波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

東京ドームでハム観戦(待ち合わせの恨み)

2018-04-28 01:26:38 | 野球ネタ
こんばんは、波ですワン。
ご覧の通り、なみはプロ野球の北海道日本ハムファイターズの応援スタイルで、ファイターズ女子をやっているのなの。



サイズが合わなくて着こなしが不自然なところは、この際突っ込まないでくださいませ。 そうそう、この日は東京ドームでファイターズと千葉ロッテマリーンズのデーゲームが組まれていて、お父さんとたつぴ君は、その試合を観に向かっているところなの。 ところで、そちらの様子はどうですかなの?


はい、白黒茶々です。
東京見物から2週間後となるこの日も、私たちの移動手段は青春18きっぷによる各駅停車の列車を利用していきました。 その道中で、私とたつぴは島田市にある………



こちらの六合駅というところで、列車を降りていきました。 こちらは、昭和61年(1986年)に島田と藤枝の間に新設された、失礼ながら何の変哲もない駅なのですけど………



その北口の広場に降りる階段下には、こちらの「狭軌最高速度記念碑」なるものがひっそりと設置されています。 これはいったい………
昭和35年(1960年)11月21日に、東海道本線の島田~藤枝間の上り線で、狭軌の線路(在来線のレール幅が1435mmの線路)で、クモヤ93000という試験車両を使って、ある実験がおこなわれました。この区間はかなり長い直線が続いていて、そこで時速何キロまで出せるかというのでした。その結果、なんと175キロの当時としては世界最高時速を達成したのです その瞬間、実験に携わった人たちは狂喜乱舞ではなく「狭軌乱舞」したことでしょう。

私たちはその後も列車を乗り継いでいき、東京駅を経て、次の目的地となる秋葉原駅で下車しました。試合観戦をする前に、その駅前にあるそば屋で簡単にお昼を済ませるつもりでいたのですけど、事前に調べたお店がなかなか見つかりませんでした。



ハアハア……… やっと見つけましたよ。立ち食いそばの、箱根そばにございます。 ここに行き着くまで、どうやら違う方向に向かってしまったみたいです。 それはさておき、今から腹ごしらえをしますよ。ガラガラ……… 「いらっしゃい



いや、お店の入口は自動ドアの「ウイイイン」だったかも知れません。 それか、開けっ広げている状態で、無音だったかも。
と、とにかく、こちらのお店では、私はコロッケそばを注文しました。このようなそばは初めてなのですけど、天ぷらよりは溶けにくく、程よく汁に滲みていて美味しかったです。 ちなみに汁は関東風の濃いめの鰹だし、コロッケはカレー味でした。



秋葉原から2つ先の水道橋駅を降りて、北に歩いていったら、東京ドームが見えてきましたよ



そうしたらまずはドームの前で、応援スタイルで記念撮影をしておきましょう。 もしこのあとの試合で我らのファイターズが勝ったら、誇らしげにこの格好のまま帰るつもりです。



私たちが観戦するライト側の外野スタンドは、ドームの裏側にあるこちらの25番ゲートから入っていきます。 今回は指定席なので、早めに来て入場待ちの行列に並ぶ必要も、チケットを買ったのに満席で座れなくて、立ち見席に行かされる心配もありません。 そうしたら、私たちのチケットはどのあたりの席になるのでしょうか?



おおっ 前から3列目の、観やすいところではありませんか。 ファイターズのホームグラウンドは遥か遠くの札幌ドームなのですけど、東京ドームは準本拠地みたいなもので、年に数試合その球団の主催試合が組まれています。



試合前のグラウンドでは、球団のマスコットキャラクターたちがパフォーマンスを魅せていました。 ちなみに右側は、最近見習いから昇格した、キタキツネのフレップ。左側はエゾリスのポリーであります。北海道に移転したときからいたクマのB☆Bは、活動を地域の貢献に専念するそうで、今回は来ていませんでした。



そうしているうちに、いよいよ試合が始まりましたよ ファイターズは前日まで5連勝していることもあって、応援スタンドは最初からテンションが高かったです。 この日も、その勢いのままいってくれ ちなみに、マリーズの先発投手は酒居、ファイターズは加藤でした。
初回に、マリーズはヒットや犠打などを絡めて、早くも1点を先制しました。 対するファイターズも、負けていません。1アウト1塁3塁のチャンスを作り、4番の中田の内野ゴロの間に1点を取り、同点に追い付きました。



4回には2ベースヒットの2連発で1点勝ち越されたのですけど、6回に2アウト1塁3塁のチャンスでアルシアがタイムリーヒットを打ち、再び試合は振り出しに戻りました。 白熱した展開に沸く、ライトスタンド。



その後は膠着状態が続き、試合は早いペースで7回に突入していきました。 その裏のファイターズの攻撃。1アウト満塁で、その頃は打率4割でパ・リーグの首位打者の近藤に打席が回りました。スタンドは、チャンステーマの「チキチキバンバン」の大合唱で大盛り上がり しかし彼は三振し、続く4番打者の中田もショートゴロでアウトとなり、その回も無得点でした。 そして試合は2対2のまま、延長戦へと突入していました。

10回から登板したファイターズの宮西投手は大乱調で、2つのフォアボールを出したところで降板。 彼のあとを引き継いだ西村のところで送りバントをされ、1アウト2塁3塁の大ピンチに それでも、マリーズの福浦をセカンドゴロ、続く中村をセンターフライに打ち取り、なんとか無得点に抑えました。西村選手、エライ



この試合は両チームの力が拮抗して、目が離せない展開となったのですけど、そのぶん試合時間が長引き、私たちが帰る時間が迫ってきてしまいました。 これ以上ここにいたら、終電に間に合わなくて帰れなくなってしまいます。というワケで、私たちにとっては、この10回裏のファイターズの攻撃までが限界となります。なので、どうかその回に点を入れて、勝ちを決めてくれ
………という私の願いが通じたのでしょうか?ファイターズはレアードがフォアボールで出塁し、次の打者のアルシアがヒットを放ち、2アウトながらも1塁3塁としました。 このチャンスで、私たちのいるライトスタンドでは、最大級のチャンステーマの「北の国から」が飛び出すほどの大盛り上がり 打席には、期待の若手の横尾が立ちました。
しかし彼はセカンドフライに倒れ、この回も無得点となりました。 試合は延長11回に入っていったのですけど、その先はもう観られません。私たちはここで退散しますけど、どうか勝ってください

私たちがスタンドをあとにして、東京ドームから遠ざかる頃に、マリーズのチャンステーマが聞こえてきました。 密閉されたドーム球場なのに音が漏れてくるなんて、よっぽどの大音量ということに。 ちなみにそれは、最近高校野球の応援にもよく採り入れられるようになった、その名もズバリ「千葉ロッテ」でした。たまらずスマホで試合情報を見たら、11回表にマリーズがフォアボールなどで2アウト満塁と攻め立てていました。 私たちが水道橋駅に着いた頃、このピンチで田村にヒットを打たれ、走者一掃 3点も勝ち越されてしまいました。 「ああっ やられた」。さすがに3点差は厳しく、その裏のファイターズの攻撃は抑えられ、この試合は2対5で敗れてしまいました。



沈みながらも、私たちは東京駅で駅弁とおみやげを買い込み、在来線ながらも東京~熱海間はグリーン車に乗り込んでいきました。 ちなみに今回は、崎陽軒炒飯弁当を選びました。 冷めても程よいパラパラ感を保ち、おかずには唐揚げや焼売も入っていて、コンパクトながらも欲張りな中身の横浜炒飯弁当。おかげで、最後まで美味しくいただくことができました。

そのあとの乗り継ぎがうまくいったこともあって、私たちは予定より早く帰れるようになりました。 そのことを、駅まで迎えに来てくれることになっている箔母さんにLINEで知らせたあと、私は疲れからか列車の中で爆睡してしまいました。 ゴールが近付いてきたところで目を覚まし、再びLINEをチェックしてみたら………



うわっ、スゴく怒ってる……… どうやら到着予定時間を1時間も誤って伝え、待たせてしまったみたいです。すかさずお詫びの言葉をLINEで返したのですけど、なかなか既読も付きませんし。彼女の怒り方はハンパではありません。 それよりも、怖いので帰りたくないです。しかしたつぴも一緒にいるので、私は彼女の前ではひたすらペコペコバッタに徹するしかありません。

自宅の最寄り駅では、箔母さんは車の中で待っていました。
「帰る時間を間違えて伝えてしまって、ゴメンなさい 」
「………」
「(LINEを)送ったあと、すぐに寝ちゃって………」
「………」
彼女は無表情なうえに無言なまま車を走らせました。 私はその頃には、アリンコぐらいまで小さくなっていました。圧倒的に私が悪いのですけど、この空気の重さにはもう耐えられません。 しまいには、ミジンコぐらいにまで縮んで、私が「途中でいいから、降ろしてくれ 」と言おうとしたまさにその時「く、く、くははははっ」なぜか箔母さんは笑い出したのです。 これはいったい……… 
「確かに怒れたけど、待っている間に治まっていたよ」さらに彼女は「白黒茶々さんがあまりにも固まっていて可笑しかったから、家までもたなかった 」とも言っていました。それから、LINEは既読を付けなくても読むことができるそうです。とはいっても、それ以来彼女はそのことを根に持ち、駅での送迎時間には2重3重のチェックを要することになりました。


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たつぴの入学式と波の狂犬病予防注射

2018-04-25 01:44:32 | 年間行事
こんばんは、白黒茶々です。
新年度に入り、新しい生活を始めた方もいると思いますけど、もう慣れてきたでしょうか? そのような中で白黒茶々家では、たつぴが新たな環境に入っていきました。ということで、今回は彼の入学式の日の様子と、波に届いた招待状の話をさせていただきます。



以前、たつぴの進学先は「法多山(はったさん)大学」と公表したのですけど、それは非公式の通称なので、地元民にしか通じませんでした。 遠州三山の名刹に数えられ、白黒茶々家が昨年初詣で訪れた法多山尊永寺の近くにあるのですけど、正式な名称は静岡理工科大学であります。 「静岡」と付いていても静岡市ではなく、袋井市のちょっと山の中に位置しています。 最寄り駅は愛野駅で、たつぴは自宅から列車で通うことになりました。 静岡理工……… いや、フルネームでは長すぎる(?)ので、億劫な方はSIST(シスト)とお呼びくださいませ。

その大学の入学式が、今月の3日にありました。 箔母さんは仕事を休んでその晴の式典に列席することにしていたのですけど、私は遠慮してその日は通常通り仕事に向かうことに。それでも、家で彼らを見送ることにしました。ということで、たつぴが入学式に備えて新調した衣裳を身につけて登場します 皆さま、拍手で彼をお迎えくださいませ。



入学式といえば、やはり男子学生はスーツです。 高校の制服とはまた違って、パリッとしていますね。いや、初々しいというか、スーツに着られている感がなんともいえませんね そうしたら、せっかくなので………



箔母さんと波ちゃも、記念撮影に入ってもらいましょう。 今年の桜の花の時季は早めに終わってしまいましたけど、この日は晴天にも恵まれ、絶好の入学式日和となりました。



それから数時間後に、箔母さんから最新画像が送られてきました。 う~む、確かに入学式ですね。
大学生活の4年間は、長いようであっという間です。たつぴには勉強や資格以外にもいろんな体験をして、たくさんのものを吸収していってもらいたいです。その時間が、彼にとって充実したものとなりますように~



その1ヶ月ほど前には、箔と波にこのような招待状が届きました。 見ての通りの狂犬病予防注射の案内です。白黒茶々家は箔と波の接種は、毎年地域の集会所などに出張でやって来るものを利用しています。 しかしその頃は、箔の病気が悪化していて、今回はその日まで彼の命がもつかどうかわかりませんでした。もしもったとしても注射は厳しく、ドッグランなどに入れなくなる恐れがあるなどと言っている状況ではなかったのですけど、彼は実施日の前に旅立ってしまいました。
箔の死によって、私は市民の登録を外す手続きをしたので、彼への招待状はもう届くことはありません。しかし、未使用のこの通知は、なかなか捨てられないのですよ。



………といったことで、今回の狂犬病の予防注射は、箔母さんが波1頭だけを連れていくことになりました。 箔兄さんがいない状態での注射は初めてなので、波ちゃは心細いかも知れません。 ひょっとしたら、震えたり「ひゃん 」などという声で、泣いてしまったりして。波ちゃ、覚悟していてくださいね
※白黒茶々さん、実は波ちゃんが泣くのを密かに期待しているのでは?(編集部注)



そして集団予防接種の当日となりました。 箔母さんから受けた直後の画像が送られてきて、そのあとに彼女からそのときの様子をじっくりと聞きました。 果たして、波ちゃは………
箔母さんが波を連れて集会所を訪れたら、他のワンコはいなくて獣医師らスタッフが待ち構えている状態でした。人懐っこい波は、彼らに構ってもらいたくて自分から喜んで寄っていきました。 しかしそんな彼女に構わず、流れ作業的に手続きは進んでいき、あっという間に注射も終わり、接種済票を渡されてお引き取りとなったそうです。
「それだけ?」「そうだよ」「波が怯えたり泣いたりなんてことは?」「ないない」
無事に済んでよかったと言うべきところなのですけど、これではあまりにも順調というか普通過ぎて、記事にしにくいではありませんか 泣いたのは波ではなく、私のほうでした。

波ちゃ、今回は私の負けを認めます。しかし、まだ動物病院でのフィラリア検査の採血とワクチン接種が残っています。 そちらのほうは私が連れていくので、今度こそ覚悟していてくださいませ。


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パンダから亀を経て寅へ(東京見物その3)

2018-04-21 01:08:03 | 旅行記
こんばんは、白黒茶々です。
前回、私とたつぴはジャイアントパンダシャンシャン目当てに上野動物園に向かったのですけど、そこで同じ目的のおびただしい数の人が並んでいるのを見て、愕然としたところで終わりました。 私たちは心が折れて、まわれ右したのか?それとも、大行列に並んで粘ったのか?いや、どちらでもありませんでした。実は、私は前もってまるこ0124さんから、難なくシャンシャンを観覧できる裏ワザを伝授していたのでした。



動物園の入場券は、正門以外のところでも買えるということで、まずは開園時間のちょっと前に、裏口となるこちらの弁天門に並びました。多少列ができていますけど、正門前よりはマシです。 そして入場券を手に入れたら、そいつを握りしめて正門に走るのです



そのようにしたら、すんなりと入ることができ、シャンシャンを観覧する整理券もゲットすることができました。 そうしたら他の動物をゆっくり見ながら、予定時刻が来るのを待つことにしましょう。ちなみにたつぴが上野動物園に来たのは、小学校の修学旅行以来となるので、6年半ぶりとなります。 私は中学生の頃に家族旅行で連れていってもらって以来なので……… あの頃のパンダは、フェイフェイホァンホァンでしたね……… って、ン十年前の昭和時代でした、はい。



シャンシャンと母パンダのシンシンはハードルが高いのですけど、父パンダのリーリーは普通に見ることができました。 多少は混んではいるものの、確かにいましたよ
起きて動いていてはくれたのですけど、遠くをグルグル回り続けているだけで……… あの~リーリーさん、せめて少しだけでもこちらを向いてもらえませんか?



岩山の上には、ニシローランドゴリラがいましたよ その勇姿といい、立ち位地(座り位地)といい、立派ですね。その次に入った、バードハウスには………



あ、パヤがいた 本物のパヤをこんなに間近に見られるなんて………
※白黒茶々さん、いきなり「パヤ」なんて言っても、静岡県民以外の人にはわかりませんよ。静岡県内でやっている、パチンコのコンコルドのローカルCMでは、このミナミコアリクイのことをパヤと呼んでいます。同社のCMは意味不明をコンセプトにしているのでしょうか?年々その内容がパチンコから遠ざかっているのですよ。ちなみにパヤは、黒歴史やドロドロとした感情など、人々のドス黒いものを食べる生物として扱われています。



「クマたちの丘」にいる、エゾヒグマは見応え充分



「ホッキョクグマとアザラシの海」のホッキョクグマも、大迫力ですね。



アジアゾウも迫力があるのですけど、彼らはおケツを向けたまま私たちのほうに迫ってきました。



橋を渡った西園には、ハシビロコウがいましたよ まったく動かないということで知られているのですけど、私の目の前では羽根をバサバサさせたりしていました。



同じゾーンにある両生爬虫類館には、色鮮やかなヘビやカエルなどの他にも、重量級のゾウガメもいました。
………なんか、久しぶりの動物園についキャッキャしてしまいましたけど、そうしているうちにシャンシャンの観覧時間が迫っていました。



パンダ舎の前は、同じ時間帯に観覧する人でごった返していたのですけど、屋内に入るところで10人ぐらいずつに細分化されました。 さらにそれらの塊は、5mぐらいの間隔で置かれたポールの間を、20秒ごとに移動し、その間ならストロボなしで写真を撮り放題というシステムになっていました。 そして、私たちはシンシンと出くわしたのですけど………



う~む……… 背中を向けて笹を食べておられる。私たちは制限時間ギリギリまで粘ったのですけど、彼女はそのスタイルを貫き通していました。
ま、まあいいでしょう。このあとのシャンシャンに、彼女のぶんもサービスしてもらえれば。と、いうことで、いよいよシャンシャンの登場となります いや、私たちの方が彼女に接近するのですけど。果たして、シャンシャンは………



………寝ていますね。 いや、次のブロックがベストアングルとなるので、そちらに期待してみましょう。 そうしたら………



シャンシャン~……… 寝てはいるのですけど、高くて見やすいところで、しかもこちらを向いていてくれたので、可愛い寝姿をじっくりと眺めることができました。 これは、ヘタに動き回られるよりは、かえっていいですよ
大満足で上野動物園をあとにした、私とたつぴ。せっかくなので、上野公園の南半分を散策してから次の目的地に行くことにしました。 こちらの公園は、かつては徳川幕府が創設した寛永寺の広大な境内だったのですけど、明治元年(1868年)の上野戦争で多数の伽藍を焼失。 その跡地に明治6年(1873年)に開設した公園ということもあって………



その敷地内には、いくつかの寛永寺の遺構が残っています。 動物園内には、動物の慰霊碑の裏側に藤堂家の墓所があったり、池に囲まれたところに五重塔が聳え立っていたりして………



慶安4年(1651年)に徳川家光によって改築された、上野東照宮のきらびやかな社殿も残っています。 平成の大改修から5年経ったこともあって、黒っぽかった銅瓦が程よく錆びてきて、緑青(ろくしょう)になりつつあります。



唐門はかなり金ピカですね。 ここから先には、拝殿弊殿本殿の黄金の空間が続いているので、その世界に浸かりたい方は、拝観料の500円をお支払いくださいませ。



さらに上野公園内には、こちらの上野大仏もあるのですよ このような姿になったワケは、涙なくして語れません。
上野大仏は、寛永8年(1631年)に建立された漆喰の釈迦如来坐像が最初で、万治年間(明暦年間説も)に金銅仏に改められました。しかし、大正12年(1923年)の関東大震災で、顔面部分が落下。他のパーツは寛永寺が保管していたのですけど、太平洋戦争中には金属供出の憂き目に。 昭和47年(1972年)にレリーフ状態で祀られ、現在に至ります。こちらの顔面大仏は、(これ以上)落ちない大仏とされ、合格祈願で人気のスポットとなりました。

上野公園での目的を済ませたあと、今度は私が以前から東京で行きたかったところに向かいました。 上野駅から総武線の各駅停車の列車に乗っていき………



葛飾区の亀有駅で下車しました。葛飾区の亀有といえば……… そうです 漫画週刊誌の「少年ジャンプ」に平成28年(2016年)まで40年も連載された、「こちら葛飾区亀有公園前派出所(略して『こち亀』)」の舞台となったところです。 その駅の北口では………



両さんこと両津勘吉の銅像が、私たちを親しげに出迎えてくれました。
「こち亀」は、葛飾区の亀有公園前にある派出所に勤務している警察官の両さんが巻き起こす騒動を描いたギャグ漫画なのですけど、破天荒な捕り物劇だけではなく、マニアックな話や、流行・時事問題を皮肉るような話、さらには少年時代の思い出話や人情劇など、多分野に及んでいます。 単行本は200巻にもなり、盛りだくさんな内容なのに、作者の秋本治さんは1回も休載したこともなかったなんて、驚きです そうしたら、駅でもらった「両さん像マップ」を片手に、亀有を散策することにしましょう



先ほどの両さん像の斜め向かいには、小さいサイズの麗子像が座っていました。彼女のフルネームは、秋本カトリーヌ・麗子。「こち亀」では紅一点というか、マドンナ的存在です。



亀有駅から歩いて5分ぐらいのところには、本当に亀有公園がありましたよ 広い敷地内には、遊具やベンチが設置されていますし。



その中には、3頭身のダブルピース両さん像に加えて………



ベンチに座っている両さん 私たちが来たばかりの頃には、彼の隣にサラリーマンが普通に座って、お昼を食べていました。
そうそう亀有公園の前には、彼の勤務先となる派出所があるハズですけど、見当たりませんね。



その派出所を思わせる交番は、駅の北側にありました。 さらにその前には、おまわりさんが立っていて、その風景に溶け込んでいました。次に私たちは、駅の南口方面に向かいました。



その斜め向かいのコーナーには、小さいサイズの中川像が立っていました。彼の本名は、中川圭一。中川財閥の御曹司なのですけど、両さんたちのいる派出所に勤務しています。 ちなみに、彼の愛車はフェラーリです。



駅の南口には、お祭り両さんの他にも………



ベンチ腰かけ両さん(片手添えバージョン)もありました。 彼と同じポーズで写るのは、記念写真の鉄則ですね。



さらには、両さんが麗子と中川をともなった、カラーの銅像もありました。やはりこちらでは、彼らと一帯になった絵を撮っておきたいですね。その時は、銅像はその3体だけだと思っていたのですけど………



よく見たら、大原部長もいました。
これらの他にも、亀有には「こち亀」関連の銅像が点在しているのですけど、私はこれらのめぼしいもので満足したので、今回の東京見物の最終目的地に向かうことにしました。 亀有駅から1つ先の金町(こがねまち)駅まで行き、さらに京成金町線に乗り換えて、1駅で………



柴又駅に行き着きました。その駅前には、銅像マニアでもある私が以前から見たかった、寅さん像がありましたよ 寅さんこと車寅次郎は、山田洋次監督の名作映画「男はつらいよ」シリーズの主人公で、渥美清さんが演じていました。 さらに、彼の像が見つめる先には………



寅さんの妹のさくら(倍賞千恵子)が、彼のことを見送っています。 そんな彼らをやり過ごしたあとは………



帝釈天参道を進んでいきますよ その一角には、寅さんの実家として映画の撮影にも使われた、柴又門前とらやがありましたよ!やはりここに来たら………



食べ歩き用の草だんご(150円)を試しておきたいですね。 団子のよもぎの風味に甘さ控えめのあんこが乗っかっていて、たいへん美味しうございました。 そんな私たちの前に………



地元猫が現れました。門前のお店で飼われているみたいで、とても愛想がよかったこちらのニャンコ。 場所と風貌から、私は彼のことを「寅さん」と呼んでいました。



そうしているうちに、私たちは柴又帝釈天こと題経寺の二天門に到着。 明治29年(1896年)に総欅造りで建てられたこちらの門は、風格がありますね。



さらにその先には、昭和4年(1929年)に完成した、帝釈堂の拝殿が。このお寺は、江戸時代初期の寛永6年(1629年)に創建されたのですけど、境内の堂宇はすべて明治以降に建てられました。それほど広くはないのですけど、柴又のシンボルとしては充分にその役割を果たしています。
この日の私たちは、朝の朝食バイキングモーニングを食べまくったこともあって、15時近くまで歩いてようやくお腹が空いてきました。とはいっても、ここは軽く済ませておきたいですね。

………なんて言いつつ、柴又駅前まで戻ったら、そこに程よいお店がありました。寅さん像の後ろにも写っていた三河屋さんでは………



焼きそば(300円~)と、具が選べる今川焼(100円)がリーズナブルで、しかも美味しい それらはテイクアウトもできるのですけど、私たちはお店の前の席に座って、いただきました。


※東京駅で調達したチキン弁当

これにて、今回のミッションは修了 あとは7時間ほどかけて、各駅停車の帰りの列車に乗って帰っていくだけです。

その日の22時過ぎに、無事帰宅。旅行中は、私はずっとの容態を心配していたのですけど、彼はなんとか自分の力で立って出迎えてくれました。 しかし、私との約束を果たしたあと、容態は急激に悪化し、私たちの旅行からわずか3日後に旅立ってしまいました。看取ることはできなかったのですけど、箔、約束を守って、私のことを待っていてくれてありがとう。これからは姿が見えなくても、私が行く旅について来てくださいね。


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江戸の賑わいここにあり!(東京見物その2)

2018-04-18 00:43:36 | 旅行記
こんばんは、白黒茶々です。
前回から、私は東京のど真ん中にある江戸城(現在の皇居)に来ています。 時季限定の乾通りの通り抜けを経て、お城の中心部の本丸跡になだれ込んだのですけど………
話の流れとしては、少しずつテンションを上げていきたいので、実際に私が歩いた順路とは異なるのですけど、レポートは別の入口から入らせていただきます。



………ということで、大手門の前にやって来ました こちらは江戸城の正門で、東御苑の東側の三の丸に位置しています。 桝形門形式で、高麗門は現存しているのですけど、櫓門の部分は昭和40年(1965年)に復元されました。そこを潜っていくと、三の丸跡の見学可能ゾーンに至るのですけど、そこは範囲が狭いので、そのまま二の丸跡に向かいます。



二の丸の正門に当たる大手三の門跡には、同心番所が現存していて………



そこから程近いところには、長さ50mを超える百人番所が江戸時代からの佇まいを今に伝えています。こちらには鉄砲百人組と呼ばれた根来組、伊賀組、甲賀組、廿五騎組の4組が交代で詰めていました。各組とも与力20人、同心100人が配置され、昼夜を問わず警護に当たっていました。



二の丸の敷地内には、昭和43年(1968年)にかつての絵図などを参考にして、二の丸庭園が造られました。 角度によっては高層ビルが借景となるのですけど、都心の中の静寂という感じでかえって落ち着きます。



本丸の東側も、高い石垣と深い堀によって守られています。ちなみに向こうに見えるのは、白鳥濠と汐見坂にございます。その坂を上がっていって、いざ本丸跡へ



表・奥・大奥の3つのゾーンによって構成されていた巨大な本丸御殿の跡は、満開の桜や芝生広場となっていました。



その片隅には、元禄14年(1701年)3月14日に浅野内匠頭吉良上野介に刃傷事件を起こし、忠臣蔵の発端となった、松の廊下跡を記す石碑があります。



前回の日記にも出てきた富士見多聞櫓は、現在公開中 江戸城の建築遺構としては唯一、その内部を見学できるようになっています。



多聞櫓とは、単層または二層の細長い櫓のことで、見学の順路は一方通行となっていました。 古い柱や梁などの構造だけではなく、窓からは蓮池濠を経て乾通りの行列の様子を見渡すこともできました。



本丸の北側には、巨大な天守台の石垣があります。江戸城のなかでは、この上が最も標高が高いということもあって、上る人の行列ができていました。 江戸城の天守は、徳川家康が造営してから2度建て替えられ………



3代将軍家光の代の寛永15年(1638年に、外観5層内部5階地下1階の、棟高51mの巨大な天守が完成しました。 屋根は銅瓦葺きで、壁は銅板黒塗り。最上階の屋根には、金のシャチホコが輝いていました。高さと体積は日本一の規模を誇り、将軍にふさわしいお城となりました。
ところが、竣工から19年後の明暦3年(1657年)に、呪いの振り袖から起こったという大火で、江戸の町とともに焼失してしまいました。 ちなみにその時の将軍は、4代目の家綱でした。

幕府はすぐに火事で傷んだ天守台を改修し、天守再建の準備をしたのですけど……… 
家光の異母兄弟の保科正之の「天守より城下町の再建を優先させては」という進言によって、断念。それ以降は、江戸城に天守が上がることはありませんでした。 そのかわりと言ってはナンですけど………



本丸南側の、天守台の次に標高が高くて目立つところにある、こちらの富士見櫓が天守の代わりを勤めました。三重櫓とはいっても、他のお城の三層天守に相当するぐらいの規模と美しさです。
それから、最近になって建物に覆いかかっていた木が伐採され、フェンスも近くまで移動されたので、より見やすくなりました。
江戸城のレポートは、以上で終わりです。 そのあと、私は山手線に乗って御茶ノ水駅まで行き………



その駅から程近いところにある、湯島聖堂にやって来ました。 こちらは、元禄3年(1690年)に5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟であり、後に幕府直轄の学問所となりました。



大成殿の建物は大正12年(1923年)の関東大震災で焼失し、現在のものは昭和10年(1935年)に鉄筋コンクリート製で再建されました。
敷地内は無料で見学できるのですけど、17時には閉門となるのでお気をつけくださいませ。 その湯島聖堂のすぐ北側には………



神田明神が鎮座しております。 こちらの歴史は古く、天平2年(730年)に創建されたと云われていています。正式名は「神田神社」。神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築地魚市場など108か町会の総氏神であります。



本殿は、銅瓦葺き朱塗りのきらびやかな建物です。 大正12年の関東大震災で焼失してしまったのですけど、昭和9年(1934年)に鉄筋コンクリート製で再建されました。



さらに境内には「ラブライブ」の各キャラクターののぼりが!彼女らの学校は我らが静岡県の沼津市にあるのですけど、神田明神もその舞台となってちょくちょく出てくるということもあって、ファンにとっては聖地となっているそうです。そのお守りやグッズも売られているみたいですけど、私はチェックしないで帰ってきてしまいました。

………という感じで、あちこち寄り道していたら、夕方になっていました。 そうしたら、別行動を取っているたつぴと、そろそろ合流しなければ 彼とは、渋谷で待ち合わせすることになっていたのですけど………



その駅の待ち合わせ場所といえば、やっぱりハチ公前ですよね こちらでは、ハチ公効果(略してハチ効果)もあって、すぐに彼と行き逢うことができました。 そうしたらせっかくなので、そのハチ公と記念撮影をしておきたいですね。



しかし、特に外国人の方がひっきりなしにハチ公横に並んで写真を撮っていたので、なかなかそのスキを狙って入り込むことができませんでした。なんとかこの1枚を撮れたので、退散



私たちが泊まる予定のホテルにはディナーは付いていなくて、代わりに5千円ぶんの商品券が送られてきたので、そいつが使える秋葉原にあるファミレスので食べていくことにしました。
※せっかく店名を伏せ字にしても、そこにリンクを貼ったらバレバレではないですか。それよりも、伏せ字にする意味はあるのでしょうか?(編集部注)
ちなみに私は、おろしハンバーグと牡蠣フライ膳(選べる小鉢つき)に、ドリンクバーをチョイスしました。しかも、このお店のドリンクバーには、セブンカフェのコーヒーが置いてあったのですよ!あの機械から抽出されるあの味を、陶製のカップでいただくなんて、不思議な感じでした。



私たちのその日の宿は、中央区日本橋にある、ロイヤルパークホテル そのホテルは、地下鉄半蔵門線の水天宮前駅を出て、すぐのところにあります。チェックインのときの受付には、最新式の機器が備え付けられていて、タブレットに電子ペンでサインするという方式となっていました。 また、カード式のルームキーには、エレベーターで下りる階を指定できる機能も付いていて………



私たちに割り当てられたスタンダードツインの部屋も、豪華そのもの。 気になって値段を調べてみたら、なんと 1泊4万円以上となっていました。ちなみにお風呂はユニットタイプ。 そこで旅の疲れを癒し………



翌朝には、ホテル内のレストランでビュッフェスタイルの朝食をいただきました。 その中には、シェフが目の前でオムレツを焼いてくれるというサービスもありました。ちなみに1人ぶんの値段は、3800円 昨晩の2人ぶんのご飯代より、高いです。しかし、私はいくら目が欲しがっていても、歳のせいか胃袋が追い付きませんでした。



2日目は、たつぴと行動をともにすることになっていて、まずは西郷さんの銅像があるこちらの公園にやって来ました。これだけの大ヒントがあれば、皆さまはもうどこの公園のことかおわかりですよね。そうです 上野恩賜公園です。
この像は、西郷隆盛が亡くなってから21年後の明治31年(1898年)に除幕式がおこなわれたのですけど、それに列席した彼の3番目の妻の糸子は「うちの人じゃなか」と言ったそうです。 写真ギライの西郷どんは肖像画の類いは残さず、資料に乏しい中で銅像が製作されたので、本人と容姿が似ていない……… と思われていたのですけど、恰幅がよくて目が大きいところなど、かなり特徴をつかんでいて、いいセンいっているハズです。 それならば、彼女の「うちの人じゃなか」の意味するところは………

西郷どんは常におしゃれに気を付けていて、大衆が集まるようなところでは、このようなくだけた着流しはしない人でした。なので糸子の発言は、彼の内面のことを示していたという説が、最近は主流となっています。
いや、箔母さんは「眼球の部分がくり抜かれた銅像は、生理的に許せない」と言っているので、実はそこだったのかも知れません。 とにかく、後世になってからも論争のネタになっているので、糸子さん、その部分はハッキリと言っておいてもらいたかったです。



それから、西郷どんは犬が好きで、山狩りによく連れていったそうです。 ちなみに、こちらの銅像のモデルになったのは、彼が最も可愛がっていた、薩摩犬のツン。その子はメスだったのですけど、よく見てみると銅像にはなんか⚪棒が付いているみたいですね。
………なんて、つい西郷どんの西郷像を前にして西郷論を長々と論じてしまいましたけど、私たちがこちらに来た本来の目的は、上野動物園で昨年の6月に生まれた、ジャイアントパンダのシャンシャンでした。 せっかく東京に来たのだから、できたら彼女も見ておきたかったのです。



この日の上野公園は桜の花が満開で、たくさんの人で賑わっていました。 上野動物園は、この先にあります。
シャンシャンの観覧は、その頃は先着順で、動物園の入場券を購入し、正門から入った人にだけその整理券が配られるというシステムになっていました。 ところが………



その正門前には、入場券を買う段階からとんでもない数の人が行列を作っていたのです 果たして、私とたつぴはシャンシャンを見ることができるのでしょうか?
………といういいところで、次回に続けさせていただきます。


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江戸城(皇居)は桜満開!(東京見物その1)

2018-04-14 01:37:27 | お城
こんばんは、白黒茶々です。
春の訪れよりちょっと前に、私のもとにある招待状が届きました。 それは何かといいますと………



私の勤めているお店が増販コンテストで優秀賞を取り、その賞品として全国の豪華なホテルや旅館のペア宿泊券が送られてきたのです。 従業員なら誰が行ってもよかったのですけど、私は「たまには休んでゆっくり行っておいで」というありがたいお言葉をいただいたので、遠慮なく使わせてもらうことにしました。 ただし、そこまでの交通費を含めた諸経費は、自腹となります。
そうしたら、目的地と宿泊先を決めなければならないのですけど……… 考えた末に、3月末にたつぴと一緒に東京見物をすることにしました。 東京には、私が訪れたことのない名所旧跡がまだたくさんありますし。



しかしその計画を実行する頃には、はかなり弱っていました。できることなら東京見物はキャンセルして、彼に付き添っていたい。しかし一緒にいても、何もしてあげられませんし、楽しみにしていたたつぴにも申し訳ないですし。
結局、その日の早朝に箔とを散歩に連れ出し………



彼らと「明日の夜には帰ってくるから、(生きて)待っていてくれ」ということを約束して、家を出発しました。 あとのことを箔母さんに任せてしまって申し訳ないのですけど、私たちはこれから東京に向かいます。ただし、宿泊先以外のところは貧乏旅行なので、移動手段は青春18きっぷによる各駅停車の旅となります。 そうしているうちに………



富士川に差し掛かったところで、富士山が見えてきました。 まだ雪が残っていて、雄壮かつ華麗。それにその姿を見れば、旅の情緒も感じます。



次に私たちは、熱海で途中下車。そちらでは、駅前にある温泉を引き入れた足湯を堪能しました。 私たちはさらに列車を乗り継ぎ………



自宅の最寄り駅で始発列車に乗り込んでから約5時間後に、東京の山手線の大崎駅に到着しました。そのときの時刻は、11時。私たちの目の前には、生そば・うどん・あずみ大崎店という、駅ナカのお店がありましたよ。 ちょっと早いですけど、こちらでお昼をいただくことにしましょう。



話の流れでは、たまたまこのお店にめぐり会ったようになっていますけど、実は事前に安くて手軽に食べられるようなところを調べていました。 ちなみに、私の目の前にあるミニカレーとかけそばのセットは、550円。カレーは蕎麦屋さんの味で、辛さ控えめ。そばは関東特有の鰹だしで、ちょっと濃いめのつゆが麺に絡んで美味しくいただくことができました。
このあと、たつぴは池袋・渋谷方面でのモバゲーイベントに行くというので、別行動となりました。 私は彼とは逆方向に向かう山手線に乗っていき………



まずは、東京駅に降り立ちました。平成24年(2012年)に建設当時の姿に復原されてから6年経ったこともあって、東京の風景にすっかり馴染んでいますね。
ここから最初の目的地までは、歩いていけないこともないのですけど、今回は効率的に行きたいので、地下鉄を利用していきます。 ということで、九段下駅に至りました。そこを出てすぐのところには………



靖国神社や千鳥ヶ淵、日本武道館などがあるのですけど、すごく混んでいてなかなか前に進めません その日は例年より早く桜が満開となり、その名所でもあるそれらの場所は、大勢の人で賑わっていました。



そうそう、この日に私がまず行きたかったのは、現在は敷地の大部分が皇居となっている、江戸城でした。 千鳥ヶ淵はその北の丸のお堀だったところで、日本武道館の正門となっているこちらの田安門は、江戸時代から現存しています。 高麗門と櫓門で構成される桝形門という形式で、国の重要文化財に指定されています。



田安門の東南方向には、清水門があります。こちらも江戸時代初期に建設され、国の重要文化財となっております。田安門と同じ桝形門形式なのですけど、起伏のある立地ということもあって、高麗門と櫓門を潜ったあとに、クランク状の坂を上がっていくようになります。
この日は日本武道館で日本大学の卒業式がおこなわれていて、スーツと袴姿の卒業生は、混雑を避けてちょっと離れたこちらの門から入るように誘導されていました。それらの施設がある北の丸公園は、かつての江戸城の一角の北の丸だったところであります。



その北の丸の南側に位置する本丸の高石垣の上には、北桔橋門(きたはねばしもん)と左右の塀が現存しています。ちなみに、こちらの門に繋がっている木橋は以前は可動式となっていて、門側に桔ね上げることができたのですよ。 江戸城の門は、そのほとんどが桝形門形式だったのですけど、こちらの門は櫓門の部分は撤去されています。さらにお堀に沿って南下していくと………



木橋を伴った、平川門が見えてきます。こちらも桝形門を構成する施設全体が現存しているのですけど、その片隅には死者と罪人を城外に出すときだけに使う、不浄門なるものもあるのですよ。 といったトコで、またさらに先に進みます。



こちらは江戸城の主要部の、本丸・二の丸・三の丸だったところで、現在は皇居の東御苑となっています。その西南側からの景観となります。手前の巽櫓から桔梗門を経て、後方の富士見櫓をいっぺんに見られるので、迫力満点でオススメの撮影スポットでもあります。そうしたら、この風景を眺めながら、江戸城の説明をさせていただきます。
江戸城は、12世紀初頭に江戸氏がこの地に館を構えたのが、最初と云われています。さらに15世紀半ばに、太田道灌が築城工事に着手し、中世の江戸城を完成させました。
さらに時代を経て、天正18年(1590年)の小田原征伐のあとには、徳川家康豊臣秀吉によって関東に移封されました。このとき家康は江戸城を関東支配の拠点としたのですけど、秀吉に忠誠を誓うフリをする意味もあって、城の大拡張はしないで、少し手直しをする程度でヨシとしておきました。

そして、慶長3年(1598年)に秀吉が死去したあとに、本格的な築城工事を開始 石材は伊豆から運び、5層の天守を上げ、一気に近世の城郭へと変貌させました。豊臣氏が滅亡したあとも工事は続けられ、築城開始から約50年後の3代将軍家光の代になってようやく完成しました。



皇居外苑となっている、だだっ広い西の丸下曲輪を歩いていくと、こちらもまた有名な二重橋が見えてきます。
手前の西の丸大手門(皇居正門)伏見櫓、それに続く多聞櫓は、いずれも現存しています。現在の二重橋は、手前の石橋と後方の鉄橋が重なることからそう呼ばれているのですけど、かつては鉄橋の部分には木橋が架かっていました。その橋を架ける場所があまりにも高すぎて、橋桁が届かなかったので、橋の上に橋を架けるという二重構造をしていて、その姿から二重橋と呼ばれていました。



西の丸下曲輪(皇居外苑)の西側には、やはり有名な桜田門が現存しています。ちなみにこちらは、田安門・清水門と並んで、国の重要文化財。 これらの他にも江戸城にはいくつかの建物が現存しているのですけど、宮内庁の管轄内にあるものは文化財の指定から外れるそうです。
桜田門といえば、「桜田門外の変」でその名が知られていますよね。

そこに出てくる歴史上の人物は、「おんな城主 直虎」の、直政(菅田将暉)の子孫にあたる井伊直弼であります。「西郷どん」では、佐野史朗さんが好演している直弼は、幕府の大老に抜擢されてからは、14代将軍に慶福(のちの家茂)を推し、朝廷からの勅許を待たずに開国への道を踏み切ったりしました。それらの強行政策に反論したり危険人物とみなされた者は、「安政の大獄」でことごとく粛清し、吉田松陰や橋本左内らが処刑されました。やがて直弼は反感を買い、安政7年(1860年)3月3日に雪の積もる中、桜田門の外で水戸浪士らによって暗殺されてしまいました。



話は現在に戻ります。その日は都内では桜が満開で、普段は立ち入り禁止となっている皇居の乾通りが、特別に開放されていました。 そこでは、秋には紅葉も見られるのですけど、桜も見応えがあるみたいですね。
DJポリスが仕切る中で、すでに大勢の人が列を作っていました。ここで躊躇する方もいると思いますけど、持ち物検査の関門を突破したら、多少はバラけてくるので大丈夫ですよ。



明治以降に改造を受け、櫓門をまっすぐ潜る形となった坂下門を通過すると………



わずかに宮殿が見え、引き続いて宮内庁の建物がババーンと迫ってきます。



さらに江戸城本丸の隅に聳え立つ、富士見櫓を仰ぎ見ることもできるのですよ。「八方正面の櫓」とも呼ばれたこの建物は意匠的にも美しく、本丸側からも眺められるのですけど、やはり普段は非公開のこちらから見ておきたいですね。



手前の桜もきれいなのですけど、その後方には蓮池濠を経て、本丸の高石垣とその上に富士見多聞櫓が聳え立っているのが見えます。



それにしても、スゴい人 それでも、多少誘導はされるものの、ある程度は自由に自分のペースで写真を撮りながら歩くことができました。



こちらは、太田道灌の時代から残っているという、(下)道灌堀です。警備員さんを撮ったというワケではないのですけど……… とにかくご苦労様です。



そして、乾通りを通り抜けする人の波は、乾門と西桔橋門(にしはねばしもん)の二手に別れて、退場となります。 私はこの時、本丸跡に直結する西桔橋門ルートを選んだのですけど………
江戸城のレポートがあまりにも長引いてしまったので、乾通りの通り抜けが終わってキリのいいところ(?)で、いったん仕切らせていただきます。 次回ご案内する東御苑は見どころ満載で、外国人観光客も多いのに、入場無料ときたもんだ 箔波日記ではその魅力に迫り、その他の名所もできるだけご案内できるように頑張るので、次回も懲りずにお付き合いくださいませ。


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映画「どどどどどどどどどドラえもん・のび太の宝島」

2018-04-11 02:03:11 | 映画情報
こんばんは、白黒茶々です。
春が近付きつつある頃に、「♪どどどどどどどどどドラえもん」というフレーズが強烈な、星野源さんの曲が耳に入ってくるようになりました。 そのタイトルはズバリ 「ドラえもん」。「ドラえもんのうた」とか「夢をかなえてドラえもん」とかいうのではないのですよね。ちなみに、3月3日から公開が始まった映画「ドラえもん」の最新作「のび太の宝島」の主題歌でもあります。 これまで、数々の名アーティストがラえもん映画の曲を手がけてきたのですけど、そのほとんどが同作品をイメージして作られたこともあって、内容が抽象的だったり、歌詞の中に「ドラえもん」の「ド」の字も出てこないということが多々ありました。 そのぶん、星野源さんのものはダイレクトですよね。



今回の作品は旧作のリメイクではなく、オリジナルのようです。 しかも「宝島」なんて、海賊とか大冒険とか金銀財宝とかいったものを連想させるので、タイトルからして面白そうですね。 さらにそれに加えて、テレビCMなどで映画の名場面であろう映像が小出しに流され、私にじわりじわりと追い打ちをかけてきたのです。映画「ドラえもん・のび太の宝島」、気になって仕方がありません。

しかし、この時季の休日はスケジュールが埋まっていて、だからといって、平日の夜に行こうものなら、疲れから鑑賞中に寝てしまう恐れが大なので、避けなければなりません。
そのような中で、私は春分の日に急遽休めるようになりました。しかもその日は雨の予報となっていたので、映画鑑賞にはうってつけでござる ということで、私にとっての今年の映画事始めは、ドラえもん映画に決定しました。



………ということで、今年初登場のユナイテッドシネマ豊橋18であります。 ところが、この日は朝から混んでいて、駐車スペースを見つけるのも一苦労。 そこをなんとかクリアして、朝2番の上映を目当てにチケット売り場に並んだら、その回は完売ときたもんだ 子供にとっては春休み中で、親も付き合える雨の休日という条件が揃えば、混むのもムリはありません。そういうことならやむを得ない、その次の朝3番のほうで観ることにしましょう。

シアターはいつもは自由席なのですけど、その日は指定席となっていました。それらの席もすぐに埋まり、スクリーンには近日公開予定の作品の予告編が流れていました。



まずは、映画「クレヨンしんちゃん・爆盛!カンフーボーイズ~拉麺大乱~」にございます。中国のようですけど、舞台はしんちゃんの住まいのある春日部です。その市内にある中華街「アイヤータウン」で、しんちゃんたちカスカベ防衛隊は、伝説のカンフーぷにぷに拳の修行に励んでいました。そのアイヤータウンでは、ブラックパンダラーメンが大流行するのですけど、そいつは食べた人が凶暴化するのでした。 おかげで、春日部は大パニック そのような状況のなかで、マサオがカスカベ防衛隊を離脱するというのですけど、果たしてしんちゃんたちは春日部の平和を守れるのでしょうか!?
しんちゃん映画は、一度観るとハマると思うのですけど、今回の私はドラえもん映画に走ってしまいました。 いや、この作品は4月13日に公開が始まるので、体勢を整えて観に行けるのでは?ちなみにその主題歌は、ももいろクローバーZの「笑一笑~シャオイーシャオ!~」であります。



次は、こちらも春映画としてすっかり定着している「名探偵コナン」の、「ゼロの執行人」であります。 東京サミットが開催される会場で、突如大規模な爆破事件が発生 ………って、コナン映画のつかみは、ここのところこのパターンが続いているような。そこには、全国の公安警察を率いる警察庁警備局警備企画課(長い )・通称「ゼロ」に所属する降谷零こと安室透の影がありました。安室は、公共の安全と秩序を維持する公安側の人間のハズなのに………
さらにその事件で、コナン君側の毛利小五郎に疑いがかけられ、逮捕されてしまいました。果たして、コナン君たちはこの事件を解決できるのでしょうか?
コナン君が危険な目に遭うのはもうお約束みたいなものなので、避けられないみたいです。それならば、見てるこちらがハラハラしなくて済むように、彼には爆弾もはね返すほどの強靭な肉体を持たせてみてはいかがでしょうか?えっ、「マッチョなコナン君は見たくない」ですって?失礼いたしました。



とかなんとか言っているうちに、「ノーモア映画泥棒」が出てきてしまいました。しかし最近は、彼らの姿を見たあとも、映画の予告編やCMが続いていたりするのですよ。


※これはのび太の妄想です。

前置きが長くなってしまいましたけど、ようやく映画「ドラえもん・のび太の宝島」の本編が始まりました。



夏休みのある日、いつもの空き地でのび太たちは出来杉から「宝島」の話を聞いていました。それにすっかり感化されたのび太は「僕らも本物の宝島を探しに行こう 」と言い出したのです。



「だははは……… 宝島なんてあるものか 」そんな彼を笑う、ジャイアンスネ夫。それに対して、のび太は「もし宝島が見つからなかったら、鼻からカルボナーラを食べてやる」と言い放ったものの、決して確証があったというワケではありませんでした。



いつもだったら、のび太は「ドラえも~ん、宝島に行く道具を出して~ 」と、ドラえもんに泣き付くのですけど、今回は「鼻でカルボナーラを食べきる練習をするよ」と、最初からあきらめモード。 そう来られたら、ドラえもんは不憫に思ってしまい、「宝探し地図」なる道具を出しました。 「この道具を使っても、見つかることはないだろう」なんて言っているそばで、なんとのび太は日本の南大平洋沖で宝島を探し出したのです ちょうど同じ頃、テレビのニュースで同じ場所に新しい島が誕生したことを伝えていました。



これには、のび太は大興奮 ドラえもんに「組み立て帆船」を出してもらったのですけど、組み立てに失敗して、マストを折ってしまいます。 「ま、まあいいや、これ(絆創膏)を貼っておけば」「やれやれ………」そいつをなんとか完成させ、しずかちゃんも誘って、いざ出航 しかし、ジャイアンとスネ夫も付いてきてしまいました。
ということで、結局今回もいつものメンバーで宝島を目指しました。



翌朝、のび太一行は「蛍光方向クラゲ」に導かれて、ニュースが伝えていた新しい島に到着しました。 ところが、そこに水上バイクに乗った海賊が現れ、しずかちゃんをさらっていってしまったのです。 それだけではなく、島までもが巨大なガラスドームに包まれ、沈んでいってしまいました。もう、何がなんだか………
実は、それは島の形をした巨大な海賊船だったのです。



騒動が済んだあとの海には、気を失ったフロックという少年が浮かんでいて、クイズという名のオウム型ロボットが付き添っていました。のび太たちに助けられた彼は、先ほどの島型海賊船から逃げてきたことを激白したのでした。



一方のしずかちゃんは、セーラという少女と出合い、彼女が働く食堂のマリア亭を手伝うことに。セーラの得意料理のフレンチトーストは人気メニューなのですけど、それには映画のストーリーに関係する、深い意味があったのです。
しずかちゃんを助けるために、のび太たちは海賊船を追いかけることに。その際に、フロックはセーラの兄で、さらに文明の進んだ未来の世界からやって来たことが判明しました。



海賊たちを率いるシルバーという男は、地球のエネルギーを吸い取り、海賊船で宇宙に避難するというその名もズバリ「ノアの箱船計画」という恐ろしいことを企てていたのです。彼は、遠い未来の世界では、地球は破滅へと向かっていて、宇宙に逃れるしか道はないと言うのですけど………

なんとシルバーは、フロックとセーラの父親だったのです のび太たちはフロックとともにシルバーの海賊船に乗り込むのですけど、果たして「ノアの箱船計画」を阻止することはできるのでしょうか



この作品は、全体の流れはハズせないものの、個性的なキャラクターにもグッときます。 まずは、クイズというオウム型メカです。その名のごとく、言いたいことはすべてクイズで問うのですけど、私はなかなかピンとくることはできませんでした。 それでも、話の流れを止めてはいけないからでしょうか?ドラえもんたちはそのクイズには即答で、しかもすべて正解していました。



次は、救命イカダです。すでにご存知の方もいると思いますけど、ドラえもんの道具です。クイズの言う「イカということを激しく主張する乗り物って、な~んだ?」の答えでもあります。それよりも、イカの形をしている筏って、グッときませんか?



あと1つは、シルバーであります。 彼は海賊船の船長です。かつては穏やかな優しいお父さんだったのですけど、ある出来事がきっかけで人が変わってしまいました。人類を滅亡の危機から救うために、恐ろしい計画を実行しようとしているのですけど………
不謹慎ながらも私は、彼の影があり、目つきが冷たく鋭くて、ドスの効いた低い声でしゃべるところがカッコいいと思ってしまいました。 それに、船長の衣装も、よく似合っていますし。そ の声を担当した声優を見ていったら……… なんと、大泉洋さんではありませんか

つかみからして、観るものの冒険心を掻き立てる内容だと思っていたのですけど、予想外の展開となりました。 それでも、笑いあり涙ありで、話の展開もいい流れで、最初から最後まで楽しむことができました。 また、その中には心に残るセリフもたくさんあったのですけど、のび太がシルバーに問いかけた「大人が言うことって、すべて正しいの?」というセリフには、グサッときました。 どどどどどどどどど……… いや、映画「ドラえもん・のび太の宝島」は現在でも公開中です。気になる方は、歩いていってもまだ間に合うので、映画館にお向かいくださいませ。


本編が終わり、星野源さんの「どどどどどどどどど………」の曲とエンドロールが流れている段階で、シアターをあとにする方もいましたけど、映画の「ドラえもん」はそれらの後に、次回作の予告というか短いヒントが出てくるのですよ 気になるその内容は………
「のび太の宝島」を終えたドラえもんは、引き続き船に乗って航海していたのですけど、地球が天動説の形をしていて、その世界の果てに行ってしまい「うわ~ 落ちる」と。そこで見上げた月では、ウサギの影が餅つきをしていました。 これは………
地球や月に関わる話なのでしょうか?何にしても、過去にやったもののリメイクではなく、オリジナルとなりそうですね。こちらの作品は来春公開されるので、気になる方は覚えておいてくださいませ。


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箔がいなくなったあとの波

2018-04-07 01:44:01 | ワンコ
こんばんは、白黒茶々です。
ちょっと前から私は、時間に迫られている映画のネタを用意していたのですけど、このようなことになってしまったので、あと1話だけお付き合いくださいませ。 が亡くなったあと………



皆さまからたくさんのお花やお供えものをいただき、嬉しいです。日本スピッツとはいっても、箔ははみ出し者だったのですけど、それでも温かく受け入れてくださったこと、とても感謝しています。



大急ぎで遺影に使える写真を探したのですけど、最近はと一緒に写っているものばかりで、箔が単独のものはなかなか見つかりませんでした。 いや、昨年5月のスピクラ展は、箔だけを連れていったので、使えるかも



そうしたら、ありましたよ。 彼を大きく写したとき、私は「年齢的にも、これからいつXデーが来てもおかしくないから、もしかしたらこれを遺影に使うことになるかも」のようなことを考えていましたけど、現実となってしまいました。
それから、頂き物の縦にも横にも使える写真立てには、やはりブンブン写真を入れておきました。ちなみにこちらも、スピクラ展と同じ日に私が写したものです。

箔の最期からお見送りをしたときの様子はおおよそお伝えしたのですけど、そちらでは彼の妹ぶんの波のことについては、ほとんど触れていなかったような………
ということで、ここからは彼女をメインにして、語らせていただきます。

箔が闘病中でも波は元気で、それだけでも私は救われる思いでした。 もしかしたら、箔に元気を分けようとしていたのかも知れません。
箔の散歩できる距離が縮んでいくに連れて、朝は時間的制約もあり、多少は追加してあげたものの、波の運動量は減っていきました。それに加えて、箔が残した犬缶や犬ジュレを、ついつい波にもったいないあげをしてしまったこともあり、彼女の体重は増えていきました。「箔が軽くなったから、そう感じたに違いない うん」と、私は自分に言い聞かせたのですけど、堪えきれなくなって量ってみました。そうしたら………

なんと、9,3Kgもありましたよ そうしたら、波の犬生史上で最も重いということになります。しかし、これは私の責任です。



前の日記には「箔は誰にも看取られず、1頭で逝った」と書きましたけど、実際にはすぐ近くにいた波だけが見送ったことになります。彼女が白黒茶々家のウチの子になった日、生まれ育ったけいママさんの家までは、私とたつぴは箔も伴って迎えに行きました。それ以来、彼女はずっと彼と一緒にいました。慣れない環境で暮らすことになっても、箔がいたおかげで自然と溶け込んでいくことができたみたいです。それから彼女はずっと、彼のことを頼りにしていました。



箔が亡くなってから、悲しそうな表情で彼の亡骸を見つめたり、散歩から帰ってきたあとなどに、彼のことを探したりしていたのですけど、彼女は食欲が落ちたり体調を崩したりといったことはありませんでした。 これまで、箔とともに歩んできたので、悲しくないハズはないのですけど………
波は今まで以上に元気で明るく、笑顔を絶やしません。 特に散歩やご飯の直前は、弾けています。波って、以前からこのようなキャラでしたっけ?どこか若い頃の箔に似ていますし。



もしかしたら、箔が彼女に乗り移ったのか、それか彼女は箔イズムみたいなものを受け継いだのかも知れません。 それでも、そんな波から元気をもらい続けているおかげで、私たちは普通に働き、笑い、食べ、生活できているような気がします。寂しくないといったらウソになりますけど、違う形で箔がいるので、大丈夫です。



その一方で、今まで2頭にあげていた犬餌やおやつだけではなく、⚪ンコの処分量も半減したことにはまだ慣れていません。 だからといって、波に余分に与えてはいけませんよ。
これからは、オフ会やワンコイベントなどには波だけを連れていくことになります。それから、ワンコを伴った歴史散歩や列車の旅にも、近々再出発するつもりでいます。 それらをネタにして、箔波日記を続けていくので、皆さまには以前と変わらずお付き合いしていただけたら、嬉しいです。


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箔、最後のマーキング

2018-04-04 01:49:29 | ワンコ
こんばんは、白黒茶々です。
箔に労いや温かいお言葉をたくさんくださり、ありがとうございます。 彼は、最後に公の場に現れてからわずか11日後に、この世から去ってしまいました。突然のことのようですけど、実は白ふわオフ会の頃にはいっぱいいっぱいの状態だったのです。私も奇跡を信じて、最後まで希望を持って看病してきたのですけど、力及ばず………
今回は気持ちを整理するためにも、箔の最期や空へ旅立つ様子について、振り返らせていただきます。



箔は、昨秋あたりに下唇に腫瘍ができたのですけど、それは獣医さんでも切除しにくい場所でした。 また、彼が高齢ということもあって、体に負担をかけるようなことはしないで自然に任せることにしました。しかし、次第にご飯が食べにくくなっていき、ずっと与え続けてきたカリカリフードに犬缶の力も借りて、食べさせるようにしました。

その食事方法で3ヶ月ほどは大丈夫だったのですけど、それも困難になりました。箔はうまく食べられないと、たとえお腹が空いていても「もういらないのだ 」となってしまうのです。
そこで、箔母さんが見つけてきた流動食に近いジュレのフードを与えてみたら、喜んでうまく食べきることができました。 箔が食べてくれるのなら………



………と、私は奮発してたくさんの犬ジュレを買ってきたのですけど、それもやがて受け付けなくなってしまいました。 その頃には歩行も困難になって、私がゆっくり引っ張ってようやく歩く状態でした。しかも、体重も日に日に減っていくのがわかりました。



そのような中で、迎えた白ふわオフ会。その日はたくさんのお仲間たちと逢えて嬉しかったみたいで、箔はカートから降ろしてもハキハキと歩いていました。 この勢いで、食欲のほうも しかし、さすがにそううまくはいきませんでした。
なんとか工夫して食べさせたものの、翌週の25日から2日間は、私とたつぴは東京に行くために家を空けることになっていました。



家に残る箔母さんは「白黒茶々さんたちがいない間に箔がお亡くなりになったら、どぉしよう 」と心配していたのですけど、彼はまだ自分で立って歩ける状態なので、きっと大丈夫。
それでも、その当日の朝には、私は彼と「私たちは明日の夜には帰ってくるから、それまで(生きて)待っていてくれ」と約束しました。私たちを見送る、箔と波。「その間、箔母さんの言うこともよく聞くように」という約束のほうは疑問でしたけど、彼はちゃんと待っていてくれました。



しかし、すでに食べることを拒否する状態でした。とはいっても、私のほうまで諦めてはいけません。 箔の口を開けさせて、多少力ずくでもご飯を口の奥に入れてあげたら、咀嚼して飲み込んでくれました。水のほうは、水道から流れているところに彼の口を持っていったら、飲んでくれましたし。これならいける ご飯は犬ジュレの他にも、犬缶をお湯で柔らかくしたものを与えました。ちなみに写真は、彼の口に優しい木のスプーンなのですけど、ご飯の際に噛み砕かれてしまいました。しかし、それが彼にとって最後の食事となってしまいました。

3月28日の夜から、支えがないと立てれなくなり、寝ている間は苦しそうに「ヒューヒュー」と鳴くようになりました。もう最期の時が迫っているのでしょうか?私は彼の頭や背中を撫でたりしながら、見守り続けました。
やがて症状が落ち着いてきたので、私は自分も就寝することに。どうかその間に逝かないでくれ。

心配しながら迎えた翌日の朝は……… 箔は「ヒューヒュー」言いながらも、まだ息をしていてくれました。そのような状態でもシッコが溜まっていると思い、私は彼を庭に連れ出し、立てれるように支えて、排尿を促しました。しかし、思うようにはいきませんでした。それなら、せめて水だけでも飲んでくれないでしょうか?

箔は、私が両手で抱えて外の水道が流れる水のところに口を持っていくと、必ずといっていいほど飲みます。しかし、この日は口元が濡れても、口を開けようともしませんでした。本ワンが欲しがらないのなら、仕方がありません。するとその時、私は自分のひざが濡れていることに気付きました。どうやら、箔がそこでシッコをしたみたいです。しかし、そのシッコされたところは、いくら洗剤で洗ったり、消臭剤や芳香剤をかけたりしても、ニオイは消えませんでした。そうしているうちに、出勤の時間が迫ってきてしまいました。
私は彼をケージ内のベッドに寝かせたのですけど、さすがに今回ばかりは「帰ってくるまで待っててくれ」とは言えませんでした。「もうムリはしないで、私に構わず逝きたいときにいっていいから」そう言い残した私を、彼は目だけで見送りました。

仕事に就いてからも、私は箔のことが気になって仕方がありませんでした。そのような中でも、ひざに付いたニオイは、なかなか取れませんでしたし。そのような中で、風邪で家に残っているたつぴから箔の訃報を知らせる連絡がありました。午前10時過ぎのことでした。その頃には、いくらやってもダメだったひざのニオイは、なぜか完全に消えていました。
私の思い込みかも知れませんけど、箔は自分のことを気にしながら仕事に行く私のことを気遣って、ずっと近くに感じることができるように、最後の力を振り絞って私にマーキングしたのかも知れません。

箔は誰にも看取られず、1頭で逝ったみたいです。私は家を出る前に、寝ている彼のところからも外がよく見えるように、窓を開けておきました。もしかしたら、そこから懐かしいお仲間などがお迎えに来たのでしょうか。

その日の夕方、私は亡骸となった箔と対面しました。今まで、本当によく頑張りました。
たつぴは「(風邪をひいていたから)布団から起きて、1時間おきに(箔の)様子を見に来たのに………」と、看取ることができなかったことを悔やんでいたのですけど、私は「最後に生きている姿を見てくれただけでも、充分だよ」と諭しました。



そのあとは、箔母さんに用意してもらった段ボールの柩に箔を入れ、さらに布をかけたり花を供えたりしました。そして、送り出しの準備が整い、落ち着いたところで、一人ずつ箔に語りかけることになりました。
私は「ウチに来てくれて、ウチの子になってくれて、ありがとう」と言うのが精一杯でした。
次の箔母さんは「たくさん一緒にお出かけして、楽しかったね」と静かに話していたのですけど、私はもう顔を上げることができませんでした。
最後にたつぴの番となったのですけど、「何を言ったらいいのか、言葉が見つからない………」それでもいいのです。言葉にしなくても、彼の想いは箔には充分伝わったハズです。



そしてその翌日の3月30日に、私たちは箔の野辺送りをしました。晴天の桜吹雪の中、彼を乗せた車を走らせ、火葬場に託しました。
箔はいつも笑顔で明るく、人もワンコも好きで、まわりを元気にしてくれました。なので、桜満開のその時季の旅立ちは、彼らしいです。それだけではなく、ワンコの間では人気の「にくの日」が命日となりましたし。 これから桜の花が咲く時季になるたびに、箔との別れを思い出すようになるのかも知れませんけど、それ以上に彼と一緒に歩んできた日々を心に刻んでいきたいです。それから、彼が遺してくれたスピ仲間との縁を大切にしていきたいです。箔、ありがとう。貴方のことはずっと忘れません。



箔は私だけではなく、皆さんの心の中にもマーキングというか、ブンブンの残像を遺していったでしょうか?皆さんも、箔のことをずっと可愛がってくださり、ありがとうございました。


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