波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

行き着いたところは旧本坂トンネル

2024-06-05 03:39:33 | 廃校・廃墟

こんばんは、白黒茶々です。

GWを過ぎた新緑の初夏の時季に、私はを巻き込んで……… いや、伴って、ワンコと一緒におこなうキャンプこと犬キャン△を計画していました。 というよりは、すでにキャンプ場に予約を入れて楽しみに待っていました。 なのに、その直前になって全国に雨の予報が出されました。 せっかくの犬キャン△が雨だったら、野外での活動ができないうえに設営や撤収がやりづらくなってしまいます。 私はやむなくその翌週となる5月19日の日曜日に予定を変更 そのあたりなら雨の心配をすることなく、犬キャン△ができそうです。
ところが、またしても気象庁は私にとっては貴重な犬キャン△の休日に、雨を降らせようとしてきたのです そのまた翌週には他の予定があるので、5月の犬キャン△は絶望的です。 ………気象庁の○○ヤロウ
※気象庁は天気を操る機関ではなく、あくまでも予報を出すところなので、逆恨みするのはおやめなさい。(編集部突っ込み)

それでも19日は雨が降るのは午後から(の予報)なので、その前までならお出かけできるのでは 私は急遽掛川城やその近辺の隠れた名所に行く計画を立てて、その当日は朝早くから準備を始めました。 ところが、いざ出発しようとしたところで雨が降ってきてしまったのです。 私だけではなく、波と狛も出かける気マンマンだったのに………
それならば、以前にも何回か訪れたことがある全天候型の施設に行くことにしましょう 短絡的ですけど、私の頭には静岡県と愛知県の境にあるあの施設が思い浮かびました。 その流れで、その周辺の地図情報(Google Earth)を見ていたら………

モーニングもやっている民家カフェがありましたよ 今まで気付かなかったというよりは、最近できたばかりみたいです。 そちら方面には、映画「みんな!エスパーだよ!」のロケ地にもなった喫茶パトリアさんがあって、私も1回行ってすっかり気に入っていたのですけど、その後閉業してしまいました。 この日は家で朝ご飯を済ませていたのですけど、禁断の2回目の朝ご飯に手を出しても構いません。 ………というよりは、私の消化器官はもう受け入れる体制になっています。

………という勢いで、やって来ましたよ リーフ・たいむさん 民家の納屋を改装したみたいで、看板はないのですけど知る人ぞ知る隠れ家的なカフェであります。 それにしても静かで、車は1台もありませんね。 お客は私1人だけでしょうか?

そ、そんな……… 朝ご飯を食いっぱぐれたというワケではないのですけど、この日の過ごし方といい、右往左往してしまいました。 こうなったら気持ちを切り換えて、本来の目的地に向かうことにしましょう

私たちはリーフ・たいむさんから出ていったので、その施設には愛知県側から入っていくことになりました。 そこに至る道の入口には、心霊スポットとも云われている浅間神社に続く石段がありました。 そこから先は、昔の山道を上っていくのですけど………

幅が狭いうえに曲がりくねっていて、私はこれまでに何回か通ったことがあるのに、慣れることができません。

「落石注意」と言ってる傍から大きな石が転がっていますし。 恐い恐い……… どうか対向車が来ませんように~ なんて言っていたら、本当に来てしまいました。 その際には、私のほうの後ろ側にいくらかのスペースがあったので、下がって道を譲りました。 さらにこの険道を進んでいったら………

ようやく今回の目的地となる旧本坂トンネルに行き着きましたよ はい、今回私たちが目指していたのは、この穴にございます。

こちらは、愛知県側となります。 ここからは車を降りて歩いていきますよ

これからトンネル内に入るのですけど、この頃には小雨になっていました。 波と狛も頑張って付いてきてください。

入口の上部には、「道隧坂本」という古そうな名前が刻まれていました。 このトンネルは大正4年(1915年)に造られました。 昭和53年(1978年)に本坂トンネルが開通するまで、愛知県と静岡県を結ぶ貴重な通り道となっていました。 しかし、主導権を新しい道に持っていかれてからは通行量が激減し、やがて心霊スポットとして注目されるようになりました。

愛知県側は鉄板で補強されているのですけど、落書きが多いですね。 消しても消しても書かれるみたいで、訪れる度に内容が変わっているような気がします。 何ですか「うに」って?

 

わっ、狢(むじな) 波にしてみれば、慎重に歩いているところをいきなり撮られて、この言われようはないのでは ………というような顔をしているようにも。

トンネルの中には照明のようなものはなく、真っ暗なうえにどの時季に訪れてもヒヤっとした風が吹き込んできます。 そんな旧本坂トンネルの真ん中あたりには………

県境を示す「懸界」の表示があるのですよ。 スマホのモバイルライトでは光量が少なくて写せないので、デジタルカメラを使いました。 しかし、白い犬を被写体として入れると、どうしてもボケてしまいます。 いや、私が望んでいないものがハッキリと写ったらイヤなので、かえってよかったのかも。

静岡県側はレンガ張りの壁が出ているところが多いです。 そこへの落書きも多いのですけど。 そうしているうちに、トンネルの反対側に出ました。 そこで私たちが目にしたものは………

そこからが静岡県の浜松市であるということを示す標識でした。 前回「北区」だったところは「浜名区」となっていますね。 そうしたら、旧本坂トンネルを潜り抜けてきたことを記念して………

静岡県側の出入口をバックにして、写真を撮っておきましょう 旅番組や登山番組は、目的地にたどり着いたところで終わるのですけど、私たちはトンネルの向こう側に車を置いてきたので、また潜って戻っていかなければなりません。 さらに車に乗り込んだら、またトンネルを通ることに。

静岡県側を下っていく道も、険しくて恐い恐い 対向車のことを意識すると呼んでしまうので、走ることだけに集中することにします。

そして、ようやく国道362号線との合流点に行き着くことができました。 旧本坂トンネルの中で波の足取りが重くなったりしたのですけど、無事に戻ってくることができました。 霊のお持ち帰りもないみたいですし。 たぶん、きっと。 これから梅雨入りしたら休日が雨になることが多くなりそうですけど、そのような場合でも波狛と有意義に過ごす方法を考えていきたいです。



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三ヶ日の穴ではない穴場

2024-06-01 01:33:27 | 廃校・廃墟

こんばんは、白黒茶々です。

GWの最終日となる5月6日は、を動物病院に連れていってから、藤の名所として知られている行興寺さんを巡りました。 しかし、そのあとも時間が余っていたというよりは、もともとそれだけでは終わらないつもりでいました。 ………ということで、私はさらなる目的地となる浜松市浜名区の三ヶ日地区に向かいました。 その勢いで行き着いたところは………

浜名湖の北側にある、天竜浜名湖線浜名湖佐久米駅でした。 私がこちらを訪れるのは、昨年の大晦日以来となります。

こちらは「ゆるキャン△ SEASON2」のモデル地にもなったところで、最近それに触発されたスピ友のシロダヌキさん一家が立ち寄ったそうです。 現在放送中の「ゆるキャン△ SEASON3」には出てこないのですけど、私以外にも列車の乗降以外の目的で訪れる人がいくらかいました。

毎年冬の寒い時季になると、そのホームにはユリカモメの大群が飛来するのですけど、5月初旬は静かでした。 それでも、たまたまやって来た列車を見送ることができました。 「ゆるキャン△ SEASON2」では、この駅で合流した各務原なでしこ志摩リンが近くのうなぎ屋で食事をしてから、なでしこのお婆ちゃんの家に向かったのですよね。 その家がある場所は現実の世界では更地となっているのですけど、そこからさらに西に行ったところには………

公営の宿泊と研修の施設となる三ヶ日青年の家があります。 さらに、その敷地の片隅には………

何かの像が……… って、以前にも私は探究したことがあるので、ご存知の方もいらっしゃると思います。

これは「暁子の像」というFRP(繊維強化プラスチック)製のアートであります この像のことは、もう1人のアキコさんこと箔母さんから聞きました。 右手に小鳥を乗せ、左手で自身のスカートの裾を引っ張るポーズは印象的で、それも箔母さんの証言の通りでした。 彼女が小学校の野外活動でこちらを訪れた昭和40年代には暁子さんは存在していて、その後は青年の家の敷地内を転々としていって、現在の場所に落ち着いたそうです。 そんな彼女に敬意を示す(?)ためにも………

波狛と一緒に撮っておきましょう この近くにも青年の家の駐車場があって、暁子の像へのアクセスはいいのですけど……… そこから行こうとすると監視カメラに映って管理人が飛んでくることもあるので、施設の正面の駐車場に止めて、断りを入れてから暁子さんを愛でるようにようにしましょう。 さらに、彼女の像から南東に2kmちょっと行った、リゾート地の入口のあたりには………

立派なゴリラの像があるのですよ

大きくて力強くて、凛々しくもあるゴリラ像。 誰が何の目的で造ったのでしょうか? 過去のストリートビューを見てみたら、2015年にはまだなかったのですけど、次の2021年に突如出現 近くのペットサロンが設置したとも云われていますけど、ハッキリしません。

そのゴリラ像は、Google MapGoogle Earthにも表示されます。 実はそれらに投稿したのは、私だったのですよ そうしたら、ツーリングやサイクリングで浜名湖を回る方などがよく訪れ、新たなフォトスポットとしても注目されるようになりました。 こんな大ごとになるなんて……… 驚きつつも、ニヤけています。

そんなゴリラ君をバックにして、初めて波と狛を入れて撮りました。 角度や位置を調節すると、バイクや車の上にゴリラを乗せた写真が撮れるので、皆さまもよかったら挑戦してみてください。 次に向かうところは、そのゴリラ像と同じGoogle Earthにも出ている………

浜松市立大崎小学校跡にございます。

学校の情報は廃校になると、ネットの中からは消えてしまいます。 なので、創立した年などはわからないのですけど、このあたりが三ヶ日町だった頃には存在していました。

しかし少子化の影響などから、平成24年(2012年)に閉校。 その年のストリートビューには校舎が写っているのですけど、それから間もなくして取り壊されてしまいました。

その校門を入ったところには、「英知 友愛」という校訓が刻まれた石碑があるのですけど、近くの松が自己主張して少し隠れてしまっていますね。

学校の敷地内には、建物としては唯一体育館が残されています。 体育館は利用価値があるので、閉校後も活用されることが多いのですよね。しかし、大崎小学校のものは使われていないみたいで、あちこち傷んでいました。

それでも、私は賑わっていた頃の様子を想像しながら校内を歩き回りました。 現在見られる校門や体育館などの遺構も、いずれ失われるかも知れないのですけど、写真や私の記憶に残すことができました。

あの~編集長さん、これを今ここでやらなければならないのでしょうか? 「ゆるキャン△」もキャンプも好きな身としては、イヤとは言えませんけど。 とにかく、浜名湖佐久米駅から旧三ヶ日町の大崎地区のあたりには静かな名所があるので、我こそは という方がいらっしゃったら是非散策してみてください。


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川名の里にようこそ!

2024-04-03 01:41:57 | 廃校・廃墟

こんばんは、白黒茶々です。

私、の1人と2頭は、浜松市の大平(おいだいら)地区での散策を終えてからひと山越えて、今度は川名という集落に入っていきました。 こちらはかつて引佐(いなさ)郡引佐町だったところで、浜松市北区の時代を経て、現在は浜松市浜名区の一部となっています。 その川名地区で私たちが最初に立ち寄ったところは………

福満寺さんの薬師堂でした 福満寺さんは奈良時代末期から平安時代初期の頃に創建されたと云われています。 しかし、その後に何回か火事に遭い、安政3年(1856年)に建てられて、平成21年(2009年)に修繕された薬師堂のみが残っています。 本来の屋根は茅葺きだったのですけど、現在は茅葺き風の金属(銅?)板葺きとなっています。 またこちらでは、毎年1月4日に国の重要無形文化財にも指定されている川名ひよんどりがおこなわれていて………

最近、薬師堂に隣接する舞台小屋のシャッターに、その様子が描かれました。 ファンシーな絵ですけど、実際には松明の火に炙られて、かなり熱いみたいです。 次に私たちは、そこから歩いていけなくもないところにある………

前嶋家住宅主屋(しゅおく)の前まで来ました。 左側の母屋は江戸時代後期に、右側の釜屋は江戸時代末期に建てられ、それらの別棟が屋根を接する「分棟型釜屋建」の原形を留めています。

個人所有なので外から眺めるだけですけど、平成28年(2016年)に国の登録有形文化財に指定されました。 先ほどは「歩いていけなくも………」なんて言っていましたけど、実際にここまで歩いてきてしまいました。 そうしたら、今度は車で南のほうに向かっていって………

「井伊直平公墓所」と記された案内看板の先は細くて急な坂道なので、ここからは歩いていきます。 はい、川名での3つ目の目的地は、お墓なのですよ。

そこに至るまでの道はさらに険しくなってきたのですけど、間違えてはいませんし、前回の大平城ほど過酷ではないので、まだマシです。

………とはいっても、その途中に何か怪しい穴がありますし。 そうしているうちに………

山道を登りきったところの畑の中に、井伊直平公のお墓がありましたよ 彼は井伊直虎の曾祖父で………

平成29年(2017年)にNHKで放送された大河ドラマ「おんな城主直虎」では、前田吟さんが演じたのですよね。 ちなみに南渓和尚小林薫)は直平公の息子で、直盛杉本哲太)は彼の孫となります。 直平公は、永禄6年(1563年)に出陣先の有玉(現在の浜松市中央区)で急死したのですけど、その時の年齢は75歳とも85歳とも云われています。 そんな直平公のお墓をお参りしてから………

う~む……… 私の車のカーナビでは現役バリバリなのですけど、現在は廃校となっている川名小学校に向かいます。 この地図は16年前のもので、アップデートはされていないので、ある意味古地図ということに。 それに、地名のほうも「浜松市北区引佐町川名」となっていますし。

それはさておき、浜松市立川名小学校跡にやって来ました そうしたら、校門からいざ校内へ

これは昔の児童が作ったものでしょうか? 狛ちゃ、オシッコをかけてはいけませんよ。

また、小さいながらも鋳物の二宮金次郎の像もありました。

川名小学校のことを調べても、創立した年や最後の児童の数などはわからないのですけど、平成22年(2010年)に閉校しました。 校舎に掲げられた「こだまする学校」のフレーズから、山間部にあるように思わせてしまうような……… はい、山間部です。

こちらにも「こだまする学校」がありますね。 ガラス戸の内側に貼られた姫街道中のポスターは古いままと思いきや、なんと今年の案内でしたよ

廃校になっても、利用価値のある体育館は………

床が磨かれていて、現在でも使われている様子でした。 実はこちらの学校は………

一部の教室が簡易郵便局として使われているのですよ また、私たちが見てきた感じからして、他のところも生かされているみたいですし。 なので、川名小学校には廃校特有の廃墟感はありませんでした。 かなり日が傾いてきたのですけど、通り道にありますし、ギリギリ間に合いそうなので、もう1ヶ所寄っていってもいいですか?

………ということで、川名からはひと山越えたところにある、浜松市立伊平小学校跡に行き着きました 3月に入って日照時間が長くなったとはいっても、時刻はもうじき17時半。 とにかく急ぎましょう

こちらの小学校も情報がほとんどないのですけど、平成24年(2012年)に閉校しました。 後方に見える古びた校舎は………

なんと、昭和34年(1959年)に建てられたものでした ということは、築65年にもなりますね。

体育館は、校舎からは通路を挟んだ西側にありました。 こちらも、まだ使われているのかも知れません。

その一方で、花壇には綺麗な花が植えられていて………

閉校の際に建てられた記念碑の文言には、ウルっときてしまいました。 そこからも、伊平小学校は今でも地域の人たちに愛されていることが窺えます。 学校が物理的に失くなっても、大切な人やペットがこの世を去ったとしても、一緒に過ごした思い出は残り続けるのですよね。 ………ということで、この日波&狛といろいろなところを散策した体験も、大切に取っておきます。



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田原市の廃校3連発

2024-03-09 02:51:01 | 廃校・廃墟

こんばんは、白黒茶々です。

前回からの続きで、私はとともに愛知県の渥美半島の大半を占める田原市に来ています。 その先端にあって、人気スポットでもある伊良湖岬道の駅をあとにした私たちは………

フェリー乗り場から東に3km程行った少し小高いところにある、田原市立伊良湖小学校 ………の跡にやって来ました 敷地の東側に設けられた校門は、以前と変わらない、と思われるのですけど………

近所の方のものであろう車が止まっておられる これでは、廃校の雰囲気が壊れ……… いや、かえって今は学校として使われていないことを表していますね。

その校庭跡には、校訓が刻まれた石碑が残されていました。 伊良湖小学校は明治11年(1878年)に、帰命寺内に創立しました。 のちに渥美町立伊良湖小学校となり、市町村合併によって名前は田原市立伊良湖小学校に変わりました。

校訓碑のまわりには、かつて学校内に置かれていたと思われる他の石碑モニュメントなどが、無造作に置かれていました。 こちらの学校は、平成27年(2015年)に堀切小学校和地小学校と統廃合し、古いほうの伊良湖岬小学校に集約されたことによって閉校してしまいました。

その後、校舎の大半は解体されてしまい………

グラウンドも含めると、だだっ広い空間となっています。 現在は地の利を活かして、災害時の避難地として使われているみたいです。

その一方で、体育館は残されました。 この手の建物は多目的に使えるので、学校が閉校しても取り壊しを免れるケースが多々あります。

校庭には松ぼっくりが落ちていたのですけど……… 編集長さん、どうしても今ここでコレをやらなければならないのでしょうか? 伊良湖小学校跡の現状の調査を終えた私たちは、次の目的地に向かいました。 しかしそこにはまだ、学校のシンボルでもあったミニ灯台「たはらしの巨木・名木100選」に認定されたクロマツ糟谷磯丸みがきみよ歌碑などがあったことを後になってから知って、私は沈みました。
そのようになることとは露知らず、勢いに乗った私はそこから13km程北東の方向に走っていき………

田原市立泉中学校跡に行き着きました はい、こちらは中学校の廃校であります。

先ほど訪れた伊良湖小学校とはうって変わって、こちらの学校は校舎などの建物は手付かずとなっていました。

泉中学校は、昭和22年(1947年)に創立しました。 しかし、令和3年(2021年)に赤羽根中学校と統合したことによって、閉校してしまいました。

学校としての役割を終えてから、あまり経っていないからでしょうか?こちらはほとんど廃墟感がありませんでした。

しかも花壇は手入れされていて、花が咲いていますし。 そういえば、校門のところの花壇にも花の苗が植わっていたような。
さらに体育館の中からは、人が運動している音が聞こえていました。 あと、校舎に掲げられた時計の時刻も合っていますし。 実は、こちらの中学校が閉校したという情報はウソだったのでは ………なんて思ってしまいましたけど、ネットで調べたら、たくさんの人の手によっておこなわれた閉校記念イベントの記事が出てきました。

泉中学校は、卒業生や地域の人々の心の中にはずっと残っているのですね。 一方、学校の施設は現在は他の目的で使われているみたいです。 そのことに安心した私は、体育館横のトイレを……… もちろん、先に水が流れるか確認しましたよ ………使わせてもらってから、さらなる廃校を目指していきました。

………って、次の目的地がどのようなところなのか、先に言ってしまいましたね。 とにかく、私たちは泉中学校跡からは東に7km程行ったところにある、田原市立野田中学校跡にやって来ました こちらの学校は、昭和22年(1947年)に創立しました。

「明朗 勤勉 奉仕」と石碑に刻まれた校訓も、そのままですね。 しかし少子化の影響もあって、平成28年(2016年)に田原中学校と統合することになり、閉校してしまいました。

それでも令和元年(2019年)の秋からは、学校の施設は田原市ふるさと教育センターとして活用されています。

そのグラウンドでは、少年たちが野球の指導を受けていました。 なので、私たちは彼らの邪魔にならないところで写真を撮りました。

校舎の裏側にあるこちらの建物は、柔剣道場サブ体育館といったトコでしょうか?

こちらのドーム型で斬新で立派な施設は、メインの体育館みたいですね。 完成してから間もないように見えますけど………

平成18年ということは……… 築8年になりますね。 ま、まあ、新しいといえば新しいです。 こちらの中学校跡も、新たな市の施設として活用されていることもあって、廃墟感はありませんでした。 そうしたら、ふるさと教育センターはどのようなものなのか? その実態に迫って……… ぐ、カギがかかっていて中には入れません。 その名前から、私は郷土資料館のようなものをイメージしていたのですけど、常に開放されているというワケではないみたいです。

建物の内部は見学できなかったのですけど、その敷地内には私が気になるものが屋外展示されている。 ………ということを、後になってから知りました。 それは、戦時中に豊橋市の海軍航空基地(大崎海軍飛行場)から飛び立ち、仁崎の海岸に墜落した戦闘機のプロペラとエンジンで、海から引き揚げられた戦争の遺物であります。 しっかりと下調べをしておけば………

それはさておき、野田中学校跡をあとにした私たちは、田原市の中心部に入っていきました。 予定より遅れていて、その時点で15時をまわっていたのですけど、できたらあと3ヶ所巡りたいです。 果たして、私たちは日没までにミッション(?)をクリアすることができるのでしょうか? ということで、田原市の散策シリーズのラストとなる次回に続きます。


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目指すは菜の花畑と伊良湖岬

2024-03-02 02:55:40 | 廃校・廃墟

こんばんは、白黒茶々です。

前回は牛川原人の探究から急展開となったのですけど、私の父の葬儀は無事に終わらせることができました。 葬式は参列するだけでも、言い様のない疲れが溜まりますよね。 ましてや、喪主の重責(?)から解放された私は……… ところで皆さまは、昭和の頃に放送されていた「勇者ライディーン」というロボットアニメをご存知でしょうか?

ひびき洸(あきら)という青年が巨大ロボ・ライディーンに搭乗(フェード・イン)して悪と戦うのですけど、ライディーンがダメージを受けると、ひびき洸も痛い という仕組みなのですよね。 なので、戦い終えて解放(フェード・アウト)されたひびき洸は疲労困憊で、自分では立つことができないぐらいグッタリとしています。 と、とにかく私はひびき洸ぐらいの肉体的な疲れを抱えていて(たぶん )、本来なら葬儀の翌日となる2月4日の日曜日はまる1日家で休むところでした。 しかし私は、それよりも花や海を見て、精神的な疲れを癒したい と思って、その日は朝から出かけることにしました。 もちろん、にも付き合ってもらいますよ
………というノリで、私たちは愛知県の渥美半島の先端の伊良湖岬の方角に向かって出発していきました。 そのようにして、最初に行き着いたところは………

田原市立伊良湖岬小学校 ………の跡でした。

こちらはもとは和地小学校があったところで、平成27年(2015年)4月に堀切小学校伊良湖小学校と統合して、伊良湖岬小学校となりました。 とはいっても、伊良湖岬からはかなり離れたところに位置しています。

グラウンド遊具は当時のままで………

こちらは体育器具庫だったところでしょうか? 和地小学校時代の名残りがありますね。 このあたりはまだ綺麗なのですけど………

北側の校舎プールのあたりは草が生い茂っていて、廃墟感がありました。 伊良湖岬小学校となってから6年後の令和3年(2021年)9月に、近くの伊良湖岬中学校の跡に新築移転したために、閉校してしまいました。 というよりも、こちらの学校は新たな校舎ができるまでの仮校舎だったみたいです。 そんな先代伊良湖岬小学校が児童で賑わっていた頃を偲んでから………

私たちは日研農園さんが直営するN`cafeさんに向かいました。 こちらでの目的は……… もちろんモーニングですよ

こちらは今年の1月2日にオープンしたばかりで、店内には開店祝いの花が飾られていました。

N`cafeさんは合理化&新しい方式を取っていて、レジで代金を先払いするシステムになっています。 なので、席に着く前にメニューを決めておかなければなりません。 それから、水もセルフサービスで汲むようになっているのですけど、おかわりしたくなるようなレモン水でした。 そのような手続きを経て………

私のテーブルに、モーニングのセットが運ばれてきましたよ ちなみに私が注文したのは、レギュラーモーニング(コーヒー代の450円のみ)にございます。は近くの農家で獲れたもので、サラダジャムには自家製の食材が使われているみたいです。 そのイチゴジャムには独特のうま味があって、トーストに塗ってもヨシ、ヨーグルトに混ぜてもヨシ、そのまま舐めてもヨシ とにかくその食材を介して、いろんな味変を楽しむことができました。
これほどの内容でこの価格は安くてお得なのですけど、それ以上に産地直送の食材を上手く美味しく調理しているのがありがたいです このようにして農家カフェを堪能した私は、再び波&狛とともに次の目的地を目指していきました。 モーニングを挟むタイミングもあって、位置的には少し戻る形となるのですけど………

私たちは「ほりきり広場」なるところにやって来ました 「『ほりきり』って、どこかで聞いたような………」と気付かれたアナタは、なかなか鋭いです

こちらは、先程の伊良湖岬小学校跡のところにも出てきた堀切小学校があったところなのですよ 南側の校門は当時のままで………

校訓が刻まれた石碑や何かの石像は、その近くに集約されていました。

さらに、かつて児童たちを(本を読みながら)見守っていたであろう二宮金次郎さんの像も、残されていました。 堀切小学校は明治6年(1873年)に、尋常小学校堀切学校として開校しました。 しかし平成27年(2015年)に近隣の小学校と統廃合するために閉校し、それから間もなくして校舎は解体されました。 現在、その跡には………

命山というか、津波避難マウンドが造られています。 このあたりも、津波災害警戒区域に含まれているみたいです。 ちなみに、その手前は学校のグラウンドだったところで、かなり広いです。 そうしたら、せっかくなので………

津波避難マウンドに上ってみましょう こちらは平常時は公園として開放されています。 ちょっとした登山気分を味わいつつも、行き着いた頂は………

かなり広い空間となっていました。 これなら、大勢の人が避難してきても大丈夫ですね。 麓からの高さは10m、標高は15,1mあるそうです。

そこから校門のあたりを眺めてみました。 その周辺の茂みや、たはらの巨木・名木100選に指定されているハマセンダンの木は、昔からのままでした。 廃校となった学校の校舎は、再活用する術がなければ維持するのは難しいのですけど、せめて校門だけは残しておいてもらいたいです。 それがあれば、ここに学校があった証となるので。

さらに、伊良湖方面を臨んでみました。 今からそちらに向かいますよ ………と、意気込んだところで申し訳ないのですけど、今回はこのあたりで一旦仕切らせていただきます。 心の洗濯をするために花や海を見に行くハズが、その前の段階で終わることに。 それでも、廃校2つと農家カフェでのモーニングも、心の栄養になると思いませんか? それから、次回の日記には花と海が出てくる予定なので、どうかご安心くださいませ


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大和の大いちょうと開運モーニング

2023-12-16 02:38:53 | 廃校・廃墟

こんばんは、白黒茶々です。

気付いたら、12月の中旬になっていました。 今年もあと半月で、すぐに令和6年(2024年)の正月が控えているなんて……… こうなったら、急いで年越しの準備をしなければならないのですけど、それよりも今年は月日が経つのがあまりにも早かったように思えます。 その間、私は何をやっていたのでしょうか? それはさておき、前回の話で持ち越しとなったことに紅葉狩りがあります。 今年は葉っぱの色づきが遅れているので、12月に入ってからのほうが見ごろになっているような気がします。 そのような状況の中で………

最近、豊川市にある大和の大いちょうがSNSなどで注目を浴び、メジャーになりつつあります。 紅葉がたくさんある風景やイチョウの並木もいいのですけど、1本のイチョウの巨木が立っているのも存在感ありありで、引き寄せられます。 そうしたら12月に入ったら、今年の紅葉狩りの仕上げとして、この木を見に行くことにしましょう もちろん、も連れていって、大いちょうと一緒に被写体になってもらいますよ

そして、その計画を実行する12月3日の日曜日になりました。 この頃には、大和の大いちょうは見物人で混雑する恐れがあったので、私たちは朝早くから行動を始めて、8時台には現地に到着しました。 その大いちょうは目と鼻の先なのですけど………

まずは廃校を見ていくことにしましょう。 大いちょうがある場所も含めて、このあたり一帯には昭和51年(1976年)に閉校するまで、一宮町立大和小学校があったのですよ ちなみに現在は、大和公民館のところにその門柱が残っています。 それらを確認したら………

大和の大いちょうに迫りますよ この木は、現在は広い大和ちびっ子広場の中にあって、見学者用の駐車場やトイレも設けられているので、安心して訪れることができるようになっています。

大いちょうは高さが約25mもあり、樹冠幅は30mにまで及ぶそうです。 ただしオスの木なので、銀杏の実を付けることはありません。 こちらの木ばかり注目されているのですけど、実は………

ちびっ子広場に隣接している大和保育園の園庭には、(大和の大いちょうよりは)小ぶりなメスの木があるのですよ 今から100年ほど前に、大和小学校の前身となる大和尋常高等小学校が建てられたのを記念して、最初にこちらのメスの木が植樹されました。 その後、オスの木が植えられ、以来2つの木は「大和の夫婦大いちょう」と呼ばれ、地元のシンボルとして親しまれてきました。 そうしたら、この時季になったら園庭には大量の銀杏の実が落ちて、強烈な臭いを放つということに。 そいつをうっかり踏んでしまった園児が、えんがちょされなければいいのですけど………

それはさておき、さらに混む前に大いちょうをバックにして、目的の写真を撮ることができました。

実はこの大いちょうは、平成21年(2009年)10月の台風18号で大打撃を受けたのですけど、樹勢は衰えず地元の住民たちの努力もあって、再び壮大で美しい姿を見ることができるようになりました。

そういえば今年の紅葉狩りでは、まだ波と狛の頭に葉っぱのせをしていませんでした。 油断しているところを狙って、そお~っと……… ここでは、皆さまも「しぃ~」ですよ

おおっ、うまくいきましたよ そんな大和の大いちょうを堪能した私たちは………

そこから車で14分ぐらいのところにある、珈琲亭大正浪漫館というカフェに入っていきました。 あ、店内に入ったのは私だけですよ。 こちらに来た目的は……… もちろんモーニングですよ

私たちが着いたのは9時半ぐらいで、その頃にはモーニングのピークは過ぎて、席は空きつつありました。ただしこの一角は、大正とか浪漫のような装いはあまりないですね。

それはさておき、まずはモーニングの土台となるドリンク類を選びましょう。こちらは「珈琲館」を冠することもあって、こだわりのコーヒーが並んでいますね。

次に、ドリンクに付けるモーニングメニューを決めますよ!レギュラー以外は追加料金によってグレードが上がっていくのですけど、それらの中で私が選んだものは………

和風セット(コーヒー代の455円+165円=620円)でした うどんおにぎりが付いていて、さらにいなり寿司と、炭水化物攻めになっておられる しかも「開運」の焼き印が入った油揚げが2つもあって、それらを食べたら運気が上がりそうです。 それらを平らげたら、私は波&狛とともに次の目的地に向かいました。 私の車には、予めそこで使う道具が積んであって、さらに行く途中のスーパーではそこで作る料理の食材を買っていきました。 ここまでヒント(?)を言ったら、私たちがこれからやろうとしていることはもうおわかりですよね?

そうです こちらのヒュッゲ湖西市民キャンプ場で、犬キャン△をするのですよ 冬のキャンプは寒くて日照時間が短いので、環境的には厳しいのですけど、私は11月で終えてしまうのは寂しく思えてきました。 なので、今回のキャンプはアンコールというか、追加ぶんや延長戦みたいなもので、12月とはいっても第1週あたりならまだ本格的な冬にはなっていない ………という認識でいきました。 昨年も同じような理由で12月にキャンプをやったのですけど、今回はどのようになるのでしょうか? ということで、皆さまも防寒対策をしてから、私たちの今年最後のキャンプレポートにお付き合いくださいませ


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漆黒の洞穴といわく付きのトンネル、あと廃校もっ

2023-10-25 01:19:13 | 廃校・廃墟

こんばんは、白黒茶々です。

前回の日記のラストで予告した通り、今回は真っ暗な鍾乳洞と古くて怪しいトンネルの様子を体験レポートします。 を連れて、静岡県との県境に近い愛知県側の豊橋市嵩山(すせ)町方面を訪れていた私たちは、今度はその山側に続く自然道に入っていきました。

「あれっ、このような石段って上っていったかな?」この先に目的の穴があるのですけど、10年以上も前に行って以来なので、そこまでのアクセスも忘れていました。 それでも、こちらはわかりやすい案内板があったので、間違いはないハズです。 それから間もなくして………

目指していた洞穴にたどり着きましたよ こちらは嵩山蛇穴(すせじゃあな)という石灰岩系の岩山にできた鍾乳洞で………

その洞内からは1万年ほど前の縄文時代草創期の土器や獣の骨などが出土し、火を焚いた跡も見つかりました。 それらのことから、その時代のヒトの住まいの跡と推定され、国の史跡に指定されました。

案内板には、洞穴の全体図とその住民だった縄文人の想像図が描かれているのですけど、その顔にソックリな芸能人がいたりするのですよね。 どなたか思い当たる方はいらっしゃるでしょうか?

こちらは観光鍾乳洞ではないのですけど、内部を自由に見学することができます。 しかし、内部は光が一切入らない漆黒の闇となっていて、足場が不安定なうえに水浸し&泥まみれになることは必至 なので、波と狛は入口だけで引き返させて、車の中で待機していてもらいました。 私は長靴に履き替えて、懐中電灯を片手に再び嵩山蛇穴に至る石段を上っていきました。

ハアハア……… 前フリが長くなってしまいましたけど、いよいよ皆さまを洞穴の内部にご案内いたします。 気になるその様子は………

う~む……… 懐中電灯+モバイルライトを使っても、暗過ぎてうまく写りませんね。 こうなったら、他の方法でやってみます。

一緒に持ってきたデジタルカメラでストロボを焚いたら、なんとか撮ることができました。 わっ、オーブ と思われた方がいらっしゃるかも知れませんけど、洞内は湿気が多くてやや蒸し暑かったので、浮遊物に見えるものの正体は水滴である。 ………ということにしておきましょう。

そうしたら、どんどん奥まで入っていきましょう

案内図にもあったように、2手に分かれているところもありました。 このような場合、どちらから行っても同じところに繋がっているのですよね。 そして、最深部に近いところには現在の洞穴の住民がたくさん寝ていたのですけど、ここから先はニガテな方は閲覧注意です。 その生物は哺乳類ではあっても夜行性で、鳥とは違う動きで飛ぶことができます。 しかも、昼は暗いところで逆さにぶら下がって寝ていて、吸血鬼のお供といえば、もうおわかりですよね?

そうです!嵩山蛇穴に巣くう現在の住民というのは、コウモリのことだったのです。 そんな彼らの安眠の場所に、いきなり侵入してきて寝姿を写真に撮ってしまい、失礼しました この洞穴は明治時代に落盤があって、長さは70m程になっているのですけど、それ以前はもっと長かったそうです。 それでも、真っ暗で先が読みにくかったので、実際の距離よりは長く感じました。 コウモリが好きで地底探険にハマっている方がいましたら、是非嵩山蛇穴に潜ってみてくださいませ

嵩山蛇穴をあとにした私は、再び波&狛と一緒に車に乗っていき、今度は山の上に続いている細くて曲がりくねった道を進んでいきました。 この先には、ポツンと一軒家………

………ではなく、旧本坂トンネルと呼ばれる古い構造物があるのですよ

そのトンネルの出入口の上には「道隧坂本」と刻まれています。 こちらは大正4年(1915年)に造られ、愛知県と静岡県を結ぶ道として長年使われてきました。 しかし、昭和53年(1978年)に現在の本坂トンネルが開通して以後は、通りにくいこともあって、交通量が激減。 現在は心霊スポットとして、知られています。

それでも、私たちにとっては雨の日でも散歩ができる全天候型の場所なので、過去にも何回か訪れています。 そうしたら、車から降りて反対側まで歩いていきましょう その内部はレンガ張りなのですけど、愛知県側は鋼鈑で覆われ、さらに無数の落書きがされておられる。

先ほど触れた通りで、旧本坂トンネルには怖いウワサがあります。 夜に通ると、赤ん坊を抱いた女性の幽霊が立っているとか、老婆の幽霊が追いかけてくるとか。 さらには、トンネルの天井から逆さ吊りで立っている女性の幽霊が見える、………など。 最後の話はドリフのコントにもあったような気がするのですけど、このトンネルができる前は山の上を通る険しい峠道しかなくて、そこで山賊などに襲われて命を落とした女性の霊魂がこのあたりを彷徨っているとも、云われています。

トンネルの真ん中あたりに県境を示す「懸界」の表示があるハズですけど、保存状態が悪いというか、欠けているほうを撮ってしまい、さらに暗くてわかりづらいときたもんだ

静岡県側は本来のレンガの壁があらわになっていました。 ゴールまであと少しです

トンネルを出てすぐのところには、現在地を示す表示版が立てられていました。ここからは静岡県浜松市北区三ヶ日町となります。 しかしここで終わりではなく、愛知県側に車を置いてきてしまいましたし、今来た道を引き返さなければなりません。 その反対側には………

「愛知県豊橋市」の表示が。 戻ってきてやれやれというところですけど、今度は車に乗ってさらにトンネルを通らなければならないのですよ。 しかも、先述の「懸界」のあたりでクラクションを3回鳴らすと、幽霊が出てくるというウワサが 私はモノ好きなのですけど、次に寄るところがあるのに面倒くさいことになったらイヤなので、今回は検証は見送ることにしました。
そんな旧本坂トンネルから狭くて曲がりくねった坂を降りていき、現在の本坂トンネルにも繋がっている国道362号を東に向かっていくと………

この日最後の目的地となる、三ヶ日町立西小学校日比沢分校跡に行き着きます。 こちらには平成22年(2010年)頃までかつての木造校舎が残っていたのですけど………

現在は取り壊され、砂利が敷かれた広場となっています。

日比沢分校は、明治31年(1898年)に西浜名村立西浜名尋常高等小学校日比澤分教場として開設されました。 先述の校舎は、昭和25年(1950年)に建造。 2年生までの通学の便宜を図って活用されてきたのですけど、昭和44年(1969年)に閉校してしまいました。 それでも、その敷地の片隅には………

二宮金次郎の像が残っています。 台座からしてかなり古そうですね。

それもそのハズ その台座の裏には、昭和12年(1937年)4月に石田二郎という方によって寄付されたことが刻まれていました。 当初の像は戦時中に金属供出で失われ、その後今日見られる石像(コンクリート像?)が立てられました。

その台座の表側には「時は金なり」と、ありました。 しかも、戦前の像を寄付したのと同じ人の名目で。 現在の金次郎さんも、彼が建立したのでしょうか?

以前に訪れた時にあったその近くの古木は、枯死のために切り倒されたのでしょうか? 瑞々しさを失った切り株だけが残っていました。 日比沢分校の遺構は入口の鉄柱やフェンス以外には、この二宮金次郎像だけとなってしまいました。 それでも、学校やそこに通っていた児童の姿を長年見続けてきた証人となるので、ずっと残しておいてもらいたいです。 なので今後、金次郎さんには「夜に目線が合うと追いかけてくる、しかも無表情で」のようなウワサが立ったりしないことを願っています。



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謎の旧校舎に引き寄せられて

2023-09-30 00:41:11 | 廃校・廃墟

こんばんは、白黒茶々です。

私は廃校の類が好きで、地図から消えてしまった昔の学校を探し出して訪れることがしばしばあります。 その地に立って、かつて児童や生徒で賑わっていたことを偲んだりするのですけど、使われなくなって朽ちていく校舎の建物を見るのはツラい……… でも見てみたい そのような廃校は、少子化が進む田舎町で増えつつあります。 その一方で、ウチから県境を跨いだ隣町の豊橋市は、中核市ということもあって廃校はなかなか見当たりません。 その代わり、古い学校の近くに新しい校舎を建てて移転したというパターンが2つほど確認できました。

1つは、私が行ったことがある多米小学校 その木造の旧校舎は、現在は豊橋市民族資料収蔵室として活用されています。 もう1つは、同市杉山町の杉山小学校であります。 その学校の昔の校舎が、神社の社務所として使われているというではありませんか その建物は社務所らしからぬ姿をしているそうで、私は9月10日の日曜日の朝に調査に行くことにしました。

………という勢いで、やって来ましたよ 杉山八幡社に……… といくべきところなのですけど、その前にそちら方面で見つけたカフェ陽だまりの家さんに寄っていきました。 こちらでの目的は……… もちろん、モーニングですよ

こちらのお店は県道沿いにあり、外観はちょっと古い民家を改造したような感じなのですけど………

内部は明るくて開放的で綺麗でした。 こちらのお店は私が訪れた翌週に、8周年を迎えたそうです。

そうしたら、注文するメニューを選びましょう とはいっても、私にはすでに心に決めてきたものがあるのですけど。 それからしばらくして………

私のテーブルに、モーニングセットが運ばれてきましたよ はい、ご覧の通りレギュラーSETにございます。 レギュラーメニューといえば、トーストにゆで玉子は定番で、サラダが付いてくれば御の字といったトコです。 こちらのお店はコーヒー代の450円だけで、さらにヨーグルトも付けてくれるのですよ あ、白いお皿と同化してわかりにくくなっていますけど、サラダとヨーグルトの間にゆで玉子が乗っています。 それらは美味しくて、地元で製造されているワルツコーヒーとの相性もバッチリでした。 お腹も心も満たされた私は、車の中で待機していてもらったと一緒に、そこから近いといえなくもないところにある、本来の目的地に向かいました。

前置きが長くなってしまいましたけど、今度こそ本当に杉山八幡社にやって来ましたよ

拝殿の手前には、生き狛犬が ………って、実は私が配置したのですけど。 それにしても、間を開け過ぎてしまいました。

杉山八幡社は元久2年(1205年)に創建したと云われています。 応神天皇光仁太子豊受比売命(とようけひめのみこと)素盞雄命(すさのおのみこと)市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)大雀命(おおさぎのみこと)田杵津比売命(たきつひめのみこと)、………など、他多数の祭神が祀られています。

その拝殿をみんなで(?)参拝したら………

久しぶりに「狛と狛(犬)」をやっておきました。 話の流れ上、先程は素通りしてしまいましたけど………

参道を進んでいく途中の境内の広場に、私たちが目指してきた社務所の建物がありました

確かに神社の社務所らしからぬ外観で、昔の学校の校舎にしか見えません。 失礼して、窓から中を覗いてみたら………

廊下に「昭和56年度第35回卒業記念」と記された郷土の歴史年表が掲げられていました。 そのあと、私は境内の掃除をしに来た神社の方と挨拶を交わしたのですけど……… この建物はいつまで学校の校舎として使われていたのか?もとからこの場所にあったのか?そもそも、本当に学校の校舎だったのか?………など、私はたくさんの疑問を持っていました。 「あとでネットで調べればいいか」と思い、あの時は「独特な建物ですね」としか言いませんでしたけど、ネットには詳しいことは載っていませんでした。 あの時、あの方にしっかりと聞いておけば………

………と後になって後悔することになるなんて思ってもいなかったその頃の私は、ついでに近くの杉山小学校の外を歩いて回っていました。 その時には校舎の改修工事をやっていたその学校は、明治6年(1873年)に創立しました。 ………ということは、今年でちょうど150年になりますね

その校内には、古い二宮金次郎さんの像がありました。 こちらの学校は創立した当初はお寺の境内にあって、その後は現在の杉山地区市民館の場所など、近場を転々として現在地に落ち着いたみたいです。 杉山地区でのミッション(?)を終えた私は………

地元に今年の4月にできたイオンタウン湖西新居に初めて入って、そこで食材を買っていき………

浜松市西区の浜名湖に浮かぶ人工島の渚園に行き着きました。 こちらでの目的はやはりキャンプなのですけど、今回はどのサイトでどのようなスタイルで挑むのか?その内容については、次回の日記でお知らせします。


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新城・作手の廃校めぐり

2023-09-23 00:58:16 | 廃校・廃墟

こんばんは、白黒茶々です。

前回から、私はとともに新城市に来ています。 医王寺さんでのミッション(?)をクリアした私たちは再び車に乗り込み、そこから近いといえなくもないところにある………

とある民間企業の工場の前にやって来ました。 「向こうに続いている玉石垣や植え込みに独特の雰囲気がある」と思われたそこのアナタは、なかなか鋭いです すでに今回の日記のタイトルにヒントが出ているのですけど………

こちらはかつて、鳳来町立長篠小学校があったところであります 明治6年(1873年)に長篠村立長篠小学校として開校。 昭和44年(1969年)に近隣の小学校と統廃合して閉校しました。

現在、学校の跡は前述の工場の敷地となっているのですけど、校門などはそのまま残されています。 長篠小学校があった証を見れるようにしておいてくれて、廃校や遺跡が好きな私にとっては、とても有難いです。

その門や玉石垣の内側には、このような怪しい……… いや、何かの創作物があるのですけど、これは小学校の頃からのものでしょうか?
長篠小学校に思いを馳せたあと、私たちは国道301号線を走っていき、峠を越えて旧作手(つくで)村に突入しました。 その地域に行くのは昨年の8月以来なのですけど………

保永カドというところからは脇道に入っていきました。 この道は、県道を冠するワリにはかなり細くて険しいですね。 「この道で合っているのかな?」途中で心配になって、スマホの地図情報を見ようとしても、すでに電波が届いていませんでした。 そうしているうちに………

私たちは見代(けんだい)という地区に行き着きました。 巴川の清流沿いには、静かな集落がありました。

波と狛の後ろには、またしても雰囲気のある茂みが見えますね。 この大木は見代のオハツキイチョウで、その雄株は全国で3つしかない貴重なものであり、新城市の天然記念物に指定されています。

その内側に廻ってきました。 あまり広くはないのですけど、何かの跡のように見えませんか? 実はこの場所には………

作手村立旭小学校があったのですよ 石碑の文字は読みにくいのですけど、「旭学校跡」と刻まれています。 明治25年(1892年)に旭尋常小学校として創立。昭和36年(1961年)に近隣の小学校と統廃合して閉校しました。

せっかくなので、もう1ヶ所この地区にあるスポットに寄らせていただきます。 波狛ちゃの前に聳える深みのある建物は………

見代発電所の跡であります こちらは愛知県で2番目にできた水力発電所で、明治41年(1908年)に送電を開始しました。

その建物の下には、排水口が残っています。 見代発電所は昭和34年(1959年)にその役割りを終え、以降は茶工場として活用されたのですけど、現在は空き家となっています。 私たちはさらに車で東の方に向かっていき………

距離にして2.6km、時間にして7分程で作手農村環境改善センターにたどり着きました。 現在はまわりに民家が1軒もない山間部のこの場所は………

かつて作手村立作手南中学校があったところなのですよ 昭和22年(1947年)作手第二中学校として開校。 さらにその翌年に、作手南中学校と改められました。

センターの敷地内に、中学校の痕跡があるのは嬉しいですね。 作手南中学校は昭和49年(1974年)に作手中学校と統合し、閉校しました。 あともう1ヶ所、廃校に寄っていってもいいでしょうか? 「ダメ」と言われても、私はすでに行く気マンマンなのですけど。 それは話の流れもあって、先ほど素通りしたところにある………

新城市立協和小学校跡でした 立派な校門は昔からのままで………

せっかくなので、校名が見えやすいところまでズームしてみました。 協和小学校は、私たちが先ほど立ち寄った旭小学校が他の2つの小学校と統合して、昭和36年(1961年)に創立しました。

校門を通ってすぐに、体育館が見えてきました。

校歌が刻まれた石碑もありますね。 緑豊な環境の中で、伸びゆく子供たちのことを思い描いた、素晴らしい歌詞です。 そうしたら、今からこの校歌を歌ってみましょう さあ、パソコンやスマホの前の皆さまもご一緒に さん、はいっ
……………… え~と、この校歌の曲をご存知の方はいらっしゃるでしょうか?

それはさておき、多少草が生えてきてはいるものの、広いグラウンドは昔のままでした。

その片隅には、遊具や………

飼育小屋もありますね。 実は私は小学生の頃はいきものがかり、いや、飼育委員会に入っていて、小屋の掃除や動物の世話をしていたのですよ。

しかし、こちらの小学校は今から10年前の平成25年(2013年)に巴小学校と統合して、閉校してしまいました。 それから時が止まったかのように静寂に包まれている協和小学校。

校舎や石碑に掲げられている「伸びよ杉の子元気よく」のスローガンが、寂しく思えてしまいます。
以前は旧作手村には4つの小学校があったのですけど、平成25年に2つにまとめられ、さらにその4年後に村の中心部にこの地域で唯一となる新城市立作手小学校が開校し、今に至ります。

協和小学校跡の裏山には、兒神社が鎮座しています。 私は下調べをしている段階から、廃校と合わせて寄っておきたいと思っていたので、この神社を参拝して今回の日記を締めさせていただきます。 そのためには、鳥居の向こうまで続く幅が狭くて急な階段を上っていかなければならないのですけど、これがけっこう大変でした。

ハアハア……… やっと社殿に行き着きましたよ。 こちらの神社の祭神は大気津姫命(おおげつひめのみこと)です。 さらに上に続く石段があったので、上っていったら………

お地蔵さん……… とは違う石の神様が鎮座していました。 丁寧に、赤い前かけがされておられる。 もしかして、大気津姫命でしょうか? 何にしても神聖であることに間違いはないので、手を合わせておきました。
現在の時刻は12時ちょっと過ぎ。 朝にはTKGMをがっつり食べたのですけど、いい運動をした(?)こともあって、そろそろ小腹が空いてきました。 ということで、次回は作手のとっておきのグルメ情報などもお伝えいたします。


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作手の廃校めぐり

2022-08-13 00:36:41 | 廃校・廃墟

こんばんは、白黒茶々です。

前回の日記の終盤あたりから、の白黒茶々家の1人と2頭は、新城市の山間部の作手(つくで)地区に来ています。 このあたりは近年になって過疎化が進み、それに伴って閉校する学校も続出しました。 ということで、今回はそれらのうちの数ヶ所を巡り、賑わっていた頃を偲んでみます。

………とかなんとか言っているうちに、私たちは最初の目的地となる新城市立作手小学校南校舎跡にやって来ました。

そんな私たちを、校門を入ってすぐのところで二宮金次郎さんがお出迎えしてくれました。

こちらの学校は、明治6年(1873年)に創立しました。 昭和56年(1981年)に現在の校舎が建てられ、長らく巴小学校として存続しました。平成25年(2013年)には協和小学校と合併し、作手小学校南校舎となりました。 しかし、その4年後に近隣の学校と統廃合して作手小学校が創られ、こちらの学校は閉校してしまいました。

朱色の瓦葺きの立派な校舎や………

その裏側にある体育館

映画「ゆるキャン△」のレポートに引用したのは、こちらのタイヤの遊具だったのですよ それにしても、なんとなく懐かしい眺めです。

さらには校庭の遊具も当時のままでした。 ただ違うのは、学校から先生や児童の賑わいが消えたことぐらいです。

人の出入りがなくなったからでしょうか? 校庭をよく見てみたら、鹿のフンと思われる固形物が落ちていました。 そうしているうちに………

暑さでスマホのカメラも悲鳴を上げてしまいました。 まだ働いてもらいたかったのに仕事を放棄して。 しかも、私のほうには1択しか選択肢を与えないとは、なんて勝手なのでしょうか ちっとも「OK」ではないですよ

………なんて文句を言っても仕方がないので、校庭の片隅の木陰で休憩することにしましょう。 もちろん波と狛には、ここに来るまでの間はなるべく日陰に避難させながら、写真を撮っていきました。 とはいっても、こちらでのミッションはほぼ終えたので、しっかりと休んでスマホカメラが復活したら、次の目的地に向かいますよ
作手小学校南校舎跡から車で5分、距離にして3.2kmほど北のほうに向かうと………

新城市立作手小学校の跡に行き着くのですけど、こちらはそのうちの北校舎にございます。

こちらの学校は、巴小学校と同じ年の明治6年(1873年)に創立しました。 長らく開成小学校として存続したのですけど………

平成25年(2013年)3月に閉校しました。 以降は菅守小学校と統合して作手小学校北校舎となったのですけど、その4年後の新たな作手小学校への編成に伴って完全に閉校してしまいました。

とはいっても学校はその時のままで、立派な校舎や………

渡り廊下で繋がれた体育館

それに校庭の遊具も手は加えられていませんでした。 さらに私たちが校内を廻っていったら………

昔、児童たちが作ったアートがありましたよ むむっ、これは楽天カードマンじゃないですかっ。
※楽天カードマンというよりは、ビバンダム君(ミシュランマン)に近いのでは?(編集部注)

あと、運動場の正面には校長台もありました。 私が小学生だった頃は毎週のように全校集会があって、その場所はやはり運動場でした。 その際の校長先生の話が、やたらと長かったのですよね。

今からン十年前、私は小学校の卒業式のあとの春休み中にあった離任式に参加しました。 やはりその会場は、青空のもとの小学校の運動場でした。先生方の長い話を立って聞いていたら、しだいに彼らの声が遠のき、まわりが暗くなっていきました。 そのような感覚は、今までに体験したことはありませんでした。 ここはなんとかして堪えなければ!と、頑張り過ぎたのが、かえっていけなかったような気がします。私はまわりの子を巻き込みながら派手に倒れたらしく、そこから先の記憶はありません。 気付いたら、保健室のベッドで寝かされていました。 保健室の先生は「貧血だね」と言っていました。よりによって、私は小学校最後の行事で生まれて初めて倒れてしまったのでした。 しかも、保健室にお世話になったのも、1年生の時以来ということに。

その一件があって以来、運動場の校長台を見る度に思い出すようになってしまいました。 今は、校長先生の話は簡潔になっている……… というよりは、全校集会は運動場ではやらなくなった、いや、コロナのこともありますし、全校児童を集めること自体、なくなったのかも知れません。
作手小学校北校舎のほうも時が止まったように静かで、私はいろいろな想いを巡らせながら歩いていきました。 そうしたら、次回もかつての賑わいを偲ぶ企画をやることにしましょう いや、賑わいとは少し違うのですけど、戦国時代に攻防戦の舞台となった、作手にある続日本100名城を訪れます。


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