江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

11月28日 小石川後楽園

2010-11-30 23:01:48 | 日記
ここのところ毎年紅葉まつりに呼んでもらっている。
いつもは寒いのだが、今年は特別なのだろう、
これ以上ないほどの好天に恵まれ、しかも暖かい。
久しぶりに園内を歩く。
実にもみじが見事だった。
写真は、控室になった涵徳亭の前にあるもみじ。

これだけ条件がそろうと人出は多いし、人形に対する反応も柔らかく豊かだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

禁煙の弊害

2010-11-23 21:36:01 | 日記
私はタバコをやめてもう20年になる。
吸っていた時は、毎年2月になると扁桃腺を腫らし熱を出していたが、
やめてからは一度もそうなった事がない。
ところが、良い事ばかりじゃないのではないかと思うようになってきた。

タバコを吸っているとき何人か使って舞台の仕込をしていると、
必ず1時間に一度は軽く休憩を取るようにしていた。
それはもちろんタバコを吸うためだったのだが、
他の人にも丁度良い休憩になっていた。
ところがタバコをやめてからは、私は体力があるだけに休憩を取らずに
ぶっ続けに仕事をするようになってしまった。

私個人は良いとして、一緒に行動する人に
休憩を取っていたときに生まれていたリズムがなくなり、
もしかしたらズルズルと仕事を続けるてはいないか。

そう思って世の中を見ると、ヒステリックとも思える禁煙キャンペーンが始まって以来
世の中の動きにリズムがなくなってきたような気がしてきた。
かと言っていまさらタバコを吸う気は、さらさらない。
リズムはそれぞれが意識して作り出すしかないのかもしれないが、
せめてあの教条主義的ともヒステリックとも取れる禁煙キャンペーンを
もっと穏やかなものにして欲しいと、思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

着物

2010-11-21 22:26:42 | 日本の文化について
11月21日はひたちなか市のおやこ劇場での公演。
私たちにあわせて着物を着ようと声を掛けたそうで、
中学生が4人と、大人が何人か着物姿だった。
そして最初の挨拶の中で「着物を着慣れましょう」と呼びかけていた。
これはいいことだ。
習うより慣れろ、とよく言われる。

先日ホテルニューオータニで仕事があったとき、
控え室から中庭が見えた。
そこに和服姿の外国人女性。
その後から日本人女性がやはり和服姿で現れたが、
なんと仕草が自然だったのは外国人のほうだった。
見ていると、相当に和服が好きらしい。
慣れるとどんな体型でも着こなせるし、仕草も身についてくるのだろう。

おやこ劇場の挨拶の中で、気になる話しがあった。
最近の子どもの中には、ススキを知らない子がいるという。
きっと親に全く関心がなく、会話に出てくることもないのだろう。
でも多分、これは不幸な事なのだと思う。
人間の感覚は、自然の中で研ぎ澄まされてきた。
文化はその感覚に支えられている。
もし自然を見ず、感じずに育つならば、何かとても大きなものが欠けたまま
大人になるのではないかと心配になってくる。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紅・黄葉

2010-11-21 00:31:13 | 日記
見事というしかない。
常磐道を走っていると、思わず声を上げてしまう。
今年は綺麗だと聞いてはいたが、
これほどの美しさとは思わなかった。

何年か前、同じような時期に車を走らせていて、
どこが錦の絨毯と言うのだろう
と思ったことがある。
くすんだ色ばかりで、とても錦とは言えない色合いだった。
今年は本当に素晴らしい。

色づいた木々を見ると、
当たり前の事だが、
実に様々な色があることに気付く。
多様であるがゆえに美しいのだ。

ふと人間社会を考える。
いろんな人間がいてこそ、いい社会じゃないかって。

23日は那須まで走る。
きっと楽しいドライブになるだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

喜劇

2010-11-19 22:55:34 | 日本の文化について
私は自分の芝居の中に、必ずどこかに「笑い」を求める。
それは芝居に対する考えがあってとか言うものではなく、
多分性(さが)なのだろう。

「笑い」は難しい。
昨日受けたからって今日も受けるとは限らない。
狙ったのに滑ってしまったときのなんともいえない空白の感覚は、
時に取り返しの付かないほどの落ち込みになることもあった。
流石にこの年齢になると、何でもありと思っているからそういうこともなくなったが
どれだけうまくフォローするかが大切なので、感覚を張り詰めている事には
変わりがない。

私はこの「笑い」の勉強に、よく浅草21世紀に行く。
何を勉強しに行くかという事は、丸で無い。
ともかく「見て覚える」は、若いときと同じ。
どんなに些細な事でも「これは」と思うものがあれば、乞食袋に入れる。
そして何より大切なのは、楽屋での会話。
ここの楽屋には「空気」がある。

それにしても、喜劇が危ない。
どんどん名優が鬼籍に入っていく。
そして若い人はやらない。
ここ浅草21世紀に入ってくる若い人も
喜劇役者というより普通の役者を目指している人が多いと聞く。
でも喜劇役者はシリアスな芝居もうまいが、
私の知っている普通の役者に喜劇のできる人は少ない。

今の時代、なかなかネタに困る。
今の政権にやっと失言が出たのでホッとしているが、一時期以前の政権のような
ネタになることがなくて本当に困った。
政治ネタ以外にブラックユーモアを考える事もあるが、差別や不謹慎と受取られ
かねず、"自主規制"する場合がある。
馬鹿なことをやったりしているが、少しばかり頭は使うのだ。

東西の喜劇人を集めた日本喜劇人協会というのがある。
そこがこの度初めて機関誌を出した。
冒頭の特集が、「喜劇を絶えさぬ想いを語る」という座談会。
語っているのは左とん平、橋達也、一谷伸江、山村紅葉。
かなりの危機感が伝わってくる。
でも世の中から低く見られているのだ、「笑い」は。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする