
私が初めて京都御所を訪れたのは11年前の春です。その時の目的地は御所の近くにある廬山寺(紫式部の邸宅跡に建っているお寺)だったのですが、「どうせなら御所の中を通って廬山寺に行こう」ということになり、御所の中に入ってみたのでした。
しかし、御所の中は築地塀で閉ざされていて、私たちは築地塀に囲まれた通路を歩いていくことに…。おまけに雨は降り出すし、廬山寺は改修工事中で入れないし…、と、さんざんなことになってしまいました。
そのようなわけで、京都御所は実質的には今日が初めてということになります。
今日は一般公開の日なので、築地塀が開かれ、豪華な建物が姿を見せています。まず目に飛び込んできたのが「諸大夫の間」。四位や五位の殿上人が殿上したときに入る部屋です。これと同じように、大臣や大納言、中納言といった上級貴族が殿上する部屋もあるようです。やはり位階によって殿上するお部屋も違うのですね。
紫宸殿の前の庭には、有名な「左近の桜」と「右近の橘」がありました。私たちが見ている方向からは、右に桜が、左に橘が見えます。なので「右近の桜 左近の橘」と勘違いしてしまう人もいるようです。これはあくまでも天皇から見ての「左」と「右」なので、私たちから見ると逆の方向になってしまうのですよね。
それにしても、「左近の桜」がきれいでした。
あと、私にとっての収穫は、清涼殿にて、「手長、足長の絵」を見ることができたことです。視力の弱い私にははっきり見えませんでしたけれど、「ああ、あそこにあの恐ろしい生き物の絵が描いてあるのだわ!」という雰囲気を味わうことができたのは幸せでした。
手長、足長の絵については、「枕草子」21段(本によっては20段となっているものもあります)「清涼殿の丑寅のすみ」に出てきます。
「清涼殿の丑寅のすみにある「荒海の障子」には、手長、足長といった恐ろしい生き物の絵が描いてある。弘徽殿の上の御局の戸を開けると、いつもその恐ろしい生き物の絵が目に入ってくる。怖いと思いながら何となく面白く見ているときもある。」と清少納言は書いています。
「枕草子」に出てくるこの「荒海の障子」に描かれている絵は巨勢金岡という絵師が描いたものだそうです。丑寅というと鬼門ですから、こういった恐ろしい生き物の絵を描くことによって、厄よけをしていたのでしょうね。
ちなみに弘徽殿は清涼殿のすぐ北側に位置していたということです。
それから少し歩いていくと、雅楽の雅やかな演奏が聞こえました。最近、雅楽に興味を持ち始めている私は心がはずみます。見ると人形が置いてあり、その人形が琵琶や笛などの楽器を持っています。どうやら雅楽演奏はテープだったようです。でもちょっと見ると雅楽演奏会のように見えなくもないですよね。
そこで、この場面を撮影した写真を載せてみました。ちょっとわかりにくいですが、楽器を持った人形が映っています。
このように京都御所を堪能した私です。「御所の中ってこんな風になっているんだ!」ということを大まかながらつかむことができたのは本当に幸せでした。どの建物も立派で感動しました。
ただ、あまりにも人が多すぎてちょっと疲れてしまったのが残念でした。とにかくみんなとはぐれては大変……と思いながら歩いていましたので…。やっぱり私は人混みの中は苦手なようです。今度京都御所を訪れるときは、宮内庁に申し込んでゆっくりと見学したいな……と思いました。
こうして御所の拝観を終え、宜秋門に戻ってきた私たちです。ここでなぎさんとお別れしました。なぎさん、二日間楽しい時間をありがとうございました。またいつか、京都を御一緒しましょうね。
私たち夫婦と里江さんと穴瀬さんはタクシーにて、紫式部のお墓に向かいます。今回の旅行の大きな目的の一つが紫式部のお墓参りなので楽しみです。
しかし、御所の中は築地塀で閉ざされていて、私たちは築地塀に囲まれた通路を歩いていくことに…。おまけに雨は降り出すし、廬山寺は改修工事中で入れないし…、と、さんざんなことになってしまいました。
そのようなわけで、京都御所は実質的には今日が初めてということになります。
今日は一般公開の日なので、築地塀が開かれ、豪華な建物が姿を見せています。まず目に飛び込んできたのが「諸大夫の間」。四位や五位の殿上人が殿上したときに入る部屋です。これと同じように、大臣や大納言、中納言といった上級貴族が殿上する部屋もあるようです。やはり位階によって殿上するお部屋も違うのですね。
紫宸殿の前の庭には、有名な「左近の桜」と「右近の橘」がありました。私たちが見ている方向からは、右に桜が、左に橘が見えます。なので「右近の桜 左近の橘」と勘違いしてしまう人もいるようです。これはあくまでも天皇から見ての「左」と「右」なので、私たちから見ると逆の方向になってしまうのですよね。
それにしても、「左近の桜」がきれいでした。
あと、私にとっての収穫は、清涼殿にて、「手長、足長の絵」を見ることができたことです。視力の弱い私にははっきり見えませんでしたけれど、「ああ、あそこにあの恐ろしい生き物の絵が描いてあるのだわ!」という雰囲気を味わうことができたのは幸せでした。
手長、足長の絵については、「枕草子」21段(本によっては20段となっているものもあります)「清涼殿の丑寅のすみ」に出てきます。
「清涼殿の丑寅のすみにある「荒海の障子」には、手長、足長といった恐ろしい生き物の絵が描いてある。弘徽殿の上の御局の戸を開けると、いつもその恐ろしい生き物の絵が目に入ってくる。怖いと思いながら何となく面白く見ているときもある。」と清少納言は書いています。
「枕草子」に出てくるこの「荒海の障子」に描かれている絵は巨勢金岡という絵師が描いたものだそうです。丑寅というと鬼門ですから、こういった恐ろしい生き物の絵を描くことによって、厄よけをしていたのでしょうね。
ちなみに弘徽殿は清涼殿のすぐ北側に位置していたということです。
それから少し歩いていくと、雅楽の雅やかな演奏が聞こえました。最近、雅楽に興味を持ち始めている私は心がはずみます。見ると人形が置いてあり、その人形が琵琶や笛などの楽器を持っています。どうやら雅楽演奏はテープだったようです。でもちょっと見ると雅楽演奏会のように見えなくもないですよね。
そこで、この場面を撮影した写真を載せてみました。ちょっとわかりにくいですが、楽器を持った人形が映っています。
このように京都御所を堪能した私です。「御所の中ってこんな風になっているんだ!」ということを大まかながらつかむことができたのは本当に幸せでした。どの建物も立派で感動しました。
ただ、あまりにも人が多すぎてちょっと疲れてしまったのが残念でした。とにかくみんなとはぐれては大変……と思いながら歩いていましたので…。やっぱり私は人混みの中は苦手なようです。今度京都御所を訪れるときは、宮内庁に申し込んでゆっくりと見学したいな……と思いました。
こうして御所の拝観を終え、宜秋門に戻ってきた私たちです。ここでなぎさんとお別れしました。なぎさん、二日間楽しい時間をありがとうございました。またいつか、京都を御一緒しましょうね。
私たち夫婦と里江さんと穴瀬さんはタクシーにて、紫式部のお墓に向かいます。今回の旅行の大きな目的の一つが紫式部のお墓参りなので楽しみです。