波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

花咲いていた吉田城

2020-04-29 01:53:22 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

GWを目前にしながらも、新型コロナウイルス蔓延の影響で、全国各地の名所旧跡だけではなく、普段利用しているお店まで閉鎖されるようになってしまいました。 その沙汰はとりあえず5月初旬までとなっていますけど、その頃には少しでもこの事態が改善していることを願っています。
しかし、当波狛日記は取材(?)してからブログにUPするまで1ヶ月ほどの遅れがあるのですよ。 というとで話は前回の続きで、3月29日の午後に私がを連れて出かけたところから始めさせていただきます。

その日、私たちが向かったところは……… といっても、日記のタイトルでバレバレですよね。 はい、豊橋市にある吉田城にございます。 このお城は豊川に面していて、その北側の対岸からは本丸の石垣や模擬鉄櫓(くろがねやぐら)を臨むことができます。 そうしたら、今からそちらに向かいますよ。はっ

………とその場でジャンプしたら、旅番組などでは次の瞬間に衣装替えしたり、目的地までワープしていたりするのですけど、現実ではなかなかそうはいきません。 車に乗り込み、川を橋で渡って、駐車場に止めて、そこからは歩いていって……… とにかくそのようにして、先ほどの模擬鉄櫓の石垣下までやって来ました。

吉田城は、牧野古白が永正2年(1505年)に築いたのが最初と云われています。 その後は松平氏や戸田氏、牧野氏らの攻防戦の舞台になったりしつつ、天正18年(1590年)には豊臣秀吉の配下の池田輝政が入城しました。 彼は世界文化遺産の姫路城を築いた人物でもあるのですよ その前段階に吉田城を近代城郭に改修し、本丸の石垣などを築きました。

豊川沿いからは、この石段を上がっていけば本丸跡に行き着くことができます。 人間にとってもその踏み幅はかなり開いているのですけど、波と狛はそんなことはお構いなしにグイグイ登っていきました。

その本丸は、見事な石垣に囲まれています。 これらは名古屋城を築く際に余った石を転用したこともあって、その工事を担った大名が刻んだ刻印があちこちに見られます。 それから、本丸の西北隅には………

今回の日記ではすでに2回ほど登場した、模擬鉄櫓が聳え立っています。 地下1階地上3階の3層櫓で、昭和29年(1954年)に建てられました。 便宜上は櫓と呼ばれているのですけど、本丸側にも窓があったり、文献のなかには「天守」という記述があることから、事実上吉田城の天守でした。 ここまできたら、せっかくなので………

波と狛には車の中で休憩してもらって、その間に鉄櫓の内部に入りましょう こちらの建物は水~日曜日の10時~15時に開放されていて、入場無料。各階にはこのお城の歴史に関連した資料が展示されています。それから、最近流行りの御城印はこちらには置いてないので、市役所か豊橋市美術博物館でお求めくださいませ。
さらに、その最上階からは………

本丸がある南側は樹木に覆われたりしていて、視野は限られているのですけど………

豊川に面した北側は開放的で、遠くまで見渡すことができます。

なんか、これから本丸に向かうような絵となっていますけど、話の流れとしてはそこを出て二の丸跡に行くところです。
池田輝政が姫路に移ったあとの吉田城は城主がめまぐるしく代わり、石高が少ないこともあって、輝政が拡張した城地は未完成のまま明治を迎えました。

明治以降の吉田城には、大日本帝国陸軍の歩兵第18聯隊(連隊)が置かれました。 お城の跡には兵舎などが並んでいたのですけど、よく見てみると鉄櫓があったあたりは「厠」となっていますね。 三方が石垣に囲まれた穴蔵の空間は、便所として利用されていたのでしょうか?
終戦後その敷地は市民に開放され、豊橋公園として整備されたのですけど………

その随所には戦争遺跡というか、第18聯隊の遺構が残っています。 ちなみにこちらの小さな蔵みたいな建物は、弾薬庫にございます。

さらにその営門跡の手前には、監視小屋として使われた、コンクリート製の哨舎が残っています。 いろんな意味で歴史を感じさせる吉田城こと豊橋公園は、その頃には………

桜の花が見頃の時季を向かえつつありました。

こちらは見事な咲きっぷりですね。 昨年は家族全員で、こちらの夜桜を堪能したのですけど………

今年は例のコロナ禍の影響で、お花見のどんちゃん騒ぎや夜のぼんぼりの点灯などは中止となってしまいました。 さらに4月に入り、愛知県で緊急事態宣言があってからは、鉄櫓や美術博物館までもが閉鎖されたそうです。しばらくの間は大人しくしていなければならないのですけど、この禍が治まり、再び県境を何の心配もなく行き来できるようになったら、また吉田城を訪れたいです。

………といいつつも実は私たちは、この日は豊橋に来たついでに吉田城以外のところも写真に撮って廻っていたのですよ。 朝ドラと、豊橋を題材にした漫画に背中を押されたのですけど、その私のはしゃぎっぷり(?)は次回の日記でお伝えします。


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初めての喫茶和とお披露目された女改之長屋

2020-04-25 05:28:28 | その他

こんばんは、白黒茶々です。

3月29日の日曜日は、コロナ禍の影響でその日に予定されていたオフ会が中止になってしまいました。

それに加えて朝から雨が降っていたこともあって、私の気分は沈み気味になっていました。 その気分転換を兼ねて……… というよりは、実はその日の天気はすでに予報で知っていて、雨の場合の行動も考えていました。 その頃の私は喫茶店のモーニングにハマっていて、2週連続で行くつもりでいました。ちなみに今回目をつけたお店は………

豊橋市東幸町にある和(かず)さん 私がGoogle Earthで地図上を散策していたら、たまたま見つけたお店であります。 細い路地に入っていったところにあって、ちょっとわかりにくいのですけど、それもストリートビューで予行演習(?)済み そのおかげで、迷わずにたどり着くことができました。
そこは昔ながらの喫茶店で、その店内は常連客と思われる年配者たちで賑わっていました。

席に着いたら、モーニングメニューを吟味しますよ とはいっても、実はこちらもすでに狙いを定めてきているのですけど。 豊橋モーニングの仕組みは前々回の日記で述べた通りで、朝の時間帯はドリンク代だけで半切りトーストにゆで玉子、ポテトサラダが付いてきます。ちなみにこの基本形を「レギュラー」と呼びます。 さらに課金すると、より豪華になるのですよ そうしたら、せっかくなので………

それからしばらくして、私の目の前にこのようなメニューが運ばれてきました。 はい、Bセットにございます。120円の追加で、トーストが倍増し、サラダがグレードアップ、さらに唐揚げまで付いてくるというのですよ このようなちょっとした贅沢のモーニングを喫茶店の落ち着いた空間で食べると、気分がスッキリします。
そういえば、この日は新居関所女改之(おんなあらための)長屋の完成を記念したイベントがおこなわれることになっていました。 今からそちらに向かえば、その式典に間に合います。まだ雨が降っているのですけど、せっかくなのでその様子を見に行ってみることにしましょう

………という流れで、やって来ましたよ 新居関所に。こちらの面番所は安政2年(1855年)に建てられたもので、全国で唯一現存する関所の建築なのですよ。そのことから、建物は国の重要文化財、敷地は特別史跡に指定されています。

そういえば新居関所は、私はを連れて、昨年末に新年のご挨拶用の写真を撮りに訪れた時以来ですね。

その一角で、数年前から復元工事がおこなわれてきた女改之長屋が完成したことを祝って、地元の商工会による出店や関所改め劇、紙芝居、……… などが企画されていたのですけど、新型コロナウイルスの影響でそれらは中止となってしまいました。

それでも、完成記念式典はおこなわれていました。 本来なら多くのギャラリーに見守られるハズだったのに、私のような一般人はほとんどいませんでした。その一方で、この日は関所だけではなく旅籠の紀伊国屋資料館も無料開放されていて、そのことは私の関所行きを後押ししました。 そのような中で、籠をかついだオジちゃんたちによって「地つき歌」という地固めのときに歌われた仕事歌が披露され、それに引き続いて………

市長や県議会議員などのお偉いさんたちの手によって、テープカットがおこなわれました。 この様子は、地元紙や広報誌などに載りました。 また、テレビ局も来ていたので、お昼の県内ニュースにも出ていたのかも知れませんね。
こちらは式典の後片づけなどでちょっと混雑していたので、先に関所資料館や面番所のほうを廻っていくことにしましょう 資料館は、関所を通るのに必要な通行手形や旅道具などが展示されているのですけど、それらは撮影禁止となっています。

ただし、記念撮影用の顔出しなどがある入口ロビーは撮影可となっていました。 そこでは、玄関に置いておくと魔除けの効果があるという、使用済みの手筒花火が売られていました。 特大・大・中・小の各サイズが取り揃えられていて、そういえばNHK連続テレビ小説「エール」の関内家(音ちゃんの実家)の玄関の軒先にも、さりげなくぶら下げていましたね。

関所資料館の次は、いきなり面番所の内部です。 こちらは貴重な建築遺構なのですけど、建物内を見て回ることができるのですよ さらに江戸時代の通行人の取り締まりの様子を再現するために、奉行の五味さんたちのマネキンが置いてあるのですけど、お約束というか……… 「わっ ビックリした」これに不意討ちを喰らって驚く人がいました。
そのあとは、いよいよ女改之長屋なのですけど、その前に女改めの制度について説明させていただきます。

江戸時代は、江戸に武器が持ち込まれる「入り鉄砲」や、そちらに人質として滞在している大名の奥方が脱走する「出女(でおんな)」には、街道に設置された関所で厳しく取り締まっていました。 そのうちの出女に対して、奥方が男装してシレッと通過したり、密書を頭髪の中などに隠して持ち運ばないように設けられたのが、女改めであります。 その様子を描いた絵図があるのですけど………

いくらなんでも、これはやり過ぎでは 女改めを担ったと思われる老婆が旅人を開チンさせ、拡大鏡でジックリと観察しておられる。 どうやら当時の絵師がその制度を皮肉って描いたみたいですけど、実際にはどの程度のボディーチェックだったのでしょうか?それでも、開チンは避けられなかったのでしょうか?

そんな女改めの役人やその家族の住まいとなっていたのが、この度復元された女改之長屋であります。 そうしたら、いよいよその内部に入りますよ

この長屋の生活空間は、勝手兼土間に2間が続いているので、2Kってところでしょうか? その住まいが2つぶんあって、南側は出土品などの展示スペース。 一方の北側は………

うわっ ………なんて言ってはいけませんよね。 こちらの勝手では、「あらため女」のお雪さん(仮名)がお出迎えしてくれます。 さらに、そこに続く移住スペースは………

休憩のスペースと、このようなインスタなどで映えそうな撮影スポットとなっていました。 そんな新居関所や女改之長屋が気になる方がいましたら、コロナ禍が治まったあとに訪問できるように、心の片隅にでも小さくメモしておいてくださいませ
その日は午後に入ってから天候が快復したので、私は波と狛を近場に連れていってあげることにしました。 その様子については、次回の日記で触れさせていただきます。



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恐竜と歩こう!

2020-04-22 01:12:29 | その他

こんばんは、白黒茶々です。

私・の白黒茶々家の1人と2頭は、前回から豊橋市の中京テレビハウジング豊橋南に来ています。

その片隅にあるドッグランから出てきたところなのですけど、話はさらにその数週間前にまでさかのぼります。

 

住宅展示場は、主に子供のいる家族を引き寄せるために、週末にキャラクターショーなどがおこなわれたりします。 ちなみに私たちが行く日は、最新の戦隊ヒーローもんの魔進戦隊キラメイジャーのショーが予定されていました。 この手の特撮もんは、男児だけのものという先入観があるのですけど、実は奥が深くて大人でも頷ける内容となっています。たぶん、きっと。 そのことを確かめるためにも、私は観るつもりでいたのですけど、そのような中でコロナ禍が広がってしまいました。 キャラクターショーの類いは人が集まるので、大丈夫なのでしょうか?なんて思っていたら、大丈夫ではありませんでした。 キラメイジャーショーは取りやめとなってしまい、その代わりに………

ハウジングセンターのイベントの案内には、「恐竜ウォーキング」なるものが載っていました。 この恐竜は、中に人が入っているのでしょうか?それとも、ラジコンで動くヤツでしょうか?いや、実は本物だとか?そちらのほうも気になりますね そうしたら、波と狛にも逢わせて……… いや、それはどうかと……… 私は急に不安になってしまいました。

話は4年半ほど前にまでさかのぼります。 その頃はまだ狛は存在していなくて、先代犬のと若いの時代でした。 私は彼らとともに越前大野のハチ君一歩ちゃんに逢いに行くことになり、その道中にある道の駅九頭竜に立ち寄りました。 そこには定期的に奇声をあげながら動く親子の恐竜ロボットがあるのですよ 私は箔と波をその真ん前まで引っ張っていき、それに対して彼らがどのような反応をするか楽しみにしていました。
ところが、その恐竜がいくら本領発揮しても箔と波は無反応で、そこで居合わせた他のワンコのほうを気にしだしたのです。 こんなハズでは……… 関心を示してグイグイいかなくても構いません。まだビビって尻込みしてくれたほうが私としては嬉しかったです。
………ということがあったので、波と狛がまた同じような態度だったら、私は今度こそ立ち直れないかも知れません。 恐竜と日本スピッツの対決は、果たして………

それから間もなくして、私たちの前にT・レックス系の恐竜が現れました。 大きさはともかくとして、造形といい動作といい、迫力満点です。

………なんて悠長なことを言っていたら、その恐竜はいきなりアテンダントのお兄さんを頭から喰ったのです ひいぃぃ~ こ、怖い………
※構図的にそう見えるだけで、お兄さんは無事なので、どうかご安心くださいませ。(編集部注)
そうそう、今重要なのは恐竜を目の当たりにした時の波と狛の反応でした。

なんと彼女らはその恐竜に興味津々で、グイグイと迫っていったのです どうやら中に人が入っている様子ですけど、特に波は構って吠えをするほど喰い付いていきました。 これこれ こういう反応をしてもらいたかったのですよ

恐竜との顔合わせが済んだら、今度はハウジングセンター内を闊歩し始めました。 アテンダントのお兄さんたちは一緒に来ることを勧めてきたのですけど、波と狛は最初から付いていく気満々 ただ、コロナ禍に加えて催し物が変更されたこともあって、付いてくる子供の数は少なかったです。

ぐるっと1周したら、もといた場所で記念撮影タイムと相成ったのですけど……… 子供が怖がってなかなか恐竜に近付こうとしませんでした。 たとえアテンダントのお兄さんが「今は暴れないから大丈夫だよ~」と諭しても。 中に入っている人……… なんてここでは言ってはいけないのですけど、彼(彼女?)の迫真の演技が子供たちをビビらせているのでしょうか?
それならば、波と狛との写真を撮らせていただきましょう このような場合は、着ぐるみ……… いや、恐竜に彼女らのリードを持ってもらうのですけど、恐竜の手というか、小さな前足にまでは身が入っていないみたいなので、ムリそうです。ま、まあ、波と狛はフリーにしてもしばらくは大丈夫なので、なんとかなるでしょう。

ところが、彼女らは恐竜に気を取られてしまって、なかなかこちらを向いてくれませんでした。 これでは私がイメージしたような、みんなで並んだ構図を撮ることはできません。

その後、恐竜と距離をとって他の子との撮影準備に入るところに便乗して、なんとかここまでもってくることができました。
新型コロナウイルスの影響で、ゆるキャラと触れ合う機会が皆無となっている中で、着ぐ……… こうなったらもう包み隠さずいってしまいましょう 着ぐるみの類と交流することができて、嬉しかったです。 彼(彼女?)への波と狛のリアクションも、私の期待以上でしたし。 中京テレビハウジング豊橋南さん、私たちにこのような貴重な体験をさせてくださり、ありがとうございました。


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この住宅展示場の片隅で

2020-04-18 01:11:27 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

4月に入ってから、新型コロナウイルスは終息に向かうどころか、勢力を拡大させつつあります。 感染者が多い都府県では緊急事態宣言が出され、ウチのお隣の愛知県も自らするまでになってしまいました。こうなると、今までのようにワンコを連れて易々と出かけられないのですけど、実は私にはその少し前までに取り溜めたネタがあるのですよ。 というよりは、波狛日記はブログに上げるまでが長く、1ヶ月ぐらい前の話となることが多々あるので、良くも悪しくも時間差が生じています。
ということで、これからしばらくの間は、近況を挟んだりしながらストックしてあるネタを小出しにしてブログを続けさせていただきます。 そして、それらが出尽くすまでに新型コロナ問題が解決することを願っています。

ということで、話は3月22日の日曜日にまでさかのぼります。 その日は、私は朝からを連れて出かけていました。 そのようにして、私たちが最初に立ち寄ったところは………

豊橋市藤並町にあるcafe+Bさんという喫茶店でした。 その頃は、いや、今でも私は喫茶店でモーニングを食べたい欲に駆られていて、その手始めにこちらのお店を選んだのです。 豊橋市は同じ県の一宮市と並んで、モーニング発祥の地とされています。果たして、今回はどのような馳走にありつけるのでしょうか?………といいつつも、実は下調べをしてきているのですけど。

すでにご存知の方もいらっしゃるかも知れませんけど、まずはモーニングの仕組みについて説明させていただきます。 このような喫茶店では、開店から11時ぐらいまでの朝の時間帯にモーニングサービスを受けることができます。 その間にコーヒーなどのドリンクを注文すると………

半切りトーストにゆで玉子、サラダといったちょっとした朝食が無料で付いてくるのですよ それだけでは足りなくて、もっと豪華にしたいという場合には……… こちらのお店では200円とか追加すると、パンが大きくなったり、さらにスープやヨーグルトが付いたりしてくるので、選択の幅は広がります。 私には来店する前から心に決めてきたメニューがあるので、今回はそいつを注文させていただきます。 それからしばらくして出てきたのは………

ベーグルモーニングにございます 焼きたてのベーグルは表面がカリッとしていて、中に塗られたクリームチーズと合わさった味はシンプルですけど、あと引く美味しさでした。 サラダ、スープ、ヨーグルトの3点セットも、それに花を添えていますね。朝の朝食モーニングは1日の活力にもなるので、その日は充実した日となりそうです。 ちなみにこれらの合計金額は、610円にございます。
今回の目的地までの通り道といえなくもないcafe+Bさんをあとにした私たちは………

今度は、中京テレビハウジング豊橋南という住宅展示場にやって来ました。 実は、この日のメインはこちらだったのですよ

ワンコを連れてのハウジングセンター。 ワンコにとっても住みやすい住宅を建設する相談……… といきたいところなのですけど、残念ながら違います。 その案内図をよく見てみると、その片隅に………

ドッグランがあるのですよ 実は私は以前からその存在を知っていて、いつか波と狛をこちらに連れてきたいと思っていました。 気になるハウジングセンターのドッグランは………

このようになっています。 こちらは管理人などはいないのですけど、入場無料でビジターでも自由に利用できるようになっていました。

すでに先客がいるようですけど、少しずつ馴染ませていくようにしましょう。

パスフィールドから2日ぶりとなるドッグラン。波と狛にとってはこちらも居心地がよかったみたいで、今回も柵内を活発に動き回っていました。

また、先客のワンコとも気が合ったみたいで、狛は彼らと追いかけっこをしたりしました。 「ドッグランでウチのワンコが走ってる………」しかし、私はつい感慨に浸って、今回もその様子を撮りそびれてしまいました。

そうしているうちに、狛はバテてしまいました。 スタミナ切れというか、太り過ぎです。 そんな彼らは、ドッグランで居合わせた飼い主さんにおやつをいただいたりもしました。特に喰い意地が張っている波は彼らにおかわりを要求し続け、その袋が空になるまで付きまとっていました。
波と狛がこちらのドッグランのことをすっかり気に入ってくれて、そんな彼女らを私もまた連れてきたくなったのですけど………

残念ながら、3月いっぱいで閉鎖されてしまいました。 経費削減のために切り落とされたのでしょうか?それとも、利用者と何らかのトラブルでもあったのでしょうか? いずれにしても、私たちにとってはこの日が最初で最後ということに。住宅展示場の片隅で、週末だけ開放されていたドッグラン。3月はその翌週まであったのですけど、その日は雨だったので実質的には私たちが行った日が最後となってしまいました。

実は私たちがこの住宅展示場にやって来たのには、ドッグランの他にはもう1つの目的があったのですよ 「それって何?気になる~」と、皆さんをモヤモヤさせつつも、次回に続けさせていただきます。



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初めてのパスフィールド

2020-04-15 01:51:44 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

3月20日に私がたどってきた順路は行き当たりばったりではなく、事前に調べたりして決めました。 ただし、それらの場所での滞在時間などは適当でしたけど。 そして、私がとともにその日の最後の目的地として向かったところは………

掛川市の茶畑の中に看板がある、パスフィールドというドッグランでした。 私は以前からこのドッグランのことが気になっていたのですけど、ようやく行くことができました。 今回はお仲間と待ち合わせたりはしていないものの、一緒に遊んでくれるワンコがいるといいですね。

さあ、その入口までやって来ましたよ ただし、こちらはオーナーや管理人は常駐していなくて、セルフ方式となっております。 いちおう洗い場はあるのですけど、トイレや自動販売機は見当たりませんね。 聞いた話によると、それらは隣の舗装会社のものを借りられるそうです。

セルフ方式とはいっても、ここ以外で何らかのトラブルがあって廃止されたところが多々あるので、ルールやマナーはしっかりと守らなければなりません。 そうしたら………

説明書きにもあったのですけど、利用料が1家族で500円とは、なんてリーズナブルなのでしょうか ただし、おつりは出ないので、あらかじめ必要な金額を用意してきてください。それから電子マネーにも対応していないので、お気をつけくださいませ。

そうしたら、いよいよドッグランに入りますよ こちらは茶畑に囲まれた環境の中にあります。ときどき隣の会社からダンプが行き来する以外は、静かです。

また、山肌を削ったところにも面しているので、ワンコを遊ばせながら断層を観察することもできます。 地層マニアの方は喜ぶかも知れませんね。こちらは掛川市にあるので、カケニアンとでも呼んでおきましょうか?
そうそう、ドッグランのほうは………

う~む……… 誰もいませんね。 波はドッグランでは走らない主義で、狛も気の合うワンコがいないと気分が乗らないので、せっかく広いドッグランに連れてきたのに、あまり喜んでもらえないかも。

………なんてことを心配していたのですけど、そうはなりませんでした。 彼女らにとってはこのドッグランは居心地がよかったみたいで、各々が悠々自適に歩き回っていました。

そうしたら、今度は備え付けのフリスビーをお借りして、狛の目の前で投げてみることにしましょう ワンコを飼っている身としては、フリスビーの空中キャッチに憧れます。 それはムリだとしても、せめて「もってこい」だけでもしてくれたら………

「それいけ 」私が投げたフリスビーを追って、狛は勢いよく走っていきました。 よしよし。

ところが、そいつを捉えてからはその場で前足でガリガリやるだけで、こちらには持ってきてはくれませんでした。

一方の波は、狛ほど真剣ではなかったものの、彼と一緒にフリスビーを追ってくれたみたいです。これはちょっと嬉しいです。 そうしたら、今度はゴム製の柔らかいフリスビーにしてみましょう。 こちらのほうは………

いちおう咥えて歩いてはくれたのですけど………

なかなか離そうとはしませんでした。しかも、興奮して「ウ~~~!」とまで言うまでに。 いつの間にか、引っ張り合う遊びになっていませんか?
ドッグランには1時間ほど滞在したのですけど、結局新たな来訪者は現れませんでした。 とはいっても、貸し切り状態でも波や狛にとっては充実していたみたいで、帰りの車の中ではよく寝て、家ではご飯をよく食べて、再びよく寝ていました。 単独でも楽しめたのに、さらに他のワンコが加わったら、どうなるのでしょうか?いずれにしても、また訪れてみたくなりました。


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盛りだくさんの応声教院

2020-04-11 02:46:56 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

3月20日の名所旧跡めぐりの話はもう少し続きます。 その第3弾となる今回は、私はお城から離れて寺院に走りました。 もちろん、そちらにはにもお付き合いしてもらいました。 そのような勢いで、私たちが向かったところは………

菊川市の郊外にある、応声教院(おうしょうきょういん)というお寺でした。 石段を登ったところに構えられている立派な朱塗りの山門は、2代将軍徳川秀忠が母の菩提を弔うために寛永3年(1628年)に静岡市に創建した宝台院にありました。大正7年(1918年)に現在地に移築され、現在は国の重要文化財に指定されています。

その門の両脇を、お寺の檀家が寄進したカエルの石像が固めているのですけど、なんか洒落が効いていますね。

さらにその近くには、こちらも檀家からの寄進ですけど、掃き掃除をする小坊主の石像がありました。

それから山門の正面奥には、本堂が構えられていました。 こちらのお寺は、今から1100年ほど前の斉衡2年(855年)に、比叡山の法主慈覚大師文徳天皇の勅願所として創建しました。 その頃の宗派は天台宗で、お寺の名前は天岳院でした。その後の嘉応元年(1169年)に、比叡山の皇円阿闍梨(こうえんあじゃり)が宿にしていたこともありました。 彼は弥勒菩薩の出世を待って、その教えを受けようとして、御前崎市の桜ヶ池に身を投じた人物でもあります。さらに彼の弟子の法然上人が浄土宗を開宗し、歯吹阿弥陀如来を安置したことから、こちらのお寺の宗派は浄土宗、名前は応声教院と改められました。

その境内には、1対のシャチホコが据えられていました。 これはいったい……… 説明書きによると、これらのシャチホコは本堂が建てられる前まであった仮本堂の屋根を飾っていたそうです。

本堂の手前に、大きな樽のようなお堂があることに気付かれた方はいらっしゃるでしょうか? しかも、その脇には………

ひと昔前の日本酒のCMを思わせるような、ちょっとエッチな女河童の像がありますね。 それと、その隣の赤い前かけをした地蔵は、くまさんでしょうか?なんかカワイイです。 それよりも、樽のお堂の中身が気になるという皆さんに代わって、私が覗いてきます。 そうしたら、そこには………

呑兵衛(のんべえ)地蔵尊なるものが祀られていました。 確かに、姿かたちからして呑んだくれていますね。
このお地蔵様は焼津市出身のある娘さんが寄進したもので、こよなくお酒を愛しながらもこの世を去った父親を慕い、亡父と同じようにして故人となった多くの呑兵衛を供養するために、お地蔵様の建立を一念発起 3年目にして大願成就し、昭和51年(1976年)11月に開眼供養がおこなわれたそうです。

さらにその近くには、さざれ石が。 「君が代」の歌詞にも出てくるさざれ石は、いくつもの小さな石が集まって1つの大きな石になろうとしているもので、パワースポットにもなっているそうです。 システムとしては、「ドラゴンボール」の元気玉と一緒ですね。

それだけではなく、池に向かって放尿する小便小僧ならぬ小便小坊主なるものも造られていました。 それにしても、この小坊主さんの膀胱は無尽蔵ですね。以前はカエルの頭にシューティングしていたのですけど、参拝者から「あんまりだ」という声でもあったのでしょうか?カエルは絶対に当たらない位置に移されていました。「蛙の面に小便」と刻まれた文面が虚しいです。

あとお寺の裏側には、水子供養地蔵尊なるものが鎮座していて、その真ん前には100円を投入すると木魚を叩きながら般若心経を唱えるロボット和尚があったのですけど……… 見当たりませんね。 それは「ナニコレ珍百景」でも紹介され、インパクトありありだったので、またネタに、いや、皆さまにも広めたかったのに………

しばらく探していたら、こんなところにありました。 どうやら、もう壊れ……… いや、僧侶の職から引退してしまったみたいですね。 それでも「あの人は今」的な、現在の姿を見ることができてよかったです。ロボット和尚さん、長い間ありがたい(?)お経を唱えてきてくださり、ありがとうございました。
3月20日の休日出張シリーズは、次回をもって終了となります。 今まではお城や珍コレクション的なお寺など、波と狛には私が好むところに付き合わせてきてしまいましたけど、実は締めの場として彼女らが喜びそうなところを用意していたのですよ。 果たしてその実態は……… 次回の日記までお待ちくださいませ


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難攻不落の高天神城

2020-04-08 02:58:19 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

3月20日の最初の目的地の遠州横須賀を駄菓子屋の焼きそばと小学校のわらじ二宮金次郎像で締めた私・の白黒茶々家の1人と2頭は、次の目的地となる高天神城跡に向かいました。 ともに掛川市の南部にあって、車で20分ほど走ったら………

高天神城が築かれた鶴翁山が見えてきましたよ

こちらのお城は、室町時代に駿河の今川氏が遠江侵略の拠点として築いたとされています。 標高は132mと、山城にしてはあまり高くないのですけど、3方が断崖絶壁となっていたこともあって、難攻不落の城でした。 それに加えて地理的にも戦略的にも重要な場所にあり、「高天神を制する者は遠州(遠江)を制す」とも言われていました。

こちらのお城は南の大手道と北の搦手道から登れるのですけど、今回は裏口となる搦手道のほうから行かせていただきます。

山頂には高天神社が鎮座していて、こちらはその参道にもなっているので、階段が設けられています。 久しぶりに登って(波と狛にとっては初めてなのですけど)、息が上がりそうだと思ったところで………

山頂の手前にある、三日月井戸に行き着きました。 三日月状の窪みに水をたたえたこの井戸は、城の守りには重要な水源となっていました。 時代が移ろって、現代の波と狛もそこで喉を潤そうとしていましたけど、その水の中には赤い金魚が泳いでいて、カエルの卵が産みつけられていました。 ちょっと見づらいのですけど、太い麺状のゼリーの中に黒い粒々があるので、ヒキガエルのものと思われます。読ませてしまってから言うのもナンですけど、カエルがニガテな方にはゴメンなさい。

鶴翁山は上から見ると、2つの峰が並立したHのような形をしているのですけど、まずは高天神社がある西の峰のほうから行ってみます。 神社ということもあって、その手前には………

狛犬が据えられていたので、やはり「狛(犬)と狛」をやっておきましょう これをやる度に、狛はより狛犬に近付いているような気がします。

高天神社が設けられた曲輪(くるわ)の向こうまで続いていた尾根は、防御を高めるために堀切で遮断されています。せっかくなので、そちらに渡ってみますね。

馬場平と呼ばれるこの一角は、南方面の視界が開けていて、そこからは………

遠くに遠州灘の海岸を臨むことができます。 そうしたら、今度は本丸などのお城の主要部がある東の峰に向かいます。

こちらは中世の山城の雰囲気がより現れていますね。 まずは左の方に入っていくと、その突き当たりには………

大河内の石風呂(石窟)なるスポットがあります。 天正2年(1574年)6月に、高天神城が武田勝頼の手に渡ると、それまで徳川家康方の配下で軍監を務めていた大河内源三郎政局は、捕虜としてこちらにあった石窟に幽閉させられてしまいました。 彼は勝頼には断固として屈せず、そのおかげで牢獄生活は長期化しました。8年目となる天正9年(1581年)3月に家康が高天神城を奪還し、政局はようやくシャバに出られたのですけど、足は不自由になってしまったそうです。
平成初期頃までは、こちらに洞穴状の穴があったのですけど、台風で崩落したのでしょうか?現在はこのような姿となっています。

最頂部の本丸跡は、ちょっと広い空間となっています。 そうしたら、高天神城を踏破したことを記念して………

その案内看板と並んで、写真を撮っておきましょう こちらのお城は狛はともかくとして、波にとっても初めてとなります。ということは、私にとっても6年以上もぶりということに。 いずれにしても、令和初ということで。

ちょっと写真では分かりづらいかも知れませんけど、その本丸跡の東側は現在でも切り立った断崖となっています。 きょうしょこうふ……… じゃなくて、高所恐怖症の方はお気をつけくださいませ。 それでも、そのあたりは見晴らしがよくて………

牧之原方面の山々や台地が広がっていて、それらの後方には富士山も臨むことができます。

本丸から南側に1段下った御前曲輪には、なんと戦前までこのようなお城があったのです 高天神城は中世の山城ということもあって天守はなかったのですけど、昭和9年(1934年)に地元の有志たちの手によって、このような2層の模擬建築が建てられました。

しかし、昭和20年(1945年)に落雷によって焼失してしまいました。 当時そのあたりに駐屯していた陸軍が、米軍の標的になるのを恐れて爆破したという説もあるのですけど、真相は闇の中です。 現在はその土台だけが残っているのですけど、その手前には国指定史跡の城跡には似つかわしくない書き割りが設置されています。とはいっても、このようなものがあったら、どうしても顔を突っ込みたく、いや、波と狛を突っ込ませたくなってしまいます

………ということで、やってみました。 今回は私1人で2頭連れてきたので、書き割りの後ろで彼女らを同時に持ち上げるのは、物理的にムリでした。なので、時間差で撮ったものを最新のアプリで合成して、なんとか殿と姫を並べることができました。 いかがでしょうか?似合っているでしょうか? こちらのお城は歴史があり、見晴らしもよくて見応えがありました。
高天神城を堪能した後は、今度は私たちはお隣の菊川市にある仏閣を訪れました。 そちらはいろんな意味でインパクトありありというか、突っ込みどころ満載なのですけど、その様子については次回の日記でじっくりと語らせていただきます。


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遠州横須賀いいトコ、一度はおいで

2020-04-04 02:26:24 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

「もうその話はしないで」とか「もう聞き飽きた」とか言われそうですけど、新型コロナウイルスの猛威はなかなか衰えず、世界全体が出口の見えないトンネルに入ってしまったような感じになってしまいました。 このような時は、休日は家から1歩も出ないようにするのが賢明なのですけど、ワンコを飼っている身としてはそうするワケにはいきません。いや、家でじ~っとしているのがニガテな私に似たのかも知れませんけど、は私が休日に家にいると落ち着かず、一緒に外出することをせがんでくるのですよ。
それならば、人がまばらな田舎の城跡とかならば、感染の恐れはない……… というよりは、かえって安全かも知れません。 そのような流れで3月20日の祝日は、私は朝から彼女らを車に乗せて、出掛けました。

その日最初の目的地は、遠州横須賀こと静岡県掛川市の南部にある、横須賀城でした。

こちらのお城は、武田勝頼の手に渡った高天神城を攻略するために、徳川家康大須賀康高に命じて天正6年(1578年)に築かせました。 その後もお城は拡張され、江戸時代初期に今日見られる規模になり、明治時代に入るまで存続しました。

廃城後、石垣の石はごっそり抜かれ、学校や駅などに転用されたのですけど近年になって復元され、昭和56年(1981年)に国の史跡に指定されました。

ちなみにこちらの三日月池は、かつてお堀だったところであります。

そうしたら、本丸跡を目指して坂道を登っていきますよ

こちらは小丘を利用した平山城ということもあって、すぐにたどり着きました。 その本丸跡には、城址碑が立っていて………

さらに、かつて3層4階の天守が建っていたという天守台が整備されています。 城内で最も高いそこからは………

城下町や遠方の遠州灘を臨むことができます。 横須賀城が築かれた頃は、お城のすぐ近くまで海だったのですけど、1707年10月の宝永地震によって土地が隆起し、海岸線は後退してしまいました。

こちらのお城は梅の名所でもあるのですけど、ちょっと来るのが遅かったみたいで、花はすでに散ってしまっていました。
それから、この横須賀城の西北には………

大須賀康高が菩提寺として天正9年(1581年)に創建した、撰要寺があります。 その山門は、横須賀城の不開門を移築したものであります。 さらにその境内には………

横須賀城の初代城主の大須賀康高と2代目(5代目も)の忠政の墓塔が聳え立っています。

それから横須賀の街中では、廻船問屋で豪商となった清水邸の庭園(入場無料)が現存&公開されています。 池の対岸の建物内では、地元産の甘酒や抹茶ラテなどを味わうことができるのですけど、お昼が近いことですし、私の胃袋はもっと重いものを要求していました。 いや、実は最初から狙っていたのですけど………

私はその近くにある佐々木菓子店という駄菓子屋に入っていきました。 老夫婦が営むこちらのお店では、駄菓子の他にも………

飲食スペースがあって、お好み焼きや焼きそば、焼きうどんを食べることができるのですよ しかも200円台からあって、かなりリーズナブルときたもんだ 3年ほど前に初めて訪れた際には、いきなり特大盛りを注文して、あまりの量に驚いてしまいましたけど(それでも完食いたしました)、今回は大盛りとさせていただきます。 それから、肉と目玉のトッピングもお願いします
間もなくして出てきたものは………

おおっ、がっつりいきたい今の私には、ちょうどいい量ですね。 ちぢれた麺は肉やキャベツと一緒に炒めて、ソースで味付けされているのですけど、このあたりのお店では追いソースも用意してくれるみたいですね。さらにその上には、カツオ節と目玉焼きがトッピングされ、紅しょうがが添えられています。
特別な派手さはないのですけど、あと引く美味しさで、箸を止めることなくいってしまいます。 さらにソースを加えると、味にアクセントができていいですね。 それから、半熟の目玉焼きのほうは……… 途中で黄身をつぶして麺と絡めて食べるのが王道なのですけど、私の場合は慎重に白身を削っていき、崩さないように保ってきた黄身を、最後のひと口となった麺と一緒に口に入れて締めるようにしています。
このお店はずっと前から、この地域の子供や部活帰りの高校生などのお腹を満たしてきたのですね。私も近々、またお腹を満たしに来るかも知れません。その時はよろしくお願いします。

あとは横須賀小学校の二宮金次郎像と一緒に写真を撮って、今回の訪問を締めることにしましょう。 金次郎といえば、薪を背負って本を読みながら歩く姿が定番なのですけど、こちらはわらじを手にしたスタイルとなっていますね。これは、彼が小さい頃にわらじを編んで家計を助けたことに由来していると思われます。
遠州横須賀では、(私は)腹ごしらえが済んだことですし、次回は同じ市内にある中世の山城の高天神城を登ろうと思います。



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浜松の白井さん再び

2020-04-01 03:09:57 | その他

こんばんは、白黒茶々です。

3月が終わり、新年度に入ろうとしているところなのですけど、今回も3月1日にあったことを語らせていただきます。 私・の白黒茶々家の1人と2頭は、東大山の河津桜祭りがおこなわれている会場を訪れ………

その一角でヤギとご対面したところで、前回の日記は終わっていましたよね。ということで、今回はそのシーンから始めさせていただきます。 そこには動物とのグリーティングのコーナーがあって、リードで繋がれたヤギなどと触れたりエサをあげたりできるようになっていました。 そんな彼らに、波と狛は大興奮 ヤギは今まで柵越しでしか見たことがなかったこともあって、グイグイと迫っていきました。 
しかし、ヤギのほうはビビったりドン引きするようなことはなく、いたって普通に対応していました。そんな彼(彼女?)をひと通り観察して、納得&満足できたからでしょうか?波と狛はすっかり落ち着き、彼女らの呼吸や脈拍は次第に正常値に戻っていきました。 そのすぐ近くには、杭とロープで区切った小さな馬場が設けられていて………

なんとそこには「志村どうぶつ園」などでお馴染みの、浜松の白井さんがいましたよ とはいっても、今回の日記のタイトルで、皆さまにはすでにバレバレでしたけど。白井家のお母さんこと由紀子さん。背筋が延びていて、乗馬の姿がキマっていますよ

さらに今回は、息子さんの鴻明君迅君も手伝いに来ていて、家族が揃っていました。 そうしているうちに………

迅君がこちらに来て、波と狛を撫でてくれました。 彼はマスクをしていたのですけど、近くで見るとなかなかの男前ですね。 「迅君ですよね?あちらは鴻明君でしょうか?」「はい、そうです」「テレビの白井さんのコーナー、いつも楽しみにしています」「ありがとうございます」その間に、こんな感じの話をしたと思います。

さらに、由紀子さんも馬を引き回しながら波狛ちゃに最接近 その際、馬を初めて間近で見た彼女らは大興奮し、波は構って吠えまでしてしまいました。 「犬を近付けても、(馬は)大丈夫でしょうか?」私は以前、何かのイベントに先代犬の箔を連れていき、そこにいた馬に近付いたら「あーダメダメ 犬を恐がって暴れたらいけないから」と言われたことがあったのでした。 しかし、由紀子さんは「馴れてるから大丈夫です」と仰いました。そういえば、白井家の馬はヤギやワンコと同じ空間で過ごしていましたね。
………なんてやり取りをしている間に、由紀子さんは馬におやつの人参を食べさせたのですけど………

なんと、波と狛が彼(彼女?)が食べこぼした人参をバリボリとむさぼり出したのです 拾い喰いをするなんて、お行儀が悪い ………というよりは、今まで気付かなかったのですけど、波と狛は菜食主義者でもあったのですか

その白井さん家の動物との触れ逢いコーナーには、人参などのエサやりがあったのですけど、500円で馬場を1周する乗馬体験も用意されていました。

馬には乗ってみたいのですけど、その間に波と狛は大人しく待っていてくれるかどうか。 特に波ちゃは単体の馬にも構って吠えをする程なのに、それに私が乗っかったら……… 動物番組の「ポチたま」では、松本君がアクティビティをしている間、相棒のワンコのまさはる君はずっと吠え続けていましたし。 波と狛もたぶん、同じようにするでしょう。それにしても、なぜ吠えたりするのでしょうか?彼女らも馬に乗りたいのでしょうか?
それでも、彼女らのことを気にして乗らなかったら後々後悔しそうなので、思いきって申し込むことにしました。 私が馬に乗っている間は、波と狛のリードは受付けのお姉さん方に預け、「騒がしくしてしまうと思いますけど、よろしくお願いします」と頼んでおきました。

そうしたら、いよいよアクティビティを楽しみますよ 私が馬に乗るのは、22年ほど前の新婚旅行のとき以来ということになります。それにしても、馬の背中は高くて気持ちいい それに加えて、由紀子さんに曳いていただいたので、安心して身を委ねることもできました。
そういえば、波と狛はどうしているのでしょうか?見晴らしのいい馬上から彼女らの様子を見たら……… なんと、お姉さん方が持っている野菜や水をせがんでいるではありませんか しかも、2頭とも私のことは全然気にしていませんし。なみ~、こま~、私はこっちだよ~ 馬に乗ってるよ~

予想外というか、寂しい展開となっていましたけど、それとは別に乗馬のほうは楽しむことができました。 東大山の河津桜祭りは翌週の3月8日まで予定されていたのに、新型コロナウイルスの影響で、この日をもって終了してしまいました。 イベントは抜きにして、せめて河津桜だけでも楽しもうとしても、8日はまる1日雨でしたし。結果的にギリギリセーフとなりましたけど、私はまたしても白井さんたちとお逢いすることができて、とても嬉しかったです。次にこのような機会が訪れるのを楽しみにしています。

白井さんファミリーが出演している「志村どうぶつ園」で園長をやっていた志村けんさんが、新型コロナウイルスで病状が悪化し、3月29日に亡くなりました。 私はドリフターズ世代で、志村さんのことは駆け出しの頃から観てきたので、あまりにショックで彼の死をまだ受け入れることができません。「8時だョ!全員集合」などから発せられた「 カラスなぜ鳴くの」に続く「カラスの勝手でしょ」や、「志村、うしろ~」の常套句(?)、ひげダンス、………などは今でも色褪せていません。それから、じゃんけんの準備段階ともいうべき「最初はグー」を一般に定着させたのも、志村さんでしたし。
あと、「アイーン 」やヘンなおじさん、バカ殿様、………など、彼独自のギャグやキャラクターは、私たちを笑わせてくれました。 地元紙によると、白井さん一家は番組の関係者からの連絡で、志村さんの訃報を知ったそうです。「『スタジオで動物について会話し、ねぎらってもらった。ものすごく温かく、愛を感じる人だった。家族全員大きなショックを受けている』と、肩を落とした。」とも報じられています。  まだ信じられない、信じたくないのですけど……… 志村けんさん、今までいろいろと楽しませてくれて、ありがとうございました。志村さんのご冥福を心からお祈りします。


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