波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

野田城の戦い

2023-01-28 00:56:17 | お城

こんばんは、白黒茶々です。

昨年の最後の波狛日記で決意表明したのですけど、今年は大河ドラマ「どうする家康」の放送に伴って、私は今まで以上に徳川家康に関連する歴史スポットを巡ります。 もちろん、も巻き込んで その今年最初の訪問先は、長篠・設楽原の戦いや野田城の戦いがあった愛知県の新城(しんしろ)市にしました。 矢奈比賣神社霊犬神社で初詣をして、さらに磐田市内の旧見付学校旧赤松家を巡った翌日の1月9日の休日に、私は波&狛とともに………

まずは新城市石田西末旨にある、喫茶ぽあんかさんに立ち寄りました。 こちらでの目的は……… もちろん、モーニングですよ ということで、私にとっての今年のモーニング初めは、新城モーニングとなりました。 お城や旧跡を巡る前に腹ごしらえをするというか、腹が減っては戦ができぬ(?)というか。 とにかく、お店に入りましょう

外観と同様にモダンな造りのその店内は、常連と思われるお客で賑わっていました。 朝の時間帯のメニューはモーニングのみということなので、メインとなるドリンクを選びました。 それから間もなくして………

モーニングのセットが運ばれてきましたよ 半トーストとゆで玉子、バナナが入ったマカロニサラダなどが、コンパクトにまとめられていました。 これらは、コーヒー代の450円のみでいただくことができました。 お腹も心も満たされた私は再び波&狛を伴って、喫茶ぽあんかさんから車で7分程のところにある………

野田城跡に行きました。 こちらのお城は、16世紀の初めに菅沼定則によって築かれました。

規模は小さいのですけど、舌状に張り出した丘陵が谷や沼に囲まれているという、天然の要害を利用しました。 菅沼氏は当初は今川氏に属していたのですけど、松平清康徳川家康の祖父)が東三河に進攻してきた際に、清康の配下に入ることに。 ところが、清康の死後に再び今川氏に寝返ったのですよ それで終わりではありません。今川義元が桶狭間で討死したのに伴って、菅沼家の3代目となる定盈(さだみつ)は、再々度徳川方に寝返ったのでした。 以降は徳川家康のもとで、東三河の重要な拠点となる野田城に就きました。

そうしたら、その野田城の跡を散策しながら、その後の話をいたします。 お城は樹木に覆われていながらも、主要部の保存状態は良く、土塁空堀を見ることができます。
元亀3年(1572年)12月に三方ヶ原の戦いで快勝した武田信玄は、刑部城(浜松市北区細江町)で年を越して、翌年の1月に西上作戦を進めるために2万5000とも3万とも云われる大軍を率いて三河に進攻していきました。 さらに、菅沼定盈が守る野田城を取り囲んだのです。 この時、城兵は500人程しかいませんでした。 一方の徳川家康は、三方ヶ原の戦いによる敗戦によって戦線を維持できるような状態ではなく、後詰をしにくい状態で、援軍を送ることはできませんでした。 どうする定盈

私たちはお城の本丸跡に行き着きました。

その土塁の上には、城址碑が建てられていて………

さらに本丸内には、井戸の跡もあります。
野田城は立地に恵まれ、堅固なお城だったので、武田信玄の軍はなかなか攻め落とせませんでした。 包囲してから1ヶ月ほど経って、信玄は甲斐の金掘り人足を呼び寄せました。 なんと、彼らを使って野田城に横穴を掘らせ、お城の水源を絶つ作戦を取ったのです 追い詰められた定盈は、降伏し開城する決意をしました。 そして元亀4年(1573年)2月16日に、彼は城兵の命と引き替えに、武田軍の捕虜となりました。
信玄は難問をクリアし、新たなステージに進むところだったのですけど……… 彼の病が悪化したことによって、武田軍は甲斐に引き返すこととなりました。 その途中の4月12日に、信玄は亡くなりました。 享年53歳。

前の日記でも触れたのですけど、私は今季初めてのスキーの帰りに、長野県根羽村にある信玄塚に立ち寄りました。

武田信玄の終焉の地としてはいくつかの説があるのですけど、「ねばね」と呼ばれたこのあたりもその候補に挙げられています。 国道153号線の脇には、信玄を供養する宝篋印塔(ほうきょういんとう)が建てられています。

実は武田信玄の死についても、諸説あるのですよ。 野田城の本丸跡の一角には「伝信玄公、狙撃場所」という案内板があって………

お城の南側の谷だったところは、現在は法性寺さんというお寺となっています。その山門は、野田城から移築されたと云われています。

その境内には、わかりやすい案内がありますね。 もちろん、今からそちらに向かいますよ

谷にあるお寺からは、野田城の対岸に上れるようになっています。 そして、私たちが行き着いた先には………

小さなと………

「信玄公が撃たれた場所」という案内板が立てられています。 野田城を包囲していた武田信玄は、城内からの篠笛の懐かしい音色に聴き入っていました。 そんな彼を、お城の本丸から鉄砲の名手の鳥居半四郎が狙撃したのです 銃弾は信玄に命中。 その時のケガがもととなって、信玄は亡くなったとも云われています。

その時に使われたという火縄銃の銃口が、新城市設楽原歴史資料館に保存・展示されています。

しかし、のちに信玄は野田城の開城の交渉に応じていますし、本当に撃たれたのでしょうか? いや、油断していてやられたとなってはあまりにも不名誉なので、必死に堪えて隠していたのかも知れません。 いずれにしても、菅沼定盈らの1ヶ月にも及ぶ籠城は、信玄から残された時間を奪いました。
武田信玄は、「風林火山」の旗を立てて京の都に入る夢を見ながら亡くなりました。

そんな彼の想いを汲んで、根羽村の信玄塚の近くの国道153号線に沿った護岸には、その姿を描いた壁画が設けられています。 とてもいい話のコシを折るようで申し訳ないのですけど………

「風林火山」は武田信玄の旗印の通称で、正確には「疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如く、………」という長いものでした。

あと、武田方の捕虜となった菅沼定盈は、城兵の身代わりとなって切腹する覚悟をしていたのですけど、その後武田勝頼と徳川家康との人質交換の対象となったことから、生かされました。 さらに天正2年(1574年)に家康が長篠城を攻略したのに伴って、野田城を奪還 天正18年(1590年)に家康の関東移封に定盈が付いていき、野田城は廃城となりました。


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磐田市にある明治の学校と邸宅

2023-01-25 02:58:47 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

前回から白黒茶々家の3人と2頭は、磐田市に来ています。 矢奈比賣神社霊犬神社で初詣を済ませた私たちは、まっすぐ帰るのもナンだったので、それらの神社から近いといえなくもないところにある………

まずは、旧見付学校に寄っていくことにしました。 磐田市内には、明治時代初期に建てられた学校の校舎が残っているのですよ

旧見付学校は、明治5年(1872年)に学制が発布されてから2年後に工事に着手され、翌年の明治8年(1875年)に落成 引き続いて開校式をおこないました。 内部は無料で見学できるのですけど、聞いた話によるとワンコは抱っこしていけば一緒に入れるそうです。 しかし、のどちらかだけでも抱えて昔の階段を上がっていくのはかなりキツいので、彼女らには車の中で待機していてもらうことにしました。

その1階には、昔の教室が再現されていました。 木製の机と椅子は子供用のサイズ。それから全ての席には、石盤と教科書が置かれていました。 さらに、昔ながらの足踏み式のオルガンもありましたよ 私は昭和世代なのですけど、小学校の頃にはそのようなオルガンが教室に置いてありました。 係員さんが「自由に弾いていいですよ」と仰るので、さっそく……… 弾ける曲がないので、音だけ鳴らしてみました。

その旧見付学校には、伝酒井之太鼓なるものが保管されています。 前々回の夏目吉信の話の続きになるのですけど、三方ヶ原から逃げ帰ってきた徳川家康は浜松城に入ってから、家臣たちに驚くべき指示を出しました。 「帰ってくる兵のためにも城の門を全て開け放ち、かがり火を焚け 」と。それはヘタをすると、武田の兵にも容易に入られるということに。 そのような状況の中で、徳川四天王の1人の酒井忠次は、太鼓を打ち鳴らしました。 その様子を見た武田の兵は「これは罠に違いない」と判断し、深入りするのはやめたのです。 その時使われた太鼓が廻り廻って、こちらに来たそうです。 実は私が旧見付学校に来たのは、その伝酒井之太鼓も目当てだったのですよ 前置きはこのくらいにしておいて、いよいよその実物を………

………って、ないじゃないですか 以前に来た時には、間近で見られたのに。 ま、まあ、修繕中なら仕方がありません。 復活した太鼓も見たいのですけど、「どうする家康」で酒井忠次役の大森南朋さんが、その場面をどのように演じるのかを、楽しみにしています。

この校舎は増設した階も含めて5階あります。 その最上階の塔屋からは………

見付の町並みや、遠方に先ほど私たちが参拝してきた矢奈比賣神社の杜を臨むことができます。そうそう、せっかくなので(?)、悉平太郎にもやったうそこメーカーの書き初めをこちらでも試してみましょう

この書き初めは、人や動物の名前ではなくてもよかったのですか それよりも、「味付け海苔」って、いったい………

さらに私たちは、旧見付学校からは北西に1,2kmほど行ったところにある、旧赤松家に向かいました。

煉瓦の詰所を両側に持つが、写真映えしますね。 こちらは明治20年代に建てられた、海軍中将男爵赤松則良氏の邸宅の跡です。 さっそくその敷地内に潜入するのですけど、ここから先はワンコ禁止となっているので、波と狛は車の中で休んでいてくださいませ。

その庭には、こちらの邸宅の主だった赤松則良氏の胸像があります。 彼は江戸時代末期に、アメリカへの使節として咸臨丸に乗りました。 さらにオランダで海軍兵制の諸述や造船の技術、法学などを学び、明治以降は政府のもとでその経験を生かしました。 そういえば大河ドラマの「青天を衝け」にはチョイ役だったのですけど、しっかりと出ていましたね。
そんな則良氏ですけど、52歳となった明治26年(1893年)にこの見付の地に本籍を移し、磐田原大地での茶園の開拓に尽力しました。そんな赤松則良氏をうそこメーカーの書き初めにかけてみたら………

こうなりました。 う~む……… 大邸宅に住んでいてお金持ちのイメージがあるのですけど、何かあったのでしょうか?

まずは、先ほどの門の南側に併設されている図書蔵にご案内いたします。 こちらの建物は2階建てで、1階の床は蔵書の保護のために高く造られています。

2階にも入れるのですけど、備え付けの本棚は空となっていました。 そこにあった蔵書は江戸時代初期からの貴重なものも含まれていて、現在は磐田市立中央図書館に保管されています。

他にも蔵などいくつかの見どころがあったのですけど、洞穴好きの身としてはどうしても庭に掘られた貯蔵庫が気になってしまって。 ただし、こちらの中に入るのは禁止されていました。

大きくて立派だったことが想像される母屋は残ってないのですけど、その跡にはその入口部分を模して旧赤松家記念館が建てられました。 気になるその内部には………

赤松則良氏に関する資料や、旧赤松家にまつわる文化財などが展示されています。 さらに、その奥の和室や庭に面した通路に置かれた席では、磐田茶とお菓子をいただくことができて、今回はそれを楽しみにして来たのですけど……… 前回から十ン年もの時を経ている間に、そのサービスは終わっていました。 その代わりといってはナンですけど、その時にはなかった………

記念館を入ってすぐのところに、則良氏の顔ハメの書き割りが設けられていました。 赤松則良氏のなりきり体験なんて、めったにできないことです たぶん、きっと。 皆さんもこちらに訪れる機会があったら、是非やってみてくださいませ



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矢奈比賣神社の初詣で白ふわ祭り

2023-01-21 01:20:00 | 年間行事

こんばんは、白黒茶々です。

年が改まったら、やはり初詣に行きたくなりますよね。 すでに私は、除夜の鐘を突きに行ったお寺と初日の出の帰りに寄った近所の神社で初詣をしてきました。 それらの寺社には申し訳ないのですけど、ワンコも含めた家族全員で、もっと大きくてメジャーなところにも行っておきたくなります。 年越しの準備を始めた頃に「初詣はどこに行く?」という話題となったので、私は迷わずに「矢奈比賣(やなひめ)神社霊犬神社 」と答えました。

矢奈比賣神社は見付天神とも呼ばれている磐田市の神社で、ワンコに優しいこともあって、初詣の時季にはたくさんのワンコ連れで賑わっています。 そういうこともあって、白黒茶々家がそこに初詣に行くのがすっかり定着しています。 さらにその近くには、全国で唯一犬を祀った霊犬神社もあるので、合わせて参拝しておきたいですね。 初詣の話はトントン拍子に進み、みんなの都合が合う正月休み明けの最初の日曜日となる1月8日に………

やって来ましたよ 矢奈比賣神社に。 駐車場の場所によっては境内の入口が変わるのですけど、正面の鳥居の前まで廻ってきました。 その側には、妖怪を退治したという伝説がある悉平太郎の銅像が立って、いや、おすわりしていますね。 そうしたら、せっかくなので………

そんな悉平太郎を、うそこメーカーの今年の書き初めにかけてみました う~む……… 「セレブ」ですか。 彼に対しては筋力系のイメージがあるのですけど、意外と高級志向だったのですね。

それはさておき、本来の目的の初詣に向かいますよ

昨年に銅板の屋根を葺き替え、金色の金具もまばゆくなった拝殿をバックにして写真を撮って、さらに踏み入ったら………

そこには、スピッツ仲間の集団がいましたよ 待ち合わせや出没情報のようなものはなかったのに、参拝する場所や時間が合うなんて。

私たちにとっては、彼らが今年初スピとなりました。 3月頃まで他のスピッツと逢わなかったという年もあったのですけど、これはさい先がいい 今年は例年以上に出逢いや触れ合いがあるような気がしてきました。

箔母さんたつぴと一緒に、拝殿をお詣りしたら………

しっぺいの裸まつりの書き割りに、の顔を突っ込んでおきました 昨年までは色が薄くなっていたのですけど、きれいに塗り直されていましたよ。 今年は白ふわだけではなく、動くしっぺいとも逢いたいですね。 ちなみにしっぺいとは、霊犬の悉平太郎をモチーフにした磐田市のご当地キャラのことで、紅白の縄と赤いふんどしを身に付けています。

その儀式(?)が済んだら、おみくじを引きましょう 野球やサッカー、ラグビーなどの6種のしっぺいみくじも捨てがたいのですけど………

恋愛みくじ犬みくじ金運みくじ、………など、こちらは種類が充実しています。それらの中から、箔母さんとたつぴはお守りにもなる小さな石が一緒に入っている天然石みくじを引いていました。 一方の私は、小さな金色の招き猫が付いてくる、幸福(しあわせ)みくじにしました。ちなみに今年の運勢は「吉」でした。

矢奈比賣神社の参拝が終わったら、今度は霊犬神社に向かいますよ その入口の前にあるアレは………

大きなしっぺいのぬいぐるみでした 大きさといい質感といい、より本物に近いので、一緒に写真を撮れてなんか嬉しいです。

長い参道の脇には、ワンコの絵馬というか、メッセージ(マーキング)が。 それらを解読したり、返事をしたためたり(マーキングの上書き)しながら進んでいったら………

先ほどのスピッツ仲間の集団が、ちょうど帰っていくところでした。 彼らを見送ったら、こちらの神社もお詣りしますよ。

その片隅には、「太郎之碑」と刻まれた悉平太郎2世3世のお墓があります。 やはり霊犬神社に来たら、こちらにも手を合わせておきたいですね。

今回の初詣は途中でテンションが上がったりもしましたけど、順調に終わりました。 やはり年の始めに神仏にお詣りをすると、身が引き締まって通常モードにもスムーズに入れますよね。 その一方で、「せっかくこちら方面に来たのだから」ということで、今回も初詣のあとの寄り道をする気がマンマンでした。 ということで、次回は磐田市内にあるちょっとしたスポットを巡ります。

その前日の1月7日は、箔母さんの誕生日でした。 誕生日ディナーといえば、ちょっと豪華な肉祭りに走りがちなのですけど、白黒茶々家では彼女の希望もあって、すっかり定番となっている七草粥にしました。 ま、まあ、七草粥は年に1度しか食べるチャンスがないですし、ウチは家族全員雑穀の類が好きなので、いいじゃないですか

その代わりといってはナンですけど、そのあとの別バラにケーキを買ってきました。 数種類の中で、箔母さんはカラメルオノアを選んでいました。 それよりも、チューハイのほろよいと一緒に食べるのがなんとも。 とにかく、誕生日おめでとうございます。


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「我こそは徳川家康なり!」と名乗った夏目吉信

2023-01-18 00:56:13 | 人物伝

こんばんは、白黒茶々です。

大河ドラマの「どうする家康」が始まりましたね その記念すべき第1話が放送された1月8日には、浜松城の大河ドラマ館前の浜松出世パークに徳川家康役の松本潤さん本多忠勝役の山田裕貴さん榊原康政役の杉野遥亮さんらを招いて、出陣式がおこなわれました。 私はその観覧の抽選にはハズれてしまったのですけど、ドラマのほうで見守るようにします。 また、昨年最後の波狛日記で誓ったように、今年は「どうする家康」にあやかった名所旧跡めぐりもするつもりです。 その第1弾というか、今年最初の人物伝として、今回は夏目吉信を採り挙げさせていただきます。

夏目次郎左衛門吉信は、永正14年(1517年)に夏目吉久の子として三河国幡豆郡豊坂村(現在の愛知県額田郡幸田町)で生まれました。 彼の肖像画はなかなかなくて、戦国武将カードみたいなヤツとなってしまいましたけど、勇ましくてカッコいいですね 夏目家は代々、徳川家康の先祖となる松平家に仕える家柄で、吉信も松平元康(のちの徳川家康)に付き従いました。

吉信は、永禄4年(1561年)の長沢城(豊川市)攻めで軍功を上げたのですけど、翌年に板倉重定が守る八幡村城を攻めた際には、今川氏の攻撃で元康方が総崩れに。 そこで吉信は殿(しんがり)を務め、国府まで退却する間に6度踏み止まり、奮戦したと云われています。 後に家康からその時の軍労を賞され、備前長光作の脇差を賜りました。
これは4年半ほど前に、と訪れた三河国分寺跡の画像なのですけど、このあたりに八幡村城があったそうです。

ところが、そのまた翌年の永禄6年(1563年)に起こった三河一向一揆では、吉信は家康から寝返って一揆側に加担したのです 吉信は主君への忠誠より、信仰する一向宗を選んでしまったのですね。 さらに、彼と同じように家康から離反する家臣が続出し、家康は三河が分裂する危機に遭ってしまいました。 この三河一向一揆は、「家康の3大危機」に数えられるほどの出来事となったのですけど、どうする家康
ちなみにこちらの画像は、昨秋に私たちが訪れた岡崎城です。

その後、家康軍の攻撃で一揆側は劣勢となり、ある寺(野羽城六栗城という説も)に籠城していた吉信らは、松平伊忠(これただ)隊に不意に攻め寄せられました。 木戸を突破された後、彼らは金蔵に隠れたのですけど、すぐに包囲されてしまいました。 もはや逃げ道もなく、万事休す

 一方の松平伊忠は攻撃する準備をしつつ、家康の命令が来るのを待っていました。 そうしているうちに届いた指令は「そんな状態で殺(あや)めるなんて、籠の中の鳥を殺すようなもの。もう、助けてやれ」というものでした。 主君がそう言うからには、従うしかありません。 伊忠は兵を退き、その場を立ち去りました。
一度裏切った者にも活路を開いてあげるとは、なんて寛大なのでしょうか 私は家康公のそのようなところが好きです。 吉信は家康に恩義を感じ、一向宗とは手を切って彼に従い、その命を尽くす決意をしました。

箔母さんの父母が眠る三方原墓園の一角には、三方ヶ原古戦場の石碑があります。 元亀3年(1572年)10月に、武田信玄は2万5000の軍勢を率いて甲府を出発し、12月に浜松に至りました。 ところが、徳川家康のいる浜松城は無視し、軍を西に進めていったのです その知らせは家康のもとにも届いたのですけど………

「城下を通過する敵に、一矢も報いず見送ったとあっては、武門の名折れじゃ 」と、家康は撃って出ることにしたのです 近年は、兵糧や物資の中継基地となっていた堀江城(現在の浜名湖パルパルの場所)への攻撃を防ぐためだったという説が有力なのですけど、いずれにしても家康には出陣せざるを得ない事情があったみたいです。 この時の軍勢は、織田の援軍も含めて1万1000。この段階ですでに劣勢のようですけど、戦は必ずしも兵の数で決まるとは限りません。
地の利がある家康は、三方原台地の北側にある祝田坂を駆け上がり、武田軍を背後から突く作戦を採りました。 勝つには、これしかない

ところが信玄にはお見通し……… というか彼の狙い通りで、家康を野戦に誘い出すことに成功したのです 信玄は鉄壁な魚鱗の陣で待ち構えていました。 一方の家康は、こうなったら後には引けず、横一線の鶴翼の陣で立ち向かっていきました。 結果は武田軍が快勝 徳川軍は総崩れとなり、家康は窮地に立たされました。 そこに、浜松城での留守居役を命じられていた夏目吉信が家康の危機を察して、25人の手勢を率いて駆けつけてきました。 「あとは我々が食い止めるので、殿はお逃げくだされ 」という吉信の進言に、家康は「留守居役が出過ぎたマネを、儂は単身で斬り込んで、華々しく散ってやる 」かなりムキになっていたからでしょうか?まったく聞き入れようとはしませんでした。

こうなったら、やむを得ない 吉信は説得を諦め、家康が乗った馬を逆のほうに向け、刀のむねで打って走らせたのです。 その際に、家康の兜を奪い取って被ったとも云われています。 さらに「我こそは徳川家康なり 」と叫んで、25人の手勢とともに武田軍の追っ手に斬り込んでいきました。 家康の身代わりとなった吉信らは、全員討ち死に。 夏目吉信享年55歳。

のちに家康の手によって、吉信の故郷の幸田町の明善寺と、松平家にゆかりのある岡崎市の法蔵寺に彼のお墓が造られました。 ちなみにこちらのお寺は、法蔵寺のほうです。

浜松城の北西の、犀ヶ崖古戦場の近くには………

夏目吉信の忠節を讃える「夏目次郎左衛門吉信旌忠碑」と刻まれた大きな石碑があります。 揮毫は、徳川宗家16代で公爵の徳川家達(いえさと)氏によるもの。 吉信は、このあたりで討ち死にしたと云われています。

それからさらに時を経て、家康は大坂の陣に勝ち、天下を取りました。 その時家康は、不祥事で出奔していた吉信の息子の信次を呼び寄せました。 家康は「今日の儂があるのも、そちの親父のお陰。お主の親父のお陰で天下が取れた」と言って彼の罪と再興を赦し、一緒に出奔していた弟の吉次を徳川2代将軍秀忠の家臣に配しました。 この再興した夏目家の子孫から、明治大正の文豪・夏目漱石が出ています。



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スキーシーズンがやって来ました!

2023-01-14 00:26:05 | 年間行事

こんばんは、白黒茶々です。

前回の日記でお正月の三が日が終わって、通常モードに入るようなニュアンスとなってしまいましたけど、実は私の休みは4日まであったのですよ その貴重な休日に何をしていたのかというと……… すでに今回の日記のタイトルに出ている通りで、スキーに行ってきました。 皆さまに季節感を味わっていただきたいので、今回はその話をさせてもらいます。

その日は朝早くに出発するために、さらに早い時間にを散歩に連れ出しました。 彼女らはそのあとのお出かけに期待している様子でしたけど、ゴメンナサイ。 今回は連れてはいけないのですよ。 この埋め合わせは近いうちに必ず~ ………と言いつつ、6時半ぐらいに家を出ていきました。 それから山道の国道に入っていき、途中の道の駅などでトイレ休憩をしつつも………

3時間弱で、目的地の平谷高原スキー場にたどり着きましたよ こちらは南信(長野県南部)にあるスキー場で、私は昨年も来たというか、毎年滑り初めをしています。 そうしたら、さっそく滑る支度をしましょう

お待たせしました。 ………って「待ってなんかいない」ですって? とにかく、スキーウェアを身につけて、いよいよという段階まできました。 ちなみに足まわりは、通常モードのロングスキーにしてあります。この日のスキー場は平日扱いで、駐車場は無料。 リフトのほうも平日料金でしたけど、電気代や燃料費の高騰の影響があったみたいで、1日券は昨年より500円値上げの2500円となっていました。 それでも、まだ安いほうですよね。

そうしたら、リフトに乗りますよ このスキー場では、今シーズンに備えてスノーマシンを新調したみたいですね。

それだけではなく、リフトのイスも新しくなっていました。 これは下がふかふかしていて、座り心地がいいですね。 以前、私のお気に入りで毎年利用していたA高原スキー場は、リフトなどの設備が次々と動かなくなっていっても直す様子はなく、しまいには事実上の閉鎖となってしまいました。 なので、設備投資し続けているこちらのスキー場は、これからも安心して使い続けることができそうです。

ゲレンデは4つのコースがあって、それぞれ傾斜が違うので、変化を楽しむことができます。 左端のDコースはコンディションが整っていなくて滑れないのですけど、3つあれば充分です。 午前中滑りまくってから、お昼を経て………

午後からはミニスキーに履き替えて、ゲレンデに赴きました。

私は50代になり、またさらに歳を重ねて、そろそろ膝が痛くなって体力的にも限界かと思ったのですけど、滑り始めたらテンションが上がっていきました。 こうなったら、次のスキーが楽しみです。 これでもかというほど滑り、身体が冷えきったら………

平谷高原スキー場からは車で4分ほどのところにある、道の駅信州平谷に行きますよ さらにスキー場のリフト券を持っていけば、その道の駅内にある平谷温泉ひまわりの湯にも入れるのですよ

久しぶりの温泉に、身も心も温まりました。 それに、思いっきり足を伸ばせる広さもいいですね。 そうしたら、そろそろ露天風呂のうたせ湯に当たって………

………のつもりだったのですけど、冬の間の露天風呂は閉鎖されていました。 昨年までは入れたのに。 お風呂で転倒したり、寒暖の差でヒートショックを起こした客でもいたのでしょうか?そういうことならやむを得ないので、そのぶん内湯を満喫することにしました。 あとは山道の国道を走って帰るだけなのですけど………

その途中で、根羽村の信玄塚に寄っていきました。 これは別のネタの取材も兼ねているのですけど、どこで出てくるのかは後のお楽しみということで。 とにかく、元亀3年(1572年)の三方ヶ原の戦いで徳川家康軍に大勝利した武田信玄だったのですけど、諸々の事情でここまで退却してきたのですよね。

話はもとに戻って、私にはもう1つお楽しみがあったのですよ それは何かと言いますと、実は事前に「晩ご飯は食べてくる」宣言をしてありました。 そのようにして、向かったお店は………

ステーキのあさくまさんの三方原店でした こちらのお店は昨年の11月に家族と一緒に来たところで、2ヶ月ぶりとなります。

今回はサラダや牛すじカレー、コーンスープ、デザートなどが食べ放題のサラダバー(1408円)にしました。 あと200円ほど課金すればハンバーグも食べられるのですけど、カレーやコーンスープをおかわりしたかったので、敢えてこのメニューにしました。 それでも、豪華ディナーといってもいいぐらいテーブルの上が賑わっていると思いませんか? カレーを4杯弱、コーンスープは3杯ほど食べてから………

別バラへと移行しました たい焼きとワッフルは自分で焼くヤツで、さらにプリンやソフトクリームも持って(盛って?)きました。 さすがにお腹いっぱいになったのですけど、なんとか許容範囲に収まりました。 あ、でも私が1人であさくまさんに来たことは、ウチの家族にはナイショにしておいてください。
※秘め事をブログで日本中に、いや、世界中に発信しておいて、何を仰るのですか!?(編集部の指摘)
それはさておき、スキーシーズンのあとには、私にとってのキャンプシーズンが控えています。 そちらには、波と狛も連れていけますね。 それまでの間は、スキーや冬にしかできないことを満喫する所存にございます。


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新春の幸公園

2023-01-11 01:52:55 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

今年も早いもので、気付いたら10日が過ぎていました。 この調子でいったら、あっという間に年末になりそうなので、なるべく日々を噛みしめるようにしていきたいです。
それはさておき、今回はまだお正月ムードが漂っている1月3日の話となります。年末年始はお雑煮やおせちといったご馳走を前にして、「おしょうバズ」「箱根駅伝」などのような面白くて放送時間の長い番組があるので、家にいることが多くなります。 とはいっても、お正月休み中にをどこにも連れていかないのもナンなので、一緒に広い公園に行くことにしました。 そのような流れで私たちが向かったところは………

県境を越えた隣町の豊橋市にある、幸公園でした。 こちらは4月に雨の中でお花見をしに来て以来なので、7ヶ月ぶりとなります。 最近この公園にサモエドの集団がやって来て、そのメンバーが近くに住んでいることもあって、あわよくば逢えるかも という期待もありました。 とはいっても貴重なお正月三が日に、私たちの気まぐれ(?)に付き合わせるのも申し訳ないので、敢えて待ち合わせたり誘い出したりはしないようにしました。

ちなみに私たちが訪れたのは午前の10時過ぎで、箱根駅伝が復路をスタートしてから長丁場となる中間の時間帯にしました。 その幸公園は、大きな池を中心としたところで………

その畔で写真を撮ったりしながら………

園内を歩いていきました。 それにしても、人やワンコがあまりいませんね。 やはりほとんどの方は、家でのんびりと過ごしているのか、箱根駅伝の中継を観ているのでしょうか?

いや、私たちが滞在している間に、スペシャルゲストが現れるかも知れません。 そうしたら、私たちにとっては今年初スピや初サモとなるので、大いに歓迎しますよ ………とはいったものの、私たちのほうがビジターなので、ゲスト側になるのですけど。

こちらの池には、渡り鳥のユリカモメが飛来していました。 ユリカモメといえば、私は昨年の大晦日に浜名湖佐久米駅でかっぱえびせんをあげたり、頭の上に乗せたりしたのですけど、さすがにこちらの子たちは同じようにはいかないでしょう。 また、獣(波と狛)を近づけて恐がらせてはいけないので、離れたところから観察しました。

そうしているうちに、時計塔の前まで来ていました。 写真を撮りながらゆっくり歩いていったら、30分ほどで池のまわりを1周してしまいました。

これにてミッション、いや、散歩は終了となるのですけど、誰とも逢うこともなく淡々と終わってしまいました。 ま、まあ、久しぶりに運動することができて、波と狛にとっては気分転換にもなったので、ヨシとしておきましょう。

そうそう、こちらに来たら近くのカフェで今年初のモーニングといきましょう ………というつもりで朝ご飯を抜いて来ることも考えたのですけど、そのお店は休みでした。 年の始めからモーニングを食べそびれたら縁起が悪い(?)ので、今回は目的を公園の散歩のみに絞っておいてよかったです。 それでも今度来る時には、こちらで白ふわのお仲間と逢いたいですね。 また、晴天の下でのお花見もしたいですし。巡り合わせもあるのですけど、今度はいい方向に持っていけるようにしたいです。

今回の日記は静かな公園を散歩しただけで終わりでは少し寂しいので、オマケのネタも載せておきます。 毎年お正月になると、SNS上では「うそこメーカー」の書き初めで大いに盛り上がります。 そのHPに名前を入れるだけで、今年の抱負のようなものが出てくるので、さっそく私の名前(ハンドルネームのほう)でやってみました その結果は………

こうなりました ところで「筋肉」って何ですか? 「そんなことも知らないの?筋肉は動物の持つ組織のひとつで、収縮することにより力を発生させる………」のような返事はやめてください。 もしかしたら、私は無意識のうちに筋肉に関わる何かを求めていたのかも知れません。
それはさておき、続いては波の書き初めを見てみましょう

う~む……… 「発展的解消」ですか。 これは、北海道日本ハムファイターズの選手だった杉谷拳士さんが昨年に引退する際の会見で「引退という言葉は使いたくないので、『前進会見』とさせていただきます」と言ったのと同じニュアンスでしょうか?それか、退く勇気みたいなものとか? いずれにしても、単純なようで実は奥が深い言葉です。 波ちゃ、なかなかやりますね。
あとは、狛だけです。 年の始めに、彼はどんなメッセージを発するのでしょうか?

え~と……… 今一番したいことというか。 そう、まわりを気にしないで包み隠さずにここまで正直に言える人、いや、犬はなかなかいません。 彼の名前にはケモノヘンが入っていますし。 この書き初めからは「野性的であれ 」という狛ちゃの意志がひしひしと伝わってきます。
編集長さん、寸評はこんな感じでよろしいでしょうか?

とにかく、波狛日記の中でもお正月の三が日は終わったので、これから通常モードに入っていきます。 非日常もいいのですけど、日々の生活の中で当たり前のようで実は当たり前ではなかったということも見つけていきたいです。



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年越しの様子、お伝えいたします。

2023-01-07 01:45:44 | 年間行事

こんばんは、白黒茶々です。

2023年が明けて三が日が過ぎ、皆さんはそろそろ通常モードに戻っている頃でしょうか? しかし、波狛日記でお正月ネタが1話だけでは寂しいですし、毎年触れているので、今回は白黒茶々家の年末年始の様子をお伝えします。 ざっと言ってしまえば、例年と同じようなことをやったのですけど、まったく一緒ということは決してないハズです。 ということで、話は昨年の大晦日にまでさかのぼります。

その日は午後から1年の垢を落とすために、家族全員で展望大浴場のある施設に向かったのですけど、その途中にある天竜浜名湖線浜名湖佐久米駅に寄っていきました。

こちらの駅は「ゆるキャン△」のモデル地にもなったことがあって、各務原なでしこ志摩リンが来たことがあるのですよ その話の中にも出てきたのですけど、毎年冬場になるとこちらには………

渡り鳥のユリカモメの大群が飛来してくるのですよ 今年も逢うことができて、嬉しいです。

そんな彼らには、手土産としてかっぱえびせんを持ってきました。 飛んできた子に直接手渡すのはもちろんのこと………

頭の上に乗ったり………

腕にも乗ったり、と。 この姿は鷹匠ならぬ、鴎匠ってトコでしょうか

さらには、頭の上と腕の両方に乗ったりもしました。 駅の近くの寿司屋の店主が根気よく餌付けしたみたいで、年々人に馴れてきているように思えます。 調子に乗った私たちはユリカモメの胸の羽毛も触らせてもらったのですけど、ふかふかで気持ちよかったです。

さらに私たちは、そこから車で15分ほどのところにある、国民宿舎奥浜名湖さんに向かいました。 展望大浴場がある施設というのは、こちらのことだったのですよ

国民宿舎奥浜名湖さんでは、宿泊客ではなくても520円で日帰り入浴ができるのですよ さらに、小高い丘の上の最上階ということもあって、ゆったりとお湯に浸かりながら気賀の町並みや浜名湖を臨むことができます。

そのお風呂から出てきた頃には、浜名湖に沈むこの年最後の夕日が。 前の年は黒っぽい雲から雪が舞う天候だったので、久しぶりにこの光景を見ることができました。

家に帰ってからは、「紅白歌合戦」を 観ながら年越しそばを食べるのが定番となっています。 今年の紅白は出場者の選考などに賛否両論あって、観るのをリタイアする方もいらっしゃったみたいです。 それでも、ウチはまだ気になる歌手の比率のほうが多いので、最後まで見守りました。 とはいっても、それが終わったら慌ただしく家から出ていきました。 しかも、今回は家族全員で。 そのようにして、私たちが向かったところは………

隣町にある本果寺さんでした。私は毎年行っているのですけど、こちらのお寺は檀家ではなくても除夜の鐘を突かせてもらえるのですよ しかも先着108組には、破魔矢のプレゼントも 今回は早めにこちらに赴いたこともあって、余裕で新しい破魔矢を手にすることができました。

その鐘を突いているのは、たつぴです。 今回は箔母さんが早くから参加表明したこともあって、彼も自動的に付き合わされることになりました。 おかげで、家族揃って年越しの瞬間を迎えることができました。

さらに、私たちはお寺の本堂を参拝しました。 今回は樽酒や玉こんにゃくの振る舞いはなかったのですけど、無料でおみくじを引くことはできました。 ちなみに、箔母さんとたつぴの今年の運勢はともに吉。 私は末吉でした。 
その後に続く初日の出や近所の神社での初詣は、前回の日記に記した通りです。

そして元日のお昼過ぎになって、お待ちかねのおせちとお雑煮が食卓に並びました。 今回は食材の高騰や品不足もあってかなり厳しかったのですけど、箔母さんが頑張ってくれて、ここまで揃えることができました。

それらの中をよく見てみたら、小さめのおせちがありました。 これはいったい………

………なんて言ってみたのですけど、毎年やっていますし、その中身からしても、皆さまにはもうおわかりでしょう? そうです 波と狛のために用意した、ワンコ用のおせちなのです。 とはいっても、縁起や駄洒落からくるようなものは一切なく、犬缶やおやつを盛ってそれっぽく見せているのですけど。それでも、彼女らは大喜びしてくれました。

食べやすいように取り分けておきました。 それにしても、食べ物への向き合い方がハッキリと別れていますね。 狛ちゃは私に「早く『よし 』の号令を出してよ」と目で訴えています。 一方の波ちゃは、獲物のおせちを凝視しております。

そんな両者は、私の「よし 」とともに勢いよく喰らいつきました。 あっという間に平らげ、元日の宴はすぐに終わってしまったのですけど、少しはお正月気分を味わうことができたでしょうか? とにかくこの勢いのまま、今年も張り切っていきましょう


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2023年の幕開けなの~!

2023-01-01 15:46:49 | 年間行事

新年明けましておめでとうございます、白黒茶々です。

年が明けて、2023年となったので………

ともども、皆さまにご挨拶………

申し上げます。 はい、今年の干支はきつね……… ではないのですけど、北海道日本ハムファイターズのマスコットキャラクターのフレップフレップ ザ フォックス)になってみました 昨年はその球団を飛び越えて「きつねダンス」が大ブレークしましたね。 今春は、ファイターズの新たな本拠地となるエスコンフィールド北海道がオープンします。 そちらでも、きつねダンスが大いに踊られることでしょう。 今年はきつねダンスはもちろんのこと、ファイターズの活躍も期待しています。

話は変わって、お正月らしい風景を探しに……… というか、もうすっかりお約束となっているのですけど、湖西市内にある国指定特別史跡の新居関所にやって来ました。 年末になるとこちらの大御門には、文献をもとにして地元の有志たちの手によって、江戸時代のしめ飾りが再現されるのですよ

門の左右にはそれぞれ異なるおそ松……… じゃなくて、雄松と雌松を使用した門松が置かれ、梅の枝やセンリョウが添えられています。 さらに、双方に立てられた高さ6m程のササの間にはしめ縄が架けられ、「おたれ」と呼ばれる短い縄が何本もたれ下がっています。

そうしたら波&狛と一緒に、迎春ムードに包まれたその門を潜っていきましょう

我ながらいい感じにキマったのですけど、固定しておいたカメラで自撮りしたので、それらを回収するためにまた門の前まで戻ってこなければなりませんでした。

新居関所は、年末年始の休みに入っていました。 ちなみに関所は慶長5年(1600年)に徳川家康によって設置されたのですけど、地震や津波などの影響で移転し、現在あるところは3つ目の場所となります。

近年までその正面にあった関所跡を示す石碑が、このようなところにひっそりと置かれていました。 確か大正時代に立てられたと思うのですけど、「史蹟 新居關趾」という表記もかなり古いですね。

さらに、話は令和5年(2023年)の1月1日の朝にまで飛びます。 この日は初日の出を見るために、近くの海岸まで歩いていきました。 毎年見る風景ですけど、そこに至る道には路駐の車が連なっていました。

家から5分ほどで、海岸にたどり着きました。 そうしたら、すでにそこにはたくさんの人が集まっていました。

今回は、箔母さんたつぴも一緒に来ていました。 彼女らのためにも、いい初日が見られるといいですね。

波と狛もご苦労様。 日の出まで、もう少し待っていてくださいね。

そして、6時58分に東のほうの海岸から、初日が上がってきました

波と狛も、その風景の中に入ってくださいませ

今回は少し雲がかかっていたのですけど、昨年よりはいい感じで水平線から初日が出てきました。 そいつを拝んだら、家に帰るのですけど………

せっかくなので、いや、地域の氏神様なので、近くの神社に初詣に行っておきましょう。 石段を上がっていった先にある拝殿で………

私たちは家内安全や商売繁盛、世界平和などを祈願しました。 こちらは小さい神社なのですけど伊勢神宮の系列なので、大いに有り難みがあります。 その神聖な場所に、2頭の白いお供を連れてお詣りいたします。
こんな私たちですけど、今年もよろしくお願いいたします。



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