私は、何も分からずに、ひたすら吐く息を出来るだけ長く吐くことだけに、意識を集中しながら、静かに胡坐を組んで座っていました。 深呼吸の要領で大きく息を吸ってから、長く吐く呼吸を行ってきました。 いわゆる胸式肺呼吸でです。
この呼吸を続けるうちに、いつの間にか胸を膨らますというよりは、下腹を凹ます呼吸になっていました。 腹式呼吸になっていたのです。
それが、いつの日にか(1ヵ月半で)、下腹にあるとされていた臍下丹田が、心臓のように鼓動を始め、活性化したのです。
更に続けていくうちに、臍下丹田の気の呼吸である胎息(肺呼吸を伴わない)を感得するに至りました。
このような私の体の推移を反芻してみると、私たちがお母さんのお腹の中にいた時に行っていたとされる胎息から、生まれ出たときに行われていたと推測される腹式呼吸を通して、更に胸式肺呼吸に至っている過程を、私自身は長く吐く呼吸、吐く息を体の中へ吐く呼吸を通して、逆に遡っていったことになります。
この過程で行われてきた深呼吸の要領で行う呼吸は、体の生理に叶った呼吸ではなかったのかなあと、改めて思うのです。
また、この呼吸を行っていくと体に微妙な変化が起き、時として急劇な変化を起こします。 その時に備え、いつも自然な動きに委ね、自然の摂理に従う気持ちを持っていることが、とても大切なことです。
更に、世のため人のために、何かをしたいという気持ちを持っていることも、とても大切なことです。 それらのことは、長く吐く呼吸、体の中へ吐く呼吸を続けることによって、私自身が感得してきたことなのです。
この呼吸を続けるうちに、いつの間にか胸を膨らますというよりは、下腹を凹ます呼吸になっていました。 腹式呼吸になっていたのです。
それが、いつの日にか(1ヵ月半で)、下腹にあるとされていた臍下丹田が、心臓のように鼓動を始め、活性化したのです。
更に続けていくうちに、臍下丹田の気の呼吸である胎息(肺呼吸を伴わない)を感得するに至りました。
このような私の体の推移を反芻してみると、私たちがお母さんのお腹の中にいた時に行っていたとされる胎息から、生まれ出たときに行われていたと推測される腹式呼吸を通して、更に胸式肺呼吸に至っている過程を、私自身は長く吐く呼吸、吐く息を体の中へ吐く呼吸を通して、逆に遡っていったことになります。
この過程で行われてきた深呼吸の要領で行う呼吸は、体の生理に叶った呼吸ではなかったのかなあと、改めて思うのです。
また、この呼吸を行っていくと体に微妙な変化が起き、時として急劇な変化を起こします。 その時に備え、いつも自然な動きに委ね、自然の摂理に従う気持ちを持っていることが、とても大切なことです。
更に、世のため人のために、何かをしたいという気持ちを持っていることも、とても大切なことです。 それらのことは、長く吐く呼吸、体の中へ吐く呼吸を続けることによって、私自身が感得してきたことなのです。