建物づくりと寸法-1・・・・1間=6尺ではなかった

2007-02-24 00:44:02 | 建物づくり一般

 数年前、アルミサッシの規格寸法が変った。いわゆる「住宅商品・建材への新寸法体系」の導入の一環である。
 1997年、建設省、通商産業省によって設置された「建材の品質簡素化に関する検討委員会」の下部委員会で「住宅サッシ部門の問題点と方向性」が検討され、1998年、住宅サッシの標準化について答申が出された。新寸法体系は、この答申に基づくものである。

 従来と大きく変ったのは、高さ寸法である。これまでは、木造建築(住宅)に於いて一般的に使われていた建具寸法に準じて多様な規格が用意されていたのだが、200㎜ピッチに整理されてしまったのである。 

 かつて、木造住宅の高さ方向の寸法は、内法:床から鴨居下端までの寸法:「内法寸法」を基に考えられ、建具=開口も、内法(鴨居下端)からの下り寸法で決め、その寸法に応じて、それぞれに呼称が付いていた。逆に、その呼称で、ただちに高さが分かったのである。
 一例を挙げれば、床まで開口の建具は「掃き出し」=内法寸法(5.7尺、5.8尺、5.9尺、6尺)、高さ1.2~1.5尺(1.2尺、1.5尺)は「小窓」、2~3.5尺(2尺、2.5尺、2.8尺、3尺、3.5尺)は「高窓」、3.9~5尺(3.9尺、4尺、4.5尺、5尺)は「肘掛け窓」などといった具合である。そして、この寸法に応じた木製の既製建具が関東間、京間等にあわせて売られてもいたのである。

 たしかに、高さだけでも多様の寸法がある。
 しかし、意味なくこれらの多様な寸法があったわけではない。
 これらの多様な大きさは、室内を構成してゆく上で必要なもので、むしろ、よくここまで整理したものだ、と思う。なぜなら、内法を決め、これらの小窓~肘掛けを微妙に使い分けてゆくだけで、空間を上手に構成することができるからだ。

 これらを200㎜単位で整理する、という乱暴な論理はどこから生まれたのか、はなはだ疑問に思う。第一、なぜ200という数字になるのか分からない。合理的な判断とは、到底言い難い。
 おそらく、審議した学識経験者諸氏は、かつての建具の寸法体系の意味が分からなかった、つまり、日本の建物づくりの方法を知らなかったのではなかろうか。

  註 こういう「審議会」がものごとを決めてゆくのだ、と考えると
    恐ろしくなる。なぜなら、文化遺産の破壊にほかならないからだ。


 建物をつくるとき、寸法はきわめて重要であることは言うまでもあるまい。
 そこで、日本の建物づくりと寸法について書いてみようと思う。

 上掲の建物は、京都の東福寺(とうふくじ)にある塔頭(たっちゅう)、龍吟庵(りゅうぎんあん)の「方丈」である。

  註 京都駅からは南にある。奈良線あるいは京阪で「東福寺」下車。

 東福寺は、天竜寺、相国寺、建仁寺、万寿寺とともに京都五山と呼ばれた禅宗寺院。
 塔頭というのは、禅宗寺院で、その寺の高僧の没後、弟子が師徳を慕い、塔の頭(ほとり)に構える房舎を言う。そして、「方丈」とは、住持の居所の呼称。

 なぜこの建物を最初に取り上げるか。
 外観写真を見ると、何となくゆったりしているように見えるはずだ。
 それは、高さは他の普通の方丈建築と変らないのだが、基準の柱間1間が6尺8寸あるからだ。いわゆる「京間」と呼ばれるのは6尺5寸、他の「方丈」も6尺5寸が一般的。それより3寸も大きい。
 一説によると、「応仁の乱」(1467~1477年)以前は、柱間7尺近辺が多かったが、「応仁の乱」以後、6尺5寸にほぼ統一される、という。
 たしかに、1513年に建てられた大徳寺の塔頭・大仙院は柱間6尺5寸、江戸初頭の光浄院も6尺5寸、1630年の西本願寺も同じ。

 つまり、龍吟庵は、応仁の乱以前の貴重な例と言える。

 関東で主流の、関東間、江戸間、田舎間などと呼ばれる柱間:1間=6尺というのは、秀吉の太閤検地以来だと言われる。1間を従来より小さくすることで、租税を稼ごうとしたらしい。以後、武家が主に治めることになる関東では、基準尺度が1間=6尺で建物もつくられるようになった。しかし、関西では(正確に言うと、名古屋あたりから西では)、以前のまま継承され、現在に至っている。
 関東間の四畳半は狭いが、京間の四畳半は、狭い感じがしない。千利休の妙喜庵は二畳だが、京間の二畳だから、関東間の二畳とは大分印象が違う。

  註 関東でも、古い農家では、6尺5寸程度が基準の例もある。
    茨城県かすみがうら市の「椎名家」など。

 先ほどの「新寸法体系」では、どうやらメートル制への移行を考えているようだが、現在メートル間と呼ばれている1間=2mというのよりも、龍吟庵はまだ6cmほど大きい(6尺6寸≒2m)。
 西欧ではヤードポンド法がメートル制と共存しているのに、日本は尺貫法をどうしても捨て去りたいらしい。

 真壁つくりが主体のわが国の建物では、この「柱間寸法(=1間)」と、先に触れた「内法寸法」、「内法から天井までの寸法(小壁の丈)」、「建具寸法:開口の大きさ」、そして「柱の見付寸法」が空間の決め手として重要であった。
 なぜなら、わが国の建物は針葉樹の直材でつくられるため、部材のつくりだす壁面の姿(柱や横材がつくる形状)が、空間構成上の重要な意味を持ってくるからである。茶室は、その最たるものだ。

 残念ながら、最近、真壁のつくりが減っている。使用部材が表に表われるため、その使い方に気を配る必要があるのだが、どうも、それが敬遠されるらしい。しかし、真壁でつくれば、いいかげんな木造建築は減るはずなのだ。

 次回は、高さについて。 

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