崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

「面影のない人」

2012年03月19日 06時27分37秒 | エッセイ
私とほぼ同時にホームページをはじめた薬剤師の大上氏の消息がなく、メールを送っても返答がない。まだ若い人であるが、不吉な感じがした。ある読者が彼のお葬式に関する短文を載せたのを見つけた。彼は去年の秋に癌で昇天したという。熱心に書いたブログも閉鎖になった。その寂しさが胸に残っているのに私が留学生時代に親しく付き合った人、今は90近い方の消息が入った。会ってきた人の話では老いてすっかり変わって面影が無いという。彼は外国人のために日本語学校をいくつも作って最近まで精力的に活躍しておられ、妻や子供をアメリカに住ませており、いわば成功した人であるが、今は一人暮らし。先日通話した時は今は家族に頼らず教会の牧師に世話になっているという。高齢者が頼りになるのは自分の業績、金、子孫などではあるが、それらに失望する人も多いだろう。一人暮らしが即、孤独とは言えないが、こんな状態で死亡すると世間では「孤独死」と名付けることが一般的である。千年生きると言われる鶴も孤独死し、鷲などに喰われるというように、高齢化はこのような自然なことを多く示唆する。