カメラマンと写真家、あるいはフォトグラファー

 写真を撮る人のことをカメラマンと言ったり写真家といったりするけれど「カメラマン」と「写真家」、何が同じで何が違うのか。

 郷秋<Gauche>は「カメラマン」という言葉を余り好きではありません。カメラマン=カメラを扱う人=写真を撮る人、という意味なのでしょうが、このカメラマンと言う言葉には写真を撮ることに主体性がなく、あそこに行ってあれを撮って来いと言われて撮っている人、というニュアンスを私は感じます。

 定番の「広辞苑」を開いてみると案の定1.専門の写真技師。写真家。2.新聞社などの写真撮影担当者。と出ています。ユニークな解釈で知られる「新明解」(第4版)によれば、写真の撮影技師。(狭義では、新聞社などの写真部員を指す)とある。

 やはり「カメラマン」と言ったときには広辞苑で言えば2番の、新明解で言えば括弧書きの意味合いが強いようです。「ヒコーキの前輪が外れて滑走路上で立ち往生したぞ。すぐに行って撮って来い」なんて言われて慌てて飛び出して滑走路上で動けなくなっているヒコーキや頭を下げている社長の写真を撮って来るんだな。

 それに対して「写真家」は自分の自由な意思で写真を撮るというイメージが強い。こちらの方は、広辞苑によれば1.写真を撮る人。2.特に写真を芸術の表現手段として撮影・制作する人、とある。新明解でも、芸術としての写真を撮ることをライフワークとする人、とあるから、芸術の1分野としての写真を撮る人のことを指すようだ。

 確かに新聞紙上に掲載されるヒコーキ事故の写真が芸術的であったことはないし、またそれでは困る。報道分野の写真はまず客観的かつ事実関係を正しく表していないとな。そういう写真を撮る人を「報道カメラマン」という。これならその実をよく表している。

 では、「報道写真家」はどうだ。たった1枚の写真が強いメッセージを発し、雄弁に語りかけてくることがある。そんな写真を撮るのが「報道写真家」あるいは「フォトジャーナリスト」かな。商業写真家のように儲からないから取材は勿論自費で、出かける前には土方仕事で旅費を稼いでいる姿が見えてきたりする。でも彼らの撮った写真は時に世論を動かし、国や世界を動かし、そしてピュリッアー賞という大いなる名誉を受けることもある。

 最近「写真作家」という肩書きを目にすることがあるけれど、これはちょっと大仰な感じがするな。個人的には、カタカナにしただけで写真家とどこが違うのかと言われそうではあるけれど「フォトグラファー」という言い方が好きだ。
 チェリスト、エッセイストにしてフォトグラファーの郷秋<Gauche>です(^^)。

 今日の「4枚」はこちらでご覧ください。

恩田Now 
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