ひとり座禅のすすめ

自分ひとり、坐禅(靜功)を日常生活の中で取り入れていくと今までと違った感覚を覚えていく。

吐く息をゆっくり体の中へー胸式肺呼吸から

2009-04-20 07:13:22 | 逆腹式呼吸
 吐く息をゆっくり吐く、イメージで体の中へ吐く、吐く息だけに意識を集中することにより、私達は生来持っていた機能、眠っていた機能を刺激し、今までとは違った感覚を覚えます。

 息をゆっくり吐きながらイメージをしますと、私達の目には見えませんが、宇宙エネルギーである気が動き、体の中に眠っていた気の通り道(径絡)を刺激し、静かな暗闇の中で座禅を行っていますと、微妙な体の変化を感じさせてくれます。

 ここでは、禅宗でいう臍下丹田を意識した呼吸を行う必要はありません。 禅宗で行う丹田呼吸ー順腹式呼吸は、必ずしも強く経絡を刺激することはなく、むしろ長期間にわたって、少しずつ刺激していくといってもいいかもしれません。

 ゆっくり息を吐くときに、丹田から息をイメージで吐き出しますので、丹田が充実するということは、あまりないというほうがいいのかもしれません。 息を吐き終わるとその反動で、息を丹田に吸うだけですので、丹田が強く刺激を受けることはないのです。

 ここでは普段行ってきた胸式肺呼吸を、ただ息をゆっくり吐くだけ、吐く息を体の中へ吐くだけ、吐く息だけに意識を集中するだけでよいのです。 丹田を意識するのはもう少し後です。 

 息を吸うときには胸が膨らみ、下腹は凹みます。 息を吐くときには胸は元に戻り、下腹ももとに戻ります。 その普段行っている呼吸で、息をゆっくり吐き、イメージで体の中へ吐き、吐く息だけに意識を集中するだけで、胸式肺呼吸は成立し、その呼吸が自然にできるようになれば、禅宗の丹田呼吸の下腹の動きが逆の、逆腹式呼吸が成立していくのです。
 

四国八十八箇所の巡礼お遍路の話を聞いて

2009-04-19 11:16:27 | 健康
 昨日は仲間達との懇親会があり、四国出身の友人から、四国八十八箇所の巡礼お遍路の話を聞きました。 お遍路の途中には、接待所というところがあり、旅をする巡礼者に、食べ物などを施す風習があり、従来は何も持たずにも、巡礼が出来たということです。

 また、体の悪い方やハンセン氏病のような、人の嫌がるような病を持った人にも、平等に接待をしてきたということです。

 もともとは空海が修行してきたお寺が数多くあり、空海を慕うお坊さん達が、四国に点在するお寺を回ることによって、お遍路巡礼が始まったような雰囲気があるようです。

 数多くの巡礼者たちは、お寺をお遍路する過程で、何かを感じ、悩み事や困りごとの解決の糸口を、見つけることになるようでもあります。 最近では、だいぶ観光化されてきているようですが、一方まじめに巡礼お遍路の旅をされている方も、多いと聞いています。 一度、機会があれば巡礼お遍路の旅に、行くことにもなるような気がしてきました。

萌黄色の若葉がまぶしく見えます

2009-04-17 15:59:49 | 自然
 我が家から駅前の事務所まで行くまでにも、萌黄色の若葉が少しずつ見えるようになってきました。 いかにも春が来て、近づく夏を予感させるようです。

 いつも通るイチョウの木も、早い遅いはあるものの、若葉が目立ってきました。 大きなイチョウは、黄色く色づくのは遅いものの、若葉が一番先に見られました。 落葉するのは遅くまで頑張って、周りの木々が落ちるのを見て、最後まで落葉するのを、拒否しているようにしていたのですが。

 高尾山や霧ヶ峰などの信州のほうの唐松も、萌黄色でいっぱいになっているであろうと、思い出しながら、近くの萌黄色の若葉を、楽しんでいます。 どういうわけか、萌黄色の若葉は、私達に元気を与えてくれます。 感謝、感謝。

池田さんと久しぶりに会って

2009-04-15 06:37:05 | 文化
 いつも朝早くに事務所へ向かうときに、近所のコンビニでスポーツ新聞を買って、家に戻るときに会う池田さん。 息子といつも歩いて行くのですが、最近長く会うことはありませんでしたので、どうしたんだろうと心配していました。

 池田さんとは、いつもすれ違うだけの関係でしたが、こちらから「おはようございます」と声を掛け合うだけでしたが、次第にちょっと立ち止まって、話をするようにはなっていました。 どこの辺りに住んでいるかは分かるのですが、個人的なことは分かりません。

 ある時、昼間に家に帰るときに、朝とは逆に、駅のほうに向かう池田さんと会いました。 何か今日はあるんですか、と尋ねたところ、奥さんが急性の糖尿病で、救急車で入院したので、毎日見舞いに行っているんですとのこと。 奥さんは健康診断を拒否して、したことがなかったという話も聞きました。

 唯一、池田さんのことで分かったことは、官庁に勤めていたことと、毎年健康診断だけを行っていて、至って健康ですということです。 その池田さんが、今日、どうしたんですか、心配していたんですよ、声をかけました。

 いやあ、体の調子が悪かったんですよ、体中が痛いんですよと。 今日は余り話すことは出来ませんでしたが、今度会ったら、お医者さんに行くように勧めましょう。

 早朝にすれ違うだけの関係だった人のことを思い、心配するような関係になることも、出会いの一つの形ではないかとと、いつも息子にも話をしております。一つ一つの出会いを大切にする中で、自分の人生の中で大切にしたい方との出会いもあるのではないかと、いつも感じております。

病気になったときにはその原因を考えることから出発すべきでは

2009-04-14 16:57:07 | 
 私達が病気になったときには、お医者さんに診てもらい、何らかの治療を受けるのは自然の流れです。 たいていの場合、手術をして患部を切除したりし、後は薬の服用で済ませてしまう場合が、殆どです。 どうも何かおかしいと感じます。

 生活習慣なり食生活なりに原因があるにもかかわらず、何ら生活が以前と変わらないのであれば、また病気になってしまうのが必定です。 どこに病気の原因があり、そのために今後どのような食生活や生活習慣に変えていくのかを、自分自身で考えていかなければ、意味がないようにも思います。

 先日、前立腺ガンに絡んで、モズクから作るフコィダンを知り、フコィダンがガン細胞の活動を、不活発にさせる働きがあることを、学びましたが、生活習慣を変えることなくその摂取だけをしていたのでは、永久に摂取しなければならなくなります。

 自らが動き、自らが学び、変えていくことが、とても大切なような気がいたします。

食べ過ぎが太る原因と分かっていても

2009-04-13 18:54:37 | 健康
 私の所に引っ越しの挨拶に、沖縄からきた大学の新入生が、お母さんと来られたのは、1年前のことです。 ちょっと小太りで背も余り高くない、目立たない青年でした。

 その彼とビルのELVの中で、4,5ヶ月経ってから会ったことがあります。 そこには別人のように痩せた青年が、立っていました。 どうしたんですか、そんなに痩せて。 アルバイトなどして、余り食べられなくなったんです。 そんな答えが返ってきました。

 時々会うたびに、声を掛けていましたが、先日会ったときには、また一段と輝いていました。 ずいぶん変わったねえ、と声をかけると、春休みで沖縄で友人達と会ったら、子供に返ったようだと、声を掛けられたといいます。

 東京に来る前は、どうしていたんですか、と聞きました。 お母さんが側にいて、色々作ってくれるもので、なんやかやと食べ過ぎていたのかも知れません、との答え。

 私たちは運動量に対して、費用以上のカロリーを取ってしまっているのでしょう。 倖田來未ちゃんじゃないけど、午後6時過ぎには食べないように、するべきなのかも知れません。 自省致します。

大きく窓を開けての普門庵での早朝の座禅会

2009-04-12 18:27:57 | 座禅
 3月第4週の日曜日から3週間が経ってしまったので、前回は寒くて膝掛けを掛けていた人も、必要なくなりました。 玄関の入口だけを開けていた禅堂も、窓いっぱいに広げての座禅でした。
ちょっとひんやりした風が入り込み、早朝から近接する山林から、ウグイスの声が響きます。 桜の木々も4日前には満開だったにもかかわらず、今ではもう葉桜が目立つように、なってきました。

 普門庵での座禅会の時には、深夜の1時間の座禅を行ってから、また座禅を行いますが、我が家では窓を閉め切ったまま行いますので、お寺での座禅会は、清々しい感じで座禅を行えます。

 和尚さんは2週間、九州の方の臨済宗のお寺に、お話をしにいった話をしてくれました。 禅寺にもかかわらず、住職さんが自ら熱心に座禅を行っているようには見えないお寺も、数多くあったというようなことも、話しておりました。

 私は、たまたま大学の級友からの話しかけではじめた座禅ー静功で、座禅の素晴らしさを感じ、そんな座禅をひとりでも多くの人に、実践してもらいたいとの願いから、ブログという形で表現するようになりました。

 自由気ままに、自分の好きな時間に、ひとり静かに出来る座禅は、畳半畳でできる脳と心のエクササイズであると、確信しています。 吐く息をゆっくり吐くだけ、吐く息に意識を集中するだけで、今までとは違った感覚を感じることが出来るのです。 決して難しいものではなく、ごくごく簡単な呼吸法で、感得出来るのです。

息子と中島美嘉のコンサートに行って

2009-04-11 06:21:14 | 文化
 息子が中島美嘉のコンサートのチケットを買ってくれ、一緒に聴きに行ってきました。 最寄り駅に着くと、早速、美嘉風の化粧をした女の子に出会い、何となくコンサートに行く雰囲気が、出てきました。

 初めはロック調の歌で始まり、私自身はバラード風の歌が好きです。 ファンクラブに入らないとよい席が取れないらしく、2階席の後ろから2番目の席でした。 歌が始まると同時に、前の女の子は立ち上がり、手拍子をしながら参加してました。

 中島美嘉の歌は、途中で不安定な声質に変わったかと思うと、1オクターブ高いような、裏声のような声を出して歌います。 息子も私も、好きな歌手のひとりです。

 途中、観客席の人達との直接の話のやりとりも自然で、美嘉風の雰囲気を楽しむことが出来ました。 クラッシックバレーの踊り手が2人、モダンバレーの踊り手が2人、バックコーラスが3人、バック演奏が5人の構成で、踊り手の方達のバックとしての、レベルの高さを改めて感じました。

 聴いている立ち上がって参加している聴衆をよく見ると、楽しそうに手を叩きながら聴いているを、よく見ていますと、下半身でリズムを取りながら、手拍子をしている女の子が、目に付きました。 ああいう風に参加していると、廻りも楽しく参加できるなと思ったりし、公演が終わった後、どんな女の子なのだろうと、近くに行って顔を見てみました。 30才前後のきれいな方でしたが、聴くほうの姿勢というものも、とても大切だなあと改めて感じました。

 私も途中から、雰囲気よく座りながらでしたが、体全体でリズムを取りながら、歌を楽しみました。

植物人間化したときには様々な刺激で回復を

2009-04-09 07:09:55 | 
 深夜の1時間の座禅が終わった後に、テレビ番組を見たら「私の声が聞こえますかー植物人間からの帰還」をやっているのが分かり、早速見てみました。

 私の知人の奥さんが、人間ドックで検査をしていたら、一時的に脳に酸素がいかなくなって、植物人間になってもう10数年経ちます。 私は入院した直後に見舞いに行き、数年経ってからまた見舞いに行ったことがあります。

 脳の活動が停止したこともあり、顔は童顔のようになり、血流の流れがよいのか赤ら顔に、なっていました。 その知人は毎日のように病院に通い、声をかけ手や足をさすっては、病気の回復を願っていました。

 その後、知人に奥さんはその後どうですか、と声をかけたところ、顔の表情が時々笑ったりしますと話してくれました。

 私は座禅を通して、脳が部分的に反応しなくなったとしても、気では通じているのではないかと、常々感じておりました。 気の通りをよくするような刺激をすることにより、気の通り道(径絡)と絡み合うように近接する神経の線を刺激し、時間はかかっても脳の機能は、回復するのではないかと思っていました。

 テレビの中では、筑波大学で3人がかりで体を動かすリハビリをしている姿がありました。 6週間のリハビリで、植物人間化していた人が、口に入れた白湯を飲み込むまで回復し、自宅でのリハビリを期待できるまでになりました。

 若い少女に声をかけることにより、反応するようになり、もともと音楽好きなこともあり、自ら手で簡易ピアノで、覚えていた旋律を、たどたどしく音を出せるまでになりました。

 ベルギーでは、ある特殊な薬を飲むことにより、一時的に(30分ぐらい)意識が回復するような姿が、映し出されていました。 何故その薬が、そのような反応を示すのかは、今後の研究課題であるといっておりました。

 とても充実した深夜の時間でした。

前立腺ガンで女性ホルモンの投与をしていましたが

2009-04-08 10:40:01 | 
 友人の友達が前立腺ガンになって、病巣部を切除したくないということで、女性ホルモンの投与を続けてきていました。 ここに来て、出血が止まらないので別のクリニックの診察を受け、腎臓ガンを併発しているのが分かりました。

 友人からは、年はとっても男ですから、前立腺の切除は嫌だったのでしょう。 ですから女性ホルモンの投与を、選択したのです。 ガンに罹ったら、体内を流れる血液を通して、体中にがん細胞は転移してしまうのです。 何らかの対処をしなければ、いずれは事態は悪化します。

 私自身は、ガンと分かったら病巣部は切除すべきと、思っております。 その上で、どのような対処をするべきか、考えるべきものと感じております。 目に見えるがん細胞があるということは、目には見えないがん細胞は、無数にあるということを教えてくれています。

 ガン細胞を兵糧攻めで、役立たずにしてしまう食事療法の「ゲルソン療法」(ガンと闘う医師のゲルソン療法 星野仁彦著 マキノ出版参照)が、一番よいのではないかと、いつも思ってはいますが、改めてネットで、前立腺ガンを検索してみました。

 すると両分子フコイダンの摂取による治療方法が見つかりました。 札幌医科大学で研究し、実践しているように書かれていますので、勉強の余地はありそうです。 私も知らない方ではないので、意地を張らずに素直に病気と向き合い、自分の体は自分しか守れないのです。 何事も遅いということはありません。 前向きに取り組んでほしいものです。