江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

山本作兵衛

2011-09-30 23:45:06 | 日本の文化について
世界記憶遺産に登録されたという記事を読んで、初めてこの人を知った。
「炭鉱(ヤマ)に生きる」という画文集が復刊されたので講談社)、早速購入する。
炭鉱労働者であった山本作兵衛が、自身の経験を元に描いた絵。

子供のときから絵を描くことが好きだったという。
父親は川舟の船頭、石炭を運んでいた。
その頃は羽振りもよく、絵を描くことができたらしい。
ところが鉄道が開通すると仕事がなくなってしまい、仕方なくそれまで馬鹿に
していた炭鉱夫になるしかなかった。
ゆえに作者は、絵を描くこともできなくなり、子供のときから炭鉱で働き、
炭鉱を初期から終焉まで見届けてしまうことになる。
最後は廃坑になった炭鉱の夜警になる。

彼の絵は、例えば米騒動で警察や軍隊が来て力による弾圧があったり、
炭鉱夫同士の切った張ったの喧嘩を描いていたり、山の支配構造による
リンチの様子を描いたりしているのだが、どちらかに加担するような様子とか
恨みや怒りといった感情が、全く見えない。

夜警をしている間、たっぷりある時間を使って、自分の子や孫に、炭鉱が
どんな様子だったかを伝えようと、絵筆を持ったそうだ。
それは多分に、止むに止まれぬ気持ちだったのだろう。
それまで勤め上げてきた炭鉱が廃坑になったのだ。
静かなヤマ、
残された機械類が資産として売却されるまで、盗まれないように夜警をしている、
その時の気持ちを想像すると、私までもいたたまれなくなってしまう。
ヤマで一生を過ごした、ヤマの男なのだ。

彼は無産階級運動に入りたかったのだという。
ただ難聴だったのでは入れなかった。(その理由は、私には想像できなかった。)
だけど、無産階級運動に入らなかったので、この絵が残せたという。
入っていたら、きっと殺されていただろうから。

テレビで「ちゃんと勉強した絵が”芸術”ならば、この絵は”芸能”だ」と
言った人がいたが、聞くや否や私は
「そんな”芸術”、クソ喰らえ!」と怒鳴ってしまった。
こんな意識だから、外国が認めないと日本では認められない、そんな状況になるのだ。

彼は学校に行っていないので、借りた漢和辞典を全て書き写して
漢字を覚えたのだそうだ。
彼の書く字がまた丁寧で、彼の描く素朴な絵に、よく合っている。
彼の絵には、ヤマをいとおしむ気持ちが満ちている。
そのことが大切なのだと、絵は語っている。
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水道局

2011-09-28 23:42:06 | 日記
何でそう呼ばれていたのかは、わからない。

今からもう20年も前に聞いた話。
ある飲み屋では、警察と反社会組織の幹部が一緒に飲むときは、
その符丁で呼ばれていた、
というのだ。

その時はそんなこといくらもあることだろうと思っていた、が
先日タレントが社会から抹殺された。
しかも漏らしてはいけない捜査資料は、公になってしまっている。
各都道府県で条例が施行され、大々的に宣伝されている中、
生贄にされた感じがしてならない。

地元に絶大なる力を持っている議員なら、その後援会には必ずといっていいほど
会社を名乗ってその手の人はいるだろう。
そして警察。
20年経ったからといって、体質はそんなに変わるものではないだろう。
だとしたら、取り締まる人間がこれだから、あとは押して知るべし、か。
法の下に人は皆平等とは、憲法の精神だが、
世の中余りにも不公平である。

なぜ彼がターゲットになったのだろう。
そしてなぜ、誰も捜査資料が漏れたことを問題にしないのだろう。

世の中不思議なことばかりである。
きっと何か大きな駆け引きが、目に見えないところで行われているのだろう。
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10月のスケジュール

2011-09-27 23:10:41 | スケジュール
ここには一般の方がご覧になれるものを紹介しています。

10月9日(日) 上野・下町風俗資料館 大道芸
 時間:12時~14時

10月15日、16日 大須大道町人祭(名古屋市中区大須町)
 15日(土)
  13:20~14:00 浅間神社
  15:20~16:00 チェザリ前
  17:20~18:00 浅間神社
 16日(日)
  11:40~12:20 浅間神社
  13:40~14:20 浅間神社
  15:40~16:20 チェザリ前

10月22日(土) ヘブンアーティストTOKYO(上野公園)
  12:30~13:00 小松宮像前
  14:00~14:30 グリーンパーク

10月27日(木) くしもとLIVE
 場所:三重県松阪市嬉野中川町822-5 くしもと整形外科医院
 時間:10時半開演
 問合せ:059-848-2222
 
 当医院の患者さんが中心ですが、お近くでご興味のある方はお問合せ下さい。
 他の出演者は、漫談の荒木おさむ、マジックのドリームプリンです。

10月29日、30日(日) ゆめ一座による仙台での大道芸
 輪になって集まろっ! 大道芸で東北を応援
 これをキャッチフレーズに、大道芸人が集まって「ゆめ一座」を結成。
 これまで何回かに渡って被災地の避難所の慰問公演を実施。
 (残念ながら私たちはまだ参加できていませんが・・)
 全て自腹を切ってのボランティア公演だったのですが、
 今回はスポンサーが付いたようです。
 芸人は、実力者揃い。
 ですが、まだ詳細は分かりません。
 分かり次第お知らせします。
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9月24日 大道芸日和

2011-09-26 23:42:51 | 日記
久しぶりの房総のむら。

快晴。
爽やかの一言に尽きる。

当日になって全体のスケジュールに変更が生じ、
私たちの2回目は2時半から3時になってしまった。
3時過ぎに成田行きのバスが出るので、
もしかしたら見たいと思っていて、見られなかった方もいたかもしれない。
その人には申し訳ないが、
人形を遣っていて、気持ちよかった。

まさしく大道芸日和だった。
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伝統を守るとは

2011-09-22 23:12:02 | 日本の文化について
「一刀一絵」という本を読む。(ポプラ社刊)
著者は立原位貫。
彼は浮世絵の版画に魅せられ、独学で彫りや刷りなどを覚え、
江戸時代にその版画が摺られた、その状態の復刻版に挑戦する。
この本は、彼の半生記になっている。

彼は国貞が好きで、その版画を模倣していた。
ところが原画に比べると、何かが違う。
まずは版木を求める。
当時は山桜。
ところが山桜の版木を作っているところは、東京に1件しか知らない。
彼は素人だから、店は相手にしない。
四日市から足繁く通って、やっと手に入れられるようになる。
この版木を削るには、相当高度な鉋の技術が求められるのだそうだ。

次に求めたのは紙。
当時のような紙を漉ける人は、実はもう少ない。
しかも調べているうちに、紙質が時代と共に変化している事に気付いた。
江戸時代も後半になると大量生産、大量消費の時代になり、
紙は薄くなり、質も粗いものになるそうだ。

そしてバレン。
上質のバレンを求めて、廃業した摺師の元に通い、頑固な職人から何とか1つ
貰い受ける事ができた。
使い勝手が全然違うのだそうである。

最後に求めたのは顔料。
紅と藍には手こずったそうである。
紅の色が分からず、東京の摺師に聞いたそうである。
すると「そこいらにあるよ」と言われたそうである。
今は洋紅を使っていて、画材店にいけば簡単に手に入る。
つまり江戸時代のような紅は使っていないとのこと。
江戸時代の顔料は天然のものを使っているから、
摺った瞬間から退色、変色が始まるのだそうだ。
ところが洋紅は化学製品を使うから、色自体が違うし、退色、変色が少ない。
そこで化粧用の紅を作っている日本で唯一の店に行く、が、相手にしてくれない。
仕方ないので紅を買い、自分で紅花から抽出したものと混ぜていろいろ工夫するが、
上手くいかない。
紅の作り方を教えてもらおうとするが、そこは伝統、門外不出なのだ。
余りに熱心なので、やっと版画用の紅作りに協力してくれる。
しかし完成まで、何年もかかってしまったそうだ。

そして最後に藍。
顔料の藍は、藍染の着物を煮出して作るのだそうだ。
ところが今の藍染の着物は、例え「本藍染」と銘打っていても、インディゴが
混じっているのだそうだ。

藍は難しいらしい。
毎年喜多方で会場になるところは、藍染をしているところなのだが、
今年は何故か藍の温度が高くなって、染まらなかったと言われた。


復刻版ばかりやっているうちに、創作したくなったそうである。
しばらく創作に打ち込み、依頼された復刻に向かったとき、
彫りの技術が甘くなっていたそうだ。
この話しに私は、妙に納得してしまった。

しかし伝統とは何だろうかと、この本を読んで思ってしまった。
よく伝統を守ってくださいと言われる。
しかし現実には、個人で「守る」ことは不可能に近い。
しかも全ての分野に対して技術的に、そして多分精神的にも
相当”退化”しているのだろう。
例えば文楽、土門拳の写真集を見ると、人形遣いの顔つきが
今の人のと全然違っているのが分かる。
きっと他のものも、押して知るべしなのだと思ってしまう。

しかし”伝統”の世界に少しでもいたから身に付けることのできた強い技術がある。
今はそれを少しでも極みに近づけるように、
そしてそれを少しでも多くの人に感じて、楽しんでもらえるようにすれば
また次につながるのではないかと、思っている。
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