この寒さが桜の開花を遅らせている。この時期の寒さを韓国ではコッセムチュイ(花が咲くことを嫉妬する寒さ)といわれている。早く咲きすぎないように。花を大切に花見をしなさいという解釈がある。以前この欄で人生の開花を遅らせるために、老化の進化を鈍くするためにもコッセムチュイは欲しいと書いたことがある。花見を楽しみにしている人に、より美しい楽しい花見が待っている。
日本では水道水を飲めるということが自慢であったのに農水産省大臣が「水道水を飲んいる人はいないだろう」と言ったことは実にショックである。ヨーロッパでもスイスくらいの極一部の国か、地域だけが水道水を飲めると聞いて、水道水を飲める国とは本当に美しい自然環境と大変な国家政策であることを痛感したことがある。あるロシアの医者が日本に来てトイレの水を飲めると書いてあるのにショックを受けたと言う。わが家では水道水はそのまま飲めるものとして飲んでいる。大臣はぜひ哲学と世界を知っている政治家にやってほしい。プラトンが言ったように政治は哲学者がすべきであるという言葉の意味を改めて思い出している。
2月の天気予報で「3月になると暖かくなる」と予報したのを聞いて笑った。夏になると熱くなるというのと同様な話であるからである。しかし3月になると…という予報さえ外れて真冬の寒さが襲った。私は時々神様の表情を描いてみる。彼は世俗の人間たちが自然現象を変化させ征服したように「暖冬」を叫んでいるので寒雪を散らしたように感ずる。もっと自然を厳粛に受け入れる態度が必要である。宇宙原理は説明は出来ても「元」の存在を知らない。自然の前で謙虚になってほしい。
学生時代に読んだモーウムの『人間の絆』 Of Human Bondage (1915)を思い出す。ストーリーはほぼ忘れたが人間の束縛と自由をテーマにしたものである。愛犬に首輪をつけることはいわば義務化している。愛情の絆をかけることである。田舎で杭につながれた牛が円内だけを動くのを見て不幸なように見えたが、考えてみると人はそれぞれ輪につながって行動する。今新しい犬に首輪をつけて、散歩に出るための準備中である。
東亜大學で私が指導担当をした井藤寿子の卒業論文「ふぐの文化商品化」が3月8日付け山口新聞に紹介された。彼女は下関出身者としてふぐの調理師の資格を持っており、ふぐに関する強い関心をもって、現場を訪ねながら調査をした。彼女の論文から下関の発展に一つの問題が伺える。それはふぐの生産そのものより、これからはそのイメージを象徴的に文化商品化することが重要であるということである。このような論文からも下関の発展の叫びに耳を傾けるべきである。
電車やバスなどには優先席がある。私はその席が空いていても座っていいかどうかと迷う時がある。ほとんどの若者は気にしないで座っている場合が多い。日本では制度として、その席があるという感じがする。韓国や中国では敬老思想がバックアップされている。韓国ではすべてが「譲歩席」のように老人などが優先されているように若者が譲っている。韓国では若者は老人に対してはお世話をしなければならないと感ずるようになっている。若者の中でも調子が悪い時には座りたくもなる。しかし、この譲歩席についてある老人たちは自分の権利のあるように若者を立たして座るという」乱暴なことをする人もする。中国では「博愛席」と書いてある。優先席は弱者へ愛情と敬愛であることを考えなければならない。
久しぶりに風邪を引いてしまった。風邪は悪い病気というよりは健康管理の悪さで自分で起こすようなものと思っている。私は人が風邪だということを聞くと仮病のような偏見を持っている。しかし自分が風邪をひいてみて大変な病気だと思うようになった。自他の隔たりは広い。きのう大阪出張中、仕事が大変だった。結局我慢できず時間外の救急外来受診して薬をもらってホテルに帰った。風邪で苦労してみて人の風邪も大事にしたいと思った。
韓国研究者である京都の仏教大学の鈴木文子先生が来宅している。彼女が韓国留学したとき現地調査地にも同行したことがある。西海の島や海岸の村落で現地調査をして、目下日本植民地時代の資料を多く集めている。私とも共同研究もしようとしている。昨夜遅くまで貴重な写真資料を見せてくれた。このように今、日韓において植民地研究が深められている。早くから植民地研究をすることを呼びかけていたのでとても嬉しく思っている。
きのう最初に愛犬センターを案内してくれた友人の新車で健康診断と美容を終えた新しい我が家の家族になるワンちゃんを無事につれて来た。早速3月7日、今朝のホームページに写真で紹介する。韓国の大学に就職が決まって赴任する前に中村八重さんが来てくれた。広島と徳島、韓国から新しいワンちゃんのためにお祝いのメールが5件届いた。ある人から自分は犬より先に死ぬかと思って飼えないと言う。
これでポメラニアンは3匹目になる。しつけも大変であるが、家の中に一気に活気が戻ったようである。この犬種には慣れている。この犬を世界で一番幸せにしてあげるつもりである。また人にも幸せを運ぶ人になりたい。
これでポメラニアンは3匹目になる。しつけも大変であるが、家の中に一気に活気が戻ったようである。この犬種には慣れている。この犬を世界で一番幸せにしてあげるつもりである。また人にも幸せを運ぶ人になりたい。
日朝国交正常化への動きが見えて成功を期待している。韓国や中国などでは反日感情が強く、いつまでも許せないとか未来志向を願っていると言いながら、日本は数年間一貫して「拉致の解決なくして国交正常化なし」ということだけを繰り返している。その堅い立場では外交官の交渉の裁量権がなく、国交正常化は難しい。拉致は人権的大変な犯罪ではあるが、歴史的には程度の差はあっても多くの政権が犯した。その人権の次元は国交正常化とは別に追求すべきである。国交正常化は別のアジア全体の発展、特に朝鮮半島の南北関係や日本の裏日本の活気などを考えて早く進行させて欲しい。
先日友人に案内してもらったところでめぐり合った犬を新しい愛犬と決めた。昨日教育院長の李先生夫妻の車で王司や宇部などのペットショップを廻って最終的には最初のところに戻った。6ヶ月のポメラニアンを檻から出してもらったら私にくっ付いていた。案内してくれた夫妻の肯定的な評価等によって最終的に家内がOKして決まった。すぐつれて帰りたかったが今日健康診断と美容をすませて明日つれてくることになった。養女を迎えるよう準備態勢に入った。ミミがなくなって3ヶ月が過ぎてのことである。名前もミミにすることにした。
韓国との為替で円安になっている。中国、韓国へ旅行してみて韓国の物価は安く感じなかった。韓国人としては日本で働くことに魅力はほぼなくなったという。大学の教員の給料も韓国の方が高く、社会的地位も高いという。先進国の日本でいわゆる格差社会の貧しい層が問題になっている。日本の経済的魅力はもはや薄れている。美しい環境と楽しい生活を求めるべきであろう。成熟した先進国のヨーロッパの国では、夜にはパーティ、劇場、音楽会など楽しい文化生活をしている。日本もテレビ中心の夜を過ごすよりは、近所付き合いなどを含み、スムースな人間関係を作っていくような文化生活をすることが本当に美しい日本に近づける一つの方法と思う。
暖冬ということか3月3日、ヴェランダの鉢の桜が咲いた。しかし一本の桜では感動しない。街中や山中が桜で被ったようなところの桜、桜の群れの満開が人を感動させる。桜が散ったら今年の花見がすべて終わったようにおもえる。日本では桜の花見が全国的に行われる。桜は韓国の済州島が原産とはいえ、それを植えて花見をするなどはすばらしい日本文化である。植民地時代には日本の象徴的な日本文化であって、戦後韓国では桜が切られ植え替えられるなど受難を受けた。今桜の花見を楽しみ、また他の花の美しさにも目を配るべきである。
朝鮮王朝時代の地方官吏の悪さは名作「春香伝」によく描かれている。中央中心の政治が王朝を亡ぼした怖いものといえる。現在の政治こそ中央中心政治であることが下関に住むようになって実感する。街を歩きながらシャッターが下ろされている店舗が多いのは心痛い。もっと残念に思うのは官吏や準公務員などの質の悪さである。下関の象徴的な港が暗いのが気になって関係者に案内のパネルにスポットライトの設置を提言した。その担当者曰く、鼻先で「いやいや」と手を早く横に振ってわが部署の管轄ではないというのだ。パネルはわが担当、ライトは港湾庁の担当であるという。パネルの担当側とライトの港湾庁が協調できないものなのか、両者が協力したらより好印象になるのに。利用者の立場になって出来ないものなのかと私は関係者に失望して事務室のドアを閉めた。このような人材が集まっていたのが地方が廃れて行く主因と確信するようになった。
友人に愛犬ミミが死んでから淋しくなったと言ったらすぐ愛犬センターを案内してくれた。ポメラニアン犬を探しに走り回って、ある所にいたワンちゃんに一目惚れしてしまった。冷静に見ると雑種性がかなりある。しかし、心引かれて動かれなかった。家内がOKしたらすぐにでも連れてきたかった。家内は冷静に見て慎重になった。私は不満はあったが我慢していて、センターの店員に聞いてみることにした。犬を売る立場の彼はわれわれの立場からこの犬の雑種性を認めながら数ヶ所の愛犬センターを教えてくれた。私はその店主の態度に感動した。私は客観性を常に強調しているにもかかわらずこの人には負けた気持ちであった。私は彼に全面的に信頼感を持った。彼は自分の利益より客を優先的に考えている。それによって彼は損するようであるが、全体的にみたら大きな信頼を得たわけだから、絶対損はしないと思う。すばらしい店員に会い、心満たされ、またこのセンターの経営者の幸運も感じた。