江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

2024-06-05 00:23:08 | 日本の文化について
4月下旬、静岡に行ったときのこと
照明をつくるときに時間が空いたので
別会場でやっていた赤池艸硲展を見た。
書の可能性を感じる刺激の多い展覧会だった。

書と言うと、文字を書くだけと思っていたが、
彼の場合
1本の細くかすれた線を、伸びたウナギのように描いたり
黒々とした線で楕円状に一気に書いたり
それが30号ほどの大きさの紙に
程よく書かれている。
紙の大きさという制約がありながら
自由でもあり、緊張感もある。
チラシに写真が載っているが、
書の持っている空間が写真には出ていない。
実に良い気が身体に入ってくる感じだった。
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思い、軽い

2024-05-22 20:27:31 | 日本の文化について
最近太ってしまって、
という話ではない。
声の話である。

先日楽屋で三遊亭兼好師匠と話をしているとき
師匠とご一緒するのが久しぶりだったので
「師匠、体形が変わりませんね」と言うと
「太りたいのだけれども、太らないんだよね」とのご返事。
なぜ太らないかの話は置いておいて、
なぜ太りたいのか、という話。
太ると声が”重く”なり、遠くまでよく届くのだと
師匠は言う。
この感覚は落語家ならではの言い方なのだろうか、
私が育ってきた中で聞いたことがなかったので、
とても興味を持った。
そこで設けていただいた打ち上げの席で、
もう一度尋ねてみた。

これは感覚の問題なので、残念ながら文字に表すことは難しい。
声が大きいか小さいかの問題ではない。
声が観客にどのように届くかの感覚なのだ。

「静かな演劇」が世の主流になる中で
声を作っていくことを、役者がしなくなったように思う。
かつて声の渋い役者がいて、私は好きだったのだが、
実は演出家に”いじめられて”声をつぶしたのだとか。
こうなると、今はパワハラでたたかれるのだろうけれども、
厳しさは必要だと思っている。
おのれに対して厳しくなるとしても、
目標となる師匠なり、先生なり、スターなりがいないと
どうすればおのれに厳しくなれるのかすら
分からないだろう。
村上隆という画家は、
前にファスナーが付いたジャケットを着てきた弟子を
厳しく𠮟責していた。
ファスナーが絵を傷つけるだろうと。
ダルビッシュにしても大谷翔平にしても
自己管理は相当厳しくしている。
それにしても、コーチのちょっとした一言が
きっかけだったりする。

話しが逸れてしまった。

最近腹の周りがぼてぼてしてきた。
2~3キロ痩せたいと思っていたが、
どうしようかと迷っている。
何故なら先日の神楽坂で、
声を褒められたばかりだから。
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誰もができる

2023-03-20 00:45:32 | 日本の文化について
先日出演したロックコンサート、
おじさん、おばさんが元気で面白かった。

若い人はどいう音楽をやっているのだろう。
いまだにラップ=ヒップ・ホップなのだろうか。
私が初めてラップという音楽を聴いたのは、
1980年代後半だった。
あれから40年、
今じゃ世界中にラップミュージシャンがいる。

昨年の喜之助フェスタ、
出演者が集まってお酒を飲んでいるとき、
ふと気づいた。
全員それなりに実績を積んだベテランばかりではないか。
それを言うと、一人が
「若い人がやらないんだよ」

何故なんだろう、
それは人形劇に魅力を感じなくなったからなのだろうと思う。
その理由は、
誰もができることに由来しているのではないか、
そう思うようになった。

ある年のいいだ人形劇フェスタ、
ジョイント公演の相手が小さな机の上で、
市販のフィギュアと思しき人形たちを遣って
何か物語をしていた。
私には、
子供が、自分の持っている人形で物語を遊んでいる姿に映った。

動画やアニメも、素人が作れるソフトができている。
ただアニメなどと人形劇の違いは、
アニメなどのほうが稼げることだ。
この差は大きい。
ほとんどの人形劇団は、対象を子供たちに絞り、
固定化してしまっている。
これは現代人形劇がたどった必然なのかもしれないが、
発想を変える時期に来ているように思える。
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そして

2022-11-09 01:57:31 | 日本の文化について
そして私は、出会ってしまった。

藤戸の作品を堪能した後、店内をいろいろ見て回っていると
ふと目に留まった作品があった。
オオカミだ。
何年か前に旭山動物園に行った時、
オオカミがまだ集団をなしていて、
ボスは集団を引き連れ岩場を行ったり来たり、
ボスの威厳、野生の目の鋭さに惹かれてしまい
ずっと見入ってしまった。
子どものときに読んだ小説に、
子どもへのクリスマスプレゼントに、
オオカミを盗むというのがあった。
それ以来オオカミが気になっている。

そのオオカミの彫り物が目の前にある。
いい顔をしている。



欲しい。
しかし待てよ、どこに飾るんだ?
今は断捨離を始めているではないか。

値段を見る。
まぁちょっとした値段だ。
でも製作日数から考えると、安い物だろう。
などと躊躇していると、
後ろから背中を押す人がいる。
かみさんだ。
「欲しいんだったら買っちゃいな」
あぁ、その一言で私はクレジットカードを出していた。



家に帰り玄関を守るように吊ると
これがいいんだ。

見る度私はニンマリしている。
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3人の彫刻家 そして

2022-11-07 01:33:06 | 日本の文化について
今はアイヌがブームなのだという。
トンコリ奏者のOKIさんも言っていた。
ゴールデンカムイの大ヒットのお陰もあるだろう。
ブームは、いずれ忘れられるだろう。
でもアイヌは、ブームで終わってはいけない。

私は旭川の出身だ。
学校の近くにアイヌコタンがあったはずなのに、
私はアイヌのことを何も知らなかった。
30年ほど前から私の中でアイヌがテーマとして持ち上がり
知人の協力もあって資料を集め、こつこつ読んでいたのだが、
ウポポイができるときのドキュメンタリーや
藤戸竹喜の展覧会に行ったことが引き金になって
先週実家の冬支度に帰った時、
思い切って阿寒湖を尋ねた。これが良かった。



藤戸が小熊と戯れている写真がある。
アイヌコタンに、何かその雰囲気、何か感じられないかと
しかももしかしたら藤戸の作品に出会えるかもしれない
そんな期待を持って向かい、途中木彫をしている人がいたから尋ねると
店を教えてくれた。
入ると目の前に展覧会で出会った作品がある。
つい私は興奮してお店の人に話しかけたら
その方は藤戸の奥さんだった。
以前は一般に公開していたけれども
いたずらされたので、今は止めているのだという。
でも私の興奮が伝わったのであろうか、
あなたたちならと、見せてもらえた。




ああ、展覧会で出会った木彫たち、
展覧会場は距離を置かなければならないのに、
ここでは好きな距離で見られる!
益々テンションは上がる。
するとそこからほど近いところの鶴雅ホテルでも展示されていると
教えてくれた。
行くと結構の数が展示されている。
そしてそこに、彼が最も得意としていた熊が数点展示されていた。
展覧会では、木彫にもかかわらず毛並みの感じがリアルで
触ってみたい欲望を押さえるのに苦労したが、
このホテルには、さえぎるものは何もない!
思わず熊の背中に手を置いていた。



藤戸が彫り進めていくときの感触が伝わってくればと思ったのだが、
凡人の悲しさか、それは何もなかった。
ただただ充足感に満たされていた。

その展示場に行く手前に、滝口政満の作品があった。
彼は3歳の時に聴覚を失い、聾学校で木彫と出会い
阿寒湖に移り住んでいる。
彼は風をテーマに多数作品を残している。
見ていると、彼が皮膚で感じる風を描写したような作品だ。
写真に撮ると、どうもちんけになってしまう。



藤戸と同時期に砂澤ビッキという彫刻家がいた。
旭川の出身で、カナダに留学し、先住民族から刺激を受け
帰国後あちらこちらにトーテムポールを作る。



何の施しもしていないから、朽ちていく。
彼はそういうことを尊重し、今では残っていない作品も多いと聞く。
見てみたいと思っていた。
それが旭川の川村カ子トアイヌ記念館を訪ね
僅かだが展示されているのに気付いた。
面白い。

3人の作家それぞれに特徴があり、
それぞれが生きているのである。
大満足した。

そして
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