崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

『近代〈日本意識〉の成立』

2012年03月16日 04時44分13秒 | エッセイ
 数日前発行した(2012/3/6本体7,500円+税)ヨーゼフ・クライナー 編『近代〈日本意識〉の成立』が昨日届いた。このように新しい印刷物を手にした時「インクの匂いがする」と以前はよく言われたものである。日本の民族学・人類学の歴史はほぼ植民地時代のものであり、植民地に関して長く議論できたことが大変勉強になったこと、クライナー先生、ベフ先生などと懐かしく昔の話を長くしたことを思い出す。この本と去年は山路勝彦編『日本の人類学』は近年の人類学の大成果であると言える。両方に参加することができて嬉しい。このたびは草稿から半分ほど減らさなければならなかったのが残念である。別稿にしたい。
 植民地時代に朝鮮で活躍した今村鞆、秋葉隆などの植民地主義を紹介して、それを戦後の時代、全く異なった社会状況で安易に非難することについての批評を試みた。本欄で繰り返して主張したように戦争時代のことを戦後の状況で非難するような言説自体を批判した。同時代の線上で本質的な批評をなすべきであるという教訓をこの論文で述べた。広く意見を聞きたい。
 出版社の内容説明:
「2011年に法政大学で開催されたシンポジウムの報告集。明治開国以降の日本における民俗学・民族学(人類学)の果たした役割をまとめた27本の論考を収録。執筆者は、在外研究者も含め、第一線で活躍する研究者ばかり。民俗学史・民族学史の第一級の研究者が勢揃いした詳細な1冊」

 
     目次
第一部 日本民族とは何か
 日本の民俗学・民族学─昭和一〇年代から四〇年代までの展開─(ヨーゼフ・クライナー)
 「日本」意識の多様性(ハルミ ベフ)
 日本の民俗学と民族(福田アジオ)
 博物館とアイデンテティ(近藤 雅樹)
第二部 植民地の多民族国家の民族学と民俗学
 朝鮮文人社会の知的伝統と民俗学(伊藤 亜人)
 日本民族学者の植民地朝鮮認識(崔 吉城)
 戒能通孝の「協同体」論 ―戦時の思索と学術論争―(清水 昭俊)
 日本統治下の台湾における民族学と馬淵東一(笠原 政治)
 台湾における民族考古学の系譜 ―鹿野忠雄と国分直一を中心に―(野林 厚志)
 京都大学ポナペ島調査と南洋群島(山本 真鳥)
 雑誌『民間伝承』の国際性(石井 正己)
 “モヤヒ”の風景 ―橋浦泰雄の組織論―(鶴見 太郎)
 柳宗悦の文化的連邦主義(相良 匡俊)
第三部 戦後のパラダイムと再編成
 民主主義の土台としての封建制度 ―『菊と刀』―(エミー ボロボイ)
 日本占領期の人類史 ―GHQの応用人類学―(中生 勝美)
 昭和二〇年代から三〇年代にかけての日本での社会調査を振り返って(ロナルド ドアー)
 英語圏日本研究におけるイエ・モデルの形成 ―日本の学者の見えざる貢献―(桑山 敬己)
 石田英一郎による、東京大学での総合人類学教育の構想と実践(川田 順造)
 石田英一郎先生のこと ―その日本文化研究―(杉山 晃一)
 東大文化人類学研究室「日本文化の地域性研究」プロジェクト ―昭和三五―四〇年―(長島 信弘)
 隠れた体験の投影 ─―石田英一郎の視点―(鶴見 太郎)
 『民族学研究』におけるアイヌ研究 ―終戦から昭和四〇年代まで―(山崎 幸治)
 日本の民族学・文化人類学における南西諸島研究の役割(ヨーゼフ・クライナー)
 戦後熊本における郷土史編纂活動 ―「熊本女子大学郷土文化研究所」を中心に―(大島 明秀)
 土居健郎の日本文化論(エミー ボロボイ)
 『文明の生態史観』を通じてみた梅棹忠夫の業績(ハルミ ベフ)


財団法人日韓文化交流基金より書籍寄贈

2012年03月15日 05時40分29秒 | エッセイ
昨日東京都港区の財団法人日韓文化交流基金(The Japan-Korea Cultural Foundation)から5000冊余が大型トラックで運送された。正門を開いて教職員数人が立会って歓迎した。新学期に向けての大きなプレゼント、さらに東アジア文化研究所の活動を催促するような原動力ともなったことに感謝である。分類して一目で全体が把握できるようにしたい。偉い学者は資料に埋もれている雰囲気になっている方もいらっしゃるが、私は中央に立ってすべてが見えるようにしていつでも探せるようにしたい。しかし図書館のように図書が中心ではなく、研究をする人と対話をし、本を参考するような人が中心になるようにしたい。それは日韓文化交流基金の精神と一脈通じる。
 日韓文化交流基金とは日韓両国における民間の文化交流を高め、相互理解と信頼関係を築くことを目的に1983年に設立された外務省認可の財団法人である。日韓・韓日合同学術会議の開催および日韓の知的分野における交流などに支援している。私は運営に関わる有識者会議でスピーチをしたことがある。日韓関係や韓国・朝鮮理解のための資料や情報を収集し、一般に情報を提供したが、このたびその図書を寄贈していただくことになったのである。これで東亜大学東アジア文化研究所はその図書、郷土史家の木村勘一郎文庫、原田環教授の寄贈、そして私の植民地関係書籍を含めて国内優秀な施設になったと言える。昨日下関市立博物館館長の古城氏が研究室に訪ねて来られた時連携して展示会でもいかがかと提案した。その資金作りにも協力してくれる動きもあり、大変嬉しく感謝に堪えない。 

私の講演が「今日のユーモアtoday houmor」に

2012年03月14日 05時48分45秒 | エッセイ
 ハングルヤフーで偶然に私が去る冬ソウルで「世界から見た韓国シャーマニズム」(国立民俗博物館)の講演をした内容が紹介されているので引用する。原文はハングルであり、次は翻訳ソフトによる文と写真である。

 著名な民俗学者によると、韓国シャーマニズムの特徴の一つは音楽の伴奏でリズミカルに行われ、跳舞、轟音とリズムでダンス、降神する。轟音と踊りが混乱を極める。騒がしいが神が降る貴重な時である。騒ぎとダンスの調和は、シャーマンにだけみられるものではない。その文化意識は現代韓国社会に生きている。青少年の音楽が轟音的であり、それがKポップ、カラーなどに受け継がれているのではないだろうか。
===
 K-POPがうるさいという意味で受け入れる方はないでしょうか?現在のK-POPが韓国シャーマニズムの伝統を引き続いており、その例として、カラーを参照して意味付けたことはカラーファンにとって多くの人々はもちろんのこと、一生シャーマニズムを研究した老学者にもカラーを知らしめている自体がうれしくてわくわくすることだ思う。

 「シャーマニズムから見た韓国人」を書きたくなった。

 

作家のなかにし礼氏食道癌

2012年03月13日 05時49分02秒 | エッセイ
 先日昼の時間のテレビで作家のなかにし礼さん(73)が食道がんであること「体調に異変を感じ、胃カメラ検査を受けたところ、食道癌が初期よりもう少し進んでいる状態であり、すべての仕事をキャンセルし、治療に専念すると「私事」を「他人事」のように冷静に語った。彼は旧満州からの帰還者であり、それをテーマにしてノンフィクションを書いた。藤原てい作「流れ星は生きている」以来「赤い月」などを出した引揚文学の代表的な作家である。世俗を知っていながらその上遠く離れたような紳士的な彼の姿とコメントが好きであった。彼は自分の重病でも堂々と向き合うような態度である。私は昨日歯科を訪ねた。その建物が外装工事中でモーターの音と私の歯を削る音が重なって自分が物体化されたことを感じ、なんとか中西さんの言葉を思い出して私の状況は大したものではないと慰めることができた。地震対策、私には重病対策をしなければならない。


日韓合同礼拝

2012年03月12日 05時19分14秒 | エッセイ
 昨日は全国的に大被災地と復興一色の雰囲気であった。私が出席している大韓基督教会では32回目の日韓合同礼拝が行われた。10箇位の日本キリスト教団の教会との合同礼拝で100人が集まって行なわれた。その規模と意義は重要である。日韓の教会が一つの礼拝堂に座って礼拝するだけでも大きい意味があると言える。それは長い植民地の歴史があるからである。広島在大韓キリスト教会の中井洋一牧師の講演「植民地主義の克服なされたか」という題も相応しいといえる。
 しかし32年も繰り返し続いているのに改善すべき点もあった。まず「合同」とはなにかが問われる。それぞれの教会の人がそれぞれ座って礼拝して弁当を食べて、講演を聞いて、別々に解散した。神との交流が強調され、人との交流を乏しくしているのがキリスト教会の現状であろう。このような集まりは一般的であり、「日本的」ともいえる。「合同」の趣旨が問われている。団体旅行の多くは費用を安くするために「団体」になっているが、実は集客活動であり、団体とは程遠いものである。ここでも「合同」という形式だけをとっている。講演のテーマは私の研究に近いので関心を持って聞いたが、入管の説明が詳しく演題の問題意識は出なかった。私は日本人の「敗北意識」、韓国人の「被害意識」を克服することが本当のクリスチャンであり、神学であるとコメントをした。

朝鮮通信使行列図

2012年03月11日 05時47分43秒 | エッセイ
 下関長府博物館で朝鮮通信使行列図を平成20年度開催の企画展以来昨日で直接見たのは3回目であった。最近古城館長の解説も聞いたので詳しく知ることができた。室町時代から江戸時代にかけて朝鮮王朝の公式使節団の行列は数百人規模の見せものであった。日本本州の半分を横断する行列、パレードは朝鮮文化の宣伝であり、日本人が異文化に接する良い行事であった。私にはその直感が伝わってきた。燦爛な朝鮮王朝は官僚の腐敗、鎖国的外交の失敗などで傾き、日本に植民地とされ、日本人や日本文化が逆に朝鮮に流れる歴史の凹凸があった。このような現象は私が生きて来た世相、あるいは人間関係とそれほど変わっていない。その深い意味をもつ出版ができればと思っている。(写真は長府の古い屋敷)
 今日は3月11日東日本大震災後、1年を迎える日である。下関大韓キリスト教会では日韓合同礼拝が行われる。人生を深く考える時間になるだろう。

山口県文書館へ「長い旅」

2012年03月10日 05時48分05秒 | エッセイ
 山口市は人口の少ない県庁の所在地であるという。下関からJRで1時間半、その往来が長い旅のように感じた。昨日山口県文書館へまさに「三人行き」(洪、礒永、私の3人、「論語」)であった。市内の通りを歩いた。人の気が少ないのを実感した。しかし、文書館には人が多くて、人口が少ないというには相応しくないと思えるほどで驚いた。同行した韓国の出版社社長に閲覧者の多いことを指して「これが日本の強さだよ」とささやいた。1959年に開館した日本最初の公文書館である。朝鮮通信使、漂流記録、古地図など韓国関係の貴重な資料が膨大であり、それも見せていただいた。私は自分で懸案であるテーマの炭焼きに関する写真資料(写真)などを多く見つけた。
 帰路に寄った食堂で、洪社長は私に感謝の言葉を言ってくれた。それは「長生きを祈る」から始まった。軽く聞き流すつもりだったが、2男1女の末の子が幼児であるのに、その子が成長したら私のところに留学させたいと言うのである。「ずいぶん先の話だね」と本当に流す気持であった。しかし人生談を多く交わし、また資料を探す私の姿を見て話をしてくれるので耳を傾けざる得なかった。

日韓共同出版

2012年03月09日 05時06分32秒 | エッセイ
 韓国と日本の出版社の社長が私の研究室で日韓共同出版の提携、そして私を挟んで著者と出版社の対話が長く続いた。しばしば名言のような言葉もあった。専業作家とは違って研究者の著者は商売や利益とは縁が遠い人が多い。その著者を対象にする出版社の社長も純粋である。最初の共同出版の一冊を出すことにした。これからは日本語と韓国語の対訳出版を行う。韓国語と日本語の読者の比較になるかもしれない。韓国語は国内4千万人海外世界700万人、日本は主に国内1億2千万人に、それ向けての出版であろうと私は大きく抱負を語り期待すると述べた。「良い本を作れ」の注文、それはネット上のモザイク式の情報の本を作るのではなく、「良い考え方を自分の言葉で書く人の本」を出版してほしいと助言した。(写真左民俗苑の洪鐘和、右花乱社の別府大吾氏)

女性の魅力

2012年03月08日 04時33分33秒 | エッセイ
 木嶋佳苗被告(37)への連続不審死事件で尋問が報道されている。殺人の罪よりミステリアスなラブストーリーのよう面白さで話題が続くのである。私はその世間話より根本的なことに関心がある。彼女は男に性的魅力を基礎に「旦那を探す」という婚活、人生観、人格を売り物としたのではないかとみている。私のパソコンには毎日100件以上の迷惑メールが入っている。若い人であれば開いてみるのはおかしくない。「誘惑」の落とし穴がある。特に孤独の時には誘惑に引かれそうになるだろう。この事件は単純な売春的事件ではない。性、恋愛、人格を売り物にし、男性への誘惑、生き方を問う問題、さらに結婚とは何かを問う問題でもある。マリノウスキーが『未開人の性生活』で美と性の関係に触れたことを思い出す。

黒田勝弘の随筆:韓国のサービス精神

2012年03月07日 05時50分59秒 | エッセイ
 私と共に3年以上「東洋経済日報」に連載している 産経新聞ソウル支局長の黒田勝弘のエッセイ韓国の「サービス戦線:天極と地獄」を読んだ。

 韓国では最近、注文した家電製品が家に届くと、後日店(サービスセンター)から必ず電話があり、約束の時間にちゃんと届いたか、配送者の態度はどうだったか、製品に問題はないか、など電話で問い合わせがあるという。先日、ケーブルテレビの映りがよくないので、サービスセンターに調整を頼むと業者がやってきたが、こちらも同じような気配りで親切この上ない。銀行でも送金到着は電話とメールで必ず連絡があり、あいさつされる。窓口の態度もいい。病院は通院予定の前日に必ず連絡があり、日時を忘れないようにしてくれる。さらに入管からはビザ切れが近づくとケイタイにメールが入り、更新期日を知らせてくれる。入管のこのサービス(?)は不作為のオーバーステイを防ぐのに効果がある。あるいはビザ切れが直前に分かってあわてることもない。
 
 一九七〇年代に初めて韓国に来て、百貨店でモノを買おうとした時の女子店員のぶっきらぼうな二つの言葉―「オプソヨ(ありません)!」「モルラヨ(知りません)!」の時代からは想像を絶する、韓国サービス戦線の変化だ。

 
黒田氏は韓国では韓国を悪評する人として知られている。しかし彼は韓国語で数多く本を出してベストセーラーにもなっている。それは事実を客観的に観察して上手く表現しているからであろう。私は早くから彼の文を参考にさせていただいている。特に韓国政府が桜の木を伐採した時、批判したのは痛快であった。その彼が韓国の「サービス戦線の変化」と書いていること、日本が学ぶべきだということはさらに痛快である。私は早くから韓国が日本より先進するところは「民主化」と本欄にも触れたことがあり、「どちの見方か」と非難されたこともある。しかし客観的見ることはなにより強いのである。



コーラン焼却

2012年03月06日 05時21分27秒 | エッセイ
 アフガニスタンで米兵がイスラム過激派によるメッセージが書き込まれたイスラム教の聖典コーランをごみと勘違いして廃棄場に捨て、焼却したという問題で報復されている。私はコーランを講義したこともあり、コーランや聖書は世俗的な本ではなく、経文であることを知っている。コーランは唱えるときさえ翻訳も拒むような神聖さが信じられている。キリスト教の聖書も本ではなく、そのまま声、音声、言葉そのものである。古い原典で読み上げるものである。カトリックではその傾向が強い。プロテスタントではイエスは人間に近い神とされ聖書は翻訳も可能になり、解釈で神学も成り立っている。しかし聖書も世俗的な本のようになり、落語のように説教する牧師をみると落語を聞くように笑う(?)のである。米兵の中でも無知な米兵は平和のための「天使」ではなく、国益を守る「戦士」にすぎない。

プーチン氏勝利宣言

2012年03月05日 05時22分02秒 | エッセイ
ロシアの大統領選でプーチン首相が勝利を宣言した。すでに大統領2期、首相、そして大統領という異様な感じがないわけではないが旧ソ連の崩壊から民主化が大分進んだとも感ずる。ゴルバチョフ大統領の時ソ連崩壊により世界は大きく変わった。私はエルチン大統領の時から時々ロシアを訪ねたことから考えるとソ連は民族単位として大分分裂したが、民主化が進んだのは良かったと思う。ロシアは広い領土に人口密度が低く、資源が豊富な国である。「石炭の上に座って凍って死ぬ」といったある主婦の話のように、開発が遅れている。温暖化も進み、ビニールハウスが普及すれば急に豊かになるだろう。ソ連時代からは想像もつかないほど「民主化」の発展はなにより希望性があると期待する。ただ長い間、社会主義国家の独裁体制下に慣れた労働の質の低さが問題であろう。人口率が低いロシアは少子化の日本にとっては先進モデルになるかもしれない。

一読者へ

2012年03月04日 06時09分34秒 | エッセイ
私のエッセー集の中に日本留学していた時の苦労話を書いた。また最近韓国語で出したエッセー集にも書いた。また何回か講演でも触れた。日本では古希記念会で記念演説(?)のように語ったことがある。人は聞いて忘れるかもしれないが、私には勇気のいる告白であった。韓国でも困惑な状況であって脱出したい気持ち、漠然として外国へとなったという話であった。普通留学であれば奨学金とか保証人があって成功して帰国するという立身出世の道のりで行うものあろう。しかし私は全く先が見えない、保障されるものは一つもなく、紹介された唯一教会を頼りに、日本へ来たのである。しかし冷たくされ絶望、日本語が全くできない状況であった。いまは思い出したくもない。その時のその蛮勇は何処から出たかと質問を受たい。いろいろな要因があったが、もっとも基本的なのは文学少年的であったと告白する。中学・高等学校の時代に小説を多く読んだ。そのエネルギーは私を失敗させたり、成功させたりしたのである。

党首討論

2012年03月03日 06時23分51秒 | エッセイ
 野田佳彦首相と自民党の谷垣禎一総裁の党首討論を視聴した。国会審議といえば野党が与党へ質問形式である。国民を代表する上位(?)に立って質問する。時々検察の尋問に似ている。討論とはそれと違って平等なな立場で議論するものである。アメリカでは司会者が問題を出して討論debateする式である。日本ではそうではなく、国会審議のような質問式であるのが普通であるが、今度の討論で野田首相はそれを対等に逆質問もをしたのである。新しい討論の形式の模範を見せてくれた。ただ映像で映る立っている議員たちの私語、聞こえてくる応援と野次などはその雰囲気を棄損した。これからは事前に国民的なテーマを選定して提示し、良い討論が行われるように期待する。討論場に参加している議員たちの姿勢も品位を守ってほしい。誰かがその討論直前に携帯サイトを見たことを問題視するなどの非難は良くない。

 近所で現地調査

2012年03月02日 05時50分39秒 | エッセイ
 先日触れたように山口地域の朝鮮人たちの炭焼きについて知ることができた。倉光氏の車で大学の北へ数キロ、吉富胤昭氏(76歳)は自宅の前で雨の中、正装して自作のイチゴの箱を持って待っておられた。東亜大学に初めて入って広いのが印象的な表情をした。父親が戦前中国の安東で水道の工務店をしていた時終戦になり、下関へ帰還してから山を開拓して畑や炭焼きをしたことをホワイトボードに描きながら説明してくれて講義を聞くようであった。初めて炭焼きの全貌が分かった。釜の作り方、木の種類、朝鮮人と関わり、販売、時代などが再現されていた。山には釜が10か所に朝鮮人は金本、金山、村田、印などの4軒があって炭焼きを教えてくれたという。朝鮮の登り釜の作り方の応用のような印象を受けた。山口県の「山」地には朝鮮人の歴史が刻まれている。その話は研究室に続き、萩焼を連想するようになった。そのとき萩出身の山本達夫准教授が以下の白居易の「炭を売る翁」を探してくれた。

炭を売る翁 薪を切り炭を焼く南山の中 満面の塵火煙火の色 両鬢蒼蒼十指黒し 炭を売り銭を得て何の営む所ぞ 身上の衣装口中の食 憐れむべし身上衣正単なり 心に炭の賎きを憂え天の寒からんことを願う 夜来城外一尺の雪 暁に炭車に驚して氷轍らしむ 牛困れ人飢えて日已に高く 市の南門外に泥中に歇む 翩翩たる両騎来たるは是誰ぞ 黄衣の使者と白衫の児 手に文書を把って口に勅と称し 車を廻し牛を叱っして牽いて北に向わしむ 一車の炭の重さ千余斤 宮使駆けり将れば惜しむも得わず 半疋の紅綃一丈の綾 繫いで牛頭に向かいて炭の直に充つ