閑居シニアの写真館

リタイヤして30年、いろいろと写真を写し続けています。最近は身近な風景を見たまま気ままに写真を楽しんでいます。

続・古いアルバム 10

2021-09-30 10:15:17 | アルバム

東京寸景1

1070年頃の銀座風景。

銀座から都電が姿を消したのは1967年12月の事だった。

車の急速な発展のため都電が邪魔になって来て都内から都電が順次姿を消していった。

1970年頃には銀座通りが車で埋め尽くされる位になっていた。

銀座4丁目交差点あたり。

左上が服部時計店。

右奥が銀座松屋だろうか。

半パンにアロハシャツのお嬢さん。

 

この頃は何を写すでもなく漫然とシャッターを切っていたのだろう、面白味もなく記録にしては中途半端な写真ばかりだ。

微かに当時の様子が伺える程度でなのが残念。

ショーウインドウに反映した銀座風景。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

墓参と彼岸花

2021-09-28 09:41:13 | 

墓参と彼岸花

25日遅まきながら墓参りに行った。

我が家の墓は秋川霊園にある。

所在地は日の出町、元総理大臣中曽根さんの日の出山荘が有る町だ。

我が家の墓地すぐ横に中曽根家の墓もある。

この日は墓地に着いた時にはあいにく雨が降り出したが30分ほどで止んだ。

墓地には3年ほど前に鎌倉大仏より大きい「鹿野大仏」が建立された。

読み方は「ろくやだいぶつ」と読む。

平日でも大仏参詣に訪れる人が多数いるようだ。

墓地は小高い丘の上にあり、遠くには奥多摩の山が連なる。

雨上がりの水滴が付いた花。

墓地のあちこちに彼岸花が咲いているが、時期が遅く花は殆どが枯れ始めていた。

墓参の帰りには平井川の土手に咲く彼岸花を見に行くのが恒例となっているので、この日も立ち寄った。

ここも彼岸花は盛りが過ぎ枯れ始めていた。

草むらの中に顔を出す花がわずかに残るだけで、何時もの豪華な花の群落を見ることは出来なかった。

雨上がりの水滴が付いた花。

一輪だけぽつんと咲く花。

群落をなして咲く花の一部だが殆ど盛りを過ぎている。

何とか見られる花。

花の赤だけ残し、後はモノクロ仕上げ。

カメラ内蔵のパートカラーで写して見た。

例年だとこの場所でじっくりと彼岸花の撮影を楽しむ事が出来たが、今年は残念ながらそれが出来なかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トンボの飛翔

2021-09-26 09:36:22 | 昆虫

赤とんぼの飛翔

先日、庭の物干し竿を受ける金具に赤とんぼが飛来した。

この時、オリンパスミラーレス一眼カメラににプロキャプチャと云う機能が有るのを思い出し、一度も使った事が無かったので使って見る事にした。

何分にも初めての事、使い勝手が上手く行かず、思ったような効果が得られ無かった。

プロキャプチャと云うのは被写体が静止した状態から、動き始めた後の状態の映像を連写してくれる。

被写体が動き始めた瞬間にシャッターを切ると、シャッター半押しの状態からシャッターを切った時の前4コマと、シャッターを切った後の数コマを連写してくれると云う優れものなのだ。

撮影位置がトンボの後ろからしか撮れない状態だったのが残念だが、テスト撮影のため良しとした。

シャッター半押しのままトンボが飛び立つのを待った。

暫くしてトンボが飛び立った瞬間にシャッターを切った。

やや遅れ気味だったが4枚の羽根の動きが止まって写っていた。

一旦飛び立ったトンボは再び元の位置に戻ってくる。

その時の様子が連写されていた。

飛び立つ瞬間。

光の関係で、羽に日が当たらず、羽の輝きが無く形が良く分からないのが残念。

動きの早いトンボを単写で一発で写し止める事は難しいが、このプロキャプチャを使う事で、或る程度写し止める事が出来るのは有難い。

テスト撮影にしてはまずまずの出来だったと思う。

今後この撮影を機会があたら練習し見ようと思っている。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

庭の花

2021-09-23 10:12:51 | 

初秋の花

我が家の庭にも秋が来た。

夏に出来たムラサキシキブの実が紫色に染まった。

ムラサキシキブは繁殖力が強く、花が咲く前に短く剪定するのだが、実のなる頃には枝葉を思いっ切り増やし、剪定以前の姿に戻っている。

この実が色付くと、秋が来たことを実感する。

この花?実?どちらか分からないが、日当たりが良ければ殆ど一年中咲いている。

名前はややこしく、何度聞いてもすぐに忘れてしまう。

鉢植えの花だが、園芸店で購入したもの。

始めは名札が付いていたのだがいつの間にか無くなり、花名は分からなくなってしまった。

ハイビスカスが咲いた。

暑い時に咲く花だとばかり思っていたが、今の季節でも咲くのだと再認識。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・古いアルバム9

2021-09-21 12:57:17 | アルバム

1970年頃?の後楽園プール

現在、東京ドームは、プロ野球の巨人のホームグランドとして有名だが、東京ドームが出来る前にその敷地に何があたのか知る人は少ないと思う。

そこには巨大なプールがあたのだ。

正式な名称は忘れてしまったが、後楽園プールと云ってたように思う。

真ん中に二つのプール、それを取り囲むように流れるプールがあったと思う。

とにかく人気の高いプールだったようで、日曜日ともなればすごい人出だったらしい。

プールサイドにはビーチパラソルが立ち並ぶ。

流れるプールにはプールの外周と中のプールを結ぶ懸け橋が掛けられていた。

場内にはステージが設けられ、ミュージックバンドの演奏会なども開かれていた。

現在は東京ドームとしてプロ野球の熱戦が繰り広げられている。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会社辞令

2021-09-18 09:52:38 | 日常

隔世の感あり

古い資料を整理していたところ、昔の会社の辞令が出て来た。

思わずへーえ~と言ってしまった。

父の辞令。

父は大正14年頃から名古屋で指物師として弟子を二人置いて商売をしていたが、昭和12年、日支事変が始まり、原木の輸入が出来なくなり廃業、父の妹婿が起こした軍需会社、三鷹航空に呼ばれて入社。

以来一介の職工から技師にまでなり、太平洋戦争終戦まで勤務していた。

その終戦の年の1月の月給の辞令だ。

当時の月給160円、これで家族7人が生活をしていたのだ。

当時母は病弱で家政婦を雇っていた。

月給160円でそんな生活が出来ていたのか想像もつかない。

これは、昭和12年に商売廃業、東京の三鷹航空入社のために東京に引っ越しをするときの父の友人たちからの餞別だ。

金額はに二十銭から二円位、大口でも二十円となっている。

この金額でも精一杯の餞別だったのだろう。

この時老骨6歳、この時もらった潜水艦のおもちゃの事はよく覚えている。

これはまた、昭和35年、妻が結婚後務めたカシオ計算機の辞令だ。

当時のカシオ計算機は会社が発足して間もない頃だった。

日月給と云うのは今で言う日給月給の事だろう。

給与は七千円。

当時の老骨の月給は一万五千円くらいだったと記憶している。

まさに隔世の感だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ど根性ひまわり

2021-09-15 10:46:20 | 震災

ど根性ひまわり

先日の朝日新聞の「元気の種、国分寺から飛んで行け」と云う記事が目に入った。

国分寺市立第9小学校創立50周年記念で、東日本大震災で被災しながら花開いた「ど根性ひまわり」の種を9月29日に風船で飛ばす準備をしているとの記事だった。

「ど根性ひまわり」は2011年3月東日本大震災で大きな津波被害を受けた宮城県石巻市で、がれきの中から芽を出し、塩害にも負けずに育って開花したたくましさからこの呼び名が付いた。

第九小学校では、5年前に現地を訪れた際に種をもらい、毎年育てて来た。

今回風船で届けるのは「ど根性ひまわり」の子孫にあたる種と云う事だ。

第9小学校は我が家から歩いて1分程の近い所で、老骨の子供たちが卒業した学校だ。

新聞記事を見てすぐに学校を訪れた。

学校の周囲の金網には「ど根性ひまわり」の絵が括り付けられたいた。

体育館横の花壇に「ど根性ひまわり」は植えられ、立派な花が沢山咲いていた。

この花の種を約500人の児童たちが一人2粒、約1000粒以上飛ばす予定だそうだ。

拾って下さった方々が元気になってもらえたら嬉しい、と子供達は飛ばす日を楽しみにしている。

但しこの行事は緊急事態宣言下の時は延期の予定だそうだ。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋の気配

2021-09-13 09:15:47 | 自然

消えた畑を後に

消えた畑を後に何時もの散歩道に出る。

白い花が咲き乱れる住宅があった。

近寄って見ると、十字の花弁を持った小さな白い花の集まりだった。

白いモダンな建物によく似合う風景だった。

街路に植えられた百日紅の花。

まだまだ元気、長雨にも負けず確りと咲いている。

空には雲の切れ間が所々に見られるが、まだまだ雲は厚い。

高圧線の下に、ススキのの穂が開き始めていた。

秋の気配を感じる。

姿見の池入り口の用水路。

夏の間は岸辺に雑草が生い茂り、用水路そのものが殆ど見えなかったが、雑草が綺麗に刈り取られ、綺麗で豊富な水が流れる用水路が見られるようになっていた。

水路には魚影も見える。

用水路に添って歩くと、先日紹介したクヌギの木にビニール布が巻かれた風景がまだあった。

先日はこの木が一本だけだったが、今は周囲の木全てにビニール布が巻かれていた。

一寸異様な風景だ。

姿見の池の近くにシダの葉に囲まれるように彼岸花が一輪咲いていた。

彼岸にはまだ早いのに早くも彼岸花が咲くのは、天候のせいだろうか。

こんな赤い実もあった。

植物の名は例によって老骨には分からない。

これもまた秋の知らせなのだろうか。

帰路についてこんな理容室の前を通った。

何と理容室の象徴、ねじりん棒が普通は縦に立っている事が多いのだが、ここでは斜めについていた。店主に何か意図があたのだろう。

家に着く頃には日が落ち、街灯がぽつりぽつりと点き始めていた。

今日の歩行距離は4,500歩。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

消えた畑その後

2021-09-11 10:33:54 | 日常

消えた畑その後

雨の止み間に近くの散歩に出た。

我が家から2分位の所に5月頃まで広い畑があった。

6月初めに通った時に畑はすでに整地され宅地化されていた。

7月には住宅の区画割がされてブロックで仕切られていた。

9月8日には住宅の骨組みが出来ていた。

中には家の外観が出来上がっている所もあった。

道一本隔てた畑も6月初めはこの通りだった。

9月6日にはこの通り。

数戸の家が建設されたいた。

中には早くも住宅が一軒出現していた。

3か月の間にこのように元畑だった所が変化していた。

如何に長い事コロナ自粛を余儀なくされていたか、改めて思い知った。

しかし緊急事態宣言中にも住宅建設は進んでいた事になる。

ここで仕事をしていた人たちの思いはどうだったのだろうか。

コロナの接種は澄んだのだろうか、主を送り出した家族の思いはどうだったのだろうか。

色々な思いが胸の中を駆け巡った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

貸し傘

2021-09-09 10:11:34 | 日常

駅の貸し傘

雨の中、所用が有り出かけた。

この所毎日のように雨が降る。

最寄りの駅、恋ヶ窪駅について目に付いたのは貸し傘のボックスだった。

駅右側の切符売り場の横に貸し傘はおいてあった。

今迄はこのようなものは置いてなかった。

 

ボックス正面には置き傘のある駅が増えた事が記されていた。

貸し傘プランは、「使い放題プラン・月額280円2本まで」と「使った分だけプラン・24時間70円、一本当たり」となっており、決済はカード払いのみとなっていた。

傘を持たずに出かけて急な雨にあった時は便利かもしれないが、果たして利用者はいるのか・・・・・

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする