江戸糸あやつり人形

江戸時代から伝わる日本独自の糸あやつり人形。その魅力を広めるためブログを通して活動などを報告します。

果物

2014-12-30 11:25:42 | 2014ブラジル
これまでいくつか外国に行ったが、
果物の美味しさはブラジルが一番だと思う。
種類が豊富だし、何を食べても美味しい。

今回は、バナナを教わった。
日本だと台湾バナナかフィリピン産、
モンキーバナナぐらいしか思い浮かばないが、
ブラジルは豊富。

ともかくこれは美味しいからと勧められたのが
バナナ・マッサン
マッサンとはリンゴのことで、程よく酸味がある。
皮が黒ずみ出した方が味が増して、美味しくなっていく。

バナナ・オーロというのがある。
金のバナナという意味だ。
マッサンより小さくて、酸味がなく甘みたっぷり。

バナナ・プラッタというのは銀のバナナという意味。
これも美味しいらしい。

その他のバナナは、バナナ・ナニカと呼ばれる。
普通のバナナという意味らしい。

かつてイビウーナというところに行ったとき、
食べられないバナナを教えてもらった。
普通にバナナの房になっていたが、
皮をむくと中は空っぽ。
そんなのもあった。

アマゾンのほうだったと思うが、
バナナを潰して発酵させ、野菜を漬けこむと
糠漬けのようになったという。
これはまだ食べたことがない。
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巨大淡水魚

2014-12-28 01:10:28 | 2014ブラジル


ピラルクー、世界で最も大きい淡水魚だそうだ。
上の写真は、マナウスの市場で見たその頭。

12年前に行ったときは、
日本人研究家が建てた熱帯の昆虫・動物を集めた博物館があって、
そこの売り物が巨大水槽を泳ぐ4mのピラルクー。
水槽の脇に窓があって、泳ぐ姿を見ることができたのだが、
見えたその姿は、金色に見え
しかも頭には彫り物のような筋があって、
まるで龍のようだったのだ。



そしてその魚を3枚におろして干したのがこの写真。
まるで干しダラのよう。
実際キュウリにあえた酢の物を食べたのだが、
まさにそれと変わらず、なかなか美味しかった。
以前はフライを食べた。
最も美味しいと言われたが、
私はピラニアのほうが美味しかった。

今回アマゾン川のクルーズに連れて行ってもらったが、
その中に2mほどのピラルクーを釣って、
その引きを楽しむというのがあった。
釣竿は、まるで棍棒。
糸というよりひもが付いていて、
マイワシほどの魚を結びつけてある。
それを水面すれすれに揺らすと、
ピラルクーが集まってきて、
口を開ける。
ナマズのような口がいくつもあって、
それがえさの動きに合わせて揺れる。
獰猛さが伝わってきて、不気味なのだ。
その引きたるは、引きずり込まれそうになるほど、凄かった。

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ユバ農場

2014-12-25 00:36:15 | 2014ブラジル
ここはキリスト教の精神を支柱とした農業共同体。
生産活動の中から芸術活動も生み出していこうとし、
ユババレイ団は世界的にも有名。
他の日本人入植地とは一味違うところだ。

ここの劇場は手作り。
でも今回のツアーでは唯一の本格的な劇場なのだ。
客席の床は砂地。
写真はそこで遊ぶ子供たち。
周りは吹き抜け、
舞台の仕込みを昼間にやったが、照明は夜を待たなければならなかった。
しばらく舞台を使うことがなかったのか、
灯体の色ゼラに砂が溜まっている。
シューティングする前に一度灯体を下に向け、砂を下に落とす。
明かりが当たっているから、不思議な雰囲気だった。

舞台奥を黒い影がサッと斜めによぎっていく。
どうやら鳥が飛んだようだ。
時折、チッ、チッ、と鳴き声が聞こえる。
その鳥かと思ったら、虫の声だそうだ。
どれほどの大きさかと思ってしまう。
それほど大きな声だった。

翌日通し稽古をしたときは猛烈な暑さだったが、
さーっと夕立が降り、
20時の開演時には、結構涼しくなっていた。
南半球は夏、だから暑い、というわけではなかった。

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「感動」の似合うところ

2014-12-24 00:21:53 | 2014ブラジル


グァタパラ農事文化体育協会の事務所に入ると
小泉首相が「感動」と書いた色紙が飾られている。
そう、ここは彼はヘリコプターに乗り、
上空から視察するだけの予定だったのだが
地面に歓迎の文字を書き、
入植者全員で通過するのを出迎えていたら、
首相は感動して、強制着陸させ、降り立ったところ。

ここは第1回の日本人移民が入植したところのそばにある。
荒れたところを整理していたらお墓があって、
遺骨かぞろぞろ出てきた。
そこで「拓魂碑」を建て、遺骨をまとめて納めている。
私たちもお線香をあげ、手を合わせてきた。

ここは「感動」が似合うところだ。

ここも含めたサンパウロ州は、
今年3月から雨の降らない異常気象が続いていた。
断水しているところもあるという。
あまりに雨がないので、種蒔きを1か月遅らしていると言っていた。

ところが

公演中、母親おはまと忠太郎のせめぎ合い、
芝居が佳境に入ったところで雷が鳴りだし、
忠太郎の心を読んでいたかのように
雨が激しく降り出した。
余りにも合い過ぎていた。

芝居が終わって、ここの人たちは口々に言った。
「あんたたちが、雨を運んでくれた」
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各地それぞれの舞台

2014-12-22 22:38:48 | 2014ブラジル








ブラジル国内は7か所で公演。
それぞれ舞台の大きさも高さも、そして設備も違う。
各地の受け入れ団体は日系人協会。
それぞれ異なった事情を持っているがため、
一応最低限の希望は伝えていたが、
具体的にこうして欲しいとは言えない。

ある会場では舞台照明の会社を呼んでいたが、
公演終了後、その会社のチーフは怒っていた。
「協会は、予算は少ないけれどよろしく
としか言ってくれないから、最低限のものしか持ってこなかった。
でもこれだけの芝居だということがわかっていたら、
もっとやりようがあった」

私たちにすれば、この言葉だけでも嬉しいことだ。
私たちの芝居を認めてくれたことだから。
誤解を恐れずに言うならば、
今回は、公演の前後で受け入れて下さった方々の態度が一変した。
これほど高いレベルの舞台をやるとは思っていなかった、
そういう雰囲気だった。
だから各地とも「また同じメンバーで来てくれ」
日伯修好120周年の来年も来てくれ、とまで言われた。
最終公演地はほとんど日本語の通じないところだったが、
観客全員が立ち上がって拍手してくれた。
これが最後のブラジル公演と覚悟して出掛けたが、
その決意はすでにぐらついてしまっている。

舞台写真は上からトメアスー、グァタパラ、弓場農場、カウカイア・ド・アウト
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