波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

関ヶ原の戦いの結末

2014-11-29 00:46:39 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
今月16日の日曜日は、私・箔・波は岐阜県の関ヶ原にいました。 古戦場関連の史跡を廻りつつ、ココカフェで戦国武将メニュー(?)を平らげ、これから後半戦に突入するところです。 そのような流れで、まず私たちが向かったところは………



石田三成が陣を置いた笹尾山でした。 その麓には島左近の陣があったみたいですけど、現在そのあたりには竹矢来や馬妨柵が復元されています。それらに加えて、たくさんののぼりも立っているので、陣地の雰囲気がよく出ています。



その笹尾山は、いい感じで紅葉していましたよ。 おかげで私の気分が高揚するという効用がありました。



それはさておき、こちらの山を登っていくことにしましょう。 麓から5~7分ほど山道を歩いていったら………



山頂の石田三成の陣跡にたどり着くことができました。 木陰に大きな石碑があって、独特の雰囲気がありますね。



その先には大きなのぼりと、ちょっとした展望台が設けられていました。 そこからは………



すみません、なぜか展望台から写真を撮ってなくて、こちらは一段下がったところからの眺めとなります。 それでも視界が開けていて、石田三成はいいところに腰を据えたと、つくづく思います。 あ、さりげなく脇に写っているのは、私の昼食です。やっぱり戦の場で喰うのは、握り飯に限ると思って。そいつをほおばりながら、関ヶ原の戦いの流れを説明いたします。

徳川家康率いる東軍と石田三成の西軍は、関ヶ原で激突 当初は西軍のほうが優位に立っていて、それに苛立った家康は自らの軍を激戦地から程近いところに移動しました。 しかし、戦況は思わしくなく……… 家康といえば、冷静沈着なイメージがあるのですけど、このときはかなりイライラしていたそうです。 爪を噛むクセが出たり、雑兵の旗指物を刀で斬り落としたり。あげくの果てには、「こんなときに、信康がいてくれたらなぁ………」とグチを言う始末。 信康とは、箔波日記でも触れたことがあるのですけど、織田信長の命令によって殺処分させられた家康の長男のことです。



その一方で、西軍に属していながらも、家康と密約していた小早川秀秋は、なかなか動くことができませんでした。「小早川の小わっぱは、何をしておる 」沸点に達した家康は、そこで思いきった策に出たのでした。それは……… 秀秋がいる松尾山に、催促の意味を込めて威嚇射撃をするというのです。「撃てっ!」ダダダダン

「あ、あわわわ………」
その勢いに押し出されるように秀秋の軍は松尾山を降っていき、麓にいた脇坂安治らの軍と一緒になって、石田三成の盟友の大谷吉継隊を撃破 吉継を自害に追い込みました。

………といいところなのですけど、戦況が一変したので私たちのほうも移動することにします。笹尾山を降っていったら………



そこから程近いところに、旧関ヶ原北小学校がありました。そこは現在、なぜかヤギ牧場となっていましたよ。 ちょっと合戦から脱線しますけど、そのヤギたちに挨拶しておきましょう。



珍しい生物に、箔は興味津々のご様子だったのですけど………



これまで無敵と思われていた波は、ビビっているご様子。 まさに波、敗れたりです。



廃校と同じ敷地内には、馬妨柵風のものに守られるようにして、関ヶ原笹尾山交流館があります。今回の私は箔と波を連れていることもあってその中には入らなかったのですけど、そちらでは甲冑の貸し出しもやっているみたいです。
それよりも、石田三成がとんでもないことになっていますよ。 等身大パネルとなった赤髪の武将は、ゲームやアニメに出てくるものと思われるのですけど、実物はこうではなかったのではと。それでも、こちらのキャラクターが歴史に興味を持つきっかけとなったという方も多々いると思うので、またこれもアリかと。



そして、旧関ヶ原北小学校をそのまま南下していったところには………



関ヶ原古戦場の決戦地があります。歴史関係の本などで「関ヶ原古戦場」といって、よく貼付されている写真がこちらの石碑なのですよ。 ちなみにこちらは、東軍の諸隊が石田三成の首を狙って激戦を繰り広げた地なのですよ。
小早川秀秋の寝返りによって形成は逆転し、西軍は総崩れとなり、そちら側の諸将はことごとく敗走 関ヶ原の戦いは、開戦から6時間後の14時頃には勝負が決まり、東軍の完全勝利で幕を閉じました。

戦いは終わったのですけど、私たちの合戦関連の史跡探訪にもう少しお付き合いくださいませ。 三成軍の笹尾山から決戦地をはさんだ東側には………



いきなり目的地にワープとはいかないので、少しばかりそこに至るまでの経路を歩んでいきますよ。 見学者用の駐車場に車を止め、さらに竹やぶの中の坂道を登っていったら………



黒田長政竹中重門が布陣した岡山烽火場に行き着きます。黒田長政は、現在NHKで放送されている「軍師官兵衛」で松坂桃李君が演じている役柄で、黒田孝高(如水)の嫡男でもあります。また、竹中重門は竹中半兵衛の後取りで、関ヶ原一帯は彼の領地でもありました。それから、烽火場はのろし台のことで、こちらから開戦を報ずる合図が送られたりしました。



そこからは見晴らしがよく、関ヶ原を一望することができます。 烽火場ということもあって、戦況を掴みやすい場所に設けられたみたいですね。



あとは、石碑と一緒に記念撮影をしておいて………



関ヶ原では最後の目的地に向かいますよ。 関ヶ原町歴史民族資料館や陣場野公園から徒歩7分ほどのところに、朱色の門などが設けられた東首塚というところがあります。ちなみにこちらは、先述の竹中重門が合戦後に、戦死した兵士たちを東と西の二ヵ所に分けて埋葬したうちの東のほうです。



現在そこは小公園となっていて、林の中にこれもまた重みのある「史蹟関ヶ原古戦場 東首塚」の石碑や………



「首洗いの古井戸」という物騒な名前の井戸があります。波がその井戸が気になる様子ですけど、生首が踊っているのが見えるとかいうのは、やめてくださいよ。



その東首塚に隣接するようにして、松平忠吉井伊直政の陣跡があります。 合戦の勝負がついたあと、徳川家康隊を突っ切って退却していく島津軍を、彼らは深追いしていきました。しかし返り討ちに遭い、二人とも深傷を負ってしまいました。井伊直政はその傷がもとで亡くなったとも云われています。

敗軍の将となった石田三成は、伊吹山中を逃亡中に田中吉政に捕縛され、小西行長、安国寺恵瓊らとともに六条河原で処刑されました。同盟、密約、裏工作……… 関ヶ原の戦いは、戦闘が始まるから勝負がついていたのかも知れませんね。そして、合戦当時に徳川方についていた戦国大名は優遇され、楯突いたものは減封や左遷、島流し……… と、厳しい仕置きを受けました。それによって全国の戦国大名の運命が決まったことから、関ヶ原の戦いは「天下分け目の戦い」とも言われています。

関ヶ原町内には、諸将の陣跡などの古戦場関連の史跡が点在していて、それらを廻っていくとスタンプラリーをしているような楽しさがあるだけではなく、合戦を点から面、さらには物語として捉えることができます。 この日ワンコ連れはウチ以外は見かけませんでしたけど、今ぐらいの時季なら、紅葉を見ながらレンタサイクルで廻るのもいいですね。今 回私たちは、関ヶ原は初心者ということで基本となるビギナーコースを廻ってみたのですけど、次回は松尾山や関ヶ原ウォーランドに行ったり、甲冑を装着したりしてみたりしたいですね。では、合戦で亡くなった方たちに手を合わせてから、次の目的地に向かうことにしましょう。 その目的地とは………

場面を尾張一宮に移し、今度はそちらでワンコの箔や波が一戦交えるのですけど……… 言ってしまえば、シェルティ&スピッツさん家モコちゃんルルちゃんをはさんで、波をけいママさん家のゆめちゃん夢来君ら親きょうだいと逢わせるというのですよ。 果たして、感動的な再会劇となるのでしょうか?その様子については、次回お伝えします。


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関ヶ原といえば、やっぱり古戦場ですよね

2014-11-26 00:27:57 | お出かけ
こんばんは、白黒茶々です。
突然ですけど、皆さんは「関ヶ原」といったら、何を連想されるでしょうか?「関ヶ原鍾乳洞」。確かに、あそこには有名な洞窟がありますね。自称、洞穴愛好家の私も、いつかは行ってみたいと思っていますよ。 お次は……… 「関ヶ原ウォーランド」ですって かなりマニアックというか、通ですね 私はまだ行ったことはないのですけど、そこに一度でも踏み込むと、強烈な構造物がいつまでも脳裏に残り続けるみたいです。 あとは……… 「関ヶ原古戦場」。よくぞ仰いました かつてその地では、歴史を動かすほどの大きな合戦があったのです。



ちなみに、関ヶ原の戦いとは………
慶長3年(1598年)に、天下人だった豊臣秀吉は息子の秀頼を遺して、亡くなりました。その後、彼の重臣の徳川家康石田三成は対立し、豊臣家の配下の諸将は、家康側の武断派と三成側の文治派に分かれていきました。そして、慶長5年(1600年)に関ヶ原で家康率いる東軍と、三成率いる西軍とが全面対決をしたのでした。 それが世にいう「関ヶ原の戦い」なのです。

私は今まで、三方ヶ原古戦場(静岡県浜松市)、桶狭間古戦場(愛知県豊明市)、長久手古戦場(愛知県長久手市)、姉川古戦場(滋賀県長浜市)、川中島古戦場(長野県長野市)には行ったことはあるのですけど、関ヶ原はまだでした。ただし姉川は、バスの車窓から見ただけでしたけど。 なので、関ヶ原もそのうちにとは思っていました。
それが最近になって、「磯田道史の目からウロコの新事実!郷土の HERO 家康」という静岡のローカル番組で関ヶ原の現地リポートをやっているのを観ているうちに、私の古戦場熱に火がついてしまいました。 嗚呼、関ヶ原へいざ行かん そうと決まったら、日程や移動手段も調整して……… もちろん、箔や波にも付き合ってもらいますよ



そして、スピッツクラブ展覧会から1週間後の今月16日に、その計画は実行されました。今回は私一人で箔と波を率いていきながら、関ヶ原に点在する古戦場の痕跡を廻りたかったので、車に乗っていきました。 まずは、東名高速道路の上郷サービスエリアで一休みしておきましょう。
さらに私は高速道路を西に進んでいき、自宅を出てから2時間半ほどで関ヶ原ICに至りました。
そこは岐阜県不破郡関ヶ原町。関ヶ原古戦場を目当てにしているなら、最初に町の中心地にある関ヶ原町歴史民族資料館で、合戦の全体像をつかんでおきたいのですけど………



まずは、関ヶ原ICから程近いところにある桃配山(ももくばりやま)から見ていくことにしましょう。 ちなみにこちらの小高い丘は、関ヶ原の戦いの際に徳川家康が最初に陣を構えたところです。
672年の壬申(じんしん)の乱で、大海人皇子(だいかいじん……… ではなく、おおあまのみこ、のちの天武天皇)が将兵の士気を高めるために、大量に購入した山桃を全員に配り、見事に勝利したことから、この名前になったそうです。さらに、家康も縁起をかついでこちらに陣を置いたと云われています。



その道路をはさんだ向かい側には、見学者用の駐車場が設けられているので、車でも行きやすいです。



そうしたら、さっそくその山に登っていきますよ 東軍の総大将が布陣するほどの山だから、難攻不落でかなり険しい………



………と思いきや、麓から5分もかからないうちにたどり着いてしまいましたよ。 私たちの視線の先には………



「史蹟 関ヶ原古戦場 徳川家康最初陣地」という立派な石碑が建っていて、古戦場の雰囲気が出ていました。 その傍らには、合戦時に家康が使用したと云われている机石と腰掛石なるものがあったので………



実際に、箔と波に座ってもらいました。 彼らは、総大将の気分を味わうことができたでしょうか?しかし、あとになって考えてみたら、彼らが尻下にしていたのは机のほうでした。 やや低めの腰掛けのほうはその向かいにあるのですけど、実際にそのテーブルセットに着席すると、戦場を背にする格好になってしまうのですよ。



桃配山は、気軽に登山できてしまうところではあるのですけど、そこからは見晴らしがよく、すぐ眼下にはに東海道本線の在来線がひっきりなしに往来する様子を見ることができます。
慶長5年(1600年)9月15日の前日から早朝にかけて、関ヶ原には東軍と西軍の諸将が布陣しました。しかし、その日は朝からあたり一面が濃い霧に覆われていて見通しが悪く、両軍ともなかなか動くことができませんでした。 「戦う気マンマンなのにぃ~、早く晴れろ、霧~ 」

それでも、8時くらいになったら視界が開けてきて、待ってました とばかりに東軍の井伊直政隊が西軍の宇喜多秀家隊に攻撃を仕掛け、戦いの火蓋は切って落とされました。総勢8万4千の西軍に対して、東軍は7万4千人。当初は山や丘などの地形をうまく押さえた西軍が圧倒的に優位でした。

「この展開なら、どっちに付いたらいいものか………」
と迷っていたのは、関ヶ原を一望できる松尾山に陣取った小早川秀秋。彼はいちおう西軍に属していながらも、家康との密約で彼のほうに味方することになっていました。しかし、負けてしまったら元も子もないので、なかなか動くことができませんでした。

不利な戦況に苛立った家康は、陣を戦の中心地の近くに移動させました。 なので、私たちのほうもそちらに移動します。



家康隊が次に布陣したのは、陣場野というところです。そこは見晴らしのいい小高い丘のようなところではない平坦地で、現在は公園となっております。



家康の床几場だったところは、江戸時代になってから神君家康公ゆかりの聖地として整備され、記念碑を石垣で固めたうえに、まわりを土塁で囲ったりもしました。 そしてその両脇には、白い狛犬……… ではなく、スピッツが。



そこは陣が置かれただけではなく、戦のあとに首実験もおこなわれたそうです。 それにしても今からすると、昔の人は生首相手に野蛮なことをしていましたね。



そこで箔はなぜかブンブンをし始めました。 まさか、彼には生首の空中遊泳でも見えたのでしょうか 頼むから、妙なものを呼び寄せるのはやめてくださいよ。 いやただ単に、私が括り付けたリードを外しに来たのを喜んでいただけなのかも知れません。



怖くなったからというワケではないのですけど、いったん陣場野公園から出ます。 そこから程近いところにある田中吉政陣跡を見ながら東のほうに歩いていくと………



先述した関ヶ原町歴史民族資料館に行き着きます。こちらには、関ヶ原の戦い関連の資料だけではなく、臨場感あふれる解説付きの大型ジオラマもあり、合戦の全体の流れをつかむことができます。 また、併設されているミュージアムショップでは、おもに関ヶ原の戦いに関わった戦国武将関連のグッズを買うことができるのですよ。
それだけではありません。その施設の玄関前には、私の好きな書き割りもあるのですよ やはりここは………



箔波ちゃんに装着してもらいましょう まず現れたのは、箔川(はくがわ)家康にございます。彼と全面対決するのは………



石田三波(みつなみ)であります。なんか、いろんな意味でハマっていますね。

しかし、資料館の中にまでは一緒には入れないので、彼らが踏み込めるのはここまでです。 それでもこれまでの史蹟探訪で、彼らはそこそこ疲れていて休みたいモードになっていたこともあって、自ら進んでクレートの中に入っていきました。さらにそいつを車の中にイン そうしたら、彼らが休憩している間に、私は資料館をじっくりと観るとにしましょう。 このようにすれば、お互いにムリすることなく別行動ができるので、食事の際にも応用できますね。………なんて言っていたら、小腹のほうも空いてきたので………



先ほどの資料館から北に7分ほど歩いていったところにある、ココカフェに入ることにしましょう こちらのカフェは関ヶ原の決戦地や石田三成が陣を構えた笹尾山からも近く、そのあたりの歴史に詳しい歴女のお姉さんが切り盛りしているそうです。ちなみに私はそのことを、先述の「磯田道史の目からウロコの新事実!郷土の HERO 家康」で知りました。それから「7分ほど歩いて………」などと書いてしまいましたけど、今回は箔と波のためにも彼らがインした状態の車ごと移動しました。

そのお店は、お姉さん一人でやっていることもあって、入ったら先にメニューを注文して会計を済ませ、水とおしぼりを持って座席につくというセルフ方式になっています。 店内には、甲冑やパネルが飾られていて、さらに古戦場関連のパンフレットなどは、ご自由にお取りください状態となっております。とかなんとかやっているうちに、ほら貝の効果音とともに注文した品が出てきましたよ



石田三成の居城だった佐和山城(滋賀県彦根市)の跡の近くの専門店から調達した「三成コーヒー」等のドリンク類を午前11時までに注文すれば、トースト、ゆで玉子、ミニサラダなどが付いても同じ値段というモーニングサービスを受けることができます。 これは名古屋モーニングの勢力が及んでいる岐阜県の流れを組むものでしょうか?



それらに私は「陣地ーズケーキ」をチョイスしてみました。 ベイクドチーズケーキに関ヶ原で採れたベリーのジャムをかけ、さらに戦国武将の旗印を差したもので、ネーミングといいそのお味といい、こちらに来たらぜひ食べておきたい逸品です。ちなみにこちらの蝶々の旗指物は、池田輝政のものですね。

それらを食べながら、歴女のお姉さんと戦国武将の話で盛り上がったのかというと……… 遠慮とテレがあって、そのような話はほとんどできませんでした。 それでも、そのお店が「石田三成を大河ドラマの主人公に」という署名を呼び掛けていたり、その他のメニューにも彼関連のものがあることから、歴女のお姉さんは石田三成のファンだと見受けられます。



それからそのお店の窓からは、紅葉で色づき、のぼりの旗がなびいている石田三成の笹尾山……… らしき山が見えていました。 腹ごしらえが済んだらそちら方面を廻ってみることにします。それから私が語ってきた徳川家康は、陣場野に移動してきてからもイライラした状態のままですし。それらの様子については、次回触れさせていただきます。


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帰ってきた黒ちゃ? ………の続き

2014-11-22 00:29:18 | ニャンコ
こんばんは、白黒茶々です。
説明するまでもないと思うのですけど、先月末の雨の夜に白黒茶々家が近所で黒い仔猫(略して黒仔猫)を保護したところから、話を始めさせていただきます。



私たちはその黒仔猫を家に連れて帰り、まずは水と柔らかいご飯を出してあげました。そうしたら、勢いよく食べ始めたではありませんか やはりかなり餓えていたみたいです。それだけではなく、毛のなかにはノミが潜んでいて、お尻にはウジ虫がいました。 そうしたら、お腹には寄生虫の類いがいるかも知れませんね。あのとき、私たちが保護しないで放っておいていたら、その命はあまりもたなかったでしょう。それでも、「決して悪いようにはしない」という私たちの言葉を信じてくれたのでしょうか?その黒仔猫ちゃんは私たち、いや、特にたつぴに体を寄せるようになりました。
それでも、黒仔猫ちゃんはシャンプー&お湯に浸けてある程度ノミを退治したのちに、獣医さんに診てもらいました。 その結果………

その仔猫はまだ生後1ヵ月半ほどで、性別は男の子。器量もよく、病院では怯えることもなく堂々としていて獣医さんが「捨て猫や野良猫にしては神々し過ぎる」と言うほどでした。



お尻のウジ虫はいちおう駆除できたのですけど、傷になっていて薬も塗ったので、たつぴ手製のエリザベスカラーをやってもらいますよ。 その感覚を味わうのも初めてのハズなのに、彼は物怖じする様子は一切見せず、普通にしていました。

そうしたら、あとはその黒仔猫君の処遇について考えなければならないのですけど……… 本当の飼い主さんが探しているようなら、お返ししなければなりません。 しかし、こんなに小さな子が遠くからやって来るハズもなく、近所の子だとしても、数日前から鳴いていたのに誰かが探している様子もありませんでしたし。こうなったら彼のことは、私たちが判断してもいいでしょう。

………なんて言ってはみたのですけど、正直言って私は最初からウチで飼う気マンマンでした。「死んだ猫は毛皮を変えて帰ってくる」と云われていることもあって、私はどうしてもこの黒仔猫君が黒ちゃの生まれ変わりに思えて仕方がなかったのです。雨の日の日没後に、お腹を空かせてやって来るというパターンもまったく一緒でしたし。ただし、今回はストレートにウチに来れなくて、少し迷ったような……… まあ、それはご愛嬌ということで。

そこまで決まったら、あとは命名ですよ。 しかし、「黒」という黒猫の究極の名前はすでに使っていて、ウチでは永久欠番みたいなものとなっているので、避けなければなりません。そうしたら、墨を転じさせた「澄」や、丸い毛玉→玉→「珠」なんていうのは?う~む、いずれのものも女の子向けの名前ですし、目の前にいる黒仔猫君にはあまりしっくりときません。
………とかなんとか私が悶々と頭を抱えているときに、常日頃「命名はニガテ」と言っていた箔母さんが、考えていた名前をおしえてくれました。 それは………

「蒼(そう)」というものでした。彼女によると「目の奥が青く輝いていたから。それに、私が以前やっていた茶道のお辞儀の用語に『真行草(しん・ぎょう・そう)』というのがあって、(先住猫の)銀や京と名前の響きやバランスが合うかなと思って」というのです。「銀京蒼」の蒼君か、いいじゃないですか このようにして、黒仔猫の名前は、「蒼」に決まりました。



しかし先住猫の銀や京は、蒼のことはすぐには認めてくれませんでした。彼女たちは彼のことを避けて、2階にばかりいるようになってしまいました。 逆に、波は相手が子供だろうと情け容赦なく追いたてようとしますし。みんなが仲良くし、平穏に過ごせるようになるまでは、もう少し時間がかかりそうです。



蒼ちゃが新たに加わったことによって、白黒茶々家は史上最多タイの2ワンと3ニャン体制となりました。また長毛種の猫と関わるのは、白黒茶々家では、いや、実家を含めても初めてということになります。 今は手のひらサイズの彼が、どこまで大きくなるのか?それから、先住猫や犬たちと今後どのように関わっていくのか楽しみですね。読者の皆様、これからも新入りの蒼ちゃのことをよろしくお願いいたします。


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帰ってきた黒ちゃ?

2014-11-21 00:34:23 | ニャンコ
こんばんは、白黒茶々です。
話は今から10年前の10月にまでさかのぼります。 その日は小雨が降っていて、また秋ということもあって、夕方でもかなり暗くなっていたと思います。 そのような状況の中で、ウチに痩せ細った黒猫の仔猫(略して黒仔猫)が迷い込んできました。雨の中でお腹を空かせた黒仔猫が助けを求めてくるというシチュエーションに出くわしたら、救いの手を差しのべざるを得ないじゃないですか その黒仔猫が、黒ちゃだったのです。



それから黒ちゃは、先住猫の茶々の気苦労も気にしないで自由奔放に過ごし、箔が来たときには初めて威嚇する姿を見せ、茶々がいなくなって銀や京を迎え入れてからは半強制的に姉貴分になってもらいました。 そして今年の6月に、最期に仔犬の波がウチの子になるのを見届けてから、虹の橋の向こうに旅立っていきました。

それ以来、白黒茶々家は2ワンと2ニャンの状態だったのですけど、私たちは幼い波の世話に追われる日々を過ごしていました。 また、黒ちゃがいなくなった寂しさはあったものの、新たに猫を飼おうという気にはなかなかなれませんでした。

そんな先月の末ぐらいのこと、ウチの近くで仔猫が鳴いているような声が聞こえてくるようになりました。気になった私や箔母さんがその声の主を探しに行っても、なかなか見つけ出すことはできませんでした。 それでも、声がしたらすぐに外に出るようにはしていました。
仔猫の鳴いている声(略して仔猫声)を初めて聞いてから2日ぐらい経ったときに、いつもの如く私と箔母さんはまたしてもその声に誘われていました。 そして先に屋外に出た彼女は、ついにその姿を見たのです! いたよ 」私は大急ぎで、彼女のもとに向かったのですけど………
「隣の(家の)車が出ていくのに驚いて、どこかにいっちゃった。黒くてモコモコした小さな仔猫だったのに。すぐ手の届きそうなところにいたのにぃ~………」
それ以来、仔猫声は聞こえてこないようになってしまいました。しかし、あまりに小さな仔猫なので、放っておいたら1匹だけではあまりもたないのでは。 せめて誰かに拾われるなりして、生き長らえてくれ。一度姿を見てしまった箔母さんは、私以上にそう思っていたことでしょう。



それからさらに3日後に、再び仔猫の声が聞こえてきました。初めてその声を確認してから5日にもなるのですけど、なんとか生きていてくれてるみたいですね。とはいっても、すでに日は暮れて暗くなっていました。 しかも、小雨まで降っているときたもんだ 期せずして、暗い中で黒猫を探すことになるなんて……… 捜索活動は難航しそうですけど、私は懐中電灯を片手に外に飛び出していきました。 さらに、箔母さんとたつぴも続いて、大捜索となりました。このチャンスを逃したら、もうあとはない その時、みんなしてそう思っていたに違いありません。
仔猫声は、隣の駐車場のほうから聞こえてきました。その声をたよりに、探していくうちに「あっ いた」箔母さんが発見したみたいです。「車の下に潜んでいるよ」と言われても、「ええ、見えないよ」私はなかなかその実態を見ることはできませんでした。 そのうち「本当だ、いたっ」たつぴも見つけることができたみたいです。そして「いたよ」ようやく私もその姿を見ることができました。 それにしても、思っていたよりはずっと小さいではありませんか とにかく、見つけたからには保護にかかります。

しかし、いくら「おいで」と声をかけても、出てこようとしませんでした。 「きっとお腹を空かせているから」と、食べ物でつってみても、警戒しているからでしょうか?まったくダメです。「できることなら、手荒なマネはしたくないのだけど………」私は家からホウキを持ってきて、反対側からつついてみることにしました。 「どう、出てきた?」そうしたら次にその黒仔猫は、箔母さんの手の中にいました。怯えて威嚇しているのですけど、どうやら無事に確保できたみたいです。



………と、いいところで申し訳ないのですけど、黒仔猫のことを語りだしたらあまりに長くなりそうなので、ここでいったん締めさせていただきます。 その代わりといってはナンですけど、保護した直後の黒仔猫の姿を載せておくので、どうかこれでお堪えくださいませ。それだけではなく、今回は更新のペースを早めて、続きは明日公開できるようにします。ということで、次回は黒仔猫のその後の話なので、そちらのほうにもどうかお付き合いくださいませ。


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交流と結果発表とお土産(スピッツクラブ展覧会その3)

2014-11-19 00:14:10 | ワンコイベントの類
こんばんは、白黒茶々です。
今月9日、その日は日曜日ということもあって、横浜そごうはたくさんの客で賑わっていました。 その2階から外の鐘の木広場へ出ていったら………



このような案内書きの向こうに真っ白な風景が広がっていました。 事前にそのイベントのことを知らなかった方は、さぞ驚かれたことと思われます。この機会に、スピッツの魅力にハマっていただけたら、万々歳なのですけど。その向こう側の世界に、私と波は混ざりこんでいました。



いや、横一列に並んでいるヴィヴィアル家の中に、波も混ぜてもらっていました。彼らと行き逢ったら、これをやっておきたかったので。



それだけではなく、プールというかサークルの中にも入れさせてもらいましたよ。だんだんとメンバーが加えられていって密度が増してきても、波はまんざらでもない様子でした。 その中には、ヴィヴィちゃんとアル君のひ孫でもあり、風ちゃんの孫でもあって、蘭ちゃんの娘の、百合愛ちゃんもいました。



こちらは、魅華凛さんに抱えられたバージョンです。 先住犬のシーちゃん(シー・ズー)たちのお洋服を着せてもらっていますけど、百合愛ちゃんはちょうどそのサイズのものが合う大きさなのですよ。



その百合愛ちゃんのきょうだい犬でもあり、最近ロータスさん家の子になった凛ちゃんも、ユキちゃんと一緒に来ていました。彼女たちは用事があって短時間で会場をあとにしてしまったのですけど、無事に箔波チロルを渡すことができてよかったです。
ちなみに、右端のカートに乗っている子はラピスちゃん。今回も彼女には展覧会への出番がありました。



こちらのスピは、今年魅華凛さん家の子になった心君です。彼は大病を患っていたのですけど、手術を経て見事に復活しました。 また彼は、百合愛ちゃんと凛ちゃんのお父さんでもあります。



嵐君(左端)は、豆蔵君(右端)の1つ歳上のお兄さん。小豆ちゃん(真ん中)も含めた3頭揃い踏みの写真を撮りたくて粘ったのですけど、なかなかうまくいきませんでした。



今回も、SKIP君&IVYちゃんと逢うことができました。IVYちゃんは最近、急病で命の危機に遭ったのですけど、緊急手術によって一命を取りとめたそうです。 この日は、何事もなかったかのように、いつもの笑顔を見せてくれました。



とかなんとかやっているうちに、スピクラ展のほうではスペシャルショーの発表がありました。男女各3頭の美スピの皆さん、受賞おめでとうございます。



その次は、幼犬部門の表彰です。栗丸君小夏ちゃん瑠璃花ちゃん、受賞おめでとうございます。



最年少の子の次は、最年長の出番です。15歳になったマリアちゃんは長寿犬として表彰され、13歳のネロ君はシニア部門のほうでメダルを授与されていました。お二方ともいつまでもお元気で。また、何かの機会があったらご一緒してくださいませ。



こちらは、ユニコーン部門の審査風景ですね。出陳犬が横一列に並んでいる姿は、壮観です。



結果発表のほうは、ますます佳境に入ってまいりました。EMS(金賞のオス)は瑠璃君、EFS(金賞のメス)は沙羅ちゃんに決まったみたいですね。ともにおめでとうございます。

そして「MBS(特別賞)は、キラ君マリヴェールちゃん」という発表があったのですけど………
「えっ?うそっ 」マリヴェールちゃんサイトがなぜか慌てている様子でした。 先の審査で出番を終えた彼女はキャリーの中で寝ていて、彼女のマネージャーのLufa mamさんは席を外しているところに、その呼び出しの声があったみたいですね。 しかし、すぐに表彰に出なければなりません。さあ、どうする?



SKIP♪さんがmamさんの代役で出ることにしたみたいで、キャリーからマリヴェールちゃんを引きずり出して脇に抱え、表彰に向かわれました。あれ、マリヴェールちゃん、おパンツをはいたまま表彰に行くのでしょうか?そこですかさず、豆蔵さんがそのおパンツを剥ぎ取っていって一件落着。 彼女らはなんとか無事に晴れ舞台に立つことができたのですけど、その様子を写真に撮ったら、まだ事情を知らないであろうmamさんが戻ってくる姿も写っていました。見ている方にとっても、印象深い表彰となりましたけど、キラ君もマリヴェールちゃんもおめでとうございます。



以上をもって、今回のスピクラ展は終わりました。私は横浜そごうで晩御飯の弁当やお土産を買ってきて、ヴィヴィアル家や魅華凛さん家、yuk @さん家のスピたちが揃い踏みしている姿を見ながら、会場をあとにしました。 この日は他に寄り道する予定がなかったので、そのまま列車に乗って帰っていきました。



長時間の移動や、慣れない場所で疲れたのでしょうか?波は帰りの列車の中では、ひとことも言葉を発しませんでした。 こちらとしては、そのほうが楽なのですけど。そうしたら、その間に横浜そごうで調達してきたカツ重弁当をいただくことにしましょう う~む、分厚いトンカツはさめていても柔らかくて美味しいですね。

その日の自宅待機組には、お土産がありますよ。 今回は列車の網棚の上に忘れることもなく、無事にお持ち帰りしてきましたよ。とはいっても、一回危ない場面がありましたけど。箔母さんとたつぴには、モロゾフのレアチーズケーキ(ブルーベリーソース付)を買ってきて……… あ、もちろん私もご相伴に預かりましたよ。



には、スピッツがプリントされたオリジナルのタオルをかけてあげました。実はこの品は、スペシャルショーの投票者の中から抽選に当たった人がもらえる記念品で、私は運よくそいつを手にすることができました。 それだけではなく、今回は会場に連れていった波と一緒に受賞の記念撮影もしてもらいました。思いがけない演出、とても嬉しかったですよ。
今回のスピクラ展では箔の出番はなかったのですけど、会場で逢った人はみんなして「箔君は?」と聞いてきたり、彼の話題になったりしました。私が思っていた以上に、彼は皆さんから愛されているみたいです。 そういうこともあって、今まで以上に彼のことを大切にしなければと思いました。
来春のスピクラ展の日は、たつぴの人足も確保できそうなので、箔も一緒に連れていくつもりでいます。皆さんに、久しぶりに彼のブンブンが見せられるといいですね。そのときには波ともども、よろしくお願いいたします。


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スピクラ展のにぎわい(スピッツクラブ展覧会その2)

2014-11-15 00:07:02 | ワンコイベントの類
こんばんは、白黒茶々です。
前回からの続きで、今回は私と波がスピッツクラブ展覧会がおこなわれている横浜そごうの鐘の木広場……… に繋がる歩道橋を歩いているところから入らせていただきます。 早くもその段階でスピ仲間と行き逢ったのですけど「あっ、箔君……… じゃない」箔波日記を読んでいなくて事情を知らない方は、私が箔とは違うワンコを連れているのを不思議がっていました。



会場入りしてからも「あっ、箔君……… じゃない」は何回か起こりましたけど、「こちらは新入りした、箔の妹ぶんの………」私はその都度説明をしておきました。 その会場には、今回は雨対応モードということもあってやや少なめではあるのですけど、出陳者も見学者も集まりつつありますね。
いつもの如く、会場に着いたばかりの頃は浮き足立って焦点が定まらないのですけど、まずは………



撮影スペースがあったので、波の芸術的(?)な写真を撮っておきますよ その儀式(?)が済んだら、皆さんに挨拶して回ることにしましょう。



まず私たちが行き逢ったのは、最近ヴィヴィアル家の瑠璃君のお嫁さんになった、小夏ちゃんです。生後約5ヵ月で、まだ小さくてカワイイですね。 波もほんの少し前は、このような状態だったような。



その小夏ちゃんには、すぐに固体審査の出番がありました。場馴れしていなくてちょっと固まっているみたいですけど、とにかくガンバレ



幼犬に引き続いておこなわれた若犬の審査には、Lufa mamさんのところのマリヴェールちゃんが出ていました。 彼女は誕生日が波より8日早く、8ヵ月を過ぎたばかりということもあって、若犬に分類されていました。
そうそう、波と同世代のスピッツといえば………



いらっしゃいましたよ 9月に私の地元の遠州灘海浜公園でおこなわれた「ワンワン秋まつり」のほうで初めてお逢いした、ゆうかさん家の瑠璃花ちゃんです。今回、彼女は幼犬部門に出陳したみたいですね。 ちなみに彼女と並んでいるのは、きょうだい犬の蓮君です。それにしても、きょうだいということもあって、大きさといいお顔といいしぐさといい、ソックリですね。 ちなみに彼女らは、波とは1日違いの3月13日生まれです。



今回の会場には、懐かしい顔もありました。こちらの白黒コンビは、サコッシュ君ファッサ君です。黒スピッツともいうべきファッサ君の正式な犬種名は、スキッパーキーであります。 彼らの飼い主のいけさんによると、こちらの地方ではスピッツよりもその犬種の遭遇率のほうが高いそうです。



さらに、ルナちゃんリュウ君親子とも行き逢うことができましたよ。 彼女らとは、一昨年前の所沢航空記念公園でのオフ会以来となります。ルナ☆リュウさんの旦那さんは具合があまりよくない状態でこちらに来られたそうですけど、その後快復されたでしょうか?



今回も、ギョンさんご夫婦とハル君がいらっしゃいました。 また、彼と波の2ショットもなんとか撮ることができましたよ。 波の表情は微妙なのですけど、ハル君は終始笑顔でした。



こちらは、yuk@さんご一家のチロ君スピ君陽(ひかり)君の3ワンです。そのうちの陽君は、私にとっては今回が初対面となります。彼は保護された直後は痛ましい姿だったのですけど、yuk@さんのもとで生活していくうちに生気を取り戻してきました。



………と宴もたけなわなトコなのですけど、午前の部最後から二番目のプログラムとなるスペシャルショーの時間となってしまいました。これは、出陳犬全頭がオスとメスに分かれて一列に並び、私も含めた見学組が、その中から美男美女だと感じたワンコに投票するというものです。 それだけではなく、その投票者にも抽選でスピッツにまつわる記念品が当たるというので、そちらのほうも楽しみですね。

そして、出陳組も見学組も引っくるめた集合写真の撮影でもって、午前の部は締められます。 しかし、今回私はアシスタント兼任のたつぴを連れてきていないので、波と一緒に被写体になりたかったら、なんとかしなければなりません。

それでも、ご心配にはおよびません。こういうときのために三脚を持ってきたので。こいつにカメラをセットして……… って、もう撮影が始まっているではありませんか あわわわ………
私がアタフタしていたら、近くにいたギョンさんが「私が(カメラを預かって)写しましょうか?」と、救いの手を差しのべてくださいました。 ありがとうございます、助かりました。そのようにして、撮られた写真には………



私が波を抱えて猛ダッシュしている姿も。 これはご愛嬌でしょうか?いや、我ながら面白いので、敢えて載せておきます。



正式なほうは、コチラです。今回は、快晴の空のもと屋上で開催したときよりはやや少なめですけど、それでもその場に居合わせたスピッツが総出演している光景は、壮観です。



これからお昼のインターバル(………とはいっても、13時頃~14時頃)を経て午後の部に入っていくことになっています。 その間に、先ほど横浜そごうの食料品売り場で買ってきたピーナッツフランスなどで、腹ごしらえをしておきましょう。展覧会はこれから審査結果の発表や表彰へと移っていくので、ますます目が離せませんね。それから、午後になってからいらっしゃる方もいるかも知れませんし。そちらの様子については次回レポートさせていただきます。


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横浜そごうへの道(スピッツクラブ展覧会その1)

2014-11-12 00:01:03 | ワンコイベントの類
こんばんは、箔ですワン。
11月上旬のある日の未明に、お父さんはいきなり起きて何やらごそごそと支度をしだしたのだ。 これはきっとお出かけに違いないのだ。おれっちは逸(はや)る気持ちを抑えつつ、お父さんの準備が終わるのを待っていたのだ。



そうしているうちに、波ちゃと一緒に出発することに。とはいっても、これはお出かけ前の散歩なのだ。 それが済んだら、毛をとかとかやったり、ご飯をもらったりして……… そのあとお父さんは、波ちゃがケージの中で出してぐちゃぐちゃに踏み散らかした○ンコを、一生懸命片付けていたのだ。 それが済んだら、いよいよ………
って、お父さんがカバンに荷物を詰めている間に、またしても波ちゃが○ンコをしたのだ。しかもお出かけ前の空気を察したからなのか、興奮してケージの中で動きまくり、足元がとんでもないことに。
「いや~、波の片付けで時間を喰っちゃったからちょっと急ぐけど、今から出かけ………」と言いながらその惨状を目にしたお父さんは、大いに取り乱し「うわ~ こんなに切羽詰まったときに○ンコをするな~ 」半ベソをかきながら、マッハで波ちゃケージの掃除をやったのだ。 このような状況になっても、予定の電車を諦めないなんて、お父さんはスゴいのだ。本日2度目の清掃が終わったら、いよいよお待ちかねの……… あれ 波ちゃ専用の電車用キャリーしか用意してないのだ。これはいったい………
「すまん箔、今日は家でお留守番していてくれ」 なんと、今回のお出かけは、波ちゃだけだというのだ。 お父さんによると、この日はたつぴ君の同行がなくて、お父さん1人で電車に2ワンを乗せていくのはエライ(この地方の方言で、疲れているとか大変だとかいう意味)ので、今回は皆さんにお披露目するためにも波ちゃのほうを連れていくとのことですワン。
そういうことなら……… それでも、緊迫した状況には変わりなく、お父さんは彼女を電車用キャリーの中に放り込み、猛ダッシュで家を飛び出していったのだ。 そのあとはどうなったのか?なのだ。電車には間に合ったのか?なのだ。


こんばんは、白黒茶々です。
最悪のタイミングで波が○ンコをしたこともあって、つい取り乱してしまいましたけど、なんとか予定の始発列車には間に合いそうです。 それから、彼女の2回目の○ンコを見つけたとき、私は泣いてなどいませんから。



まずはいつもの如く、駅の前で「さあ、今から列車に乗るぞ 」の写真を撮ってから、波をキャリーの中に押し込み、彼女用の手回り品の切符を購入。待ち時間がほとんどなかったのですけど、そこから列車に乗って、あとは最初の目的地まで揺られていくだけです。



その途中で、私たちの乗った列車は、由比を通りました。そのあたりの線路沿いの岸壁は、先月この地方を襲った台風18号の影響で崩れ、列車は10日ほどの間不通となりました。その崩落現場を写真に撮ろうとしたのですけど、一瞬で通過してしまったので、ここは雨に曇る由比の海岸の絵でお許しくださいませ。



そして私たちは、熱海駅の外に降り立ちました。かなり前から見慣れているこの駅舎は、これから本格的な改築工事に入っていき、来年秋には駅部分が完成。



さらに再来年秋には、このような駅ビルが出来上がる予定です。



その一足先に、駅前の広場の工事が進んでいますね。 以前より視界が開けて、スッキリさっぱりしたのですけど………



肝心の足湯は、工事中で入れませんでした。 白黒茶々=熱海の足湯というほどだったのに。次に私たちが来るときまでには整っていることを願っています。



せっかく熱海に寄ったので、駅の周辺をぐるりと廻ってみることにしましょう。 温泉街に続くこちらのアーケード街は、お土産屋さんなどが並んでいて、活気に満ちていますね。



その入り口付近に、以前は足湯のところにあったミニSLが移されていました。そいつをバックにしてはいチーズ
♪ねぇな~みん?、こっち向いて、恥ずかしがら~な~いで……… 
う~む……… またしても微妙に目線をそらしていますね。それか、波はこの角度の顔に自信があるのでしょうか?とにかく熱海での小用が済んだので、次に向かいますよ 私たちはさらに列車を乗り継ぎ、熱海から約1時間20分ほどで………



横浜に到着しました。 駅のホームから地上に降りて………



さらに横浜そごうの2階に繋がっている歩道橋を歩いていけば、ストレートにスピクラ展の会場となる鐘の木広場にたどり着くことができます。 この日の天気予報は全国的に雨だったので、今回の会場は早々と屋根の下のそちらの場所に変更となったのです。私たちがこちらに来る途中で雨は降っていたものの、今はよく晴れ渡っています。 ひょっとしたら、今回の参加者の中に強力な晴れ男か晴れ女がいるのかも知れませんね。とにかく、私たちはこれからすでに賑わっている会場の方に向かいますよ スピクラ展のほうでは、どのような出逢いや触れ合いがあるのでしょうか?その様子については、次回レポートさせていただきます。


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「魔女の館」と天竜の廃校めぐり

2014-11-08 00:12:23 | 廃校・廃墟

こんばんは、白黒茶々です。
昨秋に静岡県の旧春野町(現在の浜松市天竜区)の廃校を見て廻ってから1年2ヵ月。またしても私の中で廃校めぐりのブームが巻き起こりました。 そのような流れで、今回は前回とはまた違った廃校を求めて、旧天竜市(こちらもまた浜松市天竜区)を目指すことにしました。



その計画を実行する少し前に、週刊誌の「週刊ポスト」などで、浜松市に最近完成した「魔女の館」なる建物のことが取り上げられていました。 屋根や壁がグニャリと歪んだ洋風のこの建築物は、インパクトありありですね。その正体は賃貸アパートで、佐々木茂良氏が代表を勤める「ぬくもり工房」が、オーナーの意向にそって手掛けたそうです。 それがある場所を調べてみたら、浜松市東区半田山……… 浜松日体中学校・高等学校の近くにあることがわかりました。 しかもそれは、私が天竜の廃校に行くときの通り道にも近いので、ついでに寄れないこともない。いや、気になって仕方がないので、そちらのほうも目的地にさせていただきますよ もちろん、そちらには箔と波も連れていきますよ



………ということで、やって来ました!いきなり「魔女の館」を登場させるのもナンなので、まずは「ぬくもり工房」が手掛けたKINOKOという、レストランのほうもご覧くださいませ。 こちらの建物は、名前のとおりキノコを思わせるようなおしゃれな姿をしていますね。ちなみにその位置は「魔女の館」からほど近い、浜北鑑定団の向かいになるので、時間に余裕のある方は、そちらのほうでお食事のほうも味わってきてくださいませ。

前フリはこれぐらいにして、本題の「魔女の館」に向かいますよ とはいっても、この日のメインは天竜の廃校だったような……… とかなんとか言っているうちに、その建物は見えてきました。 しかし、密かな観光スポットになっているとはいっても、あくまでも賃貸アパートなので、見学用の駐車場などは設けられていません。 だからといって、車を近くのお店に無断で止めてはいけませんし……… 「魔女の館」は目に見えないバリアーに守られているのでしょうか?すぐ目の前にあるのに、なかなか近付けません。



ハアハア……… それでも、なんとかしてたどり着くことができましたよ。 それにしても、近付くにつれて強烈さは増してきました。



これこれっ このグニャリ感がたまりませんよね。 さらにその細部を見てみたら………



ハロウィンの時季とは関係なく、フェンスには魔女やカボチャのお顔の装飾がなされていました。 さらに、屋根のほうを見上げたら………



こちらにもまた、カボチャのお顔が並んでいましたよ。おしゃれなだけではなく、遊び心が満載なこの建物は、見る人まで楽しませてくれますね。



さらに、全体像はこのようになっております。 そうしたら………



箔と波も写真にお入りなさい この日は、私たち以外にもたくさんの人が「魔女の館」を訪れ、写真を撮っていました。 外からならいくらでも撮影してもいいみたいですけど、感極まってフェンスを乗り越えたり、ピンポンダッシュ、迷惑駐車等はしないようにしてくださいね。
そうしたら、車で来た人はどうしたらいいのかということですけど……… まずは近所のお店でお買い物をして、「ついでにあそこに写真を撮りに行ってもいい?お願いっ 」とお願いすれば、断られることはないと思います。「魔女の館」はあくまでも通称ですけど、その新名所が近所に経済効果ももたらしてくれるようになると、いいですね。

「魔女の館」を堪能し終わったら、次の目的地に向かいますよ 浜北区の賑わっているところを素通りし、天竜川の支流の阿多古川に沿って山間部を走っていったら………



旧天竜市立下阿多古中学校がありました。わかりやすいように航空写真を使ってみたのですけど、決して私は空から侵入したというワケではないですよ。



こちらの学校は昭和22年(1947年)に創立したのですけど、少子化などの影響で平成17年(2005年)に上阿多古、熊、二俣中学校とともに清竜中学校に統合され、廃校となりました。



閉校から9年以上も経つのですけど、校舎の建物はそのままになっていますね。ただし、管理上の理由からなのか、その敷地は立ち入り禁止となっていました。



校訓や校歌が刻まれた石碑もそのままで、それらがよりいっそう寂しさを感じさせました。 学校そのものはなくなってしまったのですけど、そこを卒業した方や地域の人々の記憶の中ではいつまでも残り続けていきますように。



私たちは、さらにその先を目指しますよ 人里離れたところに向かっているのですけど、道路は立派なので走りやすいです。 それから山間地だからなのか、紅葉のほうも早いですね。阿多古川のさらに上流の、石神というところに………



その学校跡はありました。古そうな門柱には、「天竜ウッドワーク」という看板が。 とにかく、先に進みますよ。



戦前に創立した小学校ということもあって、二宮尊徳(金次郎)の像もありますね。



こちらは旧石神小学校で、昭和2年(1927年)に建てられた木造二階建ての校舎がそのまま残っています。しかし過疎化などの影響で、昭和44年(1969年)に周辺の学校と統合されて、廃校に。現在その建物は、天竜ウッドワーク事業協同組合の天竜木材の家具工場として使われています。



古い木造の校舎は、味があっていいですね。 しかし、先ほどから雨が降り始めています。この日の予報は、曇りのち雨。降りのほうは激しくなることはあっても、やむことはないので、とにかく急げ
この日の最終目的地では気ぜわしなかったのですけど、なんとか無事に取材を終えることができました。 さらにこちらの画像をセピア色に加工してみたら………



よりノスタルジックになりましたよ 木造校舎と、昔大ブームとなったスピッツが一緒に写った風景は、昭和30年代を思わせます。 しかし、その頃は私はまだ学校に通っていなかった……… というよりは、まだこの世に存在していませんでした。 学校が閉校になると、地図からも消されて次第に忘れ去られてしまうのですけど、その跡地を訪れると自分の母校ではなくても、なぜか懐かしさを感じます。それから、なかにはこちらの天竜ウッドワークみたいに古い校舎を違うことに活用しているところもあります。 今回みたいに廃校めぐりが突如、私のマイブームになることがあります。またその風が起こったら、第3弾もやってみようと思います。


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大学いもチロルと、例のチロル

2014-11-05 00:01:48 | チロルネタ
こんばんは、白黒茶々です。
秋といえば、収穫の時季でもありますよね。 また、サツマイモの旬の時季でもあります。今年も、白黒茶々家のミニ畑ではサツマイモを育て………



こんなに大きなおイモが……… 収穫できたらよかったのですけど、今回は不作で収穫祭&大喰い大会は中止せざるを得ない事態となってしまいました。 ちなみに私が手にしているのは、いただきもののおイモです。せっかくなので、このイモを………



蒸かしてみました。「今回の話の流れからしたら、大学いもだろ 」という方もいると思うのですけど、この調理法が最も手軽だったので、ハイ。 それでも、甘味が出ていて美味しかったので………



箔と波にも、おすそ分けしてしてあげることにしました。 お二方ともすでに食べる気マンマンですね。



おおっ すごい喰らい付きですよ。 箔ちゃと波ちゃ、秋の味覚を堪能することはできたでしょうか?

そうそう、

イモはイモでも今回私がコンビニで見つけてきたのは、大学いもチロルでした。 包装にはその名前だけではなく、ご丁寧に「DAIGAKUIMO」という、ローマ字表記もされていました。これは、国際化を意識しているのでしょうか?それとも、ただ単にカッコつけているだけでしょうか? とにかく、検証に入ります。ガサゴソ………



包みを開けたら、サツマイモの香ばしい匂いが漂ってきましたよ。 チョコなのに……… それだけではなく、イモと同じ紅色をしています。さらに、底の部分はイモに似せた黄色となっております。 さて、気になるそのお味のほうは……… もごっ

OH!チョコの中から、黒ごま入りビスケットが出てきましたよ これによって、大学イモのサクサク感が見事に再現されています これはウマい



私が秋の味覚(?)の大学いもチロルに舌鼓を打っていたとき、黒い猫の宅配業者を介してお届け物がありました。 いつもその役を担っていた黒ちゃがもういないので、今回は銀ちゃにやってもらいました。 ギンネコヤマトの……… いやいや、さっそくその中身を確認させていただきます。ビリッ バリッ………



荷物の中身は、これもまたチロルチョコでした。 すでにご存知の方もいると思いますけど、チロル社のHPには、DECOチロルというオリジナルのチロルを作るコーナーがあるのですよ。 そこにお気に入りの写真を使って、フレームを選んだり文字を入力したりして注文を入れると、10日ほどで完成品が自宅などに届けられるというシステムとなっております。
ここまでの流れはいつもと同じなのですけど、今回は少し内容のほうが変わっています。白黒茶々家に新たに波が加わったことから、従来からの「箔チロル」は「箔波チロル」となりました。 その中に、どのようにして2ワンを登場させるかということですけど、箔と波の単独写真と、彼らの2ショット写真の合計3種類を作りました。そうそう、味のほうはホワイトチョコ+クッキーにしておきました。

そのうちのどれか2個に、先述の大学いもチロルを加えたものを、今月9日に横浜そごう屋上(雨天の場合は、鐘の木広場)でおこなわれるスピッツクラブ展覧会で行き逢った方々に、お近付きのしるしとしてお配りします。 どのチロルが入っているかは開けてからのお楽しみということになりますけど、必ず箔と波が入っていることになるので、心配要りません。この箔波チロル+大学いもチロルをご希望の方は、遠慮なく……… とはいっても、なんとなく言い出しづらいですよね。 それでも、大丈夫です。たぶん私のほうが、目線の合った方たちに片っぱしからホイホイ配ることになると思うので。それでも数に限りがあるので、確実にもらいたいという方は、目からビームを……… いや、勇気を出して(?)「箔波チロルくれっ 」とおっしゃってくださいませ。スピクラ展の会場で、皆さんとお逢いするのを楽しみにしています。


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結婚記念日の晩餐

2014-11-01 00:05:59 | 年間行事
トリック オワ トリート、波ですワン
今、世の中はハロウィンの真っ只中にあるということなので………



このような格好をしてみたなの。 というよりは、させられたのですけど。なみにとっては、ハロウィンは今回が初めてということになるのなの。 その期間中は、お菓子(おやつ)をもらえなかったら、イタズラをしてもいいということになっているそうですけど……… なみの場合は、お菓子をもらっても、イタズラはするのなの。


こんばんは、箔ですワン。
波ちゃに引き続いて、おれっちも………



ハロウィン仕様になったのだ。 そういえば、昨年も同じ格好をしていたような。今回、波ちゃとハロウィン揃い踏みとはいかずに別撮りとなったのは、この衣装は1セットしかないから……… って、それってナイショだったのか?なのだ。おれっちが言うのもナンですけど、犬数分揃っていたとしても、おれっちたちに着させて思い通りの2ショットが撮れるかどうか……… それは、来年挑戦してみてくれなのだ。
それよりも、今月の26日の晩にお父さんたちは出掛けていってしまったのだ?何か外食しにいくような雰囲気だったのですけど、どのようなご馳走を食べに行ったのか?なのだ。


こんばんは、白黒茶々です。
10月25日は、私と箔母さんの結婚記念日(正確には結婚式&披露宴記念日)で、今年で16年になります。 その日の晩は都合が悪かったので、今回はその翌日の26日に、記念のちょっと豪華なディナーを食べに行くこととなりました。 そのようにして、向かった先は………



名古屋を中心として中部地方にチェーン展開しているステーキ&ハンバーグレストランのブロンコビリーでした。やはりこのような特別なディナーには、肉を食べておきたいですからね。 私たちは結婚記念日のお祝いで、毎年こちらのお店を利用しているので、もう定番と言ってもいいです。とにかく、中に入りますよ。



ブロンコビリーは、メインディッシュの肉類に、盛り放題おかわりし放題のサラダバーが付くシステムとなっております。 また、それにはパイナップルやオレンジといった果物類だけではなく、コーヒーゼリーやプリンなどのデザートも含まれています。 さらにドリンクバーで各自お好みの飲み物を注いできたら………



結婚15……… じゃなかった、16周年を祝って、かんぱ~い
※白黒茶々さん、実際にトチったところまで綿密に記さなくてもいいのですよ。(編集部注)
16年と1日前のあの日………



「お待たせいたしました」
回想モードに入ろうとしたところで、ライスやコーンスープとともにメインディッシュのハンバーグが出てきてしまいましたよ。 せっかくなのでそれらをいただきながら、その当時の様子を少し振り返ってみることにします。



平成10年(1998年)10月25日、私と箔母さんは浜名湖畔にあるホテルで結婚式をしました。 それに引き続いておこなわれた披露宴の中では、新婦の箔母さんのお色直しに伴って新郎の私は、マイクを片手に歌いながら退場していきました。 ちなみにその場面に向けた選曲は、ウルフルズの「まかせなさい」。箔母さんのことも、新しい家庭のことも、すべて私にまかせなさい ………といった感じで。



そのあと再び披露宴の会場に現れた私たち新郎新婦は、キャンドルサービスで各テーブルを廻っていき、最後に壇上のメインキャンドルに点火 これは、オリンピックでいうところの開会式で聖火台に点火するところぐらい重要な場面ですね。私たちの披露宴のほうでは、導火線を伝って特大キャンドルに燃え移るという演出になっていたのですけど、その直後に火が消えるというハプニングも。



その翌日から、私たちは新婚旅行でハワイに行きました。 現地に着いてすぐにやったことは……… イオラニ宮殿前のカメハメハ大王の像と一緒に、カメハメハのポーズを取りました。 それと、その様子も写真に撮りました。



ハワイといったら、やはりワイキキビーチは外せませんよ その海水に浸かっているときに、私は何かゴムのようなものを踏み当てました。 そいつを引き揚げてみたら、なんとナマコではありませんか 「ワイキキビーチにナマコなんて、いるハズはない」という人もいるのですけど、私があのとき手にしたのは、間違いなくナマコだったのですよ 証拠写真を撮ったあとも大漁で、5~6匹ぐらい捕まえて、私の手の中でぴゅ~っと水を吐きながら柔らかくなっていって………
※読者の皆さんのなかに、めまいや吐き気を訴える方が出てきたので、これ以上ナマコの様子を生々しく描写するのはおやめください。(編集部注)

今回は結婚披露宴と新婚旅行のほんの一部の披露でしたけど、とにかくいろんな意味で忘れられない思い出となりました。



披露宴で実際に使われた特大サイズのメインキャンドルは、現在ウチに置いてあります。 結婚記念日には、1年ぶりに火を灯しました。



せっかくなので、そのまま部屋の電気を消してみましょう。なんか、幻想的でいいですね。 これから何十年先まで、私たち夫婦の心の中の火も灯り続けていますように~


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