閑居シニアの写真館

リタイヤして30年、いろいろと写真を写し続けています。最近は身近な風景を見たまま気ままに写真を楽しんでいます。

府中・郷土の森・彼岸花 3

2016-09-30 13:09:22 | 府中市 郷土の森

咄嗟の出会い

写真になるような花を物色中に、奥の方の花にアゲハ蝶が止まった。

咄嗟の事だったが、レンズを200ミリにセット。

カメラを蝶に向けた時には早や他の花に移動した後だった。

どの花に止まるか、花の何処に止まるか、どんな向きに止まるかは蝶任せ。

カメラの視界に入った時がシャッターを切る時だ。

咄嗟の事で、構図に関してはなかなか思うように行かない。

出来た写真は見事に無様な写真になった。

彼岸花と蝶は好条件に恵まれないと良い写真をものにする事は難しい。

グリーンに苔むした樹木と、その前の赤い彼岸花の対比が面白く、シャッターを切ったが、目で見た程の美しさはなかった。

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府中・郷土の森・彼岸花 2

2016-09-29 09:13:49 | 府中市 郷土の森

彼岸花の群落

彼岸花の群落は写真のような感じ。

柵に囲まれた結構広い所が2~3箇所ある。

中には白い花が多い囲みもある。

彼岸花で有名な埼玉県の「巾着田」の広さには及びもつかないが、この近所では広い方だろう。

花の周りには、花を見に来た人、写真を撮る人と結構な人出だった。

写真のように彼岸花はかたまって咲く関係から、花そのものを綺麗に写すのはなかなか難しい。

群落の様子だけなら上の写真のようになる。

このように一輪だけ写すとなるとなかなか難しい。

一輪だけ背丈の高い花を見付けるか、花のバックに彼岸花以外の場所を選べる様な所を選ぶような工夫が必要だ。

バックを同じ彼岸花にすると赤の中に赤い花で、主役の花が目立たなくなってしまう。

バックはなるべく単純な場所を選ぶようにしたい。

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府中・郷土の森・彼岸花 1

2016-09-28 13:20:43 | 府中市 郷土の森

郷土の森の彼岸花

かねがね、府中市郷土の森の彼岸花を見たいと思っていたが、毎日雨模様の天気が続き行きそびれていた。

25日には晴れ間が覗いたので出掛けた。

緑の中にベージュ色の保存された旧府中町役場が一際美しく見えた。

町役場の建物の裏側に小さな流れがある。

その土手に彼岸花が咲いていた。

バックに保存された農家を入れ、田舎の雰囲気をイメージして彼岸花を写す。

彼岸の中日を過ぎていたので、彼岸花は終わりかけているのではないかと、心配していたが、まだ結構沢山咲いていた。 

土手に咲く彼岸花。

彼岸花は数株が固まり、花が咲くために花がごちゃごちゃと重なり、写真になり難い。

なるべく花がばらけている所を見つけて写すようにした。

この日は花のアップは避け、出来るだけ花の或る風景と云った写真を撮るように決めていた。

小川を渡った先に川崎平衛門の銅像があるが、その後ろ側には広い範囲で彼岸花の群落があった。

川崎平衛門は、江戸時代に将軍吉宗の命を受けた大岡越前守が武蔵野の新田開発を行った。

その時に新田開発に尽力した人物だ。

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月下美人は二度咲く?

2016-09-27 13:11:43 | 

二度目の月下美人

ご近所さんから預かった月下美人が、再び咲いた。

前回は確か8月だったと思うが、月下美人は二度咲くのだろうか。

初めての経験で良く分からないが、年に一度しか咲かないと思っていたので、二度見られたことは感動的だった。

白飛びしないようにとやや露出を切り詰めた.

いずれにしても、二度見る事が出来たのは幸運だった。

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古いアルバム

2016-09-24 09:36:13 | 日常

真知子巻き

久し振りに古いアルバムを引っ張り出して見た。

私が若い頃1949年頃から1955年頃に撮影した写真が出てきた。

私が18歳ころから25歳頃だ。

写真は、真知子巻きをした女性。

1953年(昭和28年)に「君の名は」と云う映画の岸恵子演ずる真知子がストールを頭からかぶるように巻いていた事から、それが真知子巻きの名で流行し、一世を風靡した感が有った.

          

この映画は1952年(昭和27年)にNHKラジオで放送されたドラマ、「君の名は」を映画化したものだ。

このドラマの放送が始まる午後8時から9時の間は「銭湯から女性が消えた」と言われたほどの人気だった。

翌年それが映画化され、女性の間では真知子巻きが大流行、猫も杓子も真知子巻きだった。

写真は真知子巻きをした女性と、当時吉祥寺にあった映画館、武蔵野映画の夜景イルミネーションとを合成したものだ。

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何に見える?

2016-09-23 09:20:08 | 自然、風景

自然の芸術?

この4枚の写真何に見える?

色々想像を巡らして見ると面白い。

断崖絶壁の遠景?中国の山?これを見つけた時の驚きと云うか、自然の造形に感嘆したものだ。

種を明かせば、ある寺院の石垣に生えた苔の芸術だ。

先日の散歩の時に偶然見つけたものだ。

写真は面白い。

細かな所に目を向けると思はぬ面白い風景に出会う。

同じ道を歩くのだが、季節、天候、時間等の違いによって普段目に付かないようなものが眼前に展開する事がしばしばある。

かと言ってキョロキョロと辺りを見回しながら歩いているわけではない。

普通に歩いている中でふと目に付くことが多い。

高齢になると物事に感動しなくなると云われるが、何事にも新鮮に感じ、感動することが若さを保つ秘訣だと思う。

ひいてはそれが良い写真を作り出す源にもなると云う事だと思っている。

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秋の長雨

2016-09-21 09:50:31 | 

水滴

9月に入って晴れた日は幾らも無い。

最近では17日に晴れただけで、その前後は曇天か雨。

散歩も17日のみで憂鬱な気分になる。

庭の花たちにも水滴がびっしり。

「ホテイアオイ」の葉にも水滴。

この水滴が消える暇が無い。

台風16号が猛威を振るいながら九州から近畿と北上。

関東地方を昨夜通過予想の16号は幸いにも温帯低気圧に変わり、大きな被害も無く通過して行った。

しかし台風一過の晴天は望めず、相変わらずの曇天だ。

週末には晴れる日が来るらしい。

カメラを持っての散歩が待ち遠しい。

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やぶみょうが

2016-09-20 09:00:29 | 

やぶみょうが

 

彼岸花の向かい側に「やぶみょうが」の群落があった。

この植物は繁殖力が抜群に強い。

一昨年我が家の庭に野鳥が運んできたと思われるこの植物が2本ばかり生えた。

それが翌年は何と7~8本に増えていた。

あまりにも大きくなり過ぎ、邪魔になり全部引き抜いたのだが、それが今年また2本生えて来た。

と云うほど繁殖力が強い。

 

白い小さな花が咲き、それが黒い実になる。

昨年はこの場所にはこんな群落は無かったような気がする。

このまま放置すると林全体が「やぶみょうが」で覆い尽くされてしまうのではないかと危惧を感じた。

お鷹の道に出た。

用水路にこんな可愛らしい水車が回っていた。

この用水路脇には、「蛍の住む川」と云う案内板が立っている。

実際は蛍の姿を見ることはないが、この用水路で蛍が見えるようにしたいと活動しているグループがあると聞く。

この用水路で蛍を見る事が出来たらどんなに嬉しい事だろう。

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彼岸花

2016-09-19 09:29:14 | 

国分寺公園の彼岸花

17日、所用で西国分寺に行った。

その帰り道、国分寺公園の彼岸花が咲いているかも知れないと寄って見た。

ふれあい広場の南側にある林の中の遊歩道脇に彼岸花が咲いていた。

何故か白い花ばかりで、赤い花は数えるほどしか咲いていなかった。

花には、「クロアゲハ蝶」が蜜を求めて飛び交っていた。

花の周囲にはまだ蕾が沢山あり、これからどんどん咲き始めるのかも知れない。

「柵の中には入らないでください」と云う注意書きがあるので、遠くに咲く赤い花を300ミリ望遠で写す。

赤い花の周りに赤い蕾が有るので、これから赤い花が咲き始めるのだろう。

彼岸花(別名・曼珠沙華)は名の通り、秋の彼岸の中日を中心に咲く。

どうしてその短い時期を感じ取って咲くのだろうか不思議だ。

よく墓地などに植えられ、葉が無く「幽霊花」などと言われることもある。

花の根には猛毒があると云われている。

昔、彼岸花は田んぼの畔や、墓地などに植えられていた。

これはモグラや他の害虫を防ぐと云う事から植えられていたらしい。

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吉祥寺祭り 4

2016-09-17 09:49:34 | 

ハモニカ横丁

帰りにハモニカ横丁に寄った。

ハモニカ横丁は終戦後に吉祥寺駅北口前の空き地にバラック建ての闇市が出来たのが始まりだ。

この空地は戦時中に駅周辺の住宅、その他の建物が強制的に撤去されたために出来た空き地だ。

南口駅前も同様だった。

終戦後元々そこに住んでいた人達は亡くなったり、疎開先から戻って来なかったりで、空き地になっていた。

そこに半ば不法占拠と云った形で土地を奪い合い、小さな店が乱立した。

これらの店には闇物資や不法調達した食料などが売られたために、闇市と言われるようになった。

それがいつの間にか居住権を獲得、現在のような形になった。

荻窪駅北口前にも同じような形の闇市があったのだがあまり話題にならなかった。

現在はその面影を残した商店街になっている。

戦後のどさくさに紛れて出来上がった闇市が、現在ではハモニカ横丁と呼ばれ人気の的になっているのは戦後を知るものとしては感慨無量だ。

 

細い路地の両側には2~4坪位の小さな店が並ぶ。

オープンな感じの飲み屋が結構多い。

結構大きな酒場もあり、流しの歌手が歌う歌に手拍子をする祭り半纏の人もいた。

店の広さ2~3坪の飲み屋、カウンターのみで、5~6人が座れば満席になる店もある。

こんなすごい魚屋もある。

路地の片側にずらりと魚を並べ店のおじさんが声を涸らして客を呼び込んでいた。

一杯飲み屋を始め、飲食店、衣料品店などが狭い路地に向かい合って並んでいる。

ちなみにこのハモニカ横丁の呼び名は、吉祥寺に住んでいた亀井勝一郎が、100軒ほどの小さな店が立ち並ぶさまを、楽器のハーモニカの吹き口に例えたことから由来していると云われている

コメント (2)
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