江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

益田の糸あやつり 手

2010-02-24 23:29:57 | 人形について
益田の人形の手は、皆文楽と同じように握る事が出来るようになっている。
そして手の甲を上に向けるように糸を付けるようになっている。
私たちのは、手の甲を横に向けるのが、基本になっている。

保持者会の人たちは、皆遣いづらいと言う。
そうだろうと思う。
私でも両手を別々に握ったり開いたりする事はできない。
仮に片手だけそのように遣ったとして、芝居にどれほどの効果を挙げることができるだろう
疑問に感ずる。
逆にそのことに気を遣いすぎる事で、細かさや豊かさが欠けていったのではないか
仕掛けに懲り、こだわりすぎると、肝心の芝居がおろそかになってしまうものなのだ。
私は、仕掛けというものはひとつの芝居に一つぐらいで良いとさえ思っている。

そう思って手を直していったら、皆遣いやすいと喜んでいた。
なによりだ。
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益田の糸あやつり 腕

2010-02-23 23:27:03 | 人形について
写真が悪くて大変申し訳ない。
この仕掛けを見たとき、正直「?」だった。
腕がひじのところで2方向に曲がるように作られている。
その必要性を考えたが、全く思い当たらない。
実際に遣ってみると、この構造ゆえ思うように動かないところもある。
全ての人形の腕がこの構造になっている。
このあたり、相当にからくりを意識しているといっていいように思う。
意識しすぎて考え落ちになっているのかもしれない。

構造の良し悪しは別にして、糸操りの歴史を考えるのに良い資料になっている。
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「江戸の旅日記」を読む

2010-02-22 22:55:11 | 劇評・他
4年前に買ったこの本を、ずっと積読(つんどく)していた。
著者はヘルベルト・プルチョウ。スイスの人だという。
買ったのは良いけれど、江戸時代に来た外国人の日本旅行記かと勘違いしていた。
江戸時代の日本人による様々な旅行記を元に、当時の日本や日本人の様子を分析している。
そして日本には、西洋に劣らぬ博物学(本草学)があり、アイヌや東北の文化を客観的に
捉え尊重する事が出来、それを支えるだけのしっかりした個人主義があったのだという。
その辺の詳しい話は読んでいただくとして、私がもっとも興味を抱いたのは
富本繁太夫という旅芸人の話だった。
江戸の富本節の太夫ということだが、借金を作って江戸に居られなくなり、鎌倉あたりに
移るが借金取りに追われ、東北に逃れる。大当たりするときもあるが喰うに喰われず
泥棒を働く事も2度書いてあるという。女のことも細かく書いていて、何故人に話せない
ような恥ずかしい事まで書いてあるのか分からないと著者は言う。
でも学者先生だから分からないのであって、芸人ならすぐ分かる事。
これはネタ帳なのだ。
芸の肥やしにしようと記録したものに違いない。
方言を細かく記録しているとあるが、これも各地で受けるため、各地の方言を一生懸命
遣おうとしていたのだ。
「筆満可勢(ふでまかせ)」という本だそうだが、読んでみたくなった。
それにしても泥棒までしていたとは。
何か身につまされる話である。

集英社新書
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郷土の森狂想曲

2010-02-22 01:21:27 | 日記
ともかく悪いのは私。
ポータブルのMDプレーヤーを忘れてしまったのだから。
郷土の森に着き、担当者と打合せも終わり、ゆっくりと昼食をとって現場に向かう。
この博物館はとても協力的。
館内放送で知らせてくれた。
現場に着いていざ荷物を拡げようとして、忘れ物に気付いた。
電源さえ取れれば、室内用の音響一式が使える。
すぐに事務所に戻り、電源の取れるところに場所を変更できないか相談する。
なんと幸いなことにそこにあったラジカセにMDが付いていた。
延長コードを持って現場に担当者が来てくれた。
が、今日はお客さんが余りにも多かった。
コードも短い上延ばすのは危ないと場所を変更する事にし、なんと館内放送まで。
新しいところでは、なんとやはりコードが足りない。
私は車まで走る。
コードを持って戻り、やっとラジカセにMDを入れると
起動しない。
なんと壊れていたのだ。
私は車まで走る。
アンプとミキサー、プレーヤーを持って戻る。
接続してこれなら大丈夫、さあ音を出して・・・・
出ない。
よく見るとミキサーに電気が来ていない。
コードのドラムには4口付いている。
もう一つに付け直しても、電気は来ない。
アンプとプレーヤーには来ている。
2口死んでいるのだ。
タコを車から持ってくるか。
最善の方法を探して、いろんなことが頭をめぐる。
いやいや落ち着け、ミキサーを通さなければ済むのだ。
音が出た瞬間、お客さんから拍手。
40分遅れでスタート。
この回の大道芸は大いに盛り上がった。

今日のような〈自主的な〉大道芸は、普通4回ほど遣う。
ところが2回目を始める頃にはすっかり陰ってしまい、一気に寒くなってしまった。
お客さんも半分くらいになってしまい〈250人ほどはいたと担当者に言われたのだが〉
相当寒そうにしていたこともあって、引き上げる事にした。
最もお天気の良いとき、私は走り回っていた。

自主的に出ている大道芸といっても、館長さん始め多くの博物館の人に迷惑を
かけてしまった。
次回は3月7日の予定。
くれぐれも忘れ物の無い様にしなければ。
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益田の糸あやつり 4日目

2010-02-21 00:03:40 | 日記
4時に起きて10時過ぎには会場入り。
今日は獅子の人形を直す。
「ホロ」という獅子にかぶせてある布には、糸を通す穴がハトメで開けてある。
どの糸をどのハトメに通すか、数が多すぎてよくわからない。
手板に付いている「バカ」と呼ばれる糸を結びつける紐の位置や中の人形の
様子から判断しようとするのだが、余りに自分の人形と違うので悩んでしまった。
また残念な事に随分痛んでいる。
時間に制約があるので、ともかく遣える状態にする。

閑話休題
獅子の手板や体の中に、仕掛けの名残が幾つかある。
昔の人はこの仕掛けを遣って、何を動かしたのだろうか。
いろいろ探ってみたが全く分からなかった。
でもこの探っている時間が楽しい。

出演者が、立ち回りの刀はどう使えばよいか尋ねてくる。
「返しの糸」を付けて、こう遣うのだと見本を見せる。
ところが刀が重過ぎる。
「もうちょっと短くして、しかも細身にしたほうが良い」と伝えると、
なんと見学に来ていた館長が修理を買って出る。
何か凄い事になってきた。

そして稽古。
この稽古で3月28日の発表会に出す演目全てに演出を付けたことになる。
途中私は相当疲れた顔をしていたのだろう、「もう稽古をやめたほうが良いのでは」
といってくれた人も居たが、残りのスケジュールを考えると余り時間に余裕が無いし、
見ると次のシーンに出る人たちが、人形を持って待っている。
しかも入ったばかりの若い人たちだ。
結局稽古が終わったのは10時、
私は12時間も続けて人形を直し、稽古を付けたことになった。
前から芝居を見て演出をし、足場に上がって人形の遣い方を教え、
何回足場を上がったり下りたりしただろう。
でも、皆熱心なのだ。
手板を持つのも覚束ないような人たちだったのが、だんだん見せられるようになって
来た。
それが嬉しい。
「芝居はへたでも、何を伝えたいかちゃんと意識していれば、観客には伝わる」
という師匠の言葉が、私を支えている。
「語りを聞いて」
とは言うものの、聞けないのは私自身が経験済み。
1週間前に教えたことを忘れている事も織り込み済み。
間違えて覚えている事も承知。
でも最後に、人形を遣って楽しかったと思ってもらえたら、保持者会にとって次に
つながるのではないかと思っている。

翌日うちに帰ってくると、ほとんどへろへろになっている。
でも頭の中では問題点を整理し、次にどうしようかと考えている。
どうやら私は、はまってしまったらしい。
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