武蔵野

 地名としての、武蔵野(市)のことではない。国木田独歩の短編『武蔵野』の話である。『武蔵野』は今から110年前の1898年に『今の武蔵野』として発表されている。独歩が歩き回った武蔵野について書いた短篇であるが、驚くべきことに独歩が当時住んでいたのは渋谷村の小さな茅屋(ぼうおく)。あの、渋谷である。その渋谷村辺りを歩きまわって、これが武蔵野であると書いているのである。

 更に驚くのはこの短篇の冒頭に「『武蔵野の俤(おもかげ)は今わずかに入間郡に残れり』と自分は文政年間(1818~1829年のことである)に出来た地図で見た事がある」と記されていることである。武蔵野の面影は、200年前には江戸(東京)の周辺からは消え去り、入間まで足を運ばないと見ることが出来なかったと云うのである。

 1896年(明治29)10月26日の項に、独歩はこう書いている。
「午後林を訪(と)う。林の奥に座して四顧(しこ)し、傾聴し、睇視(ていし)し、黙想す」

 これはまさに郷秋の週課、毎週末の森歩きと同じではないか。200年前に江戸(浅草や神田辺り)の町から姿を消した武蔵野の面影は100年前の渋谷にはまだ存在し、更に100年を経た今、横浜の北部に僅かに残っていると云う事である。独歩は当時の渋谷付近では林と田と野(畑)が交互に現れると書いているが、この様はまさに恩田の森そのものである。

 郷秋は明日も森に出かける。そして森の奥に座り、辺りを見渡し、耳を澄まし、目を凝らし、黙想する。既に東京では失われてしまった武蔵野の面影の中で味わう、贅沢この上ない至福のひと時。幸いなるかな、郷秋<Gauche>。


 今日の一枚は、すっかり葉を落とし明るくなったかつらの森の雑木林。独歩の歩いた冬の武蔵野もかく有らん。

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