崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

 近所で現地調査

2012年03月02日 05時50分39秒 | エッセイ
 先日触れたように山口地域の朝鮮人たちの炭焼きについて知ることができた。倉光氏の車で大学の北へ数キロ、吉富胤昭氏(76歳)は自宅の前で雨の中、正装して自作のイチゴの箱を持って待っておられた。東亜大学に初めて入って広いのが印象的な表情をした。父親が戦前中国の安東で水道の工務店をしていた時終戦になり、下関へ帰還してから山を開拓して畑や炭焼きをしたことをホワイトボードに描きながら説明してくれて講義を聞くようであった。初めて炭焼きの全貌が分かった。釜の作り方、木の種類、朝鮮人と関わり、販売、時代などが再現されていた。山には釜が10か所に朝鮮人は金本、金山、村田、印などの4軒があって炭焼きを教えてくれたという。朝鮮の登り釜の作り方の応用のような印象を受けた。山口県の「山」地には朝鮮人の歴史が刻まれている。その話は研究室に続き、萩焼を連想するようになった。そのとき萩出身の山本達夫准教授が以下の白居易の「炭を売る翁」を探してくれた。

炭を売る翁 薪を切り炭を焼く南山の中 満面の塵火煙火の色 両鬢蒼蒼十指黒し 炭を売り銭を得て何の営む所ぞ 身上の衣装口中の食 憐れむべし身上衣正単なり 心に炭の賎きを憂え天の寒からんことを願う 夜来城外一尺の雪 暁に炭車に驚して氷轍らしむ 牛困れ人飢えて日已に高く 市の南門外に泥中に歇む 翩翩たる両騎来たるは是誰ぞ 黄衣の使者と白衫の児 手に文書を把って口に勅と称し 車を廻し牛を叱っして牽いて北に向わしむ 一車の炭の重さ千余斤 宮使駆けり将れば惜しむも得わず 半疋の紅綃一丈の綾 繫いで牛頭に向かいて炭の直に充つ