江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

飛鳥3 岡寺と飛鳥寺

2022-05-31 15:22:48 | 日記
飛鳥2とか、飛鳥3と書くと、まるで大型客船のようだ。

飛鳥の映像詩では、随分岡寺が映っていた。
それを見るまで私は、岡寺を知らなかった。



谷間に作られた寺と言ってよいのだろうか、
伽藍は余り大きくないが、
三重塔が本堂の向かい側の尾根に建っていて、
後で気づいたのだが、飛鳥寺から見えていた。



桜がほとんど終わっていて、緑が鮮やかだった。
きっと秋に来ると、紅葉が見事だろうと思われた。



飛鳥寺に回る。



こんなに小さな寺だとは、思わなかった。
何せここには大仏があるのだから。
横から見る。
いい顔をしている。思わずパチリ。



ふと下を見ると「撮影禁止」とある。
ううーっ、申し訳ない。

表に出ると、裏に蘇我入鹿の首塚があると書いてある。



なんか違和感を感じる。
もし平安時代以降なら、
入鹿のたたりを恐れて神社を建てていたかもしれない、
この時代にはそういう発想はなかったのだろう。

境内に戻ると、絵馬が目に付いた。



ここは音楽に関係するお寺なんだろうか。
ざっと調べた限りでは、分からなかった。

飛鳥寺で見かけた仏像
藤原時代の「深沙大将」
いい顔をしている。

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飛鳥 その2 石舞台

2022-05-25 00:02:31 | 日記
次に行ってみたかったのは、石舞台。
古墳の中に入れるので、入ってみた感じが知りたかった。



上っていくと、そこには写真でお馴染みの石舞台が。
近づいてみると、岩の隙間から中がのぞける。



ちょっと不思議な感じ。
中に入ってみる。
私と同じように中をのぞく人がいる。
のぞかれる感じって、ちょっと気持ち悪い。



岩の隙間から差し込んだ陽が、床に面白く映っている。
写真に撮ってみたが、実につまらない。



外に出て回りを見ると、
実は方形の基壇の上にできているのに気付いた。
なんとなく円形の上にあるものと思っていた。
そこに椅子に座った人がいたので、
もしかしたら何か知っている人かと思い声を掛けたら、
案内のボランティアの方だった。
実に親切に教えてくれた。

発掘する前は、周りに小さな古墳が7つあったのだそうだ。
全体像を知るためその小さな古墳は壊し、
出てきたのが方形の基壇だったのだそうだ。
ここは蘇我馬子の墓。
ここから見える谷あいのちょっと開けたところが、
大和朝廷のあったところだそうだ。

ここから九州は隼人を平定し、朝鮮半島まで出兵し
東は関東から福島辺りまで支配したのか。
”あづま”は”あ”の”つま”、つまりあっちの端
ならば反対があるはずで、考えたら”さ”の”つま”があった。
つまり薩摩。
そんなことを何かの本で読んだ。

また別の本によると、
ここから東に行くと三重県の亀山にぶつかるのだが、
そこに”関”という所がある。
まさしく関が設けられ、東からの守りになっていた、
この関の東が関東、西が関西となったのではないかと、あった。
地図のない時代に、空間、距離感をどのようにしてつかんだのだろうか。
ふしぎだ。
でも北海道のど真ん中で育った私には
なんとなくではあるが、
やっと大和朝廷のあった土地勘を持つことができた。

その後アーカイブスのテレビ番組で、
石舞台がどうやって作られたのかを実証するのを見た。
面白かった。
これも縁であろうか。
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大阪の帰り

2022-05-20 00:46:54 | 日記
大阪出口座の復活公演は、多分これが最後。
そう思うと自然に力の入るもの。
観客の反応が良かった。
そして意外な人たちが見に来てくれて、
二重に嬉しかった。
博物館の人も、評判が良くて喜んでいた。
なにより!

終わって記念撮影をしたのだが、
見てびっくり
余りにも草臥れた顔をしていて、
愕然としてしまった。



帰りは富山県に寄る。
立山連峰が雄大だ。
雪どけ水が豊かなのだろう、
水路を流れる水は早く、
轟音とまでは言わなくても
音を立てている様は、ちょっと恐ろしくなるほどだ。
ここは水がうまい。



富山の帰り、妙高を過ぎたあたりで夕焼けを見る。
何とも言えない美しさに見とれてしまう。
充実した1週間を締めくくるのにふさわし過ぎる光景だった。

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喜びと悲しみ

2022-05-10 21:43:50 | 日記
今日は何という日であろうか。
色々なことが重なった日であった。

喜びから言うと、ツバメが戻ってきたこと。
最寄りの駅に巣を作るのだが
糞を嫌う人がいるらしく、
次々巣は壊され、
暫く姿を見せなかった。
それが、昨日から我が家の前を飛び交っているのだ。
それも10羽くらい!
我が家ぎりぎりに身を翻して飛ぶさまは、
もう、見事! としか言えない。
どこに巣を作るのだろう、壊されなければよいのだが。
ツバメは幸を運ぶという。
無事子が巣立つことを祈っている。

今朝の新聞に、東家裏太郎さんが亡くなられたとあった。
体調を崩されていたことは知っていたが、
正月に浪曲協会の舞台に出たとき、
前日に顔を出したと聞いていた。
お世話になっただけに、残念だ。

そう、かみさんと話していたら、電話が鳴った。
かみさんが出て、一言かわした後、絶句。
近所に居て、私の修業時代、お互い暇だったこともあって
よく遊び、よく飲んでいた。
それがお互いに忙しくなり、
遊ぶことが無くなってしまったのだが、
道で会うと
「いやらしく忙しくしているの? また遊ぼうよ」
と声を掛けられていた。
遊べないまま、
2度と遊べなくなってしまった。
心が痛い。


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飛鳥

2022-05-06 00:48:22 | 日記
奈良に80歳になる友人がいる。
随分膝を悪くして、歩くのが難儀だとのこと。
もう滅多に会えなくなるだろうと思い、
大阪に出たついでに、奈良に寄ることにした。
ならば、何泊かして飛鳥に行こう。
NHKの深夜番組に「飛鳥」の映像があって
それが良かったこともあるが、
以前から山がご神体の大神神社(おおみわじんじゃ)に
行ってみたかったし、
平城京や平安京はどこにあったかは具体的にわかるのだが
大和朝廷はどんなところにあったのか、全く想像することができなくて、
1度は行ってみたいと思っていたからだ。

まずは大神神社。
三輪山がご神体なのは知っていたが、
行ってみると
遥拝殿が立派すぎて、ご神体が全く見えない。
素朴な神社を期待していただけに、ちょっと失望。

早々に若宮社に向かう。
そこに遥拝所と書かれたところがあったので覗いてみると
成程いにしえの人は、
このような感じで三輪山を拝んでいたのだと納得。



そこから久延彦神社(くえひこじんじゃ)に行くと、
大和三山が見える・・・
多分あれがそうだなぁ・・・
歌に詠まれた山々。
とすると、あの辺りが大和朝廷のあったところか。

もう少し足を延ばそうと狭井神社(さいじんじゃ)を目指す。
この日はとても風が強かった。
ところどころ桜が咲いていて、
まだ散るところが楽しめる、と思っていたら、
ワッと目の前に枝垂れ桜が一面に。
そこは展望台になっていて、枝垂れ桜の山になっていた。



桜吹雪なんてものじゃない。
強風にあおられ、花ごと飛んでくる。
地面には花がごろごろ。



でもまあ、見事だった。
これが見られただけでも来たかいがあったというもの。
桜越しに見る三輪山は、少し神々しかった。

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