閑居シニアの写真館

リタイヤして30年、いろいろと写真を写し続けています。最近は身近な風景を見たまま気ままに写真を楽しんでいます。

国分寺公園の桜

2018-03-30 09:31:55 | 公園

3月29日・武蔵国分寺公園

武蔵国分寺公園入り口付近の桜。

チューリップは盛りを過ぎていた。

満開の桜の下で憩う人達。平日とあって、ママ友たちとの宴会?が多く見かけられた。

園内ただ一本の枝垂れ桜も満開だった。

四月1日に開業する国分寺駅北口ツインタワーが目前に迫って見える。

300ミリの望遠で撮影。実際ははるか遠くにあるビルだが、望遠で引っ張ると遠景が引き寄せられて大きく写る。

ふれあい橋近くの公園土手の桜、数年前に植えられた若木が早くも成木になって見事に咲いている。

史蹟国分寺跡の枝垂れ桜。

この木も数年前に植えられたものだが、見事に成長した。

国分寺史蹟前の桜並木。

今年は例年より一週間ほど満開になるのが早かった。

老骨にとっては、また来年見る事が出来るだろうかと云う思いで桜と向き合い、話しかけながらの撮影だ。

来年も是非見たいと思っているが・・・・果たして?

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井の頭公園の桜 満開

2018-03-29 09:19:06 | 公園

3月28日・井の頭公園の桜

28日、ある写真クラブの撮影会で、井の頭公園に出かけた。

気温23度、初夏の陽気の晴天に恵まれた。

公園の桜は満開。散り始めた桜もあった。

池に浮かぶボートの数の多さに水面が見えなくなる?程だ。

池の周囲の桜は、古木が多い。

古木の周りには立ち入り禁止のロープが張ってあった。

水面近くまで垂れ下がった桜の枝。

花の影が水面に写り込みその反映が美しかった。

ボート乗り場付近の桜。

冬の寒さから解放され、桜の下には家族ずれ、友人、職場のグループ等がブルーシートの上で初夏の日差しを楽しんでいるようだった。 

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新宿御苑の桜 満開

2018-03-27 09:02:48 | 公園

3月26日・新宿御苑

江戸東京たてもの園は一寸横に置いて、桜だよりに寄り道。

今年は3月に入り気温が高く、桜の開花が平年より10日も早かった。

3月26日、新宿御苑の桜が満開とのことで、あるグループの有志と共に新宿御苑に出かけた。

午前10時30分頃、新宿御苑千駄ヶ谷口から入園。

この時間はまだ入園者は少なく、入り口前でアルコール類の持ち込み禁止とのことで、持ち物検査があった。

写真は午後1時頃新宿口前。ものすごい人出になっていた。

新宿口を入ったすぐの広場。

見渡す限りの桜が満開だった。

この日は春の雰囲気を出したくて、写真の大部分はソフトフォーカスで撮影した。

日本庭園、台湾館前の桜。

日本庭園近くの風景。

花は今が正に見頃と云った瑞々しさだ。

新宿御苑はまさに今桜は満開、最高の見頃だ。

あと数日で花は散り始めるだろう。

花の散る頃は、花吹雪の素晴らしい風景を見る事が出来ると云う楽しみが残っている。

満開の桜を満喫しながら撮影を楽しむと云う楽しいひとときを過ごした。

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江戸東京たてもの園 13

2018-03-25 10:14:11 | 公園

川野商店(和傘問屋)

川野商店は和傘問屋で、蛇の目傘、番傘等の和傘の問屋だ。

店先には、リヤカーが置いてあった。

川野商店は大正15年に現在の江戸川区南小岩に建てられた出桁造りの建物である。

重厚な屋根の造りや江戸以来の町屋の正統的特質を継承する格子戸等、この建物の特徴を見る事が出来る。

川野商店では職人を雇い傘を生産し、又、完成品の傘を仕入れ、問屋仲間や小売店に卸す仕事をしていた。

と案内板に記されていた。

店内には畳敷きの部屋があり、そこの和傘が置いてあった。

今では和服を着る人が少なく、蛇の目傘をさす風景を見る事があまり無い。

子供の頃は、母親は日常的に和服を着ていたので、蛇の目傘は常に数本家にあった。

父親は番傘をさしていた。

今は普通の洋傘をさしているが、当時は蝙蝠傘と云って高価かなものだったらしい。

女性が二人珍しそうに傘を開いたり閉じたりしていた。

   

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 店内には、小さなガラス箱の中に人形を使って和傘造りの工程が説明されていた。

   

    

 

一応説明を付けて置くが、文字が小さく見ずらいかも知れない。

1・骨、2・繰り込み、3・繋ぎ、4・軒糸、5・中置き、6・側張り、

7・中張り、8・天井張り、9・仕上げ

となっている。

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江戸東京たてもの園 12

2018-03-23 20:07:25 | 公園

三省堂

大和屋斜め向かいに三省堂がある。

三階建ての建物だ。

二階には「三省堂」三階には「筆・墨・硯・文具・算盤問屋の文字が見える。

店入り口前に案内板があったが、うっかり記録するのを忘れてしまった。

従って、三省堂の歴史が不明なのが残念。

後悔するが後の祭り。

店を入った正面に、筆・墨・硯が展示されている。

右横には、文具類だろうか六段くらいの棚にずらりと並べてある。

正面奥の天井にも墨液と書いた箱が載っている。

墨液とは多分墨汁の事だろう。

左側には六個一組の引き出しの棚が2~30並んでいる。

何を入れてあったものだろうか、すごい数だ。

店の突き当りは居間だろうか、ガラス障子の先に部屋が見える。

三省堂には私が学生の頃には随分とお世話になったものだ。

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江戸東京たてもの園 11

2018-03-22 09:29:26 | 公園

丸二商店・大和屋本店

商店街に入った。

村上精華堂と云う商店があったが、何となく興味が無く、そこはパスした。

近くに丸二商店(荒物屋)があった。

この丸二商店は、昭和の初めに現在の千代田区神田神保町に建てられた店舗併用住宅だった。

丸二商店は結構大きな建物だ。

荒物屋と云う事で中に入って見る。

木製の踏み台、おひつ、ざる、塵取り等、竹や木製品が置かれている。

反対側には、やかん、なべ、釜、等が所狭しと並べられていた。

皆、昭和の匂いがする物ばかりだ。

向かいには、大和屋本店がある。

3階建てだ。大和屋本店の屋号と鰹節の文字が見える。

大和屋本店の入り口右には、たばこを売るコーナーと云うか独立した売り場がある。

このたばこ売り場は、現在でも所々で見る事が出来る。

中に入ると色々な商品が並べられている。

海産物が並んでいる、スルメ、日高昆布、煮干し等が置かれ、奥には海苔、鰹節が並べられている。

天井からは欅の分厚い板が下げられ、目録と書いてある。

そこには、勝男節、寿留女などの文字が読める。

店の一番奥には、レジスターと立派な金庫が置かれている。

今でも時々見かける乾物屋に似た雰囲気だ。

しかし、今どきは店先に金庫が置かれている情景はあまり見る事が無い。時代と共に変化する店構えが面白い。

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江戸東京たてもの園 10

2018-03-21 10:00:20 | 公園

蝋梅と天明家

上野消防署望楼横に蝋梅が咲いていた。

「ソシンロウバイ」と云う種類のようだ。

蝋梅を見ながら少し行くと天明家がある。

入り口に「耐震補強準備のため内部の見学を中止する」旨の立看が立っていた。

外部だけでもと思い中に入る

入り口の長屋門。左横の入り口から入る。

長屋門の左側から突き出るように立っている塀に木戸と云うか、出入り口がある。

多分、普段は長屋門が閉めてあり、この横の出入口を使っていたのではないかと思われる。

「天明家は小金井市指定有形文化財になっている。天明家は代々鵜木村で村役人の年寄役を務めたと伝えられる旧家である。約一万平方米の広大な敷地内にあった庭園を含む主家と長屋門それに飼葉小屋である。農作業などに使用された主家前の広い庭などから農家として高い格がうかがえる」と案内板に記されていた。

建築は江戸時代後期とのことだ。

木戸をくぐると、使用目的は分からないが、四方に仏像を彫った四角い石が置いてあった。

主家の正面に出る。

藁ぶき屋根のどっしりとした建物だ。

正面の障子が開けてあった。

何の部屋か説明が無いので分からない。

主家の右横から写す。

屋根などは、重厚且つ重量感あふれる造りだ。

長屋門を主家側から見た所。

長屋門から見ても当時の格式の高さが窺われる。

内部が見られなかったのが残念だったが、外観だけでも豪農で村役人の年寄役を務めた権勢を垣間見る事が出来る。

 

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江戸東京たてもの園 9

2018-03-20 09:58:27 | 公園

万世橋交番と都電

「皇居正面石橋飾電燈」横に万世橋交番が残されていた。

 

神田の万世橋のたもとにあった交番。

名称を須田町派出所といい、万世橋駅のそばにあった。

万世橋駅は今の若い人たちは全く知らない駅だと思う。

中央線神田駅とお茶の水駅の間にあった駅だ。

現在もその名残を見る事が出来る。

この交番は明治時代末期に建てられ、昭和18年に廃止され、主に巡査の休憩所や交通係りの詰め所として利用されていた。

交番の向かいには、上野消防署望楼上部が残されている。

この望楼は上野消防署(旧下谷消防署)1970年(昭和45年)まで使用され、1977年(昭和52年)に解体された。

三脚四層式外廊型で、当時の高さは23.6メートル、展示しているのはおよそ上部7メートルの部分との事だ。(案内板より)

上野消防署望楼前から見た都電。

停留所は南佐久間町、電車の行き先は新橋。

この型の都電は懐かしい。

都電の路線が次々と廃止されてきたのは東京オリンピック開催頃からだろうか。

記憶の曖昧さには自分ながら驚く。

私が自動車の免許を取ったのが1952年(昭和27年)12月だった。

当時はまだスクーターと呼ばれるバイクと、本多カブとかベンリーなどの二輪車が主で、国産小型乗車はトヨタ、日産位だった。

私も本多ベンリー250CCバイクに乗っていた。

そんな頃には都内には都電が縦横に走っていた。

交通法規も都電に関する項目があった。

雨の日など線路の上に乗り、スリップして転倒しそうになったこともある。

都電にも車掌が乗務、ドアの開け閉め、切符の販売を行っていた。

発車準備が整うと車掌室に下がる紐を引くと、運転手の所の鐘が「ちんちん」と鳴り電車は発進した。

このことから、都電の事を「ちんちん電車」と呼ぶようになった。

現在唯一の都電、荒川線の電車はどうなっているのだろか。

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江戸東京たてもの園 8

2018-03-19 09:55:58 | 公園

ボンネットバス・伊達家門・皇居正門石橋飾電燈

三井八郎右衛門邸横に昔懐かしいボンネットバスが置いてあった。

行き先「上野広小路」とある。

ボンネットが無くなったバスが運行されるようになったのは何時頃だったか覚えていない。

子供の頃はこんなバスによく乗った。

社内には女性の車掌さんが乗っており、がま口を大きくしたような鞄を首から下げたり、腰のベルトに取り付けたりして乗車券を売っていた。

乗客の乗降が終わるとドアを閉め「発車オーライ」と運転手に声を掛けるとバスは動きだす。

のんびりとした良い時代だった。

昭和20年代のバスの車掌さん。

私が高校生の頃撮影した写真。

高橋是清邸の先に、伊達家の門が残されている。

宇和島藩伊達家が明治以降華族に列せられ、東京に居住するため新たに建てた屋敷の門。

大正時代に建てられたもので総欅造りだ。

大名屋敷の門を再現したような形をしている。

この建物は1965年頃に小金井公園に移築された。

堂々たる建物で、正面右には門番が暮らしていただろうと思われる建物が付随している。

門を内側から見た所。

左が門番の部屋だと思う。

中は二畳の部屋と三畳の部屋しか見えないが、立派な部屋だ。

門を後にするとすぐ右側にこのような電燈が見える。

「皇居正門石橋飾電灯」と案内板に書いてある。

多分二重橋で見られる電燈なのだろう。

重厚な造りだ。

電燈を支える下の部分には旭日、ライオン、その下に鳩?か鷲のような彫刻が施してある。

何を象徴しているのかは分からないが素晴らしいものだ。

何時か皇居前に行く事が有ったら、じっくりと見てみたい。

 

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江戸東京たてもの園 7

2018-03-18 09:15:52 | 公園

高橋是清邸

昔懐かしい古民家を後にもと来た道を戻る。

しばらく歩くと高橋是清邸の前に出る。

この建物は、経済通の政治家として明治から昭和の初めにかけて、日本の政治を担った高橋是清の住まいの主屋の部分とのことだ。

1936年(昭和11年)是清はこの建物の二階で青年将校の凶弾に倒れた。

世に言う2.26事件だ。

敷地と屋敷は間もなく東京市に寄付され、記念公園となった。

その後、是清が眠る多磨霊園に移築され、休憩所として利用されていた主屋部分がこの場所に移築された。

等々案内板に記されていた。

家の中に入る。

一見、寺院の部屋を思わせるような造りの部屋もあった。

廊下と部屋の仕切りとか、廊下の外側の部分に厚さ10センチを超える厚さの格子状の頑丈なものが取り付けられていたのが、何のために?と疑問に思った。

二階で階段を上がったすぐの部屋。

襖の大きさが珍しい。

二階廊下の窓?は隅から隅まで総ガラスの戸がめぐらされていた。

明治の建築物としてはガラスを多用した建物は珍しかったらしい。

ガラス戸越しに見た庭。

廊下に面した部屋の床の間に、是清とお孫さんらしき子供と写る写真が飾られていた。

この部屋で青年将校の凶弾に倒れたと、案内係の人の話だった。

自分としてはなんともうっかり、この部屋の全景を写すことをすっかり忘れていたのが悔やまれる。

その隣の部屋には是清の書が床に間に掛けられていた。

不謹慎ながら、テレビの「なんでも鑑定団」に出品したらどんな値が付けられるだろうなどと思ったりしながら書に見入った。

庭から見た是清邸。

庭には水路があり、清らかな水が流れていたが、これは是清邸にあったかどうか分からない。

昭和の偉大な政治家が暗殺されると云う大変ショックな事件のあった屋敷。

何時までも残して置きたいと思いつつ、この場を後にした。

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