閑居シニアの写真館

リタイヤして30年、いろいろと写真を写し続けています。最近は身近な風景を見たまま気ままに写真を楽しんでいます。

続・古いアルバム4

2021-08-29 10:01:20 | アルバム

1970年頃の上野不忍池

上野不忍池は1970年頃には時々訪れた。

上野美術館や科学博物館等を訪れた帰り道に立ち寄ったものだ。

 

最近と云うか、20年くらいは訪れていないと思う。

池の様子は今も昔もさほど変わっていないと思うが、1970頃は池半面は蓮が生い茂っていた。

池半分は蓮などは無く、水鳥たちであふれるくらいだった。

池の中洲の木には鵜の群れがびっしりと止まっていた。

池には鵜や鴨、その他名は分からなかったが色々な水鳥が群れを成していた。

そんな鳥たちに餌を与えていたようだ。

現在も行われているのだろうか。

親子連れの姿も見られ、鳥たちに餌を与えていた。

今でもこのような風景を見る事が出来るのだろうか。

時の移り変わりは周りの風景をすっかり変えてしまっている事だろうと思う。

小学生だった子供たちを連れてこの池を訪れた事がこの古い写真を見る事によって思い起こされた。

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続・古いアルバム3

2021-08-27 09:56:47 | アルバム

歩行者天国

記憶はあいまいだが、歩行者天国が実施されたのは1970年頃だったと思う。

銀座から上野まで約5.5キロにわたって実施された。

日頃交通が激しいメイン道路を日曜日に限って車馬の通行を禁止、自由に歩き、街の雰囲気を楽しむ事が出来るようにした。

沿道の商店は勿論数多くの露店等が店開き。

車を気にせず自由に買い物を楽しむことも出来た。

親子水入らずのひと時を過ごす家族も多く見られた。

 

 

 

外国の人達も休日を楽しんでいるようだ。

1971年7月に銀座三越一階にマック一号店がオープンした。

その影響か日本人は物を食べながら歩く食べ歩きは良しとしない風潮があったが、マックのオープンにより、アメリカナイズされたと云うか食べ歩きが容認されるようになったのもこの頃からだ。

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続・古いアルバム2

2021-08-25 10:12:40 | アルバム

1950年代後半から60年代の庶民の生活の断片

戦後10年を過ぎ、米軍の占領下ではあったが庶民は自由な生活を取り戻しつつあった。

戦後5年くらいは極端な食糧不足で、栄養失調になる人々が多く、行き倒れる人も数多くいた。

私が中学に通う道すがら毎朝のように行き倒れた人を見た。

私の昼の弁当は大豆の炒ったものだけだった。

それををポケット入れて行ったが、授業中にポリポリと食べてしまった事が多かった。

そんな時代もアメリカからの食糧援助によって徐々解消していった。

街頭には傷痍軍人の人達が寄付を求めて路上に座っている風景が至る所に見られた。

始めの内は単独行動であったが、其の中に2~3人が集まり、ギターやヴァイオリンを弾いたりして見世物的感じになり、それが職業化していった人たちもいた。

小学校では木製の机と椅子。

木造の粗末な教室の中で授業が行われていた。

農村では和服?の野良仕事着に藁で編んだ袋のようなものを背負って、野良仕事に向かう女性たち。

色々な祭りが復活し、露天商の数も増え、子供相手の商売も色々と増えて来た。

中でも吹矢が子供たちの人気の的だった。

正月初詣に来て破魔矢などを買い求め、露天商の仕草に笑う外国の人達の姿もあった。

戦後間もない頃の風景とは思えないような出来事だった。

子供たちは野外で集団で皆仲良く遊んでいる。

戦前、戦中の子供たちは勉強などそっちのけで、学校から帰るとすぐに野外で集団で遊んだものだ。「缶蹴り」「水雷艦長」「鬼ごっこ」「こま回し」「ベーゴマ」「めんこ」「馬飛び」「長馬飛び」など、年長の男子がガキ大将になり、年小の子供達と遊んだりして子供たちの面倒を見てくれたものだ。

自由になった男女交際。

戦前ではあまり見られなかった風景が彼方此方で見られるようになった。

こんな風景も見られるようになった。

国産車はまだ殆ど無く外車が主に走っていた。

駐車違反の切符を切られている。

この風景は1960年代に入ってからのだと思う。古いアルバムを見ていると過ぎ去った日々の思い出が次々と蘇ってくる。

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続・古いアルバム1

2021-08-23 09:59:54 | アルバム

1950年代後半の浅草浅草寺付近

終戦後10年の1955年頃、1950年6月に始まった朝鮮戦争により、軍需物資等の需要により国内の産業が活発になり、戦後の復興目指して突き進み始めた頃だったと思う。

庶民の生活もだんだん良くなりつつあった。

しかし、民間会社では休日は日曜日のみ、月4回ならば良い方で、月1~2回と言う所が多かった。

とにかくがむしゃらに働いた時期の始まりだった。

町中を駐留軍の兵士たちが歩いているのはごく自然な風景だった。

そんな頃の浅草浅草寺境内。

本堂の前には色々な商いをする露店が並んでいた。

売り手の女性は和服姿に下駄ばきだ。

参拝に来た若い女性。

誰かを待っているのだろうか。

当時ミニスカートがはやっていた。

髪型も現代の形と全く違う。

浅草寺の裏手にはトタン張りのバラックが立ち並び、そこに住む人、商売をする人達がいた。

浅草酉の市の一コマ。

売り手と買い手の掛け合いが面白い。

女性たちも和服姿だ。

現代では全く見られないが、当時の女性の普段着とか、正装は殆ど和服だった。

まだまだ女性が仕事に出るとか、共稼ぎなどと云ったことが殆ど無い時代だったからだろうと思う。

売り手と買い手の値段の交渉の一コマ。

「どうこんな所で・・」「う~んも少し勉強できないかな~」

現在はどうか分からないが、当時は売り手と買い手が値段の事で駆け引きを半分楽しみながら交渉し、折り合ったところで手打ちになったものだ。

 

この写真のような夜景を撮る事は当時としては大変な事だった。

フイルムのISO(当時はASA)感度が50~100しか無く、カメラのレンズも開放絞がf3.5~4.5位だった。

酉の市のようにあまり明るくない場所では絞り解放にしてもシャッタースピード1/5~1/10秒位でしか写せなかった。

相手が動くものは撮影は不可、止まっているものでも、手振れ、カメラぶれが起きて写真にならない事が多かった。

この写真はあらかじめ4倍の増感現像をする事を前提として、シャッタースピードを1/25秒位にして撮影している。

増感現像をする事により粒子が荒い写真になる事は承知の上だった。

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赤とんぼ?

2021-08-21 10:04:21 | 昆虫

赤とんぼ?

庭のトサミズキの葉にトンボが止まっていた。

身体はいくらか赤みを帯びている。

赤とんぼのようだが余り赤くない。

羽の先端には黒点が付いている。

我が家の庭にトンボが姿を見せる事は殆ど無く珍しかった。

飛び去る前にと急いでカメラを手にし撮影する。

レンズは最近購入した格安レンズの150~600ミリズームレンズ。

それをデジタル2倍拡大で1200ミリとして撮影。

トンボとの距離は約6メートル位。

解像力が落ちるのは承知の上だ。

600ミリで写しても解像力はあまり良くないが、1200ミリでは?と云ったテストを兼ねての撮影だ。

600ミリで写す。

解像力はまずまずだ。

1200ミリでの撮影。

これ位の大きさならばなんとか見られるが、拡大すると解像度は甘い。

トンボは同じ場所で飛んだり、止まったりを繰り返す。

飛び去るかに見えるが再び同じ所に止まる。

この動作を繰り返すたびに体の向きが変わる。

これには何か理由があるのだろう。

面白い習性だ。

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美しい水滴

2021-08-19 09:39:09 | 自然

美しい水滴

毎日続く雨、時々止む時がある。

そんな時、閉じこもりの憂さを晴らすために庭に出て植物を見る。

この日も庭に出て偶然にも美しい水滴を発見した。

それは最盛期を終えたミニバラの花だった。

花や葉に付いた水滴。

それを見ている時に美しい水滴を発見。

水滴の中に周囲の風景が写っているが、中に羽を広げて飛翔するような物が見えている。

水滴の中の赤い物はバラの花びらのようだが、飛翔するような影は何か分からない。

別の角度から見ると飛翔物体がはっきりとする。

赤い色は多分バラの花だろう。

奥に見える水滴にも赤い色が見える。

この飛翔するように見える物体は何だろうか、バラの葉かも知れない。

雨が止んだひと時思わぬ美しい物に出会たことはラッキーだった。

 

話は変わるが、先日ある写真家のYouTubeを見た。

この人は国内のトンボを追いかけて撮影しているのだが、コロナの関係で外出を自粛。

部屋に閉じこもっているそうだが、マンションのベランダにプランターを置き色々な植物を植え、日々観察しながらその植物や、飛んでくる小さな昆虫などを撮影しているそうだ。

彼曰く、身近にある植物とそれにかかわる色々な物の中に日頃気が付かない面白い世界が有ることを発見したと云っている。

引き籠りも工夫によっては楽しい物になることを教えてもらったような気がする。

 

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雨の晴れ間

2021-08-17 09:37:51 | 散歩道

雨の晴れ間の散歩

毎日うっとおしい日が続いている。

九州、近畿地方では猛烈な雨に襲われ、水害が広がっている。

幸いと云うか、関東地方では大雨になる事は無く先ず一安心。

コロナ緊急事態宣言もあるがこの天候の悪さで引きこもりが続いている。

そんな中、雨の晴れ間を縫って散歩に出た。

何日ぶりだろうか。

何時もの散歩コースではあるが何となく新鮮な気分だった。

引きこもりが多いためか足腰が弱っている感じで、歩き始めは何となくよたついて真っ直ぐに歩けなかったが、歩くにつれ平常に戻った?感じだった。

着いた所は姿見の池。

錦鯉が7~8匹群を作って悠然と泳いでいた。

この池には鯉などの魚を放流しないようにとの張り紙がしてあるにもかかわらず、錦鯉の数が増えている。

始めは2匹しかいなかった。

池を訪れる人たちにとっては目の保養になるかも知れないが、ビオトープを目指す管理者としては遺憾な事だろう。

鯉がいけない理由は、鯉はトンボ等の幼虫や水生昆虫などを食べてしまう事にあるようだ。

とは言え目の保養をして帰途に着く。

あるお宅の前で百合の花を見つけた。

赤い花は鬼百合かな?白い花は?植物の名に疎い老骨には分からない。

老骨にとって花名は関係なく、美しい花を見て心が癒されればそれで充分。

何時もそんな目で花たちを見ている。

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アブラゼミの羽化

2021-08-15 09:32:21 | 昆虫

アブラゼミの羽化

数年前、我が家の庭に這い出たアブラゼミの幼虫(蛹?)が木の葉に体を固定しているのを見つけ、枝ごと切り取り、セミの羽化を撮影した。

撮影は夜18時44分から始め翌日0時20分まで、成虫になるまでを撮影。

翌朝6時に完全成虫になったセミを撮影した。

撮影枚数は100枚を超えていたが、その内の一部をここにアップする。

18時45分頃背中の部分が割れ始め、中から成虫が背中、頭の順に現れ始めた。

身体が完全に抜け出た時には、尻の部分を支えに逆さになる。

逆さになったのち今度は正常な位置、つまり頭を上に戻した状態になると尻の部分が殻から完全に抜け出る。

 

羽はブルーがかった色で美しい。

羽はまだちじれた感じで伸びてこない。

身体の色もやや白っぽい感じ。

暫くたつと体の色もだんだん濃くなり始め、羽も伸びてくる。

ライティングの関係もあると思うが、身体の色や羽の色が美しい。

時間と共に体の色は濃くなり、成虫の体になってくる。

この頃の時間は翌日0時30分頃になる。

ここまで実に約6時間30分よく頑張った。

中には殻から抜け出る事が途中までしか出来ず死んでしまうものもいると聞く。

翌朝、6時頃アブラゼミは飛び立ち、網戸に止まる。

羽化後の命は何日くらいあるのだろう。

子孫を残すための活動期間を確りと生き抜いてもらいたいと願う。

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セミの抜け殻

2021-08-13 12:32:56 | 昆虫

ある日の庭

庭の花に水遣りをしていたところ、セミの抜け殻を見つけた。

今年二回目だ。

例年ならば毎日のように新しい抜け殻が見つかるのだが今年は殆ど見つからない。

抜け殻を透けて見えるようにして撮った。

普通に撮ったものと違った透明感が面白い。

これはまた二匹仲良く並んだものだ。

お互いに向き合った感じ、二匹同時に殻から抜け出したのだろうか。

抜け出ている様を想像すると楽しい。

セミの抜け殻の下にはミニバラが二輪咲いていた。

バラは真夏にも咲くのだろうか。

我が家の庭も今は咲いているのはミニバラ位だ。

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回顧・精進湖の富士

2021-08-11 09:29:35 | 風景

再びモノクロ富士・精進湖

山中湖の撮影を終えると、河口湖から西湖、そして精進湖の向かう。

富士五湖の中でなかなか写真にならないのが西湖だ。

従って西湖の写真は殆ど無い。

私の好きな所は精進湖の富士だ。

この富士は一名子抱富士とも言われる。

富士山の中腹に小高い山が有り、あたかも富士に抱かれているように見える事からこの名が付いたようだ。

1960年代の精進湖は観光地としての整備がまだ出来ておらず、野趣に富んだ風景を見る事が出来た。

当時から貸しボートはあったが、あまり利用されなかったようだ。

漁船らしき船が沈んだまま放置されている事も有った。

 

冬場は特に観光客が殆ど無くボートは陸に引き上げられていることが多い。

精進湖の富士の向かって右側に夕日が落ちる時刻が美しく、物音一つなく静かに暮れて行く雰囲気がたまらなく好きな風景だった。

夕日が沈み、辺りが暗くなったころ帰途に就く。

五胡最後の本栖湖に行く事は殆どんど無く、夜明けの本栖湖を撮影する時のみ我が家を朝三時頃出て、本栖湖に直行し、夜明けの富士の撮影に行く事が多かった。

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