし、コーチと意見が合わなかったこともあって、そのあとの日本シリーズでは、原監督(当日)率いる読売ジャイアンツに敗退。 その翌年も尾を引き、その年は最下位に沈みました。



それでも年を重ねていくうちに、監督の野球はチームに浸透していき、若手の選手も育っていきました。 今季は、10年前の日本一を経験したことのある、ベテランの田中賢介が帰ってきたのも大きかったです。「悩める4番打者」こと中田も、またひと回り成長しましたし。 栗山監督は普段は厳しいのですけど、グラウンドでプレーする選手のことを暖かく見守り、負けた試合では「すべてオレが悪い」と、選手をかばいました。また彼の野球は緻密で、選手の力を最大限に引き出し、さらには常識を覆すような采配もしたりして……… これはもう、栗山マジック(略してクリヤマジック、さらに略してクリック……… って、ハショり過ぎて意味が変わってしまった )と言ってもいいでしょう。また、「魔術師」という言葉も当てはまりますね。 これは、彼が目標としている名将の、三原脩氏に倣っているのかも知れません。



たつぴが修学旅行から帰ってきた夜に、白黒茶々家ではファイターズの祝勝会がおこなわれました。 まずは、北海道日本ハムファイターズの4年ぶり7度目のリーグ優勝を祝って、かんぱ~い



その晩のメニューは、栗山監督にちなんだ栗御飯、日本ハム商品のシャウエッセン、北海道ならではのサッポロビール、………などとなっております。

今年のファイターズの戦いを振り返っていったら、ついつい長くなってしまいました。 それでも、野球マンガの作者にも思い付かないようなことが多々起きたこともあって、今年はファンにとっても忘れられない年となりました。 今季セ・リーグを制した広島東洋カープにも当てはまるのですけど、資金力のない地方の球団が自前で選手を育て、常勝球団に討ち勝ち、頂点に立つなんて、ロマンがあると思いません?
ただし、今度は日本シリーズ進出をかけて2位チームか3位チームと戦うクライマックスシリーズや、その先にある日本シリーズが控えています。やはりここまできたら、日本一を狙いたいですね。またウチで祝勝会ができるように、ファイターズにはさらに上を目指していってもらいたいです。

せっかくなので、今回は大谷君こと大谷翔平選手の応援テーマで締めようと思います。 さあ、パソコンでやスマホの前の皆さんも、メガホンやスティックバットなどを手にしてお歌いくださいませ。 では………

♪迷わずに駆け抜けろ 伝説の幕が開ける
さあ、気持ち込めて進め 狙い定め
翔(と)べ!大谷! 夢の向こう側へ
かっ飛ばせ!大谷


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参加型のイベントで楽しんじゃおう!(DOG!フェスタ@アクトシティ浜松・その3)

2016-10-01 00:35:36 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
前回の最後に予告した通り、今回はDOG!フェスタのなかでも、私・が参加したイベントをメインにしてお伝えします。 というワケで、話は開会式の次の次あたりまでさかのぼります。



コギらったケチャップさんによる珍妙なやり取りのあと、メインステージではしっぺいダンスが始まりました。 ワンコキャラのしっぺいは、DOG!フェスタの常連といってもいいぐらいで、さらに彼のステージイベントとして、しっぺいダンスも付いてくるのですよ。これは1分30秒ほどと短く、簡単な動きで覚えやすいので、パソコンやスマホの前の皆さんも、今からご一緒にお踊りくださいませ。 さん、はいっ
ぺぺぺいぺぺぺいうれしっぺい、ぺぺぺいぺぺぺいたのしっぺい………



引き続いて、メインステージでは「DOG TRICK ショータイム」がおこなわれることに。 これは、観衆の前でワンコの芸を披露するというもので、前回、私は箔のぶんぶんを皆様にお見せしました。 しかし、私たち以外の出演犬のレベルはかなり高く、非の打ちどころのないようなドッグダンスや………



サーカス犬と見紛うような、スケボーに乗りながらのハードル越え………



さらには、玉乗りなどのアクロバッティングなパフォーマンスを魅せてくれました。 そういえば、こちらのジャックラッセル君、前回も出ていたような。しかし、今回は出演者が少なくて、司会の方は間を持たせるために必死になって飛び入り参加を呼び掛けていました。 とはいっても、箔の一発芸は不完全ながらもすでに披露しているので、次回のDOG!フェスタまでには何らかの芸を、今度は波のほうに仕込んでおくようにします。



こちらでは「待て!」の耐久時間を計るのをやっていたので、波で腕試ししてみました。 リンレイの製品で滑り止め処理された床の上で、1分間座っていられるか?というのです。その結果、なんとかそのチャレンジに成功!賞品として、ペット用の除菌&掃除クリーナーと、箔波のポラロイドチェキ写真を手にすることができました。



とかなんとかやっているうちに、時刻のほうは正午を過ぎていました。そうしたら、今のうちに腹ごしらえをしておきましょう。 ということで、私は露店の前の休憩コーナーで、ドッグ(箔)にホットドックを見せびらかせました。箔には食べさせられないので、ニオイだけでガマンしてね。



食品といえば、今回も食材の宅配サービスをやっている、おうちコープが出展していました。 こちらでは………



プリンやヨーグルト、アイスなどを試食しながら、スタッフの話を聞くことができます。それだけではなく、ワンコのぶんのおやつも一緒にもらうことができるのですよ これには、箔は大喜び!得意のぶんぶんでその気持ちを表していました。と、そこで私たちは、ウワサに聞いていたライオンカットちゃん(マーリンちゃん)を発見!思わず食べかけのアイスを片手に、彼女のもとに駆け寄ってしまいました。



そのあと、今回もボルボ・カーズ浜松さんのほうで来場記念写真撮影会をやっていたので、箔と波を写してもらいました。 高価な外車をバックにして、彼らはキマっているでしょうか?



こちらにも、ハロウィンを意識した撮影スポットがありましたよ。 (株)セーフティーさんでワンコ用の小道具も貸してくれたので、さっそく写してみたのですけど、頭の上に乗せたものがほとんど隠れてしまいました。



それから、セキスイハイム東海かソーラーアシストのあたりで、タレント犬のオーディションをやっていたので、こちらのほうでも写真を撮ってもらいました。 応募も写真撮影も無料なのですけど、ひょっとしたらこのあといいことが起こるかも知れませんね。

………と、会場内のいろいろなものに目移りしてしまいましたけど、そろそろスポWan !検定に出てみることにしましょう。 ちなみに、今回白黒茶々家からエントリーするのは、波ちゃ。さらに今回は、コタロー君やヴィヴィアル家のアル君も一緒に挑戦することになりました。 参加犬の写真を撮ったら………



まずは「おすわり&ふせ」から入ります。これは、1分の制限時間内におすわりとふせを繰り返し、何セットできるかを計るというものです。ちなみに箔はおやつを使って5セットと、これだけは立派な数値となりました。 果たして、波は………
ヴィヴィアルママさんからいただいたおやつで釣ったら、速い速い 終盤バテてきたのですけど12セットと、いきなり箔超えをしたのです。



次は、「30m走」ですね。スタッフに波のリードを預け、私はゴール地点で彼女を呼ぶことに。ドッグランでは、彼女は私のあとをよく追いかけるので、こちらも期待できそうです。
ところが、「用意、スタート 」の号令が出てリードを放されても、波はスタート地点に座ったまま、動こうとしなかったのです。 あちゃ~……… 波ちゃ、「待てっ!」はこのあとにじっくりとやってくださいよ。 そうしているうちに状況を理解した彼女は、ようやくこちらに向かい始めたのですけど、走り方がとにかくユルい 結局、箔より遅い54秒18でゴールしました。



それが済んだら、いよいよ「待て!」へとなだれ込みます。 おすわりの体勢で3分近くいられたら、このあとメインステージでおこなわれる決勝に進出することができるのですよ。前々回の沼津では、波は決勝戦で善戦し、準優勝したので、難なく予選突破はできるでしょう。 そして、スタッフがタイムウォッチのボタンを押しました。
ところが、波選手は1分にも満たない46秒45で降参してしまったのです 前足が不安定な位置のまま、スタートさせてしまったのがいけなかったのでしょうか?それとも、ここのところ雨続きということもあって、野外で「待てっ!」の特訓ができなかったのがいけなかったのでしょうか?その時の私は、前年に惜しくも優勝を逃したプロ野球チームが、その翌年は期待されながらも最下位に沈んだような心境でした。 そうしたら、次回のDOG!フェスタまで再特訓をすることを誓いつつ、次の競技に入ることにしましょう。
※あとになってから、DOG!フェスタの案内を確認してみたら、「午前の部に参加してくれたワンコの中から、上位10頭が決勝戦に進出」とありました。なので、決勝進出を狙っている方は、13時30分までにエントリーしてくださいませ。(編集部注)
泣いてる時間はないので、気を取り直して今度は「絆ラン」に挑戦しますよ これは、ワンコのリードの代わりに紙テープをつけて、折り返し点のコーンを2周し、飼い主と一緒にゴールするというものです。 普段の散歩の際には、波ちゃはリードが切れそうなぐらいグイグイ引っ張るので、無事にゴールさえできれば、御の字ってトコでしょう。ところが、意外にも彼女は私にピッタリとくっついて走ってくれて、その結果、33秒16でゴールすることができました。

あとは、「ボール拾い」を残すだけとなりました。飼い主は10m先までボールを投げるか転がすかして、そいつをワンコが拾って持って帰ってきてくれれば、チャレンジ成功となります。 波は今のところ、「もってこい」は前半部分しかできないのですけど、果たして………
私が放ったボールに、彼女は向かっていきました。さらに、咥えるところまではいったのですけど、そのあとの対応に迷っている様子でした。 「波、そのままこっちに持ってきて 」私の必死の呼び掛けに、放しかけたボールを再び咥えたりしたのですけど………
結局、制限時間の1分が過ぎ、測定不能となってしまいました。 それでも、後半のちょっとの位置まで持ってきてくれたので、上出来ですよ
※いずれにしても、ダメじゃん。(編集部注)



期待以上のもの、予想外のものも含めて、このような結果となったのですけど、スポWan!検定はいろんな意味で楽しむことができました。 それに、記念になる検定カードも貰えましたし。 なので、「待てっ!」ゲーム決勝を狙いつつ、次回も参加したいです。



そのあとメインステージでは、盲導犬、介助犬などの補助犬によるデモンストレーションや………



ターニー沙也佳先生による、Q&A方式の愛犬のトレーニングレッスンがおこなわれていました。 それにしても、ターニーって………
私はてっきり、谷沙也佳さんなる人物がカッコつけてターニーと名乗っていると思っていました。その後、司会者のケチャップさんとのやり取りから、彼女の旦那さんは、読売ジャイアンツのコーチ兼通訳のジョン・ターニー氏だということが判明。ターニー沙也佳先生、たいへん失礼致しました。
それよりも、肝心なのはその内容ですよね。そのコーナーでは、愛犬が食フンする原因とその対策などについて、触れられていました。



DOG!フェスタは、いよいよクライマックスの「待てっ!」ゲームの決勝戦に入りました。 予選を突破した10頭のワンコが2組に分けられて競った結果………



ななちゃんあずきちゃんが一騎討ちすることに。 ともに、聞き覚えのある名前ですね。 その結果、ななちゃんが見事優勝をつかみ取りました。



楽しい時間はあっという間に過ぎ、今回のDOG!フェスタは大抽選会をもって締められることになりました。 その頃には、波ちゃだけではなく箔も疲れた様子でした。



そのような中で抽選券が配られ、続々と当選番号が読まれていきました。今回は200枚以上も配られたのに、賞品は50本ほど。そのような状況のなかで、私は前回、前々回とよくぞ当選したものです。



………とはいっても、もちろん今回も狙っていますよ 箔ちゃ、賞品の高級ドッグフードが食べたいのなら、その眼力で抽選券に魂を注入しておくれ。

………なんて言っていたら、読まれましたよ 「121番」う~む、かすりはしたのですけど、当たりませんでしたね。 その後も続々と当選者が出て、賞品も減っていったのですけど、しまいには私の手の中で、120番の抽選券はただの紙クズと化しました。



私たちにとっては、6回目の参加となる今回のDOG!フェスタ。そのイベントの存在は広く知れ渡り、ヴィヴィアル家やゆず家のように県外から訪れる方も増えてきました。 もちろん、来ればいろんな仕掛けがあって、まる1日楽しむことができますよ。 そのDOG!フェスタが気になり出したという方に、朗報があります。 次回は来年の4月16日の日曜日に、静岡市のツインメッセ静岡で開催する予定となっております。「待てっ!」ゲームやDOG TRICK ショータイムなどにも参加したいという方は、ワンコと一緒に特訓をしつつ、その日が来るのをお待ちくださいませ。


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