波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

雪の中での訪問と紅くなった平等院(スピフェス・宇治伏見散策その4)

2025-03-19 01:25:59 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

三重県の津市で開催された日本スピッツのオフ会に参加し、その勢いのまま私たちは宇治市や京都市伏見区方面を散策する拠点(車中泊)となる道の駅お茶の京都みなみやましろ村に滞在していました。 ところが、夜が明けたら想定外の雪に見舞わられ、ノーマルタイヤの車で来てしまった私は窮地に追い込まれることに。 どうするどうなる、白黒茶々さん

とりあえず、に朝のご飯を食べさせることにしました。 それにしても深雪まではいかないまでも、まわりは思いっきり雪景色になっていますね。 それでも道路の状況によっては、身動きできるかも知れません。 この道の駅から続いている国道163号線は、20km程先の木津川市までは下り坂の山道となっています。 その道路が積雪や凍結していたり、少しでも滑るようなことがあったら、そこから先には絶対に行かないという条件で、私は出発することにしました。 その山道も多少は踏み慣らされているのですけど、交通量が多いと思われる木津川市まで出れば、あとはなんとかなるでしょう それから30分後………

多少の緊張感を保ちつつも、私はヤマを切り抜けて木津市内を走行していました。 途中で、スリップしたと思われる軽トラックが2台、側溝に脱輪しているのを見かけたのですけど、私は自分たちのことに必死で、助ける余裕はありませんでした。 そして、その日最初の目的地にたどり着きました。 それは京都府南部の都市にある………

めぇさん家でした 着いてすぐに、彼女の家の子のひかるちゃんみずきちゃんが、私たちを出迎えてくれました。 私たちにとって、ひかるちゃんは5年ぶりぐらい。 みずきちゃんとは、初対面となりました。 めぇさんはこの日は予定があったのに、私たちのために時間を開けてくださいました。

こちらの家は新しくて、お庭はワンコが遊びやすいように設計されていました。 それにしても、波と狛は初めてのところなのに遠慮がなくて、お庭の中を好き勝手に動き回っておられる

そのあとは、ひかるちゃんとみずきちゃんの縄張りにもなっている、めぇさん家の周辺を散歩しました。 その頃には、再び雪が降ってきて。 恐いから、これ以上積もらないで

………と言いつつも、景色の綺麗なところでみんなで記念写真をすることにしました。 雪が降らない地方の私にとっては、雪の中のスピッツは珍しく思えます。

さらに、別バージョンで 最年長のひかるちゃんは14歳にもなるのに今のところ病気知らずで、足取りもしっかりとしていました。 また、みずきちゃんは波とは誕生日が1日違いの11歳(3月19日現在)。 狛も若いといえない歳になりつつあるのですけど、またみんなで元気なまま再会できることを願っています。 そのあと、私たちは雪が降る中を車で走っていき………

宇治市の観光開発の駐車場に入りました。 こちらは観光名所で世界遺産の平等院に近くて、その垣根も見えています。 しかし雪の勢いが衰えないので、波と狛には車の中で待機してもらって、私だけで散策することにしましょう。 それでも、盛り上げポイントを最後に持っていきたいので………

平等院の西側まで回り込んで、宇治橋の袂にある紫式部の像のところから入っていくことにしました。 紫式部さんといえば、昨年は大河ドラマ「光る君へ」で主人公となり、吉高由里子さんが演じましたよね。 当初、私はそのドラマに入り込めなくて、離脱しかけたのですけど、なんとか踏み止まって、結局最終回まで観ました。 しかし……… これはあくまでも私の意見なのですけど、藤原道長柄本佑)のほうが目立っていて、彼が主役だったように思えてしまいました。 ドラマは道長が死んだところで終わっていますし。 それから、紫式部という名前は出てこなくて、「藤式部」のままとなっていました。 それはさておき、彼女の石像は平安美人で、知的な雰囲気も漂っていました。

さらに私は、平等院門前町を進んでいきました。 宇治の抹茶を使った団子スイーツなどに誘惑されつつも、突っ切っていきました。

やがて、表門の前に到達 朱色の立派な門の前には、このような雪の中でもたくさんの観光客が押し寄せていました。 このあと、平等院で最大の見どころとなる鳳凰堂が登場するのですけど………

私がン十年前に訪れた時は色褪せていて、朱色ではありませんでした。 屋根の上の鳳凰も、銅が変色した緑青色でしたし。 その鳳凰堂は、平成24年(2012年)から2年かけて改修工事がおこなわれ………

創建当時の色鮮やかな姿に甦りました 併せて鳳凰にも金箔が貼られましたし。 平等院は永承7年(1052年)に、関白・藤原頼道によって、父・道長の別荘を寺院に改めて創建されました。 その翌年には、阿弥陀如来像を安置する阿弥陀堂鳳凰堂)が建立されました。

そうしているうちに、建物の正面に回りました。 10円玉の絵とほぼ同じ位置で、なかにはその硬貨と一緒に記念撮影をする人もいました。 雪雲に覆われて暗ぼったいのが惜しいのですけど、鳳凰堂の雪景色も綺麗で、ある意味貴重かも。 やはりその周辺も賑わっていて、特に海外からの観光客が多かったです。
700円の入場料には、平等院の宝物を展示する平等院ミュージアム鳳翔館のぶんも含まれています。 その内部はすべて撮影禁止なのですけど、せめて近代的なデザインの外観だけでも撮っておけばよかったです。 私が中の展示物を見学している間に、雪はやむだろう………

………という希望的観測をしていたのですけど、そうはなってくれませんでした。  それでも氷点下まではいかなかったので、次の目的地まで車でスリップする心配はあまりありませんでした。 私たちは宇治川を渡って、京都市の伏見区に入っていき………

伏見桃山陵(ふしみのももやまのみささぎ)に続く大階段の前まで来ました。 この一帯はかつて伏見城だったところなのですけど、明治天皇の御陵が造営されてからは宮内庁の管理地となりました。 神聖な場所なので、ワンコを連れて入ることはできないのですよ。 なので、またしても波と狛には、駐車場の車の中で待っていてもらいました。 そうしたら、麓からの高低差が30mもあるという230段の階段を上っていきましょう
ハアハア……… 士気を高めてから挑んだのに、すぐに息が上がってしまいました。 直線の階段が天まで続いているみたいで、終わりがなかなか見えませんし。 これはエラい
※「エラい」とは言っても、決して褒めているというワケではありません。 これは白黒茶々さんの地元の遠州弁で、疲れたとかしんどいという意味があります。 皆さまの手前上、茶々さんが途中でリタイアするなんてことはないとは思いますけど、ヒーローショーで観客のチビっ子たちがピンチに陥ったヒーローに向ける「がんばれ〜!」みたいな声援を送っていただけたら、有り難いです。(編集部からのお願い)


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願いを叶えて!事任八幡宮と粟ヶ岳

2025-02-22 00:59:01 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

年の瀬が迫った12月15日に、私は波と狛を伴って掛川市を訪れました。 掛川城掛川古城を散策してからも、まだ時間と体力に余裕があった……… というよりは、もともとそれだけで終わるつもりはなかったので、さらなる目的地に向かいました。 そのような勢いで、私たちが向かったところは………

掛川市東部の旧日坂宿の近くにある、事任(ことのまま)八幡宮さんでした こちらは由緒ある神社なのですけど、ワンコにも優しくて、一緒に参拝することができます。

事任八幡宮は、成務天皇の御代(西暦190年頃)に創建され、平安時代の大同2年(807年)に現在の場所に移されたとされています。 「枕草子」にも名前が記され、“願い事がことのままに叶う神社”として信仰されています。 ちなみに、主祭神は己等乃麻知媛命(ことのまちひめのみこと)であります。

願い事を口に出して言うとより叶うというので、私は「癌の手術で体が弱った母が、元気になって長生きできますように」と、お願いしました。

神社の境内にはいくつかの巨木があって、厳かな雰囲気がより漂っています。 拝殿の右奥には、「八幡宮の大杉様」と呼ばれる御神木の大杉があります。 根回り11.2m。 高さが35.6mもあるそうです 祈願ロウソクを立てて祈願すると、願い事が天に届くと云われていて、パワースポットでもあるみたいです。
事任八幡宮でのお詣りを終えたら、この日の最終目的地となる粟ヶ岳に向かいますよ その山は車で上れないこともないのですけど………

山頂に続く道は、幅が車1台がなんとか通れるぐらいしかないうえに、かなり曲がりくねっています。 ヘアピンカーブもありますし、頼むから対向車来ないで〜 ………なんて言っていたら、来てしまいましたっ それでも、退避スペースの近くだったので、なんとかやり過ごすことができました。 その後も、もう2台程すれ違いました。 そんな険しい道が4km程、続くのですよ。 そうしているうちに………

ようやく山頂の駐車場まで行き着くことができました 粟ヶ岳は標高が532mもあるので、「高い」を通り越して天界に来たような気分になりました。 こちらは標高の高い山ということもあって………

テレビ局やラジオ局などの電波塔が林立しています。 さらにその奥には………

阿波々神社……… あなみなみじんじゃ? いや、アババ神社? 読み方はわからないのですけど、立派な神社がありました このような山岳にこれほどの規模の社殿を造るなんて、スゴいことです
※阿波々神社は「あわわじんじゃ」と読みます。(編集部調べ)

せっかくなので、標高500m以上もある天空で「狛(犬)と狛」をやっておきましょう 注文したワケではないのに、狛は吽形の狛犬に合わせて口を閉じてくれました。
話は変わって、阿波々神社は天平8年(736年)に創建されたと云われる、歴史のある神社です。 掛川(古)城主だった朝比奈氏に代々崇拝され、近代に山頂まで自動車道が開通したのに伴って、社殿や社務所も整備されました。 また、その神社の裏側には………

粟ヶ岳の頂上があるのですよ しかし、そのまわりは木が茂っているので、見晴らしは良くありません。 それはさておき、粟ヶ岳には「無限の鐘」の伝説があります。

第45代聖武天皇の天平年中(西暦729~748年)のことである。小夜の中山の東の坂を下ると、菊川の里という所があり、その里(菊水の滝)に仙人が住んでいた。その仙人が常に信仰している不動明王の誓願によって、鐘を供えることを考え、小さな釣り鐘を作り、粟ヶ岳の頂上の古い松の枝に掛けた。 この鐘を一度突くと災難を免れ、二度突くと病難を除き、三度突くと家が栄え、四度突くと運が開けて出世をし、五度突くと子孫までも栄え、六度突くと武運長久となり、七度突く者は末永く長者になれるという噂が広まった。 この噂を聞いて、鐘を突こうとして登山する者が多くなった。しかし、当時は道も小さく、しっかりできていないので、足を滑らして谷底に落ち、怪我をしたり、死ぬ者が多く出た。そのため、誰れ言うとなく「地獄へ落ちる鐘」と恐れられた。 小鮒川の畔に、一人の長者がいた。この人は強悪無道な人なので、人々は、荒石長者と呼んでいた。この長者も、世の常の人のように、人に勧められ、末長く長者になれると信じ、欲に誘われて鐘を突きに出かけた。どうやら粟ヶ岳の頂上に登り、松の枝に釣ってある鐘を張り合い込んで突いた。ところがどうしたところであろう、鐘を突くと同時にそのまま地獄の底に落ちていった。
三度の食事は、みんな蛭となってしまって、食べることができず、大変な苦しみにあって、憐れな最期を遂げたということである。
それから「女房の朝寝と無間の鐘は、朝のご飯が蛭(昼)になる」という歌が歌われ、今も伝わっている。 このように、罪多い人たちが鐘を突いたので不幸を招いたのであるが、この鐘があるために世人を惑わし、更に罪を作り出しているということは発願者の意図に反することである。そこで、天禄二年(西暦972年)住僧は、この鐘を外して頂上の井戸(約百米)の底に埋めてしまった。この井戸を無間の井戸という。(「史跡と伝説」掛川市商工観光課)より)
阿波々神社の境内にはその「無間の井戸」の跡があるのですけど、私は気付かずにスルーしてきてしまいました。

………が、私が無間の井戸の存在を知ったのは、今回の散策から帰った後のこと。 なので、この時点では何の澱みもなく、粟ヶ岳世界農業遺産茶草場テラスからの見晴らしを堪能していました。 そこに広がる風景は天界から見下ろしているかのようで、大井川の流れや島田市街を手に取るように眺めることができました。 そうしている中で、「後ろ姿のお坊さんみたいな像は何?」という声が聞こえてきたみたいなので、お答えします。

こちらは栄西禅師という、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧です。 彼は、中国から茶種を持ち帰り、喫茶の法を普及させた「茶祖」でもあります。 今は粟ヶ岳から、お茶の生産が盛んなこの地域を見守っています。

あとその近くには、今年の干支となる巳も造られていました。 年賀状の写真に使いたくなるのですけど、今年は出すことはできませんでした。 なので、この巨大なヘビでもって、今回の日記を締めさせていただきます。



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廃校とお寺とお城の紅葉

2025-02-08 01:48:59 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

前回からの続きで、私はとともに新城市内で紅葉を追い求めています。 12月初旬の日照時間が短い時季なのですけど、果たして私たちは日没までに満足&納得いく紅葉を見ることができるのでしょうか? 道の駅もっくる新城でちょっと遅めのお昼を済ませてから、私たちは車1台がようやく通れる険しい山道を上っていきました。 その坂道の途中に………

ちょっと開けた広場がありました。 実は、こちらは市川小学校があったところなのですよ 創立した年などは不明なのですけど、3つの教室に職員室、給食室だけの、小ぢんまりとした学校でした。 しかし、昭和48年(1973年)に周辺の小学校との統合によって、閉校してしまいました。 校舎校門は撤去されたのですけど………

その敷地の一角に、二宮金次郎さんの石像が残っています。 こちらの像は昭和31年(1956年)に設置されたもので、その台座には「尊徳像」と刻まれています。

こちらの古いフェンスも、学校があった頃からのものと思われます。 そういえば、このあたりは新城市内でも標高の高いところなので、紅葉は………

一部ですけど、いい感じに染まっていました。 対向車が来ることを恐れながらも、ここまで来たカイがありました。 そうしたら、これにてミッション終了 ………にしてもいいのですけど、このあとに予定していたところの様子も気になるので、そちらに向かいます。

………ということで、市川小学校跡から30分ほどかけて、醫王寺さんにやって来ました お寺の裏山は、天正3年(1575年)6月の長篠・設楽原の戦いの際に、武田勝頼が陣を構えたところで、現在は木造の物見櫓展望台)が設けられています。 ちなみに時刻は15時半。 かなり日が陰ってきていますけど、まだ大丈夫です。

そんな醫王寺さんの境内を、散策しますよ 蓮池の向こうに、いい感じの紅葉が見えて来ました。

山門の前で写真を撮ったら………

「片刃の葦」の伝説がある、弥陀池を眺めました。 池と句碑と紅葉の3点セットが揃った風景は、趣があっていいですね

そして私たちは、本堂の前に行き着きました。 冬の夕暮れに近いからなのか、私たち以外に参拝者はいませんでした。 まだなんとか間に合うので、もう1ヶ所寄ってもいいでしょうか?

長篠・設楽原の戦いといったら、やっぱり長篠城はハズせませんよね ということで、日本100名城にも指定されているこちらのお城にやって来ました。

しかし、本丸跡を含めた主要部は、ワンコと一緒に入ることはできません。 なので、その周辺を歩いて周り………

鳥居強右衛門「呼びかけ」の伝承地に至りました。 彼は一昨年の大河ドラマ「どうする家康」で有名になりましたね。 長篠・設楽原の戦いで、長篠城が武田勝頼の大軍に包囲されている中をかい潜って、強右衛門は徳川家康がいる岡崎城まで走りました。 援軍を向かわせる約束を取り付けたのですけど、そのことを長篠城まで報告に行く途中で、武田の軍に掴まってしまいます。 勝頼は「城兵に『援軍は来ない』と言えば、命を助けて褒美もやろう」と持ちかけたのですけど、強右衛門は「援軍は向かっているから、もう少し持ちこたえよ 」と叫んだのです。 怒った勝頼は、強右衛門を別の場所で磔(はりつけ)にして処刑。 それでも、長篠城の兵は一致団結して城を守りきり、やがて設楽原での織田・徳川軍の勝利へと繋がっていったのでした。 こちらには、以前は文字が消えかかった木の案内看板があったのですけど、新しいものに替えられていました。
このあと私はお城に入っていきたいので、波と狛は車の中で待機していてくださいませ。

閉館時間が迫っている長篠城址史跡保存館をスルーしていき………

本丸の土塁空堀を眺めました。 それらはかなり堅固なのですけど、かつては土塁がもっと高くて、空堀も今よりは深かったのですよね。

それらに守られた本丸跡は、かなり広い空間となっています。 さらにお城の東側に宇連川、南側には寒狭川が流れ、長篠城はそれらが合流する天剣の地に位置しています。

その寒狭川を挟んだ対岸で、鳥居強右衛門は磔にされたと云われています。 武田勝頼は見せしめのつもりでお城からよく見えるところで処刑させたと思われるのですけど、城主の奥平貞昌信昌)や兵士たちはその時、どんな気持ちだったのでしょうか?

そうそう長篠城の本丸跡の真横には、飯田線の線路が通っています。 ちょうどそこに列車が来たので、大急ぎでスマホカメラを起動させたのですけど、ちょっと遅れてしまいました。 そういえば、紅葉のことをすっかり忘れていました その頃の長篠城の木々は………

こうなっていました 場所によっては、綺麗に色付いていますね。 さらにお城の近くを歩いていったら………

国道151号線から長篠城址に入るところには、磔にされた鳥居強右衛門が描かれた看板があります。 敵兵の落合佐平次は強右衛門の勇気と忠誠心に感服して、彼の最期の姿を描いて旗印にしました。 それは強右衛門の姿を知ることができる唯一の史料となります。 しかし「だもんで豊橋が好きって言っとるじゃん!」吉田ちぎりは、この絵がトラウマとなっています。 以前の看板はこうだったのですけど………

今は全身真っ赤になっておられる さらに夕日の光を浴びて、その赤さがより際立っていました。 これは、私たちがこの日見てきた紅葉よりも赤いといっていいでしょう そんな強右衛門に、不謹慎ながらも私から紅葉大賞を捧げます。



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今更ながらの紅葉狩りと鹿カレー

2025-02-05 00:47:25 | お出かけ

鬼は〜そと、福は〜うち!白黒茶々です。

節分の時季に則って、豆まきのかけ声で挨拶させていただいたのですけど、今回は節分の話ではありません。 とはいっても、今回の日記を更新する頃には節分も終わっているので、そのフレーズを使うのも考えものなのですけど。 それどころか、今回は季節を思いっきり無視して、昨年に載せきれなかった紅葉狩りの話をさせていただきます。 ということで、話は昨年の12月1日にまでさかのぼります。

その日の午前は、私はとともに豊橋競輪場で開催された犬ハピに行きました。 さらにそのあとは新城市になだれ込んでいき、冨賀寺さんに行き着きました。 その時は紅葉がかなり遅れていて、11月はほとんど色付いていませんでした。 それならば12月まで待って、さらに山間部の新城市まで行けば、きっと綺麗なものを見られるハズ そんな思いを抱いて、紅葉の名所としてはあまりメジャーではないのですけど、その見どころとなりそうな、こちらのお寺に来てみました。

冨賀寺さんは1300年もの歴史のある、高野山真言宗の寺院です。 ちなみに御本尊は十一面観音 朱塗りの薬医門を潜っていった先には………

江戸時代に造られた池泉式の庭園があります。 傾斜した山と水の流れが、優美な自然景観を演出していますね。 こちらの庭園は、新城市の文化財に指定されています。

こちらの弁財天庭園も、江戸時代に造られました。 その風景を眺めながら、境内を進んでいったら………

本堂に行き着きました。 こちらの建物は、江戸時代後期の寛政5年(1793年)に建てられました。 モデル犬もポーズや立ち、いや、座り位置はいいのですけど、波ちゃが目をつぶっちゃった

そういえば、今回こちらに来たのは紅葉が目当てでした。 来た道を引き返していき、境内の木々を見て回ったら………

う〜む……… まだ色付いていませんね。 弁財天庭園のあたりはちょっといい感じでしたけど、まだ実力を(?)出し切っていません。 あ、それでも冨賀寺さんは庭もお堂も立派で見応えがあるので、紅葉の時季とは関係なく、また訪れたいです。

その冨賀寺さんの手前には、廃校となった宇理尋常高等小学校がありました。 企業の所有となってからは、改造されながらも木造の校舎が残っていました。 4年ぶりにそこを訪れたら………

そんな……… 企業は撤退したみたいで、昔の校舎もきれいさっぱり無くなっていました。

廃校の朽ちた建物は、このようになる運命にあるのですけど、もう1回ぐらい見ておきたかったです。

あ、それでも校舎の土台や校門の門柱は残っていたので、まだマシかと。 あと、できることなら、その外のほうに立てられた学校跡の石碑が植え込みに飲み込まれているので、枝を払うなどしてもらいたいです。 そんなお寺と廃校をあとにした私たちは………

次に道の駅もっくる新城に向かいました。 こちらでの目的は……… もちろんランチですよ 予定がズレ込んで、もうじき14時になるのですけど、これから腹ごしらえをします。 実は私にはすでに決めてきたメニューがあって、それは何かといいますと………

しかのこ……… ではなく、鹿肉を使ったジビエ料理といえなくもない料理の………

鹿カレー(800円)にございます 温玉も乗っているので、食べている途中で割ってカレーに混ぜることもできますね。 こちらの道の駅では、猪の骨から出汁を取り、さらに猪肉を乗せたししラーメン(900円)なるものも、売られているのですよ! 以前は熊ラーメンもあったのですけど、私が食べる決意をする前にメニュー表から消えてしまいました。 それよりも鹿カレーのほうは、鹿の肉は臭みがなくて柔らかく、カレーのルーにも馴染んでいました。 ただ「大」を謳うほどの量ではなく、ライスに対してカレーの量が負けているのが、悔しかったです。

それはさておき、もっくる新城は「負けヒロインが多すぎる!(負けイン)」のモデル地と聖地にもなりました。 八奈見杏菜(CV: 遠野ひかる )がこちらで売られている五平餅を見ながら、温水和彦(CV: 梅田修一朗)に糖質について語ったり、月之木古都(CV: 種﨑敦美)と小鞠知花(CV:  寺澤百花)がレトルト鹿カレーと梅ジャムを手にしつつ、それらの攻めと受けの立ち位置について議論したり、………と。 そういうこともあって、「負けイン」の何かがあることを期待して来てみたら、八奈見ちゃん焼塩さん小鞠ちゃんの3人ののぼりが立っていました。

あと、こちらには無料で利用できるドッグランもあります。 小規模で、10kg以内の小型犬のみを対象としているので、波と狛ならギリギリセーフ ………ということにしておきましょう その中で、居合わせたワンコたちと交流することができたのですけど、狛ちゃは他の飼い主さんに甘えまくっていました。
道の駅でお昼ご飯を食べて、軽く食後の運動も済ませたので、私たちは紅葉狩りの続きをすることにしました。 時刻は14時半、日没までに私が納得・満足できる紅葉に行き当たることができるのでしょうか? そんな季節外れの紅葉狩りに、皆さまもお付き合いくださいませ


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なかなか地下から抜け出せぬ

2024-12-18 01:33:40 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

前回から、私はとともに豊橋市の岩屋緑地に来ています。 岩屋山の頂上に立っている岩屋観音様に触り、麓の鐘楼の鐘を突いてから………

せっかくなので、久しぶりにその緑地内にある小渕志ちさんの像に逢っていくことにしました。

二川に糸徳製糸場を造り、明治中期から昭和初期にかけて豊橋市の製糸業の発展に貢献した志ちさん。 ちなみに波狛日記の人物伝でも、彼女のことを採り挙げたことがあります。 この近くで、あともう1ヶ所寄り道をしていってもいいでしょうか? 「ダメ」と言われても、すでに私の足はそちらに向いているのですけど。 そこは波と狛は入れないので、車の中で待っていてくださいませ。

そのようにしてやって来たのは、岩屋緑地の東の端にある豊橋市視聴覚教育センターでした その入口で、「負けヒロインが多すぎる! (以降は『マケイン』と略させていただきます)」の八奈見杏菜(CV: 遠野ひかる)がデフォルメされた姿で出迎えてくれました。 しかも、手には豊橋名産のヤマサのちくわを持っていますし。

プラネタリウムに続く階段の下には、焼塩檸檬(CV: 若山詩音)がいました。 こちらの施設はかなり古くて、私が小学校の校外学習でン十年前に来た頃から、ほとんど変わっていません。 調べてみたら、昭和49年(1979年)に開館していました。 プラネタリウムは有料なのですけど、併設されている地下資源館ともども入場無料となっています。 実はそれらの施設が………

「マケイン」の舞台にもなったのですよ 私のいる地域では地上波による放送はなくて、ネットの配信に頼るしかなかったのですけど、こちらの施設が「マケイン」を介して全国区に広められたのですよね。 豊橋市や施設の職員のテンションが上がるのも、ムリはありません。

そんな「マケイン」に関する展示の中に、そのアニメのキャラクターデザインを担ったいみぎむるさんの直筆サインがありました

そうしたら、地下資源館のほうにも入っていきましょう 「マケイン」の第6話では、温水和彦(CV: 梅田修一朗)らのツワブキ高校の男女5人が、こちらを訪れました。 気合を入れておめかしをしてきた八奈見杏菜は「完全に青春でしょ? 映えでしょ? 見て、私の気合の入った格好を。 それが地下資源館って何? 名前に『地下』とか付いてんじゃん 」と地団駄を踏んで怒ったのですけど、結果的にはいろいろと楽しむことができたみたいで。

坑道を模したトンネルを降りたところには、実際に鉱山で人を乗せたミニサイズのトロッコが展示してありました。

また、南極の石がケースなどに入れられていない状態で置かれていますし。

さらに、世界最大級のトパーズの原石もありましたよ これは「マケイン」にも出てきたみたいで。 それらの他にも気になる展示がたくさんあって、昔ながらの施設なのにクオリティーはかなり高かったです。 八奈見ちゃんがついつい惹き込まれるのも、ムリはありません。 実は私には次の用事が控えていたのですけど、地下からの脱出に失敗して、かなり遅れてしまいました。 その用事は何かといいますと………

波と狛を伴う「犬キャン△」でした 本来なら、キャンプ場でテントなどを設営してから、その中でお昼を食べる予定でした。 しかし、そのようにするとあまりにも遅くなるので、中間地にある自宅で簡単に済ませることにしました。 そのあとは、地元のスーパーで食材を買っていき………

そのままキャンプ場に直行すると思いきや、その途中にある湖西球場に寄り道していきました。 ちょうど1週間前に、波と狛を連れて野球観戦をしたこの球場では………

今度は浜名湖の周辺に点在する高校を集めて、「浜名湖ベースボールカップ」なるイベントがおこなわれていました。 その対象となるのは、湖東高校湖西高校湖南高校湖北高校に、新居高校オイスカ浜松国際高校を加えた6校。 それらの高校が勝ち数を競い合って、順位を決めるのであります この日は2日目で、午後に試合をやっているということは、決勝戦ってトコでしょうか? 気になる試合の経過は………

う〜む、湖西高校がリードしていますね。
※その後も湖西高校が優位に試合を進め、浜名湖の頂点に立ちました。 一方の茶々さんの母校の新居高校は、最下位でした。(編集部注)

そのあとは、久しぶりに湖西球場から近いといえなくもないところにある、前田川拱渠(きょうきょ)にも寄っていきました。 こちらは、茶屋松拱渠と同じ明治時代に造られたレンガ張りのミニトンネルで………

茶屋松拱渠よりは大きいのですけど、高さがないからでしょうか? すぐ近くに車が通れる大きめのトンネルが造られたこともあって、現在は歩行者と自転車専用の通路となっています。 また、拱渠内には照明が付けられているので、心霊スポットや肝試しなどには使えそうにありません。

………なんて言っていたら、怪しい者が出てきましたよ! これは監視カメラでしょうか? それとも、誰かが撮ったのでしょうか?(編集部混迷)
地鶏、いや、自撮りです。 前置きがかなり長くなってしまいましたけど………

14時半頃に、やっとキャンプ場にたどり着きましたよ この風景だけでは、情報が少なくて場所を当てるのが難しいのですけど、こちらは湖西市にあるヒュッゲ湖西市民キャンプ場にございます それよりも、キャンプ場入りが遅れたのですけど、「ヒロシのぼっちキャンプ」で、ヒロシさんがキャンプ場に到着する時間はいつもそれくらいなので、大丈夫ですよ。 たぶん、きっと。 その番組では、テントを張って火をおこすところまでやるのですけど、こちらは日記の尺が足りなくなってきた(?)ので、設営前の何もない状態のまま「TO BE CONTINUE」と言わせていただきます。 皆さまは次回の日記まで、今回このサイトにどのテントが張られるのか予想しながら、お待ちくださいませ


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ラテ・ラテと岩屋観音様

2024-12-14 00:59:53 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。
先日、今年の流行語大賞が発表されました。 そのイベントがあると年の瀬が迫っていることを実感するのですけど……… 候補に挙げられた言葉も含めて「知らない、初めて聞いた」とか「そんな言葉、口にしたことがない」とか思うのは、私だけでしょうか? それに、今年の大賞となった「ふてほど」なんて、誰かが言ってるのを聞いたこともありませんし。

※「ふてほど」は、今年大ヒットしたドラマ「不適切にもほどがある!」のタイトルを略した言葉です。(編集部注)
その年の世相に由来する言葉は気になるのですけど、ムリヤリ流行語に当てはめようとすることに無理があるのでは。 なので「◯◯年の出来事や世相を反映したワード」として発表すれば、今よりは受け入れてもらえると思います。 あともう一つ、言わせてもらってもいいでしょうか? 毎年、流行語大賞は12月の初めに発表されるのですけど、その年はあと1ヶ月残っています。 しかも、流行語の集計はもっと前からおこなわれるので、対象となる範囲はより狭められることに。 そのようにしてカットされた期間は、翌年まで繰り越されることはないので、なかったことにされてしまいます。 その間にインパクトありありな事象が起こったら、どう申し開きするのでしょうか?

………なんてことを思い、悶々と過ごしていた11月10日の日曜日の朝に、私はを伴って、9月の末に出来たばかりのラテ・ラテさんというカフェに入っていきました。 こちらでの目的は……… もちろんモーニングですよ

この日は豊橋モーニングを食べるところから始めると決めていたのですけど、それをどのお店にするのか、家を出る直前まで迷っていました。 最終的には老舗店と新規店の2つに絞られ、「新しいほうのお店を調査して、私の手で広めたい 」という流れとなりました。

建物は以前からあったものを改装したのですけど、特に店内は綺麗でオシャレになっていました。

そうしたら、注文するメニューを選びましょう とはいっても、私にはすでに心に決めてきたものがあるのですけど。 それからしばらくして………

私のテーブルに、ラテ・ラテセット(コーヒー代の480円のみ)が運ばれてきましたよ スクランブルエッグがやや少なめに見えたので、さらに私はゆで玉子(80円)をチョイスしました。 ガラスのカップに入ったコーヒーは量がやや多めで、途中で味変する際には、ミルクが混ざっていく様子を観察することができました。 それだけでも美味しくて満足することができたのですけど、のちにモーニングのメニューの種類は増やされたそうです。 そうしたら、再び調査に行かなければいけませんね

次に私たちは、岩屋緑地の中にある岩山に向かいました。 その山頂には、岩屋観音像が立っています。 今からその観音様の足元まで登っていきますよ

その麓には、観音堂があります。 天平2年(730年)に、行基が千手観音像を刻んで岩窟に安置したのが、その起源とされています。

岩屋の下は空洞となっていて、底から見上げると迫力があります。 そうしたら、今からちょっとした登山気分を味わいましょう その途中で道を外れて、山の裏側(北側)に廻っていったら………

古いコンクリート製の構造物がありました。 これは戦時中に造られた、重機銃座の跡であります 本土決戦に備えて、豊橋南部方面から上陸してくる敵を、側面から攻撃するために造られたそうです。 2基以上はあるのですけど、私はこの1基しか見つけられませんでした。

再び岩屋登りに入りますよ 足元はゴツゴツとした岩場で、踏み幅も不規則なのですけど、波も狛も気を付けて登っていってください。 それから間もなくして………

山頂部に行き着きました 私たちがここに立つのは2年10ヶ月ぶりで、2回目となります。

まずは、観音様と一緒に写真を撮っておきましょう。 その際には、波と狛を乗せるのにちょうどいい大きさの岩がありました。

次に、私は観音様のお御足を触らせていただきました。 先代の像は戦時中に金属供出で持っていかれたのですけど、昭和25年(1950年)に今日見られる像が再建されました。

岩屋の観音様の身長は、約2.9m。 穏やかで優しいお顔をしています。

その観音様が立っている岩屋山の標高は70m程なのですけど、切り立っているうえに周りに視界を遮るものがないこともあって、見晴らしはとてもいいです。 北西の方向をズームアップしてみたら………

豊橋市役所がありました ということは、その庁舎の展望ロビーからも岩屋観音様が見えるということに。 機会があってその時に忘れてなかったら、確認してみます。

さらに南東のほうには、ラウンドワンのんほいパーク(豊橋総合動植物公園)展望塔観覧車が、手の届きそうなところにありました。 実際にはいくら手を伸ばしても、触れませんけど。 岩屋山の頂上で、征服した気分を存分に味わったら………

下山して、今度は麓にある鐘楼に向かいました。

こちらの鐘は、檀家や関係者でなくても、私のような一般人でも時刻に関係なく突くことができるのですよ ただし、1人1回だけ。 そうしたら私がこの鐘を鳴らして、今回の日記を締めることにしましょう。 せ〜のっ

ゴオオオォ〜〜〜ン!
この鐘の音は、時空を越えて皆さまのお耳にも届いたでしょうか? 波と狛は、舘山寺で私が鐘を突いた時と同じように、その音や音波に動じたりはしませんでした。 ………と、綺麗にキリよく(?)終わらせたような感じになったのですけど、次回も岩屋山の麓から話を始めさせていただきます。


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スポーツの日に日本一周

2024-11-27 03:55:49 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。
前回の予告の通り、今回は日本一周をしようと思います。 いや、正確にはすでにしてきたので、その様子をお伝えします。 「日本一周」というワードからは、かなり壮大で大変なイメージが思い浮かぶのですけど、こちらでは散歩感覚でサラッとできるのですよ とにかくそのカラクリも含めて、お伝えします。 前回私がと訪れた前芝地区から程近い、豊川市の入口には………

このような案内看板があります。 「日本列島って、今立っているところがそうなのでは?」と思われたそこのアナタは、一応間違ってはいません。 実は、この広大な日本列島 ………って、ここでは「世界の大国に比べたら小さい」とか「狭い日本そんなに急いでどこへ行く?」などのようなことは言わないでください。 とにかく、日本列島の中の三河湾に面した三河臨海緑地の中には………

小さな日本列島があるのですよ その名もズバリ 三河臨海緑地「日本列島」 Google Earthで見ると、よりわかりやすいと思います。 北海道に本州、四国、さらには九州っぽい地形が並んでいて、日本列島を形作っています。 そんなスモールサイズの日本列島に侵入し、実際に歩いて回ってみます そこがどうなっているのかというと………

その日本列島は改造中でした。 入口となっているアーチは位置関係からすると、関門大橋ってトコでしょうか? そうしたら、私たちは山口県から入っていき、山陰地方から時計回りに日本を一周していきます それから間もなくして………

「東尋坊」と刻まれた、石柱が見えてきました もう答えを言ってしまっているのですけど、このモニュメントは福井県にある東尋坊をイメージしているみたいです。

工事中で近付けないところもあるのですけど、日本海側を歩いていったら………

王将ベンチがありました 「王将」といえば、餃子の……… いや、これは山形県の天童市が全国一の生産量を誇る、将棋の駒がデザインされています。 さらに私たちが(疑似日本列島を)北上していったら………

北海道の花でもある、ハマナスが描かれたプレートがあるところに行き着きました。 位置的には札幌市のあたりなのですけど、他に北海道を思わせるものは見当たりませんでした。 それはさておき、津軽海峡を越えて東北地方に入っていきますよ

そうしたら、すぐにリンゴのモニュメントやベンチがありました こちらはリンゴの産地でもある、青森県ですね。

青森県の南隣は、岩手県となります。 そのあたりには、その地方の民謡の「南部よしゃれ節」の歌碑がありました。 さらに私たちは南下していき、関東に入っていきました。

そうしたら、埼玉県の民謡となっている「通りゃんせ」の歌碑が この歌は、川越市の三芳野神社がモデルになっていると云われているのですけど、諸説あるみたいです。

これは、東京都の高層ビルをモチーフにしているのでしょうか?  このあたりで、ちょっと内陸部に入ってみることにしましょう。

そうしたら、長野県の県花のりんどうに行き当たりました。 避暑地にもなっているこの県で、波ちゃは小休止でしょうか?

神奈川県のエリアには「赤い靴」の歌碑があって、さらにその近くからはミニ富士山を仰ぎ見ることができました。

そのあと、私たちは愛知県に来ていました。 そこには県花のかきつばたのプレートと、高市連黒人(たけちのむらじくろひと)が安礼乃崎(現在の豊川市御津町のあたり)で詠んだ歌の歌碑がありました。 それよりも、私たちにとっては最も肝心な静岡県を通り越してしまいました。 それではいけないので、戻ってその県のことを示す何かを探しまくったのですけど、どうしても見つかりませんでした。 だからといって、ここで踏み留まっているワケにはいかないので、泣く泣く次のステージに向かうことにしました。 三重県から紀伊半島を横切っていったら………

なんか、キノコのようなベンチが見えてきました。 こちらはキノコ王国でしょうか? どこの県なのか見てみたら、高知県となっていました。 ………ということは、アレははりまや橋の擬宝珠を表現しているということに

さらに私たちは県を飛び越していき、気付いたら沖縄県まで来ていました。 その県花のでいごのプレートがあったのですけど、近くには虫のような花をつけるアメリカデイゴの木が植わっていました。

その次は、熊本県に行き着きました。 熊本県といえば、阿蘇山とか辛子レンコン的なものを連想するのですけど、県花のプレートしかありませんでした。 その県の花はリンドウなのですね。

その近くにはちょっとした坂があったので、「もしかして、長崎県のオランダ坂?」なんて言っていたら、そのことを示すものがありました。 あとはスタート地点の「日本列島改造計画」中の関門大橋に至り、私たちの日本一周の旅は終わりました。

実は、私たちは数年前にもこちらで日本一周をしたことがあって、その際には石川県の兼六園徽軫灯籠(ことじとうろう)を見つけました。 今回それが見当たらなかったのは、工事で仕切られたところだったのかも知れません。 それ以外にも気付かずにスルーしてしまった府県はかなりあるので、次回は内陸部を重点的に廻ってみようと思います。


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スポーツの日に前芝散策

2024-11-23 01:51:18 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

地域のお祭りの翌日の10月14日は、「スポーツの日」という祝日でした。 「あれ?そのあたりは体育の日ではなかったっけ?」と思われている方もいらっしゃるかも知れません。 そういう私も、祝日の名称が変わったことに気付かないまま、今年も「体育の日」と言うところでした。 いつの間にすり替わったのか調べてみたら、平成32年(2020年)に東京オリンピックとパラリンピックが開催されることになったのが、きっかけみたいです。 もとは昭和39年(1964年)の最初のほうの東京オリンピックの開会式がおこなわれた10月10日を記念したのですけど、今では10月の第2月曜日が「スポーツに親しむ日」という扱いとなっています。 しかし、そこからは記念日的な要素は感じられません。
それはさておき、今年のスポーツの日は私は仕事が休みとなりました。 せっかくの祝日なので、その日を有効に過ごそうと思い………

朝から県境を越えた隣町にある、豊橋市民病院にやって来ました こちらで検査などを受けると思われたそこのアナタは、ハズレです。 実はこれから、病院内にあるお店でモーニングをいただくのですよ

………というワケで、マスク着用と手指消毒をしつつ、ここまでやって来ました 私が目指してきたのは、和風レストランのなごみ茶寮さんというお店でした。 こちらではおにぎりモーニングが目当てで、注文するメニューやドリンクも決めてきました。 お店は日曜日が休みなので、敢えて祝日の月曜日に来たのですけど……… あれっ、閉まってる よく見てみたら、祝日も(モーニングの時間帯は)休みとなっていました。 これでは、私は半永久的に食べに来れないじゃないですか

………なんて嘆いていてもお腹が空いていることには変わりはないので、第2候補というか、同じ病院内にあるCAFE de CLIE(カフェ ド クリエ)さんに入ることにしました。 ちなみにこちらのお店は、私は数年前に1度だけ利用したことがあります。

そうしたら、注文するメニューを決めましょう こちらのお店はカウンターでオーダーと支払いを済ませてから、席に就くシステムとなっています。 ちなみにモーニングのメニューは、全部で3種類。 前回はBのソーセージのセットにしたので、今回は………

私が席に座ったのは、9時ちょっと過ぎ。 その頃のお店は、かなり空いていました。 それからしばらくして………

調理にひと手間かかるものも運ばれてきて、今回のメニューが揃いました はい、Aのハムタマゴサンドのセットにしました。 トーストのサンドサラダヨーグルトが付いて、バランス的にも見栄え的にも良くて、三拍子揃っています もちろん、それらは美味しかったですよ。 そんなちょっとリッチで満足感のあるモーニングを平らげたら、波と狛を連れて次の目的地に向かいますよ あ、その前にトレーやお皿などは返却口に運んでおいてくださいませ。

………ということで、豊川と豊川放水路をまたいでいき、前芝というところにやって来ました このあたりはかつては河口に面した湊町で、向こうに見える灯明台が、この付近を行き交う船の重要な指針の役を担っていました。

前芝の灯明台は、味があって見応えのある建物ですね。 江戸時代の寛文9年(1669年)に建てられ、明治40年(1907年)に県営灯台ができるまで使われていました。 ちなみに現在の建物は、昭和41年(1966年)に復元されたものです。

そんな前芝の灯明台をバックにして、写真を撮っておきましょう 角度によってはアレですけど、情緒のある建物です。 この地域でもう1ヶ所、以前から私が気になっているところがあるので、寄っていってもいいでしょうか?

………ということで、前芝学校にやって来ました こちらは平成28年(2016年)に隣接する小学校中学校が連携してできた、小中一貫校であります。

そのうちの東側の小学校の部分には、歴史を感じさせる門があります。 ………が、止まっている車がジャマです それはさておき、それ以外の門が開け放たれていて、校庭で親子連れが遊んでいるので、私も遠慮なく入らせていただきました。 その敷地内には………

二宮金次郎の像があるのですよ 今から150年以上も前の明治6年(1872年)に、前芝小学校の前身となる前芝学校が創立されました。 さらに大正13年 (1924年)に、衆議院議員加藤六蔵の依頼を受け、藤原利平の手により制作された二宮金次郎の像が、正門の横に設置されました。 のちにその像は、校舎が新築移転された現在地に持ってこられたのですけど、作られて今年でちょうど100年になりますね しかも、日本最古というではありませんか 本を読みながら働くスタイルは、その頃から変わっていないように見えるのですけど………

こちらの金次郎さんは薪ではなくて、漁道具の魚籠(びく)を背負っているのですよ これは、その当時の前芝村のあたりが海岸に近かったことに由来しているそうです。

100年もの間、小学校の児童を見守ってきた金次郎さん。 その表情からは温かさも感じられます。 このあと私たちは日本一周をするつもりだったのですけど、行数が足りない(?)ので、次回の日記に持ち越させていただきます。



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飛鳥の古墳と珍石(伊賀・大和路散策その3)

2024-11-02 02:58:03 | お出かけ

くぁwせdrftgyふじこlp、白黒茶々です。

前回の日記の流れから、今回は「ふっかつのじゅもん」を入力して日記を始めることになったのですけど、その暗号がネットスラングみたいになってしまいました。 いや、中には「『ゆるキャン△』で見たことがある 」という方もいらっしゃるかも知れません。 はい、これは志摩リン斉藤恵那とチャットでやり合っている中で彼女が発した、断末魔の声(書き込み)であります。 それはさておき、そのパスワードのおかげ(?)で、私・による飛鳥の里の散策回に無事に入り込むことができたので、そこから始めさせていただきます。 石舞台古墳の見学を終えた私は、肩の荷(波と狛)を降ろしてから、そこから近いといえなくもないところにある………

都塚古墳にやって来ました 現在は田畑に囲まれた静かな環境の中にあるこの古墳は、6世紀後半に造られた円墳または方墳であります。 毎年元旦に金鶏が鳴くと云われていることから、「金鳥塚」とも呼ばれています。 石室の入口は鉄柵で塞がれているのですけど………

その内部を覗き込むことはできます。 石室の中央には、見事な家形石棺が置かれていました。 その石室内からは、須恵器や鉄製品などが出土したそうです。 さらに私たちは、その地域にある………

◯◯石を訪れました Google Earthでたまたま見つけてからずっと気になっていたので、今回の訪問地に組み込みました。 画像と名前は自主規制で伏せてみたのですけど、皆さまの想像力が実物を超える恐れがあるので………

包み隠さずに見せることにしました はい、私たちが見に行ったのは、マラ石であります マラは魔羅、チ◯ポというか、いわゆる男性のシンボルのことで、誰が何の目的で立てたのか謎のままの珍石が、道端に伸びているのですよ 一応、子孫繁栄や農耕信仰に関係したものと推定されています。 それよりもよくよく考えてみたら、これはあくまでも◯ンポを模したアート(?)なので、隠すどころか皆さまに鑑賞することを勧めなければなりませんでした。 そんなマラ石を堪能してから………

私たちは高松塚古墳に向かいました 裏の細道を入っていったところにある小さな駐車場に車を止めて、歩いていきました。 私を含めた昭和世代には、その古墳のこのような姿が頭に残っているのですけど………

現在はこうなっています。 綺麗に復元・整備されているのですけど、ただの土盛りというか……… 高松塚古墳は、昭和47年(1972年)に発掘されました。 7世紀末から8世紀初頭にかけて築造された終末期古墳で、直径は上段18m、下段23m、高さ5mの二段式の円墳です。 この古墳は極彩色の壁画で有名なのですけど、発見・発掘される前に南側の壁に穴を開けられ、副葬品の一部が盗掘されました。 石室は 非公開&封鎖して保存したのですけど、壁画にカビを生やしたり、修理中に器材で傷つけてしまったり、………と、保存方法でかなり悩まされたみたいです。 結局、石室は解体され、壁画は石から下地となっている漆喰ごと剥がされ、保管庫で大事に保存されています。 そんな高松塚古墳の近くには………

高松塚壁画館という施設が造られています。 こちらでは、壁画のレプリカを見ることができるのですよ ちなみに私は、亀形石造物、石舞台古墳との共通券(700円)で入りました。

しかもこちらの施設の中では、一部の展示物を除いて写真を撮ることができるのですよ そうしたら、それらの中で主立ったものを紹介いたします。

こちらは教科書などによく出てくる、西壁の女子群像にございます。 剥落や汚れで見づらくなったところなどを修正した一部復元模写の絵もあるのですけど、発掘・発見された時の姿を捉えた現状模写であります。

女子群像と同じ西壁に描かれた白虎の顔からは、愛嬌すら感じます。 それに、前者ともども見事な筆致で細かく描かれていて、わが国の美術・絵画史上優れた作品と評価されています。

あと、天井部の星宿図も見逃してはいけません 非公開の現物はいうまでもないのですけど、それらを忠実に模写した方たちのことも誉めなければなりません。 そんな高松塚古墳を見学したら………

やっぱりキトラ古墳も合わせて訪問しておかなければなりません 高松塚古墳と同時期の7世紀末から8世紀初頭頃に造られた円墳で、上段の直径は9.4m、下段の直径は13.8mの二段の構造です。 昭和58年(1983年)に発掘された際には、18個の凝灰岩の切石を組み上げられた石室と極彩色の壁画が発見されました。 こちらは高松塚古墳の反省からなのか、調査や保存のための取り外し作業は慎重におこなわれ、現在は良好な状態で保存されています。 石室が抜かれた古墳は綺麗に復元・整備されているのですけど、こちらもただの土盛りに見えてしまいます。

それはさておき、その近くに設けられたキトラ古墳壁画体験館四神の館には、模写された壁画などが展示されていて、キトラ古墳のことをより知ることができるのですよ しかも入場無料ときたもんだ ただし、私が訪れたのは閉館間際だったので、急ぎ足で見ていきます。

その館内には、原寸大のキトラ古墳の石室の模型が展示されています。 その壁や天井には壁画が模写されているので、これだけでも古墳について把握することができます。 それにしても、この時期の古墳の石室は切石を綺麗に組み上げているものの、内部はかなり狭い 棺が入ればいいという感じで、追葬などは想定されていないみたいです。 この他には、壁画の4面マルチ高精度映像や当時の人々の暮らしがわかるジオラマ模型、古墳の発見から調査・研究を経て埋め戻しに至るまでのドキュメンタリー展示などがあったのですけど、写してきたのはコレだけです。

キトラ古墳の諸施設をあとにした私には、日没前にどうしても寄っていきたいところがありました。 それはどこかといいますと……… って、Google Earthやカーナビを見たりして迫っていったのですけど、車が入りにくいところにあるので、なかなか近付くことができません。 なので、やむなく最寄りのコイン精米機の駐車スペースに車を止めて、歩いていくことに。 そんな私たちが目にしたのは………

亀石でした 重さ10トンを超える花崗岩に亀のような顔が彫られていて、マラ石と同じように何のためにここにあるのか謎のままとなっています。

………といいつつも、亀が動いて西を向いた時、大和国一帯が泥の海に沈むという言い伝えが残っているのですよ 今、泥沼化されたら困るので、どうかジッとしていてください。 そういえば亀石のちょっと手前には、車1台を止められるスペースと休憩場所、自動販売機が設けられていました。 これから亀石を訪れる方は、先着1組のその設備をご利用くださいませ。 ここに至るまで我ながら欲張りコースでしたけど、皆さまの応援(?)もあって、予定されていた立ち寄りスポットはすべて踏破することができました そうしたら、あとはお風呂と食事を済ませて、宿泊地に向かうだけです。 そのような流れで………

まずは明日香村健康福祉センター たちばな内にある、太子の湯に寄っていきました。 こちらは公共の浴場なのですけど、地元民ではなくても600円で利用することができます。 太子の湯で旅の汗を流して、広い湯船に浸かったら………

次はお食事の順番と相成ります 今回私が選んだお店は、看板は橿原ごはんや見瀬町食堂となっているのですけど、フジオフードシステムが関西を中心に展開する、まいどおおきに食堂にございます。 こちらはセルフサービス形式で、たくさんある料理やおかずの中から選んだものをお盆に乗せていき、会計を済ませてから席に就くシステムとなっています。 今回初めて利用することになった私は、どれも美味しそうで迷ってしまったのですけど………

鶏の唐揚げと茄子のみぞれ煮をメインにして、冷奴生卵マカロニサラダ、………などを取り集めました。 ちなみに合計1080円となりました。 それらを美味しくいただいたら、まだ19時ちょっと過ぎなのですけど、宿泊地に向かいますよ そのようにして行き着いたところは、まいどおおきに食堂から南に車で10分程行ったところにある………

道の駅吉野路大淀iセンターでした 宿泊地としてホテルや旅館を予想された方は、ハズレです。 今からこちらで車中泊をしますよ 道の駅としては小規模で、私たちと同じように車で寝ていく人はあまりいなかったのですけど、人里離れた静かな環境の中にあって、ゆっくり休めそうだったので、私はこちらを選びました。 それに、翌朝に向かう大本命の目的地へも近いですし。

そうしたら、あとは波と狛にご飯を食べさせてから、寝る支度をするだけです。 まだ19時台だったのですけど、欲張りコースで2万3000歩も歩いたこともあって、私はすぐに眠りに落ちました。 ということで、皆さまおやすみなさいませ。



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飛鳥の里にようこそ!(伊賀・大和路散策その2)

2024-10-30 00:52:03 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

前回からの続きで、私はとともに三重県の伊賀上野城に来ています。 「伊賀文化産業城」とも呼ばれる模擬天守に上って、そのお城の見学を締めると思いきや………

まだ見どころが残っているので、もう少しお待ちくださいませ。 波と狛が立って、いや、座っているところは、城代屋敷の跡にございます。 模擬天守がある本丸より高いところにあって、かつては城主の住居や政務を執り行う場所となった御殿がありました。  またその一角には、寛永10年(1633年)頃まで、筒井氏の3層天守が存在していたそうです。 そのあと、私たちは………

お城の公園内にある、俳聖殿も見に行きました。 こちらの建物は、松尾芭蕉の生誕300年となる昭和17年(1942年)に建てられました。 芭蕉の旅姿をイメージした外観をしていて、その内部には………

等身大の大伊賀焼の「芭蕉坐像」が祀られています。 この像は、伊賀上野城の模擬天守を建てた川崎克氏の手によるものであります。 それから、俳聖殿は平成22年(2010年)に国の重要文化財に指定されました。

伊賀といえば、やっぱり忍者が名物となっていますよね 公園内には伊賀流忍者博物館の一部として、忍者屋敷こと下忍の居宅が移築されています。 さらに、その内部を見学することもできるのですよ しかも 建物は本物で、どんでん返しや隠し通路の入口、抜け穴などの仕掛けを、忍者姿のスタッフが案内してくれます。 ここまで話を広げておいて申し訳ないのですけど、開館が10時からとなっていて、さすがにそれまでは待てないので、今回は外から眺めてヨシとさせていただきます。

伊賀上野城をひと通り見終えた私たちは、再び車に乗り込んで次の目的地に向かいました。 名阪国道こと国道25号線を使ったりして50km程走っていき、行き着いたところは………

奈良県明日香村にある飛鳥寺さんでした。 こちらは推古天皇4年(596年)に創建された、日本最古の寺院であります さらに「飛鳥大佛」の石碑が示す通り、日本最古の仏像もあるのですよ 私はこちら方面に来たら、このお寺も見学したいとずっと思っていて、ようやく実現させることができました。

今からおよそ1400年前の6世紀末から7世紀にかけての約100年間、明日香村には都が置かれ、飛鳥時代の舞台となりました。 聖徳太子の「十七条の憲法」の制定、中大兄皇子中臣鎌足による「大化の改新」など、中央集権律令国家が築かれた「日本のはじまりの地」として知られています。 そんな飛鳥の里には、古い寺院や古墳、謎の石造物などが点在していて、見どころがたくさんあるのですよ 創建時の飛鳥寺は、3つの金堂五重塔を囲むようにして建ち、さらにそれらの外を回廊がめぐり、中門南門講堂などを備えた大伽藍でした。 その頃と比べると現在は小ぢんまりとしているのですけど、大仏様はあちらの本堂の中に据え置かれてます。 もちろん拝観料(350円)を払って、中に入っていきますよ

そうしたら、お逢いすることができました 推古天皇17年(609年)に造られた釈迦如来坐像で、高さは約3m。 この大仏様に、奈良市の東大寺の大仏ぐらいの大きさを期待してはいけません。 平安・鎌倉時代の火災による損傷を負いながらも、細部にわたり飛鳥彫刻の特徴をよく残しているので。 そんな飛鳥寺のすぐ近くには………

蘇我入鹿首塚があります。 これは、645年に起きた乙巳の変で殺害された、蘇我入鹿の首塚であります。 実際に中大兄皇子中臣鎌足らに討たれたのは飛鳥板蓋宮になるので、その殺害場所からは少し離れています。 ここから先は波と狛も連れていきたいので、車ごと移動します。 それは飛鳥寺からは近いといえなくもないエリアなのですけど、駐車場所を見つけるのに苦労しました。 万葉文化館の駐車場は混んでいたものの、なんとか止めることができたので………

その近くの亀形石造物なるものから見ていくことにしました。 こちらは 有料のゾーンなのですけど、ワンコと一緒に入ることができました。 亀のような形をした奇妙な石槽は、斉明天皇の時代に造られた祭祀の遺跡であります。

さらに、その裏の竹やぶの小丘を上ったところには………

酒船石があるのですよ こちらも祭祀の施設の一部で、先ほどの亀形石造物と連動していたとされていて、それらをひっくるめて「酒船石遺跡」と呼ばれています。 私は今からン十年前に大学で考古学を専修していて、その一環の見学ツアーで明日香村を訪れました。 その際に石舞台古墳と酒船石を見学したのですけど、後者のほうは「こんなところにあったっけ?」と思いました。 しかしよくよく考えてみたら、私がその時見たのは博物館の庭に造られたレプリカで、元祖というかホンモノの酒船石は実はこうだったのです そのあとは、そこから歩いていけなくもないところにある………

飛鳥宮跡まで行きました。 はい、「歩いていけなくも………」なんて言いつつも、歩いてきました。 飛鳥京跡は、6世紀末から7世紀後半まで飛鳥の地に営まれた諸宮を中心とする複数の遺跡群からなる都市遺跡であります。 宮殿のほか、朝廷の支配拠点となる諸施設や、飛鳥が政治都市であったことに関わる祭祀施設生産施設流通施設などから構成されています。

 それらが存在した時期は、舒明天皇飛鳥岡本宮皇極天皇飛鳥板蓋宮の2期と、斉明天皇後飛鳥岡本宮天武持統天皇飛鳥浄御原宮の2つを合わせた3期に渡っていました。 ちなみに波と狛がいるのは、飛鳥宮の北東隅で発掘・復元された、石敷井戸にございます。 ということは、こちらは先述の蘇我入鹿が中大兄皇子らに殺られた飛鳥板蓋宮(伝)ということに そんな飛鳥宮跡を見学し終えた私たちは、再び車に乗り込み、新たなエリアに向かいました。 そのようにして、行き着いたところは………

石舞台古墳でした 洞穴や古墳の石室が好きな私にとっては最上級の場所で、いつか愛犬を連れ行ってみたいと思っていました。 それがついに実現するのですけど、焦らしというか、真っしぐらに突入するのもナンだったので、近くに設けられた展望台から古墳を見渡してから、行くことにしました。 そうしたら、歴史のアテンダントを担っている波と狛が、皆さまを石舞台古墳にいざないますよ

………って、なんじゃコリャ〜 私は波たちが門前払いされるようなことがないように、前もって石舞台古墳のワンコへの対応を念入りに調べていました。 そうしたら、飼い主さんが愛犬と一緒に現地レポートをするブログなどが多数出てきたので、こちらはワンコに理解のある観光地と認識していました。 後で調べたら、ほんの数ヶ月前にこの規制がかけられたそうです。
とはいっても、共通券を買ってあるので、諦めるワケにはいきません。 だからといって、今から波と狛を駐車場に止めてある車に連れ戻すのもイヤですし。 どうする茶々さん

ハァハァ……… 結局、波と狛を両脇に抱えて入っていくことにしたのですけど、暑くて重い 「1.抱っこでの入場は………」は、小型犬を想定していたに違いありません。 私が大変な状態なのですけど、ここでこの古墳の説明をさせていただきます。
石舞台古墳は7世紀初頭頃に造られた、全国で最大規模の方墳であります。 被葬者は蘇我馬子入鹿の祖父)と推定されています。 古墳ができた頃には、巨石を積んで造られた石室は盛り土で覆われていたのですけど、長い年月の間に失われました。

やっとのことで、その石室の内部にまで行き来ました。 総重量が2300トンにも及ぶ30数個の巨石で造られ、特に天井石は約77トンとかなりの重量で、築造された当時の優れた土木・運搬技術の高さがうかがわれます。 あ、写真は波と狛を下に降ろしてから撮りました。 それにしても、天井も高いですね。

せっかくなので、石室の最深部から入口を撮ってみました。 内部を見学している間は、写っている案内役の方が親切丁寧に古墳の説明をしてくださいました。

再び波と狛を抱えて、石室の外へ。 疲れて彼女らを降ろしたところで1枚撮るぐらいだったら、許してもらえると思います。 たぶん、きっと。
私たちによる古(いにしえ)の都・飛鳥めぐりはだんだんとノッてきたところなのですけど、編集部がコンテニュー(保存用のパスワード)を勝手に入力してしまったので、皆さまには申し訳ないのですけど、ここで一旦終えざるを得ません。 お母ちゃんに「もう約束の時間は過ぎてるでしょ 」とか言われて、突然ゲーム機の電源を来られるよりはマシだと思うのですけど。 とにかく次回も、私たちに危険を及ぼす敵が出てこないロールプレイングゲームを続けさせていただきます。


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