東福寺・傾城の碑
東福寺には恋ヶ窪伝説、悲恋物語である傾城の碑がある。
昔、鎌倉街道、恋ヶ窪宿に凪妻太夫と云う宿場女郎がいた。
鎌倉討伐に向かう畠山重忠がこの地に留まり、畠山重忠と凪妻太夫は恋に落ちたが、畠山重忠は再会を約して戦場に向かってしまう。
ある日、心無い旅人が凪妻太夫に、畠山重忠は西国の戦場で討ち死にしたと嘘を告げる。
太夫は悲しみのあまり姿見の池に身を投げてしまう。
後に村人達が凪妻太夫を哀れに思い墓を建てた。
そしてその墓に松の木を植えた。
その松は何故か枝がすべて西に向かって伸び、葉は一枚しかなかった。
それ以来この松の木は一葉松と呼ばれるようになった。
と云う伝説の一葉松と凪妻凪太夫の墓が東福寺内にある「傾城の碑」だ。
本堂前の階段右横に「傾城の碑」がある。
傾城墓由来の石碑の右に「傾城の碑」と書かれた小さな墓石がある。
「傾城の碑」には花が絶えたことが無い。
「傾城の碑」の右側には元の場所から移植された一葉松があり、その横に一葉松の由来を書いた石碑が立っている。
現在の一葉松は残念ながらその葉は二枚の葉を持つ現在普通に見られる松になっている。
姿見の池は東福寺から歩いて2分位の所ににある。
昔、女郎たちがその池に自分の姿を映して鏡の代わりに使っていた事から、「姿見の池」と呼ばれるようになった。