崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

植民地建築保存

2008年04月15日 06時50分36秒 | エッセイ
 朝鮮総督府庁舎を壊すことに反対しその過剰な言説を分析して日本民俗学に掲載したことがある。反日思想の中で植民地研究を始め、非難されながら新しい時代を待ったが韓国でその植民地建築を保存すると発表された。20年ほど前から非難されながら、死後にでも認められたらそれで良いと思っていたのに、今目前に展開されているので戸惑う感じである。振り返ってみると被差別集団の巫女を調査する時、迷信打破運動で苦悩したが、いつの間にか彼ら彼女らが人間文化財になっている。世の中の価値観とは、正義とはどこに基準があるのか。今私が持っている価値観もいつ無効になるかわからない。ミクロに身の回りにも私の価値観とはまったく異なっている人が多い。この世はそれが普遍的な現象である。社会はいつも正義らしい正義もなく、汚れた世界を見せている。「私は正義である」といった聖書を開いて読んでみる。

家内へ迷惑

2008年04月14日 06時38分48秒 | エッセイ
 家内の還暦を祝うために工夫したつもりだったが、逆に負担ををかけたようで済まない。人を祝ってあげることも簡単ではない。私は人をほめることには慣れてなかった者であり、今も足りないと思う。しかし結婚式の主礼(仲人)を多くするようになってから新婦新郎をほめることから若干人をほめるようになった。身内にはほめることが照れ臭くてできない。私の恩師も同様であり、奥さんから言われると「自分の体に礼を言わない」と冗談で夫婦一心同体を借りてそれを表現したことをおぼえて、なるほどと思い、自分でもその言葉をかりてほめたり、感謝の言葉は殆ど発してない。謝罪や感謝の言葉を一番近い人間関係にある配偶者にきちんと言い合っている若い夫婦もいるがそれも素敵だと思う。
  

記録映画「靖国」

2008年04月13日 06時59分11秒 | エッセイ
 中国人監督の記録映画「靖国」が日本で映写中止が話題になっている。今まで韓国でよくあったパターンが日本で起こっているので嘲笑を禁じえない。『醜い韓国人』などを韓国側が販売禁止にし、逆に日本でベストセラーになったのを知らないのだろうか。世界的にも「パッション」や「ダビンチコード」などの映画の不買運動などを起こして逆効果を及んだのを知らないのか。このたびの記録映画「靖国」はあまり問題視するような作品ではないのに逆宣伝しているようなものである。私は20年ほど前中曽根総理が参拝することで話題になったその時点で靖国を訪れたことがある。戦前の軍人たちが軍服を着て武装して現れており、右翼宣伝車からは放送が続けられて異様な雰囲気であった。もちろん公園の隅には戦争反対を叫ぶ人たちもいた。恐ろしくも感じたがそれは昔の帝国主義を懐かしく思う人たちの気晴らしであり、デモのようなものであり全体の日本の社会とは直接結びつかないものとして理解し安心した。そのような雰囲気を撮った映画を今日本人が問題にするのは「餃子中国」に対してとても恥ずかしい。

家内の誕生日

2008年04月12日 05時17分41秒 | エッセイ
 ソウルの私の姉から家内の還暦祝いにEMS郵便でキムチなどが送られてきた。発送して1週間掛かったのでビニルが膨らんでキムチの味も変わっていた。EMS郵便であれば高速と思われるが大都市間では早くても地方にいると早さは感じられない。ほぼ食べられないものに変ってしまったが家内は本心から喜んでいる。中のキムチの味は変わっても、送り主の愛情は新鮮であるからである。包装を綺麗にしているお土産ではなくとも人を感動させるのは心である。しかしその記念すべき日に夫の私は日帰り出張しなければならない。後日家内と外国旅行を考えている。今のところ健康な夫婦で仕事をしている現役であることに感謝している。

嫌われること

2008年04月11日 06時34分56秒 | エッセイ
 自分の体験から考えてみると、自分が嫌われていることを意識しない人はあまりないだろうと思う。そして愛されることとは対照的に不幸を感じる。ある特定な人から嫌われていると思うとその相手を嫌だと思ったり、また多くの人から嫌われると社会が嫌になったりすると思う。それを克服するためにはその原因が自分にあることに辿りつくべきである。つまり嫌われる原因を自分自身が提供したことを発見し、そして相手を許すことである。職場でもそのような状況になった時は自分にその原因があるのを発見して人間関係を直していくことは必要である。ある意味では人間関係上凸凹があって、ダイナミックな関係を通して生きることの楽しみがより大きくなるのかもしれない。

『分断時代の法廷』

2008年04月10日 05時55分28秒 | エッセイ
 拙著『哭きの文化人類学』の訳者の舘野皙氏が韓勝憲著舘野皙訳『分断時代の法廷』(岩波書店)を送ってくれた。南北対立と独裁政権下の政治裁判の法廷から韓国の民主化、南北統一、人権擁護を求め戦った人々の話である。『分断時代の法廷』を読んで私が経験した時代であり、心痛くしたが、読むべき本である。本の中に直接面識がある人も多く、面識がある人だけでも十数人に上る。特に22年間刑を受けた申栄福氏とは陸軍士官学校で親しかった人であり、同じく長く刑を受けた朴亨圭牧師などとは聖書勉強会も一緒にしたことがある。私は民主化運動には積極的に参加せず、ただ全斗煥大統領時代に民主化教授抗議文書の先頭署名者ではあってブラックリストに載り講演などが制限されたことがあった。暗い時代を生きてきて、今本書を読むと懐かしく、悲しく、そして虚しくなる。
  


病気で人情を確認

2008年04月09日 06時50分32秒 | エッセイ
 無理なスケジュールで韓国から帰り歯を痛くて、新入生オリエンテーションにも欠席することになった。校外研修にも参加できず代わりに行ってくれた人がいて心から感謝する。病気で人情を再確認する機会となった。先日の日曜日の花見で喜び、感動したのに、体調を崩してからは満開の桜もただ目に映るだけで感動がない。アフリカのニゼールに行っている宣教師から水不足で大変だとメールが来て心痛くしている。天気予報では下り坂といわれ嫌な感を持っている人も多いだろうが雨が降って、桜が咲いている日本に住むことに感謝すべきである。雲一つない砂漠を歩いた昔を回想する。

国家には倫理が無い

2008年04月08日 05時59分57秒 | エッセイ
 聖火リレーの中継が中国への人権問題に対する抗議も映し出している。大国の中国が簡単に倒れるとは思われないが、このような抗議活動が中国の民主化や人権改善には役に立つと思う。チベット問題は内政になるかもしれないが、人権問題は内政を超えて普遍的な問題であるから他国からも干渉ができると思う。日本は中国の人権問題に従来黙っているのが常であり、今度も例外ではない。倫理は国家には無いようである。個人の倫理としては裏切ることは最低だと言われるがアメリカや日本などは台湾との国交を断絶して中国と国交を結んだ。しかしアメリカは時々中国の人権問題などについて発言しているが、日本は一切発言しない。日本国には国家の倫理が無いように思われる。日本では隣家の子供の迫害には怒るが、国家レベルになると隣国の問題に黙っているということはどういうことであろうか。日本もチベット問題について人権問題として発言すべきである。

花見

2008年04月07日 06時31分33秒 | エッセイ
 啓明大学時代と広島大学時代の弟子、金弼東氏が京都の国際日本文化センターの招聘教授として在日中で京都から奥さんと一緒に昨日来られた。日和公園と戦場ヶ原公園で満開の桜の花見を楽しんだ。民団の花見大会にて民団の団長や顧問、教育院長と同席、昼食をご馳走をなりながら韓国の民謡と踊りを楽しむこともできた。「水と景色が整ったところは少ない」(물 좋고 경치 좋은 곳 없다)といわれるが、昨日は天気もよく、桜の開花もピークで、昔の弟子とも花見ができ、「水と景色が整ったところ」一日であった。人は野生の花の美を発見し、それを栽培・改良し、また花言葉をつけて美意識を創造している。しかしその程度を超えて国民的に意味をつけるのは危険であろう。帝国主義時代の桜が「国花」とされながら悲惨な戦争や植民地プロパガンダに利用されたことを思いだす。

友人の病気

2008年04月06日 07時05分42秒 | エッセイ
 ソウルに行って中、高時代の同級生だった友人に電話をしたら癌で手術をしたという。ちても驚き落胆した。彼は若い時、新聞記者を辞して、出版社を作り月刊雑誌なども刊行する社員100人をもつようになった。私も数年前一冊の本を出版して頂いた。彼の病気のことを聞いてまず彼の病気の回復を考える。私は彼の病気を自分のことのように受けとめている。それは親友であるというだけでなく、もう一つは同年輩ということからであろう。彼だけではなく同年輩の人に会うと安心感と親近感がある。同年輩の友人を亡くし、病気の話を聞くたびに自分の人生を考えるようになっている。それは同様な時代を生きて来たという、似ている経験を共有するからであろうか。

福岡駅で

2008年04月05日 06時13分40秒 | エッセイ
 韓国仁川空港まで送ってくれた弟子がお土産として海苔を買ってくれたので紙袋に入れてもって来た。福岡につき夜の9時頃新幹線ホームへ走るとき紙袋が破れた。乗り換え時間が少なくて、急いでいたので、パニック状況になった。その時誰かが新しい袋をくれてごみになった古い袋を持って行った。彼女に挨拶の言葉もそこそこに新幹線のホームにたどり着いたが30秒前電車は出発してしまって、結局JRなどを利用して夜遅く帰宅した。彼女はおそらくあるお土産店の方で、私のパニック状況をみて親切に対処してくれたようである。袋には商店の文字が書いてある。彼女の暖かい行動は商品を売るのではなく、本当に心の込もった「お土産」の人情を普及させる伝道師のように感じた。心から感謝したい。

愛犬ミミ姫

2008年04月04日 07時16分21秒 | エッセイ
我が家の愛犬ミミはいろいろ要求する。遊ぼう、散歩しよう、ごはん、おやつ、そして私たちが食べている、それを頂戴、早く起きてなど、それと解るように表現する。そしてそれは絶対聞き入れられると信じて疑わない。視線が会うとその訴える一生懸命な瞳に負けてしまう。躾をきちんとしなければならないと思いつつも、甘い飼い主、わんこうの僕のような自分を発見してしまう日常である。

Visiting Church s in Korea

2008年04月04日 05時47分13秒 | エッセイ
한국에 일본인이 개척한 기독교 교회가 있는 것을 아는 사람은 별로 없을 것이다. 어제 나는 히로시마대학 시절의 두 유학생 최석영군과 황성호군의 안내를 받아 제암리 교회와 수원 화성 곁에 있는 수원동신교회를 방문하였다. 수원 동신교회는 작은 시내를 내려다 보는 교회로서, 원래 일본인 노리마쯔 마사야스가 1900년에 세운 교회이다. 그 신앙을 이어받아 지금까지 신자들이 지켜온 교회이다. 이 교회는 지금 동신교회라는 교단으로서 전국에 25개소에 이르는 교회로 목사의 존재를 부정하고 신자들에 의해 조직 운영되고 있는 교회이다.
최근까지 이 수원 교회에서 목회를 하였던 목사의 안내를 받아 교회 언덕 위에 있는 묘비를 보고, 교회당 안으로 들어가서 초기 교회의 사진과 육필 등의 자료를 보았다. 노리마쯔는 식민지 시대에서도 한국어를 배워 한국어로 설교를 하는 등 헌신적으로 전도를 하여 교회를 세웠다. 최근까지 일본의 교인들과의 교류를 하여오고 있으나 몇몇 신자들은 반일감정을 의식하여 일본에서 찾아오는 것조차 꺼린다고 한다. 황군이 지금 연구중에 있어서 좋은 논문이 완성되면 박사논문이 될 것을 확신하면서 그를 격려할 겸 찾은 것이다. 오래간만에 세 사제간의 흐뭇한 시간이었다.


さくら

2008年04月03日 07時24分18秒 | エッセイ
ミミと散歩道にある公園の桜が8分くらい咲いた。うきうきした気分で帰宅して韓国に主張中の夫に電話をした。韓国では今の季節はレンギョウの黄色と桜の薄いピンクと山つつじの薄い紫がかったピンクがとても美しい。確かに美しいけれども日本人が桜の開花を待つような気分は感じられないという。それにしても桜はどの花より待ち望まれる。春、希望、期待、憧れ、桜と共になぜか何かいいことが起こりそうなそんな今の季節が大好き。 

納豆とコチュウジャン

2008年04月02日 04時22分55秒 | エッセイ
 愛犬ミミちゃんは私が食べる口もとを観察して美味しいそうな肉を頂戴とおねだりするが、キムチや野菜を食べるのをみては「なぜそんなものを食べるのか」という表情をする。私は家内が納豆やコボウを食べるのをみて「そんなものをなぜ食べるのか」と思いながら見ている。対照的に私は家内があまり食べない韓国の唐辛子のコチュウジャンを食べる。納豆が健康にも良いといわれ、何度もトライしたが未だに食べる気にはならない。しかしお茶、筍、アスパラガス、オデン、マグロ、ウニ、ブロッコリーなどの食品には、日本化された料理も多い。家内が日本人でなければ魚を焼くために部屋に匂いと煙が充満して「熊を捕まえる状況」(韓国のことわざ)にして焼き魚を食べるようなことはなかっただろう。私の味覚はそれほど日本化されず、家内の味覚がかなり韓国化されている。韓国食文化が優位なのか、私の料理の腕前の影響なのか、さもなければ家内の適応性が良いことよるものであろうか。