平安夢柔話

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エリカ、15歳の誕生日に寄せて

2010-05-15 09:00:10 | 猫のお部屋
 本日5月15日で、我が家の愛猫、エリカは15歳になるはずでした。しかし、エリカは約2ヶ月前の3月18日に天国に行ってしまいました。

 エリカがいなくなってからの2ヶ月間、ペットロスになってしまったり、色々なことがあり、感情のコントロールが大変でした。でも最近は、突然寂しくなったり哀しくなったりすることはたまにあるものの、エリカの姿を思い出すと心がほのぼのすることも増えてきました。ようやく気持ちも落ち着いて、「猫のお部屋」を更新できる状態になりましたし、何よりも、今日はエリカの誕生日なので、エリカの思い出を色々と書いてみようと思います。少し長くなると思いますが、しばらくの間、おつき合いいただけますと幸いです。

 エリカは15年前の7月、生後2ヶ月の時に、だんなさんの職場の同僚の家から我が家にもらわれてきました。なぜ、私たちが猫をもらうことになったのかについては、こちらの記事にも書いたのですが、だんなさんが通勤の途中にティナという、弱々しい子猫を拾ってきたことがきっかけでした。

 私たちはティナに水を飲ませたり、体を温めたりして介抱したのですが、拾ってきた次の日の夕方にぐったりしてしまったので、タクシーで動物病院に連れて行きました。病院では全力を尽くしてくれたのですが、1週間後に天国に行ってしまいました。

 私たち、特にだんなさんは、ティナの世話がほとんど出来なかったことを後悔していました。そしてだんなさんは、「ティナの替わりに生後2ヶ月くらいの女の子の猫が欲しい」と言いだし、猫探しを始めてしまいました。ティナが生後2ヶ月くらいの女の子だったからです。私は猫を飼うことには気が進まなかったのですが、だんなさんは職場の同僚とどんどん話を進めてしまい、ついに猫を家に連れてくることになってしまいました。

 しかし、ちょこんと座っているその子猫を見たとたん、私は魔法にかけられてしまいました。小さくて白くて、目がくりくりしていて、まるでぬいぐるみみたい。そして、かわいらしい仕草と声。「この猫はエリカだ」と思いました。

 こうしてエリカは私たちの家族の一員になったわけですが、かわいらしいと同時にかなりのいたずら者で、私の手足をかじったり電話中に電話機の上に乗って電話を切ってしまったりなど、まあすごかったです。イヤホンのコードをかむのが好きで、いくつイヤホンを壊されたか…。

 それでもかわいらしい顔でにこっとされると、かわいそうであまり怒ることも出来ませんでした。

 猫は1年で大人になるので、エリカは、連れてきた次の年の初めくらいから、発情するようになってしまいました。最初、子猫を生ませることも考えたのですが、猫は一度に5~6匹生むこともあるとか。そんなにたくさん子猫が生まれたらとても世話が出来ないし、そうかといって生まれた猫を捨てるのはかわいそうなので、避妊手術を受けさせることにしました。エリカが1歳の誕生日を迎えて1ヶ月くらい経った頃だと思います。
 避妊手術をすると性格もおとなしくなり、飼いやすくなると猫の飼い方の本に書いてあったとおり、手術のあと、確かにエリカはおとなしくなり、私の手足をかじることも少なくなりました。でも、かわいらしさは以前と全く同じでした。

 次にエリカに起きた大きな出来事は、その翌年の家の引っ越しだったと思います。家を引っ越すと、いなくなってしまうこともあるとか、トイレのしつけが大変だとか、色々話を聞いていたのですが、エリカに限ってはその心配は全くなく、すぐに新しい家に慣れ、トイレの場所も一発で覚えました。

 考えてみると、エリカはとても頭の良い猫でした。

 エリカが5歳くらいの時、図書館から毎月もらっていた目録に、『あなたの猫の偏差値は?(加藤由子 須藤真澄・ワニグックス)』という本があったので、面白そうだと思って借りたことがありました。

 この本は、「猫の頭の良さ」「猫の社会性(甘える力など)」「猫の野生度」、それぞれ20個くらいの質問と、解凍の選択肢があり、選択肢には5段階の点数がつけられていました。そして、自分の猫ちゃんに一番近い解答の選択肢の点数を加算していき、総合点によって3つの項目の偏差値を出す…という本でした。

 結論からいうと、エリカは頭の良さの偏差値55、社会性の偏差値68、低いのではないかと思っていた野生度も43と、かなり優秀でした。

 例えば頭の良さには、「猫の言語力は?」という質問があり、エリカに該当するのは「時と場合によって鳴き方や鳴き声を変える」で、これは文句なしに5点満点でした。
 エリカはおなかの空いたときはかすれた声で鳴き、甘えるときはかわいい声で鳴き、怒ったときや怖がっているときは大声で泣きました。時々「ワン」とも鳴きましたし。
 また、私たちが外出するときはしばしば「イヤーン」と鳴きました。
 ある時、遊びに来た友人を駅まで送っていこうと思って、食器戸棚の上にいたエリカに、「行ってくるね」と声をかけたところ、「イヤーン」と鳴いたので、その友人は「人間の言葉までしゃべるのね」と感心していました。

 しかし、一番びっくりしたのは「工夫する力」です。

 「コップに水が入っています。でも、水が少なすぎて猫ちゃんの舌べらが水に届きません。さて、猫ちゃんはどうするでしょう?」という質問があったので早速実験してみることに。

 この質問の5点満点は、「前足で水をすくって飲む」でしたが、このような行動を取る猫はまずいないのだそうです。もちろん、エリカもここまではやりませんでした。
 4点は、「コップを倒してこぼれた水を飲む」でした。エリカはこれに該当しました。
 そして、実は、こういう行動を取る猫もめったにいないのだそうです。たいていのねこは、コップを倒すことはするのですが、水がこぼれると逃げていくのだそうです。エリカのように飲んでしまう猫は、「あ、飲めるじゃん」という知恵が働いているのだそうで、これはかなりすごいことなのだそうです。つまり、「工夫する力」があるということなのですよね。ただ、床が水びだしになってしまうのは困りましたが…。

 あ、「頭の良さ」より「社会性」の偏差値が高かった理由は簡単、甘えん坊だからです。あと、「心に余裕がある」という結果も出ました。

 そんなわけで、トイレも一発で覚えたのでしょうね。このことは、更に数年後、今の家に引っ越してきたときも同様でした。本当に利口な猫でした。

 その他、エリカがどんなにかわいくて面白い猫だったかは、猫のお部屋のカテゴリにUPした記事を読んでいただければと思います。かなり親ばかなことも書いています。

 さて、エリカの病気のことについて、亡くなる前後のことについて、私はどうしても書けないでいました。でも、最初の方にも書きましたが、心に余裕が出来たせいか、今なら書けるような気がします。

 エリカは12歳の時、腎臓が弱っていると宣告されていました。病院の先生の話によると、12歳の猫の9割が腎臓病とのこと、つまり、腎臓病は猫の老化現象の一つなので仕方がないようです。

 なので私とだんなさんも、「老猫だから仕方がないよね」と、エリカの病気を一応受け止めることが出来ました。ちなみに、猫の12歳は人間の60代半ばくらいに当たります。

 そこで、病院から買った腎臓病用の療法食を与えてみたのですが、エリカは嫌がって食べてくれませんでした。なので、前に住んでいたところで通っていた動物病院から7歳以上用キャットフード(市販の物よりは良いかと思いましたので)を買い、その中に腎臓病の猫の介護経験のある友人から紹介していただいたネフガードという薬を混ぜて与えたところ、エリカは残さず食べてくれました。病気を宣告されてから2年以上、元気でいられたのは、薬が効いていたからだと思います。

 エリカは昨年の夏、食欲がなくなり、少しやせてしまったのですが、秋になる頃にはまた食欲が戻ってきました。エリカが夏が苦手なのはいつものことなので、それほど気にしませんでした。

 ところが、年が明けたくらいから明らかに食欲が落ち始めました。でも、あまり食べなかった次の日は食欲が戻り、残さず食べてしまう…という状態でしたので、「老猫だからこうなるのは仕方がないよね」とだんなさんと話していました。もし、この時に病院に連れて行っていたら…と、私は何度も何度も後悔しました。

 エリカの食欲がすっかりなくなったのは1月24日のことでした。それでも時々、部屋中を歩き回ってはいましたが…。ちょうど日曜日でしたし、次の日はだんなさんの通院日でしたので、「明後日に病院に連れて行こう」とやっとその日になって腰を上げました。本当に、エリカにはかわいそうなことをしました…。

 そして次の日、エリカがとても辛そうなので、だんなさんの病院の予約時間を遅らせ、朝一番に動物病院に駆け込んだ…というわけです。もし、予定通り、病院に連れて行くのをもう1日延ばしていたら、エリカとのお別れがもっと早くなったかもしれません。それだけは救いです。

 エリカは、すぐに入院になりました。そしてその日の午後、だんなさんの携帯電話に病院から連絡がありました。その時に、腎臓病がかなり進んでいたことを知らされました。
 腎臓がどのくらい悪いかという事を知るには、血中クレアチニンを調べるのが一つの方法なのですが、エリカの場合、クレアチニンが11もあったそうです。正常値は1以下なので、かなりの重傷です。ちなみに、人間の場合、クレアチニンが5になると緊急透析だそうです。
 更に、先生の話では、腎臓の細胞が少しでも生き残っていれば、血液点滴によってクレアチニンが下がってくるとのことでしたが、エリカのように重傷な場合はほとんど期待できない…とのことでした。
 そして、明日の夕方になれば血液点滴の効果がどうだったかわかるので、その頃に病院に来て欲しいと言われました。この時点で、私は一応、覚悟を決めていました。

 次の日の夕方、だんなさんと一緒に病院に向かったのですが、病院への道があれだけ長く、辛く思えたことはありません。
 しかし、先生から聞かされたことは、「エリカちゃんのクレアチニンは8、8まで下がりました。このまましばらく、点滴を続けます。」とのことだったのです。何か信じられなくて、体から力が抜けていくのを感じました。
 更に、エリカに面会したところ、わりに元気な声で鳴いていました。これだけ元気になったエリカを見るのは久しぶりのような気がしました。ただ、私たちが帰ろうとすると「ギャー」と鳴いて怒りましたが。

 それからエリカが退院するまでの4日間、私は毎日、夕方にエリカに会いに行きました。27日に会いに行ったときは、ケージの中から飛び出しそうな勢いで立ち上がったので、先生が驚いていました。
 次の28日は、私たちが病室に入っていくと、隣のケージにいた猫がうらやましがって鳴きだしたので、エリカは、「うらやましいでしょう!?」とでもいうように、ニャーニャー泣き始めました。隣の猫も負けずに鳴くので、エリカもさらに大きな声で鳴きました。まるで猫の口げんかです。「他の猫と喧嘩できるくらいの元気があるならもう大丈夫ね」と、私はだんなさんと話していました。そして、「あの猫ちゃん、絶対に女の子よ。だからライバル意識を燃やしてしまったのよ」とも言いました。

 入院してから6日目の30日、エリカのクレアチニンが6まで下がったので、エリカは退院することになりました。まだまだ健康な猫ちゃんのようには行きませんが、「家族と一緒の方がエリカちゃんのためにもいい」という病院の判断で退院することになったのです。そして、その次の週から、週3回の通院しての皮下点滴(猫の場合、透析はできないので、皮下点滴が透析の替わりのようなものです)が始まりました。

 退院した次の週、エリカはあまり元気がなく、「退院させるのが早すぎたかな?」とも思いましたが、その次の週から元気が出たので安心しました。お皿に入れた食事もほぼ全部食べられるようになりました。

 また、以前のように椅子の上にぴょんと飛び乗ったり、朝には私たちを起こしに来るようにもなりました。ニャーニャー鳴きながら歩き回ったり、面白い仕草をして私たちをいやしてくれました。特に、点滴を受けた日は元気が良いようでした。

 でも、血液検査の結果は少しずつ悪くなっていたのです。また元気がなくなってしまうのでは…という心配はありましたが、まだまだ大丈夫、5月の誕生日までは大丈夫よねと思っていました。

 しかし、その日は意外と早く来てしまいました。ちょうどその頃、真冬のように寒い日が続いたかと思ったら、夏日になったような日もあり、寒暖の差が激しかったことが、エリカに影響してしまったのかもしれません。

 3月13日の検査で、エリカのクレアチニンが入院した当時と同じくらいになっていることがわかりました。
 先生の話によると、この前のようにエリカを1週間入院させれば、クレアチニンの値が少し下がるかもしれないが、この前のように6まで下がることはまずない。それよりも、家族と一緒にいて、週3回くらい病院に通い、エリカの苦しみを少しでも和らげるという治療方法を採った方がエリカのためにもいい。私たちも精一杯力を尽くします」とのことでした。
 辛い決断でしたが、弱っているエリカをひとりぼっちで入院させるのはかわいそうだし、何よりもエリカはとても臆病な猫なので、たくさんの人や動物が出入りする病院に置いておくのは精神的にきついだろうからということで、そのようにすることにしました。

 実際その頃から、エリカは食欲も元気もなくなっていました。でも、トイレには一人で行っていましたし、椅子の上に飛び乗ることもありましたし、夜は私たちの布団で眠りました。
 しかし、17日の水曜日の夕方くらいから、手足が痙攣する症状が出始め、歩くこともおぼつかなくなったので、トイレには抱き上げて連れて行ってあげました。それでも、私とだんなさんのそばに行って甘えようとして、必死に歩こうとしていました。何か、かわいそうで見ていられませんでした。

 次の日は通院日でしたので、「点滴をすれば少しは元気になるかもしれない」という期待を込めて、エリカを病院に連れて行きました。
 しかし、そこで先生から言われたことは、「この子はもう、ほとんど意識がありません。週を越せるかどうかわからない状態です。覚悟だけはしておいて下さい」でした。

 エリカはその日の午後3時35分に亡くなったのですが、まるで、「明日はパパの仕事の日だから、ママ一人では大変だから、パパが家にいる今日、行ってしまおう」というように、さっさと天国に行ってしまいました。結局、完全介護が必要だったのもたった1日だけでしたし…。
 そして、エリカが天国に行った前後、私の周りでは不思議なことが色々と起こりました。この記事がとても長くなってしまったので、そのことについては日を改めて、書かせていただきたいと思っています。

 記事の上の方に載せた写真は、3月9日に撮影したもの、エリカが私の椅子の上で丸くなっているところです。このころはまだ元気で、椅子の上に飛び乗ったりしていました。
 この写真が、私の携帯電話のカメラでエリカを撮影した最後の写真になってしまいました。


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