だんなさんが旅立って2ヶ月余りが経ちました。そして、1ヶ月半くらい前に実家に戻ってきました。
その間、嫌なこともたくさんあったし、不安と心細さと寂しさでたくさん涙を流しました。安定剤を1日に2粒飲み、その上に眠剤を飲んで眠っても、明け方に胸がどきどきして体が震えて目が覚めるという日が何日も続きました。
そして考えることは後悔ばかり。あのときもっと優しくしてあげれば良かったとか、私のように障害を持った女と結婚しなければ、だんなさんはもっと長く生きられたかもしれないとか…。
そんな私も最近になってやっと心が落ち着き、本を読んだり音楽を聞いたりして楽しむことが少しずつできるようになってきました。
私の心を救ったのはそんな楽しみと家族たち、特に、昨年の夏に脳卒中を患って半身不随になってしまった父の存在でした。
父は、私の辛さを一番理解してくれました。そして、「こうなったのは誰のせいでもない。」と言ってくれました。
幸い父は、会話もできますし、杖で歩くこともできます。でも、長時間座っていることはできません。なので、だんなさんのお葬式にも出席できませんでした。
父は、「俺は一人では何もできなくて情けないよ」と、足を折ってからのだんなさんと同じことを言うのでとても切ないです。でも、そんな父の話し相手になって、励ましてあげるのが今の私の勤めなのかなと思っています。父には絶対に、長生きして欲しいです。だんなさんに守ってもらわなくては…。
それから、妹の協力で、こんなに早く、パソコンからネットにつなぐことができました。「平安夢柔話」の方も、ぼちぼちと復活していこうと思っています。そのためには、パソコンにも元気でいてもらわなくてはなりませんよね。これもだんなさんに守ってもらわなくてはね。
あわただしく引っ越した関係で、私は、大切なものをたくさん、置いてこなければなりませんでした。
それでも結婚指輪とか、少しですがだんなさんの服やかばん、だんなさんがポイントをためてもらってくれたペコちゃんの人形とか、大事にしていた京都で買ったキティちゃんのぬいぐるみや光の君リカちゃんなど、本当に大事なものはほとんど持ってこられました。
本も、値段が高くてマニアックな平安時代関連の本、例えば角田先生の専門書や吉川弘文館の人物叢書などはほとんど持ち出すことができました。CDに録音された図書やサピエ図書館からダウンロードした電子書籍はほぼ100パーセント、持ってこられました。
ただ、「赤毛のアンシリーズ」のうち、9巻と10巻、「なんて素敵にジャパネスクシリーズ」の全巻は、持ってきたつもりだったのですが、なぜかなくなっていました。両方とも大好きなシリーズなので、絶対に持ち出そうと思っていたのに…。なので思い切って、amazonで購入してしまいました。
他にも、「あ、持ってくれば良かった」と思った物はたくさんありますが、それよりも、今ここにあるものを大切にしていきたいです。それに、私にはだんなさんとのたくさんの思い出があります。辛かったことや悲しかったことは一つずつ頭から消して、楽しいことだけを覚えていたいです。
亡くなる3,4日前、だんなさんはふと私に、「元気でいろよ」と言いました。元気でいろよなんてまるでお別れの言葉みたいで嫌だなあと思ったのですが、私は明るく、「うんうん、わかった、わかった」と言いました。その後、遺言らしい言葉は口にしなかったので、「元気でいろよ」が結局、遺言のようになってしまいました。
まだ100パーセント元気にはなれないし、これからどう生きていっていいのかもまだ見えない状態ですが、今はゆっくりと一歩ずつ、前向きに歩いて行けたらいいなと思っています。幸い、安定剤も1日に1粒ですむようになってきましたし、鬱の方も良くなっている証拠ですよね。きっと元気になって復活したいです。皆様、今後ともよろしくお願いします。
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その間、嫌なこともたくさんあったし、不安と心細さと寂しさでたくさん涙を流しました。安定剤を1日に2粒飲み、その上に眠剤を飲んで眠っても、明け方に胸がどきどきして体が震えて目が覚めるという日が何日も続きました。
そして考えることは後悔ばかり。あのときもっと優しくしてあげれば良かったとか、私のように障害を持った女と結婚しなければ、だんなさんはもっと長く生きられたかもしれないとか…。
そんな私も最近になってやっと心が落ち着き、本を読んだり音楽を聞いたりして楽しむことが少しずつできるようになってきました。
私の心を救ったのはそんな楽しみと家族たち、特に、昨年の夏に脳卒中を患って半身不随になってしまった父の存在でした。
父は、私の辛さを一番理解してくれました。そして、「こうなったのは誰のせいでもない。」と言ってくれました。
幸い父は、会話もできますし、杖で歩くこともできます。でも、長時間座っていることはできません。なので、だんなさんのお葬式にも出席できませんでした。
父は、「俺は一人では何もできなくて情けないよ」と、足を折ってからのだんなさんと同じことを言うのでとても切ないです。でも、そんな父の話し相手になって、励ましてあげるのが今の私の勤めなのかなと思っています。父には絶対に、長生きして欲しいです。だんなさんに守ってもらわなくては…。
それから、妹の協力で、こんなに早く、パソコンからネットにつなぐことができました。「平安夢柔話」の方も、ぼちぼちと復活していこうと思っています。そのためには、パソコンにも元気でいてもらわなくてはなりませんよね。これもだんなさんに守ってもらわなくてはね。
あわただしく引っ越した関係で、私は、大切なものをたくさん、置いてこなければなりませんでした。
それでも結婚指輪とか、少しですがだんなさんの服やかばん、だんなさんがポイントをためてもらってくれたペコちゃんの人形とか、大事にしていた京都で買ったキティちゃんのぬいぐるみや光の君リカちゃんなど、本当に大事なものはほとんど持ってこられました。
本も、値段が高くてマニアックな平安時代関連の本、例えば角田先生の専門書や吉川弘文館の人物叢書などはほとんど持ち出すことができました。CDに録音された図書やサピエ図書館からダウンロードした電子書籍はほぼ100パーセント、持ってこられました。
ただ、「赤毛のアンシリーズ」のうち、9巻と10巻、「なんて素敵にジャパネスクシリーズ」の全巻は、持ってきたつもりだったのですが、なぜかなくなっていました。両方とも大好きなシリーズなので、絶対に持ち出そうと思っていたのに…。なので思い切って、amazonで購入してしまいました。
他にも、「あ、持ってくれば良かった」と思った物はたくさんありますが、それよりも、今ここにあるものを大切にしていきたいです。それに、私にはだんなさんとのたくさんの思い出があります。辛かったことや悲しかったことは一つずつ頭から消して、楽しいことだけを覚えていたいです。
亡くなる3,4日前、だんなさんはふと私に、「元気でいろよ」と言いました。元気でいろよなんてまるでお別れの言葉みたいで嫌だなあと思ったのですが、私は明るく、「うんうん、わかった、わかった」と言いました。その後、遺言らしい言葉は口にしなかったので、「元気でいろよ」が結局、遺言のようになってしまいました。
まだ100パーセント元気にはなれないし、これからどう生きていっていいのかもまだ見えない状態ですが、今はゆっくりと一歩ずつ、前向きに歩いて行けたらいいなと思っています。幸い、安定剤も1日に1粒ですむようになってきましたし、鬱の方も良くなっている証拠ですよね。きっと元気になって復活したいです。皆様、今後ともよろしくお願いします。
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