波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

飛鳥の古墳と珍石(伊賀・大和路散策その3)

2024-11-02 02:58:03 | お出かけ

くぁwせdrftgyふじこlp、白黒茶々です。

前回の日記の流れから、今回は「ふっかつのじゅもん」を入力して日記を始めることになったのですけど、その暗号がネットスラングみたいになってしまいました。 いや、中には「『ゆるキャン△』で見たことがある 」という方もいらっしゃるかも知れません。 はい、これは志摩リン斉藤恵那とチャットでやり合っている中で彼女が発した、断末魔の声(書き込み)であります。 それはさておき、そのパスワードのおかげ(?)で、私・による飛鳥の里の散策回に無事に入り込むことができたので、そこから始めさせていただきます。 石舞台古墳の見学を終えた私は、肩の荷(波と狛)を降ろしてから、そこから近いといえなくもないところにある………

都塚古墳にやって来ました 現在は田畑に囲まれた静かな環境の中にあるこの古墳は、6世紀後半に造られた円墳または方墳であります。 毎年元旦に金鶏が鳴くと云われていることから、「金鳥塚」とも呼ばれています。 石室の入口は鉄柵で塞がれているのですけど………

その内部を覗き込むことはできます。 石室の中央には、見事な家形石棺が置かれていました。 その石室内からは、須恵器や鉄製品などが出土したそうです。 さらに私たちは、その地域にある………

◯◯石を訪れました Google Earthでたまたま見つけてからずっと気になっていたので、今回の訪問地に組み込みました。 画像と名前は自主規制で伏せてみたのですけど、皆さまの想像力が実物を超える恐れがあるので………

包み隠さずに見せることにしました はい、私たちが見に行ったのは、マラ石であります マラは魔羅、チ◯ポというか、いわゆる男性のシンボルのことで、誰が何の目的で立てたのか謎のままの珍石が、道端に伸びているのですよ 一応、子孫繁栄や農耕信仰に関係したものと推定されています。 それよりもよくよく考えてみたら、これはあくまでも◯ンポを模したアート(?)なので、隠すどころか皆さまに鑑賞することを勧めなければなりませんでした。 そんなマラ石を堪能してから………

私たちは高松塚古墳に向かいました 裏の細道を入っていったところにある小さな駐車場に車を止めて、歩いていきました。 私を含めた昭和世代には、その古墳のこのような姿が頭に残っているのですけど………

現在はこうなっています。 綺麗に復元・整備されているのですけど、ただの土盛りというか……… 高松塚古墳は、昭和47年(1972年)に発掘されました。 7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された終末期古墳で、直径は上段18m、下段23m、高さ5mの二段式の円墳です。 この古墳は極彩色の壁画で有名なのですけど、発見・発掘される前に南側の壁に穴を開けられ、副葬品の一部が盗掘されました。 石室は 非公開&封鎖して保存したのですけど、壁画にカビを生やしたり、修理中に器材で傷つけてしまったり、………と、保存方法でかなり悩まされたみたいです。 結局、石室は解体され、壁画は石から下地となっている漆喰ごと剥がされ、保管庫で大事に保存されています。 そんな高松塚古墳の近くには………

高松塚壁画館という施設が造られています。 こちらでは、壁画のレプリカを見ることができるのですよ ちなみに私は、亀形石造物、石舞台古墳との共通券(700円)で入りました。

しかもこちらの施設の中では、一部の展示物を除いて写真を撮ることができるのですよ そうしたら、それらの中で主立ったものを紹介いたします。

こちらは教科書などによく出てくる、西壁の女子群像にございます。 剥落や汚れで見づらくなったところなどを修正した一部復元模写の絵もあるのですけど、発掘・発見された時の姿を捉えた現状模写であります。

女子群像と同じ西壁に描かれた白虎の顔からは、愛嬌すら感じます。 それに、前者ともども見事な筆致で細かく描かれていて、わが国の美術・絵画史上優れた作品と評価されています。

あと、天井部の星宿図も見逃してはいけません 非公開の現物はいうまでもないのですけど、それらを忠実に模写した方たちのことも誉めなければなりません。 そんな高松塚古墳を見学したら………

やっぱりキトラ古墳も合わせて訪問しておかなければなりません 高松塚古墳と同時期の7世紀末から8世紀初頭頃に造られた円墳で、上段の直径は9.4m、下段の直径は13.8mの二段の構造です。 昭和58年(1983年)に発掘された際には、18個の凝灰岩の切石を組み上げられた石室と極彩色の壁画が発見されました。 こちらは高松塚古墳の反省からなのか、調査や保存のための取り外し作業は慎重におこなわれ、現在は良好な状態で保存されています。 石室が抜かれた古墳は綺麗に復元・整備されているのですけど、こちらもただの土盛りに見えてしまいます。

それはさておき、その近くに設けられたキトラ古墳壁画体験館四神の館には、模写された壁画などが展示されていて、キトラ古墳のことをより知ることができるのですよ しかも入場無料ときたもんだ ただし、私が訪れたのは閉館間際だったので、急ぎ足で見ていきます。

その館内には、原寸大のキトラ古墳の石室の模型が展示されています。 その壁や天井には壁画が模写されているので、これだけでも古墳について把握することができます。 それにしても、この時期の古墳の石室は切石を綺麗に組み上げているものの、内部はかなり狭い 棺が入ればいいという感じで、追葬などは想定されていないみたいです。 この他には、壁画の4面マルチ高精度映像や当時の人々の暮らしがわかるジオラマ模型、古墳の発見から調査・研究を経て埋め戻しに至るまでのドキュメンタリー展示などがあったのですけど、写してきたのはコレだけです。

キトラ古墳の諸施設をあとにした私には、日没前にどうしても寄っていきたいところがありました。 それはどこかといいますと……… って、Google Earthやカーナビを見たりして迫っていったのですけど、車が入りにくいところにあるので、なかなか近付くことができません。 なので、やむなく最寄りのコイン精米機の駐車スペースに車を止めて、歩いていくことに。 そんな私たちが目にしたのは………

亀石でした 重さ10トンを超える花崗岩に亀のような顔が彫られていて、マラ石と同じように何のためにここにあるのか謎のままとなっています。

………といいつつも、亀が動いて西を向いた時、大和国一帯が泥の海に沈むという言い伝えが残っているのですよ 今、泥沼化されたら困るので、どうかジッとしていてください。 そういえば亀石のちょっと手前には、車1台を止められるスペースと休憩場所、自動販売機が設けられていました。 これから亀石を訪れる方は、先着1組のその設備をご利用くださいませ。 ここに至るまで我ながら欲張りコースでしたけど、皆さまの応援(?)もあって、予定されていた立ち寄りスポットはすべて踏破することができました そうしたら、あとはお風呂と食事を済ませて、宿泊地に向かうだけです。 そのような流れで………

まずは明日香村健康福祉センター たちばな内にある、太子の湯に寄っていきました。 こちらは公共の浴場なのですけど、地元民ではなくても600円で利用することができます。 太子の湯で旅の汗を流して、広い湯船に浸かったら………

次はお食事の順番と相成ります 今回私が選んだお店は、看板は橿原ごはんや見瀬町食堂となっているのですけど、フジオフードシステムが関西を中心に展開する、まいどおおきに食堂にございます。 こちらはセルフサービス形式で、たくさんある料理やおかずの中から選んだものをお盆に乗せていき、会計を済ませてから席に就くシステムとなっています。 今回初めて利用することになった私は、どれも美味しそうで迷ってしまったのですけど………

鶏の唐揚げと茄子のみぞれ煮をメインにして、冷奴生卵マカロニサラダ、………などを取り集めました。 ちなみに合計1080円となりました。 それらを美味しくいただいたら、まだ19時ちょっと過ぎなのですけど、宿泊地に向かいますよ そのようにして行き着いたところは、まいどおおきに食堂から南に車で10分程行ったところにある………

道の駅吉野路大淀iセンターでした 宿泊地としてホテルや旅館を予想された方は、ハズレです。 今からこちらで車中泊をしますよ 道の駅としては小規模で、私たちと同じように車で寝ていく人はあまりいなかったのですけど、人里離れた静かな環境の中にあって、ゆっくり休めそうだったので、私はこちらを選びました。 それに、翌朝に向かう大本命の目的地へも近いですし。

そうしたら、あとは波と狛にご飯を食べさせてから、寝る支度をするだけです。 まだ19時台だったのですけど、欲張りコースで2万3000歩も歩いたこともあって、私はすぐに眠りに落ちました。 ということで、皆さまおやすみなさいませ。



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飛鳥の里にようこそ!(伊賀・大和路散策その2)

2024-10-30 00:52:03 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

前回からの続きで、私はとともに三重県の伊賀上野城に来ています。 「伊賀文化産業城」とも呼ばれる模擬天守に上って、そのお城の見学を締めると思いきや………

まだ見どころが残っているので、もう少しお待ちくださいませ。 波と狛が立って、いや、座っているところは、城代屋敷の跡にございます。 模擬天守がある本丸より高いところにあって、かつては城主の住居や政務を執り行う場所となった御殿がありました。  またその一角には、寛永10年(1633年)頃まで、筒井氏の3層天守が存在していたそうです。 そのあと、私たちは………

お城の公園内にある、俳聖殿も見に行きました。 こちらの建物は、松尾芭蕉の生誕300年となる昭和17年(1942年)に建てられました。 芭蕉の旅姿をイメージした外観をしていて、その内部には………

等身大の大伊賀焼の「芭蕉坐像」が祀られています。 この像は、伊賀上野城の模擬天守を建てた川崎克氏の手によるものであります。 それから、俳聖殿は平成22年(2010年)に国の重要文化財に指定されました。

伊賀といえば、やっぱり忍者が名物となっていますよね 公園内には伊賀流忍者博物館の一部として、忍者屋敷こと下忍の居宅が移築されています。 さらに、その内部を見学することもできるのですよ しかも 建物は本物で、どんでん返しや隠し通路の入口、抜け穴などの仕掛けを、忍者姿のスタッフが案内してくれます。 ここまで話を広げておいて申し訳ないのですけど、開館が10時からとなっていて、さすがにそれまでは待てないので、今回は外から眺めてヨシとさせていただきます。

伊賀上野城をひと通り見終えた私たちは、再び車に乗り込んで次の目的地に向かいました。 名阪国道こと国道25号線を使ったりして50km程走っていき、行き着いたところは………

奈良県明日香村にある飛鳥寺さんでした。 こちらは推古天皇4年(596年)に創建された、日本最古の寺院であります さらに「飛鳥大佛」の石碑が示す通り、日本最古の仏像もあるのですよ 私はこちら方面に来たら、このお寺も見学したいとずっと思っていて、ようやく実現させることができました。

今からおよそ1400年前の6世紀末から7世紀にかけての約100年間、明日香村には都が置かれ、飛鳥時代の舞台となりました。 聖徳太子の「十七条の憲法」の制定、中大兄皇子中臣鎌足による「大化の改新」など、中央集権律令国家が築かれた「日本のはじまりの地」として知られています。 そんな飛鳥の里には、古い寺院や古墳、謎の石造物などが点在していて、見どころがたくさんあるのですよ 創建時の飛鳥寺は、3つの金堂五重塔を囲むようにして建ち、さらにそれらの外を回廊がめぐり、中門南門講堂などを備えた大伽藍でした。 その頃と比べると現在は小ぢんまりとしているのですけど、大仏様はあちらの本堂の中に据え置かれてます。 もちろん拝観料(350円)を払って、中に入っていきますよ

そうしたら、お逢いすることができました 推古天皇17年(609年)に造られた釈迦如来坐像で、高さは約3m。 この大仏様に、奈良市の東大寺の大仏ぐらいの大きさを期待してはいけません。 平安・鎌倉時代の火災による損傷を負いながらも、細部にわたり飛鳥彫刻の特徴をよく残しているので。 そんな飛鳥寺のすぐ近くには………

蘇我入鹿首塚があります。 これは、645年に起きた乙巳の変で殺害された、蘇我入鹿の首塚であります。 実際に中大兄皇子中臣鎌足らに討たれたのは飛鳥板蓋宮になるので、その殺害場所からは少し離れています。 ここから先は波と狛も連れていきたいので、車ごと移動します。 それは飛鳥寺からは近いといえなくもないエリアなのですけど、駐車場所を見つけるのに苦労しました。 万葉文化館の駐車場は混んでいたものの、なんとか止めることができたので………

その近くの亀形石造物なるものから見ていくことにしました。 こちらは 有料のゾーンなのですけど、ワンコと一緒に入ることができました。 亀のような形をした奇妙な石槽は、斉明天皇の時代に造られた祭祀の遺跡であります。

さらに、その裏の竹やぶの小丘を上ったところには………

酒船石があるのですよ こちらも祭祀の施設の一部で、先ほどの亀形石造物と連動していたとされていて、それらをひっくるめて「酒船石遺跡」と呼ばれています。 私は今からン十年前に大学で考古学を専修していて、その一環の見学ツアーで明日香村を訪れました。 その際に石舞台古墳と酒船石を見学したのですけど、後者のほうは「こんなところにあったっけ?」と思いました。 しかしよくよく考えてみたら、私がその時見たのは博物館の庭に造られたレプリカで、元祖というかホンモノの酒船石は実はこうだったのです そのあとは、そこから歩いていけなくもないところにある………

飛鳥宮跡まで行きました。 はい、「歩いていけなくも………」なんて言いつつも、歩いてきました。 飛鳥京跡は、6世紀末から7世紀後半まで飛鳥の地に営まれた諸宮を中心とする複数の遺跡群からなる都市遺跡であります。 宮殿のほか、朝廷の支配拠点となる諸施設や、飛鳥が政治都市であったことに関わる祭祀施設生産施設流通施設などから構成されています。

 それらが存在した時期は、舒明天皇飛鳥岡本宮皇極天皇飛鳥板蓋宮の2期と、斉明天皇後飛鳥岡本宮天武持統天皇飛鳥浄御原宮の2つを合わせた3期に渡っていました。 ちなみに波と狛がいるのは、飛鳥宮の北東隅で発掘・復元された、石敷井戸にございます。 ということは、こちらは先述の蘇我入鹿が中大兄皇子らに殺られた飛鳥板蓋宮(伝)ということに そんな飛鳥宮跡を見学し終えた私たちは、再び車に乗り込み、新たなエリアに向かいました。 そのようにして、行き着いたところは………

石舞台古墳でした 洞穴や古墳の石室が好きな私にとっては最上級の場所で、いつか愛犬を連れ行ってみたいと思っていました。 それがついに実現するのですけど、焦らしというか、真っしぐらに突入するのもナンだったので、近くに設けられた展望台から古墳を見渡してから、行くことにしました。 そうしたら、歴史のアテンダントを担っている波と狛が、皆さまを石舞台古墳にいざないますよ

………って、なんじゃコリャ〜 私は波たちが門前払いされるようなことがないように、前もって石舞台古墳のワンコへの対応を念入りに調べていました。 そうしたら、飼い主さんが愛犬と一緒に現地レポートをするブログなどが多数出てきたので、こちらはワンコに理解のある観光地と認識していました。 後で調べたら、ほんの数ヶ月前にこの規制がかけられたそうです。
とはいっても、共通券を買ってあるので、諦めるワケにはいきません。 だからといって、今から波と狛を駐車場に止めてある車に連れ戻すのもイヤですし。 どうする茶々さん

ハァハァ……… 結局、波と狛を両脇に抱えて入っていくことにしたのですけど、暑くて重い 「1.抱っこでの入場は………」は、小型犬を想定していたに違いありません。 私が大変な状態なのですけど、ここでこの古墳の説明をさせていただきます。
石舞台古墳は7世紀初頭頃に造られた、全国で最大規模の方墳であります。 被葬者は蘇我馬子入鹿の祖父)と推定されています。 古墳ができた頃には、巨石を積んで造られた石室は盛り土で覆われていたのですけど、長い年月の間に失われました。

やっとのことで、その石室の内部にまで行き来ました。 総重量が2300トンにも及ぶ30数個の巨石で造られ、特に天井石は約77トンとかなりの重量で、築造された当時の優れた土木・運搬技術の高さがうかがわれます。 あ、写真は波と狛を下に降ろしてから撮りました。 それにしても、天井も高いですね。

せっかくなので、石室の最深部から入口を撮ってみました。 内部を見学している間は、写っている案内役の方が親切丁寧に古墳の説明をしてくださいました。

再び波と狛を抱えて、石室の外へ。 疲れて彼女らを降ろしたところで1枚撮るぐらいだったら、許してもらえると思います。 たぶん、きっと。
私たちによる古(いにしえ)の都・飛鳥めぐりはだんだんとノッてきたところなのですけど、編集部がコンテニュー(保存用のパスワード)を勝手に入力してしまったので、皆さまには申し訳ないのですけど、ここで一旦終えざるを得ません。 お母ちゃんに「もう約束の時間は過ぎてるでしょ 」とか言われて、突然ゲーム機の電源を来られるよりはマシだと思うのですけど。 とにかく次回も、私たちに危険を及ぼす敵が出てこないロールプレイングゲームを続けさせていただきます。


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高師緑地の中居君再び!

2024-08-17 01:10:06 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

気付いたらパリオリンピックが終わっていて、高校野球選手権大会は佳境を迎えようとしています。 それでも、まだ暑い日は続いているのですよね。 波狛日記はネタが1ヶ月ほど遅れているので、夏の暑さが本格化する頃の、7月21日の話となります。 さすがに朝から暑ので、私はそうなる前の早朝の6時からやっている喫茶店に向かいました。

私にとっては初めてのお店なのですけど、Google Mapを見ながらなんとか行き着くことができました。 こちらでの目的は……… もちろんモーニングですよ Hさんはトーストのレギュラーモーニング1択なのですけど、それにはもれなく味噌汁が付いてくるのですよ さだまさしさんソフトバンクのあるプランのCMのために作った曲に、そのような歌詞があったような。 そんなトースト味噌汁モーニングを楽しみにして来たのに………
画像からもおわかりのように、閉まっていました。 開店時間が違っていたので、もう少し待っていれば開く。 ………という感じではないですね。 「臨時休業」のような貼り紙はないのですけど、つぶれているという様子ではないですし。 とにかく、また訪れた時にはやっていることを期待して、今回はこの場を退くことにします。 とはいっても、こんなに早い時間帯からやっているお店はあまりないので………

同じ豊橋市内にある高師緑地を先に散策することにしましょう 私たちがこちらの公園に来るのは、約3年ぶりとなります。

高師緑地は木陰が多いので、夏の炎天下の日でも、そこそこ暑さを避けて散歩することができます。

その南側には、子供が遊べる遊具があります。 これは小さな子がまたがって、ゆっさゆっさするヤツですね。 ところで、誰かこの遊具の名前を知ってるかい?

私たちは写真を撮りながら、公園内を廻っていきました。 そうしているうちに………

地元民と思われる散歩仲間たちと行き逢いました。  挨拶をしたあとも、彼らや飼い主さんたちは気さくに交流してくださいました。 そういえば、高師緑地はだだっ広いだけの公園ではありませんでした。 豊橋市にもゆかりのある作詞家の歌碑があるハズなのですけど……… それって、どのあたりでしたっけ? 私が前回来た時には見つけられたのに、今回は探しまわってしまいました。 そうしていたら………

あった、ありましたよ その石碑には、丸山薫さんの詩が刻まれています。 昨年も触れたのですけど、彼は私の母校の新居高校の校歌も作詞したのですよ。

それにしても、この歌碑は表面がツヤツヤし過ぎであらせられる いろいろと角度を変えて撮ってみたのに、私の姿が写り込んでしまいます。 それはさておき、高師緑地にはそれ以外にも、文学的なものがあるのですよ それは何かといいますと………

の先に、何か見えてきましたね。 そうしたら、さらに近付いてみましょう。

なんと、中居(正広)君ではありませんか 何でこのようなところでレリーフ化されているのか?………と、思われた方もいらっしゃることと思います。 こちらも波狛日記では触れたことがあるのですけど、実は中居君ではなくて、彼にそっくりな田中俊子さんなのですよ。

ちなみに彼女の隣は、夫の鈴木悦さん ともに大正時代の作家で、2人して前の伴侶と別れてから、バンクーバーに飛んで結婚。 悦さんが現在の豊橋市出身ということもあって、文学碑と合わせて夫婦のレリーフ像が造られたそうです。 この中居君のソックリさんは「ナニコレ珍百景」でも紹介されて、見事に認定ならぬ「珍定」されました。

あの~、編集長さん。どうしても今ここでコレをやらなければならないのでしょうか? 公園の中には、松ぼっくりはたくさん落ちてはいるのですけど。 そういえば、私はまだ朝ご飯を食べていませんでした。 なので、高師緑地から近いといえなくもないところにある………

珈琲紫苑さんにやって来ました 私は、こちらのお店は1年ほど前にも入ったことがあるのですけど、万が一Hさんがダメだった場合はこちらにするつもりでいました。 というよりも、何回でも行きたくなるようなお店なのですよ。

その店内は、常連と思われるお客で賑わっていました。 今まで開店時間は知らなかったのですけど、実は紫苑さんも朝の6時からやっていたみたいです。

こちらのお店は、ドリンク類を頼めばもれなくレギュラーモーニングが付いてくるシステムとなっています。 モーニングは1択なのですけど、トーストサンドイッチのどちらかを選べるというので………

サンドイッチのほうにしました そういえば、前に来た時も同じものにしたような。 それよりも、目玉焼きサラダフルーツ(バナナ)焼そばが付いてきてコーヒー代の450円なんて、コスパが最高です お腹も心も満たされた私は、波と狛を家に置いて、スーパーで食材を買っていきました。 さらに車に荷物を積んで、向かったところは………

浜松市の浜名湖側にある、渚園でした。 この流れでやることといったら……… そうです 今からこちらでキャンプをやります ただし、今回はフリーサイトでのソロキャンプとなります。

その管理棟では、このキャンプ場にもゆかりのある「ゆるキャン△」グッズなどが売られています。

以前から変わらない渚園キャンプ場の管理棟。 しかし、8月から改修工事に入ることになっていて………

その間は、フリーサイトの一部を削って造られた仮設の建物に、管理事務所や売店、トイレなどが入ることになっています。 管理棟がどのようにリニューアルされるのか気になりますけど、その仮の状態の間に、私はこちらでキャンプをする機会があるのでしょうか? とにかく、今回のキャンプの様子については、次回の日記でお知らせします。


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ドンキーMとスズキ歴史館

2024-07-24 01:35:34 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

先日、私のいる東海地方では梅雨明け宣言がありました 今年は公式の梅雨の期間は短かったのですけど、梅雨に入る前から休日は雨ばかりで、私のスケジュールは天候にかなり翻弄されてしまいました。 もしかしたら、昔よりは梅雨を線引きするのが難しくなっているのかも知れませんね。

そんな6月23日の日曜日は、朝から雨模様でした。 私が名古屋のホテルで飲み食いしまくった1週間前は、行事は屋内のみであるのにも関わらず、快晴だったというのに。 天気のムダ遣い……… とまでは言ってはいけませんよね。 それはさておき、午前中はを家に置いて、家族であるところに出かけていきました。 そのあるところとは………

びっくりドンキーでした。 朝からこちらに来たということは……… そうです モーニングが目当てだったのですよ 私は数年前から箔母さんたつぴにドンキーのモーニングに連れていく約束をしていて、この日ようやく実現することができました。

そういう私は、GWの最終日に食べに来たばかりなのですけど、その時には次に注文するメニューを決めていました。 ………って、注文用のタブレットがその分野のページになっているので、バレバレですよね。

はい、ミニサイズのハンバーグとライス、サラダが乗った、ミニマムレギュラーバーグディッシュ(630円)にございます。 さらに、みそ汁とドリンクのどちらかを選べるというので、おかわり自由のホットコーヒーにしました。 そのメニューはコンパクトなワリにはお腹に溜まって、お昼まで、いや、それ以降までもちました。 ここで朝ご飯にハンバーグもアリだと、認識しました。 それから、コーヒーはブレンド、シングル、ブレンドの順で、3杯いただきました。

その一方で、箔母さんはチーズトーストセット(おかわり自由コーヒー付き490円)、たつぴは卵かけご飯におかわり自由のホットコーヒーを追加(合計550円)にしていました。 みんなしてバラバラですね。 それでも、美味しかったみたいで、次に来たらまた同じものを食べたいと言っていました。
実はこちらのびっくりドンキーに来たのには、ワケがあったのですよ。 お腹も心も満たされた私たちは、今度はそこから近いといえなくもないところにある………

スズキ歴史館にやって来ました 今回は家族全員でこちらを見学することになっていて、先ほどのドンキーと同じ方面にあるので、私はコースに組み込みました。 こちらの施設では、スズキが歩んできた歴史とその製品の変遷を知ることができます。 完全予約制なのですけど、時間を指定すれば無料で見学することができます。

ということで、これから皆さまをスズキの世界(?)にご案内致します。 入ってすぐのところにあるホールには、スイフトソリオジムニーなど、現在発売されているスズキの主要な製品やラリー仕様の車などが展示されています。

そのスズキは、明治42年(1909年)に鈴木道雄氏によって創立されました。トヨタと同じように織機から入っていったのですけど………

戦後間もない昭和27年(1952年)には、自転車に小型のエンジンを乗せたパワーフリーという、バイクの原形が造られました。

昭和30年(1955年)には、スズライトを発売 そこから、スズキでは軽自動車が主力の商品となっていきました。

こちらは「我が家にフロンテがやって来た 」のセットであります 昭和42年(1967年)なんて、私はまだこの世に存在していませんでした。 箔母さんはいましたけど。 その頃の民家も再現されていて、手前のブロック塀の隙間から覗いてみると、フロンテを巡る家族の寸劇を観ることができます。

その翌年には、T500が出ました スズキでは軽自動車を開発している一方で、二輪車も進化・大型化していったのです。

昭和45年(1970年)、ようやく私が生まれました。 展示品のすべての製品には、その頃の相場も掲示されているのですけど、国鉄(現在のJR)の駅の入場料が30円で、カレーライスが1杯150円なんて、夢のような時代です

その年に、初代ジムニーが発売されました 悪路の走破性能に優れ、武骨なデザインも今日まで受け継がれています。

さらに昭和54年(1979年)には、初代アルトが日の目を見ました 修ちゃ……… いや、鈴木修相談役もこの商品の開発に携わられたそうです。 47万円なんて、その当時でも画期的な価格だったのですけど、維持費を安くするために商用車の4ナンバーにしたのですよ。 しかし後部座席は殺人的な狭さで、リアの足回りは地面からの振動をマトモに受ける板バネ。 それでも、アルトはスズキの主力商品となりました。

昭和59年(1984年)には、初代カルタスが登場 スズキは小型車にも、力を入れることに。 ところで、皆さまは舘ひろしさんの「オレ・タチ、カルタス」というCMをご存知でしょうか?

その5年後には、2代目カルタスとなりました 私は大学生の頃、この車のマイナーチェンジ型に惚れ込み、バイト代を貯め込んで、家族の反対を押しきって購入。 さらにスズキの販売会社に就職する流れとなりました。

平成3年(1991年)に発売された軽自動車の2シーターのスポーツ車のカプチーノは、今でも人気があります。 現在スズキの系列会社のパートをやっている箔母さんによると、近々令和のカプチーノが発売されるそうです。

その2年後には、初代ワゴンRが出ました 鈴木修社長(当時)はあまり期待しないで発売の許可を出したのですけど、軽自動車業界が衝撃を受けるほどの大ヒット商品となりました。 その頃の私は小型車のセールスをやっていたのですけど、会社にはワゴンRのパンフレットを求める人が殺到しました。

そんなバブルの余韻がまだ残っていた平成7年(1995年)には、Xー90を出したのですけど……… これは全く売れませんでした。 エスクードをベースにして開発したのですけど、なぜ荷物も人も乗せられない2シーターのRVを発売したのでしょうか?

それはさておき、スズキは平成13年(2001年)に日産に軽自動車のOEMをすることに。 モコの自社販売型としてMRワゴンを出しました。 その展示車には、なぜか長嶋茂雄さんの直筆サインがありましたよ!これは洗えない

ここから先は、スズキが商品を開発する様子が展示されています。 そのテーブルに、怪しいオジさんが紛れていますよ。

こちらは、ボディーの最終的なデザインをしているところですね。 ちなみに商品のモデルは、スプラッシュであります。

あと、工場の生産ラインの様子も再現されていました。 2代目スイフトが続々と出来上がっていきますね そのあとのほうに、スズキの本社がある浜松市のことを紹介するコーナーがあって、さらにそこには………

浜松まつりの映像が流れていて、その中に私が映っているのですよ しかも昔のものなので、かなり若い頃だときたもんだ

それからせっかくなので、最初に私たちが入ったホールに展示されているバイクのに跨がってみました しかも親子で。軽い服装&ノーヘルなところは、見逃してください。

スズキの歴史館には、プラスチックの原材料を型に流し込んでお持ち帰りのミニカーのおもちゃを速攻で作る(ように見せる)コーナーもあります。 ここから出てきたのが、今回の日記の冒頭に写っていた初代アルトのキーホルダーだったのですよ
白黒茶々家がスズキ歴史館を訪問するのは、10年ぶりぐらいになります。 その間に箔母さんはパートでスズキの工場に出入りするようになり、たつぴは最近購入したスイフトスポーツに惚れ込んでいます。 スズキの商品や歴史の見かたは変わり、思い入れが強くなり、さらに私がスズキの系列会社の元社員ということも手伝って、今回はついつい見学時間が長引いてしました。

それでも、午後から予定されていたカインズホームセルフウォッシュでの波と狛のシャンプーは、無事にこなすことができました。 そんな彼女らを連れて、来週の日曜日はキャンプ(犬キャン△)をする予定になっています。 なので、今度こそはどうか晴れますように~



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フィラリア対策と熊野の長藤

2024-05-29 02:41:19 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

GWのあたりになると、動物病院は混むようになります。 その理由はワンコを飼っている方ならわかると思いますけど、夏を迎える前にフィラリアの予防とワクチンの接種をしなければならなくて、その時季に集中するのですよね。 その少し前には、ウチにもいつもお世話になっている病院からそれらを案内するハガキが届きました。 そうしたらGWの最終日となる5月6日に、波と狛を連れて行くことにしましょう

そして、その当日の朝となりました。 しかし、私は直接動物病院には向かわないで、その道中といえなくもないところにあるびっくりドンキーに寄っていきました。 こちらでの目的は……… もちろんモーニングですよ 昨年も同じようなシチュエーションでこの店でモーニングを食べていったのですけど………

びっくりドンキーのモーニングは種類が豊富なので、何回でも行きたくなります。 ちなみに前回は、プレーントーストのセットにサラダをチョイスしました。 それ以外には、チーズトーストポテサラトーストのセットに、900円程のスペシャルセットも。 さらにミニマムサイズのハンバーグのプレートもあって、ついつい迷ってしまいます。 そのことで時間を割くのはナンなので、事前にさんざん迷ってきて、今回は卵かけごはん(330円)におかわり自由のコーヒー(220円)をチョイスすることにしました こちらのお店は新しいこともあって、タッチパネルで注文するシステムとなっているのですよね。 それからしばらくして………

お待ちかねの卵かけモーニングドリンクが運ばれてきましたよ そのうちのドリンクのコーヒーはブレンドとシングルのうちから選ぶことができて、私はまずは前者を飲み干しました。 一方の卵かけごはんに付いてきたのは醤油ではなくて、ハンバーグのソースなのですよね。 それらをぐちゃぐちゃに混ぜたら………

グルメレポートではお約束の(?)持ち上げ写真を撮りながら、いっただきま~す うぬっ、醤油とは違った味わいで、ハンバーグソースの混ぜ物もアリですね。 コーヒーは何杯でも飲みたいのですけど、健康上の制限があるので3杯だけにしておきました。 ドンキーモーニングでお腹も心も満たされた私は、車の中で待たしていたを連れて………

昨年までは浜松市東区、今年からは中央区に組み込まれた積志町にあるS動物病院に行き着きました。 ちなみに私たちがこちらを訪れるのは、約1年ぶりとなります。

その内部も、昔ながらの動物病院でした。 こちらはスピッツ仲間に紹介してもらったところでもあります。 ウチからは直接向かうと車で50分程もかかるのですけど、そうしてまで来る理由は……… 安いから。 もちろん、先生の腕が熟練していて手際もよく、あまり待たされないということも加味されていますよ

………と言いつつも、今回は先客がいたので、少々待たされました。 それでも、待ち合い室での波ちゃの様子を撮ることができたので、ヨシとしなければ。 そうしているうちに、彼女の順番が回ってきました。

その時、体重測定機能付き診察台が示した数値は……… 8.95kg。 ほぼ9kgで、昨年より少し増えていました。そのあとはフィラリアの検査のための採血とワクチンの注射がおこなわれ、一丁上がり

そうしたら、次は狛の出番です 彼の体重は……… 10.60kgですか。 こちらも昨年と比べて、微増となっていました。 引き続いて採血と注射をされて、彼のほうもすんなりと終わりました。 フィラリアの検査結果は両者とも感染していなくて、昨年までと同じ美味しく食べて予防できる薬が処方されて、今回の検診は終わりました。 あとは自由行動(?)となるのですけど、せっかく休みの日にこちら方面まで来たので………

あまりついでとはならないのですけど、私たちは天竜川を越えた磐田市池田にある行興寺さんに向かいました。

こちらは850年以上も前からある古刹なのですけど、平宗盛に寵愛された熊野御前にゆかりのある地でもあります。 ちなみにこちらの熊野は「くまの」ではなく、「ゆや」と読みます。 彼女が植えたと云われる藤が元となって、行興寺さんはこの地方では屈指の藤の名所に数えられ………

毎年4月下旬から5月初旬には、花の房の長さが1mにも成長する長藤が見られるようになります。 その花を求めて、たくさんの人が押し寄せるそうですけど、今年は花が旬の時季は短かったみたいです。 私たちはそれよりやや遅めの訪問となったのですけど、果たして藤の状態は………

う~む……… 花はほとんど散ってしまいましたね。

こちらには、藤の根っこの保護と見学者のためにボードウォークが設けられていました。

熊野御前の手植えとされている藤は樹齢が850年にもなり、根廻2.9m、樹高2.5mもの巨木で、国の天然記念物に指定されています。 その他の藤は県指定なのですけど、それらは元祖熊野の長藤に負けないほどの立派な木でした。 その一方で………

最盛期に出遅れたというか、私たちのために遅めに咲いてくれた花が2、3房ありました。 ほんの少し前には、このような花が藤棚全体に広がっていたなんて、スゴいことです。 こちらのウリは長藤とされているのですけど………

境内の池の畔には、キショウブの花が咲いていました。 こちらも綺麗ですね。 熊野の長藤も含めて、藤の花が見られる時季は限られていて、休みの日が合わなかったりすると逃してしまいます。 来年こそは、最も綺麗に咲いているところを見に行きたいです。



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浜松まつりの凧揚げ会場に白犬現る!

2024-05-25 02:43:03 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

GWのこどもの日を前にして、白黒茶々家では今年も五月飾りが出され……… いや、私が出しました。 そいつをただ眺めるだけではナンなので………

兜をかぶった兜犬の出番と相成りました これも毎年のお約束というか、すっかり恒例行事となっています。 にとってはちょっと重いのですけど、私の支えナシでしっかりと堪えておられる ただし、少し厳しそうな表情をしているのがなんとも。 そうしたら今度は………

女の子ですけど、にもかぶってもらいますよ こちらも頑張って自立しているのですけど、にこやかにとはいかないのは、やむを得ません。 この五月飾りの試練、いや、儀式を終えたら………

波と狛を浜松まつりの凧揚げ会場に連れていきました。 その催しは3日3晩に渡っておこなわれるのですけど、私は最終日となる5月5日の凧揚げには参加しないで、観衆として観に行くことにしていました。 それに、その賑わっているところには、波&狛と一緒に行っておきたいですし。

正式な開始時間のちょっと前ですけど、すでにいくらかの凧が揚がっていました。 それでも揚げている側からしたら、本番前の準備とか調整のつもりはないと思われます。

こちらは元浜町の凧ですね。 浜松市の市章に「元」の字を入れて元浜としておられる。 それよりも、近くに立っている人と比べると、かなり大きいです。 まだ地上にある凧が多いので、陣屋に置いてあるのを見て回ることにしましょう

龍の絵の凧印は、下飯田町のものにございます。 こちらの地域は天竜川に隣接しているので、水を治めるという発想から、龍の絵にしたそうです。 私が凧を撮る際には、その真ん前に立っていた町内のおいちゃんは気を利かせて避けてくださいました。 その好意に応えるためにも、下飯田町の凧印を広めさせていただきます。

兜の凧印は、北田町であります 勇壮な兜をモチーフにしていて、葺きおろし「しころ」に大鍬形、鉄面を配し、図案化しております。

せ金やつ? いえ、西伝寺町の「せ」と金折町の「金」、安松町の「や」、都盛町の「つ」がたまたま並んでいるところでした。 ところで皆さまは「つ」で始まる都盛町は読めるでしょうか? 正解は「つもりちょう」です。

そうしたら今度は防潮堤に上って、そこから凧揚げ会場を眺めてみましょう。 この堤防は海岸に沿った南側に造られていて、会場全体を見渡すことができるのですよ。 3年前にコロナで入場制限があった時には、私たちはここから凧揚げの様子を見ていました。

まずは俯瞰した凧揚げ会場をバックにして、記念撮影をしておきましょう

それにしても、広い凧揚げ会場にかなり人が集まっていますね。 それに、あちこちから威勢のいい太鼓やラッパの音が聴こえてきますし。 そのような中に………

我らが萩丘組の凧が揚がっていましたよ しかも、かなり高いところに。 なんか、私が参戦していた時よりは勢いがあるような。 それはさておき、揚がっている萩丘の凧と波狛が同じ画面に入れるチャンスはなかなかないで、ちゃっと凧のほうに行きんよ 焦っていてつい地元の遠州弁が出てしまいましたけど、「急いで凧のほうに行ってください 」といったことを意味しています。 その結果………

奇跡の3ショットを撮ることができました 私が思い描いていた絵とは少し違うのですけど、ヨシとしておいてください。
ちなみに萩丘の凧印は、昔は三方原大地には萩の花が咲き乱れていたと言われていて、さらに町名の「萩」の字を大紋に図案化したそうです。 萩の花の絵の上に、これでもかと言わんばかりに「萩」の字を押すなんて、グッときませんか?

再び地上レベルまで降りていったら、先ほどより会場が混んでいました。 写真も撮れたことですし、さらに混雑する前に私たちはさっさと退散することにしましょう。 そういえば、凧揚げ会場では他のワンコ連れは見かけなかったような。 そのぶん波と狛は、法被を着たコワモテのおいちゃんなどに、もふもふされたりしました。 そのあとは、会場から出ていく時に数頭とすれ違っただけでした。

駐車場から凧揚げ会場までの距離はけっこうあって、さらに賑わっているその会場内を連れまわされて、それに加えて駐車場に戻るまでの距離も歩かされて、波と狛は疲れたことと思います。 なので、あとは家でゆっくり休んでいてください。 そういう私は、まつりの衣裳に着替えて、たつぴと一緒に意気揚々と萩丘の夜の練りに繰り出していきました。


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萩丘の会所開きと浜松城の夜桜

2024-04-27 01:10:46 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

4月7日の日曜日は、絶好のお花見日和となりました。 そのような中で、私はを連れて………

豊橋市の向山大池公園幸公園で、お花見のハシゴをしました。 しかも、午前だけで。 その数日前に、私は叔母の自宅がある浜松市の萩丘のラッパ隊の隊長さんに、浜松まつりの参加をお願いしました。 私は浜松市民ではないのですけど、毎年叔母のつてを頼って、たつぴとともに浜松まつりに参加させてもらっています。 しかも、ラッパ隊で。 その浜松まつりは、コロナの影響で中止になったり規模を縮小して開催したりしていたのですけど、今年は5年ぶりに規制ナシでおこなわれることになりました。 それから間もなくして、隊長さんから「7日の午後から会所開きがあるから、そこでラッパ吹ける?」という返事がありました。 参加の可否が気になっていたのですけど、そこを飛び越していきなり出番ですか 個人練習を始めたばかりでまだ準備不足ですけど、吹いてくれと言われたら吹きますよ ということで、ほぼぶっつけ本番状態のたつぴも連れて………

萩丘組の会所にやって来ましたよ そこにはたくさんの人が集まっていて………

2部構成の会所開きがおこなわれました。 1部は近隣の町内などを招いて、顔合わせがあり、その席では私たちラッパ隊の出番も少々ありました。

引き続いておこなわれた2部のほうは、萩丘の内々での宴会となりました。 組長や幹部などの挨拶のあとに、御殿屋台に乗るお囃子組の演奏があり、さらにラッパ隊のお披露目も 私たちはステージの上でラッパを吹きました。 調子の良し悪しは関係なく、注目を浴びながらラッパを鳴らすのは気持ちいい 
さらにステージ上ではお酒の「いっき」があって、ラッパ隊はそれが終わるまでずっと吹き続けていました。 さすがに私の練習不足は否めず、しまいには音が出なくてスカスカになってしまいましたけど………

ひと仕事終えたあとには、ご馳走が振る舞われました。 桶に入ったお寿司お刺身、品数豊富なオードブル、ついつい手が出てしまうサンドイッチの盛り合わせ、屋外の七輪で焼いたホルモン、………など。 15時過ぎの中途半端な時間でしたけど、お腹いっぱいいただきました。

私たちは今回初めて会所開きに参加したのですけど、思っていたより大々的で、浜松まつりの前夜祭のような盛り上がりでした。 それに、皆さんは本番まで待ちきれない様子でしたし。 浜松まつりは5月3日から3日間、開催されます。 そのあたりは晴れて、できたら凧がよく揚がるように適度な風もあることを願っています。 私とたつぴは、萩丘組の会所開きで気力と体力を使いきったのですけど、そのあとから浜松城公園に夜桜を見に行くことになっていました。 いろんな意味でお腹いっぱいだったのですけど、今度こそ正真正銘の今年の桜の見納めとなるので、ハズせませんでした。

………ということで、やって来ましたよ 浜松城公園に。 皆さん、私たちと同じことを考えていたみたいで、公園の駐車場までは車の列ができていました。 それに並んでいたらかなり遅くなるので、私たちはぐるっと回って、まだ多少の余裕があった市役所の駐車場に入っていきました。 公園では、桜もお城もライトアップされていて、それらを目当てにしたたくさんの人で賑わっていました。

こちらのお花見にはだけではなく、箔母さんたつぴも連れてきました。 当初、彼女らはこの夜桜見物を面倒臭がっていたのですけど………

ライトアップされて暗闇に浮かび上がる幻想的な桜を、スマホカメラで撮りまくっていました。

桜と天守門の夜景も、いい感じですね。 実はたつぴの会社では2日程前に、この浜松城公園で夜にお花見をすることになっていました。 しかし、雨で中止となってしまいました。 今回の目的地を決めた私は、そのことを意識していなくもなかったのですけど、このような形で夜桜を見ることができてよかったですね。 そして、その天守門を潜った先で私たちが目にしたのは………

ライトアップされた模擬天守が青いですね。 なぜ青色なのでしょうか? 調べてみたら、4月2日は世界自閉症啓発デーで、その日から1週間は自閉症をはじめとする発達障害をみんなが知るための発達障害啓発週間としているそうです。 そうしたら、せっかくなので………

そのブルー浜松城をバックにして、波と狛を撮っておきました。 しかし、どうやっても彼女らが暗闇に沈んでしまいます。

それはさておき、今度は違う角度から模擬天守を撮りましょう。 こちらは撮影の立ち位置が狭くて、行列に並んでから撮ったのですけど、明るく照らされた桜とブルー浜松城との対比がいいですね

さらに私たちは埋門跡から坂を下って、お城の西側の西端城曲輪跡へ。 そのあたりでも、ゴザを広げて宴会をしている方たちの姿がありました。

こちらの桜は、紫色にライトアップされていますね。 それならば、やはり………

その風景の中に、波と狛を入れておかなければ しかし、桜とは高さが合わなくて、花は少ししか入りませんでした。

その一方で、公園の端っこのほうの桜は綺麗にライトアップされていました。 こちらでも波狛写真を撮りたいのですけど、人の往来が多いので、難しいかも。 そこをなんとかできないか………

………と思っていたら、丁度いいところにリードを掛けられる棒(ぼんぼりの支柱)がありました 波と狛もいい表情でこちらを向いてくれましたし。 ようやく満足&納得できる夜桜とワンコの写真を撮ることができました。

さらにその先には、チョコバナナの露店が出ていました。 ちょうど食べたいと思っていたところで、「もうじき終わりま~す 」という追い込みの声が。 もう迷いません そのチョコバナナの写真を撮らずに食べてしまいましたけど、今回の夜桜の宴を美味しく締めることができました。
波狛日記は今回も含めて4話続けてお花見のネタとなりましたけど、そのぶん綺麗な桜の花を堪能することができました。 皆さまにもその美しさをお伝えすることができたでしょうか? ………といいつつも、次回は桜の次に旬を迎えた植物の花便りをお届けします。


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白昼のお花見実現なるか!?

2024-04-24 03:33:42 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

今年の桜の開花は例年より遅れていて、4月の初旬に見ごろの時季を迎えるようになりました。 しかし、お花見をする最初で最後のチャンスでもある7日の日曜日は雨の予報だったので、私は平日に朝活をやって、豊橋公園の桜を見てきました。 あとは雨の中でも日曜日にオマケのお花見をして、今年の桜のシーズンを締めるつもりでいたのですけど、その直前になって天気予報が覆ったのです 晴れた休日に満開の桜を見られるのは、何年ぶりでしょうか? とにかくその日はを連れて、朝からお花見に行きます

………ということでその当日の朝に、豊橋市にある向山大池公園にやって来ました このあたりは駐車場から近くて、昨年は雨の中で「お花見に行ってきました 」写真を撮って、猛ダッシュで撤収したところです。 それに対して今回は、ゆっくりゆったりと見ることができました。

さらに、園内をぐいぐいと進んでいきますよ

こちらの公園は大きな池を中心としていて、そこを囲うようにしてたくさんの桜の木が植わっています。

こちらの桜も、いい感じですね

さらにその一角には、世界の名所を集めたような撮影スポットがあります。 私たちの前に見えるのは、どこかの古代遺跡の門でしょうか?

その近くには、万里の長城もあります。 説明するまでもないのですけど、ミニチュアサイズにございます。

こちらは古代の日本の風景ですね。 人型家型、さらには馬型舟型埴輪があるのですけど、それらは実物よりは大きいのかも。

さらに、エジプトのピラミッドスフィンクスもありましたよ やはり波狛ちゃには、同じポーズを取ってもらいました

あと、イースター島のモアイ像 顔だけですけど、ゆるい表情と突き出した唇がたまりません。

それと、アメリカ合衆国の自由の女神も聳え立っていますよ ………とはいっても、これは公園のすぐ前の酒屋さんのものですけど。 波と狛を連れて、世界一周の気分を味わったら………

私は、公園内のホールに併設されている喫茶森のこみちさんに入っていきました。 こちらでの目的は……… もちろんモーニングですよ 実は、数年前のお花見の時季にもこちらのモーニングを目当てにしたことがあるのですけど、その時はお店が臨時休業で、ありつくことができませんでした。 それから長い時間を経て、満を持して訪れることができました。

モーニングメニューは、トーストはもちろんのこと、おにぎりおかゆもあって、充実しています。 それらの中で、私が選んだのは………

鮭のおかゆでした トーストのほうも気になったので追加で注文して、さらに小倉を乗せました。 こんなに欲張っても、合わせて580円なんて、とてもリーズナブルです

今回私は、外側に面したカウンター席に座りました。 そこで池やその畔で咲いている桜を見つつ、モーニングを平らげたら………

今度は向山大池公園からは車で10分程のところにある、幸(みゆき)公園に向かいました 私たちが着いた頃には駐車場は混んでいて、なんとかして止めることができました。

実はこちらの公園も、昨年の春に波と狛を連れて来ていました。 桜満開の時季に取れた休日は雨で、そのような中でお花見を強行したのですけど………

今回は晴天に恵まれました。 昨年と同じ場所で撮ってみたら、違いは明らか。波と狛の表情も晴れ晴れとしていますね。

幸公園は先ほど行ってきた向山大池公園と同じように、大きな池を中心としていて………

その池のまわりには、たくさんの桜の木が植わっています。

そうしたら池を囲う遊歩道を、反時計回りに歩いていきますよ

その途中の桜や景色がきれいなところで、写真を撮ったりしました。 お二方とも、いい表情ですね。

こちらの桜並木も、いい感じですね 天気のことを気にすることもなく、桜を見ながらゆっくりと散歩できるなんて、もう万々歳です。

そうしているうちに、池のまわりを1周してしまいました。 そういえば、私たち以外にもワンコ連れはいたのですけど、日本スピッツやサモエドのような白ふわは見かけませんでした。 私たちのお仲間のサモエドがこちらの公園にしばしば集まっていることもあって、私にはサモエドの聖地というイメージがあるのですけど、ここで逢ったことはなく、今のところ全敗です。 そ、それでも今回は桜が目当てで、数年ぶりに満開の綺麗なところを見ることができたので、ヨシとしておきましょう

この日、私は午後からは浜松のほうで用事があって、そのあとに再び波&狛と出かける予定を立てていました。 かなりハードで欲張りな計画ですけど、私の中では今年の桜はこの日が見納めとなるので、悔いが残らないようにしたいです。



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朝活でお花見

2024-04-20 01:26:38 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

今年は桜の開花が遅れていて、4月に入ってからようやくその花便りが届くようになりました。 しかし、遅れたぶんだけ開花の速度は早く、見ごろの期間も短くなりそうな気配でした。 なので、お花見は短期決戦で挑まなければなりません ところが、4月最初の日曜日となる7日は雨の予報となっていました。 さすがにその翌週まで待ったら、桜の花は待っていては、いや、舞ってしまうでしょう。 それならば、致し方ありません。 私は昨年と同じように、雨の中でお花見を強行する覚悟をしました。 その一方で、天気を気にすることなくお花見をしたい という思いも抱いていました。 それを実現させるためには、平日に仕事をサボって……… いや、それはさすがにできないので、通勤する前の早朝に行動するしかありません 幸いこの時季は日の出の時刻が早いので、できないこともありません。

………ということで、4月4日の木曜日に計画を実行しました。 私がその日、波と狛を連れて最初に立ち寄ったところは、静岡県との県境を越えてすぐの愛知県豊橋市の多米峠の駐車場です。 ちなみに時刻は4時41分。さすがにまだ日は出てなくて、そこに咲いている桜は夜桜の状態でした。

そこから見える豊橋市の町並みも、夜景ですね。 ただし、ここで明るくなるまで待ってお花見をするというワケではなく、私たちはさらに車に乗っていき………

以前にも訪れたことがある、同市東小鷹野のCOFFEE SHOP 貴さんにやって来ました こちらでの目的は……… もちろんモーニングなのですけど、私はあるメニューを狙っているので、今回は開店時間になったら速攻で入ります COFFEE SHOP 貴さんは、朝の5時からやっていると聞いているのですけど、果たして………

本当にこんなに早い時間から開いていましたよ 私はお店にとって、この日最初のお客となることができました。

モーニングのメニューは4種類。 それらの中で、先述した通り私には心に決めてきたメニューがあるのですよ それは、過去2回は売り切れていてありつけなかった、(私にとっては)幻の朝定食 果たして今回は………

それからしばらくして、私のテーブルに念願だった朝定食が運ばれてきましたよ 御飯味噌汁、それに鮭の塩焼きベーコンエッグが付いて、さらにはサラダ冷奴小鉢2つ、味付け海苔と、まさに至れり尽くせりのニッポンの朝ご飯でした。 これほど豪華で美味しいのに………

ドリンク(ホットコーヒー)まで付いてきて、550円ときたもんだ 私が知っている中ではダントツの、コスパ最高の朝定食となります。 コーヒーで食後の一服を済ませたら………

私たちは豊橋公園に行き着きました しかし、園内でも桜や吉田城の主要部だったところとは逆の方向に向かっています。 その先にあるのは………

豊橋球場でした。 前もって断わっておきますけど、決して今からこちらで試合を観戦するというワケではありません。 そのグラウンドでは………

重機が入って、地面を掘り起こしていました。 このあたりはかつては吉田城の一角で、これから発掘調査を始めるところです。

豊橋球場は、終戦から間もない昭和23年(1948年)に建てられました。 昭和55年(1980年)に岩田運動公園豊橋市民球場ができるまでは高校野球などの公式戦がおこなわれていたのですけど、その後は少年野球や草野球、豊橋まつりなどのイベントに使われたりしました。 しかし、この場所に豊橋市の新アリーナが建てられることになり、それに伴って球場は取り壊されることに。 古い建物や構造物が好きな私は、せめて写真や記憶に残しておきたいと思い、今回は先にこちらに来ました。
ところが、新アリーナ建設計画には反対意見が多く、近いうちに市長選挙もあるので、豊橋球場をやめるのをやめるなんて事態になるのかも知れません。

豊橋球場でのミッション(?)を終えた私たちは、豊橋公園の中心部に入っていきました。 昨夜までの雨で地面が濡れていて、雲も多かったのですけど………

公園の桜の花は満開で、まさに今が見ごろ昨年のお花見のように、雨の中で写真だけ撮ったらすぐに退散 ………のようなことはなく、ゆっくりと鑑賞することができました。 そのような中に………

昨年の夜桜の時にもあったオブジェが並べられていたので、その風景の中に入っておきました。

公園の入口には、歩兵第十八聯隊の遺構でもある廠舎が立っています。 その中に入って記念撮影をしたら………

満開の桜の前でも、撮っておきましょう

私たちはさらにぐいぐいと進んでいきました。

こちらの桜も、いい感じですね。

そして、私たちは吉田城本丸跡へ。 その正面の入口となる南御多門の石垣が崩れ、長い間その一帯は修復工事&立入禁止だったのですけど、ようやく元通りになりました。

そうしたら、今度は模擬鉄(くろがね)櫓の前で撮っておきましょう 説明するまでもないのですけど、この建物は平日の朝は閉まっているので、外から眺めることしかできません。 それはさておき、私たちは北御門跡から角度が急で歩幅も大きな石段を降りていき………

豊川に沿っていて、吉田城の北側となる帯曲輪跡に出ました。 その川手櫓跡からは、高くて立派な石垣の上に聳える模擬鉄櫓を、下から見上げることができるのですよ

その川手櫓跡に続く多聞櫓の跡の桜も、見事ですね。 この頃には雲が切れて、青空が見えるようになっていました。 ここまで豊橋公園をぐるっと廻って桜も見てくることができたので、そろそろ切り上げることにしましょう。 私たちが車に乗って公園を出たのは、6時50分ぐらいのこと。 7時台には市内のあちこちで渋滞に巻き込まれたりしたのですけど、私の出勤時間までには余裕で間に合わせることができました。
ちょっと生活リズムに負荷がかかるリスクもあるのですけど、たまに出勤前に朝活をやるのもアリかと思いました。 特に日照時間が長いこれからの時期は、狙い目となりますね。 それには早朝からやっているモーニングのお店が必要となるので、また探してみます。


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キャンプの前の朝定食と史跡めぐり

2024-04-06 01:14:49 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

今季最後のスキーから1週間後となる3月17日に、私にとってキャンプシーズンがやって来ました 手始めは近場でのソロキャンプなのですけど、いきなり車に道具を積んでキャンプ場に行くのもナンなので、そこまでの過程を楽しむ意味も含めて、私はその日は朝早くから活動しました。 そのようにして、最初に向かったところは………

豊橋市東小鷹にある、COFFEE SHOP 貴さんでした こちらでの目的は……… もちろんモーニング……… なのですけど、今回は最初から和食の朝定食を狙っていました。 実は1ヶ月半ほど前にも、私はこちらのお店を訪れていて、お得で内容が充実している朝定食を注文したのですけど、売り切れていて食べることはできませんでした。 その日は9時頃でダメだったので、今度はもっと早い7時半に来てみました。 ところが、その時間でもすでに完売していたのです。 そういえば、私の少し前にお店に入っていったカップルがすぐに出てきたので、彼らも朝定食が目当てだったのかも知れません。 私もお店の方に丁重に謝り、今回は何も食べずにお店をあとにしました。 5時からやっているので、今度は開店直後に入るようにします。
それでも、この日の私は朝は和食にこだわっていたので………

同じ豊橋市内でも、COFFEE SHOP 貴さんからはふた山ぐらい越えた雲谷にある、散歩道さんにやって来ました。 こちらのお店も、私にとっては今回が2度目となり………

8時の開店と同時に入ったら、私がこの日最初のお客となりました。 それでも、それからしばらくして常連と思われるおばちゃんたちが来て、店内は賑やかになりました。

注文するメニューはすでに決めてきました。 言うまでもないのですけど、朝定食です 実は、COFFEE SHOP 貴さんでありつけなかった場合も想定して、第2希望というか、次に食べられそうなお店をチェックしてあったのですよ。 朝に和食を食べられるお店は限られているので、貴重でもあります。 そうしているうちに………

待望の朝定食が運ばれてきましたよ 中身はお品書き(?)の通りで、サバの塩焼きをメインにして、のりごはんみそ汁が付いてきました。 ドリンク類は外されるのですけど、これほどの内容で580円なら頑張ったほうです。 ニッポンの朝ご飯でお腹も心も満たされた私は、再びを伴って浜名湖の北のほうに向かっていきました。 そして、東名高速道路の三ヶ日インターチェンジの北にある大谷という集落に行き着きました。 その街角には………

三ヶ日町立東小学校大谷分校がありました。 明治22年(1889年)に創立。 その後、東小学校の分校となったのですけど、昭和43年(1968年)に閉校してしまいました。 校舎だった建物は、公会堂として利用されたのですけど、平成22年(2010年)頃に解体され、その跡地は自治会の駐車場となっています。
廃校好きな(?)私は、そんな大谷分校に興味を持ち、学校の痕跡がなくても行ってみたくなりました。 しかし、Google Earthを見てもその案内は一切なかったので、古写真に写っているまわりの様子とストリートビューを見比べたりして、場所を特定する作業から手を付けていきました。 その結果………

大谷分校跡の駐車場が見つかりましたよ 古びたブロック塀の端に立つカーブミラーに、消えかかった横断歩道。 私たちにとっては初めてですけど、見覚えのある風景です。 やはり分校の跡を示す石碑や案内板などは設置されてないのですけど………

せっかくなので、その場所に到達したことを記念して、写真を撮っておきましょう 一見、何の変哲もない駐車場で「なんで犬の写真を?」と思われそうですけど、私たちにとっては深い意味があるのですよ。

さらに私たちは、大谷分校の校舎跡からは道路を隔てた反対側にある、現在は大谷公民館が建っている広場も見に行きました。 その北側には………

古くて立派な門柱が立っているのですよ ちなみにこの構造物は、私がストリートビューで調査していた際に見つけました。 これは、大谷分校のものでしょうか?こちらは分校のグラウンドか、敷地そのものだったのかも知れません。 また、こちらに現在の公民館が新築されたことで、公会堂として使われていた旧校舎とされる建物はその役割を終えたのですよね。 いずれにしても、このような形で廃校の歴史に触れることができてよかったです。


それから、今後大谷分校跡を訪れる人がいてもいいように、私はGoogle Earthにその場所を付け加えておきました。 遠かったりしてなかなか来られないような方は、地図旅行でお越しくださいませ 大谷地区での現地調査を終えた私たちは、そこからひと山越えて………

今度は、浜松市浜名区三ヶ日町の只木というところにやって来ました。 こちらの広場は見学者用の駐車場で、そこから歩いてすぐのところには………

「三ヶ日人骨出土の地」と刻まれた石碑があるのですよ 昭和34年(1959年)からおこなわれた調査では………

この近くの洪積世とされる地層から、人骨が発見されました。 「牛川人」と同じように、その当時は「三ヶ日原人発見 」ということで、この地域は大いに沸いたことと思われます。 その人骨が出てきたのは………

こちらの岩壁であります。 その所々に穴が開いていて、洞穴好きでもある私は中を覗いたり入り込んだりしてみたかったのですけど………

現在は崖が崩れる危険があるということで柵で塞がれていて、近付くことはできないようになっています。 一方、「三ヶ日原人」としてフィーバーを巻き起こした(?)人骨は、その後技術が向上した調査や分析の結果、縄文時代早期のものと判明しました。

実は、2月の初旬に私が「牛川原人」を探究するコースを設定した際に、こちらの只木遺跡にも寄る予定だったのですけど、父の突然の訃報によって中断したままとなっていました。 改めて訪れてみたら、発見の地は牛川とは違って静かなみかん畑の中にあったのですけど、ロマンを感じることはできました。 ブログの文字数が多くなったので、このあたりで一旦仕切りたいのですけど、まだキャンプの「キャ」の字にも至っていないような……… そ、それでも次回は少なくともキャンプ場で設営するところまではいけると思うので、懲りずにお付き合いくださいませ。


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