関西公演ツアーから帰ってきました。
ボリビア・ペルー公演で「瞼の母」を上演すると
喜之助フェスの実行委員長に伝えましたら、
自分のところでもやってくれないかということになり、
ならば丹波篠山の一会庵と長島愛生園でもと欲を出し
廻ってきました。
しかも、相手役の大上こうじとめだちけん一のユニット
コント・フリーパーのコントも
一会庵と愛生園、そして喜之助フェスの最終公演の時と
やったのですから、
観客の芝居への入りがより自然となり、
皆さん大喜び、
「声を出して笑ったのは久しぶり!」
という声までいただきました。
この「瞼の母」は、2014年のブラジル公演、
そして今年のボリビア・ペルー公演を通して、
随分練り込まれ、熟成したようです。
実は”おはま”の解釈が変わったことも大きかったかもしれません。
”おはま―忠太郎”のシーンを
小さな子供たちまでもがしーんと見入っていました。
「ウルウルしてしまったよ」
と言ってくれたのは年配の男性。
このシーンが締まったことで
その後の人形でなければできない立ち回りが
より盛り上がったのかもしれません。
愛生園では涙を流しながら笑っていた人もいたそうです。
有難いことです。
もっと多くの人に見てもらいたい、
切に思っています。
ボリビア・ペルー公演で「瞼の母」を上演すると
喜之助フェスの実行委員長に伝えましたら、
自分のところでもやってくれないかということになり、
ならば丹波篠山の一会庵と長島愛生園でもと欲を出し
廻ってきました。
しかも、相手役の大上こうじとめだちけん一のユニット
コント・フリーパーのコントも
一会庵と愛生園、そして喜之助フェスの最終公演の時と
やったのですから、
観客の芝居への入りがより自然となり、
皆さん大喜び、
「声を出して笑ったのは久しぶり!」
という声までいただきました。
この「瞼の母」は、2014年のブラジル公演、
そして今年のボリビア・ペルー公演を通して、
随分練り込まれ、熟成したようです。
実は”おはま”の解釈が変わったことも大きかったかもしれません。
”おはま―忠太郎”のシーンを
小さな子供たちまでもがしーんと見入っていました。
「ウルウルしてしまったよ」
と言ってくれたのは年配の男性。
このシーンが締まったことで
その後の人形でなければできない立ち回りが
より盛り上がったのかもしれません。
愛生園では涙を流しながら笑っていた人もいたそうです。
有難いことです。
もっと多くの人に見てもらいたい、
切に思っています。