2001年3月、パレスチナとイスラエル・アラブ地域を公演して回った私は
パレスチナへの思いは強い。
子どもたちが可愛かったのだ。
だからハマスがイスラエルを攻撃したことに絶句してしまった。
何があったのだ?
日本国内で入る情報以外で、
何かイスラエルが仕掛けたものがあったのだろうか。
人質を取ったとニュースが流れると
何やってんだ、と怒りすら覚えてしまった。
ハマスのガザ地区での支持率が下がっているから
との情報もあったけれども
そんなことでこういう悲惨な状況になることをするだろうか。
私が行ったときは、第2次インティファーダの最中、
ただイスラエルの首相に強硬派のシャロンが就いたばかりで、
お互い見合っていて、
ポコッと穴が開いたような平和な時だった。
最初の公演地ハイファでは、
イスラエル人とパレスチナ人共同の国際婦人デーが
催されていた。
公演予定地の入り口には戦車が封鎖していたのだが、
我々一行が行くとなぜか封鎖が解除されていて
すべての予定をこなすことができた。
行って初めてわかったことだが、
ユダヤ人と我々は言うが、
ユダヤ教徒を指すのであって
アラブ人の顔をした人もいれば、白人系の人もいる。
パレスチナ人の中にも白人系と見える人もいて、
私たちには区別がつかなかった。
ガザには行かなかった。
ともかくインティファーダの合間を縫っての強行軍である。
危険と思えることはともかく避けたのだ。
イスラエルのパレスチナ支配の特徴は、
ともかく生活できなくすること
これに尽きると思う。
難民キャンプを封鎖するときは、
建物の屋上にある給水塔を戦車の機関砲でぶち抜いてしまう。
ガザ地区では、3つある井戸をまず潰す。
そして収入源であるオリーブの木をブルドーザーでなぎ倒してしまう。
イスラエルには世界で最も優秀な諜報機関が3つあると聞く。
でも、と思う。
なんでハマスの1000人もの大部隊がすんなりと攻撃できたのだろうか。
諜報機関は何をしていたのだろう。
ハマスの中にきっと潜入しているだろうに。
侵攻の3日前に、エジプトからイスラエルに警告が伝えられていたとも聞く。
そしてそれまでまとめられなかった内閣を
侵攻後すぐに戦時挙国一致内閣が出来上がってしまう。
ホロコーストでなぜ600万人ものユダヤ人が虐殺されたのか、
シオニストやユダヤ教の長老の協力あったことが一因としてあるという。
ともかく停戦させねばならない。
このままだとガザ地区北部が
イスラエルの新たな入植地になってしまう。
すでに西岸地区はボロボロになってしまっている。
パレスチナから帰って半年間ほど
私のパソコンはウイルス攻撃にさらされた。