唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
人を撮りたい
昨年4月にデジタル方式の一眼レフを購入し(郷秋<Gauche>的には)本格的な写真撮影を再開して1年2ヶ月。約20,000枚(Photoshopに取り込んだ画像の枚数は今現在22,091と表示されている)の写真を撮影したけど、そのほとんどが恩田の森で撮影した草花や風景だ。
1年間に20,000枚も撮っている割には自分で納得のゆく程上達していないんだな。その原因をデジタルゆえの「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」や機材(主にレンズ)の不十分さに求めたりするんだけれど、きっとこれは違うだろう。おそらくは感受性の不足と基本的には動かないものばかりを撮っていることから来る緊張感の欠如なんだと思う。
実は、しばらく前から「人」を撮ってみたいと思いようになってきているのだ。働いている人の表情なんかを撮ってみたいなって。たった一枚の写真にその人のこれまでの人生のすべてが写りこんでいるような写真。まっ、無理だろうけど。
明確なリアクションのある被写体(つまり「人」だ)を撮影する時の、撮影する側の緊張感は相当なものなんだろうと思う。そんな緊張感の中で撮影することでしか得られない、テクニックではない何物かを得られるような気がする。その何物かを得た後で撮る花や風景はこれまでとは、きっと違ったものになるだろうな。
でもなかなか難しそう。大体がだ、撮らせてもらうことをお願いすることが、難しい。それが郷秋<Gauche>の一番だめなところだとわかってはいるんだけれど。
さて、そんな郷秋<Gauche>の今日の1枚は、はるか遠くに「人」がいる、1枚。まっ、「人がいる風景」あたりから始めてみようかな。
1年間に20,000枚も撮っている割には自分で納得のゆく程上達していないんだな。その原因をデジタルゆえの「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」や機材(主にレンズ)の不十分さに求めたりするんだけれど、きっとこれは違うだろう。おそらくは感受性の不足と基本的には動かないものばかりを撮っていることから来る緊張感の欠如なんだと思う。
実は、しばらく前から「人」を撮ってみたいと思いようになってきているのだ。働いている人の表情なんかを撮ってみたいなって。たった一枚の写真にその人のこれまでの人生のすべてが写りこんでいるような写真。まっ、無理だろうけど。
明確なリアクションのある被写体(つまり「人」だ)を撮影する時の、撮影する側の緊張感は相当なものなんだろうと思う。そんな緊張感の中で撮影することでしか得られない、テクニックではない何物かを得られるような気がする。その何物かを得た後で撮る花や風景はこれまでとは、きっと違ったものになるだろうな。
でもなかなか難しそう。大体がだ、撮らせてもらうことをお願いすることが、難しい。それが郷秋<Gauche>の一番だめなところだとわかってはいるんだけれど。
さて、そんな郷秋<Gauche>の今日の1枚は、はるか遠くに「人」がいる、1枚。まっ、「人がいる風景」あたりから始めてみようかな。
コメント ( 2 ) | Trackback ( )
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でも、正に「人」なのですね。「人」と対峙して内面までも写し出すような、例えば土門 拳氏のような写真なのですね。
「人がいる風景」もいい感じですね。「人」が入ると、それだけで雰囲気が、写真が変わります。それだけ「人」の存在は大きいのですね。
>「人」と対峙して
撮る人と撮られる人の真剣勝負ですね。
土門 拳と言えば、人の写真もそうですがすごいと思うのが風景写真。「室生寺」を見ても写真に熱中していた学生時代には「同じ場所に三脚立てれば誰でも撮れるじゃん」なんて思ったものですが、歳をとるごとにそのすごさがひしひしと押し寄せてくると言うのか、いまでは見るたびに圧倒されています。