こんばんは、白黒茶々です。
突然ですけど、皆さまは昭和の頃に放送されていた国民的人気アニメ「一休さん」をご存知でしょうか? その内容やモデルとなった一休宗純のことなどについては今回は割愛しますけど、その番組がコマーシャルで中断する際に、主人公の一休さん(CV: 藤田淑子)はテレビの前のチビっ子たちの前で寝っ転がっていました。
そんな彼は、まわりの人たちに「一休 」とまくし立てられるのですけど「あわてないあわてない、ひと休みひと休み」と言いつつ、また寝てしまいます。
私と狛は、日本スピッツ協会の展覧会(以降は『スピ協展』と略させていただきます)がおこなわれている東京都江戸川区の平井運動公園に来ているのですけど、今はちょうどお昼の休憩中で、まさにひと休みの状態なのですよ。 とはいっても、一休さんのようにその場で寝っ転がるのはまわりの目もありますし、恥ずかしいので、今回はやめておきます。
※次回はやるという含みのある発言ですね。 その際に会場でご一緒する方は、茶々さんの寝姿を盗撮&投稿してくださいませ♪(編集部のススメ)
そのような中で、陽さんの飼い主のyuk@さんが陽さんクッションを持っていらっしゃいました。 陽さんはスピ協展の常連さんだったのですけど、昨年の12月に亡くなりました。
なので、私たちが彼と逢ったのは、昨秋のスピ協展が最後となってしまいました。
彼は存在感があるので、姿が見えなくてもすぐ近くにいるように思えました。
それでもクッションにしてもらうと、見える形で一緒に写真が撮れるので、助かるというか、嬉しいです。
そうしているうちに、午後の審査が始まりました。 とはいっても、こちらも加速度的に進んでいき、あっという間に結果発表&表彰に至りました。
そんな栄誉ある出陳犬のために、今回は記念撮影用のお立ち台も用意されました。 彼女らを写した後は、好きに使っていいというので………
お言葉に甘えて、狛を立たせてみました 実はこのようななんちゃって写真、一度撮ってみたかったのですよ。
しかも狛もこちらに目線をくれたので、一発でOKとなりました
それが済んだら、私たちはその会場をあとにして、朝に来た時と同じようにバスと列車に乗っていきました。
ただし、今回はまっすぐ帰らないで………
私たちは列車を乗り継ぎ、上野駅で降りていきました。 こちらにしばらく来ていないうちに、駅の改札口が北側に移っていましたよ。
今回の同伴犬は狛だけで多少身軽なので、上野恩賜公園で私が気になるいくつかのポイントを巡っていきます
しかし、最初の目的地はここからは逆方向の公園の南側にある………
西郷隆盛さんと愛犬のツンちゃんの像なのですよ やはりこちらは、ワンコを連れて訪れたいところでもあります。
西郷さんの顔についてはいろいろと言われていますけど、彼の妻の糸子さんは「似てない」とはひとことも言っていません。
西郷さんは高村光雲さん、ツンちゃんは後藤貞行さんがそれぞれ製作したもので、戦中の金属供出を免れ、今日も上野のシンボルとして立っています。
そんな西郷さんのお散歩、いや、野狩りの像は………
ウチの愛犬と一緒に撮っておきたいです ちょうど人が分散したところを狙ったのですけど、まわりからは「ふわふわでカワイイ
」とか「大人しく座っていてお利口さん」とかいう声が聞こえてきて、私を有頂天にさせました。
上野公園は、かつて東叡山寛永寺の広大な境内だったところに造られました。 なので、その敷地内には、お寺の遺構が点在しています。
こちらの清水観音堂もその1つで、京都東山の清水寺を模した舞台造りとなっています。
寛永8年(1631年)に天海大僧正によって建立され、国指定重要文化財。
そんな立派で歴史のあるお堂を仰ぎ見つつ、私たちが向かったところは………
「上野大佛」という看板のある小丘でした。 この上には、かつては………
上野大仏があったのですよ 清水観音堂と同じ寛永8年に粘土製漆喰塗りで建立され、のちに高さ6.6mの青銅製のものに造り替えられました。
ところが、大正12年(1923年)の関東大震災で頭部が落ち、さらに保管されていた胴体は戦時中に金属供出で持っていかれてしまいました。
そういうこともあって、現在の大仏様は………
顔面だけとなっています。 近年になって「これ以上落ちない大仏」として、受験生に崇められるようになったそうです。
そんなご利益のある大仏様と一緒に狛を撮ったら、あくびをしちゃった
今年は桜の開花が少し遅れていて、上野公園ではようやく数輪咲いているのを見つけられる状態でした。 それでも、園内にはたくさんの人が押し寄せていて、広い通路には仕切りと通行方向が設定されていました。
こちらの五重塔も寛永寺の建物なのですけど、現在は恩賜上野動物園に取り込まれています。 それに加えて池と柵に囲まれているので、近付くことはできません。
そんな五重塔がいい感じで見えるこの場所は………
上野東照宮の境内であります こちらの東照宮は寛永4年(1627年)に藤堂高虎によって創建され、今日見られる拝殿や弊殿、本殿、唐門などの建物は、慶安4年(1651年)に徳川家光によって改築されました。
その豪華さや由来から、三大東照宮の一つに数えられているそうです。
今度は公園の北西の端っこまで行くので、狛ちゃは頑張って付いてきてくださいませ。 私が今回どうしてもハズせなかったのは………
旧東京音楽学校奏樂堂でした その施設はワンコと一緒には入れなくて、閉館時間も迫っていたのですけど………
実は、建物の外にある瀧廉太郎さんの像が目当てだったのですよ 彼は明治期に活躍した音楽家で、「花」や「荒城の月」などの名曲を作曲しました。
しかし、明治13年(1879年)に23歳の若さで亡くなってしまいました。
この上野の廉太郎さんの像が、私にとっては義理の兄となる箔母さんのお兄さんとソックリなのですよ
なので、久しぶりにその写真を撮って、彼女に送信しました。
ただし、昨年還暦を迎えた義兄さんは、音楽とは関係のない職に就いています。
あとは上野駅から帰りの列車に乗っていくのですけど、せっかくなので通り道にある野口(英世)さんの前でも撮っておきました。 先代の千円札の顔で、現行の北里柴三郎さんは彼の師匠というか、恩賜……… じゃなくて、恩師でした。
その通り道には、国立西洋美術館もあります。 外観は質素なのですけど、ル・コルビュジエによって設計された建物は世界文化遺産に指定されています。
寄り道しながらも、この9分後に出る列車には無事に乗り込むことができました。
その時間帯はやや空いていて、終点の熱海駅まではずっと座っていることができました。
熱海駅では時間に余裕があったので、一旦改札口から出て、駅のまわりを歩いたり写真を撮ったりしました。 この駅は開業してからちょうど100年になり、その2日後には地元出身の力士の熱海富士を1日駅長として招いて、記念行事がおこなわれました。
次の列車までまだ時間があるので、立ち食いそば屋の爽亭さんで晩ご飯を食べていきましょう 一度食べてクセになったわさびごはんは早々と売り切れていたのですけど………
きつねうどん(480円)をいただきました 熱々のうどんにおつゆの味が絡んで、身も心も温まりました。
それから、おあげは二つ折りになっていたので、この倍の大きさとなります。
そこから先は3時間半程かかったのですけど、私も狛も爆睡していたので、あっという間のように静岡県の西端の駅に到達しました。
そして、自宅に帰ったら………
お留守番していた波に、大歓迎されました。 そんな彼女に対して、狛も大喜び
私たちが東京にいる間に、箔母さんに「波は泣いたりしてない?」と聞いたら、「静かに大人しくしていた」とのこと。 なんかホッとしたような、申し訳ないような。
今回は巡り合わせが悪かったのですけど、次のお出かけは連れていってあげますよ。
「ポツンと一軒家」の緒方賢一さんのナレーションが、どうしても「一休さん」の桔梗屋さんの声に聞こえてしまうという方は、こちらに投票してやってください。