最寄の駅がバリアフリーのため改築されている。
バリアフリーは良いのだが、余りに味気ない建物になっている。
それまで地下通路があった。
片側の壁には、近くの小学校の生徒が描いた絵が展示されるようになっていて、
反対側はプラスチックのボードが貼ってあるだけ。
絵が展示されるほうもプラスチックのボードなのだが、
絵のある無いの違いなのだろう、
絵の無いほうはしょっちゅう壁が割られていた。
無機質な冷たさ、それを嫌ったのではないかと思っている。
今出来つつある駅舎も、完成していない事もあるのだが、冷たい、
人間味の感じられないものになっている。
バリアフリーとは、ただ単にエレベーターをつければ済む話しではないだろう。
人間味があってこそ、バリアフリーといえるのではないだろうか。
そういう意味では、以前のように階段につけられたリフトで
車椅子の人と駅員が顔見知りになり、いろいろ話しながら上り下りしているほうが
良かったのではないかとさえ思えてくる。
確かにお年寄りなどのことを考えるならば、エレベーターは必要なのだが。
何か便利になると、その反動で何か失われる、
そんなことは何も必要十分条件でもなんでもなくて、
失われないようにする事は出来るはずなのだ。
ただ単に考えていないだけなのだと思えてくる。
そんなことを考えていたら、無性に切符切りのはさみの音が懐かしくなってしまった。
あのリズミカルな音。
あの頃の駅舎は貧弱だったけれども、人間味に溢れていた。
どこが違うのだろう。
マニュアル通りビスや接着剤で壁を貼り合わせていくのと違い、
人の手で、手のひらで確かめながら作られたからだと思えるのだが。
バリアフリーは良いのだが、余りに味気ない建物になっている。
それまで地下通路があった。
片側の壁には、近くの小学校の生徒が描いた絵が展示されるようになっていて、
反対側はプラスチックのボードが貼ってあるだけ。
絵が展示されるほうもプラスチックのボードなのだが、
絵のある無いの違いなのだろう、
絵の無いほうはしょっちゅう壁が割られていた。
無機質な冷たさ、それを嫌ったのではないかと思っている。
今出来つつある駅舎も、完成していない事もあるのだが、冷たい、
人間味の感じられないものになっている。
バリアフリーとは、ただ単にエレベーターをつければ済む話しではないだろう。
人間味があってこそ、バリアフリーといえるのではないだろうか。
そういう意味では、以前のように階段につけられたリフトで
車椅子の人と駅員が顔見知りになり、いろいろ話しながら上り下りしているほうが
良かったのではないかとさえ思えてくる。
確かにお年寄りなどのことを考えるならば、エレベーターは必要なのだが。
何か便利になると、その反動で何か失われる、
そんなことは何も必要十分条件でもなんでもなくて、
失われないようにする事は出来るはずなのだ。
ただ単に考えていないだけなのだと思えてくる。
そんなことを考えていたら、無性に切符切りのはさみの音が懐かしくなってしまった。
あのリズミカルな音。
あの頃の駅舎は貧弱だったけれども、人間味に溢れていた。
どこが違うのだろう。
マニュアル通りビスや接着剤で壁を貼り合わせていくのと違い、
人の手で、手のひらで確かめながら作られたからだと思えるのだが。