崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

コーラン焼却

2012年03月06日 05時21分27秒 | エッセイ
 アフガニスタンで米兵がイスラム過激派によるメッセージが書き込まれたイスラム教の聖典コーランをごみと勘違いして廃棄場に捨て、焼却したという問題で報復されている。私はコーランを講義したこともあり、コーランや聖書は世俗的な本ではなく、経文であることを知っている。コーランは唱えるときさえ翻訳も拒むような神聖さが信じられている。キリスト教の聖書も本ではなく、そのまま声、音声、言葉そのものである。古い原典で読み上げるものである。カトリックではその傾向が強い。プロテスタントではイエスは人間に近い神とされ聖書は翻訳も可能になり、解釈で神学も成り立っている。しかし聖書も世俗的な本のようになり、落語のように説教する牧師をみると落語を聞くように笑う(?)のである。米兵の中でも無知な米兵は平和のための「天使」ではなく、国益を守る「戦士」にすぎない。