崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

チョコレート菓子「白い恋人」

2007年08月16日 06時37分11秒 | エッセイ
北海道を訪ねるたびに買ってきたチョコレート菓子「白い恋人」が受難を受けている。賞味期限の問題から会社の存命までかかっている。残念なことである。成功した人が一変して崩れることを最近多く耳にする。聖書では岩石の上に立てないと足元を失うこと(韓国語訳では「失足」)という内容のことが書かれている。その岩石とは正義・真理である。不正の告発は近い人の裏切りから始まる。離縁しても正直さは信じてもらえるように岩石上に人生を設計すべきである。「白い恋人」とは縁が切れても「恋人」の味は忘れない。ほんとうに残念でしょうがない。

今日は8月15日

2007年08月15日 06時25分25秒 | エッセイ
 今日は8月15日、終戦や解放の記念日である。私は当時を覚えているが、この日のことは覚えていない。田舎の小さい村ではその感激もなかったと思う。ただ数日後徴用された人などが帰還したことを覚えている。わが家の養子であった従兄が広島から帰還した。また南洋群島から日本人の女性を連れて帰還した人もいた。彼はそこでB29の空襲の様子を面白く語ってくれた。話の中には人肉を食べる野蛮人の食堂があり、そこには人の死体をぶら下げてあったのを見たとも言う。この話は嘘であろう。私の姉の話によると彼には徴用される直前に親の強要で結婚した妻がいた。当分の間、妻と日本人女性の新妻と一緒に暮らしたが、姑が日本人女性をいじめていた。でも彼女は日本に帰らないので息子をを隠してしまい、結局彼女は泣きながら日本に帰国したという。

海峡花火大会

2007年08月14日 06時26分08秒 | エッセイ
 昨夜1万3000発の連携20周年を祝う「海峡花火大会」が無事に行われた。途中、雨が降り、傘をさしての花火見物であったが、我家のベランダで花火が打ち上げられる度に下関と小倉から集まった十数人が嘆声を上げた。門司と下関から同時に打ち上げる光景が海を挟んで連発されるのは感動的であった。海峡の調和の花火大会としては素晴らしい。見方によっては山口県(下関)と福岡県(門司)の調和と同時に対照的にも見られた。門司側の打ち上げが下関より素晴らしいという人に小倉から来た人の中では下関も素晴らしいよといい、褒めと遠慮のことばが交わされた。打ち上げが終わった後、わが家の中でも海峡の調和のある友好な雰囲気であった。

受講生に無理な注文

2007年08月13日 06時09分18秒 | エッセイ
 研究者を目指す受講生に世俗に逆らう生き方を勧めた。世俗社会を流れる水に比喩し、死んだ魚は流れるが生きている魚は現位置を守り、場合によっては遡ることを例にして学者は世俗に流されないような生き方をするべきだといった。お盆などに人が流れるときも流れないように研究に注力することなど無理な注文をした。このような生き方は当事者にとって難しいが、そのような研究者の存在を認めることも難しい。大学や研究機関においてもそれを認めないところが多いが、国は政策としてこのような研究者を支援べきである。国家や社会はそのような研究者によって発展するからである。

シャーマニズム講義へ学生のコメント

2007年08月12日 05時45分44秒 | エッセイ
 今週広島大学院と東亜大学院で6日間集中講義は大変であったが、一生の学問成果を精一杯講義し、楽しかった。その東亜大学院生の感想文から一部を抜粋して紹介する。


 「三日間の集中講義においてどの話も興味深かったのであるが、結果的に全ては先生のご研究の原点であるシャーマニズムが包含している問題群に回帰することも感じた。韓国の儒教思想から外れた部分をシャーマニズムが補完する(韓国社会の二重構造)という事実も、科学と合理性と長寿の中で自殺が増えているという事実も、感情が真実の目を曇らすこと(靖国問題の話で痛感した)も、全てが人間存在の複雑さそのものへとつながっていくと感じた。
 非合理なものは説明しにくい。ゆえに迷信だとかいうことで排除していくのは楽で合理的なあり方かもしれないが、そこで捨て去られたエネルギーこそまさに現代の祟りとして世界的な混乱を起こしているのではないだろうか。人間は矛盾を抱えた存在であることを深く認識し、その不合理さを学問的に明らかにしていくことでもたらされる救済は少なくないではなかろうか。例えば、FGMの話には大変衝撃を覚えた。ただ、それが存在してきた意義を明らかにし、その方法以外のあり方で本質を継承していく智慧を生み出していくことは可能だと思うのだ。
 学者の存在意義とは何かということを先生はご自身の存在そのものと、机に上に数多く置かれたご著書で、言葉にせずとも訴えていると思わずにいられなかった。」 


シャーマニズムについて講義

2007年08月11日 06時35分33秒 | エッセイ
 今日は東亜大学大学院の集中講義の最終日である。私がシャーマニズムの信仰者の母を主対象として巫俗の研究をはじめ、そこからいろいろな研究へ拡大化していく研究過程を述べながら、院生4人全員が現職教師である学生たちと議論し、楽しんでいる。シャーマニズム研究から儒教の祖先崇拝、祟り信仰、キリスト教とシャーマニズムの比較研究などをして『哭きの文化人類学』『恨の人類学』など数十冊の本を書いた。また先行研究の中で秋葉隆の研究から植民地人類学として目下植民地の研究を続けている。それらを振り返ってみながら新しい研究への問題点を提示していくのが今回の講義の趣旨である。

韓国人の反日感情

2007年08月10日 06時01分30秒 | エッセイ
 ある日本人の大学院生が外国で韓国の留学生に会った時に反日感情を持ち出してそれ以上、話が進まなかったという。数人の日本人がそれに似た話をして、議論した。反日感情や旧宗主国への反応はさまざまである。アフリカや東南アジアの旧被植民地の国々ではそれほど反感を持っていないが東アジアでは台湾を除いては反日感情がある。その中でも韓国人の反日感情が一番強い。なぜであろうか。それはおそらくナショナリズムの教育によるものであろう。それは韓国的なアイデンティティを持つための肯定的なものとも考えられるが、国際化には障害になっていることは事実である。

集中講義へのコメント

2007年08月09日 06時16分06秒 | エッセイ
 大学院での集中講義には修士、博士8人が参加した。学生たちと有効な討論ができて楽しかった。もっと続けたい気持ちで終わった。久しぶりに自分の研究をまとめてみた。ある女子学生の感想文の一部をここに紹介する。

この集中講義を通して、私は、朝鮮が日本の支配下にあった頃の状況に、とても興味を持ちました。特に、巨文島以外の他の日本村における韓国人と日本人の関係です。私の父は、占領下の朝鮮で生まれました。祖父は朝鮮総督府に勤務していました。祖母の父も同様で、祖母は朝鮮で生まれ育ちました。父が5歳の頃、終戦となり、日本に引き揚げてきました。父を含め、父方の親族は皆、韓国人嫌いです。私の母の親族が在日韓国人と結婚した時も祝福できなかったくらいなので、根は深いです。しかし、なぜそんなに嫌うのか、何があったのか、あまり詳しく語ってくれません。何度か質問したことがあるのですが、「財産を全部失ったからだよ」という一言で片付けられてしまいます。生活の格差だけがショックだったのか、他にも何かあったのか、よくわかりません。余程嫌な思いをしたのだろう、とは思っていましたが、どんな状況だったのか、今回改めて興味を持ちました。

朝青龍へのバッシング

2007年08月08日 06時43分26秒 | エッセイ
 今、朝青龍に対して日本的なバッシングが激しい。日本の国伎という相撲を外国人に開放したことで日本の国際化を大きく進展させたと思われる。横綱が二人ともモンゴル人であることもそれであろう。その一人が軽率な行動で二回も出場停止となっているのは罰が重過ぎではないかと思う人もいる。スポーツの中で麻薬や酷い反則などでの罰ではなく、倫理的な行動で選手の出場を中止することは酷すぎだと私も思う。ある留学生は「出る釘は打たれる」という諺のような日本人の意識構造が見えるといった。

広島大学で集中講義

2007年08月07日 08時26分01秒 | エッセイ
 広島大学院での集中講義にはアフリカ、パキスタン、オーストラリア、中国などの植民地に関心ある学生たちにまずサハリン朝鮮人の悲劇的な事件を紹介して討論した。ミニ国際シンポのような感じで大変楽しかった。久しぶりに面白い授業が出来たと満足している。特に良心的な人間像をどう教育していくかがポイントであった。
広島平和記念館の館長にアメリカ人がなったが、日本人が館長であったときは日本が被害者であったことだけを展示したので韓国や中国から来た人たちに日本の被害者強調は通じない。これからは加害者であった事も展示することを期待している。

8月6日は複雑な日

2007年08月06日 05時30分32秒 | エッセイ
 わが夫婦にとって8月6日は結婚30周年記念日である。広島原爆投下記念日でもある。今日から3日間広島大学院国際協力研究科で集中講義を行う。広島大学在職中は「平和学」で韓国から見た原爆という題で講義したり、故渡辺正治氏と被爆に関するシンポジウムを開催し司会をして講演録をだしたりした。その原爆記念日の今日が結婚記念日でもあり、また広島大学で集中講義をするなど複雑な気持ちである。このように誰も毎日がいろいろと記念すべき喜悲の日かもしれない。考えてみるとわれわれの日常生活は喜悲が交差するのが自然である。

元ソウル大学黄博士

2007年08月05日 09時36分50秒 | エッセイ
 元ソウル大学の黄博士が研究成果を偽造したということでマスコミの中でも特に恐ろしいMBCPD手帳という番組で激しく非難され、ソウル大学側も辞職させた事件はまだ記憶に新しい。今日のニューヨークタイムスに顔写真とともに彼の研究成果が紹介された。ボストンで開かれたハーバード大学科学者たちの研究会で黄博士の研究成果から一部大きい成功例が認められた。アメリカで高く評価されても韓国で彼を激しく非難した側はその成功例は偶然のものだと低評価している。昔は学者は象牙の塔の中にいるものと言われたが今ではあまりにも世間に密着して悲劇も多くなった。アカデミズムの確立をしっかりしていかなければならない。

ニューヨークタイムスなどのウェブ化

2007年08月04日 05時21分57秒 | エッセイ
 ニューヨークタイムスなどの世界的な新聞がウェブ化するという。それは活字印刷文化が変わりつつあることを意味する。読者が活字文化から離れる傾向が著しくインターネットニュースやネット上の新聞購読などが一般化しており、実際それが現在大勢である。私も関心ある緊急なニュースはインターネットで見ている。常に変化するネット上のニュースを見ながら時には関連情報の検索などをしている。
 活字文化も変わらなければならない。少数の読者を対象とする記録保存と高いレベルの思考を図る印刷文化へ、初期印刷文化へ戻るような改革が必要である。また一方では活字・写真・映像・アニメなどの総合的な方法を考究しなければならないと思う。

ニュースレター1号発行

2007年08月03日 05時50分36秒 | エッセイ
 文部科学省の補助費による「朝鮮半島南部の移住漁村『日本村』の調査研究」のニュースレター1号を発行した。編集や装丁などすべて自作である。これからメンバーの持ち回りに協力して月一回ずつ発行していくつもりである。研究活動を公開して多くの方から調査資料や情報提供などの協力を得ていきたいと思っている。研究者同士やインフォーマントの方々とのコミュニケーションの場にもしたい。

「一新」と「改心」

2007年08月02日 07時12分09秒 | エッセイ
 安倍総理の続投の名分は「人心の一新」といった。「一新」と「改心」はいずれも心を根本的に変えることを意味する。基督教では悔い改めをすることを改心、改宗という。改心や改宗は世俗的な小我を捨てるところから始まる。今安倍総理が言っている一新は戦略的な臥薪嘗胆のように聞こえる。つまり「多新」の中の一つの新「一新」に過ぎないように感ずる。本当に敗北し、自分を捨てて人間的に生まれ変わるような「改心」が望ましい。それが本当の意味での成長であろう。