アブソリュート・エゴ・レビュー

書籍、映画、音楽、その他もろもろの極私的レビュー。未見の人の参考になればいいなあ。

緑の光線

2012-02-15 19:14:09 | 映画
『緑の光線』 エリック・ロメール監督   ☆☆☆☆

 再見。ロメール監督の映画はあまりたくさんは知らないものの、『パリのランデブー 』で興味を持って以来ぽつりぽつりと観ている。これまでの印象は、題材こそちゃらちゃらした恋愛遊戯でトレンディ・ドラマっぽいが、その人間心理の解剖と掘り下げは異常に鋭く、実はかなり残酷、というものだ。この映画も例外ではない。

 パリに住む独身のデルフィーヌは夏のバカンスをボーイフレンドからドタキャンされ、予定がなくなってしまう。一人寂しくパリで過ごすなんて耐えられない、と色んな人に声をかけ、またみんな同情して色々と誘ってくれるが、どれも今一つ気が乗らない。女友達と一緒に田舎に行くが途中で帰って来てしまうし、ボーイフレンドがいる山に一人で行くが惨めな気分になってトンボ帰りしてしまう。ナンパされても他の女の子みたいにうまく振舞えない。ああ、なんて駄目な私。シャイでネガティヴ思考のデルフィーヌは落ち込んで泣いてしまうこともしばしば。果たして彼女のバカンスはどんな結末を迎えるのか。

 あらすじを聞くとコミカルに思えるかも知れないが、実際に観るとかなり痛々しい映画である。デルフィーヌに共感できる女性だったら、いたたまれない気分になるんじゃないだろうか。

 彼女はルックス的には結構美人で、すてきな笑顔の持ち主なのに、どうも気難しいところがあって回りに溶け込めない。人の輪の中にいると妙に浮いてしまうのである。自分でもそれが分かっていて嫌なんだけれども、みんなと会話しているとついムキになってしまったりする。そして一人になると、自分が惨めに思えて泣いてしまう。そういう感覚は多分誰にでもあると思うが、デルフィーヌはちょっとそれが過剰で、観ていても「これじゃ友人も敬遠したくなるだろうな」と思えてくる。会話の中でいきなり泣き始めたりするし、少々情緒不安的気味だ。

 それに「すてきなバカンスを過ごしたい」という願望が強すぎて、それがまた彼女を追い詰める。すてきなバカンスを過ごさなくちゃというストレスで苦しくなるのである。まあこれも、大部分の現代人は覚えがあるだろう。最近、日本の学校じゃトイレの個室でランチを食べる人がいるらしいが、そういうのもデルフィーヌの痛みと関係がある気がする。

 特にスェーデン人の娘と一緒にナンパされる場面が痛々しい。友達ができてよかったなと思ってみていると、男が声をかけてくる。スェーデン娘は慣れた様子で楽しげに男たちの相手をする。ちゃらちゃらした、何の内容もない会話だ。デルフィーヌは会話に参加できない。会話は彼女をまったく無視して進む。しばらくしてスェーデン娘が彼女に会話を振るが、もういまさら無理だ。結局走ってその場から逃げ出すことになる。

 ああいう、場に溶け込めない感じは私も良く分かる。あれじゃデルフィーヌでなくとも逃げ出したくなる。空疎な会話に参加するのも苦痛、参加しないでその場から浮いてしまうのも苦痛、というジレンマだ。まあ、そんな場からはさっさと引き上げてしまうに限る。一人の方がよっぽど楽しい。

 こんな感じで、例によって苛立たしいエピソードが繰り返されるロメール作品だが、この映画では最後に救いがある。あの後デルフィーヌがどうなるのかは分からないが、ひとまずほっとして映画は終わる。だから後味は悪くない。

 ロメール作品はどれもそうだが、人々の会話がとても自然だ。自然発生的な会話をたまたまカメラを回して撮った、という感じがする。わざとらしさを極力排したドキュメンタリー的なタッチなので、ハリウッド的な娯楽映画を見慣れた目で見るとスリルが足りないように感じるかも知れないが、このおかげで登場人物の心理はより生々しく、リアルに伝わってくる。何だか見ていてつらい、という瞬間が結構ある。この、軽いシチュエーションと重たい心理の結びつきが、ロメール作品の醍醐味である。あんまりブルーじゃない時に観ましょう。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿