高橋是清邸
昔懐かしい古民家を後にもと来た道を戻る。
しばらく歩くと高橋是清邸の前に出る。
この建物は、経済通の政治家として明治から昭和の初めにかけて、日本の政治を担った高橋是清の住まいの主屋の部分とのことだ。
1936年(昭和11年)是清はこの建物の二階で青年将校の凶弾に倒れた。
世に言う2.26事件だ。
敷地と屋敷は間もなく東京市に寄付され、記念公園となった。
その後、是清が眠る多磨霊園に移築され、休憩所として利用されていた主屋部分がこの場所に移築された。
等々案内板に記されていた。
家の中に入る。
一見、寺院の部屋を思わせるような造りの部屋もあった。
廊下と部屋の仕切りとか、廊下の外側の部分に厚さ10センチを超える厚さの格子状の頑丈なものが取り付けられていたのが、何のために?と疑問に思った。
二階で階段を上がったすぐの部屋。
襖の大きさが珍しい。
二階廊下の窓?は隅から隅まで総ガラスの戸がめぐらされていた。
明治の建築物としてはガラスを多用した建物は珍しかったらしい。
ガラス戸越しに見た庭。
廊下に面した部屋の床の間に、是清とお孫さんらしき子供と写る写真が飾られていた。
この部屋で青年将校の凶弾に倒れたと、案内係の人の話だった。
自分としてはなんともうっかり、この部屋の全景を写すことをすっかり忘れていたのが悔やまれる。
その隣の部屋には是清の書が床に間に掛けられていた。
不謹慎ながら、テレビの「なんでも鑑定団」に出品したらどんな値が付けられるだろうなどと思ったりしながら書に見入った。
庭から見た是清邸。
庭には水路があり、清らかな水が流れていたが、これは是清邸にあったかどうか分からない。
昭和の偉大な政治家が暗殺されると云う大変ショックな事件のあった屋敷。
何時までも残して置きたいと思いつつ、この場を後にした。