閑居シニアの写真館

リタイヤして30年、いろいろと写真を写し続けています。最近は身近な風景を見たまま気ままに写真を楽しんでいます。

中秋の名月

2023-09-29 10:30:12 | アルバム
中秋の名月

今日、9月29日の夜は中秋の名月と言われる月が見られるはずだが、昨日の天気予報によると29日の東京地方は曇り空だが、ひょっとすると雲の切れ間から見る事が出来るかも知れないというあやふやな事だったので、一日早いが昨夜、満月を撮影した。
秋と言うのに真夏日とか猛暑日に見舞われる今日この頃、爽やかな中秋の名月を見ていくらか秋を感じる事が出来た。


長い望遠レンズが無く、300mm望遠で撮影。
トリミングして拡大した。

月面の文様は世界各国で見る感じ方が違うようだ。
日本ではウサギの餅つきなどと言われているが、中国だったかな、カニに見えるそうだ。
言われてみれば確かに鋏を左右に広げているカニのようにも見える。

最近は月の探査競争が激しくなっている。
月面に着陸する目的で打ち上げられた月探査機で、インドの探査機が月の裏面に着陸成功というニュースもあった。

何時の日にか人類が月に移住し、生活する時が来るのかも知れない。

いずれにしても優雅に名月を楽しむという時代は去って行くのかも知れないと思うと一抹の寂しさを感じる。
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平井川の彼岸花

2023-09-27 09:07:13 | アルバム
平井川の彼岸花

墓参の帰りには必ず平井川の土手に咲く彼岸花を見に行く。
何時もの平井川の土手に着き一瞬目を疑った。
土手は雑草に覆われ、土手から川の流れが見えない位で、彼岸花の影も形もない。
土手を行き来して見ると草むらの中に咲く彼岸花を発見した。
草むらの中を良く見ると結構彼岸花が咲いている。
ただ、写真は雑草が邪魔で上手く写す事が出来ない。
そんな中、何とか数枚の写真を写す事が出来た。




雑草をかき分けるようにして何とか写した。


この花は偶然雑草が少ない所に咲いていた。


白い彼岸花が一輪だけ咲いていた。
この花は土手以外の所で偶然発見した。


草むらの中の花にアゲハ蝶が飛来した。


この写真はラッキーだった。
比較的雑草の少ない場所の花で、そこにアゲハ蝶が飛来した。
すかさずパチリ。

一年を経過した自然の変わりようには驚かされた。
地元の人たちが毎年土手の草刈りをしていたのだろうと思われるが、今年は草刈りが出来なかったのかも知れない。

最近言われる人手不足の影響がここにも現れたのかも知れない。
こんな所にも人出不足の影響が出ているのかな~と思うと今後の事が思いやられる。


この日、平井ではお祭りが行われている様だった。
軒端には祭り提灯が下げられている。


 



車窓から見た山車の引き回し。
お神輿は見る事が出来なかった。

祭りは良い。
心躍る神輿の渡御。
日頃の憂さが吹き飛ばされる。

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墓参

2023-09-25 10:55:57 | アルバム
墓参り

昨日は彼岸の墓参りに行ってきた。
娘を除いた、孫、ひ孫までの多人数だった。
幸いにも涼しい日に恵まれ、快適な墓参りだった。
我が家の墓地は秋川霊園と言う東京郊外にある。
我が家から車で約一時間の所だ。


小高い山の下にある結構広い墓地だ。


この2~3年の間に樹木葬の墓地も2~3所出来た。
ガラスの美しい墓石?が立っている。


我が家の墓の左30メートル位の所に、元総理大臣だった中曽根康弘家の墓がある。
かなり広い敷地の墓地だ。
秋川霊園は秋川市日の出町にあり、中曽根氏の日の出山荘の近くにある。
2019年11月29日、中曽根氏の別荘、日の出山荘で中曽根康弘首相とアメリカのドナルド・レーガン大統領とが会談した。
ロン・ヤス会談と呼ばれたいわくつきの場所だ。


秋川霊園の土産物の一つに、「日の出ロン・ヤス饅頭」なる物が販売されている。


墓地には鹿野大仏(ろくやだいぶつ)が数年前に建立され、観光名所の一つになっている。


大仏は小高い丘の上に鎮座している。


何時もは沢山咲いている彼岸花が全く無く、やっと一本だけ見つけた。




大仏と絡めて何とか写して見た。
好天に恵まれた良い墓参りだった。
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オールドレンズ

2023-09-22 10:01:06 | アルバム
オールドレンズ ニッコール50ミリF1,8

写真に興味のない方にはつまらぬ記事だと思うが、ご容赦願いたい。

オールドレンズとは、銀塩写真時代の一眼レフカメラ用のレンズの事だ。
当時のレンズは現在のように切れ味の良さとか、レンズコーティングの技術が現在のレンズに比べて未熟だった。
写された写真はどことなく先鋭度にかけていたきらいがあった。
逆光などの撮影では、盛大なフレアーが発生したりしていた。
現在のレンズは逆光で太陽が画面に入り込んでもフレアーは殆ど出ない。

こんな昔のレンズに愛着を感じる人たちの中で、オールドレンズファンが増え、オールドレンズの中古品の売れ行きが良いと聞く。
先日も外国観光客の一人がオールドレンズを求めて来日したという話をテレビで放映していた。

老骨の所にも銀塩時代に愛用したオールドレンズ、ニコンのニッコール50ミリF1,8と言うレンズが処分せずに残っている。
これをオリンパスカメラのマウントアダプターを介して装着し、撮影して見た。


ピントはセンター付近の花に合わせた。
絞りはF1,8。
何となく全体がふわっとした柔らかい雰囲気に写っている。


同じ所をポジションを変えて最短距離で撮影。
ピントを合わせた所以外は奇麗にボケている。
絞りは解放のF1,8。
バックのボケが半端ではない。



やや離れた位置から、上の写真は手前の花にピントを合わせる。
ピントの合った花は先鋭度はあまり良くなく、柔らかい感じに写っている。
下の写真はウサギにピントを合わせている。


紫式部の花。
前ボケと後ボケが極端になり、ボケた実の形が不鮮明な感じになっている。
この辺りが現在のレンズと違うところだと思う。
現在のレンズは実の形を残しながら、ボケていく感じになっている。


この写真も前ボケと後ボケを見たもの。
ピントが合った花もどことなく柔らかい感じに写っている。
オールドレンズ愛好者はこのような描写を好むのではないかと思う。
老骨も、時にはこのレンズを使って撮影して見ようと思っている。
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雨上がりの散歩

2023-09-20 09:29:39 | アルバム
雨上がりの花達

雨上がりのいくらからか涼しい朝の散歩。
脊椎管狭窄症で、歩行もあまりスムーズに行かないが、ゆっくりと歩く。




道端の雑草に宿る水滴。




或るマンションの玄関前に咲くカンナの花にも水滴がびっしり。
見た目には涼しさを感じさせるが、実際はかなり暑い。


ひまわりには水滴は無かったが、うつ向いて如何にも花が重そうに見える。



花名は不明だが、小さくて可愛らしい花だ。



あるお宅の花壇に咲くサギ草。
サギ層にも水滴が・・・・




雨に打たれて散り落ちたノウゼンカズラ。
花も終わりに近かったのだろう、雨に打たれて散り落ちてしまった。
花にとっては無情の雨だったのかも知れない。

涼しげだった朝の散歩も歩けば結構暑い。
帰宅した時には汗だく。

天気予報によると10月10日過ぎまでは暑さが続くと言う事だ。
まだ、我慢の日が続く。
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アゲハ蝶

2023-09-18 09:26:38 | アルバム
再び猛暑日

昨日はやや涼しかったが、今日は早、猛暑日に逆戻り、9月も半ば過ぎたというのにいったい何時になったら猛暑日は消え去るのだろうか。
庭に珍しくアゲハ蝶が飛来した。
手元にあったコンデジの望遠いっぱいで、部屋の中から撮影した。
何とか写ったが肝心のアゲハ蝶が小さく、やや拡大してアップした。






蝶の習性か?花の周りを行ったり来たり、飛び去ったかなと思うとまた飛来する。
昆虫としては撮り易い。



雨上がりに水滴を宿した紫式部の実も奇麗な紫色に染まっている。
植物たちは秋の到来を告げてくれている。

多くのブロガーさんは彼岸花の投稿が多い。
それによると、彼岸頃に咲く彼岸花が、今年は早い所では今月初めには咲いている所もあるようだった。
年々花暦の時期も変わってゆくのだろうか。
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雨が止んで

2023-09-16 09:44:00 | アルバム
雨が止んで

昨日は、東京地方でも雷雨があるという天気予報だったが、幸い我が家付近では雷雨が少々降った程度で終わった。
雨上がりの後には木の葉に水滴が留まっていた。



例によって、早速水滴の撮影をする。
色々な水滴を探すのが面白い。




水滴に映る風景が面白いのだが、良い水滴を見つけるのがなかなか難しい。
シャープな映像を撮るためには三脚が必要だが、これぞと思う水滴は三脚使用が出来ない所にある場合が多い。
従って撮影はすべて手持ち撮影になる。



南天の葉についた水滴。
南天の葉の色と水滴のコラボが美しい。



今にも落ちそうな水滴。


水滴の中に何か怪しげな影?


紫式部にも水滴が・・・・周囲の風景が映りこんでいる。


テイカカズラ?の花にも水滴が付いていた。
色々な水滴を撮影するのもカメラブレに神経を使いながら行うのだが、何分にも老骨の身、手振れの写真が結構出来るのは仕方ない事だと思っている。
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私のカメラ変遷史5

2023-09-14 10:12:32 | アルバム
私のカメラ変遷史5

歳月は流れ、1954年カシオ計算機から液晶モニター付きデジタルカメラ「カシオQV-10」が発売された。
それまでは、モニタたー付きは無く透視ファインダー付のカメラだった。
このカメラは、モニター付きとあって飛ぶように売れた。
それ以来デジカメの開発が進み、モニター付きが普通になった。
このカメラも購入した。
写真のプリントは町の写真店に出してプリントをして貰っていた。
解像度が低く、写真は現在のサービス版位が限界だった。
色々なメーカーからデジカメが販売され、性能もどんどん進化していった。
特殊なカメラとして、1997年、富士フイルムより、カメラの内部が分かる仕組みの、フジスケルトンカメラ、DS-10Sが発売された。
中が見えると言事で興味があり早速購入した。


全面


後部

このカメラは珍しく、今でも手元に置いている。
確か1999年5月にパソコンWindows98日本語版が発売され、手軽にデジカメ映像の処理が出来るようになった。
同時に、キヤノン、エプソンからパソコンを通してデジタル写真のプリントが出来るプリンターが発売され、手軽に自分で写真印刷が出来るようになり、デジタルカメラとパソコンの普及が急速に進んだ。
写真解像度も初めは30万画素くらいだったのが、現在では2400万画素位が普通になって、銀塩写真の解像度に近か付きつつある。
現在は、スマホの普及によって、コンパクトデジカメの売れ行きが落ち、新しいコンパクトカメラの発売は殆ど無い。
代わりに高価なデジタル一眼カメラの開発が進み、店頭にはデジタル一眼カメラに重点を置く陳列になり、コンパクトデジカメのスペースは縮小されている。
以前のように、容易に安価なカメラを手に入れる事が難しくなってきている。
現在手元にあるデジカメはミラーレス一眼カメラ2台と付属の交換レンズ6本、コンデジ3台、ミニサイズデジカメ2台、エプソンカラープリンター一台が手元にある。
以上長々と老骨のカメラ遍歴を述べて来たが、記憶のあいまいな点も数々あるかと思うがご容赦頂きたい。
長々とお付き合い頂きありがとうございました。

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私のカメラ変遷史4

2023-09-12 09:48:30 | アルバム
私のカメラ変遷史4

終戦直後から1950年代にかけて、16ミリフイルムを使った超小型カメラで、マイクロカメラ、ステキーなどと言った超小型カメラが、駐留軍兵士の日本土産として作られ、相当数売れたようだ。
特にステキーカメラはレンズ交換が出来た面白いカメラだった。
その他、コーナン16、ミノルタ16、マミヤ16等が発売された。
ミノルタ16は購入、16ミリフイルムでは大伸ばしがきかないのでサブカメラとして使った。

1954年に映画「ローマの休日」が公開された。
映画の中で、グレゴリーペックの新聞記者の相棒カメラマンが、イングリッドバーグマン扮する王女を隠し撮りする時に使ったライター型のカメラがあった。
勿論、日本製のものだ。
当然のことながらライターとしても使う事が出来た。

このカメラも購入したが、映画の中に出てくるような、確りとした写真は撮れなかった。
その頃、スパイカメラとして第二次大戦中に活躍した超小型高性能カメラ「ミノックス」の会社とミノルタカメラが提携して、ミノックスECと言うカメラを製造発売した。
勿論、このカメラも即購入。
解像力もまずますのカメラだった。

この2機種は今でも手元に置いている。



ライター型の超小型カメラ。

ボデー前部がカメラ、後部がライターになっている




ミノックスEC。

ミノルタECのフイルムは大型カメラ店に置いてある所もあると聞いている。
兎に角物好きと言うか、カメラマニアと言うか、新型カメラが発売される度に旧カメラを下取りに出し、新型カメラを購入すると言ったことを続けて来た。購入したすべてのカメラを、もし手元に置いてあるとすれば、大袈裟に言うとカメラ博物館が出来たのではないかと思う位だ。

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私のカメラ変遷史3

2023-09-10 09:31:44 | アルバム
私のカメラ変遷史3


ワルツ写真コンテスト最優秀賞推薦の写真。
ワゴーフレックスによる作品。
以来、より写し易いカメラ、解像力に優れたカメラと次々に買い替えて行った。


マミヤフレックス

マミヤフレックス二眼レフカメラ。
世界に類を見ないというレンズ交換式の二眼レフカメラだった。
このカメラにも早速飛びついた。
ワイド、標準、望遠の三本のレンズを持ち、長い間使った。



ゼンザブロニカ

その内に6x6判一眼レフカメラ、ゼンザブロニカと言うカメラが発売になり、マミヤを処分、このカメラを購入。
勿論このカメラもレンズ交換式。
このカメラはスイス製ハッセルブラッドと言うカメラのコピーのようなカメラだった。
シャッターを切ると、反射ミラーが跳ね上がり、写真撮影が出来、フイルムを巻き上げると、反射ミラーが元の位置に戻ると言ったカメラだった。
一眼レフの利点はファインダーで見たままに写せると言う事だ。
現在のカメラでは当たり前の事だが当時としては画期的な物だった。
一方、35ミリカメラも6x6判のブローニーカメラに負けずに進歩していた。
35ミリカメラは現在のコンデジの形に似たものが普及型として進歩していた。
高級35ミリカメラもニコン、キャノン等のカメラが進歩し、レンジファインダー式の高級カメラが普及しつつあった。


ニコン
これらのカメラはレンジファインダーによって距離を測定、自動的にセット出来るようになっていた。
勿論レンズ交換式。
その後、一眼レフ35mmカメラが旭光学より、アサヒペンタックスなるレンズ交換式のカメラが出現。
このカメラもシャッタを切ると反射ミラーが跳ね上がり、フイルムを巻き上げると元に戻ると言ったものだった。
このカメラも購入。


初期アサヒペンタックス

その後、このカメラはクイックリターンミラーを搭載。
クイックリターンミラーとは、シャッターを切るとミラーは跳ね上がり、撮影が終わると自動的に元に戻ると言ったものだ。
このカメラも世界初だったと思う。
勿論、このカメラに買い替えた事は言うまでもない。


アサヒペンタックス

その後、各社がこの方式を取り入れ現在の形になった。
この様に戦後のカメラの発達につれてフイルムカメラを次々と買い替え、カメラの発達とともに生きて来たようなものだった。


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