A Day in The Life

主に映画、ゲーム、同人誌の感想などをコンクリートミキサーにかけてブチまけた、ここはいいトシしたおっさんのブログ。

無力感

2016-05-27 23:54:28 | 居合

 小説に関してはまだマシなものの、居合が全く楽しくないし好きが完全になくなってしまっている。
 このところ自宅での稽古をまったくする気にならない状態を打破しようと、10分だけでもと思い素振りの稽古をしてみたものの、そこから得られたのは無力感だけだった。
 「今更こんなことをして何になる?」という疑念や、非現実的なレベルの実力の向上を望む気持ち、そういったものが刀を握るだけで心の奥から際限なく湧いてくる。
 そうした感情をいったん無視して、とにかく行動本位でやっていく、というのは小説の方ではできつつあるものの、居合に関してはまったくと言っていいほどできない。
 それに、居合に関しては五段審査に落ちた時……というよりも、その時に他人から自分の苦痛に優劣を着けられた時のショックが未だに残っている。
 現在、まだ充分に、あるいは適切に落ち込むことができていない状態で次の行動に移ろうとしている状態なのかもしれない。
 強い人、正しい人は無責任に落ち込むことはいけないことだと言うがそんなものは強さ、正しさゆえの不感症から来るもので、大きな精神的ショックを受けた時には充分に落ち込むことがとても大切だ。
 正直なところ、自分の抱えたこうした問題を自分一人で解決することには限界を感じている。
 しかしそこで他人の手を借りるつもりは全くない。善意があろうが適切な知識がなければ他人は何の役にも立たないどころか事態を悪化させることはいやというほど学んだ。
 現状、書籍やサイトで学びつつ、12のステップを進めつつ、自分でも他人でもない第三の存在であるいわゆるハイヤーパワーを意識できるようになることを解決の糸口としているものの、なかなかうまくいかない。
 正直なところ居合に関しては辛くて仕方がない。いったん居合をやめて距離を置くという手段も考えるべきだと思う。
 現状楽しくもないことを無理やりやってるわけだからなあ。
 無理やりやることで楽しさや好きを取り戻せるわけもなし、どうしたものか。
 あとは現在通っている道場が合わなくなり始めているというのもある。
 先述の五段審査のこともあり、指導者に対しては居合の教科書としては使えても人間として信頼することはもうないので、そうした環境で居合を楽しむってことがすでにもう無理なのかもしれない。
 うまく割りきることができれば良いのかもしれないけど。
 それに、今までなんとか続けてきたことに間が空いてしまうと、そこから復帰できなくなってしまうかもしれないのが怖い。
 ……こういうことを思っている辺り、やはり内心では居合は続けたいと思ってはいるんだろうけど、この先は「今まで続けてきたんだからやめたらもったいない」だとか「教えてくれた先生方に申し訳ない」程度の動機付けでは次の10年は絶対に保たないと18年間続けてきた身としてははっきり感じる。
 今一度、自分以外の要素を取っ払って自分が居合を続ける理由というのを見なおしてみる必要がある。
 結局自分の道を歩むのは自分自身だし、進むことにも止めることにも他人を使うべきではないよな。
 こういう時に、自分というものの希薄さをありありと感じる。
 居合にかぎらず、「何かをしたい自分」というものすらはっきりと見えないと、自分の人間としての不具さを強く感じる。 本当に欠落、欠陥ばかりの人間だと思う。
 そうした欠落を居合で埋めたい、というのはあるかもしれないが、現状それすらもできないどころか欠落を広げられつつある。
 とにかく辛い。 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 例大祭新刊レビューその4 | トップ | 例大祭新刊レビューその5 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

居合」カテゴリの最新記事